私鉄

これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~私にとっては衝撃の積雪の記憶をたどると…

※訪問は2026年7月16日

大鰐線から弘前駅へのアクセスは複数

中央弘前からこけしに見送られて出発。実は、この後どうやって弘前に戻ってくるのか決めていない。ホテルは弘前駅の近くに確保している。北海道&東日本パスも持っているので、昨年7月のように大鰐(大鰐温泉)~弘前をJR利用するのも可能だし、大鰐線のどこかの駅で下車してバス、そうでなければ、ここ中央弘前まで戻ってから弘前駅に行くのもありだ。前記事でも記したが、大鰐線の沿線では弘前駅に向かうバスが出ている駅がいくつかある。昨年の2回の訪問で知ったことだが、それはつまり中央弘前と弘前、両駅を結ぶアクセスが悪いが故の需要と供給という気がしなくもない

そして約10分。千年駅に到着した

スポンサーリンク

初訪問時は全く異なる景色

こちらには駅舎がある。大鰐線では貴重な部類の駅となるが、ホームから駅舎を見た景色はこの通り。分かりにくいかもしれないが、先に電車を降りた女性は日傘をさしながら歩いている。北国にしては、それほど暑くて日差しの強い日だということになる

それが昨年3月10日に訪れた時は、このような景色だった

駅とその周辺はすっぼり雪。駅の正面入口となる写真の右手となる駅前は除雪が行われていたが、裏口となる左手は雪が高く積まれたままで

少しの足跡があるだけだった

そして正面入口は

なるほど。このような感じになっているのかと、感慨に浸る。これだけを見ると何でもない駅前光景だが、私には駅舎入口にある清涼飲料水の自販機がまぶしい

その理由はというと

人の身長以上に高く積まれた雪。日傘とは真逆の光景だ。そしてこの写真では見えないが

先に進むと自販機が見えてくる。私自身、よほど印象に残ったのか

昨年6月に書いた記事で、しきりに自販機のことを書いている

このようなことを言うと、地元の方に笑われるか怒られるかもしれないが、気温が10度を超えている3月10日という日に、これだけの雪を見ることになるとは思わなかったというのが率直な感想だった。ちょっとした衝撃だった。寒い時に寒い場所に行くという行動をあまりしていないからだろうか、3月でも雪国にはこれだけの雪が残っているという知識はあっても、実際に目の当たりにすると、やはり驚いてしまう。これより少し前にも3月にどっさり積もる雪を見たことはあるが、それは東北新幹線の七戸十和田駅だった。やはり同じ青森県。だが、その時は新幹線の駅回りをしていてすぐに別の駅へと移動。もちろん新幹線での移動なので、即座にビューンと別の場所へと行ってしまう。ローカル私鉄にトコトコ揺られて降り、再びトコトコ揺られるのとでは場面の変化のスピードが全く異なるのである

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~まずは外せない中央弘前から

※訪問は2026年7月16日

最後は思いついた駅で降りてみよう

田んぼアート駅から弘前へと1度戻り、今度は弘南鉄道大鰐線を目指す。2028年3月での廃線が決まっている大鰐線には昨年の3月と7月に全駅訪問を行った

その多くが雪に埋もれた景色だった。今回は盛夏である。雪の景色が印象に残っている駅を再び巡ってみるのが、今回の意図。だから明確にどの駅で降りるとかは考えていない。車窓から見て思いついた駅、思い出した駅で降りてみるつもりだ。そして最も重要なのは、これがおそらく私にとって最後の大鰐線利用となるということだ

スポンサーリンク

弘前駅からは循環バスで

まず目指すのは、ここは外せない中央弘前駅である。弘南線と大鰐線のアクセス方法はいくつかあり、私も昨年2回訪れて本数の多いバス路線も頭に入るようになってきたし、歩くならどことどこ、という感覚も身についてきたが、ここは王道ともいえる土手町循環バスに乗車する。10分おきに出ていてJRの弘前駅から中央弘前駅のある街の中心地までを運んでくれる

ちなみにこちらが弘南鉄道の弘前駅に張られていた案内図。循環バスに乗車した場合の停留所も書かれている。150円バスと記されているが、IC乗車の場合は130円だ

昨年3月に弘前に来た時は中央弘前駅を利用したが、7月は大鰐線と弘南線を徒歩で移動したため、中央弘前駅は利用していない。だから昨年3月以来の訪問となる

当然雪景色はなく

前掲した地図にもあるように蓬来橋で下車。ご覧のようにこのあたりは弘前市の旧来からの繁華街の真ん中となる。JR(国鉄)の駅が街の中心地から離れているという典型的なパターンだ

