※訪問は2026年7月13日
国鉄らしい2面3線のホームから一歩中に入ると

岩手川口駅で下車。前記事に記した通り、この日は朝7時台の飛行機で大阪を出発。仙台空港からトコトコ北上。宿泊先は八戸駅近くと決めていた。かなりの移動で駅訪問はほとんど考えていなかったが、ダイヤの都合で岩手県内の駅でどこか1駅下車することが可能だった。乗車した電車はいわて沼宮内行き。そこから先は一気に本数が減り、なおかつ青森県との県境越えはさらにハードルが上がる。つまり盛岡~いわて沼宮内間でどこかとなってなんとなく選択したのが、ここ岩手川口駅だった。15時10分に当駅着で、15時51分に貴重な戸行きがやって来る。下車理由は駅名に惹かれたこと。例によって駅についてはほとんど調べていない。それが大きな驚きにつながるとは私も全く予想していない
駅舎に向かうと

エアコンの効いた駅舎が出迎えてくれてビックリである
園井恵子さんが宝塚へと旅立った場所
暑い日ではあったが、ビックリしたのはエアコンではない。かすかに流れる「すみれの花咲く頃」である。言うまでもない、宝塚歌劇団の歌である。「えっ?」と頭の中がはてなマークでいっばいとなったが、すぐに理解できた

ご覧理通り駅舎内は立派だ。立派というより真新しい。簡易委託駅のようだが、私の訪問時は無人だった。そこに流れるすみれの花咲く頃

柱に貼られていたのは元タカラジェンヌ園井恵子さんの宝塚歌劇団殿堂入りを祝うポスター
実は記者時代に園井さんについて調べたことがあり、経歴については理解している。ただし、こちらが出身地だとは知らなかった(厳密には現在の八幡平市出身だが、宝塚音楽学校入学時は実家はこちらにあった)
園井さんは戦時中に宝塚歌劇団を退団。映画に出演するかたわら、劇団で女優活動を続けていた。所属していたのは戦時中に全国で慰問活動を行う劇団だったが、東京の空襲で本拠地がなくなってしまい劇団ごと広島へと本拠地を移した。広島で被ばくし、帰らぬ人となった。2019年に宝塚歌劇団の電動入りを果たした

それを知らせるリリース。まさかIGRいわて銀河鉄道の駅阪急電鉄のプレスリリースを見ることになるとは思ってもいなかった

亡くなった時は32歳。そのまま女優活動を続けられていたら、きっと私も知る女優さんになっていたはず。清涼飲料水の自販機には、1929年(昭和3)に、ここ岩手川口駅から旅立った時の園井さんのイラストが描かれていてジーンときた
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