2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~惹かれる駅名と高く積まれた雪

※訪問は2025年3月10日

貴重な駅舎のある駅

中央弘前から4駅目。千年駅で下車。写真で目に入るのは真っ白な雪だろうが、惹かれるのは「千年」という駅名だ。何か縁起物の風情が漂う。またご覧の通り、当駅はすれ違い可能な構造で、なおかつ駅舎のある駅。この2つを満たす駅は大鰐線にはなかなか少ない

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元々は村名

ホームから構内踏切を渡って駅舎に向かう

当駅の開業は1952年(昭和27)。大鰐線の前身である弘前電気鉄道が開業と同時に設置した。「ちとせ」駅というと、誰もが思い浮かべるのは北海道の千歳駅だろう。他にも「千歳駅」は全国に多い

かつては内房線の千歳駅を紹介したこともあるが、こちらは千年と文字が異なる。かつて当地にあった千年村に基づく。それでも開業時の駅名は津軽千年で「千歳」に気遣ったようにも感じるが、昭和の終わりごろに旧国名は外され現駅名となった

地図で分かるように今でも千年の地名は残っているが、駅舎のある場所は堀越村にあった。それでも駅名となったのは、千年という地名が由緒あるものだったからと推察される。江戸時代に津軽藩の殿様専用の行楽地として千年山と名付けられた場所があったことに基づいて村名となった。なお千年村は駅開業の3年後に弘前市に編入されている

背丈よりも高い雪

としいえ、どうしても目が行くのは雪の高さだ。私のような平素は雪が積もることはまずない地域に住んでいると「すごいな」と思ってしまう。後方の自販機と比べると、その高さが分かるだろう

しばらくすると人がやって来た

もっと分かりやすくなった

駅舎はかつては有人駅だったが現在は無人。駅名板の文字のかすれ具合が歳月と風雪を感じさせる。寒冷地の駅ながら駅舎は扉があるわけではなく、開放されたまま、悪い言い方をすれば吹きっさらし。その分、ホームの待合所はしっかりした部屋となっている

さらに特徴的なのは、駅舎の裏側。裏側というよりもうひつとの出入口。こちらはほとんど除雪されておらず、積雪の際は使用されないのかと思っていたら、後に当駅付近を通過した際、雪を踏みしめながら歩く人がいた。雪国の人はたくましい

駅にはこのような注意書きが残る

要は火気厳禁、燃えやすいものはダメということだろうが「有毒ガス」から「多量のマッチ」まで守備範囲が広い。そういえば子どものころ、セルロイドのおもちゃはストーブに近づけてはいけないと習ったことを思い出した。半世紀も前のことだ

こちらはホームの周辺案内図。4駅目といっても10分で到着する。中央弘前駅から4キロで、周辺は市街地。ふだんのローカル線駅巡りのクセで、すぐ駅から至近にあるコンビニ2軒に目が行ってしまうが、あっても不思議ではない場所である

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~れんが倉庫車で出発

※訪問は2025年3月10日

まずはフリーパスを入手

中央弘前駅での改札が始まっていざ出発だが、その前に弘南鉄道のフリーきっぷを入手しておいた

青森空港到着後、バスに乗る前に入手していた「大黒様きっぷ」

詳しくは弘南鉄道HPを参照していただきたいが、まずはアプリをダウンロード。その後に購入する。先日伝えたQRコード乗車券の購入と手順は同じだが、当然ながら弘南鉄道にQRコードの改札口はないので、下車時に運転士さんに提示すればOK。弘南鉄道の大鰐線、弘南線の両者共通で使用できる。大人1000円、子ども500円。前記事で掲載した駅の自動券売機でも紙の大黒様きっぷが買えるが、残念ながらどこの駅にも設置されているわけではないので、(機会は少ないかもしれないが)途中駅から乗車する場合も、こちらのモバイル版が便利だ。ただし収集など紙のきっぷにこだわる方は値段は同じなので券売機で買い求めていただきたい。ただし大鰐線では中央弘前、大鰐の2駅しか券売機の設置がないので注意が必要

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待ち構えていた車両は

大きなこけしのオブジェに迎えられてホームを進む。中央弘前駅は頭端式構造で1面1線。

待ち構えていた電車を見ると何やら頭の部分がレンガ造りのようになっている。ヘッドマークには「HIROSAKI RENGA STORY」の文字

これは「HIROSAKI RENGA STORY装飾列車」と名付けられた弘前れんが倉庫美術館とコラボしたラッピング電車。100年以上の歴史を持つ倉庫が美術館として再生されたもので、中央弘前駅の通り抜けが近道となっている