バス停からは川沿いに歩行者専用道路を歩いていけば、すぐに中央弘前駅である

こちらを真っ直ぐに

駅の近くまで来てバス停の方向を振り返るとこんな感じ。そして昨年3月はというと

雪は随分と残っていた

もっと対照的なのは駐輪場あたりで

こちらはすっぽりと雪。雪の脇に数台の自転車があるが、これだけ雪が積もると、どこに自転車を停めるのか、さすがに地元の方でないと、分からない

センチメンタルなカウントダウン板

中央弘前駅である。何度見ても味わい深い駅舎だ。駅の周辺は旧来からの繁華街だが、街の開発は進み、新しいマンションなども建っていて古風な建物は少なくなっている。それだけに1952年(昭和27)の開業以来とされる駅舎は異彩を放つというか、大いに自己主張している

古風な改札にある古風な文字の数々。「発車時間の5分前から改札します」と書かれている通り、列車ごとの改札。弘南線は途中駅にも有人駅がいくつかあるが、大鰐線は大鰐駅と中央弘前駅の起終点のみが有人駅だ

そんなノスタルジックな中央弘前駅だが、現実に戻される場面もある

駅舎に掲げられたカウントダウンのボード。まだまだ日数があるようだが、こういうものは数字が減るのが早い。昨年3月の訪問時はまだなかったカウントダウンに、前日に訪問していた津軽線と同様、一気に感傷的な気持ちが押し寄せてきた

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

弘南鉄道弘南線の全駅訪問の詰めを行う~田んぼアート今年はしっかり見てきました

※訪問は2026年7月16日

朝の8時半に「始発」で到着

尾上高校前駅から1駅、田んぼアート駅で下車。昨年に続き2度目の訪問。まず時刻表を見てほしいが

私は8時36分の黒石行きに乗ってきて降りた。つまり、これは始発である。これだけの本数がある路線で8時半が始発というのは、あまりないが、要は田んぼアートのための駅なので、展望台が開館していない時間に電車を停める意味がないのだ。それ以前の電車はすべて通過する。最終が17時半というのも同じで、それ以降はすべて通過。さらに言うと、田んぼアートが行われていない冬季はすべての列車が通過する

今年は最優先で一番乗り

ほぼ駅前に展望台がある。9時のオープンということで、まだ若干早い。駐車場にも車はまだない。昨年は展望台を眺めて終わりだった

各駅訪問を優先した結果、駅での滞在時間が限られてしまい展望台に上がる時間がなかったが、今年はある意味、こちらを最優先にしてやって来た

少し時間があるので、すでに開いている隣接の道の駅で時間を潰す

この時間でも十分に暑いので北東北限定というコーラで一休み

こちらは津軽浜名駅を訪れた際の自販機の写真だが、ここ田んぼアート駅近くの道の駅で、初めてお世話になった。昨年から気になっていたのだが、昨夏の訪問時は随分涼しく飲む機会がなく、1年ずれ込んだ

そして9時になったので入場。もちろんこの日の先頭打者である

ナゾも解けて大満足

300円(子どもは100円)を支払って入場。この日最初の見学客、しかも私1人だけだったので、マンツーマンで解説を聞くことができた

毎年変わる田んぼアートのテーマ。今年のテーマは地元アイドルのりんご娘

ちなみに展望台に上がらず横から見るだけだと

こんな感じで今ひとつよく分からない。やはり展望台から見ないとせっかく来た意味がないのである

そして私にはここまで来てやっと解けた謎があった。テレビのニュースなどで何度も見ている田んぼアートだが、どしてこのようなカラフルな装いができるのかが分からなかった。色はどうやって付けるのだと

それを尋ねると答えは明確だった。古代米を利用しているのだと教えてもらった。他にも観賞用の稲も使われている

ただし古代米はあまりおいしくなく食用には向いていない。その年の田んぼアートが終わると使用された稲は収穫されて食用となるのだが、古代米は食べないという。とにかく大いに納得である

