青春18きっぷ

小浜線の全24駅訪問を終えて 後編~沿線の高校生と北陸新幹線

※最終訪問は2025年8月9日

電化の経緯

小浜線の電化にあたってJR西日本は全く費用負担をしていない。約100億円以上の電化費用は福井県、京都府や沿線の各自治体が半分、原発を持つ電力会社が残る半分を負担している。沿線の自治体も原発設置によるお金が入っていたので負担費用を捻出できたともいえる。また電化のさまたげとなる長大トンネルがほとんどないことも電化を容易にした

目的は電化によるすビードアップも含めた地域の活性化や需要の掘り起こしが挙げられる。また電化という手段は、一定の運行本数があれば維持費の削減にもつながる。さらに後に触れるが、将来的に北陸新幹線が小浜に乗り入れれば大きなインフラになるとの期待もあった

こちらは小浜駅の時刻表だが「一定の本数」という観点では微妙な運行本数で、スピードアップという点では、古い路線で路盤が悪いことから最高時速は85キロに抑えられ、JR西日本ならではの25キロ制限の場所もあるなど、敦賀~東舞鶴の所要時間は数分の短縮にとどまり、短縮電車性能をフルに生かしているとはいえない状況となっている

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沿線の学校の多さ

そのような事情からJR西日本は「持続についての地域との話し合い」をチラつかせているが、6月に乗車した時にバス転換は無理だと感じた。小浜線に乗車していると分かるが、旅客の大多数は沿線の高校生である。沿線には複数の高校があって、高校生でにぎわっていることを該当する駅の紹介でも織り込んできた。3月の春休み期間に訪れた時も多かったが、6月は全くの平日で朝夕のにぎわいは凄かった

こちらは6月の気山駅(美方高校最寄り)そして

3月の東小浜駅(若狭東高校最寄り)。これでも控えめに撮った方で、実際はもっと多い。当然だが沿線の学校だけでなく敦賀の高校に通う生徒も多いわけで、登下校特に登校の時間帯は凄い数になる

4年前に岩徳線の各駅訪問を行った時も

朝の登校時間の車内はすさまじく、周防花岡駅では当駅最寄りの学校に行く生徒と当駅から徳山の学校に向かう生徒でホームはごった返し、しばらく列車が発車できない状況となっていた

全国各地で見られる光景だが、朝にこれらり生徒をバスで運ぶためには一体何台のバスが必要なのか分からないぐらいの数である

北陸新幹線という新規参入

地域の大きな鉄道の話題は北陸新幹線の延伸問題だ。小浜線が電化される際には敦賀から新大阪までどうやって新幹線がたどり着くのか全く決まっていない。小浜線の一連の記事で東小浜駅を紹介した昨年12月に「自民党が大幅に議席を失ったおかげで、1度決まった北陸新幹線の小浜ルートが元の8ルート選択に戻ってしまった」と書いたが

先日の選挙で自民党が圧勝したことで再び小浜ルートに戻りそうな雰囲気にもなったが、地下を走ることが多く多額の費用がかかることと、水源問題もあって一番負担を強いられそうな京都府は簡単にウンと言いそうもない。そもそも京都駅をどこにするのかも確定していない状況で、この区間に新幹線を走らせることが京都府にどれだけのメリットがあるかも微妙である

そして小浜線はというと、整備新幹線のルールら照らし合わせると並行在来線となってしまう可能性もある。並行部分は敦賀~小浜となるが、この区間のみまたは全線三セク化というのは、地元にとっても飲める話ではないだろう

いろいろな事情が絡み合う北陸新幹線の延伸問題。ひとつ言えることは私が元気に新幹線に乗れる時期までには開業しそうにないということ。土俵で関係者がにらみ合ったまま、小浜線は現在の姿でしばらくいそうである

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小浜線の全24駅訪問を終えて 前編~電化わずか20年ながら先行きは不透明

※最終訪問は2025年8月9日

輸送密度2000人以下の区間のひとつ

昨年の3月、6月、8月と3度の訪問で敦賀、東舞鶴の起終点を含む小浜線の全24駅訪問を終えた。それから半年以上が経過しているが、現状や感じたことを記していきたい

2022年にJR西日本は管内の輸送密度2000人以下の区間について発表。2019年のコロナ禍以前のデータだ。輸送密度とは区間における1キロあたりの利用状況を示す数字で、国鉄時代は4000人をバス転換(つまり廃線)の基準にしていたが、全国に自動車専用道が張り巡らされている現在、JR各社は2000人という数字を基準にしているようだ(JR東海は非公表)