中央弘前駅の駅舎内には近道となる自由通路があり、入口も美術館のれんがをイメージしたアーチが設けられている

こちらはその通路。通路を通れば目の前にある

弘南鉄道では東急から譲渡された車両を利用しているが、車両番号は東急時代そのままになっているようだ

ラッピング車は2022年秋から運行していてHPで時刻表を確認することができる

こちらは車内のゆか部分

電光の案内表示があるが、現在当駅からの列車はすべて大鰐行き。以前は快速運転もあったようだが現在はすべて各駅停車なので、こちらは事実上の固定。廃線までに他の表示が出ることはあるのだろうか

改札が出発の5分前なのでホームでウロウロしている時間はあまりない。ちょっと慌ただしくはなったが、ようやく出発。大鰐線の駅数は起点、終点を含め14。できる限りの駅を訪問するつもりだ

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~見どころが多すぎる市内中心部の駅

※訪問は2025年3月10日

凜々しい文字

中央弘前駅である

凜々しい駅名板の文字のお出迎え

周辺案内図。もっと分かりやすく撮れよ、とおしかりを受けそうだが、雪が積んであってスペースと足下を確保できなかったからだ。それでは駅舎に入ってみよう

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興味津々の駅舎内

いきなりレトロな改札口が待ち受けている。大鰐線は大鰐駅と当駅以外はすべて無人。駅の規模も含めて考えると「駅らしさ」があるのは、当駅のみ

中央弘前駅は1952年(昭和27)の開業。弘前電気鉄道によって大鰐~中央弘前の13・9キロが開業した際、終点駅として設置された。起点が中央弘前ではなく大鰐になっているのは延伸計画があったからで、すでに敷設免許もとっていた。この先、五能線の板柳駅まで延伸する予定で、中央弘前駅はあくまでも仮駅の扱い。現在の頭端構造も駅舎もやがては姿を消すことになっていたが、予算不足などにより断念。駅はそのままの形で残ることになった

「出札所」が、なかなかイケている。改札では手荷物の一時預かりが行われている。危険品の注意書きについては全国の古い駅舎の定番

手荷物預かりの案内板もある。「手小荷物扱所」「携帯品預所」の文字が新鮮である。「携帯」といえば、ここ20年以上で「電話」のことを指すようになったが、この文字が張られたころはもちろん、そのような意味はなかっただろう。世の中は物心ついた時から携帯電話があった世代と、そうではない世代に分かれると思うが、もちろん私は圧倒的な後者で、携帯電話が身近なものとして出回り始めたのは30代も半ばのころ。20代のころはドラえもんしか持っていない「あれば便利だけど、そんなものあるはずもない」品物だった。今にして思うと「携帯」という言葉は日常的にあまり使わない言葉だった。なぜか、そんなことを思い出させてくれた文字だった

写真だけで十分な駅舎内

話を戻そう。案内板の下には「乗車券のお求め方」の説明文がある

運賃表を見てお金を入れる→ランプがついたら行先ボタンを押す→きっぷとおつりは下の取り出し口で受け取る

と案内されているが、券売機の使い方を分からない人が今の世の中にどれだけいるのかという超クラシックなもの

券売機は真新しいもので、説明文が掲げられたころのものとは明らかに異なるのだろうが、券売機が設置されたのはいつのころなのだろうかと考えてしまった

天井部分にズラリと並ぶ絵画。一方で、少し下に目をやるとベンチ椅子の背もたれには、しっかり塾の広告がある

と思うと路線情報はしっかりデジタル化されていたりするコントラストも楽しめる。もう駄文の説明などは不要で写真を並べるだけで十分だ

こちらが時刻表。きっちり1時間に1本の運行。始発はゆっくりで終電は早いが、廃線が決まった路線の本数としては多い。駅に到着したのは11時で30分の待ち時間は駅を満喫するのには十分な時間だった

11時25分、出発の5分前になって改札が始まった。初乗車の弘南鉄道の旅の始まりである

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~一面雪の青森空港から

※訪問は2025年3月10日

上空からも白一色

朝6時台の大阪(伊丹)空港。大阪空港は飛行時間に制限があって朝は7時が解禁時間。そしてこの時間を待っていたかのように全国へ一斉に飛行機が飛び立つ。JALでこれだけあるのだからANAを入れると、もっと凄い便数になるだろう。そしてロビーや保安検査場も人でごった返す

