敦賀駅

小浜線の全24駅訪問を終えて 前編~電化わずか20年ながら先行きは不透明

※最終訪問は2025年8月9日

輸送密度2000人以下の区間のひとつ

昨年の3月、6月、8月と3度の訪問で敦賀、東舞鶴の起終点を含む小浜線の全24駅訪問を終えた。それから半年以上が経過しているが、現状や感じたことを記していきたい

2022年にJR西日本は管内の輸送密度2000人以下の区間について発表。2019年のコロナ禍以前のデータだ。輸送密度とは区間における1キロあたりの利用状況を示す数字で、国鉄時代は4000人をバス転換(つまり廃線)の基準にしていたが、全国に自動車専用道が張り巡らされている現在、JR各社は2000人という数字を基準にしているようだ(JR東海は非公表)

JR西日本では中国山地や日本海側を走る多くの路線が2000人未満となっている。ただ輸送密度という概念は発表する側が恣意的に区間を切って数字を出すことが可能で、そのあたりは対象線区とその前後も慎重に見る必要があるが、小浜線については84キロの全線を対象にした数字となっていて991人。1987年のJR民営化時の数字も発表されていて2712人。つまり当時の37%しか旅客がいないことになる

これには複数の理由があるが、大きいのは舞鶴若狭自動車道だろう。1987年の時点では予定線だったものが、どんどん工事が進んで2014年に全通

小浜線だと2時間近くかかる行程が自動車だと70分となった。ローカル線と並行する自動車専用道の競合は中国自動車道や山陽自動車道など各地で見られる要因のひとつとなっているが、小浜線と舞鶴若狭自動車道は、ほとんどの区間を寄り添うようにピッタリ走り、小浜線がカーブを描いて海から山中そしてまた海へと戻る区間も道路はほぼ真っ直ぐに貫いているので、それは早いはずである。また小浜線の最高速度は85キロでJR西日本ならではの徐行区間もある

営業係数は678

100円稼ぐのにいくらかかったかという営業係数は678。つまり100円を得るために678円が必要だったということで、この数字をどう評価するかだが、関西本線の非電化区間である加茂~亀山が全長61キロで、輸送密度が1090人、営業係数が685なので、同じような数字だといえる。ただ輸送密度2000人以下の路線で電化されているのは小浜線のほかには加古川線の西脇市~谷川、紀勢本線の白浜~新宮そして小野田線ということを考えると、2000年代に入ってわざわざ電化した小浜線(2003年)と加古川線(2004年)がここに入っているのは、ある意味目を引く数字となっている。言い換えれば「利用者は多くないのに電化された路線」である

小浜線と加古川線に共通するのは125系電車で運行されていること。電化について地元の出資があったということで投入された車両で、この2路線でしか走っていないのも特徴

基本的に最低編成数が2両となっていた電車で単行運転を可能にした新型車両だが、小浜線では現実的に2両編成のみが走る。加古川線の西脇市~谷川は17キロで輸送密度321人、営業係数1567人とさらに悪い数字となっている。数字だけを見ると両線の将来は不透明だということになる

加古川線の電化理由は阪神淡路大震災の教訓から得た迂回路造りだった。一方の小浜線は地元の出資の多くは電力会社である

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125系の旅再開6月の小浜線を行く~早朝から幻の列車の表示を眺めて活動開始

※訪問は2025年6月24日

これがウワサの爆走快速か

一夜明けて6時前の敦賀駅。夜はかなりの雨が降っていた。天気予報は決して良くないが、なんとか踏みとどまってくれることを祈ろう

敦賀駅の改札口。まず目を引くのが「臨時」とだけ記された米原行き。これは今や伝説となった米原~敦賀を1日1往復設定されたノンストップ快速である。朝は6時31分に敦賀を出て、途中長浜も通過してノンストップで7時8分に米原に到着。夜は22時48分に米原を出て23時20分に敦賀着。運行時刻で分かるように地元の人でないと敦賀に宿泊しないと乗ることができない

2024年3月に敦賀延伸を果たした北陸新幹線との接続が図れないため消滅した特急が、東海道新幹線との接続を行っていたために、その代替として運行されるようになった、臨時の肩書きが付きながら毎日運行されていた快速。しかし表示には快速の文字はなく、臨時の文字があるだけ。間違って乗車して「お~い、どこにも停まらないぞ」という苦情が出たかどうかは分からない(アナウンスはしつこくされるだろうが)が、この無機質な表示にはちょっと感動した

