浦佐駅

東日本の新幹線単独駅を巡る~新幹線は夢への架け橋、銅像は何思う

浦佐駅の西口

10月21日12時

浦佐駅の位置は

西口から東口へ向かいます。こちらの入口も広大なスペースがあります。新幹線駅は高架なのでエスカレーターで向かいます

ただ昭和時代、国鉄時代の新幹線駅のコンコースが広いことに、そこまで大きな驚きはありません。小さいスペースに強引に設置した場合は別ですが、当時の新幹線駅というのは夢の原点。そこから街には無限の可能性があると誰もが思い描いていました。将来は地域の中心となってテナントも多数入る。だったらできるだけ大きく造れ、となるのも無理はありません。他にもスペースをもてあましている駅はあります

メインとなる東口(八海山口)へ向かう通路。跨線橋の形で降りていきますが文字はなかなか年季が入っている。ふと振り返ると

改札口へと向かう階段には、さらに古典文字。階段の向こうとこちらが別世界のように感じてしまいます

その浦佐駅ですが

記事のテーマにもなるので小出駅との位置関係も入れてみました。ここに新幹線駅の設置が決まった時は意外と受け止められました。浦佐をはさんで東京寄りに2駅行くと六日町という大きな街があります。ただし駅としては北越急行の乗り入れはずっと後だし、こちらは越後湯沢に近すぎる。だったら新潟寄りに2駅で只見線の乗り換えもある小出が適切ではないか、そもそも浦佐には優等列車もあまり停まっていないのではないか、との議論です。ははーん、これはきっとあの人だろう、となるのも当時の世論を思うと無理もありません

予想を大きく上回る大きな銅像

東口を出てロータリーを右に折れたところに田中角栄元首相の銅像があります

写真で見たことはありましたが、こんな大きいというか高くて立派なものとは知らなかった。駅のコンコースの広さよりも驚きました

私が小学校の高学年の時に総理の座につき、総理在任はわずか2年でしたが、それ以上の存在感を持っていた。亡くなって30年近くが経過しているので若い方には歴史上の人物でしょうが、歴代総理大臣で、今もこれだけ語られる人はなかなかいません。政治のブログではないので、これ以上は書きませんが、存命中は功罪の「罪」が、亡くなってからは「功」が多く語られている気がします。最近語られていることは伝説の部類に入ることばかりです

廃線と建設が同時進行

鉄道についての部分だけ取り上げると総理になる前から日本列島の強じん化を掲げ鉄道網発展を推進しました。総理の座についた1972年は国鉄の赤字額のすごさがクローズアップされたころで、既に赤字路線の整理・廃線が始められたころでしたが、田中首相誕生と同時に待ったがかかり、廃線の動きがある一方で、将来の赤字が心配される新路線の建設が進められるという不思議な現象が起きている時代となりました

そのように力があった人なので浦佐に新幹線駅が設置されることが決まった時は強引に駅を設置したに違いない、と言われたもものです。ただ銅像を見て間違える方も多いのですが、元首相は浦佐の出身ではありません。こちらは選挙区です。それがかえって、いろいろな憶測を呼ぶことにもなりました

もっとも地図を見ていただければ分かるのですが、新幹線を小出経由にすると線路も弧を描くように遠回りになってしまいます。次の駅は長岡なので、そこに向かって真っ直ぐ敷設して越後湯沢との間に駅を設置するのなら浦佐が最適ともいえ、それも一理あります

私が降りてきた東口です。跨線橋の構造を見ていただければ分かる通り、バスやタクシー、乗用車といった具合に区別してそれぞれの乗り場に向かうもので、バス路線が増えれば、そこに向かう階段になるのでしょうが、こちらもまた見ての通り、その役割としては機能していません。真ん中のシマで車を降りた方も階段を昇ることなく、駅舎に近いところにあるエレベーターまで道路部分を横切って歩いていきます

上越新幹線の開業40年り大きなパネルがありました

在来線を除いた新幹線部分だけを取り出すと、上越新幹線内では単独駅の上毛高原より乗降客が少ない年もあります。ただ、それを今どうこう言ってもしょうがない。前述した通り、当時、新幹線は夢への架け橋だったのです。駅の設置についての想像よりも、北陸新幹線よりずっと前の国鉄時代に上越新幹線を敷設できたことが田中角栄さんの最大功績だと思います

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東日本の新幹線単独駅を巡る~語ることと見ることが多すぎる浦佐駅

浦佐駅の駅名標

10月21日11時50分

水飲み場がお出迎え

メインテーマである「新幹線単独駅」について、今回の旅では厳密に言うと上毛高原駅で終了です。ただ興味深い新幹線駅も訪れているので、この表題のまま続けていきます

浦佐駅に到着しました。こちらも1982年の開業時からのものでホームに降りた瞬間、40年の歳月を感じます。いや正確に言うと「あまり変化していないような印象を受ける」なのかもしれません。それ以前に開業している東海道・山陽新幹線はどこか変化を感じるものが多いからです

いきなり水飲み場などが登場すれば、そう思ってしまいます。若い方は、感覚が分からないかもしれませんが、上越新幹線が開業した82年ごろ、水なんて買うものではなかったのです。当時、私は貧乏学生をしていましたが、ペットボトル入りのウーロン茶や水が登場し始めたころで、テレビCMも始まり、周囲では買う人もいましたが「水なんて蛇口をひねれば出てくるし、お茶なんて湧かして冷蔵庫に入れておけばタダ同然の値段。わざわざ買うものではないでしょう。というかそもそもウーロン茶って何?」。そんな感覚が主流でした。ただ逆に言うと自販機のボタンを押して水を買うこともできないし、コンビニなんて都市部中心。夏場は駅の水飲み場はありがたい存在だったのです

とにかく広い

コンコースに出てみます

浦佐から2駅新潟寄りとなる小出駅を発着する只見線が復活したばかり

かなり大きなスペースで復旧を祝う写真展が開催されていました

四季の沿線の様子が写し出されています

私もかなりの時間、見入ってしまいましたが、そのうち気付いていくことがありました

「とにかくデカい」

のです

広大な空間に今は使用していない待合室。こちらは超特大。大々的に写真展を開催しても、まだまだ余裕があります。浦佐駅には八海山口と呼ばれる東口と毘沙門天口と呼ばれる西口があります。メインは東口のようですが、まずは西口へ出てみます

こちらは改修された感があります。ただロータリーはあるものの寂しい。メインの出口ではないので、こんな感じでしょうか。実はこの東口にはスキー場があって先ほどの写真の特大待合室はスキーの団体客用のものだったとか。ならば納得ですが、それでも広い。次の新幹線まで1時間半とどまる予定なので、こちらで昼食とするつもりですが、そのうち見ることも語ることも多い駅だということが分かってきました

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