駅の方を見ると、こちらには石のアート。毎年のように変えるものではないが、現在は太宰治となっている

階段で降りると、過去の作品の写真が並んでいる

なかなか楽しい。ちなみに田舎館村の田んぼアートには2つの会場があり、こちらは第2会場。第1会場とは徒歩で30分以上の距離で、交通アクセスは第2会場が抜群だ

そしてもうひとつ、こちらには道の駅以外にも集客施設がある

場外馬券場だ。週末は大いににぎわう。場所が場所だけに来るまでやって来る人が多いが、近年は弘南鉄道を利用する人も多いという。

確かに時刻表を見ると9時前に最初の電車が到着して、最終レースが終わるころの16時台に2本、17時台が最終電車と、レースのダイヤにも合っている。有馬記念のころは田舎館から歩いて来るのだろうか

とにかく満足度の高い田んぼアート訪問だった

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

弘南鉄道弘南線の全駅訪問の詰めを行う~お隣の田んぼアート駅より田んぼな駅

※訪問は2026年7月16日

路線内で2番目に新しい駅

尾上高校前駅で下車。ご覧のように単式ホームの駅でホーム上に待合所があるのみの構造

開業は1999年(平成11)と新しい。ちなみに駅名標に書かれている田んぼアート駅は最も新しい2013年の開業。つまり新しい駅が順番に2つ並んでいることになる

スポンサーリンク

学校の開校に合わせて

尾上高校前駅の開業は青森県立尾上総合高等学校の開校に合わせてのもので、開業日も年度最初の4月1日となっている

駅から学校まではすぐ

徒歩数分のところにある校舎が見えている

ただし駅の立地はというと

田んぼの中に駅がポツリ

ほとんど360度パノラマで農地が広がる。これはなかなか美しい光景。冬場は雪の中にポツンと駅があり、これもこれで別の趣がありそうだ

田んぼアート駅へもすぐ

当駅の開業が1999年、田んぼアート駅の開業が2013年ということは、もともと駅のなかった津軽尾上~田舎館間に新たに2駅が設けられたことになる。津軽尾上~田舎館も線路での距離は2・7キロと、それほど離れていないため、その区間内に設けられた駅間距離は近い。津軽尾上~尾上高校前が1・4キロ、尾上高校前~田んぼアートが0・9キロ、田んぼアート~田舎館に至っては0・4キロしかない

どちらもあっという間の距離で

徒歩でも楽々な距離。実際に歩いてはいないので断定はできないが、線路沿いの一部にも道路があるため、もっと早く到達できそうだ

駅の向こうには田んぼアート駅周辺の道の駅や場外馬券場などの施設が見えている。田んぼアート駅周辺はそれらの施設がある上に幹線道路である国道102号も駅のすぐ近くを横切っているためロードサイド店などの施設もある。そもそも道の駅があって、それに隣接する形で田んぼアートの会場がある。もともと、それなりに通行量の多い道路があるのだ

それに対して、ここ尾上高校前駅周辺は学校を越えたあたりまで行くとようやく集落がある。一面に広がる田んぼそのものがアートというなら、その名にふさわしいかもしれない

この後は田んぼアート駅に向かう。昨年、旅程の都合で行けなかった田んぼアートを見るつもり。次の電車までは30分の時間があるので、だったら歩いた方が早いのではないか、という声も聞こえてきそうだが、なかなかそうはいかないのだ

まず朝の8時台とはいえ、もうそろそろやって来た暑さがある。そして何よりも

この時刻表だ。田んぼアート駅は黒石方面に向けて1駅目。私は8時4分の電車でやって来たのだが、時刻表の文字に赤い丸が付けられている。これは「田んぼアート駅は通過しますよ」という意味。早朝そして日暮れ後は田んぼアートの施設が開いていないので、電車も通過するのだ。つまり汗だくで隣駅まで歩いても田んぼアートを見ることはできない。ならば30分ここにとどまって1区間乗った方がいい

整った待合所で、しばし待機である

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

弘南鉄道弘南線の全駅訪問の詰めを行う~ホーム上に描かれた18・44メートル

※訪問は2026年7月16日

最後は3つの新駅を訪問

弘前から2駅目。運動公園前駅で下車。1927年(昭和2)に弘前から津軽尾上までが開業。戦後の1950年に黒石までり全線が開通した弘南鉄道弘南線だが、未訪問だった当駅と尾上高校前、そして再訪予定の田んぼアートの各駅はいずれも新しい駅ばかり。意識してそうしたわけではないが、最大目的の田んぼアート駅以外は、たまたまこのようになった

