※訪問は2025年6月24日
意外と訪問が難しい駅

若狭本郷駅に到着。写真をよく見ていただければ分かるが、すれ違い可能な構造で、訪問に苦労した駅だった。すべての列車交換可能な駅がそうというわけではないが、その頻度が多い駅というのは存在していて、本数の少ない路線では、かなり苦労させられる
というのも、片側の列車が早めに着いてそれなりの停車時間をとってくれれば良いが、日本の鉄道というのは、なかなか正確に運行されていて、絶妙にほぼ同時に入線する駅も多い
いわゆる「バカ停車」で下手をすると20分以上停まる駅なら私も訪問駅として組み込んでしまうし、1日1・5往復の列車しか停まらない日豊本線の延岡~宗太郎については、本来は訪問として認定しないが、日向長井駅については、わずか3分の停車時間で跨線橋を昇り降りしてのダッシュ撮影を訪問として認定している(今はダイヤ変更でそれもかなわないようだが)
停車時間を利用した駅訪問は、ネットの力というのが多大な貢献をしていて、検索すれば1度も乗車したことのない路線の駅でも停車時間が分かる。冊子の時刻表しかなかった時代は、長時間の停車時間を見つけるのが大変で、普通しか停車しないような駅で長時間停車があるような場合は「○○駅と○○駅は、他の列車は駅間の時間が5分なのに、10分以上要している列車があるな」などと推理を働かせて行くしかなかった。ネットのおかげで難読駅がすぐ読めるようになったのと同じく、(ニーズがまるで違うが)駅訪問にもネットの力は大きい
話がそれてしまったが、この若狭本郷は上り下りの列車がほぼ同時にやって来て、同時に去っていく駅となっている。しかも列車は1日9往復で、19時台以降の列車3本をのぞくと(日が暮れてからの駅訪問は行わない)、事実上6往復しかなく前回は断念。今回はこの駅のダイヤを入念に調べてからの訪問となった
おおい町唯一の駅

電車を降りて出口へと向かうと大きな駅の雰囲気が伝わってくる
若狭本郷駅は1921年(大正10)の開業。小浜から若狭高浜までが開業した際に途中駅として設置された。当時は大飯町に所在。大飯町は平成の大合併で名田庄村と合併しておおい町となった。名田庄村は京都府と接する内陸部にあった自治体で、若い方は分からないかもしれないが、2年前に亡くなった歌手の高石ともやさんが暮らし、村名にちなんで「ザ・ナターシャ・セブン」というバンドを組んでいたことで、われわれの世代にはなじみのある村である。自治体合併があったとはいえ、今も昔も自治体唯一の駅で、かつては急行停車駅だった
そして駅舎はというと

お城のように立派なものだ
これは1990年(平成2)に大阪で開催された「国際花と緑の博覧会」(花博)の「風車の駅」を、博覧会終了後の1991年に移設したもの。「風車会館」となっていて観光案内所などが入る

昨年の3月まではみどりの窓口も設置されていたが、現在は簡易委託駅。改札業務も行う
駅舎は国道と逆側に
当駅は小浜線の駅では珍しく国道とは逆側に駅舎があるが、国道へは地下道を通って行けるので不便さはない
役場などの町の中心部は駅舎側だが、国道沿いにも街は広がり、

花博で使用された「ドリーム・エキスプレス義経号」のレプリカが置かれている。風雪の多い地域ではあるが、きれいに手入れされている

こちらは駅前の周辺案内図。北側あるのは大島半島。先の部分に大飯原発がある。周辺案内図では分かりにくいが、おおい町の中心部から大島半島に行くには海上の「青戸の大橋」を利用する。小浜線の車窓からも見える
今は車であっという間に到着してしまうが、大島半島との間には青戸の入江があり、漁港としては優れていたが、かつては人が行き来するには町営の渡し船を利用していた
青戸の大橋は1974年に原発建築のために造られたもので、それまでは道路で行こうとすると、半島の付け根である高浜町まで1度出てからのかなり遠回りとなる迂回を強いられていたが、いわゆる「陸の孤島」状態を脱することができた

町のシンボルとなっている駅舎も大阪からの移築には、地方自治体の予算ではできないものだが、こうした実情に触れると「原発のおかげだろう」という「どうせ」的なシニカルな意見には「ちょっと違う」と言いたくなってしまうのである
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