1700系

ありがとうございました

2022年も終わろうとしています

今年は人生において大きな変化があった年になりました。言ってみれば36年ぶりの変化です

社会人になったのは、まだ昭和の1986年。世間的に分かりやすいのは阪神タイガース唯一の日本一の翌年。鉄道の視点からすると、国鉄最後の年。今にして思うと社会人1年目の出張は国鉄に乗って出かけていたのですよね。明確に覚えていますが、人生初の出張は高松。宇野ダッシュの最初で最後の経験でした。そもそも高松までの往路は飛行機でしたから。伊丹~高松の空路がまだあった時代。乗ったのはYS11と、これまた今にして思えば貴重です

そこから36年の時を経て会社員生活を7月いっぱいで無事卒業。こちらのブログを開始したのは9月でこの記事が91本目となります

最も印象に残っているものは

全部の振り返りをしているとキリがないのですが、副次的な要素も含めると最も印象に残っているのは遠方への旅ではなく

能勢電鉄です。騒ぎにならないうちに能勢電鉄の「山下発山下行き」「旧阪急2000系の1700系」とのお別れをしておこうと出かけたところ、当日の運行当該編成が、その1700系だったという一石二鳥というか王手飛車取りというか、まさに僥倖、超ラッキー

能勢電鉄のホームページでは、惜別のヘッドマークを付けた1700系の運行について、日付ごとに、どこの運用に入るのかを発表していたのですが、私は知らなかった

当日、山下駅の朝は随分と撮り鉄さんがいて、まだ惜別まで1カ月もあるのに、おかしいなぁ、と首をひねったものですが、まる1日こちらの運用に入るのであれば、そりゃあ来ます

その意味で自分の体験はもちろん、動画としても貴重なものになりました

実は能勢電鉄には11月30日にも訪れていまして、まだ記事にしていませんが、平日の朝7時半というラッシュ時に川尻駅のホームに行くと

いきなりいらっしゃいまして驚きました。この日も運用についての調べはしていません

当日は能勢電鉄の全駅下車(ラッシュ時ということもあり、すぐ終わりました)が主眼だったので、1駅でお別れとなりましたが、印象深いです

意外と難しい、あてのない旅

そして時間ができたら、ぜひやってみたかった念願の旅というのはこちら

1週間自由に乗れるパスで、あてのない旅をすること。こちらのポイントは自動改札機を通れることと、もうひとつ大きいのは青春18きっぷより微妙に早く運用が始まること。混雑を避けられます

行くところまで行って飽きたらホテルをとる、とい66日間(きっぷは7日使用できますが私に与えられた時間は6日間でした)。こんなの時間がないとできませんから、憧れていたのですが意外と難しい、というか洗濯が面倒だ(笑)。結局、5泊のうち2泊は都内の部屋に洗濯機があることで有名なホテルチェーンを利用することに

また旅に出ると必要以上に呑んでしまうので疲労がたまります。道中の1泊を郡山にしたのですが、何やら体内の危険信号が働き、当日はサイゼリヤでパスタ+サラダ+ドリンクバーのみの夕食で終わるという、初の旅先ノンアルコールを経験。福島の地酒をとても楽しみにしていたのですが、こちらは年齢の影響もあるのかもしれません

そして当日に確保しようとすると宿もなんだかんだで大きな都市になるのですよ。それは高山本線の時にも学びました。ただこちらについては来年また再チャレンジしたいと思います。そもそも東京を起点にすると、必ず飲み会が入ってしまうので、来年はもっと北の方をスタート地点にしたいと思います

と、とりとめのない話をダラダラと書いてしまいましたが2023年もよろしくお願いします

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妙見の森フリーパスお早めに

最後も1700系で

リフト乗り場の傍らでふと目についたもの

「駅跡」となっています

終わっていたのですね。全然知りませんでした。スタート時から、かなり話題になっていたはずですが…

昨年12月に終わっていました。残念。そしておつかれさまでした

ケーブルの駅まで戻ると時間もお昼近くになってきて臨時便も出る盛況ぶり。バーベキューのお客さんも目につきました

来た経路を戻ってリフト→徒歩→ケーブル→徒歩で妙見口の駅に戻ってきました。帰路は道も分かっている分、はっきり言って楽勝でした。考えてみれば、元々「妙見」という駅名だったものが戦後に「妙見口」に変わっています。この「○○口」というのは鉄道というよりバスでよく見かけるのですが「○○駅口」という停留所で駅まで相当歩かされたことが何度もあります。事情は分かりませんが「妙見という駅名なのに随分と駅から遠いじゃないか」と苦情が出たのかもしれませんね

駅に行くと

なんと1700系がお出迎え。ここから川西能勢口に向けて戻るだけですが、これはうれしい偶然だったなぁ。鎧のブラインドもしっかり使われている。平野駅で降りてみたかったので、そちらでお見送りしましたが、楽しかったです

大変お得なフリーパス

さて今回使用した

妙見の森フリーパスは、めちゃくちゃお得なきっぷです。能勢電鉄単独、プラス阪急、プラス大阪モノレール&阪急と3種類があって、それぞれ1200円、1600円、2000円。私はプラス阪急を利用しましたが、まずケーブルとリフトの料金はというと、それぞれ片道400円です。つまりケーブルとリフトを利用して往復すると1600円。これだけで元がとれてしまうのです。さらにプラス阪急なら能勢電鉄に加えて阪急各駅、プラス大阪モノレールなら同じくモノレールと阪急が乗り放題、降り放題。さらにいろいろな店舗や施設での割引特典もあり、相当にお得です