そして写真に見えるホーム上の丸いイラストが当駅の特徴をよく表している

スポンサーリンク

臨時駅から常設駅へ

運動公園前という駅名が、そもそも新しい。日南線でも運動公園駅を紹介したが、全国には「運動公園」を名乗る駅は数多い。自治体が野球場から陸上競技場、球技場、体育館が集まる運動公園を鉄道路線沿いに計画的に造ったことで各地で名乗りをあげている。当駅は1977年(昭和52)の開業。雪に埋もれる地域だけに、当初は田んぼアート駅のように冬季休業の駅だったが、後に常設駅となった。

周辺に病院や学校施設ができて開発が進んだからだ

スポーツイベントがなくても朝夕は生徒さんなどでにぎわう。2023年度の1日あたりの利用者数は112人で、これは弘南線では第5位の数字。無人駅では最も多い

ホームに描かれたホームベースへの距離

「特徴をよく表している」と前述した正体はこちら。手前には投手のピッチングプレートそして

奥にはバッターボックスが描かれている。野球の規則ではこの間の距離は18・44メートルと定められている。ホーム上に描かれた投手のプレートとホームペースも、どうやらその距離にされているようだ

もっとも当然だが

ホーム上でバッティングをする人はいない

球場は高校野球のメイン会場

球場の全景はこのようになっていて単式ホームに待合所のみの構造だが、基本的な出入口は病院などの施設にも行けるこちらだが、野球場に近い奥にも出入口が設けられている。弘南線で2つの出入口があるのは貴重な存在である

それがこちら。左側に見えるのはきっぷ売場だが、訪問時はイベントのない朝の7時で、もちろん閉鎖されている

こちらは運動公園の地図。野球場、陸上競技場、球技場、武道館などがある

野球場の方に行ってみる。弘前市運動公園野球場は愛称「はるか夢球場」。2008年の北京五輪で金メダルを獲得したソフトボールの斎藤春香監督が弘前出身だったことにちなむ。1979年の開場だが、後にナイター照明ができて観客席やグラウンドも改修されてプロ野球の公式戦を行える規格となった。2017年からは高校野球青森県大会のメイン会場となり、準々決勝以降の試合が行われ

近づいてみると、外野席まで入れるようになっていて、アレレと思うと、外野スタンド部分はジョギングコースとして開放されていて、早朝から市民ランナーの皆さんが汗を流していた

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

弘南鉄道弘南線の全駅訪問の詰めを行う~あえて2駅残した理由は?

※訪問は2026年7月16日

天気予報はやや外れ?

弘前駅に到着。8月からの弘前ねぶたまつりを目前に控えて町は盛り上がりつつある。その時期は市内のホテルはなかなかの価格になるが、7月のこの時期はそうでもない。前日に青森に泊まったが、やはり青森市内のホテルは弘前より1オクターブ価格が高い印象だ

天気予報が悪いため津軽線沿線の各地訪問を早めに切り上げ、弘前駅には15時前に到着。奥羽本線の普通は青森~弘前がひとつの軸となっていて、この区間は昼でも1時間に1、2本の運行があり、弘前から先は運行が減少する。もっとも青森始発で終着駅が秋田という「青春18きっぱー向け」の普通も1日2本の運行があり、その季節は明らかな同業者(鉄道ファン)で大いににぎわう。所要時間3時間半のロングシートで、しかもかなりの乗客で座席は確保できてもなかなか身動きできず車窓も見られない態勢はしんどい。なぜこのようなことを書くのかというと、実際に乗ったからである。私にとっては、かなりの修行だった。18きっぷのルールが変わって今はどのぐらいの利用があるのだろうか

さて話は少しそれたが、1年ぶりに弘前駅で降り、やや拍子抜けしたことがある。好天なのだ

予報では1度大陸に抜けた台風が戻ってきて夕方にも雨ということだったが、夏の青空が広がっている。まぁ、本格的な雨よりも暑いぐらいの好天の方がいい。というか、今日のうちに弘前まで来ておかないとマズいのである。明日は早朝から弘南鉄道の弘南線と大鰐線に乗るつもりである