時間に余裕があるのなら乗ってみたいが、あいにく今日1日で小浜線の残り駅をすべて回収するという任務があるので、さすがにパス。と考えていたら、今春のダイヤ変更で消滅してしまった。その意味でわずか2年で廃止となった、なかなか現代では見かけることのない幻の快速だが、あくまで臨時としてきたのは利用が少なければ廃止するという実験的だったものかもしれない

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始発の125系はガランと

それにしてもこの発車案内、新幹線が偉い扱いを受けているのはよく分かる。今や米原~敦賀が残るのみとなった北陸本線も湖西線に分岐する列車も含め別枠。ここまでは理解できるが、ハピラインふくいと小浜線は別会社であるにもかかわらず、同じ枠に押し込められている。思わず小浜線を探してしまった。このあたり、うがった見方をすると、いつ小浜線がなくなってもいいように備えているのでは、と思ってしまう

ただその一方で、小浜線のホームに向かおうとすると路線の歴史が分かりやすくひとつのパネルに収められている。どのタイミングで100周年が来たのかも一目瞭然

そしてホームには東舞鶴行きの125系がスタンバイ。というか今、着いたばかりで早朝からの部活動があるのか、高校生が降りてきた

さすがに6時過ぎの時点では、まだ沿線にある学校に通う高校生の姿は少なく車内はガランとしているが、せっかく前乗りした小浜線は朝に頑張らないと、わざわざホテル代を払った意味がなくなってしまう。これでも私の計画によると最後の駅にたどり着くのは、1年で最も日が長いこの時期でも日没寸前になる。とにかく頑張って出発である

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~まずは2時間近い乗車

※訪問は2025年3月26日

125系で出発

東舞鶴行きに乗車して出発である。小浜線で使用される車両は125系のみ。電車車両の125系は小浜線と加古川線のみしか運用に入っていない。後に詳しく触れたいが、2003年デビューと新しい車両でありながら、寂しさも漂う車両である

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メインディッシュを先にいただく理由

目指すは松尾寺駅である

どこにあるかというと

敦賀からはるか彼方78キロも先。東海道本線の大阪から姫路までが87キロなので、姫路市内に入るぐらいの距離を進むことになる。もちろん新快速はおろか快速もないのでトコトコ進むのみ。1時間50分もかかる。さらに言うと松尾寺駅は終点の東舞鶴のひとつ手前。小浜線は敦賀と東舞鶴をのぞくと全22駅。つまり21番目の駅となる。途中の駅がいくらでもあるだろうと思われるかもしれない。私もそうしたい。だが、そうはさせてくれない理由がある

こちらが敦賀駅の時刻表。私が乗車するのは7時49分の東舞鶴行き。その後の列車はというと、9時50分の小浜行きがあるように見えるが、そこには「土休日運転」と注釈がある。つまりこの後は3時間半ほど運行がないのだ。朝の通勤通学時間帯を過ぎると、お昼に1本運転があって、またしばらくお休み。逆方向も同様の運行体系なので、途中駅で降りてしまうと3時間ぼんやりすることになる。もうひとつ言うと、松尾寺駅は小浜線のメインディッシュ。この駅では多めに時間を確保しようと思っていた。それらの条件を合わせていくと、最初の選択は松尾寺駅の一択となってしまうのだ

若狭湾の絶景を見ながら電車は進んでいく。小浜線に乗車するのは2016年10月以来9年ぶり。その時は京都から山陰本線に乗り、福知山から東舞鶴を経て小浜で遅い昼食をとって帰宅した。前日や翌日の活動記録がないので、どのようなきっぷを利用をしたのか全く記憶にない。ひとつ言えるのは下車したのは小浜のみだったということだ