JR西日本では中国山地や日本海側を走る多くの路線が2000人未満となっている。ただ輸送密度という概念は発表する側が恣意的に区間を切って数字を出すことが可能で、そのあたりは対象線区とその前後も慎重に見る必要があるが、小浜線については84キロの全線を対象にした数字となっていて991人。1987年のJR民営化時の数字も発表されていて2712人。つまり当時の37%しか旅客がいないことになる

これには複数の理由があるが、大きいのは舞鶴若狭自動車道だろう。1987年の時点では予定線だったものが、どんどん工事が進んで2014年に全通

小浜線だと2時間近くかかる行程が自動車だと70分となった。ローカル線と並行する自動車専用道の競合は中国自動車道や山陽自動車道など各地で見られる要因のひとつとなっているが、小浜線と舞鶴若狭自動車道は、ほとんどの区間を寄り添うようにピッタリ走り、小浜線がカーブを描いて海から山中そしてまた海へと戻る区間も道路はほぼ真っ直ぐに貫いているので、それは早いはずである。また小浜線の最高速度は85キロでJR西日本ならではの徐行区間もある

営業係数は678

100円稼ぐのにいくらかかったかという営業係数は678。つまり100円を得るために678円が必要だったということで、この数字をどう評価するかだが、関西本線の非電化区間である加茂~亀山が全長61キロで、輸送密度が1090人、営業係数が685なので、同じような数字だといえる。ただ輸送密度2000人以下の路線で電化されているのは小浜線のほかには加古川線の西脇市~谷川、紀勢本線の白浜~新宮そして小野田線ということを考えると、2000年代に入ってわざわざ電化した小浜線(2003年)と加古川線(2004年)がここに入っているのは、ある意味目を引く数字となっている。言い換えれば「利用者は多くないのに電化された路線」である

小浜線と加古川線に共通するのは125系電車で運行されていること。電化について地元の出資があったということで投入された車両で、この2路線でしか走っていないのも特徴

基本的に最低編成数が2両となっていた電車で単行運転を可能にした新型車両だが、小浜線では現実的に2両編成のみが走る。加古川線の西脇市~谷川は17キロで輸送密度321人、営業係数1567人とさらに悪い数字となっている。数字だけを見ると両線の将来は不透明だということになる

加古川線の電化理由は阪神淡路大震災の教訓から得た迂回路造りだった。一方の小浜線は地元の出資の多くは電力会社である

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小浜訪問の必須コース利用で盛夏の小浜でサバをいただく日帰り旅 後編

※訪問は2025年8月9日

約40年ぶりの車窓

バスに乗車。10人ほどの並び客とともに乗車。平日や時刻、繁忙期などそれぞれの事情に分かれた利用者数は分からないが、土曜日の朝としては人が多い方ではないだろうか。当然座れた

前記事でも触れたが、乗るのは昭和以来の約40年ぶり。出張だった。このバスの存在を知ったのもその時で、そもそも当時はインターネットというものはなく「大阪から小浜まで」と検索すると、パッと画面に表示される時代ではなかった。たまたま会社に小浜出身の先輩がいて、小浜に行くにはどうしたらいいのか尋ねたところ、このバスの存在を教えられた。てっきり敦賀経由か舞鶴経由でしか行けないと思っていた私にとっては、まさに「目がウロコ」だった。ただし若江線の2度の乗車はいずれも真冬。横殴りのみぞれが降っていたことだけは覚えていて真夏の今日とは景色は全く異なっているし、そもそも出張と言われただけでドキドキしていた社会人1、2年目の私には車窓を眺める余裕など全くなかった

貴重な県境越え路線

写真で分かるようにこの日の利用者は皆さん軽装で、旅行者というより地元の方が多かったようだ。近江今津と小浜を結ぶ若江線は路線バスとしては貴重な県境を越える路線となっている。小浜線沿線でも以前紹介した

福井県の若狭高浜と京都府の東舞鶴を結ぶ路線バスはあるが、全国に残る県境越え路線は、元々が同じ国だったり、地域の結びつきが強いものがほとんど。若江線のように山を越えて別の国、別の県へ行く路線は今や希有な存在といえる

山中での乗客の入れ替えもあり

熊川まで来れば小浜線の上中駅はすぐそこ。熊川宿で知られる鯖街道の古い町並みが残る熊川は、もし鉄道で結ばれていれば主要駅のひとつとなったに違いない場所

上中に到着してからも乗客の入れ替わりはあり(小浜線の本数が少ないため上中~小浜のバス利用もあるようだ)