スポンサーリンク

今回は紙のきっぷを購入

明けて翌日、7時前の弘前駅。早々にホテルの部屋に入ったので全く気づかなかったが、予告されていた雨は夜中にやって来たようで駅前には水たまりができている。そのおかげか前日の蟹田駅近辺の7時よりもやや涼しく感じる。まずは弘南鉄道の弘前駅まで行って弘南線に乗車する

弘南鉄道の弘前駅にやって来た。あらためて言うと、弘南鉄道には弘南線、大鰐線の2路線があり、近い場所を走る部分がある同じ鉄道会社にもかかわらず、全く交わっていない。弘南電気鉄道という会社の別路線だった大鰐線が、後に弘南鉄道に譲渡された歴史を持つためで、弘前市内の起点駅も弘南線はJR弘前駅に併設されているのに対して、大鰐線はJRの駅から徒歩20分ほどの旧市街の中心部にある中央弘前駅となっている。そして大鰐線は2028年春をもっての廃線がすでに決まっている

昨年の3月と7月に大鰐線と弘南線の各駅訪問を試みたが、弘南線の2駅が未訪問。今日はその2駅訪問と大鰐線の最後の乗車を行うつもりだ

そして今回は紙のフリーきっぷを購入。過去2回はいずれもスマホのデジタル板だったが、こんな風に券売機を並べられると紙を買いたくなる。もちろん「大黒様きっぷ」という名称と1000円という価格は同じ。そして券面にある通り、接点のない弘南線も大鰐線も共通で利用できる

こちらも朝が重要

券売機の写真には時刻表があるが、見て分かる通り、朝夕は1時間に2本の運行があるが、昼間は1時間に1本。これは私鉄に限らずJRのローカル線にも共通する話で、駅訪問をするには朝が重要なのだ

電車はすでにホームで出発を待っている。中央弘前や黒石でもそうだが、改札は列車別、乗降別となっていて当駅までやって来た列車で降りる人をすべて改札の外に出した後にあらためて乗車用の改札を行う。だから基本的にホームで長時間滞在することはできない

そしてこれから7時8分に乗車して運動公園前、尾上高校前の未回収2駅を訪問。そしてここからが大切なのだが、昨年旅程の都合で駅にしか行けなかった田んぼアートを見るつもりだ。残り2駅だったので、昨年頑張れば十分に行けたが、やはり田んぼアートは見たい。昨年の時点で津軽線の最後の訪問を行うことは決まっていたので、未訪問の2駅を残しておいた。そして朝が勝負と言いながらも、あまり早すぎてもダメというジレンマを抱えながらの出発にもなった

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

羽衣界隈から堺までを再確認してみた~堺市の東西問題を学びつつ、お昼から…

※訪問は2026年4月18日

堺東駅を阪堺線で目指すには?

阪堺線の浜寺駅前停留所から阪堺線に乗る。目指すは南海高野線の堺東駅である。時間はすでに14時近く。同行のしんさん(@sin103neko)と同駅近くの飲食店に行くことになった

だが、ここで「はて?」の疑問が出てくる。阪堺線というからには大阪と堺を結んでいて、このまま乗れば天王寺または日本橋近くの恵美須町まで連れていってくれるが、その堺東へはどうやって行くんだ?

堺市は何度も訪れているが土地勘がない。つまり鉄道駅と周辺施設の点と線しか分からないのだ

スポンサーリンク

5本の鉄道が南北を縦断する政令指定都市

かつては大阪以上に栄えた堺は和歌山とを結ぶ重要ポイントでもあり、南海が本線と高野線、JRが阪和線、地下鉄御堂筋線そして阪堺線と5本もの鉄道が南北を貫いて大阪とを結んでいる。南北にこれだけの鉄道がありながら東西はほとんど結ばれていない。高野線とJRそして地下鉄は三国ヶ丘、中百舌鳥で接続が図られていて、記事でも書いてきたように堺市の鳳駅と高石市の羽衣駅は接続されているが、中心部では結ばれていない。これが都市として積年の課題のようで、外から見ると選挙のたびに「東西問題」が論じられている印象だ

もっとも今回の私たちのような一見さんには、今や携帯アプリという便利なものがある

ということで10分ほど阪堺線に揺られて

大小路(おおしょうじ)停留所で下車。ここから堺東へのバスが出ているようだ

堺駅から堺東駅までの道程は2キロほどで、大小路からはその半分ほど。ローカル線の駅訪問なら普通に歩いてしまう距離だが、人間というのは交通機関がホイホイあるとホイホイ乗ってしまう生き物である

