竹岡駅前からの景観

※訪問は2022年12月17日

折り返しの多い上総湊から1駅先

竹岡駅に到着。ニャンコの出迎えを受けた上総湊から1駅館山方面へと向かった場所にある。ということは本数もかなり減る。当駅から先の駅すべてに言えることだが、利用者の多い朝の上り(木更津方面)も6時台が3本、7時台が2本あって、後はずっと1時間に1本の運行。下り(館山方面)については朝からずっと1時間に1本で、夜の20時台以降、2本となる時間帯が21時台、23時台にある

その竹岡駅はかなり高台にあり、跨線橋からの眺めが美しい。東京湾を挟んで三浦半島が望める。冬の今にも雨が降りそうな曇りの日だったが、天候に恵まれれば、素晴らしい眺望が見られたのだろう

旧竹岡村に基づく

駅名は明治から1955年(昭和30)年まであった竹岡村に由来する。上総湊駅の項と同じ話になるが、上総湊の湊町、浜金谷の金谷村が合併した天羽町が誕生した際、村としては消滅。1971年に富津町そして富津市の誕生となって今に至る

駅の開設は1926年(大正15)。内房線が上総湊から浜金谷まで延伸されたのが1916年なので、10年が経ってからの設置となった。微妙に遅いが、これは駅の位置に関係がある

旧竹岡村役場は現在、富津市の竹岡地区コミュニティセンターとなっていて、そのあたりが竹岡村の中心部で、江戸時代末期に外国船の監視、攻撃を目的に設けられた竹ケ岡陣屋もその付近にある。駅から中心部までは徒歩30分とかなり遠い。駅が設置されなかった理由もおそらくそれで、当初は手を挙げて列車を止めてもらう仮乗降場扱い。正式な駅に昇格したのは4年後だった

旧竹岡村の中心部は線路も通っているが、上総湊との距離が近すぎることが考慮されたものと思われる。駅の位置は上総湊まで5・1キロ、浜金谷まで3・8キロと中間点を意識した場所にある。また上総湊より南側の当駅付近は高い場所を走っていることもあって強風の影響を受けやすい。今でも運行に影響するのだから、SLが走っていた当時はもっと影響が大きかったはずで、列車を止める場所として選ばれた側面もあった。つまり言い方は悪いが、竹岡村の中に設置したから竹岡駅と名付けられたのだろう

多くのロケが行われる

そんな竹岡駅は簡易的な駅舎となっている。旧駅舎が解体されて現在の姿になったのは2007年なので、かなりの歳月が経過したが、利用者は多くはないものの、高台にあって眺望が良いことから、簡易的な駅舎となった後も多くのロケ地となっている

アクアラインのもたらしたもののひとつとして、出演者やスタッフが大量に移動できるようになったため、ドラマや映画、ミュージックビデオなど房総半島で多くのロケが行われるようになったことだ。駅前の広場から海を目指して下っていく坂道は確かにいろいろな場面に使用されそうである

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