私も区間利用したなぁ、などと思っていたら、小浜の街に入り

無事、10時半に小浜駅に到着。この日の朝は近江今津付近も小浜付近も比較的涼しかったので、皆さん上着を羽織っている

小浜での行動はもちろん

1日の利用者数が1554人(2023年度)と、路線内で唯一4ケタの利用を誇る(敦賀、東舞鶴をのぞく)最大の駅、小浜駅に到着。2016年の10月以来、9年ぶりの訪問だ

大きな駅だが、ガランとしている。それは当然で

10時半というこの時間は全く運行のない時間なのだ。そして私に与えられた時間も限られている。この後は敦賀経由で帰路に着く予定だが(帰りも若江線を利用すると18きっぷの意味がなくなる)、11時57分を逃すと2時間半も運行がなくなる

そして私へのミッションは

マンホールにもある通り、サバをいただくこと

いやいや、美味しかった

11時57分の列車にも無事に間に合って敦賀へと向かう

3月以降に何度も見た

敦賀駅の駅名標ともしばらくお別れである。当然だが、朝の涼しい気候はとっくに終わっていて8月の猛暑が訪れていた。この後、湖西線の未回収のいくつかを回って帰宅

鉄路で結ばれることはなかったが、90年も続くバスは鯖街道が今も昔も重要路線として存在していることを物語っている。近江今津駅から小浜駅までの運賃は1350円である

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小浜訪問の必須コース利用で盛夏の小浜でサバをいただく日帰り旅 前編

※訪問は2025年8月9日

手には青春18きっぷ

朝7時の尼崎駅。土曜日ということで人は少ない

そばに卵かけご飯の朝食をかき込んで出発

手には青春18きっぷ。ご覧のように本日が最終日。このきっぷを基本にバスを利用して小浜を目指す。もちろん日帰りだ。千葉駅発行となっているが7日に千葉からスタートして総武本線や成田線、東海道本線や御殿場線を経由して帰宅。道中、沿線トラブルによる運行停止などいろいろなことがあったが、9日の行動計画については最初から譲らないつもりだった

もともとは未成線の代替バス

尼崎から新快速に1時間半乗車して近江今津に到着。湖西線を進む新快速は近江舞子から各駅停車となり、多くの列車がここ近江今津で12両→4両へと編成が大幅に縮小される。そのため長時間停車を行うことも多い。当駅には朝夕に一部のサンダーバードも停車する。つまり湖西線の重要駅のひとつとなっている

近江今津駅の開業は湖西線の開通した1974年(昭和49)と比較的新しいが、それ以前から当駅は重要駅だった。湖西線の開業前に重要駅だったとは、どういうことかと思われるかもしれないが、それ以前は大津方面からの江若鉄道の終着駅だった(駅の場所は異なる)。江若鉄道とは会社名を見て分かるように「近江」と「若狭」を結ぶ路線。大津市からの敷設は大正期から始まり、昭和初期に近江今津までやって来たが、近江今津から小浜(正式には現上中駅)を目指すための資金が不足してギブアップ。そこから先は国鉄が工事を引き継ぐことになった

そして鉄路が完成するまでの代替手段としてバス路線が設けられた。代替交通なので国鉄バスが運行にあたった。もちろん戦前の話。戦後になってもこの区間は鉄道を通す計画は残っていたが、今度は国鉄が経営難に陥る。JR移管後もいろいろ動きはあったが、結果的には湖西線と引き換えに江若鉄道が廃線となり、バス路線はそのまま残った。未成線を行く34キロのバス路線は90年もの歴史を持つ路線となった

大阪・京都からの最短ルート

ちなみに廃止となった鉄道は江若鉄道だが、バスの路線名は若江線である。そしてこのバス路線がずっと続いているのは大阪や京都から小浜に向かう際の最短ルートとなっているからだ。近江今津駅にやって来る新快速は1時間に1本。この新快速と約10分で連絡するようになっていて、小浜まではちょうど1時間。大阪から新快速に乗車すると2時間半で小浜まで行くことができる。敦賀経由や東舞鶴経由より便利だ。小浜線を全く利用しないコースは小浜線にとっては、いわばライバルの存在となっているが、運行がJR西日本バスなので、どうしようもない

と同時に小浜線全駅訪問をしながら、小浜への最短ルートであるこのバスに1度も乗らないのはどうか、との思いも強くあって今回の乗車となった。実を言うと最後に乗車したのは「昭和」で、約40年ぶりの乗車となる