かつて栄えた地域

大きな交差点をわたると

石碑があった

他にも石碑と解説板があり、周囲を見渡すと商店街もある。ひょっとしてここはかつて大変栄えた場所ではないかと思い、ここから書くのは帰宅後に調べた話である

大小路というのは前掲の地図にだと分かりやすいが、堺市を東西に貫く大通りのこと。大阪と堺は今や同じ大阪府の隣町だが、律令時代からの区分では大阪は摂津国、堺は和泉国と別の国だった。その境界線がこの大小路。大阪と堺の境界は大和川だとてっきり思い込んでいたが、それは明治以降の分け方。堺の語源は摂津、和泉、河内の3つの国の境にあるとされていて海上交通の要衝にもなって繁栄した。この停留所付近は紀州街道との交点として栄えた。ちなみにこれから目指す堺東駅は1898年(明治31)の開業だが、当初の駅名は「大小路駅」だった

堺東駅までは徒歩20分ほどだが、堺駅から堺東駅まで大小路を走る「堺シャトルバス」が運行されていて、もちろん大小路停留所も経由する。昼間は平日が10分間隔、週末は12分間隔と頻発されている。運行は南海バス。かつて堺市の東西問題解決のため、臨海部も結ぶLRTを走らせる案もかなり具体化したが、南海の2駅だけでJRの堺市駅へ行かないことや道路が狭くなって予想される渋滞など反対の声も強く、お蔵入りとなってしまった

現在は運行の多いバスが市民の足となっている。写真を見返して気づいたのだが、阪堺線の停留所で私たちの先を歩いていた方は。われわれと同様の道程でバスで堺東駅へと向かっていた

バスがやって来た

今や堺市の中心部となった堺東駅。ということで、しんさんと向かった飲食店はというと

なんのことない昼呑みである。駅近くには昼間から開いている居酒屋が多数あって迷うほどだった

しんさんと鳳駅で待ち合わせしたのは正午で堺東駅に到着したのは14時半。高石市と堺市の一部をクルッと回った時間は2時間半ほどだったが、なかなか密度の濃い2時間半だった。しんさん、今回もありがとうございました

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

羽衣界隈から堺までを再確認してみた~東洋一の海水浴場の証人は今のうちに

※訪問は2026年4月18日

浜寺公園駅から至近

荘厳な浜寺公園駅から浜寺公園までは一本道。というか至近である。かつては海水浴場に向かう道であり、関西でも指折りの別荘地。多くの店舗が並んでいたというこの道を歩くとすぐ

年季の入った駅舎が見えてくる。駅名板の文字がかすれそうになっているが「浜寺駅前」と書かれている。こちらが阪堺線の終点、浜寺駅前停留所である

わざわざ地図を表示するまでもないほどの距離だが、当停留所前の交差点を渡ると、そこが浜寺公園だ。そして記事の最後でもう1度利用することになるのが地図を掲載した理由のひとつ

スポンサーリンク

趣ある駅舎

阪堺線は路面電車なので基本的に駅舎はない。他には起終点である天王寺駅前、恵美須町そして本社のある我孫子道ぐらいだ。恵美須町には地元に溶け込んだ味のある駅舎が残っていたが、数年前に姿を変えてしまった

こちらは駅の入口。路線図と運賃が掲げられている。ロゴを見れば分かるが、南海の完全子会社である。阪堺線が浜寺まで到達したのは1912年(明治45)のこと。目的はもちろん海水浴場を中心としたレジャー施設で南海と競合するため、顧客争奪戦も起きたが、わずか3年後の1915年(大正4)に南海に合併されることとなった

原則的に乗降ホームは1面だが、縦に並ぶように複線区間のスタート地点にもうひとつ降車専用ホームがあり、メインのホームを電車が埋めている時は、そちら側で乗客は下車。先にホームにいた電車が出発するのを待って乗降ホームへと向かう

阪堺線では貴重な乗車券、定期券売り場がある。天王寺駅前、我孫子道と3カ所しかない貴重な窓口で、ここ浜寺駅前は月水金土の14時から19時までという変則営業となっている

