※訪問は2026年9月11日
駅周辺の住居表示は「阿弥陀」
「駅の南側に出るのはどれだけ大変か?」を探るため、駅を起点に東へ西へと歩いてみて、かなり大変つまり面倒なことが分かりました。駅舎を橋上化させるのも納得です。というか国鉄時代からよくぞ、住民の皆さんもがまんしてきたと思う。詳細は不明ですが、ホームの三ノ宮寄りをオーバーパスしている道路を経由しての行き来の部分については、かつて踏切があったそうです

この向こう側でしょうか。これでも大回りには違いありませんが、階段の昇り降りは少なくともなかったはず。ただし、この踏切は国鉄時代に撤去されています
さて姫路側の踏切から駅へ戻る道中にある住居表示は

「阿弥陀」。駅の歴史にとって、これはとても重要なんです
もともとは阿弥陀駅
周辺を歩くまでもなく

駅舎の柱の住居表示も阿弥陀。実は当駅は1888年(明治21)に「阿弥陀駅」として開業しました。なぜなら当時、駅は阿弥陀村に所在していたから。阿弥陀村は1956年(昭和31)に高砂市となっています
阿弥陀とはいかにも由緒ありそうな地名ですが、まさにその通りで、鎌倉時代に時光上人が海中から阿弥陀如来像を引き揚げ、この阿弥陀様をまつるための寺院を建てました。これが時光寺で、曽根駅から徒歩10分ほどのところにあります。そしてお寺の周辺の地名(住居表示)は今も時光寺町。阿弥陀村もそれに由来します
では、なぜ曽根駅になったのかというと、話はややこしくなりそうですが、隣接する村(町)が曽根村だったから。もちろん曽根村には山陽本線は走っていませんが、なぜその村名が駅名になったのかというと、駅から2キロ近くにあった曽根天満宮の名を何とか駅名に入れられないかという気運が地元で盛り上がったからです。隣駅の宝殿駅はこちらも駅から2キロほど離れたところにあった生石神社の石の宝殿にちなんだ駅名となっているため、こちらも曽根天満宮にあやかろうというわけです。そして駅名は1902年に現在の駅名に。阿弥陀駅としての時代はわずか14年でした
この話には続きがあって、大正期に入ると現在の山陽電車が神戸と姫路を結ぶこととなり、曽根天満宮の至近に駅が設置されました。これが現在の山陽曽根駅

駅を降りるとすぐ曽根天満宮です

ただし先に国鉄の曽根駅があったため、駅名は「曽根町駅」。曽根村はすでに曽根町となっていました。その後、電鉄曽根を経て現在の駅名に。こう話してくると、両駅は結構近いのでは、と思われてしまいそうですが
両駅は簡単に歩ける距離ではありません。というか、同じ駅名がこんなにも離れているのは混乱のもとだし、そもそも天満宮を意識するなら、どうして駅舎をわざわざ北側に造ったのかという話にもなります
駅の知名度アップに貢献
そんな曽根駅ですが、駅の知名度をグンと上げている存在があります

白陵中学、高校です
秀才の集う学校として知られ、駅からは徒歩で20分ほどかかりますが最寄り駅。駅前にはロータリーもなく、コンビニが1軒と病院、ラーメン店があるぐらいの小さな駅ながらも登下校の時間帯は大いににぎわいます

すでに使用されていませんが、大勢の生徒をさばくため朝には臨時改札口が設けられていました。知名度の高い学校のため、駅とセットで取り上げられることも多く、駅の北側に駅舎があることで利便性が増しています
ええ写真撮ってあげてや

駅の構造は2面2線。かつては2面3線構造でしたが、1面のレールがはがされています。これが南側に出入口を設ける際のマイナス点にもなっていて、はがされるレールが真ん中の線路ではなく、外側の線路だったら、もうひとつの出入口を設置するのも容易だったかもしれません

現在、昼間に当駅にやって来る電車は30分に1本。新快速は15分間隔で姫路まで運行されていますが、加古川以西については30分に1本に減便されました。ですから上下それぞれ30分おきに駅には利用者が集まってきます。1日の利用者数は7000人ほど

19日に駅舎とのお別れセレモニーが行われます。まさかこの車両が来ることはないでしょうが、国鉄時代に当駅にやって来る列車といえば、この湘南色だったことは間違いありません
駅前で写真を撮っていると、地元の年配の方から「ええ写真撮ってあげてや」と声をかけられました。しばらく駅前にいると、日々当駅を利用している方も最後の日だと認識しているようで、かなりの方が写真を撮っていました。最後の日に間に合って良かったです
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