上ノ庄駅

永遠の未成線・名松線を全駅訪問~徒歩で迷い大ピンチ

権現前駅の駅名標

2023年3月15日

伊勢八知9時49分→上ノ庄10時54分

伊勢八知から一気に松阪のひとつ手前となる上ノ庄まで戻ります。途中、例によって家城で長めの停車があるため、約30キロを1時間近い乗車

すっかり平野部。その中にホームと待合所のみの駅がポツンとある。松阪から家城までの各駅はほとんど、そんな感じです

こうして改めて地図を見ると、松阪からしばらくは近鉄とほぼ並行して線路が走っていることが分かります。徒歩3分ほどの一志と川合高岡の乗り換え以外は、すぐに徒歩で行ける距離ではありませんが、それでも近鉄とJRの各駅はいずれも徒歩30分ほどで行き来できる距離感です。もっとも利用人員も列車本数も競合というレベルには達しておらず、野球だと「コールドゲーム」のような状態

上ノ庄駅の駅名標

ホームと逆側を県道が走っています。駅には県道から踏切を渡った小径から入る。名松線で唯一の「戦後生まれ」の駅で1960年開業。つまり最も新しい駅で、今後もずっと、その立場は変わらないはず

この駅のポイントは県道を渡った至近にコンビニのミニストップがあること。松阪から1駅というのが、どうかという感じですが、ホームから見えるのは当駅だけ(伊勢八知駅のコンビニは車窓から分かる)

飛び出し注意でコンビニに向かう。松阪から1駅といっても、私は7時から活動開始しているので11時前と良い時間。ありがたい存在でした

伊勢八知11時→徒歩→権現前11時35分

ということで、お隣の権現前駅までは再び徒歩(泣)。この後もまた徒歩が出ますが、こればっかりはどうしようもありません。松阪~家城間は名松線の駅と駅を結ぶバスというのが、ほとんどなく、ここは徒歩しかないのです

ということで県道をトボトボ歩きます。最初の比津駅付近とは異なり、こちらは交通量は多い。そしてほぼ平坦道路。名松線というと秘境の山中を走る路線というイメージの方が多いのですが、それは家城~伊勢奥津間のこと。松阪から家城までは住宅街と農地が続く平野部を走ります

上ノ庄と権現前は列車で2・8キロ。そして道路も2・8キロ。ほぼ並行しているので同距離となります。次の権現前発伊勢奥津行きは11時43分。おそらくいい感じで間に合うはず。ただ上ノ庄と同じく駅の入口は県道には面していないため、どこかで線路を渡る必要があります

それでもこのあたりはずっと住宅地が続いている場所。どこかの踏切を適当に渡れば駅に連れていってくれるだろうと携帯アプリにも頼らず進んでいくと、早めに渡りすぎたようで線路沿いの道が消えて焦る

途中、古典的な広告看板を見たり

寺社の参拝道のような所を通りますが、見とれている暇はない

何とか駅の入口に到達したのは自分の予測時間をはるかにオーバーしてからでした。ここで逃すと2時間待ちになってしまうので冷や汗でした

歴史を感じるそそる駅名

権現前駅も単式ホームと待合所のみの駅ですが、上ノ庄駅とは少し趣を異にしていて、1929年に松阪から線路が伸びてきた時、半年ほどは終着駅だったこと。そのためかつてはすれ違い可能だった面影が残ります

ホームの裏側には広い空き地。柵で入れませんが貨物を取り扱っていた跡のようにも思えます。ローマ字表記は「gongemmae」なんですね

「権現前」という、妙にそそる駅名は近くにある須加神社に基づくもの。駅の住所は松阪市嬉野権現前町。2005年まであった旧嬉野町の町役場も神社近くですが、町の中心駅というと少し離れてはいますが、近鉄特急も停車する伊勢中川になるようです

とにかく間に合ったので、再び伊勢中川方面へと向かいます

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~昭和、平成と廃線危機乗り越え

伊勢八知駅の駅名標

2023年3月15日

比津9時→徒歩→伊勢八知9時35分

朝の気温は10度ぐらいで晴天、無風と徒歩には絶好の天候となったことが、この日最大の幸運でした

私の見立てでは下り坂を40分もかからず伊勢八知駅に到達できて9時49分発の松阪行きに乗り込めるはずですが、ちょっと道に迷うと大変なので急ぎ足

鳥のさえずりが聞こえます。そしてもっと暖かくなると、いろいろな動物に会えるのでしょうが(会いたい会いたくないは別として)、頭上でガサゴソと音がするので身構えたら親子と思われるシカが山の崖に沿って歩いている。器用に歩くなぁ、と感心しながら歩を進めていきます

それでも30分近く歩くと人里に突入。ゴールは近いようです。ホッとする瞬間です

グーグル地図で徒歩を選ぶと国道を迂回する3時間超コースが出てくるので車コースで表示します。おそらくそう広い道路ではないので歩くと危険という判断なのかもしれませんが、平日の朝9時という活動的な時間にもかかわらず、車にはほとんど出会いませんでした

赤字83線と特定地方交通線で唯一の存在

国鉄全盛期と言われた昭和む30年代から10年近くが経ち、国鉄は赤字のローカル線の廃止を検討し始めます。全国に鉄道網を広げることで拡大されていった国鉄において「廃線」という言葉は、ある意味タブーでしたが、極端に赤字となっている盲腸線が対象となった「赤字83線」が発表されたのは1968年(昭43)。その中に名松線も含まれていました。理由は「使命を終えた」。先に近鉄が名張を経て大阪までの路線を開設したので、もう要らないということです

この83線は一気に廃線となったわけではなく、地元からの反対もあって廃線となったのは10路線ほど。ほとんどが10キロほどのミニ路線でした。83線の中には今もJRとして存続している路線がいくつもあります

そもそもこの83線指定には矛盾も含まれていて、赤字83線を発表する一方で、開業してもおそらく赤字だろう、という路線の工事が進められていたことも事実

その後、国鉄は巨額の赤字が社会問題化して、さらに強烈な「特定地方交通線」を指定します。1980年(昭55)の国鉄再建法が成立したことによるもので、ここから国鉄民営化の前後までに全国で多くの国鉄線が廃線または三セク転換となりました

83線では廃線を免れた名松線ですが、特定地方交通線の対象にもなりました。しかし「沿線の道路整備が不十分」ということで対象から外れました。このころテレビのニュースでは何かと名松線が取り上げられていました。赤字83線と特定地方交通線の両方で指名を受けながら、現在もJR路線として存続しているのは名松線のみ

そして2009年の台風被害。家城~伊勢奥津間が6年以上も運休することになりましたが、こちらは地元の努力で2016年に復旧。現在に至ります

もっとも私が快適に歩いてきたように現在は道路ができています

旧美杉村の中心駅

大きな集落に出ると、コンビニもあって、すぐ伊勢八知駅

大変立派な駅舎は1988年(昭63)に改築されたもの。左側が研修施設で右側が駅。現在は津市ですが、当時は美杉村の中心駅。美杉村の特産品である美杉杉で造られています。近くには旧村役場(現在は津市美杉庁舎)

こちらが研修施設の玄関

美杉村の機能がほぼ、駅付近に集約されています

駅舎の入口には、これもまた美杉杉の立派な駅名板

簡易委託駅で、窓口では主に近距離のきっぷを販売しているようです。名松線の各駅できっぷ販売をしているのは松阪を除くと家城、伊勢八知のみで貴重な存在

私を終日悩ませる2時間おきのダイヤ

ホームは1面1線。右側の部分にもうひとつホームがあって交換可能駅だった跡が残っています。左側には貨物ヤードの跡地もあります。かつては木材運搬でもにぎわっていたのでしょう

駅で困ったのは自販機がないこと。30分以上歩き、駅にはお手洗いもあることから、安心して缶コーヒーでも、と思ったのですが見当たらず。コンビニの前を通り過ぎてきたのですが、戻る時間はない。そんな人がいるかどうか分かりませんが、比津から歩いてくる場合はコンビニでの買い物を強く推奨します

松阪行きがやってきました。私の他に利用者は一人。乗り込んで次の駅を目指します

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