運行は1日11本

写真で分かるようにすでに乗車の列はできている。昭和以来のバス旅を楽しもう

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~三方湖畔の駅でソースカツ丼

※訪問は2025年3月27日

かつての急行停車駅

三方駅に到着。美浜からは約10分。現在、両駅の間には気山駅があるが、1917年(大正6)に敦賀から十村まで小浜線の最初の区間が開業した際は、隣駅だった(当時の美浜駅は河原市駅を名乗っていた)。気山駅の開業は無煙化となった1961年(昭和36)である。ともに路線内では主要駅のひとつで気動車投入で急行も走るようになり、美浜駅とともに三方駅にも急行が停車していた

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観光拠点の駅

三方と聞いてまず連想するのは三方五湖だろう。三方五湖は当駅のある若狭町と美浜駅のある美浜町にまたがっていて当駅は三方湖に近いが、観光拠点の駅でもある

実際にグルリと歩く人もいるだろうし、レンタサイクルも盛んで駅でも貸し出しを行っている

駅前の周辺図が三方五湖の位置関係を分かりやすく表記している

開業時の所在自治体は八村。明治の町村制施行の際に8つの村が合併して生まれた町で、その中には三方村も含まれていた。一時的に自治体名から名前が消えることになったが、1953年に三方町が誕生して復活。ただし駅名は設置時から三方のまま。平成の大合併で三方町は上中町と合併して現在は若狭町となっている

列車を降りてまず気づくのは、かつては2面2線構造だったということ

貨物の取り扱いも行っていたが、昭和30年代に貨物の扱いはなくなっている。2022年度の1日の利用者数は154人。コロナ禍の影響が残る年でもあったが、この数字は京都府との府県境に近い青郷駅や以前は駅舎がなかった三松駅とほとんど同じ数字となっていて22駅(敦賀と東舞鶴をのぞく)中13位。ちなみに美浜駅は370人で7位である。地図でも分かる通り、三方湖のほぼ湖畔の三方五湖PAに若狭舞鶴自動車のスマートインターが2018年に開通している

落ち着いた駅舎とレストラン

駅舎は落ち着いたコンクリート製。電化時に立派になった路線内の他駅とは異なり、JR移管直後の1988年に建て直されたもの。小ぶりながら機能的。ガラス張りの正面入口が美しい

こちらの窓口も訪問直前の3月12日にみどりの窓口の営業を終えたばかりで、現在は簡易委託

さて駅到着は11時49分だったが

駅舎にはレストランが入居していた。美浜駅の道の駅定休日でお昼を食べられずにいたので、これは朗報

迷わずソースカツ丼。何か福井県内の駅で降りる度にソースカツ丼か蕎麦を食べているような気がする

棒状ホームということで乗車間違いのないように気遣った駅名標が設けられている

12時29分の敦賀行きに乗車。まだ早い時間だが、湖西線のいくつかの駅に行きたいので、敦賀経由で新快速に乗車

3月末で、まだまだ寒い日も訪れる時期だが、この日の若狭地方は気温20度超えと、初夏のような陽気だった。次に小浜線を訪れたのは6月。いつものことだが記事と季節感が合わなくなっているので次回からは、しばらく小浜線を離れ、別路線の訪問を記していきたい

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~道の駅セットの主要駅は駅名変更の歴史

※訪問は2025年3月27日

知名度の高い優等列車停車駅

美浜駅に到着。小浜線の中では知名度が高い駅で、急行が走っていた時代は停車駅でもあった。今も主要駅のひとつで、当駅で列車交換が行われることが多い

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現在の駅名は戦後になって

それほどの有名駅だが、現在の駅名は1956年(昭和31)からだということは意外と知られていないかもしれない。というのも美浜町の成立が1954年で、その際に新たにできた地名だからだ

駅の開業は1917年(大正6)。小浜線が敦賀から十村まで開業した際に途中駅として設置された。最初に開業した4駅のうちのひとつ。4駅といっても30キロ近くある。新たな駅ができていくのは戦後になってから。当時の駅名は「河原市」。もちろんこれは自治体としての「市」だったわけではない。当時の所在地は南西郷村