私が乗るのは7時25分の青森行き。3カ月前の話だが、ここからは別世界のように景色が異なっていることを前提に読んでいただきたい

とにかく青森上空からの景色は一面銀世界なのだから

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弘前駅から中心部へのアクセス

私が初めて青森へ行ったのは、まだ昭和のころ。当時はまだジェット機が就航しておらず、搭乗したのはいわゆるYS11。ある意味懐かしさがこみ上げてくるが、リクライニングもない座席で所要時間は3時間。まだ20代前半だったが、当時は新幹線も東京~新大阪が3時間10分の時代で、新幹線に比べるとかなり苦痛だった記憶が鮮明に残る。このあたりは昔の急行列車に今、長時間乗れるのかというのと同じだ。現在の伊丹~青森の所要時間は当時の半分、90分ほどだ

弘前行きのバスまで時間があるので展望コーナーへと行ってみた。これでも足場を確保すべく除雪はしっかり行われているのだろうが、目に入るものは雪また雪である。地元の方にとっては日常光景だろうが、私にとってはもちろん非日常である

バスに乗車し1時間弱で弘前駅に到着

弘前には何度も来ているが、いつも駅の写真を撮って乗り換えるだけで終わってしまう。これから市内の移動となるが、目指すは弘南鉄道大鰐線の中央弘前駅。JRの弘前駅からはやや距離がある

徒歩20分はそこそこ歯ごたえがある。事実上初めての弘前だが、中央弘前という駅名からそのあたりが弘前の街の中心部だということは想像に難くない。周辺にホテルが多数あることからもそれは分かる。つまりJR(国鉄)の駅は街外れという「あるある」パターンだが、その不自由さを補ってくれるのが土手町循環バスである

通勤通学帯を外した10時から18時の間、市内の主要区間を10分間隔で走っている。料金は現金150円でIC130円。観光用に1日乗車券もある。これならば10分ちょっとで中央弘前付近まで行くことができる(弘前駅からき路線バスも出ていて循環バスの時間外はそちらを利用することになるが、今回は利用しなかったので未確認)

中央弘前駅に近い蓬莱橋のバス停に到着した

ただ、ここから自分の経験に基づく反省というかアドバイスになるのだが、弘前駅から中央弘前駅に行く場合はとても便利な循環バスだが、中央弘前駅から弘前駅に行く時にこのバスを利用すると、ちょっと大変な目に遭う。というのも循環バスというからには一方通行で、市内の主要地点を順番に回っていくため、かなりの時間がかかる。弘前駅までは歩いた方が早い。もしくは5分ほど歩くと

中央通り2丁目というバス停に行けるので、ここから乗ると先回りしてさらに前のバスを捕まえることができる。バスにかなりの時間揺られて「あれ?あのマンションはバスに乗車する時に見たぞ」と思ったことで分かった次第

70年以上の歴史に終止符

バス停付近は古くからの街の中心部である風情が漂う

そして今日はるばるやって来たのは、弘南線と大鰐線の2つの路線を持つ弘南鉄道が大鰐線の廃線を発表したからだ。廃線の時期は2028年3月としている。私にはまだまだ乗っていない私鉄や三セクがあるが、弘南鉄道については、部分的にも乗車したことがない。平日キュンパスを利用して東北地方に行くことになったので、こちらはぜひものとしてやって来た次第

停留所から中央弘前駅は至近だが、詳細なアクセスは弘南鉄道HPにも掲載されている

そしてやって来たのは

中央弘前駅。なかなかそそる駅舎である。時刻は11時。写真や映像で見たことはあるが、実物を見るのは初めて。ワクワク感が漂う中、大鰐線の旅のスタートである

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QRコード乗車を2日間してみた(途方に暮れました編)

ふだん意識していないので

「堺おでかけフリーパス」初めての利用は大阪駅からとなった

まだ朝の6時20分で、さしもの大阪駅も人は少ない。そして初めて気付いたことがあった

「これだけ改札機が並んでいてQRが読み取れるものは1台しかないの?」

大阪駅の中央口にはズラリと自動改札機が並んでいる。数えてはいないが、軽く10機は超えているだろう。その中でQR対応は1機しかない。そんなこと今気付いたのか、と言われるかもしれないが、ふだん利用の予定がないと興味はわかないものである。駅員さんに尋ねてみると、現状では大阪駅の中央改札口には1機しかないが、今回の「おでかけフリーパス」のエリア内の駅には、ほぼ設置があるという。まぁ、1機でもあればいいか、とその時は気にしなかったのだが「1機」のみ、というのが、この後大きな意味合いを持ってくる

