※訪問は2026年3月12日(ダイヤは3月14日の変更前のものです)
ポツンと街中に置かれる
バスは私を残して去っていった

内海駅前の停留所から堀切峠を経由したとはいえ、約10分で折生迫の停留所に到着
超難読で読みは「おりゅうざこ」。なぜここで降りたのかというと、当然ながら駅を求めてのこと。ただ同名の駅があるはずだが付近に駅の雰囲気はない。周辺はそれなりの街で、朝の街中にポツンと取り残された感じだ
地図アプリを片手にウロウロ
もちろん現代は便利な地図アプリというものがある。早速取り出して検索すると
駅までめちゃ遠い。ともに同じ「折生迫」を使用するのは間違っていると言いたくなる
しかも複数のルートがあることで想像できると思うが、道中は車のすれ違いもできないような細い道をクネクネと歩いた。過去何度か「○○口」や「○○前」というバス停から駅へかなりの道程を歩いたことがあり、そういう停留所名は要注意とも書いてきたが、距離は別として道路は簡単なものが多かった。今回だけは4カ月経った今、アプリなしでもう一度歩いてみろ、と言われてもおそらく無理で到達できない。ある意味、歴史的な10分近い徒歩となった

最初は海と川の交点から出発してからウロウロ
そんな思いでたどり着いた駅はというと

山肌に張り付くような単式ホームで駅舎などというものはない。駐輪場が別に設けられているのかどうか不明だが、無造作にスクーターが置かれているので、おそらくないのだろう。非電化単線ということで架線もない。案内らしきものもないので、地元の人でないと、ここに線路があってしかも駅があるとはなかなか気づかないだろう。ただし地元以外の人で当駅を利用するのは、おそらく私やその同業者ぐらいだろう
ちなみに読みの想像すらできない超難読の「折生迫」とは「山奥にある谷」という意味になるそうだ
山中の駅ができたワケ

ホーム幅もこれだけしかない折生迫駅。なぜバス停からこんなに遠いのか、なぜこれほどまでに狭いのかについては日南線の歴史について知る必要がある
前回までの記事で宮崎交通線の路盤を引き継ぐ形で敷設された日南線は青島以南でルートが大きく変わったと記してきたが、折生迫という駅は宮崎交通線時代にも存在した。ただし青島から南側は山中を貫くように最短距離で内海方面を目指した日南線は、かつての場所に折生迫駅は設置しなかった。宮崎交通線時代は私が降りたバス停近くの海に近い場所に折生迫駅があった。そしてさらに言うと、日南線が開業した1963年(昭和38)に折生迫駅はなかった
地図をもう一度見てもらうと分かるが、私が降りた折生迫のバス停から青島までは歩いても10分ちょっと。バス停から現在の折生迫駅まで歩いている間にほとんど青島まで行けてしまう。青島まで至近であることや線路が街の外れを通ることになったので、当時の国鉄も駅の設置を見送ったのだろう
それでも駅は設置された。理由は

ここに青島小学校と青島中学校があるからだ。小学校は隣接、中学校は案内にある通り、400メートルほど南側にあるが、特に中学校については統廃合の影響で列車通学が必要になった。そのために1966年(昭和41)に追加の形で駅が設けられた。狭い急ごしらえのような構造はそのためである

ホームには待合所があり時刻表と運賃表が貼られている

隣接の小学校では卒業式の練習をしていて、川嶋あいさんの「旅立ちの日に…」が何度も歌われていた。阪神淡路大震災から10年が経過したころから川嶋さんは、毎年神戸を訪れてはライブをしていた。その時に必ず歌われるのが、この曲で、私にとってもなじみの深い曲だ。それから20年経っても小学生が卒業式の定番として歌っている。神戸から遙かに離れた宮崎で、ちょっと感慨深いものがあった
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