周辺の大きな町は耳村だった。だが線路は村内を走っていたが自治体内に駅は設置されず、村の中心部である河原市を駅名とした

河原市地区は耳川を挟んだ地域、どちらかというと川の東側に広がっていて今も地名は残り、美浜町の中心部となっている。川沿いに市が成立していたことで発展したようだ

耳という地名は古く、飛鳥時代には文献に「耳」の名がある。東小浜駅の記事でも紹介したが、この付近は長い歴史を有している

明らかな「弥美」という表記は奈良時代から平安時代に弥美郷として記されていて、室町時代の荘園の時代には耳荘となって近世を迎え、自治体名も耳村に。弥美郷は現在の美浜町全域を指したともされ、1954年の美浜町誕生の際は「弥美」と「砂浜」を合わせて町名とした

駅の構内で見る新旧

駅の跨線橋には、かつての駅の写真が飾られている。「祝 気動車運転」で昭和36年と記され、SLからの無煙化が始まった時のもののようだ。60年以上前のこの時点で既に年季の入った木造駅舎だったようだが、1967年にいわゆる国鉄型コンクリート駅舎へと建て直し。2003年(平成15)にさらにリニューアルされ

現在の姿となった

駅には観光協会も入居している

跨線橋の階段も凝っている

80分の待ち時間にも強い味方

さて私が到着したのは10時16分。この時間帯から夕方まで本数がガクンと経る時間帯で、次の敦賀行きは12時38分、東舞鶴行きは11時40分と最短でも80分もの待ち時間がある。ただ不安はなかった

駅に隣接して道の駅があるからだ。時間を潰そうと思えば何とでもなる…と思い込んでいたが、実際は違った。あまりにも人の気配がなさすぎる、と思ったら、訪問日は木曜日で週に1度の定休日だったのだ。まだお腹は減っていないが、これはショック。ただ当駅では快適に過ごす方法は他にもある

広い待合室があり、エアコンも完備。カウンターとなっている座席にはコンセントが設置され、スマホの充電も可能だ。設置されたテレビでは国会中継が放送されていて、それを眺めながら充電も100%に回復できたので大いに満足。もちろんきれいなお手洗いもある

さて、この美浜駅。随分と新しい部分ばかりをクローズアップしてきたが、そうでないものも残る

跨線橋の案内文字は国鉄からのもののようだ

出口の案内板も。すっかりリニューアルされた駅で、このようなものを発見するとうれしさもよりいっそうというものだ

当駅も小浜線の他のいくつかの駅と同じく訪問直前の3月16日にみどりの窓口の営業を終了して簡易委託駅となった。観光協会に委託されているようで、道の駅と休日が連動していることを理解した

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~「新」が目についてしまう簡素な駅舎

※訪問は2025年3月27日

バスで先回り作戦

上中駅からJR西日本バスの若江線に乗車する。乗ったのは小浜行き

まず小浜線の時刻表だが

8時44分の当駅着でやって来た。次の敦賀行きまでは1時間、小浜方面となると2時間もの空白がある

次いでバスの時刻表

8時55分の小浜行きがある。そこで考えたのが、バスで上中~小浜間のどこかの駅で降りて電車を待ち構える作戦だ。この区間内にある駅は東小浜と新平野しかないので、未訪問の駅となると必然的に新平野となる

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危険な「口」停留所

地方で路線バスに乗車する時はできれば小銭を用意、少なくとも千円札を所持しておくことが必要だ。IC乗車できないことが多々あり、コミュニティバスでは千円札の両替も困難なことがある。また近年はSuicaやICOCAなどのIC利用を取りやめる会社も出てきた。おそらくシステムの更新時にお金がもったいないからだろう。過去のデータを見て全国ICの利用が少なければ継続の意味がないと判断するのもやむを得ない

ただその点、JR西日本のバスならIC乗車はさすがに大丈夫。調べもしないで乗車したが、当然のようにピッとタッチして乗車した。このバスは過去3度ほど乗っているが、いずれも近江今津~小浜の始発~終点した乗車したことがないので新鮮だ

国道27号沿いの「新平野駅口」というバス停で下車。乗車時間は5分ほど。終点までだとぼんやりしているだけだが、停留所を逃さないために集中が必要。ちなみに料金は約5分の乗車で410円だった

ということで新平野駅口。これは過去に何度も経験して、記事にもしたが「○○駅口」というバス停は、まぁまぁ危険だ。下手をすると10分ほど歩くこともしばしば。ということで、さすがにこれだけは事前に調べておいた

徒歩5分と知って一安心。さぁ駅へ向かおう

駅名の由来は?