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ラッシュ時は通れません

この後、環状線から阪和線の駅へと入っていく。時間もどんどん過ぎていき、朝の通勤通学時間帯のピークに突入。ここで壁に当たる。QRコードに対応する改札機の位置を見てみよう

こんなところや

こんなところ

お気づきだろうか。朝の大阪駅もそうだったが、いずれも駅員さんがいる場所に最も近い場所に設置してある。例外もあるかもしれないが、駅員さんのいるあたりは自然な動線で最も人が通りやすい場所だ。そしてQRコード乗車券対応の改札機は1台しかないので出入札どちらもできる形となっている。つまり向こう側からの人つまりライバルが多いのだ。学校最寄りの駅などは電車が到着すると一斉に降りてくるので、人の波が一段落するまで入場ができない。またQRコード乗車券というのは、スマホの画面を出すまで若干のラグタイムがあるので、改札機から離れたところでQRコードを出してから改札機に向かうのだが、出入りが多いとライバルも多い。平素のラッシュ時は「こちらは混雑しているのであちらの改札機を使おう」となるのだが、こちらは一択である。かなり苦労した

QRコード未対応の駅も

そしてもうひとつ、エリア内にはQRコード乗車券対応の改札機が未設置の駅も存在する。今後順次設置されていくのだろうが、このパターンにも駅員さんのいるいないがあって、駅員さんのいない時間帯に着いてしまうと大変である

かつて「青春18きっぷキラー」と呼ばれたこちらのインターホンのお世話になる必要がある。18きっぷが磁気券になったことで、もうお世話になることはないと思っていたが、QRコード未対応の駅の場合、改札付近に小さなQRコードがある

こちらの駅では赤く丸で囲った右上の部分。それほど大きく目立つように張ってはいないので注意が必要だが、スマホでQRコードを読み取り、画面を表示させた上でインターホンで呼び出し、きっぷを入れるようにスマホの画面を見せると通してくれる…と、書いてしまうと簡単だが、実情はちょっと違う

全くコールに応じてくれません

18きっぷ時代も苦労したが、人員削減でもしたのか、と言いたくなるほど反応がない。2日間で3駅、出入札があるので計6回インターホンを押したが、結構苦労させられた

ここからさらに、もうひとつ問題が発生してQRコードを読み取ろうとしても、わけの分からない文字の羅列が出てきてQRコードが表示されないこともあった。「もう1度」とうながされても同じ。しかも1度インターホン通話を切ると次にいつつながるか分からないので、こちらも「通話は絶対切らないでください」と念押ししてからの行動となる。最後はフリーパスの最初の画面を出して通過となったが、かなりの時間のロスである

そもそも改札近辺にあるQRコード読み取りがあることを知ったのは最初に遭遇した未対応駅で、こちらは駅員さんがいたものの「どうするの?」と尋ねると「ええ~?」となって処方箋が分からず、駅員さんと一緒にキョロキョロしているうちに「ひょっとしてこれ?」となって発見したものだった。もっとも導入間もないと使う方も使われる方も分からないことが多いもので、これはQRコードでの買い物が始まった時と同じで駅員さんを責めるつもりは全くない

私鉄の方が進んでいる?

ただ

こちらは南海の三国ヶ丘駅の様子だが、QRコード対応の改札機は駅員さんの場所から離れたところにあって、しかも入場専用、退場専用と別々になっている

阪急の南茨木駅も駅員さんから離れた場所に2機の設置。駅によっては駅員さんから一番近い場所に1機のみの設置という形式ももちろんあったが、設備投資やサービスという面では私鉄の方が進んでいるというか、利用者目線にあるというのが2日間の感想だ

まだまだ導入開始間もなく主流にはなっていないQRコード乗車だが、各鉄道会社は今後シェアを増やしたいと思っていることだけは間違いない。スマホにトラブルがあった時の対処法や個人情報の取り扱いなど、ハー面でもソフト面でも問題は残っているが、今は各社とも力を入れていて、さまざまなお得なきっぷがリリースされている。将来主流になることも見越して今が「試し時」なのかもしれない

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QRコード乗車を2日間してみた(よくできました編)

とても目に付く改札機

最近、多くの駅で見かけるこちらの自動改札機。写真はJR西日本の改札口のものだが、見てほしいのは手前の青いインターホンではない(こちらは後に大きな意味を持ってくるが、それは次回で)。「QR」と書かれた改札

QRコードをかざして開閉するタイプだということは分かる。ただ自身の体感では、目の前で使用している人をほとんど見たことがない。一体どういうものなのか? では実際に自分が使ってみようということになって4月と5月の1日ずつ、計2回使用してみた

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各社猛プッシュのフリーパス購入方法は?