レジャー地だけに昼間は週末の方が本数が多いのが特徴である

かつての海水浴場は

4月中旬だったが、昼間の気温は急上昇の夏のような1日で土曜日の浜寺公園は親子連れでにぎわっていた。ただし言うまでもないことだが、かつて東洋一と言われた海水浴場は今はない。戦後に一帯は連合軍に占領され、返還後間もなく工業地帯造成のための工事が始まり、工場と埋め立て地になってしまった。東洋一の砂浜を埋め立て地にするなど、平成や令和の世の中ではちょっと考えられない。おそらく猛烈な反対運動が起きるだろう。その場所に造られた公園が今のレジャー施設である

滞在中、たまたま14時になったので窓口が開けられた。営業日や営業時間を知らなかったので、この場面を見られてうれしかった

東洋一の海水浴場と別荘地でにぎわった浜寺には昭和の声を聞いて「阪堺電鉄」というもうひとつの鉄道会社が乗り入れを始めた歴史もある。こちらは戦時中に不要不急線として浜寺付近が廃止となり、戦後は大阪市電となった路線だが、3つの鉄道が乗り入れ、お隣の羽衣駅では阪和電気鉄道との集客バトルが行われたほど、鉄道会社にとって魅力的な場所だったのだ

それらを知る歴史の証人としての浜寺駅前停留所だが、実はしばらくすると姿を消すことになっている。前記事で南海の浜寺公園駅の高架事業について記したが、ここで最初の地図を見ていただきたい。地図をなぞると阪堺線と南海本線が交差していることが分かるだろう。阪堺線は海水浴場に近づきたいため、海側に進路をとった。そして後からできた方がオーバークロスするという鉄道の鉄則通り、この交差では路面電車が南海の上を行くという貴重な景色を見られるのだが、この交差は南海の高架工事の難所のひとつととなり、結論として交差をなくして阪堺線の停留所は南海の羽衣公園駅の東隣に隣接することとなった

乗り換えは便利になる(といっても現在もわずか100メートルだが)が、その結果としてオーバークロスそして歴史ある現在の浜寺駅前停留所の駅舎は姿を消す。その時期については高架工事の進ちょく次第でまだ未発表だが、大阪市内からもすぐに行ける場所だけに、ぜひ今のうちに目に焼き付けてほしい

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

JR東海が運営する沿線地域の逸品・名産品などのご当地いいものオンラインショップ

羽衣界隈から堺までを再確認してみた~無骨すぎる現状駅舎が旧駅舎を際立たせる

※訪問は2026年4月18日

徒歩でも十分な距離だが

羽衣駅からは浜寺公園駅へと移動。東羽衣駅の記事で紹介したように、かつては一大レジャー地だった浜寺海水浴場の最寄りである

元々が羽衣駅も最寄りだったこともあり、距離は大したものではない

それでも高師浜駅からの乗って乗り換えたからには、ここは電車で向かおう

スポンサーリンク

羽衣駅は高石市、浜寺公園駅は堺市

ひとつの留意点としては歩いても10分ほどの両駅は自治体が異なることだ。臨海地区の公園は一体化しているが、羽衣駅は高石市に浜寺公園駅は堺市にある。なお羽衣、高石の両駅を比べると駅の規模や利用者数で前者が上回っていることで「羽衣市」なる自治体があるように思われることがしばしばあるが、そのような自治体はない

浜寺公園駅に到着。何か真新しいホームが見える

そして主(ホーム)のない線路が見えるが、これは通過線。かつても通過線を伴う構造だったが、なんば方面へは切り欠き線を乗降そして待避待ちホームとして利用するユニークな構造だった。現在は高架事業の真っ最中ということで、なんば方面へのホームを新たに仮ホームとして設置したため、真新しいのだ

仮ホームということで鉄骨むき出しの姿だが、バリアフリーのスロープは設けられている

周辺案内は維持されているが、ここでのポイントは「すぐそこ」と表記された「カフェ駅舎」である

こちらが現在の駅舎。レジャー客も多い駅ということで風雨対策はできている。現在は観光地でしか見かけることのなくなった丸ポストだけはしっかり残されているアンバランスさが、いかにも「仮」という風情だ

