週末パス最後の旅はフラワー長井線~徒歩移動中に出会った小駅とバイク神社

※訪問は2025年6月7日

2駅分歩くことに

長井駅の次の目的地は最初に紹介した西大塚駅と並ぶ路線内の登録有形文化財である羽前成田駅。だが長井駅では2時間も列車が来ないことは前記事でも紹介した通り

長井駅と羽前成田駅の駅間距離は2・7キロ。そしてフラワー長井線と並行して県道が走っている。ここを歩いていくと、2時間もあれば十分おつりが来るぐらいだ。ここを歩くと2区間分の徒歩となるわけだが、結論から言うと立ち寄った駅も含め、十分歩き甲斐のある駅間徒歩となった

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道中ふらりと簡易駅を訪問

今回の道程はこのようになる

途中寄り道して、そこで時間を費やしたため48分というわけにはいかないが、結果としていい時間の使い方となった

最初は長井駅から真っ直ぐ羽前成田駅を目指していたが、駅もすぐそこだということで訪問

踏切の先に駅が見える。ここから見ただけで簡易的な構造だということが分かる

単式ホームがあり

待合室がポツリ。簡素なたたずまいとともにホーム入口にはスロープもあることで三セク移管後にできた駅だということが分かる。三セク移管から10年以上を経た2002年(平成14)に新駅として誕生した。文字通り長井あやめ公園の最寄り駅で、沿線に花が多いことで名付けられたフラワー線のひとつのより所にもなっているが、設置の大きな理由は駅からすぐの長井工業高校で、長井駅からは線路距離で800メートルと至近ながらも生徒や関係者の請願により開業した

まさに目と鼻の先でサムネの駅名標をもう一度掲載するが

駅からの距離が入っている念の入れよう。しかも「1」の位まで。これは初めて見た。さすが工業高校だ

先掲の待合所写真でも分かるが、駅の清掃や装飾も同校の生徒が行っている。学校の最寄りということで利用者も全17駅中7位となっている(フラワー長井線については調べるデータによって各駅の利用者数にぱらつきがあるので、今回は掲載しない)

東北唯一のバイク神社

当駅は長井市の運動公園の最寄りでもある。野球場の照明を見て再び歩き始めると目にしたのは

総宮神社の入口にある文字。私はそのジャンルに疎いので何も言いようがないが、見覚えのあるロゴである

ここは長井一の宮の総宮神社。神社のHPによると1200年もの歴史を持つ。歴代当地を統治した大名からも大切にされ

上杉時代に直江兼続が植樹したという直江杉がある

こちらがその解説

そして神社のもうひとつの顔が東北唯一というバイク神社

ライダーの聖地として知られているそうで、訪れた時もライダーの出入りが盛んだった。ライダーのための御守りもあるという

再び歩き始めて最上川の支流となっている橋を渡る。付近は農地でもあるが、長井市の郊外にもなっているようで民家は多い。そして歩き始めて1時間ちょっと

羽前成田駅が見えてきた

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週末パス最後の旅はフラワー長井線~100年のホームと令和の豪華駅舎が共存

※訪問は2025年6月7日

路線名になった中心駅

赤湯から約30分。長井駅に到着した。路線名からも分かる通り、国鉄時代の長井線から路線を代表する駅となっている

長井軽便線という名称で1913年(大正2)に開業した長井線だが、最初は梨郷まで。長井までの開業は翌年だったが、梨郷~長井は11キロもあるのに路線名はすでに長井線だった。計画の時点ですでに長井が路線を象徴する駅だったことが分かる

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年季の入ったホームにしびれる

長井駅のホームは木材をふんだんに使用たものだ

ホーム上屋を支える柱には、古レール転用のような鉄材はなく美しく木が組み合わされている。番線表示もなかなか古そうだ

ホームの端はこんな感じ。ダメ押しのように斜めの支柱で支えられている。ホーム上屋はいつからのものか分からないが、確実に100年の時を刻んでいそうだ

駅舎とは島式ホームから構内踏切でつながっている。駅舎と逆側き新しめの住宅街。以前は住宅街との間に防雪林があったが公園となっている

側線が残り、その奥にはかつての貨物ホームが見える

そしてどの写真にも映り込む大きな建物は一体何だろうと思う人は多いはず

大きすぎて写真に入りきらない

その答えは構内踏切の行先にある。踏切から入っていくのだから、これは駅舎である

「長井駅」と記されているが、乗り換えのない単独の地方三セク路線の駅では立派すぎると言ってもよいだろう

こちらは外観。実は駅舎の建物は左側にも広がっていて

このような姿。写真で入りきらない。ワゴンタイプのコミュニティバスとのアンバランスが、より建物を目立たせているが、駅は長井市役所と一体化されているのだ。駅と市役所が一体化されている例は貴重だという