昨年あたりから導入が加速してきたQRコード乗車券については、西日本地区の方が先行しているイメージだ。機械を導入する際の駅の数やバスの規模も異なる上に首都圏は相互乗り入れが多く、設定に手間がかかるからだろう

導入されているほとんどがフリーパス。乗り放題降り放題を標榜するフリーパスについてはQRコード乗車券は鉄道各社にとって便利で、磁気券を発行する手間や経費が不要になる上、改札機の中で磁気券がストップしたり読み取りエラーが発生することもなくなるからだ。阪急電車のHPを見ると阪急と阪阪神が1日乗り放題となる「阪急阪神1dayパス」については今年の3月いっぱいで磁気券の販売をすでにやめている

QRコードのフリーパスを購入するには、もちろんスマホが必要。JR西日本が主体となっている「KANSAIMaaS」と私鉄各社が主体となっている「スルっとQRtto」の2種類があり、前者はアプリのダウンロードとカード登録が必要。後者はWEB方式アプリになっているので名前を登録しておけば、その度にHPでログインして購入する。特に前者については、こちらもJR西日本が最近力を入れているWESTERとの連携が強くなっている

今回の利用は2種類

どちらのアプリも開いてみると無数にQRコード乗車券があるのではないかと思ってしまうほど、画面にズラリ並んでいて大変(特に今は万博関連のものが多い)だが

「堺おでかけフリーパス」そして

「京都2wayパス」である。前者が1000円、後者が1300円。私のような降り鉄にとっては、あっという間に元がとれてしまうすぐれもので、結果的に堺へはJRで向かい、三国ヶ丘で南海に乗り換えて大阪まで戻ってきた。京都へはJRで向かい、奈良線や山陰本線にちょこっと乗って阪急で戻った

自動改札機を通るにはアプリを立ち上げるとQRコードが示される

こちらを改札機にかざすだけ。ただしQRコードの有効期間は1分なので、前回改札を抜けてから1分以上が経過した場合(ほとんどの場合で1分を超えるだろう)は、もう1度アプリを立ち上げればQRコードが再発行される。更新ボタンを押し続ければ画面が維持されるが、次の出入りまでの時間が極端に少ない時以外は現実的ではない

ということで初日は手探りだったものの、2日目は操作にも慣れた。アプリではおすすめの観光地やおすすめコースの案内もあり、それに合わせたフリーパスを表示してくれるので商品の数は多いが、比較的簡単に目指すものに近いチケットを探すことができるだろう

ただ私の操作技術の問題以外にも、QRコード乗車券の利用には、さまざまな問題点があることも分かった。次回は改札口で途方にくれてしまった経験を語っていきたい

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竣工から80年インバウンズも来ない?大阪の隠れ名所 川底を歩く(後編)

※訪問は2025年5月11日

エレベーターには多数の人と自転車

いよいよ川を渡ろう、いや潜ろう

トンネルの出入りには階段とエレベーターの2つの方法があるが、当然ながら利用が多いのは圧倒的に後者。そもそも自転車はエレベーターで行くしかない。こうして見ると、人が少なく感じるかもしれないが、そうではない。乗り切れない人がピストン運行されるエレベーターの前で1本見送り、次の順番で先頭に来たところ。エレベーター前には警備員の人が立っていて「人だけだったら、まだ乗れます」「次にしてください」と整理してくれる

エレベーターが到着してドッと人と自転車が降りてきた。次々と乗り込む人々。日曜の16時過ぎという時間帯。ふだんの知識がないので、これが多い方なのか少ない方のか分からないが、トンネル付近の源兵衛渡交差点は、それほど人が歩いている印象はなかったので、まるで駅のようにこちらに集中してやって来た感じだ

私も、この日同行してくれたX(旧ツイッター)のフォロワーしんさん(@sin103neko)もいっぱいで次の便にしようと待っていると「自転車以外は入れますよ」と、促されて乗り込む。安治川トンネルは深さ約17メートル。ビルでいうと4~5階分なので、すぐ到着する。時間にして10秒ぐらいだろうか

