2026年 3月 の投稿一覧

渥美半島の「途中」まで18キロの豊橋鉄道渥美線~元の名はいかにもの利用者3位の駅

※訪問は2025年9月23日

歩いて10分もかからないが

南栄駅に到着。祝日の朝ともあって、朝の9時台でも駅には多くの人がいた。この後、市内中心部やさらに別の場所へ出かけるのだろう。電車を見送っているのはホームが単式で目的地とは逆方向だからだ。単線ながらも15分に1本(この日は休日なので20分に1本)という頻度の高い運行を行っているので、このような事象がいろいろな駅で見られる。当然だが、地元の人は逆方向の電車に乗ったりはしない

愛知大学前駅とは700メートルで、しかも直線。徒歩で10分もかからないが、駅近辺をウロウロしている間に20分などすぐなので、もちろん電車移動である

築6年の新築駅舎

駅舎は真新しい。2019年に新築となったばかり。コンビニも隣接している。早朝と夜をのぞくと駅員さんが配置されている。開業は1937年(昭和12)で、途中駅として新たに設けられたが、駅名は「陸軍病院前」。隣駅が「師団口」だったので、当時の地域の特徴がよく表れている。当初は臨時駅扱いだったが、間もなく正式駅となり、戦争による休止もなく終戦を迎え、駅名は「病院前」へと変更された後、すぐに現在の駅名に再変更された

愛知大学前駅とは国道に沿って一本道だが、道中には第15師団の史跡が多くあることが分かる。そしてその場所の多くが学校となっている。当駅は時習館高校(愛知大学前駅からも近い)と豊橋工科高校の最寄りとなっていることもあって利用は多く、1日の利用者数は3267人(2023年度)と愛知大学前の4542人に次いで全駅16駅中のうち3位。途中駅では2位となっている。最も利用の多い新豊橋駅の1万4528人をのぞくと、他の17駅の利用者総数は2万500人なので、わずか700メートルにある2つの駅で4割近くを占めていることになる

学校ができると同時に周辺の住民も増え、豊橋市の副都心のひとつとなっている。目の前は田原街道と呼ばれる国道259号で交通量も多い。ちなみに伊良湖岬~鳥羽市のフェリーでの海上区間が含まれる国道となっている

かつての駅の象徴が

こちらは木製の駅名板。注意書きを凝らすと

このような解説がある

2019年までの駅舎も描かれている。当時の写真を見ると現在の駅よりはやや大きい駅舎で、ややコンパクト化されたようだ。駅前にあった10メートルを超える2本の大樹は駅のみならず町の象徴でもあったようだが、過去の写真では大きくなりすぎたためか、倒壊防止の措置がとられている様子が分かる

こちらは駅に隣接する踏切近くからの駅の様子。いつの間にか新豊橋方面への電車を待つ人でホームは大いにいぎわっている。私が目指すのは逆方向だが、そろそろ駅に戻ろう

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渥美半島の「途中」まで18キロの豊橋鉄道渥美線~途中駅で利用首位の「新駅」

※訪問は2025年9月23日

ホームは大いににぎわう

愛知大学前駅に到着。これは停車後、一段落した時の写真だが、少し前までは

下車客であふれていた。朝の9時すぎ。学校に行く時間といえば時間だが、本日は祝日。何か行事でもある日だったのだろうか

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20年以上の休止から復活して首位の座に

2023年度の渥美線の駅別利用者数を見ると、全体の1位は当然ながら新豊橋で1万4528人。その次に来るのが当駅の4542人である。渥美線の全16駅で利用者4ケタの駅は7駅で、もちろんそのひとつになるが、全体3位がお隣の南栄で3267人なので、それを1000人以上も上回る途中駅では断トツ首位の駅ということになる

見て分かるようにホームの先が愛知大学の門(副門)となっている。いわば大学と一体化しているような利便性バツグンの駅で利用が多いのも当然だが、実は20年以上も休止されていたという事実がある

理由が分かれば、意外でも何でもないのだが、1924年(大正13)の開業時の当駅の名前は「師団口」だった。前記事で豊橋にあった陸軍の第15師団が、渥美電鉄設立の理由のひとつだと書いたが、その第15師団の場所がここだったのだ。戦後、その敷地に開学されたのが愛知大学で、現在は愛知大学の豊橋校舎となっている。昭和初期の軌道変更による廃止もあったが、他には「司令部前」「兵器廠前」という駅も存在した。渥美電鉄の意義のひとつがよく分かる

師団口駅は戦時中の1943年(昭和18)に高師口と名前を変更。名前が師団にちなんだものかと思われるかもしれないが、高師というのは以前からあった地名、村名だ。やがて戦争が激化するといくつかの駅が休止となり、高師口も対象となり、戦後もそのまま休止したままだった。愛知大学は1946年に開校されているが、駅の休止続き、前記事でも紹介したように学校の最寄りは800メートルほど離れた小池駅となっていた。「大学前」駅として1968年に復活。以降は利用が増えた。戦後には時習館高校も陸軍の施設跡に移っているため、高校生の利用も多い。現在の駅名は2005年(平成17)から