携帯アプリがない時代なら躊躇したかもしれない道をどんどん進んでいく。後で地図を見て分かったことだが、この地域には古墳が多い。古くから人の営みがあり、地域を治める有力者も多かったということだろう

飛び出し坊やにもあいさつをして

新平野駅に到着。ご覧の通りの簡易的なコンクリート駅舎。開業は1918年(大正7)で上中駅や大鳥羽駅と同じ。ここに線路ができた時からの一期生ということになる。かつては開業時からの駅舎があったようだが、JR移管後に現在の形となった

かつてはすれ違い可能な構造だったようだが、早々に棒状化そして無人化されている。貨物の取り扱いもあったようで駅前は広いが、それ以外に貨物を連想させるものはない

駅の北側には農地が広がる

そしてどうしても目につくのは「新」の駅名である。開業時、当駅は松永村にあった。駅の北側は宮川村(現在はいずれも小浜市)。平野は今も残る小浜市の地名で駅の住所は小浜市平野。村と村の境界近くにあるため村名を駅名にするのは避けたと想像できるが、なぜ「新」が付けられたのかは調べたが分からなかった。「平野」は全国に見られる地名で、大阪市の関西本線には明治期以来の平野駅があり、重複を避けたとの推察も成り立つが、あまりにも遠い。それならば路線内の他駅にならって「若狭平野」ではないのか。大正期に付けられた駅名ともあって結局は今もナゾのままである

ちなみに駅近くの郵便局は新平野郵便局だったが、他では平野が使われているようだった

こちらはホームから見た駅舎

駅舎内には待合室と自動販売機。他駅ではゆっくりできなかったので熱い缶コーヒーを、と一瞬思ったが

こちらを見て自粛しておいた

まだその季節ではないが、のどかなイラストに心が和らいだ

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~びわ湖からの直通列車を待ち続けた駅

※訪問は2025年3月27日

ちょっとしたトリビア

大鳥羽駅から2駅小浜方面へと戻って上中駅で下車。福井県の地図というか形をなんとなく思い浮かべてほしい。滋賀県の北側に覆い被さるように東西へと京都府との府県境までの地形。京都府との境に近い青郷駅が最西端なのは、すぐ理解できそうだが、最南端も小浜線内にあり、それがここ上中駅なのだ。北陸本線で滋賀県との県境となる新疋田駅あたりを思い浮かべそうだが、新疋田より南側に位置する駅は小浜線内には数多くある

敦賀を出た小浜線は若狭湾に沿って西へと向かっていくが、前記事で紹介した大鳥羽駅あたりから南へと進み、ここ上中駅あたりから再び西へと進む。ただこれは開業時の村や集落、地形に沿って進んだものであり、決して無理に南へ向かったものではない。運命共同体ともいえる敦賀から舞鶴まで並行する国道27号も同じようなコースをたどっている。もっとも現代に建設された若狭舞鶴自動車道については、地図で分かるように小浜から最短コースで上鳥羽駅近くまで建設されていて、いろいろな意味でスピードでは全くかなわない

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自治体名変更で駅名も変更

上中駅は1918年(大正7)の開業。大鳥羽駅と同時期の開業。両駅の間にある若狭有田駅の開業は、戦後になってから。当初の駅名は「三宅」だった。三宅村に所在したからだ。1954年に大鳥羽駅のある鳥羽村などと合併して上中町が誕生。直後に駅名も現在のものとなった。上中駅となったのは町の代表駅となったため。平成の大合併で若狭町となったが、駅名はそのままとなっている

駅舎は2005年(平成17)に建て直されたもの。2階は多目的スペースとなっているようで

簡易委託駅。私の訪問直前の3月11日まではみどりの窓口があった

待合所にはサボのほか、ホーローの駅名標も保存されていた。なぜか小浜駅のホーロー板まである

目を引いたのは

こちらの張り紙。近江今津から当駅を結ぶバスの定期、乗車券を駅の窓口で販売しているとある。これが当駅の歴史を語る上での重要なことなのだ

大正期から計画された悲願

駅舎内には西日本JRバスの運行する若江線(じゃっこうせん)の時刻表がある。お昼前から夕方にかけて1時間に1本。湖西線の近江今津駅から上中駅を経由して小浜駅とを結ぶ。運行時間帯だけを考えると小浜線より本数は多い。そして路線バスをJRが運行しているのがポイントでもある