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地下道の幅は2メートル

振り返ると早々にエレベーターは西九条側からやって来た人々を乗せて出発するところ。順番待ちの自転車もいる

地下道の幅は2メートル。トンネルそのものは11メートルの幅があるが、前記事で触れたように車の通行は約50年前に止められていて、この部分だけが残されている。安全のためトンネル内にも警備員がいる

左側通行で自転車は押しての通行となる

字体からクラシックさを感じる斜めに掲げられた「防犯ベル」の文字。というか防犯ベルという言葉の響きは久しぶりに感じる

これはお決まりの案内標。というか知らずにここを通る人はほとんど皆無と思われる。長時間滞在したわけではないが、梅田やなんば、通天閣界隈を埋め尽くしているインバウンドの方々も無縁の場所だろう

案内標を足すと105メートル。トンネルそのものの長さは80メートルなので歩き始めるとすぐ到着である

せっかくなので地上に出る際は階段を昇ってみた。急ぎのため降りる時に階段を利用する人以外はほとんどいないようだ。というのも実際に昇ってみて分かったのだが、戦時中に造られたものだけあってtuせっかくなので地上に出る際は階段を昇ってみた。急ぎのため降りる時に階段を利用する人以外はほとんどいないようだ。というのも実際に昇ってみて分かったのだが、戦時中に造られたものだけあってかなり急な階段だ。恥ずかしながら、昇りきっただけで息がゼーゼーになってしまった

そしてこちらが西九条側の出入口。エレベーターは朝の6時から深夜0時までの稼働だが、階段からのトンネル利用は24時間可能となっている

変貌した西九条

西九条側から九条側を見る。橋は阪神なんば線で右側にやって来た九条側のトンネル入口がある。こうして見ると何の建物か初見では絶対に分からないだろう

安治川トンネルの解説文や周辺案内がある

安治川の上流部分をながめると中之島が見える

実は西九条と中之島のロイヤルホテルまでは、そう遠くはない。その先は大阪の経済の中心地である。九条となんばが近いのと同じ感覚だ。歩く人はあまりいないだろうが、車だと数分で着いてしまう

トンネルを出ると西九条駅はほとんど目の前だが、梅田や中之島からほど近い場所で環状線と桜島線の分岐であり、阪神の西大阪線(阪神なんば線)の乗換駅でもありながら、西九条はちょっと渋めの下町という場所だった

その西九条が大きく変わったのはUSJのオープンで、工場地帯への輸送路だった桜島線はUSJを目指す人でにぎわうようになり、阪神も神戸方面からUSJに行きやすいよう尼崎を特急停車駅にした。そして阪神なんば線の開業。神戸からなんばまでの直通運転が開始され、西九条は重要な交通の結点となった。それは九条も同様で、なんばまで乗り換えなし、ほんの数分で行けるようになったことは大きい

しんさんと西九条界隈で2軒はしごして20時に解散。これまで書いてきた通り、安治川トンネルへのアクセスは抜群だ。梅田からもなんばからもすぐに行ける。安治川トンネルが完成した戦時中の1944年におけるマイカーの通行量というのは分からないが、おそらく微々たるものだと思われる。まさか完成から20年も経たないうちに車社会の波が押し寄せるとは想像していなかっただろう。そんなことも考えながら、川底を渡ってみるのも楽しいはずだ。大阪市のちょっとした穴場である

そしてしんさん、お付き合いありがとうございました

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竣工から80年インバウンズも来ない?大阪の隠れ名所 川底を歩く(中編)

※訪問は2025年5月11日

グーグル先生も指南のメインルート

阪神なんば線の九条駅と西九条駅の駅間はわずか1・3キロ。歩いても行けそうだし、現に今回は歩いている。ではグーグル先生は徒歩ルートをどのように指南してくれるかというと

このように安治川トンネルを進むルート。というか地図を拡大してほしい。安治川を歩行者が渡るルートはここしかないのだ。大阪市のど真ん中なので川ぐらいいくらでも渡れそうだが、歩行者どころか車でもなかなか渡れない。車は機動力があるので何とかなりそうだが、歩行者はほぼこのルートのみ。貴重な導線となっている

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正解だった戦時中の判断

あらためて安治川トンネルの九条側入口。倉庫のようだと前記事で記したが、建物だけを見てこれが川底トンネルの入口だと思う人はいないだう。写真で分かる通り、自転車の入場も可能で自転車でエレベーター待ちをしている人もいる