荒涼とした敷地とスノーシェッド

1時間50分かけて松尾寺駅に到着。見れば分かるが、かつてはすれ違い可能な構造だった

荒涼とした空き地と線路跡が残る

そして今は使用されていないスノーシェッドも。駅名から風光明媚なものを感じるが、かつては軍事路線その後は貨物の重要駅だった歴史を有する

6番線まであった構内

松尾寺駅は1922年(大正11)の開業。若狭高浜~新舞鶴(現東舞鶴)が開通して小浜線が全線開業した際に設置された。駅名は同名のお寺から

戦時中の1943年(昭和18)に転機が訪れる。当駅から海にかけて線路が敷設された。路線名は「第三海軍火薬廠鉄道側線」。随分おどろおどろしい名前だが、火薬工場への線路である。終戦を迎えると工場は連合軍に接収されたが、やがて舞鶴市へ返還。そこに日本板硝子舞鶴工場ができ、火薬を運んでいた線路は、そのまま工場と小浜線を結ぶ専用線となった。当駅は貨物駅として栄えた

こちらは駅舎内に張られていた当時の構内図。工場図に昭和61年11月1日現在とある。松尾寺駅の貨物線が旅客用の1、2番線とは別に3~6番線まであったことが分かる。昭和61年11月といえばJR移管の半年前。この貨物輸送はJRになっても続けられ全盛期は国鉄時代は福知山鉄道管理局で最大の貨物量だったという。1990年代に入って鉄道による貨物輸送は終わり、トラック輸送へと転換。工場は今も現役だ

ホーム近辺の探索は終わり、ようやく駅舎の外に出てみる

なんとも美しい木造駅舎がそこにあった

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線の小浜線を行く~青春18きっぷの出番

※訪問は2025年3月25日

名古屋折り返しの長浜泊

今回の旅のお供は青春18きっぷ。利用方法が変わって3日間の予定を立てた上で行動しなければならないが、最初は新快速に乗車して

米原ダッシュにチャレンジ。幸いにも車内は余裕があり、無事に着席。名古屋での用事を済ませ

再び米原へと向かう。写真を見て気づいたのだが、3月終わりの名古屋の18時はこんなに明るい

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敦賀まで行ければ良かったが

米原到着は19時10分。夕方以降の時間帯は大垣乗り換えのない米原直通があるので楽である。対面乗り換えで大阪方面への新快速に乗車するお客さんが多い中、私は北陸本線に乗り換え長浜で下車

というか長浜止まりである。12両でやって来た新快速はここ米原で8両を切り離し、4両編成の「新快速という名の各駅停車」となって敦賀方面へと向かう。その逆は数え切れないほど乗車したが、編成が一気に減る方面へは乗車回数が少ない。夜という時間もあって、ちょっと寂しい

今回の旅の目的は小浜線だ。敦賀と東舞鶴を若狭湾に沿って走る84キロの路線

もちろん乗車したことはあるが、小浜駅以外の駅で降りたことはほとんどない。途中駅の22駅を訪問する。前日入りなら、敦賀で宿泊するのが利便性に富むのは言うまでもないが、このころの敦賀駅近辺のホテルはおそろしく高かった。新幹線の敦賀延伸に合わせてチェーン店ホテルが進出しているが、まだ供給が追いつかないようだ。敦賀は仕事で随分訪れた場所で(といっても20年以上前だが)、当時のイメージは敦賀のホテル=安いだったが、今や全く事情が異なるようだ

ただ長浜に宿泊したことで、私的に前身したことがあった。全国47都道府県で宿泊したことのないのは山梨と滋賀の2県だったが、これで王手となった。近畿2府4県の宿泊は、ほとんどが日帰り圏のため、以外とハードルが高い。兵庫、京都は日本海側に泊まり、奈良は十津川温泉に泊まった。大阪は四国勤務時代は出張の地だった。新快速という便利な乗り物で直結している滋賀県は、なかなか宿泊の機会が生まれなかった

遅い出発になってしまったが

翌朝は長浜駅からスタート。有名な豊臣秀吉と石田三成の出会いの銅像を見て

7時2分の敦賀行きに乗車。鉄オタにしては随分遅い出発と思われるかもしれないが、敦賀で小浜線に乗り継ぐことを前提にすると、これが始発になってしまうのだ。5時50分、6時20分とこれより早い列車が2本あるが、結局は7時2分に収束してしまう

敦賀着は7時41分。この列車は小浜線との接続を考慮したもので、7時49分の東舞鶴行きに連絡している。小浜線の専用ホームにはすでに電車が待機している。ちょっと遅い時間となったが、小浜線の各駅訪問スタートである

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