JR北海道

天候に左右された2023年を振り返る(後編)

7月初日から足止め

7月は佐伯のホテルで迎え

早朝から名前シリーズを無事に全駅訪問。たった4駅ですが2日かかります。10月も同様の行動となるのですが、佐伯~延岡の超難関区間を訪ねる際は、必ず朝の6時台に活動を開始して7時台には強制終了となるので、ホテルに戻って改めて朝食というパターンが定着してしまいました。この日は蒸し風呂に入っているような気候だったので朝からあらためてシャワーを浴びたりする(笑)

ただ雨の方はというと最も活発な前線は九州を去ったようなので、すっかり安心

結果的に佐伯から延々と普通のみを乗り継いで日豊本線小倉に到着後、まだまだ明るいため、せっかくの旅名人きっぷなので小倉モノレールを堪能しているうちに前線が東に移動して山口県内のJRが全線ストップ。帰れなくなりました

もっとも足止め先が小倉という大都市だったので宿をとり、一度は残る1回の権利を持ち帰ろうとしていた旅名人きっぷは翌日に消化することにして事なきを得たのですが、山口県の鉄道網は、この時の雨で大きな爪痕を残しています

翌日は旅名人きっぷはフル活用して平成筑豊鉄道と

筑豊電気鉄道の両社に乗車。よく混同される両社ですが、全くの別会社。平成筑豊鉄道は元国鉄の第三セクター、筑豊電気鉄道は西鉄の子会社です

この月は四国バースデイきっぷを利用して

営業中の田井ノ浜駅で降車。コロナ禍が明けて久しぶりの営業となった海水浴用の臨時の当駅。訪問は青春18きっぷ利用初日の平日で、さすがにまだ人の姿は少なかった。自分の誕生日が7月で良かったと思える瞬間。この旅では香川県内の駅はほとんどいかなかったにもかかわらず、高松で2泊もしてしまい、どちらかというと「高松での飲み」が中心でした

雨のおかげでライトレール

この後は酷暑のおかげで行動は停止。急な葬儀で横浜に出かけることはありましたが、この後の1カ月間、猛暑の中で何をしていたのか、ほとんど思い出せません。活動再開は8月後半からで、残る4回の青春18きっぷをそろそろ使い切らないとマズいとなり、広島へ。当初は呉線方面へと出かける予定でしたが、三原で新幹線を降りると激しい雨のため呉線は遅延。山陽本線も遅延していましたが、しばらく経つとダイヤも復活しそうだったので、思いつきで瀬野で下車

久しぶりのライトレールは。おそらく私にとっては最後の乗車になりそうです

そして31日からは月またぎで北海道へ。これは私にとっては一生忘れられない体験になることは、ほぼ間違いありません

トラブル続出の北海道

到着の当日は天候にも恵まれ、旭川空港から順調に稚内へ到達

折り返しで抜海で降り立ち、地元の宿で楽しいひとときを過ごしたまでは良かったのですが、翌日に宗谷本線が全線でストップ。旅人宿「ばっかす」のご主人の機転で稚内→(バス)→札幌→(JR)→旭川というルートを教えてくださり、無事に旭川にたどり着くことができましたが、大回りをしての500キロもの移動はかなり大変でした

そして、これはあまり書いてこなかったのですが、北海道上陸とともにカードのトラブルが発生していました。カード会社も電話をくださるのですが、旅先の移動中ばかりで、うまく通話がつながらない。稚内でバスのチケットを確保してから出発まで2時間近い時間があったため、これは良い時間だと、こちらから電話。ただカード会社でよくあることで、オペレーターとの電話が全くつながらず

稚内に行ったことのある方なら、距離感が分かると思いますが、駅で電話をかけ、つなぎ放しにしたまま防波堤ドームまで歩き、探索して駅へ戻ったころに、ようやくつながった。感覚的には稚内から札幌までのバス6時間より、長かったです

カード会社との話はまだ終わらず、今度は向こうから電話をくれることになったのですが、当日は移動だけで電話に出る時間がなさそうなので

翌日に廃線予定の根室本線各駅を回って一度富良野に戻ってくるタイミングの、おそらく富良野カレー店の前で並んでいるであろう時間帯を指定したところ、ピッタリその時間に電話をいただき、電話を切った直後に入店の順番が来てトラブルは解決しました

北海道から帰ると今度は青春18きっぷの残る2回を消化すべく高山本線へ。あまり世の中で話題にならないのですが、廃ホーム上に神社がある角川駅が路線すべてで最も印象に残る駅となりました

9月は

珍しく観光で長野県の戸隠神社で戸隠そばを食べたりして

広島県の庄原で芸備線・木次線のイベントに参加

岡山での乗継ぎ割引もなくなっているので、岡山まではおとなび割引で新幹線を利用。岡山からは普通を乗り継いで備後庄原まで行ったのですが。3080円という運賃にビックリ。考えてみると、このあたりの区間って青春18きっぷのようなフリーきっぷか、神戸市内からの通し運賃でしか乗車したことがないので、こんなに距離があるとは実感できていませんでした

平日にもかかわらず、備後落合駅は件の1日1本の集合便に乗車する人でいっぱい。18きっぷの季節はもっと凄いのでしょうね

イベントを夕刻に終えると、バスで広島駅まで行き新幹線で帰宅。考えてみると、この日は一切、芸備線には乗車していない。この時間帯なら、このコースが最速なのでやむを得ませんが、芸備線のイベントに来て芸備線に乗らずに帰るというのは、ちょっと複雑な気持ちでした

完全制覇…とはならず

10月はハロー自由時間きっぷで九州新幹線の全駅訪問を達成。これで全国各地の新幹線駅すべてを訪問したと喜んでいたら、北陸新幹線の飯山駅という乗り残しがあったことに後で気付く。昨秋、JR東日本パスで上越新幹線と北陸新幹線の各駅を訪問した際に乗車した新幹線が飯山駅通過だったのです。わずか1駅だけ残して、これは痛恨。来春の敦賀延伸以降の課題となりそうです