建物を見て気になるのは右側の巨大エレベーターの存在

注意書きは、もう文字が見えなくなっているが、かつて安治川トンネルは車も通行できていた。ただこのクラッシックな建物にセンサーのようなものはない。運転手は1度車を降りてボタンを押していたのかとも思ってしまうが、ここにボタン操作を行う係の人が立っていて通行料を徴収していたのだ。ただし車社会の進行とともにトンネル内の空気の悪さや事故の心配もあることから、1963年(昭和38)に国道43号で渡れるようになったことを契機に交通量も減ったことで、1977年に人と自転車専用道となった。60年以上も前のことだ

エレベーターの上には「安治川隧道」の文字。右から左に文字が流れていることで古さが分かる。「昭和十九年九月十五日竣功」と文字が刻まれている。開通日だが、昭和19年といえば、戦争まっただ中。かねてより安治川は大阪市内のネックポイントで人や物の流れを妨げていた

少し九条寄りに戻るが、この建物入口の交差点には

「源兵衛渡」の名が今も残る。安治川には渡し船がいくつかあり、ここがそのひとつ。物流優先の戦時中のこと。何かと渡船では効率が悪いとなって車も通れるルートを作ろうとなって、トンネルができた。もし戦争がなければ事情は変わっていたかもしれない。渡船はトンネルの竣工とともに廃止となった

ただ川を渡る手段が問題となった。手っ取り早いのは橋を架けることだが、こちらは戦時中の資材不足が問題となった。橋をかける時間もかかる。そもそも安治川に橋が造れなかったのは当時物流の中心を担っていた数多くの大型船の通行を妨げない大規模なものが必要だったからだ。そのころの技術で大がかりな橋を架けるのは大変なことだ。何よりせっかく橋を架けても敵の標的となってしまう可能性もある。ということで、地上でトンネルを造った上で、トンネルごと川底に埋めるという工法がとられた。結果的に、この判断は大正解。その後の空襲被害に遭うこともなく「隧道」は今もほぼそのままの形で残っている

では実際に「渡って」みよう

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竣工から80年インバウンズも来ない?大阪の隠れ名所 川底を歩く(前編)

九条駅の駅名標

※訪問は2025年5月11日

スタートは蘇った幻の駅

すっかり陽も長くなった5月の日曜日の夕方。阪神西大阪線の九条駅にいた。この日はなんばに用事があり、阪神なんば線に乗って九条へ。わずか2・5キロの距離だが日曜日でなくても終日人で大にぎわいのなんば周辺とは異なり日曜16時はホームの人もまばらだ

当駅のメインは地下鉄中央線との乗り換えとなる1番出口だが、あえて2番出口へ。ここで本日同行していただくX(旧ツイッター)のフォロワーしんさん(@sin103neko)と合流。しんさんとは昨年12月にダイエー曽根店をともに訪れて以来5カ月ぶり(7月いっぱいでの閉店が決まったらしく、こちらもしんさんから連絡をいただいた)。気候もよくなって、どこかに行こうと話し合った末に選ばれたがこの地である

写真が反射してうまく撮れていなかったので、ここからは2019年に撮影したものとなるが、阪神の九条駅は幻の駅として知られていた。尼崎となんばを結ぶ阪神なんば線は今でこそ神戸と大阪ミナミを直結する利便性の高い路線となっているが、長らくは尼崎から環状線の西九条駅まで来たところで唐突に終わっている西大阪線という路線だった。環状線の高架より、さらに高い場所に駅があり、見る人が見れば「環状線をまたいでどこかに行こうとしているのだな」と一目で分かる構造だった

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いったん計画は凍結

阪神は戦後の早い時期からなんばへの乗り入れを目指していたが、大阪市や地元の反対によって計画は頓挫。九条駅については、まだインターネットなどというものができるとも思っていなかった私の高校生時期である40年以上前に「すでに駅はできていて地下に埋めてある」という話を都市伝説的に聞いたことがある

地下駅の改札口を出て階段を昇ると白い壁が見えてくる。そこにあるのは

古さを感じるタイル張りの壁と説明文

電電公社という固有名詞を目にする場所も貴重だが、今はNTTとなっているビルに出入口を造ったものの、日の目を見ることなく眠っていた。「ようやく皆様に出会えました」の文言がちょっと泣ける