敦賀からやってきた国道27号と近江今津からやって来た国道303号は、ここ福井県最南端の駅でもある上中駅付近で合流する。このルートは大阪や京都方面から最短で小浜を目指すルートとして定着しているが、元々は鉄道で結ぶ予定だった。もちろん小浜線との合流は上中駅。湖西線は戦後の話で、計画は大正期からすでにあり、私鉄の江若鉄道が昭和初期に近江今津まで敷設すると、国鉄のバス路線も開通。この頃は、あくまでも鉄路で結ばれるまでの暫定的なものだったが、戦後30年近くが経ち湖西線が開業しても計画路線のまま。JR移管後もさまざな計画があり、バスも江若交通との共同運行の時代もあったが、現在は西日本JRバスのみが運行を続けている。結果的に悲願とともに90年近い歴史を誇る路線となった

結果的に北陸新幹線の小浜ルートが決定したことで計画そのものもなくなった形になっているが、その小浜ルートも怪しい雰囲気になっているのも事実である。このバス路線については、あらためて紹介したいと思う

駅前には若江線乗り場のロータリーがある。ただ、ここに来たのはバス施設の写真を撮るためだけではない。今からこのバスに乗車するためだ

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~古風なビルが駅舎の貴重な存在

※訪問は2025年3月27日

1時間以上かけて

大鳥羽駅にやって来た。東舞鶴を7時15分発の列車に乗って到着は8時26分。路線図を見ると小浜を過ぎていて敦賀の方が近い。ローカル線の駅訪問にわざわざ1時間以上もかかる場所に宿をとるのは効率が悪い。これにはいろいろな理由があって、小浜駅周辺に手頃なビジネスホテルがなかったこと、敦賀駅周辺のホテルが高くて尻込みしてしまったことなどがあるが、結論からいうと一度東舞鶴に泊まってみたかったのである(笑)

また前日の道中で時刻表の見誤りに気づいて修正したところ、東舞鶴に近い駅の訪問がサクサク進んでしまったことも朝から1時間以上のローカル線乗車につながった

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荘園に基づく

大鳥羽駅の開業は1918年(大正7)。前年に敦賀から十村まで開業した小浜線が小浜まで延伸される際に設置された。当時は鳥羽村に所在。鳥羽村は戦後の1954年に周辺の村が合併して上中町となり、平成の大合併で若狭町となった

小浜線の沿線は京都との結びつきが強く、その分歴史も古い。地名の由来は鳥羽荘という荘園に基づき、鎌倉時代の文献にすでにその名が残る。荘園の名前については現在の鳥羽川が流れていて、川を渡るための「渡場(とば)」が転訛したのではないかと考えられている。鳥羽荘の中心地だから大鳥羽。明治の町村制施行まで大鳥羽村があった。駅周辺の地名は今も大鳥羽。明治期に開業していた参宮線の鳥羽駅との重複を避けたかどうかは不明だが、地名がそのまま駅名となった

駅周辺は今も旧鳥羽村の中心地となっている

ちなみに駅近くの周辺地図を見たら

さすが古い町らしく読めない地名が多数あった

駅舎はもともとJAのビル

駅構造は1面1線の棒状ホーム。最初の写真を見ていただければ分かるが、島式ホームにするスペースは設けられているので、その予定はあったのかもしれない

ホームから駅舎に向かうと2階建てのコンクリートの建物に入るようになっている

外に出ると2階建てとはいえ立派なビルだ。当駅はもともとJAとの合築だった。JR移管後の1988年に建てられたもの。88年といえば、89年の年明け早々に平成となったので昭和のほとんど最後に当たる。昭和から平成、令和と地域を見守り続けている

これまで取り上げたことはほとんどないが、全国各地に行くと駅のすぐ近くでJAの建物に遭遇する。理髪店が見守る駅として紹介した小浜線の加斗駅近くにも建物があった。人がいるのかいないのか不明な建物もあって触れにくいのだが、閑散とした無人駅の近くでぼんやりしていたら、中に誰もいないと思われるJAの建物の前まで車がやってきてATMコーナーに入り、再び去っていくという光景も何度も見てきた。かと思うと

弘南鉄道弘南線では、巨大駅ビルとなっているJAにも出会った。いろいろなケースがあるが、地方の町では重要なんだなぁ、といつも感じる

現在JAは撤退して「若狭ものづくり美学舎」が入居している。こちらが営業している時間帯は簡易委託としてきっぷ販売を行っているようだ

これまで紹介したように小浜線の駅舎は電化後に大きく変わったものが多い。昭和からのたたずまいを残す貴重な存在である

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~舞鶴など昔の話

何事も今のうちに

こちらは前日の17時40分に東舞鶴駅に到着した際のホームの様子。小浜線から舞鶴線へすぐ乗り継げるようになっている。何の気なしに撮った写真だが、しばらくすると車両が代替わりして、かなり時間が経ってから「あの時乗ったなぁ、見たなぁ」と思うことがしぱしぱ。すっかり様変わりするのは駅だが、車両については全く専門外の私でも懐かしさのあまり写真を眺めてしまう。つい先日、青春18きっぷで岡山へと出向いた際、赤穂線に乗ると「食パン改造車」に出会った。以前は「ラッシュ時にこんな2両編成に詰め込むなんて酷いな」と思っていたものだが、もう間もなく姿を消すと思うと感慨がこみ上げてくる