この旅では再び宗太郎ルートにチャレンジして市棚駅訪問。またもや訪問後、延岡駅のホテルで朝食となりました

この後、鉄道の日記念パスでようやく高山本線の全駅訪問を達成

その足で名鉄訪問となりましたが

名鉄275駅で最も利用者の少ないこどもの国駅に寄ったり

信号の赤↔青だけで飽きない西枇杷島のデルタ線が楽しかったです

急な「主役」に驚き

11月は降り鉄にとっては、徒歩も苦にならない最も良いシーズンなんですが、歯科医の自費治療で会社員時代の1カ月分の手取りに近いお金が消えていったので、どこにもでかけず。12月の声を聞いて青春18きっぷによる外房線の全駅訪問を行いましたが、その後、大きなニュースになって驚きました

こちらが浪花駅時刻表。6時36分発の青文字となっているのが、話題となっている勝浦6時25発の1日1本の東京行き通勤快速です。この時は貴重な1日1本だなぁ、としか思っていなかったのですが、まさか県知事や市長、町長が正式抗議する事態になるとは考えてもいませんでした

前編より長くなってしまいましたが、おそらくそれは後半の方がアクシデントが多かったからだと思われます。年明けは青春18きっぷの残り2回分を使用すべくスタートするつもりです

皆さま、よいお年をお迎えください

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北海道フリーパスと青春18きっぷ~自らの体験で比較

旅の質量で異なるが

12月10日から青春18きっぷの利用期間が始まります。私のような駅巡り中心でローカル線の比重が高い者にとっても、乗り潰しがメインの人でも重宝なきっぷですが、これが北海道となると多少事情が異なります。とにかく北海道は広い上、エリアによっては普通列車の運行が極めて少なく、特急に乗車せざるを得ない区間があるからです。その反面、普通しか走っていない区間もあり、その意味では廃線を控えた根室本線の富良野~新得間は、旭川~富良野の富良野線も、滝川~富良野の根室本線も青春18きっぷにはピッタリかもしれません

その一方でJR北海道では7日間、道内の在来線特急に加え、一部のJRバスも乗り放題(指定席は6回まで)という北海道フリーパスを発売しています

料金は写真で分かるように青春18きっぷが1万2050円で北海道フリーパスが2万7430円と約2倍。前者は利用期間が決まっているのに対し、後者は通年発売です。ただ年末年始とGW、お盆の期間は利用できません

大きく異なるのは青春18きっぷが期間内であれば、任意の5日間を選べるのに対し、北海道フリーパスは最初の利用日から7日間という縛りがあること。つまり北海道フリーパスを利用するのなら、まとまった休み、最低でも4~5日は道内に滞在しないと慌ただしいだけになってしまうどころか、元をとれなくなってしまいます。つまり旅の質と量によって利用法も変わってくるのですが、8月31日から9月5日までの6日間という青春18きっぷ期間に北海道を訪れ、北海道フリーパスを使用したので、料金を比較してみることにしました

ただ、これはあくまで宗谷本線の不通というアクシデントも含めた結果から導き出したものであることをご了承ください

実際の行程

まずは実際の行程ですが

8月31日

旭川空港に到着後、旭川駅で北海道フリーパスを購入して

宗谷本線をウロウロ→士別から特急で稚内へ→稚内から抜海へ行き、抜海泊

9月1日

大雨で宗谷本線不通につき、稚内から長距離バスで札幌へ→特急で札幌~旭川、旭川泊

9月2日

旭川~富良野→富良野~落合をウロウロ→富良野~滝川、滝川泊

9月3日

滝川~茂尻をウロウロ→滝川~札幌をウロウロ、札幌泊

9月4日

札幌~長万部(特急ニセコ)→長万部~昆布、昆布泊

9月5日

蘭越~新千歳空港をウロウロ→飛行機で帰阪

となりました

5月にも北海道フリーパスを利用していて、この時は

かなり特急に乗車したこともあって大幅に元をとっていますが、今回は特急に乗車したのは、わずか3回のみ。その意味でも比較しやすいものとなったかと思います

6日のうち1日は18きっぷを使用せず

実際の旅は6日間で18きっぷは5日分しか利用できませんが、冒頭で宗谷本線の不通があったと記した通り、うち1日は18きっぷの登板はなく終わります。その面でも、あくまで結果から逆算したものとなりますが、まず特急課金をしたとして利用した料金は以下の通り

士別~稚内 乗車券4840円+特急券2420円=7260円

札幌~旭川 乗車券2860円+特急券1830円=4690円

札幌~長万部 乗車券3630円+特急券2730円=6360円

特急ニセコは全席指定席なので指定席、他は自由席ですが、この3列車を合わせると1万8310円で18きっぷの1万2050円を合わせると3万360円。北海道フリーパスに軍配が上がりますが、特急ニセコについては、前日にダメ元で滝川駅の窓口に行ったら、たまたま空席があっただけで、そうでなければ小樽から函館本線の山線をトコトコ走っていたことになるので、だとすると、この6360円がなくなって2万4000円。他の2つの特急は絶対に乗らなければならないものですが、それでも18きっぷの方がお安い

今回の旅は最終日にもアクシデントがあり、山線で小樽までたどり着いた時に千歳線のダイヤが大幅に乱れていることを知りました。朝から好天で天候のことなど全く気にかけないでいたのですが、朝に千歳付近で大雨があり、一時千歳線や室蘭本線がストップしていたとのこと。時間はたっぷりあったのですが、飛行機に乗れないのだけはマズいと、とにかく慌てて千歳方面へと向かい、楽勝だろうと思っていた小樽~札幌のいくつかの駅は素通りすることになりました

さすが北海道の大動脈路線とあって千歳に着くころには通常ダイヤに戻っていましたが、今回の旅では特急に乗車した回数が少なかったので、長万部に出て室蘭本線の特急で千歳に向かおうなんて邪心を出したら危険なところでした

北海道フリーパスと普通料金を支払った場合の比較については、特急わずか3回の利用でしたが、こちらは行ったり来たりを多数繰り返したため、もちろんプラス収支となっています