こちらの発売は12月4日の日曜日まで。同月17日のダイヤ改正より2週間ほど早いので、お早めの利用をおすすめします。発売場所や各種割引については能勢電鉄のホームページをご参照ください。例えば阪急ならどの駅でも販売しているかというとそうではなく、例えば神戸市内なら三宮駅だけのようではないので、こちらは注意が必要。またケーブルとリフトは水、木曜日は休業(祝日をのぞく)ですので留意してください

さて肝心の私ですが当初は夕方まで、いろいろな駅で降りてやろうと目論んでいたのですが、当初予定していた徒歩が疲れたのか

社会人生活をスタート(昭和です)した庄内で久しぶりに降りて、随分変わったなぁ、などと歩き回って昔から残る喫茶店でご飯を食べ、15時過ぎに帰宅となりました。その時の反省と言ってはなんですが、動画撮影したものが、うまく映っていなかったりしたこともあり、期間内にもう1度訪れたいと思っていたりします

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何度も府県境を越える

紅葉に包まれたリフトで山上へ

坂を歩いてリフトの乗り場に到着しました

その手前にお助け棒の返却場所が。それほど急な坂だということです

リフトは私の想像よりはるかに長時間で約10分。両サイドの紅葉が美しかった。今月12日のものですから、さらに進んでいるのかもしれません

リフトで山上に到着

これもまた初めて知ったのですが、府県境の場所ギリギリの場所なんですね。つまりこの日の私は兵庫県の三宮からスタートして阪急で大阪府の十三を経由して川西能勢口で再び兵庫県に入り、能勢電鉄でまた大阪府へ。妙見口の駅から徒歩でリフトを目指す間に兵庫県に行き、リフトを降りて妙見山を散策している間にまた大阪府へ入る…4回も県境越えをしています

ちなみにグーグル先生に徒歩ルートを尋ねてみました

リフトで10分も直進するのに意外と早い。もっとも私の場合は下りは別として登りはとても17分で歩く元気はありませんけど。でも確かに山上まで歩いて来られている私よりも年配と思われる方々が多数いらっしゃいました

絶景でした

さて寺社仏閣の写真というのは、どこまでSNSやブログに掲載して良いものなのか微妙なところで、もちろん許可を得ればいいのでしょうが、そうでない場合、私はいつも入口だけにとどめるようにしています。今回も許可は得ておりませんので

こんな感じでとどめさせていただきます。ひとつ言えるのは、なかなか歩き甲斐、訪ね甲斐があるということです

降りてきて妙見の水を。美味しかったです

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もうひとつの「能勢電鉄へ急げ」は旧阪急2000系

ネタバレになってしまった

今回、能勢電鉄に乗りに行った理由は「山下発山下行き」ともうひとつありました

朝の8時前に日生中央駅手前でぼんやり最前部にいた私はチラリと見えたものに心の中で快哉を叫ばざるを得ませんでした

右前方に視界に入ったもの。それは

能勢電鉄の1700系です。これは旧阪急の2000系という車両で、これに乗るのも今回の目的のひとつ。要は「山下発山下行きに乗車しようとしたら充当車が該当車だった」ということ。これを僥倖呼ばず何と言うのでしょう。まさに一石二鳥になってしまったのですが、そのためブログではネタバレしながら、その件には触れずに話を進めるという心苦しい展開になってしまいました

「貸し切り」にテンションが上がる

ヘッドマークに「さよなら」と掲げられていることで、お分かりのように間もなく務めを終えます。早速飛び乗ると

乗車した最後部の車両は完全貸し切り状態でテンションが猛烈に上がります。こういう大都市近郊の通勤電車で貸し切りになることなんてめったにないのですが、週末に早起きした甲斐がありました

年齢はというと

私とタメ。同じ年です。車両のことは専門ではありませんが、私にとって小中学校のころ、阪急といえば、この2000系だったのです

ただ私がおそらく阪急に一番乗ったのは20代から30代前半にかけてのこと。会社が豊中市にあったことで社会人生活をスタートした最初が庄内、途中の実家通いをはさんで30代前半は服部(現在の服部天神)に住んでいました。どちらも宝塚本線ですが、私のかすかな記憶ではもう宝塚本線にはいなかったと思います。ただ神戸本線には細々と運用があったと記憶しています

その後、四国生活を挟んで30代後半から塚口に住むと伊丹線で再会。既に能勢電鉄への譲渡は進んでいましたが、まだ阪急にも残っていたはずです

独特の音がある

なんといっても「キューボコボコ」という音が特徴。今の阪急には残っていないもの。そしてドア開閉時の「ボキュ」という音。前記事の動画は山下発山下行きに特化したので、音について語ることができずしんどかった(笑)

こちら運転席。ワンマンの最後部なので無人ですが確かツーハンドルという昔の形になっているはず。貸し切りに喜びすぎて独特の鎧戸ブラインドを出してみるのを忘れました(残念)。子供にとって、これをズルズルと出すのは難事業でした。今にして思うといたずら防止もあったのかな、と思ってしまいます

さて山下に到着すると何人かのファンがカメラを構えていました。なんで知っているんだろう、早朝から凄いな、と思ったのですが能勢電鉄のホームページに特設ページがあり、その日の運用が分かるのですね。もっとも何も知らずにバッタリ出くわした喜びはありましたよ

能勢電鉄のホームページによると、さよならのヘッドマークは12月16日までとなっています。ということは同17日からのダイヤ改正で業務を終えるのでしょう。山下発山下行きと同じですね。1700系体感もお急ぎを

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