もっとも北海道で話題となったキハ40についてはJR西日本では広い範囲でバリバリの現役。いわゆる「タラコ車」だが、こちらはまだまだ主役の座から降りそうにない

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早朝の東舞鶴を歩く

朝は悠然とバイキングの食事でスタートする。今日についてはのんびりと駅訪問をしながら敦賀へと向かうつもり。どうやっても今日だけで全駅訪問は無理なので、気候が変わったころに再訪の予定。また同時進行のように湖西線の各駅訪問も行っていて、いくつかの駅で降りながら帰路へとつく。湖西線も小浜線同様に北陸新幹線の影響を受ける可能性のある路線で、こちらは今後の様子を見てから記事化したい

まだ7時になっていないアーケードを駅に向かって進む

「ようこそ」の案内表示にロシア語まで入っている

駅の改札口には7時前に到着。有人になるのは8時からだそうで、随分遅く感じるが、ここから出発する人より8時ごろから降りてくる人の方が多いのだろう

こちらが時刻表。京都までの特急が8本もある。この特急は福知山駅で大阪方面への特急と神業連絡を行うが、小浜線と比べ随分と待遇が違う。しかも始発が5時台なのに比べ、終電は20時39分しかも小浜止まりと店じまいも早い。流動の特性がこのようになっているのだろう

駅で見た写真

改札の外にもお手洗いがあるのでま繁華街とは逆方向の出口に行くと、かつて多くの線路が並んでいたと思われる場所は芝生広場。規模の大きさを感じる

そして駅構内の写真。軍港だった舞鶴は終戦と同時に引き揚げの舞台となる。国外にいた日本人の多くが戦後3年でほぼ帰国したのに対し、ソ連によるシベリア捕虜抑留もあって、ソ連からの帰国は遅れ、最後の帰国は1958年と戦後13年も経ってから。舞鶴港へ最初に帰国船が到着したのが1945年10月7日で、舞鶴市では10月7日を「舞鶴引き揚げの日」としている。以降、66万人もの人が舞鶴港へ引き揚げてきた

30年以上前、当時港で取材した元新聞記者の方に話を聞いたことがある。引き揚げてきた人、迎えた家族、引き揚げ船が着く度に夫を探す家族の話はいずれも中身の濃い話だった

と同時に原稿を送る苦労も聞いた。今のようにネットにつなげば写真を送れる時代では当然なく、FAXなんてものが登場するのは何十年も後だ。原稿については電話で吹き込む(電話で原稿を読み上げて会社にいる人が原稿用紙に書く。私もギリギリその時代を知っている)ことができるが、写真についてはそうはいかない。有力な送信手段は伝書鳩だった。ハトの足にフィルムを装着して「空輸」する。訓練されたハトは無事、大阪まで運んでくれたそうだが、ハトにも個体差があって締め切りに到着しないこともしばしば。「○○新聞のハトは優秀やった。うちのはアカン」と30年以上前のことをボヤいていた

さらにもうひとつ、これは舞鶴とは関係ない余談だが、今から70年前の大阪鉄道管理局。建物は平成の声を聞いても大阪駅の北側にまだ残っていたと思うが、そこに詰める鉄道担当の記者には「国鉄パス」なるものが国鉄から与えられていた。全国の国鉄路線が年中乗り放題という大判振る舞いなもので、携わった方は、ほとんどこの世を去っていると思われるので、その頃の話をすると、新幹線などというものは走っていない時代、顔写真も張っていないパスは重宝され、社内では夏休みの日程を社員がそれぞれ割り振って使い回ししていたとか。その後、とある新聞社が「国鉄が記者にこのような便宜をはかっている」という記事を出して、そのパスもなくなったという。今だったらあっという間に世の中に拡散して大変なことになりそうだが、ある意味牧歌的な話ではある

話は随分横道に行ってしまったが、閑話休題

1時間以上トコトコと揺られて棒状ホームの駅で降りた

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