気になる今後

北海道の旅というのは、天候によるアクシデントがつきもので、特に寒い時期はその可能性も高くなります。私のように自分のいる場所は何ともなくても離れた場所は全く違う天候となっていることも多い。18きっぷのみの北海道の旅は危険度が増すというのが私の基本的な考えですが、思わぬ出費が生じることもある、という前提できっぷの使い分けをしていただければと思います

さて先日、JR北海道から発表があり、来春から室蘭本線、石勝線経由根室本線の特急について「全席指定席」になるとのこと。現在、乗車券のみで利用できる石勝線内については空いている指定席に座れるそうだが、特急の短距離利用が目につく室蘭本線については、どうするのでしょう。券売機のある駅では自由席特急券を買って乗車していたが、そうはいかなくなるので窓口に並ばなければならないのか。えきねっとを使えない人はもちろん、現在25~50キロの特急は自由席630円なのに対し指定席は1160円と大幅値上げげとなってしまう。25キロ以下は320円→850円と倍以上の値上げです

北海道フリーパスについては現在「指定席利用6回まで」となっているが、このルールもそのままでしょうか。いろいろ気になる今後です

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根室本線の2駅を紹介~住宅街、コンビニもある駅の歴史と未来

東滝川駅の駅名標

※訪問は2023年9月3日

滝川駅のお隣

茂尻から滝川方面へ2駅。東滝川で下車。駅名からも想像がつく通り、函館本線との接続駅で特急停車の滝川のお隣の駅

長いホームを持っている。一見、単式ホームで側線が残る形かと思ってしまうが

歩いていくと駅舎を挟んで上り下りホームが配置された千鳥状であることが分かる

東滝川駅は1913年(大正2)の開業。現在は駅の住所も東滝川だが、当時の地名から「幌倉駅」と名付けられた。お隣の赤平市の中心駅である赤平駅と同日開業である。現在の駅舎は戦後間もない1950年に改築されたもの

幌倉の歴史を知った後に少しビビる

駅舎内は幌倉の歴史展示室にもなっている。入植が開始された明治期以来の歴史がイラスト入りで丁寧に描かれている。かなり立派なものだ

これだけの展示物だけで地域の人々が幌倉という地名にいかに愛着を持っているかが分かる

解説によると地域名は付近を流れるポロクラ川にちなんだもので、ポロクラとはアイヌ語で「弓を置く場所」の意味だそう

またかつての駅事務室は子どもの勉強スペースにも使用されているようだ

入口でよく見ると、何やら張り紙がある

1週間ほど前の話のようだが、ちょっとビビった

赤平へ向かうには

私がホームに降り立ったのは8時35分。次の滝川行きは11時2分で、2時間半も空く。次は赤平駅に向かう予定だが、それにしても9時58分。次は赤平に向かうつもりだが、時間が空きすぎるのでバスを頼ることにする

駅前にバスは来ないので徒歩5分ほどの国道38号まで出る必要がある。国道までたどり着いて振り返ると道路の奥の行き止まりが駅という各地で見かける光景。写真で分かるように周辺は住宅街。そして国道にはコンビニがあったので

バスを待つ間、セイコーマートおにぎりで朝食とする

セイコーマートにも駅と同様の張り紙があって、これまたビビる。ただコンビニは日曜朝から人の出入りも多いし、メイン国道は車がビュンビュン通るので、この時間帯は大丈夫だろうとバス停に立つ

廃駅報道

東滝川の停留所でバスを待つ。滝川から根室本線の各駅とその近くを通って芦別駅へと向かう路線バス。1時間に1本程度あって根室本線より、ずっと多い。富良野から根室本線に沿って走り、滝川から高速道路で札幌に向かう「ふらの号」も7往復存在する(乗車区間に制限がある)

と、ここまでなら普通の駅紹介だが、今回東滝川を訪れたのは廃駅報道があったからだ

現時点で東滝川の1日の利用者は1日5人にも満たないという。根室本線の富良野~滝川間は1日9往復の運行がある(上りの早朝1本については芦別始発)が、うち2本の快速については東滝川通過である。理由は旅客の少なさなのは明らか

周辺は比較的大きな住宅街で、メイン国道も走っていればコンビニまである。現地を訪れて分かったのだが、このような環境で駅が廃止されてしまうのか、と、ややショックだった

もっとも私が利用したようにバスは頻発している。ただし路線バスについては鉄道より遅く、料金も高い。対照的に札幌へはバス利用の方が圧倒的に便利である。ふらの号は滝川には行かず、ここ東滝川から高速道路で直接向かう

東滝川駅と滝川駅の間に滝川インターがあるので滝川駅まで行かずに高速道路に入ってしまうからだ。東滝川は鉄道よりバスが充実している地域となっている

草に覆われつつあるホーロー駅名標。当駅の両区間には信号場が存在した。いずれも戦後の石炭全盛期に設置されたもので、エネルギー転換とともに信号場も役割を終えた。新たに信号場が必要なほど多くの列車が行き交っていたこの地域。これほど立派な「展示」がある駅には、ぜひとも残ってほしいものだが…

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~これが最後の光景

下金山駅にやってきた列車

※訪問は2023年9月2日

空間が物語るものは

下金山駅では約1時間の待ち時間があった。最後の駅を味わうにはちょうど良い

ホームと駅舎の間に広い空間がある。側線があったことは明白だ

島式ホームは片側のレールがはがされ、1面のみが使用されている。富良野~東鹿越間の各駅でも、かつては貨物輸送の重責を担った痕跡が各駅にあったが、これほど見事にレールが消えているのは、ここだけ。たとえ使用されていなくてもレールが残るのとなくなっているのとでは受ける感じが異なる。大きな空白と空間が寂しさを後押しするようだ