竣工は2021年。長井駅は戦前からの駅舎だったが、解体されて現在のものとなった

真新しい駅舎内。ロビーは待合室代わりにもなっていて、もちろんエアコン完備である。訪問日はそれほど暑い日ではなかったが、真夏や真冬は大いな味方となる

こちらは構内踏切への出入口。豪雪地帯、寒冷地でもあるため二重の自動ドアとなっている

山形鉄道の本社は当駅にあり、有人の直営駅となっている

ただ立派な駅舎はいいが、前記事で記した社員退職による減便により、次の荒砥方面行きはなかなかやって来ない。到着したのは9時27分で次の荒砥行きは11時19分と、約2時間の空き時間がある。駅周辺は長井市の中心部でもあるが、まだまだお昼を食べる時間ではないし店舗が開く時間でもない。立派な駅舎内は快適に過ごせそうだが、この日のうちに東京まで戻らなければならないことを考えると、1日8往復の列車は大切に使う必要がある

となると、2時間を利用して次の目的地(駅)までは必然的に徒歩タイムとなる

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週末パス最後の旅はフラワー長井線~大正期に全長30キロで「完了」した盲腸線

※訪問は2025年6月7日

米沢駅から再び赤湯駅

朝の米沢駅。前夜は米沢に宿泊した。米沢は山形県第4の都市であると同時に有名観光地。鉄道としても福島県と山形県の険しい県境を支えてきた要衝駅で山形新幹線も全種別が停車する。ただ「日本の都市あるある」で駅と街の中心地が離れている。十数年前に街中に宿泊したが、夜の街はお店も多くて楽しかった分、峠駅を訪れるべく早朝の列車に乗るため、ホテルにタクシーを呼んでもらう手間が必要となった。今回は長井線乗車が目標なので駅近くのホテル泊

フラワー長井線の始発駅である赤湯駅にあらためてやってきた。米沢から15分ほどである。当駅も山形新幹線の停車駅だが、もちろん在来線利用

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風情の異なる西口

上記の写真で分かる通り、赤湯駅は規模の大きい駅。駅名は平安時代からあったという名湯赤湯温泉にちなみ1900年(明治33)開業という長い歴史を持つが、当地の行政だと駅は赤湯町ではなく、隣町の和郷村に設置された。だから赤湯の温泉街は駅からやや離れている

和郷村を挟んで西側にあったのが宮内町。こちらも歴史ある町で赤湯駅が開業した時には赤湯町と同じくすでに町だった。そして、まずこの宮内町を目指したのが長井線である。戦後この3自治体は合併して1967年(昭和42)に南陽市が誕生するが、赤湯、宮内と2つの大きな町が名称を巡って譲らなかったために南陽という新たな都市名が作られたとか

現在の赤湯駅は新幹線開業直後の1993年にできたもの。パラグライダーを表現した形になっていて駅舎内も広くて大きい。タクシーやバスもこちらから発着する

こちらはJRの駅名標。それに対し、フラワー長井線を運行する山形鉄道の駅舎は西口となっていて

かわいいロッジ風の小さな駅舎。周辺はおそらく近年になって開発されたと思われる住宅街で商店もない。華やかな東口とは異なり、すっかりローカル線の風情だ。この駅舎は1988年(昭和63)に長井線が三セク移管された時に開業したもの

1日8往復へと減便

フラワー長井線は全長約30キロ。赤湯から最上川に沿うように白鷹町の荒砥駅とを結ぶ

赤湯駅の開業は1900年だが、13年後の1913年(大正2)には早くも長井線が開業する。前述した宮内町までが開業。翌年には長井駅まで到達し1923年には荒砥まで延伸された。大正12年のこと。元々は左沢とを結ぶことになっていた。現在の国道287号が走るコースである。ただ荒砥から先の工事は行われずに終わる。地図を見れば分かるが、荒砥から左沢の間はひたすら山中。おまけに当初の長井線は軽便線だった。難工事と採算面が考慮され、大正期から延伸が始まった長井線は大正期のうちに全線開業ということになった

