九重駅の駅名標

※訪問は2022年12月17日

再び館山市内へと戻る

安房鴨川から再び木更津方面行きの電車に乗り込み

九重駅で下車。格好いいキロポストは帳簿上の内房線の起点となる蘇我からの距離。江見からは20キロ戻ったことになる

内房線は房総半島に沿ってグルリと線路が走っている印象を持たれがちだが、館山からは、ちょっとショートカットするように安房鴨川を目指す。「ちょっと」としたのは、地図を見れば分かるようにそれでもやや南側に進路をとっている。本当にショートカットする国道と比べると、かなりの回り道となっているが、千倉町(現在は南房総市)を素通りすることはできなかったのだと思われる

当然だが、マイカーなど無縁で道路整備も行き届かない大正期には、どうやっても列車より早い乗り物などあるわけがなく、各市町村を丁寧に回りながらの敷設となり、現在全国のローカル線が苦戦する要因ともなっているが、これだけはどうしようもない

簡易型駅舎がお出迎え

九重駅は竹岡駅と同じ簡易的な駅舎となっている。2007年に現在の姿となった。全国各地で駅舎の簡易型が進んでいるが、この九重駅のように、かろうじて「駅」の形をとどめているものから、バス停と同様の超質素なものまでさまざま。こうして駅の紹介をしていると、どちらも同じ扱いをしていいのかと思ってしまうので、表現は前者については「簡易的」「簡易型」と「的」「型」という文字を入れるようにしている

開業は1921年(大正10)。現在の館山である安房北条~南三原が延伸された時に開設となった。駅名は当時の九重村に基づく。村の名前は明治期に9つの村が合併したことによる。現在、駅の住所となっている館山市二子(ふたご)は9つの村のうちのひとつである二子村に依る。九重村そのものは1954年に館山市に編入され、自治体としては消滅した

駅前には小さなロータリーがある。少し歩くと国道に出てコンビニにも容易に行ける

駅構造は単式。向かいのホームは一見すると現役のようだが、よく見ると生々しく線路がはがされた跡が残る。棒状化されたのは2021年3月で訪問時はまだ2年も経っていなかったので、レール跡がくっきり残っていた

旧駅からの駅名板

駅で目につくものがある

地元の九重小学校の生徒さんによる、心癒やされる手作りの駅名板。こちらは旧駅舎時代からのもののようで、現在の駅になっても残された

簡易的な駅舎ではあるが、お手洗いも設置されている。地域の中心である館山駅へは1駅。国道も近く、1日に3ケタの利用者がある駅である

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