ホーム側にある平仮名の駅名板

もちろん無人駅。「JR北海道」の文字があるのでJR移管時は有人だったのかと思って調べてみたが、それより前に無人化されていた

下金山駅は1913年(大正2)の開業。すでに山部、金山の両駅が開業していて、その間に設置された。目的はやはり木材輸送。1939年に駅そのものが若干の移動をしたこともある。現在の駅舎は国鉄末期の1983年にそれまでの駅舎を改築したものだが、ほぼ時を同じくして無人化されているので窓口は一度も使用されていない可能性もある。そもそもの無人化は貨物扱いの廃止が理由なので旅客を相手にしたきっぷ販売という意味合いは終わっていた

周辺には集落が広がる

当駅にはこの区間を走る1日1往復の快速のうち、上りの滝川行きは通過するが、停車駅の金山駅とは異なり、駅を中心に小さいながら集落が広がる

民家も商店のほか

郵便局もある

そしてバス停

3カ月前は泣きが入ってしまったが

1日3往復運行の占冠村営バスの停留所には、しっかり時刻が記されていた。これだったら安心して待っていられたと思うが、話としては盛り上がらない。今となっては記事に抑揚ができたことに感謝しよう。もっとも、そのおかげで当駅のみが未訪問のまま終わってしまったのだが

100年以上続いたありふれた光景が

周辺の散策を終え、駅に戻る。駅前には未舗装部分もあるもののロータリーがあり、手入れされた花壇があった

手元にJR移管後から1年の時刻表(復刻版)がある。石勝線が開通した後で、この時点ですでに1日7・5往復(うち1本は落合折り返し)となっているが、それに加え滝川から函館本線に入って札幌に向かう急行「狩勝」が1往復運行されている。狩勝の名前は現在、快速に受け継がれている。話は少しそれるが、この急行には「新得~札幌を途中下車せず札幌以遠に行く場合は石勝線・千歳線経由の乗車券・急行券でそのまま乗車できます」との注意書きがある。もちろん距離も所要時間も大きく異なっていて、今ならマニア垂涎の長距離急行となっていただろう。ただ当時は石勝線を走る特急そのものの本数が少なく、帯広を約1時間半後に出る特急が必死に追いかけても、わずか2分差で狩勝が先に札幌に到着する。たった2分というのも今だったら、大いに人気となっていたに違いない

駅舎隣の倉庫を改めて見学し

最後にもう一度駅名標の写真を撮る

バス転換後はどのような態勢になるのだろうか。都市間バスのノースライナーの項でも少し触れたが、現状、廃線予定の区間内では価格的にバスの方が鉄道より若干安い。ノースライナーは新得の後は富良野までの間、南ふらの(幾寅)と山部に停車するのみの、いわば特急である。それに対しバス転換となると、おそらく東鹿越を除く現在の各駅または、その近くに停車するのだろう。車両も路線バス仕様なのか観光バス仕様なのかは分からないが、現行の運賃をそのままあてはめると、場合によっては路線バス仕様(もしくは小型バス)の遅いバスの方が乗り心地が悪い上に運賃が高い、ということになりかねない

富良野方面行きの列車がやって来た

前日の宗谷本線ストップにより、初めて訪問した駅は2日間で落合、下金山の2駅のみになってしまったが、これも忘れられない思い出となった

「晩夏の雲と列車」。100年以上、あたりまえだったこの光景は来年からはもう見られない。私にとっては、ホームに入線する列車の姿そのものが、おそらく最後である

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~待機3時間超、最後の駅に降り立つ

下金山駅の駅名標

※訪問は2023年9月2日

まず時間をつぶそう

富良野駅への到着は10時50分。ここから最後の1駅となる下金山に向かうのだが、当駅発の次の列車は14時14分。3時間半もの待機時間がある

まず向かったのは富良野カレー。15年ほど前、3年続けて富良野を訪れたことがあり、その後も富良野を訪れている。その度にいろいろな富良野カレーのお店に行っているが、今回は最も有名な「唯我独尊」さん

開店前だが、長い行列ができている。以前はバスターミナルが隣接していて初めて富良野に来た時は、ここからバスに乗った。ネット情報はまだ少ない時代でバス乗車の際、気付いたのがこちら

牛乳も美味しかった

次いで富良野駅から

11時53分発のノロッコ号に乗車。こちらも久しぶり。とにかくフリーパスを有効に利用しよう

ノロッコ列車の車窓を味わう。さすがにこの時期はラベンダー目的の観光客も少ないようで、車内はすいていた

本来は、この列車しか止まらない夏季臨時駅の「ラベンダー畑」で下車するのだろうが、そうするとラベンダー畑駅で1時間半近くも待機しなければならない。この日は9月に入った北海道とは思えない猛暑だった。過去の訪問経験から、農地の中にポツンとある駅で時間をつぶすのは困難を極める。中富良野駅まで歩いても大した距離でないことは分かっているが、中富良野駅の接続までギリギリの時間だ。仮にラベンダー畑駅で待機または徒歩数分のファーム富田を訪れとしても富良野駅到着は13時59分。乗車列車まで15分の乗り継ぎと絶妙にも思えるが、北海道の列車にはトラブルがつきもの。乗り継ぎができなかった、は元も子もないので中富良野で下車

当然の話だが、当駅で下車したのは私だけだった。わざわざノロッコ列車をここで降りる人なんていない

当駅から初めてファーム富田を訪れた時は、時間に制限があって、ここからタクシーに乗ったことを覚えている。確かその時は駅員さんがいたと記憶するが、今は無人駅となっているようだ

「再会」に盛り上がる

中富良野から富良野に戻り、ここで1時間をやり過ごした後、ようやく根室本線に乗車。早朝と違って凄い人だ。さすが青春18きっぷ期間だと実感。早めに並んだのでなんとかギリギリ座れたが、座ってみるとお隣にどこかで会った人の姿が…

朝に落合駅で会った方々。この記事だけだと降りようとしたら運転手さんに驚かれるぐらいの寂しい駅だったようだが、実は多少異なる。降りてみると男女4人の皆さんが駅にいて、私が降りたバスではなく20分後の東鹿越行きを待っていた。いずれも人生の先輩の方々。首都圏が来られているそうで、近くに北海道訪問の際の「拠点」というか、知人宅があるという。駅舎の写真を撮る際「申し訳ありません。駅の写真を撮りたいので一瞬離れてもらって良いですか」と頭を下げたことから会話が始まった。一番盛り上がったのは年金の話だったけど(笑)

皆さんとは幾寅で別れたのだが、またもや出会いがあるとは思わなかった。富良野で過ごして落合駅近くの拠点に戻る最中だという。聞くと富良野には昼間から飲んで食ってカラオケも楽しめる店があるとか。「なんだ、言ってくれれば、ご一緒できたのに」なんて言われる。とにかく元気で陽気な皆さんだった。青春18きっぷの季節では、一度別れた方と後に再会というケースは多々あるが、いずれも同業者(鉄道ファン)ばかりで、このようなケースはレアである

最後の駅に到着

14時37分、下金山に到着。朝の5時半に旭川駅の改札を抜けてから9時間も経っていた

車中の4人の皆さんが手をふってくださる。まさか見送られながら下金山駅に降り立つことになるとは思わなかった。どう見ても皆さん、青春18きっぷの利用者とは思えないので、1日の平均利用者が数人という落合駅の利用者数向上に大きく寄与してことだと思う(フリーきっぷはカウントされない)

いかんせん列車本数が少ないので時間帯によってはグーグル先生は路線バスで終点まで行き、そこから徒歩30分なんてマニアックなルートを教えてくれるようだが、どうやっても最後に乗るのは同じ列車になる

その下金山駅。車内は混雑しているが降りるのは私ぐらいだろうと思っていたが、明らかに親子と思われる2人が青春18きっぷを提示して下車。おそらく私と同じく、ここで1時間近くいて東鹿越から折り返してくる富良野方面行きに乗るのだろう。私も貴重な最後の1時間を過ごすことにする

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~都市間バス乗り場までの距離に注意

旭川と帯広を1日3往復するノースライナー

※訪問は2023年9月2日

停留所まで徒歩10分以上

落合から幾寅に到着したのは8時59分。次の東鹿越行き代行バスは14時56分でなんと6時間後。さすがにこれは待っていられないというか、それだと残る下金山に行けない

下金山より富良野寄りの駅に行って、下金山で下車、東鹿越からの折り返しを待つというのが最も手堅い方法だろう。とにかく富良野へ向かおう。いずれにせよ時間をつぶさなければならないが、だったら富良野だということで選択したのが都市間バスの「ノースライナー」。帯広~旭川を1日3往復運行していて鉄道路線にあてはめると根室本線から富良野線に乗車するのと、ほぼ同コース

3本のうち1本が9時55分に南富良野町を通過するので、こちらに乗車すると富良野駅に10時49分に到着する。ただし停留所は、幾寅駅からはやや離れている

「道の駅 南ふらの」がその場所。道の駅なんで携帯アプリでも簡単に検索できそうだが、せっかく案内所があるのだから、幾寅駅に隣接する「南富良野町情報プラザ」で尋ねることに。携帯アプリは確かに便利だが、過去の経験から地元特に案内所の方に直接尋ねる方が一番手堅いことは分かっているつもりだ

「駅前を左に行ってガソリンスタンドを右に折れ、真っ直ぐ行くと左手に町役場があって、さらにその先の右手にあります。10分ちょっとぐらいです」

実に分かりやすい説明だった

実際に歩いてはいないが情報プラザで教えてもらったのはグレーのコース。実際に歩いていないので何とも言えないが、グーグル先生の推奨ルートより情報プラザで教えてもらったコースの方が目標物が多く分かりやすいと思う

案内所の方なので簡潔明瞭なのは当然といえば当然だが、手慣れた説明で私のように幾寅駅から道の駅までの道程を尋ねる例が多いのだとも感じた

プリンで一休み

教えてもらった通り、役場を左手に見ながら進む。グーグル先生が徒歩15分と示しただけあって、すぐには見えない所に道の駅はあった

入口に到着。ここまでが徒歩10分ほどで建物までは、それなりに距離があるので15分というのは、かなり正しい

建物の入口にバス停はあった。ちなみに情報プラザでバス停の位置を確認すると「建物の前にあります」。これは貴重な情報だった。停留所は道路に面しているかもしれず、広い敷地内で迷わず停留所に行くことができた

少しだけだが時間があったので

「にわとり牧場のブリン」をいただく。こういう旅ばかりしていると、駅で降りてもお手洗いを借りるだけや、せいぜい自販機の缶コーヒーで終わってしまうことが多々なので、このようなシチュエーションになれば、少しでも現地に貢献したいものである

本日のクマ出没情報。まぁ、この時間帯のこの場所は大丈夫だろう

ノースライナーとは

こちらが停留所と時刻表

前述した通り、ノースライナーは旭川~帯広を1日3往復する。全行程の所要時間は4時間。途中、多くの停留所が設けられているが、旭川からなら途中の旭川空港や富良野駅では乗車しかできず、ここ南ふらのから先は、今度は下車しかできない。帯広からなら、その逆となる。南ふらののみ両方向の乗降が可能。今回の根室本線部分だけを抽出すると新得~富良野は約90分。高速道路は経由しないが、さすが北海道の道路というか鉄道の120分に勝る(ただし東鹿越の代行バス乗り継ぎで10分ほどのロスがある)。料金はというとノースライナー1600円に対し鉄道1890円と、こちらもバスが少しお得

旭川~帯広の全線乗車の場合はノースライナー3600円、鉄道4070円(帯広~新得を特急利用すると、さらに特急料金が加算される)と、これもバスがお得。時間については鉄道だと何度も乗り換えがある分、バスの圧勝である

私が乗車した南ふらの(幾寅)~富良野に限るとノースライナー800円で鉄道970円。こうして見ると、バスは鉄道料金を強く意識している気がならない

そして乗車の際に最も重要なのは「原則・予約制」だということ。これは予約が優先されるが、当日の出発時間に空席があれば乗車も可能だということ(発売場所については公式HPで)。普段の利用者数が全く分からないので、私は「発車オーライネット」で事前購入しておいた

ノースライナーが到着。ここで10分ほど休憩をとるようだ

北海道で乗る初めての都市間バスに心が躍る…と記したいところだが、前日予定外の稚内~札幌のバスに乗車することになり、6時間も堪能したばかりである(笑)。もっともそのバスに乗っていなければ事前予約していたこのバスにも乗車できていないところだったので、その点は感謝しかない

車内はwifiが合ってUSBポートで充電もできる

この日は青春18きっぷの期間で午後から乗車した根室本線は大変混雑していたが、結果から先に言うと、この日についてはバスには十分空席があったようだ

また来春にバス転換される根室本線だが、時間や料金についてノースライナーとの棲み分けをしっかりしないと、代替バスとしての機能が早々に失われてしまうと感じたことは事実だ

無事に富良野着。時刻は10時50分。乗車する東鹿越行きは14時14分。3時間半ほど時間をつぶさなければならない

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~ぽっぽやの舞台は今も観光客でにぎわう

幾寅駅のホームには入ることができる

※訪問は2023年9月2日

駅そのものが映画の主役

落合から代行バスで幾寅駅で下車

駅名板は「幌舞駅」。右隅の上の方に小さく「幾寅駅」とプレートが張られているが、こちらが正式駅名。言うまでもないが「幌舞」とは映画上の架空の駅である

1999年公開の映画「鉄道員(ぽっぽや)」で主演の高倉健さんが駅長を務める幌舞駅の舞台だった。布部駅の記事でドラマ「北の国から」の冒頭シーンで登場すると記したが、当駅が趣を異にするのは駅が舞台である主役だったこと。駅舎をはじめ当時使用されたセットがそのまま残され、駅舎内は記念館として高倉健さんはじめ、ゆかりの方たちが映画で実際に身につけた衣装なども、展示されている

9年前、新得から富良野方面への列車に乗車したのも当駅訪問が目的だった。駅が「現役」のうちに見ておこうと今回、再訪問となった次第

奥が展示コーナーとなっている。貴重な展示品の数々はすぐに時間が経ってしまうほど充実しているが、権利関係が分からないので写真の掲載はここまでにしておく

肖像権は関係ないと思われるので、こちらの写真だけは掲載しておこう。映画用に作成された時刻表とサボ。美寄も架空の駅だが旭川までの直通、接続、休日運休など、鉄オタ視線だと、なかなか凝っている。幌舞と美寄の運行があるのは、映画の設定が間もなく廃線を迎えるローカル線の終着駅だったから

セットもそのまま

駅舎外では当時使用されたセットがそのまま

だるま食堂は映画内で登場した駅前食堂。キハ40は映画用に改造されたもので、廃車となった車両の前の部分だけが当地で展示されている

健さんと広末涼子さんが出会ったお手洗いも残る。訪問は朝の9時で少し早かったが、今も全国から鉄道員ファンが集まる観光地となっている

南富良野町の中心地

当駅を訪れた人が、ちょっと驚くのは駅周辺がにぎやかなこと。こちらは映画のためではなく、元々が南富良野町の中心地だから。「南富良野」という駅は存在しないので勘違いしやすい

駅からすぐの所に市役所もあり、コンビニや商店、高校もある。駅の開業は1902年(明治35)で120歳を超えている。今回の廃線予定区間で落合駅が狩勝峠へのアクセス駅、他の駅が木材や石灰石など貨物輸送が主目的だったのに対し、当駅は旅客輸送も大きな目的のひとつだった

駅に隣接して南富良野町情報プラザがある

落合とは違って、幾寅ではホームに入ることができる。かつては島式ホームだったと思われ、向かいには貨物用の側線もあったようだが、現在は単式ホームで1本の線路があるのみ。といっても、ここに列車が来ることはもうないのだけど

駅名標付近は雑草の手入れも行われている

ホームから駅舎へは階段を降りて入る。現在は代行バス輸送なので、最初に目にするのは「幌舞」と書かれた駅舎だが、9年前に訪れた時は、この階段で出迎えられ「ようこそ幌舞駅へ」(小さく幾寅と書いてある)の文字に心躍らせた

高倉健さんの北海道を舞台とした映画としては「駅 STATION」「幸せの黄色いハンカチ」をリアルタイムで見た。前者は留萌本線の増毛駅が舞台、後者はメインのシーンは夕張が舞台だったが、駅としては当時国鉄池北線だった陸別駅が登場した。いずれも利用者減によって廃線、廃駅となってしまった。幾寅駅については自然災害による廃線。何か、ここ数年の日本列島を物語っている気がしてならない

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~訪問難易度高の最古の「落合駅」

落合駅の駅舎

※訪問は2023年9月2日

運転手さんに驚かれる

無事定時に富良野を出発した根室本線の東鹿越行き

5月の終わりに来て以来、3カ月ぶりの訪問。線路が続いているように見えるが、その先で途切れている。線路そのものも来春で終わりである。そして私がこの景色を見るのは、おそらくこれが最後となる。今日のうちにもう一度、下金山駅訪問で廃線予定区間に乗車するが、ここは通らない

代行バスに乗車。東鹿越発8時6分。この時刻の代行バスに乗車するには地元の方でない限り、富良野線沿線か滝川からの根室本線沿線に宿泊するしかなく、それだけで難易度は上がるが、そこは青春18きっぷの季節である。十数人が乗車。ほとんどが同業者(鉄道ファン)。(人のことは全く言えないが)鉄オタのパワーを感じた

バスに乗り込み

公式には現役の踏切だが、7年間にわたって警報器が鳴っておらず、このまま鳴ることなく終わる踏切を通ると寂寥感がある。南富良野町の中心地である幾寅を抜けると落合に到着。約20分のバス旅だった。降りようとすると運転手さんに「えっ!降りるんですか?」とビックリされた

交通手段が限られる落合駅

落合駅。運転手さんには驚かれたが、土曜日ながら学校に行くのか高校生など2人が待機中。実はこの後、20分後の8時48分の東鹿越行きがやって来る。もちろん私もそれで幾寅に向かう予定だ。というか、これしか方法を思いつかなかった。富良野~東鹿越間は1日4・5往復の運行なので代行バスも同じ本数しかない

こちらは駅舎内の代行バス時刻表だが、これに乗車できないと新得、富良野いずれ方面に向かうにしても6~7時間バスは来ない。新得方面からは14時台、17時台で来ると1時間以内に折り返しがやって来るが、その方法をとると今度は幾寅に行けない

もうひとつ、当地に来るには前回お世話になった占冠村営バスがある

こちらは5月に占冠駅を訪問した時に撮ったもの。9月に代行バス区間の駅を訪問することが決まっていたので研究のため撮っておいた。午後からだと東鹿越からの代行バスが15時21分に幾寅に到着するので、1時間待てば村営バスが落合駅に運んでくれる。そうなると17時9分の代行バスで富良野に向かえるが、そうなると前回取りこぼした下金山駅に行くのが難しいし、何よりラストチャンスなので朝のうちに行動しておきたいので、これはプランBとした。もうひとつ、トマムに宿泊すれば朝から順調に回れるコースもありそうだが、こちらは予算の問題で却下である

元々の代行バスの始終着駅

そんな落合駅は2016年8月の台風被害後の約半年間は代行バスの始終着駅だった。新得駅で根室本線と石勝線が分岐するのは誰もが知るところだが、その分岐点は新得駅よりむしろ落合駅に近いことは意外と知られていない

現在、代行バスは狩勝峠越えの旧線に近いコースを行くが、現在のレールはグルリと南側を行く。随分遠回りのように見えるが、これは勾配緩和のためのもの。石勝線と根室本線の分岐は、落合からわずか4キロの信号場。落合~新得はレールで28キロもあるので、4キロはわずか。新得発着となったのは2017年春からである(ただし早朝の6時8分の東鹿越行き始発バスは落合始発となっている)

その落合駅は駅舎には入れるが、ホームへの入口は閉鎖されていて立ち入ることはできない

少し前までは自然に還ったような草むら状態だったようだが、現在は草は刈り取られている。帳簿上は現役駅なのにホームに入れないという現実は、ちょっと寂しい

そんな当駅は現役では最古の「落合駅」だ。落合とは川同士、道同士が交わる場所で全国各地に落合の地名はあるが、JRで国名などが付かない落合は、ここのみ

陸前落合(仙山線)

美作落合(姫新線)

備後落合(芸備線)

落合川(中央本線)

が他にあるが、明治生まれ(1901年=明治34)は当駅のみ。狩勝峠越えの出発となる駅として設置された側面もあるため、南富良野町の中心地である幾寅よりも開業は早く、機関区が設置されたこともある

ただし利用者は最少。鉄道ファンでなくても知っている、おそらく知名度的に一番の備後落合より少なく1日1桁である

駅前は小さな集落となっている。駅にいた2人の乗客は貴重な利用者だった。私にとって各地の落合駅では最後の訪問は本当に最後(ちなみに学生時代は西武の下落合、地下鉄の落合の中間に住んでいてどちらの駅も利用していた。落合南長崎駅はまだないが、その付近に住んでいたこともある)。ホームに立つこともできない訪問だった

わずか20分の滞在。幾寅に向かう代行バスがやって来た

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~半世紀の乗換駅にピリオド

新得駅の縦駅名標

※訪問は2023年5月29日

今は貴重な9年前の思い出

金山駅から占冠村営バスで無事脱出できてから2日後、私は新得駅にいた。この日は旅の最終日。夕方の飛行機で関空に向かう。小幌駅を含め5日間、付き合ってくれた北海道フリーパスとも今日でお別れ。時刻表の上では乗り放題の特急でもっと遠い所まで行くのは可能だが、北海道の鉄道というのは天候以外でも動物の接触があったりと、トラブルに遭遇する可能性が高いので午前中は石勝線の「特急しか来ない駅」2駅から新得に向かい、お昼すぎには千歳線沿線に戻ることに。そのあたりまで行けば、空港までは多数のルートがある

新得駅に降り立つのは9年ぶり

これは2014年8月の写真。特急と快速「狩勝」のランデブー。もうすでに7年間見られなくなっている光景だ

ホームは閑散としているようだが違う。青春18きっぷのシーズン。特急から跨線橋を上り下りする猛烈な「新得ダッシュ」が一段落した後。「もう座れない」とあきらめ発車間際の写真を撮ったものだ

新得といえば

こちらは駅舎内

全列車が停車する。管理駅でみどりの窓口のほか、指定席を購入できる券売機も設置されている

名物の駅そば。過去2回訪問したが、いずれも営業時間外だった。札幌のホテルで朝食をモリモリ食べたが、これは別腹というもの。当然、美味しくいただいた

改札内のホームからも注文できる。今ではあり得ない話だが、昔は「列車に持ち込む」と言えば、プラスチックの容器に入れて提供してくれたものである

石勝線前から機関庫の駅として栄える

新得駅の開業は1907年(明治40)。前記事で紹介した金山駅が開業したのが1900年なので、7年遅い。なぜかというと、有名な狩勝峠を越えるのに苦労したからである。富良野方面からの鉄路は1901年に現在、お隣の駅となっている落合まで到達したが峠越えに時間を要した。新得駅には開業後、峠越えに備えた機関区も設置された。今さら書くことではないかもしれないが、日本三大車窓として知られた狩勝峠は1966年に新線開業で見られなくなった。ちなみに、こちらはあまり取り上げられないが東鹿越駅の記事で紹介したダム建設による新線も同時に開業している

新得駅に大きな転機が訪れたのは国鉄末期の1985年の石勝線開業。根室本線との分岐駅、接続駅となり、駅の重要度は増した

ただし、それは札幌への短絡線ができたことで、新得~滝川の根室本線がローカル線に転落することを意味するものでもあった

代行バスは当駅始発着。ただし当然のことながら駅舎内からは出発しない

色あせた駅名標。来春から「おちあい」の部分が消えるのに合わせて新調されるだろうから、廃線の日までは、おそらくこのままだ

のりかえ案内も新調されるのだろう。ただし、あくまでバス転換なので「のりかえ」の文字は、そのままなのかもしれない

今回の北海道旅はこれで終了。次回は9月の北海道訪問を決めていたので、その時にバス代行区間となる幾寅、落合と未訪問に終わった下金山を訪ねることを誓って駅を離れた。もっともこの時点では稚内から旭川への過酷な移動が待っているとは予想だにしていなかったのだが…

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根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~主役がバス停になってしまったお話

金山駅の駅名標

※訪問は2023年5月27日

占冠村営バスのお世話になります

各地を訪れていて20年ほど前と現在で大きく変わった、と思えるひとつは路線バスの時刻表を簡単に把握できるようになったことだ。列車の時刻については時刻表を見れば分かるが、路線バスについては現地に行ってみないと分からないことが多かった。言い方は悪いが、旅をする上で最初から予定にはなく、現地で遭遇できればラッキー、そんな感じ

それがネットの発達によって、まず長距離バスの時刻が簡単に分かるようになった。高速道路の発展によって、鉄道のライバルとして高速バスが大きく立ちはだかることになったのも、時刻を簡単に検索できるようになったことが大きいと思う。以前も高速バスについては時刻表の後ろの方のページに記載があったが、あくまで大判と呼ばれる大きいサイズの時刻表に限った話で、すべてが網羅されているわけではなかった。それがネット社会の到来で「鉄道以外にもこんな行き方があるのか」と周知されるようになると、新路線が次々と誕生し、やがてはローカル路線バスも路線や時刻を容易に探せることとなった

前ふりが随分長くなったが、今回利用させてもらったのは「占冠村営バス」。普通の旅きもちろん、駅巡る旅でも十分に使用できる「かゆい所に手が届く路線」で9月に現地を再訪した際も、利用をかなり考慮した。いずれにせよ20年前ならちょっとあり得ない話である

東鹿越のひとつお隣、金山へと折り返し。前の記事で説明したように、この区間はダム建設の影響で線路の付け替えや廃駅ができたため、1区間が13キロもある。かなやま湖観光の入口にもあたるが、おそらくそちらの利用はほとんどないと思われる

古い駅舎と設備が残る

古い駅舎が残る。鉄路が残る富良野~東鹿越間の駅では長い歴史を持ち、山部駅と同じ1900年(明治33)の開業。山部はJR移管後の駅舎だったが、こちらは手が加えられてはいるものの、当時からの駅舎ともされる

現在もすれ違い可能な2面2線構造。訪問時は冬支度というより、シーズンの役割を終えた後で除雪車が側線にたたずんでいた

木材輸送の拠点としても重要視されてできた駅でもある

ホーム側からの駅舎。「かなやま」の駅名板が独特

ホーム上には山部と同じくランプ小屋が残る。来春以降どうなるかは不明だが、こんな景色がまたひとつ失われるのは寂しい

背後には立派な建物

多くの人が当駅で働いていたことを物語る

JRになってからも使用されていた形跡はあるが、現在は廃屋状態。こういう建物はエアコンの室外機の有無によって使用された時期を推察するが、ここは北海道。エアコンは無縁だっただろう

バス停を訪れ絶句

と、ふだんの記事なら、ここで終わってしまうのだが、実は話の本題はここから

駅の遠景。国鉄時代に廃線となった富内線が当駅まで延伸される計画もあり、かなり規模の大きな駅だったことが分かるが、私が訪れるのは規模の極めて小さいバス停である。駅舎前にはデマンド制のバス停があったが、こちらはもちろん使えず、この砂利道に面した国道。そこに「金山駅前」バス停があるはず、と訪れてみると停留所はあった。しかし

停留所はあるが時刻表がない。というか外れている。強烈な不安に襲われる。ちなみに私が乗車するのは向かいの道路で、こちら側には停留所が見当たらない。これはよくある話で、過去何度も停留所の向かいで「お~い」と手を挙げてバスに乗せてもらったが、時刻表が外れているのは初めての体験

さらに言うと、駅前の国道はとても寂しい所にある

景色としては山中の国道

次の停留所は「金山」で、ほんの少し歩くと金山の集落があることは容易に察しがついたが、そんな余裕はない。なぜかというと列車到着が15時23分で携帯アプリなどによるとバスの時刻は15時39分。駅で写真を撮っていると10分ほどがすぐ経過してしまい、もう歩く時間はないのである。道程を作成した時は、15分の乗り継ぎなんて立派すぎると自賛したものだが、この展開は予想していなかった

付け加えると、この国道237号は幹線道路でありながら、交通量の少ないところで、列車は1日数本ながら、車はビュンビュン通る道路上でバスを待つ体験も数々したが、こんな寂しい経験は初めて。明るい時間なのが救いで、とにかく待つしかない、と大きな不安とともに停留所の向かいの道路に立っていると、ちょっと遅れ気味に小型のコミュニティバスが姿を見せた

道路に身を乗りだして手を振ると無事止まってくれた

ドッと汗が噴き出てきた。と同時に重要なミッションを失念。このバスは10分ほど走ると下金山駅を通る。占冠のバスだけに、この区間で降りられるかどうか運転手さんに確認。もし降りられるのなら、2時間の時間つぶしが必要だが、下金山駅を訪問しようと考えていた(この時期の北海道の日中は長い)。2時間潰せないのなら、1時間待てば東鹿越行きが来るので、もう一度この区間を乗車するのも悪くないな、などと考えていたが、しょう然としているうちにバスは下金山を通過していた

ということでバスは無事に富良野到着。前夜に続き、本日も旭川に宿泊する。連泊なので重い荷物を持たなくてもいい、なんて悦に入っていたのが、はるか昔のことのように感じる

こちらが1日3往復の貴重な占冠村営バスの富良野駅時刻表。大変お世話になりました。ちなみにバスに乗車して知ったのですが、私が乗車した付近は自由乗車区間。つまり道路で手を挙げればバスが止まってくれる区間となっていました。もし今後も訪問される方がいれば、ご参考に

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