主役はもちろん旧駅舎

そして隣に並ぶのが

旧駅舎。あまりの立派さに歴史的建築物の旧邸宅か何かかと思ってしまうが、10年前まで使用されていた浜寺公園駅の駅舎である

詳しいことは解説板に譲ろう。駅の開業は1897年(明治30)と19世紀にさかのぼる。当時は浜寺村の浜辺近くにあるだけの「浜寺」という名の駅だったが、高師浜駅の項でも触れたように一帯の浜が日露戦争後に高級住宅街として開発されることになり、当駅付近には大規模な海水浴場ができた。それに合わせて駅舎も豪華に変身。駅名も「浜寺公園」へとあらためられた。にぎわいを見せたことで人口も増え、浜寺村は後に浜寺町となったが、戦時中に堺市に編入されて現在に至る

周辺の高架事業については20年以上前からの案件であり、当駅の存在も議論の大きな柱のひとつだった。解体案ももちろん議題になったが「さすがに」ということで保存が決定。2016年に駅舎として最後の務めが終わった後、駅としての機能は仮駅舎へと移った。仮ホームが新たに設けられたのも、そのようないきさつからだ

旧駅舎側にロータリーがあるのもその名残である

現在、駅舎は「カフェ駅舎」として使用されている。前述して「ポイント」としたのはこちらである

ただし旧駅舎の役割はこれで終わったわけではない

高架事業の説明には完成予定を「令和16年3月」としている。つまり8年後。その際には新たにできる駅舎に移築してエントランスとなる予定。ある意味それから1907年生まれと間もなく120歳を迎える駅舎の新たな人生が始まる

そしてあまりにもコントラストが過ぎる2つの駅舎を同時に見られるのも今のうちだけ。こちらはぜひ足を運んで目にしてほしい

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

JR東海が運営する沿線地域の逸品・名産品などのご当地いいものオンラインショップ

羽衣界隈から堺までを再確認してみた~すっかり変わった景色。難読駅とパタパタ

※訪問は2026年ム4月18日

1・4キロの中にある途中駅

わずか1・4キロのミニ路線、高師浜線だが、途中駅はしっかりある

高架の下、うっかりすると見逃しそうな場所にあるのが

伽羅橋駅。なかなかの難読駅だ

スポンサーリンク

実在した「高級橋」が由来

なんとも難しい駅は「きゃらばし」と読む。もともとの知識がないと、なかなか読めない。伽羅とは最高級の香木。駅近くを流れる芦田川に室町時代に架けられた橋が伽羅を使用していたとされることから橋の名前が付けられた。実際の橋は幕末に造られた石造のもので、現在は埋め立て地の臨海地区にある公園に移設されている

駅の開業は1918年(大正7)だが、ホームに立つと真新しさが伝わってくる。高師浜線は当駅と高師浜駅の間が1970年(昭和45)に、いち早く高架化されたが、それからの半世紀が長かった。羽衣駅までは1キロもないので高架は容易だが、羽衣駅そのものを高架化しない限り高架にするのは無理だ。ようやく羽衣駅とのセットでの高架工事が始まったのが2000年代に入ってから。高師浜線という支線の分岐駅だけに専用ホームの移設もあって20年以上の工期。最後は高師浜線を運休させた方が早く工事が終わるということで3年間の高師浜線運休をはさんで2024年に完成となった

単式ホーム構造は変わらないが、雰囲気は全く変わっている。昼間の運行は20分に1本。当駅付近も高級住宅街のひとつとして町づくりが行われた。そのための駅だった

羽衣駅の乗り換えが便利に

2021年3月の訪問時、羽衣駅は仮駅舎営業だった

改札付近はいかにも仮状態

ホームは本線の上下線プラス高師浜線という構造。今思い出したというより気づいたのだが、まだフラップ式の方向幕いわゆるパタパタが使用されていた。高師浜線のホームは高師浜駅行きしか来ないので固定である

高師浜線のホームは、なんば方面への上りホームのさらに奥にあった

切り欠きホームが専用ホームで、しかもホーム幅や通路幅は狭い。ホーム位置の関係でタッチの差で乗り換えできないこともあったのか

このような注意書きもあるほどだった

それが今は

なんば方面へは平面乗り換えとなり、利便性がはるかに増した。方向案内幕もデジタル式で、完全固定のはずの行き先も他の表示に対応できるようになっている(どのような内容なのかは分からない)

この5年ですっかり生まれ変わった羽衣駅。ただ懐かしさも兼ねて最後は

パタパタの写真を置いておこう

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります