西灘駅

今もくっきり残る阪神電車の廃線跡をたどる その2~グラウンドと横長の公園

※訪問は2024年4月15日

公園の姿で一目瞭然

阪神電鉄は本線と阪神なんば線、武庫川線の3線からなり、すべて合わせても50キロに満たず、いわゆる大手私鉄では長らく最も短い営業キロだった(1990年に相模鉄道が大手私鉄となり、わずかに阪神が上回る)。そのため廃線区間も少ない。路面電車を除くと完全に廃線となったのは武庫川線の武庫川駅(西宮市)以北と出屋敷駅(尼崎市)から出ていた海岸線の2路線ぐらいだが、ともにわずかな距離しかない。今回歩いたのは付け替えルートで廃止になった駅があるわけではなく(初代の新在家駅は廃駅となっているが、それは昭和初期の話)、厳密には廃線ではないが、それでも貴重な遺構といえる

前回記事で最後に掲載した西灘駅東側の、かつての線路コースを歩くとすぐにグラウンドに出る。これは西灘公園の一部のようだが、この先の地図を示すと

まさに一目瞭然。スタート地点が、かつて地上を走っていた分岐点で、グラウンドだけでは分からないが、その後の西灘公園の横に長い形は、くっきりとかつて線路が走っていたことを示している。それにしてもグーグル地図での表示がわずか7分。駅間は短い

グラウンドを抜け(正確にはグラウンドを突っ切るのではなくグラウンド北側の小径を歩いた)、道路を挟んだ西灘公園の入口に到達。いかにも「廃線跡でございます」の風情。振り返ると

グラウンドはこのような感じで見える。道路を挟んだ両側の階段はちょうど向かい合わせだ

震災の慰霊碑

公園内を進む。もう1週間早く訪れれば写真的には桜で彩られていたかもしれない

やがて

公園の小径は広くなる。この幅は、駅があったためだと想像できる。かつての大石駅跡地だろう。この付近も1995年の阪神淡路大震災で甚大な被害があった場所で

亡くなられた方の慰霊碑がある。震災から来年で30年。つまり震災後に生まれた方も30歳になる。神戸市内の公園には所々で震災に関連した碑を見かけるが、歳月を感じてしまう

公園を出ると都賀川に到達して広い道路に出る。道路の北側には現在の大石駅。1905年(明治38)と120歳になろうとしている駅だが、現在の高架ホームは川の上にある。各地の川の上にある駅が珍しいとされるが、阪神だと有名な武庫川駅以外にも芦屋駅、香櫨園駅が川の上にホームがある。10代のころから、ずっとそんな景色を見ていたので珍しいという感覚がない

この後、都賀川を渡って新在地駅へと向かう

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今もくっきり残る阪神電車の廃線跡をたどる その1~西灘からスタート

阪神の西灘駅の駅名板

※訪問は2024年4月15日

かつての路面電車乗り継ぎ駅

こちらは国道2号の西灘交差点。奥が芦屋方面で手前にある阪神の西灘駅を超えると国道43号との合流点と阪神高速の摩耶ランプがある。合流点は43号の終点でもある岩屋交差点だが、三宮方面から車で来ると、道なりで進むと43号に入ってしまう形となっている。これが今回の散策のポイントにもなっているのだが、それに関しては後述する

阪神の西灘駅。この日はJRでやって来て摩耶駅から歩いた。その間はビッシリ住宅街で初めて降りるとさっぱり分からないかもしれないが、摩耶と西灘、この両駅は極めて近く徒歩5分ほど。西灘駅の誕生は1927年(昭和2)で摩耶駅は2016年(平28)と、ついこの間だが、大阪へは摩耶駅の方が利便性が高く、利用客を奪う形となっている

摩耶駅の誕生もあって西灘駅は神戸市内の阪神の駅では利用者は住吉に次いで2番目に少なく1日の利用者は3000人にも満たないが、かつては1枚目の写真の国道を阪神国道線という阪神電鉄の路面電車が走っていて、私が小学生の頃は西灘が終着駅で、乗り換え駅だった(当駅付近は1974年に廃線)。もうひとつ西灘駅について説明すると、阪急にも西灘駅があって現在の駅名は王子公園。私の高校時代は西灘駅だった。ただし阪急の西灘駅に対応する阪神の駅は岩屋駅で、このあたりはちょっとややこしい

今回は、ここから阪神電車の廃線跡をたどりことにする。三宮からわずか3キロ。都心部の廃線は、そう例は多くないが、正確に言うと線路の付け替えである。阪神の神戸三宮駅は地下で2駅目の岩屋が堀削駅となっていて、続く西灘駅までの間に地上に姿を現し、ここ西灘から高架となる

しかし以前は国道2号を高架でまたいだ後は地上を走っていた。1967年に西灘~石屋川が高架化された。4歳のころだから、私には記憶がない。半世紀以上も前のことなので、おそらく人々の記憶からもほとんど消えているだろう。都会の廃線というのはあっという間に住居や施設に変わってしまうので痕跡を探すのも容易でなくなるのだが、実は石屋川までの3区間は、しっかり廃線跡が残されているのだ。今回はそこを散策する

徒歩の前に腹ごしらえ

3区間といっても阪神の駅間距離は短く、この付近は線路で1キロにも満たない駅間が並んでいて、西灘から石屋川まで線路だと2・5キロ。線路を歩くわけにはいかないので若干遠回りになるが、それでも大した距離ではない

今回の徒歩コースはおおよそこんな感じとなる。阪神の線路は現在の高架線から南側を走っていた。特に新在家駅は現在の国道43号に食い込んだような場所に駅があり、駅の跡地は道路の拡幅に利用された。散策のポイントとなると記したのは、このためである

西灘駅のすぐ東側にはこのようなスペースがある

奥に見えるのが西灘駅。どう見ても、ここから線路が地上に降りていた跡

その延長上に民家が並んでいて分かりやすい

ここから廃線跡巡りとなるわけだが、時間はちょうどお昼どき。付近は住宅街だが、廃線跡を回るのなら、ぜひ来てください、と言わんばかりの位置にスシローがある

腹ごしらえをして改めてスタートである

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