京セラドームあってのなんば線

ちなみに当駅の隣駅は「ドームまえ」。言わずとも知れた京セラドーム大阪の最寄りだが、ここ九条からでも遠くはない

もし当初の計画通り、昭和40年代に開通していたら大阪ドームの最寄り駅としてはもちろん存在していないし、地下をもぐる現在のコースになっていたかどうかも微妙だ。阪神なんば線の着工は2003年。皮肉にも当時大阪ドームを本拠としていたプロ野球近鉄バファローズの消滅直後だったが、それ以前からドームの利用者が増えないことに危機感を覚えていた大阪市が長らくの許可凍結を解禁したともされる

ドームとは逆方向へ

さて今回はドームとは逆方向へと歩いていく。目指すは西九条駅。九条駅と西九条駅の間にある「安治川隧道」を渡ろうというのが今回の本来のテーマである

九条にはキララ九条という大きな商店街があり、安治川を目指して歩くと商店街の端と合流する

こちらは商店街のアーケード。そしてさらに先に進むと安治川へと到達するが、突き当たりに建物が見えてきた

何やら古い建物。遠目からは倉庫のようにも見えてしまうが、こちらが安治川隧道(今後はトンネルと記する)の入口だ

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貨物を担う私鉄としてもうすぐ100年の三岐線~その18(終) 総ガラス張りの駅でゴール

北勢中央公園口の縦駅名標

※訪問は2025年2月7日

※現在、三岐鉄道の三岐線と北勢線は別々の1日乗車券が必要です

最後の駅は長い駅名

いよいよ最後の駅となった。「ほくせいちゅうおうこうえんぐち」。ひらがなにすると随分と長い駅名である。三岐線の駅名で地名以外の駅名は2つしかない。暁学園前駅と当駅。昭和初期からの歴史を持つ三岐線。暁学園前がそうであったように、こちらも戦後に名付けられた駅である

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移転して駅名変更

当駅の駅名標を見ると「旧大長」と記されている。大長駅は1931年(昭和6)の開業。当時の大長(おおなが)村に基づく。大長村は戦後の合併で東員村となり現在は東員町。1997年(平成9)に現在の場所に100メートルほど移転して駅名変更となった。目的は同名の公園へのアクセス向上である。と同時に駅の位置は旧大長村の村域からは出てしまったが、それでも新駅扱いではなく、あくまでも駅名変更である

ただし三里駅の記事でも触れたように

「○○口」という駅名は対象となる場所からかなり離れていることが多い(三里駅も戦後に地名以外の駅名に一時変更されている)

公園の公式HPにも駅から徒歩30分と記されている。地図だけ見ると梅戸井駅からの方が近く見える(実際は歩くとほぼ同じ時間のようだ)。それでも駅名変更としたのは駅前の広さなどを考慮してのものだろう

ガラス張りの駅舎に目を見張る

駅舎は新しい

ちょっとした小さなビルのような建物。たった14駅しかない三岐線だが、戦前の開業時からのものと思われる駅が残っているかと思うと東藤原や当駅のような斬新な構造で楽しませてくれる

駅舎内は総ガラス張り。いろいろな方角から光が差し込んでくる斬新な構造だ

周辺案内図は見上げた場所にある。単式ホーム構造ながら、なかなかおしゃれな駅となっている

各駅訪問をふりかえって

駅前のロータリーから駅舎をながめて全駅訪問の終了である。昨年11月から始めた北勢線と三岐線の旅。パッと地図を見ると、ほぼ並行するように走っている2つの線路は何か関係があるのかと思う人も多いだろう。今は同じ三岐鉄道という会社の路線となっているが、もともとは岐阜県に向けて貨物中心の線路を敷設する際、北勢線のナローゲージの路盤では貨物列車は無理ということで新たに三岐線が建設されたものの、岐阜県への延伸をあきらめたことで2つの並行する路線ができたことが分かった

また三岐線の出発駅がなぜ近鉄富田なのかも不思議だったが、貨物を考慮した国鉄の富田駅(当時)での接続は利用者から不評で新たに近鉄との連絡線を設置したことも分かった。いろいろなナゾが解けた有意義な2路線の訪問だったが、まさか今年3月にフリーきっぷが別々のものになるとは昨年11月の時点で私は全く知らず、その意味ではギリギリ滑り込みセーフというか、最後の貴重な体験となった

そして三岐線の各駅で見た自動改札機のない有人改札の美しさ。貨物鉄道博物館の開館日に合わせて、ぜひまた訪問したいと思っている。その際は新しいフリーきっぷを手にしているのだろう

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