山形鉄道への三セク移管は1988年(昭和63)。その前年に1度国鉄からJR東日本に移管されていたが、こちらも三セク移管時にワンクッション置くよくあるパターン

西口については山形鉄道の管轄で平時は駅員さんが配備されているが、日曜の朝ということもあってか無人だった

そして入口に時刻表が掲げられているが、1日8本の運行。そして小さくて見えないかもしれないが、左側に「お知らせ」の張り紙があり、4月1日付で「乗務員の退職に伴い現行ダイヤでの運行ができなくなりました」の説明書きがあった

新聞報道などによると、昨年から今年にかけ運転士4人と車掌1人が退職。それまでと同じ運行ができなくなったため、今春から上下4本ずつを間引いて計16本の運行となっている。乗客の減少より先に運転士の不足により路線バスが減便されるというニュースには最近よく触れてきたが、鉄道でも同じことが起きているのか、と思ってしまう。私が子どものころは、将来の夢として「列車の運転士」が必ず上位にいたものだが、地方においては事情が異なっていると感じざるを得ない

もっとも先週、山形鉄道に3人の運転士候補の入社が決まったという報道があった。こちらは朗報。ただ当然ながら6月の旅については、この減便ダイヤで行っている

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週末パス最後の旅はフラワー長井線~沿線では貴重な旧駅舎のひとつ

※訪問は2025年6月7日

かつては同型の駅舎が並ぶ

あらためて西大塚駅。赤湯側からだと米坂線の接続駅である今泉のひとつ手前にあたる。開業は1914年(大正3)で、その前年に赤湯~梨郷が開業していた長井軽便線を長井まで延伸する際に途中駅として設置された。以来、ずっと同じ姿だが、山形鉄道のHPでは駅ごとに「今昔物語」を伝えており、それを見ると長井線内の他の駅も、西大塚駅と似た姿をしていたことがよく分かる。近隣の駅が「そっくりさん」なのは、過去の他路線でもよく見かけた姿だが、おそらく同じ業者の手によるものなのだろう。ただし、今もその形を保っている駅はわずかとなった

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登録有形文化財に

残された西大塚駅は、その「ごほうび」として2015年8月に登録有形文化財となった。対象は駅舎本屋とプラットホームだが、それ意外にも見どころは多い

まずは駅名標。山形鉄道の駅名標になっていないので、以前からあったものか、あえて国鉄様式にしたものか。この西大塚駅はフラワー長井線で唯一、東置賜郡川西町に所在する駅で、それは同町の誕生した1955年(昭和30)から変わらない。設置時期はそれ以降のものということになる

到着時の写真だが、単式ホームとホーローも加えた駅名標の座り心地がいい

駅舎内にも空気は残る

駅の周辺には特に何があるというわけではなく農地の中にある住宅街という風情だ。赤湯を出た線路は最上川を渡って当駅に滑り込む。この後、長井線は最上川に沿う形で進んでいく。最上川流域に街ができているので鉄道もできたわけだが、同時に鉄道にとって最上川を渡るのは、かなりの難工事だったこともよく分かる

こちらは駅舎内の様子。無人駅だが駅員さんがいた時の雰囲気は残る。パンフレットなどが置かれているが、右手がきっぷの窓口、左手が手荷物受付だろう

財産票も残されている。「大正2年8月」と記されている。駅の開業は1年後なので、駅舎はその1年前に竣工していたことになる

こちらはサムネにもした駅名板だが、先述の山形鉄道「今昔物語」によると、山形鉄道の駅名板が掲げられた時代もあったようなので、雰囲気を出すために、あえて付け替えたようだ

こちらは横から眺めた駅舎。窓のアルミ補強は近年のものだろうが、板のくたびれた感じが当時の空気を運んでくるようだ

6月の1日は長いが、時間はすでに16時半となっている。この日は米沢泊。赤湯まで戻って米沢へと向かい、明日再び戻って荒砥を目指す

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週末パス最後の旅はでフラワー長井線~まずは登録有形文化財の駅へ

※訪問は2025年6月7日

数々の思い出がある週末パス

旅の始まりは伊丹空港からだった仙台空港から仙台駅に出て仙山線でいくつかの駅を訪問した後に山形へ

赤湯は山形新幹線の停車駅でもあるが、もちろん奥羽本線の在来線で移動する。赤湯駅では山形鉄道フラワー長井線の車両が待機中。この月の6月いっぱいで終了したJR東日本の週末パス。数々の思い出が詰まっているが、最後にフラワー長井線で利用することとした

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週末パスの特徴

こちらが今回利用した週末パス。発券が東京駅となっているのは同行の知人に購入をお願いしたからだ

販売を終了したきっぷなので説明は簡単にしておくが、南東北以南のJR東日本全線と、その沿線にある一部私鉄、三セクが乗り放題のきっぷ。名の通り週末の2日間で有効。祝日が重なって3連休となった場合は、そのうちの2日間で有効。大きな特徴は新幹線や特急に乗車した場合でも乗車券部分が有効だということ。つまり特急券だけ買えばよい。前回までの記事で利用していた北海道&東日本パスや青春18きっぷの場合、特急利用には乗車券も一から買わなければならず、新幹線ワープを考慮した場合、新たな出費をするべきかどうか大いに悩まされるが、週末パスの場合は追加料金なので悩みは少ない。また利用できる私鉄、三セクも地方の渋めの路線が勢ぞろいしているので利用価値は高い。いつも書いていることだが、私鉄や三セクは運賃が高いことが多いので心強い味方なのだ

記憶にあるだけでも、私はこの週末パスを利用して、しなの鉄道、上田電鉄、長野電鉄、阿武隈急行、福島交通、アルピコ交通に乗車した。西日本在住の私にとって唯一の困った点だった前日販売については最近、えきねっとで事前購入すれば発券は当日でもOKとなっていたので利便性が上がったと感じていた矢先の販売中止だった

とにかく未乗路線として残っていた、このフラワー長井線は週末パスの販売があるうちにぜひ行かなければならないと今回の旅となった

ラーメン大好き小泉さんとともに

乗車したのは「ラーメン大好き小泉さん」ラッピング車両。赤湯駅のある南陽市ではラーメンによる町おこしを行っていて2016年には市役所に日本初のラーメン課が設けられた。その縁で人気漫画とのコラボが行われているが、2年前からそのラッピング車両が走っている

実はこの時点で時間は16時。どうやっても、ここから長井線を進んく時間はないが、せっかく今日も明日も長井線を乗降自由なのである。そして明日もそれほど時間があるわけではない。だったら1駅でも回収しようと選択したのが

登録有形文化財の西大塚駅である

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不通区間の津軽線28・8キロを訪ねる~あと一年半 また来ます

※訪問は2025年7月10日

5分間停車の奥津軽いまべつ

三厩駅から海へと伸びる坂道をワゴン車のわんタクが駆け上がってきた。蟹田方面へと戻ろう

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津軽二股駅2019年

わんタクは奥津軽いまべつで約5分間のお手洗い休憩をとる。代行バスは基本的に休憩時間はないが、乗車していた感覚だと、その旨を伝えれば少し待ってくれそうではある。三厩駅や今別駅にもお手洗いはあるが、バスの停留所から簡単に行けて複数の利用でも問題ないのは新幹線駅でもある当駅だ

ただ代行バスについては基本的な考えとしては、ここは津軽線の津軽二股駅。渡り廊下のようになっている駐車場を横切ると道の駅があって、そこが津軽二股駅だが、5分間で行って戻ってくるにはダッシュが必要なので体力に自信のある方でないとおすすめしない

ここ津軽二股から青森までは北海道新幹線と津軽線が並行して走る区間(正確には新幹線の駅は新青森)となるが、整備新幹線である北海道新幹線と津軽線は並行して走っているのに、なぜ並行在来線の扱いを受けていないのかと思う方もいるかもしれない。整備新幹線の基本的な考えだと、この区間は三セク転換されることになり、現に北海道側は木古内~五稜郭の江差線が道南いさりび鉄道に転換されている

これは新幹線がJR北海道、津軽線がJR東日本と別会社だからで、両線はそのままの形で存続することになった。その分、奥津軽いまべつと津軽二股は近くにある駅というだけで、乗継ぎや連絡はほとんど考慮されていなかった。私は前記事でも記したように2019年にここ奥津軽いまべつを訪れ、北海道新幹線開業前の津軽今別駅時代にも訪問している

北海道新幹線の開業前は函館から特急「白鳥」で当駅を訪れ津軽今別で下車。津軽二股駅まで降りて津軽線で青森駅へと向かった

2019年は仙台から東北新幹線に乗り、奥津軽いまべつで下車。津軽二股から三厩へと向かったのは前記事で記した通りだが、その後は再び津軽二股まで戻り、青春18きっぷオプション券を利用して木古内から函館へと向かった

これがその時の写真だが、ビルのような奥津軽いまべつ駅。階段でチャレンジしようとすると115段の案内があり「三江線の宇都井駅と同じだ」と思った記憶がある。もちろんエレベーターを利用したけど。とにかく待ち時間が長く、道の駅で食事をしても時間が余り、奥津軽いまべつ駅の待合室で延々とテレビを見たことも覚えている。エアコン完備で快適だった

津軽二股で下車し、青森行きの列車を見送った時の動画がこちら

この時は3年後の大雨被害は考えもしておらず、軽い気持ちで撮ったため、ハンパなものにしかなっていないが、貴重な動画になってしまった

先を遠慮したわけ

お昼前に蟹田へと戻ってきた。朝の7時とは違って駅員さんのいる時間帯となっていた

今回の旅はここまで。津軽線の廃線予定区間には7つの駅がある。わんタクはまだまだ運行がある。今回訪れたのは3駅。津軽二股は以前も訪問しているので残り3駅。頑張れば、この後もすべて回収できそうだが、ここまでにしておいた。代行バスなら何も考えずにバンバン乗り降りするが、地域の貴重な足でもあるわんタクを、鉄オタがフリーきっぷを利用してタダ乗りするのもどうかと思ったからだ

蟹田以北の津軽線廃線後のJRの関わり方は、まだ確定していないが、現時点では完全にバス転換した後も何らかの形で運行には関与することになっているようだ。日田彦山線BRTの項でも触れたが、ここが最も大切な部分だと思う

おそらく来年の夏にも北海道&東日本パスを使用する。その時は残る3駅も必ず訪問したいと思っている

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不通区間の津軽線28・8キロを訪ねる~最果ての管理駅の現在

※訪問は2025年7月10日

中小国駅から約1時間

三厩駅へと到着。中小国駅からわんタクで約1時間の道程だった

駅前では朝の7時すぎに蟹田から今別まで乗車した代行バスが「休憩中」。このバスは8時2分に当駅に到着し、同7分に三厩体育館まで行って終着となる。ここまで戻って待機なのだろう。17時40分に三厩体育館を出て当駅経由で蟹田に向かうので長い休憩である

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聖徳太子がいなければ

三厩駅は平成の大合併まで存在した三厩村に基づく。「厩」とは、なかなか難しい文字だが、馬小屋で生を受けたという聖徳太子の「厩戸皇子」という名前を学校で習った方なら、触れた経験のある文字だ(ただし書け、と言われても書けないが)

村の名前も馬に基づく。当地には平泉で亡くなったとされる源義経が当地で3頭の馬を得て北海道へと逃げたという伝説があり、地名となった

当駅は今別町から外ヶ浜町に入ってすぐ(外ヶ浜町は飛び地となっているので、正確には1度外ヶ浜町から出て再び入る形となる)の場所にあるが、観光案内図でも義経ゆかりの場所が記され、義経が北海道に渡った伝説についても解説がある

かつては有人駅

三厩駅は1958年(昭和33)の開業。蟹田から延伸された終着駅となった

代行バスが三厩体育館まで行くのは、その付近が三厩の中心部だからだと思われる。駅自体は海から徒歩で10分ほどの高台にある

三厩駅が有名となった理由のひとつとして有人駅だったことが挙げられる。信号システムが遅れたおかげで、1日5本しかやって来ない駅にもかかわらず駅員さんがいたばかりか、今別、津軽浜名の3駅を管理し駅長もいた。映像や写真で積雪の中、駅業務に従事する職員の様子が紹介されていた

2019年に無人駅となったが、有人駅だった面影はまだ残る

龍飛埼への観光拠点としての役割も担い、駅舎内のこのイラストも駅が紹介される度に登場していた

ホームへと入る。錆びたレールはこの先で終わっている。以前と大きく様変わりしたのは、この部分で後述する

ホームとレールは今別駅と同じ光景。ずっと島式ホームだったが、2019年の無人化の際に片方だけの使用となった。ここに列車が来ることはもうない

2019年の思い出

三厩駅に来るのは6年ぶり。前回は2019年の8月終わりだった

この日のことは今もよく覚えていて、前夜は仙台に宿泊。仙台から東北新幹線で奥津軽いまべつで下車して津軽二股から津軽線に乗車。三厩駅へと赴いた。津軽二股から青春18きっぷを利用することにしたので、津軽線の車掌さんにサインをもらった。三厩駅は訪問の2カ月前に無人化されていたためで、2度とできない思い出となった

車内は18きっぱー専用列車のようになっていてホームは同業者(鉄道ファン)であふれていた

使い古されたサボが印象的

現在の錆びたレールと行き止まりの草むらを前掲したが、この時はポイントがあり、その先にスノーシェッドに守られた車庫が残っていた。無人化に伴い、ポイントも車庫もこの後撤去されることになる

駅でずっと一人

この時は、列車がすぐ折り返すということで滞在時間わずかで同業者とともにゾロゾロと再び列車に乗り込み青森方面へと戻ったが、今日は30分ほど時間がある。ただ6年前と決定的に異なるのは、当時は人であふれていた駅が、今回はやって来たのも1人、駅から出発したのも1人だったということ。つまり私がこの日、この時間帯にたまたま訪問しなければ、誰も来る人はいなかったということになる。「たまたま来た私1人だけ」のフレーズは過去何度も書いてきたが、鉄道ファンにも人気だったこの地で同じ体験をするとは思ってもいなかった

ホームから駅舎を眺める。宿泊もあった大きな駅舎だ

駅舎内の手作り観光新聞そして

駅ノート。訪問時は私1人だったが、間隔を空けずに次々と書き込みがある。駅を訪れた人の熱い思いが伝わってくる内容だった

お手洗いを借りた時に繰り返し書かれている「マムシ注意」の文字が気になって、草むら部分に入ることはできなかったが、前回がわずかな滞在で終わっただけに充実の時間だった

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不通区間の津軽線28・8キロを訪ねる~わんタクでの各駅訪問

※訪問は2025年7月10日

代行バスを昼間に補完

中小国駅の代行バス停留所。今別駅でも紹介したが、代行バスに加え「わんタク」の時刻表がある。ここから三厩駅へと向かうのだが、ここからは、そのわんタクを利用する。時刻表で分かるように現状では朝夕しかない代行バスを昼間に補完する形となっている

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路線バスと同じだが予約がおすすめ

わんタクは蟹田駅と龍飛埼灯台を結んでいる。代行バスは津軽線の代行なので三厩までしか行かない(正式には三厩のひとつ先の三厩体育館まで)が、こちらは観光名所の灯台まで運んでくれる。鉄オタ視点からだと青函トンネル記念館も通る。料金は1回の乗車につき500円だが、三厩までならJRのきっぷや定期券を持っていれば乗車できる。もちろん青春18きっぷや今回私が利用した北海道&東日本パスも有効。三厩までのJRの乗車券を所持しているが、その先は持っていない場合は追加料金300円

注意すべきは「定時便」「フリー便」の2種類があること。前者は写真にある時刻表通りに運行される1日4往復で、いわば路線バス。そして後者は、いわゆるデマンド型。パンフレット等では観光でも利用できると記されているので地元住民でなくても利用できそうだが、そちらについては最初から調べてもないので前者に絞って説明する

定時便は路線バスと同じなので停留所で待っていれば乗せてくれる。ただ運行はワゴン車なので時期や季節によっては乗り切れないこともあるので、その点は留意する必要がある

私も過去、各地のコミュニティに随分乗車し、ワゴン車タイプもかなり乗ったが、満員で乗り切れなかった記憶はない。ただわんタクについては龍飛埼という有数の観光地に向かうため混み合うこともあるため、事前予約がおすすめだ。わんタクのHPに予約用の電話番号とWEB予約ページがあるため、こちらが便利。私はWEB予約を行った(ただし電話予約は当日も可能だがWEB予約は前日まで)。予約が多い場合は追加のバスを用意してくれる

予約作業は極めて簡単だ。私の訪問時はどの車両もすいていて結果的には停留所で待っていても乗れたが、現地で聞いた話だと予約が多くて現実に追加のワゴンが用意されることもあるそうなので予約を推奨したい

そもそも予約しておけば、確実に乗れる。私は体験したことがないが、地方のバス路線では、いつも同じ人ばかりが乗っているので一見さんが停留所に立っていてもスルーされてしまうこともあるとか。また、この中小国駅は道路の片側にしか停留所の立っていない、これもよくある不安なパターンだが、予約しておけば停留所にいても向かいにいても運転手さんの方で探してくれる

片側しかない停留所の場合、平素は停留所の向かいに立って「お~い」と手を振るのだが、この日ばかりは停留所に立っていた。やって来たバスは向かいで停まってくれた。あとは乗車時に名前を告げれば良い。すでにきっぷを持っている場合は、そのむねを告げ、ない場合は降車時に支払う。交通ICも利用可能

停留所が多い分、他の利用も

わんタクはルート上では、どこでも乗降可能となっている。乗車については予約が必要だが、降車については運転手さんが分かるように伝えれば大丈夫。私が乗車した時のこと。これはフリー降車ではなく一般の停留所だったが、降車ボタンが押された際は気にもとめていなかったが、降車したのは明らかな同業者(鉄道ファン)。目的は明白で、おそらく新中小国信号場を見に行ったのだろう

徒歩だと20分。わんタクで降りると、ほぼ目の前である(代行バスの停留所にもなっている)。なるほど、と感心してしまった

またわんタクは代行バスに比べて停留所の数が若干多いが、私が興味を持ったのは

車窓から見えた青函トンネル入口広場。文字通り青函トンネルの入口が眺められる場所となっていて、出入りする新幹線や貨物列車を見ていられる子どもにも人気のスポットだという

2027年の津軽線廃線後の代行バスやわんタクの形やJRとの関係性はまだ未定だが、少なくともそれまでならフリーきっぷで乗ることができるので、代行バスと合わせてぜひ利用したいアイテムである

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不通区間の津軽線28・8キロを訪ねる~レールはピカピカそれでも旅客列車は来ない

※訪問は2025年7月10日

ワゴン車の代行バスで

今別駅前の代行バス&わんタクの停留所。わんタクについては後ほど触れるとして、私が今から乗車するのは代行バスの2便。8時13分発である。時刻表に記されているのは主にJRの駅だが、実際は他の停留所があるため、もっと細かく停まる

代行バスがやって来た。蟹田から今別までは大型バスだったが、この便はワゴン車。ただし2台での運行である

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農地の中にたたずむ駅

約30分で中小国駅に到着。幹線である県道から少し奥まった場所にある。バスの停留所は県道上にあるため少しだけ歩く。正面奥に踏切が見える。その左手の黄色い建物が駅の施設だろう

踏切手前の左側に駅があるが、1度渡ってみる。ここから先は農業用の道路らしく狭くなっていて、私がいる間も軽トラックの出入りを見かけた

振り返ると単式ホームの棒状駅が見えた。県道近くには多くの民家があるが、駅そのものは農地の中にポツンとたたずんでいる

JR東日本、JR北海道両社の駅

中小国駅の開業は1958年(昭和33)。前記事で紹介した今別駅と同じく、津軽線が蟹田~三厩で延伸、全線開業となった際に設置された。当初から現在の姿。周辺も当時から何があったというわけではないが、青函トンネルの開通によって鉄道ファンなら知らない人はいないほど有名な駅となった

青函トンネルを経て青森県へと入ってきた海峡線は、中小国駅の少し北側にある新中小国信号場で津軽線と合流する。信号場はJR北海道の管轄だが、そこに駅はないため信号場と中小国駅の間は津軽線と海峡線の重複区間とし、津軽線の起点駅を中小国駅とした。つまり中小国駅はJR東日本とJR北海道の共同使用駅となっている。共同使用駅や境界駅というと立派なターミナル駅を想像しがちだが、中小国駅については全く異なる。というのは中小国駅には北海道新幹線の開業以前からJR北海道の列車が停車することは一度もなく、停車はお隣の蟹田駅。蟹田駅の記事でも記したが乗務員の交代も蟹田で行われていた

ただそんな帳簿上の起点駅、共同使用駅だからこそ鉄道ファンは注目する。「中小国」は読めそうで読めない意外な難読駅だが、読めない鉄オタはまずいない。津軽線内では三厩、津軽二股と並ぶ青春18きっぷによる「必訪問駅」となっていた

ホームへはスロープで出入りする。雑草はきれいに刈り取られている

ホーム上に待合所があり、奥に部屋がある

当駅にも室内には時刻表がそのままだ

蟹田から新中小国信号場までは電化区間だが、電化は海峡線用のため当駅に停車するのは気動車のみだった

今別駅と中小国駅はともに旅客列車はやって来ない。ただレールはピカピカの「現役」であることが決定的に異なる。今も本州と北海道を結ぶ貨物列車が定期的に走るためだ。蟹田~当駅にかけては線路も生きているため、津軽線も当駅まで運行することは可能だが、利用者数からも、わざわざ折り返し設備を設ける必要はないと判断され、JR東日本は2027年春での廃駅を決めた。貨物列車の運行は続くため、あくまで帳簿上だが、津軽線は新中小国信号場が「終点」となる。JR北海道については正式な意思表明はないが、JR東日本を受けて信号場が「起点」になるのではないかと言われている

一度も旅客列車が停まらなかった起点駅。今はピカピカのレールで終焉の時を待っている

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不通区間の津軽線28・8キロを訪ねる~急速に自然に還る様子を目の当たりに

※訪問は2025年7月10日

何度も確認を繰り返し

津軽線の代行バスはすでに駅前に待機していた。後で分かったことだが、この大きなバスは利用者の多い時間帯仕様だ。青森から乗車して蟹田に到着したのが6時58分。代行バスの出発が7時8分なので接続時間は10分しかない。写真を撮っているうちに、すぐ出発の時間がやってくるので余裕はなかった。このバスは6時4分に三厩駅を出て蟹田駅に6時58分に到着する。つまりバスの到着時の様子を私は見られていない。蟹田駅から電車に乗ろうとするお客さん、特に高校生の数を見ると、このバスで蟹田駅まで向かう利用者はそれなりにいると思われる。ただ私が乗車したのは、時間帯的には逆向きなので乗客は私を含め5人だった

乗車時に北海道&東日本パスを提示しすると降車場所を尋ねられる。「今別駅」と答えると「奥津軽いまべつ?」「いや今別です」「新幹線の駅ではなくて?」「いや、単に今別。奥津軽いまべつではありません」という確認と念押しのやりとりがあって出発。それは無理のないことで、朝の7時の代行バスというのはお客さんもなじみの顔が多いだろうから、見たことのない旅人らしき人間に行先を今別と言われても運転手さんが疑問に感じるのは当然だ

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改修工事を終えたばかり

代行バスは北へと向かう。車で津軽半島を走ったことはないため、車窓には興味津々だ。途中、中小国信号所の付近を通る。道路から少し離れていて間近で様子を見るわけにはいかないが、架線の規模で雰囲気は分かる。新幹線駅の奥津軽いまべつ(在来線の津軽二股でもある)も過ぎて約40分。あっという間に今別駅に到着した

駅前から去っていくバスを見送る。車窓で分かったが、駅近くに来ると街に入る。このあたりが今別町の中心地なのだろう

振り返ると

今別駅の駅舎。まだ朝のム8時前だが、駅周辺からは家に出入りする人の姿と声がする。少なくとも農地の真ん中にある駅ではない。もっとも「駅の利用者」は私だけだが

駅舎に入ると、中はきれいにされている。イスの座布団が北国らしい。よく見るとエアコン完備だ。まだ朝の8時前で、この日はそれほど暑くはなかったため、冷房の出番ではなかったが、冬場も北国でよく見かけるストーブとは異なり、エアコンを使用するのだろう。駅舎は2017年に改修されたばかり

当時すでに無人化されていたので駅舎そのものの管理は町が行っていると思われる

駅舎内には豪雨被害以前からの時刻表が設置されている。あくまでも休止扱いなので、そのままなのだろう。鉄道が動いていないことを知らずにこの駅にやって来る人は、まずいないのもある

こちらはホームに向かう待合部分。奥にはきれいなお手洗いがある。ホームへ行こうとしたらドアは施錠されていて焦ったが、駅舎の外から入れるようになっていた

表現する言葉が見当たらない

スロープからホームに入る方式の単式ホーム。開業は1958年(昭和33)で蟹田~三厩が開業した際に設置された

ホームに出ると、そこにあるのは錆びたレールと、そこに覆いかぶさんばかりに成長している草木。ホームの雑草は定期的に刈り取られているようだが、そのコントラストが大きすぎる

同じ角度を駅舎寄りから。「51」と記されたキロポストが印象的だ

開業時は島式ホームですれ違いのできる構造だった面影が残る

こちらは逆方向。正式には、まだ現役の線路だが草むらの中に埋もれていく錆びたレールに現役感はない

こちらはホーム側から見た駅舎

駅舎の表側と駅舎内とは異なり、使用されることのなくなったホーム側は、どちらかというと放置状態だ

冬場は雪に覆われる駅周辺。それだからこそ、夏になると、ここぞとばかりに草木は急成長するのか。自然に還る速度を痛感した訪問だった

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