複数の出入口

学校のある日は有人駅となっている。手前が学校の副門。週末は無人駅となるはずだが、この日は業務を行っていた。右奥に見えるのが時習館高校

駅には改札がもうひとつあって、副門とは逆方向に進んでいくと

ホームの端にICリーダーが設置された小さな出入口。ここ南口からは学校の中にしか行けず、週末は門が閉められているようだが、この日は開放されていた。奥に見えるのは、かつての軍の集会所で、大学の敷地内にある愛知大学記念館は、かつての司令部を使用していて登録有形文化財となっている

渥美線の途中駅で最も利用の多い駅は、歴史の詰まった駅でもある

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渥美半島の「途中」まで18キロの豊橋鉄道渥美線~かなわなかった先端への夢

※訪問は2025年9月23日

柳生橋から700メートル

柳生橋駅から1駅で小池駅に到着。1駅といっても、わずか700メートル。ちなみにさらにお隣の愛知大学前駅までも同じような距離。ただ最初の記事でも触れた通り、平日なら15分に1本、休日の今日でも20分に1本の高頻度運転。駅で写真を撮って、付近を少しウロウロしているうちに電車はやって来るので、それはありがたく乗らしてもらう

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以前は学生でにぎわう

駅の構造は2面2線。開業は1925年(大正14)で柳生橋駅と同じで、かつては駅舎があったようだが、現在はない。ただしホーム上には立派な待合室もあって、それとは別にホームに屋根がある。先ほど愛知大学前駅の話が出たが、以前はなかった。いや、休止中だった。その理由については後の記事で触れるが、愛知大学の生徒や関係者は当駅を利用していたため、当駅が最寄りでとてもにぎわっていた時期もあったそうだが、1968年(昭和43)に愛知大学前駅が開業すると静かな駅となった

前述した通り、駅舎はなく券売機とICリーダーが設置されているのみ

半島の途中で終わったわけ

さて渥美線の全線をたどると

終点の三河田原駅は観光名所でもある伊良湖岬に向かって進んでいるように見えるが、それにしては渥美半島の途中あたりで終わっている。現在のように道路やマイカーが発達している現在ならともかく、輸送手段、公共交通機関として鉄道が最上位にあった大正期である。渥美半島の先端まで鉄路を通そうと考えるのが普通だ。そして実際に話はそのように流れていた

伊良湖岬の向かいは三重県の伊勢市がある。当時の寺社参拝の最上位はもちろん伊勢神宮。さらに重要だったのは、豊橋に陸軍の第15師団があったこと。そして伊良湖岬近くには陸軍の射撃試験場があった。明治から昭和初期までの鉄道敷設の理由は基本的には大都市間輸送、貨物輸送、寺社参拝、温泉利用、軍事利用の5つである。その意味では軍事需要もあるし、伊良湖岬から船舶で伊勢参りという需要もあるとのことで渥美電鉄という会社が設立され、敷設が始まった

しかし新豊橋から三河田原の2つ先の黒川原という駅まで開業したところで渥美電鉄が資金切れで工事を中止。それでも射撃場は陸軍の施設だからということで、さらに先の工事は国鉄が請け負うことになった。このあたりは軍の重要コースになるというとで、信濃大町から糸魚川にかけての山中が国鉄の工事となった大糸線と同じ流れだ。そして戦局悪化によって工事が中断したことも同じ。異なったのは、戦後に全通した大糸線と、一部完成した路盤だけを残して未成線に終わった渥美線との結末の違いである

ただし国鉄が工事を行うということは全線開業時は国有化するということだし、30キロ近い未成区間は決して人口の多い場所ではない。今も需要のある伊良湖岬~鳥羽のフェリー航路は戦後に開業したが、三河田原から伊良湖岬までの営業を考慮すると、国鉄に営業体力やサービス気力があったかどうかは怪しいところだ。そもそも延伸区間は電化できたのか、という根本的な問題にも突き当たる

全長18キロの私鉄だからこそできた15分間隔の頻発運転ではないか-それが実感だが渥美半島の先までつながる鉄路を見たかったという気も少しあるのは事実である

構内踏切を眺め次の駅へと向かう

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渥美半島の「途中」まで18キロの豊橋鉄道渥美線~国鉄との関係を眺めながら到着

※訪問は2025年9月23日

新豊橋駅から出発

朝8時の新豊橋駅。休日だけに人もまばらだ。かつてはもう少しJR豊橋駅の近くにあったが(2代目)、三河田原寄りに50メートル移動させ、単式ホームを島式ホームに拡張させて輸送力をアップさせた

すでに列車はホームで待っている。少し見えにくいかもしれないが、右手には東海道本線が走り、多くの留置線が設けられている

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車窓の見どころ

新豊橋駅を出発すると、すぐに車窓の見どころがやって来る

しばらくJRの線路と並行して走る形になるのだが、多くの留置線が車窓に展開される。そして眺めても豊橋鉄道の線路とつながっていそうでつながっていない

かつては渥美線でも貨物輸送が行われていた。渥美半島とを結ぶ路線として物資流通も大きな柱のひとつだった。目を凝らさないと一瞬で終わってしまうが、JRの線路とながっていそうな箇所がある。ここが、かつて貨物輸送にかかわっていたポイントである。戦時中までは旅客駅もあったそうだ。三河田原方面から乗車すると分かりにくいかもしれない。新豊橋から車窓の右側に展開する。ちなみに初代の新豊橋駅はここに設置されていた

そして留置線が見えなくなったと思った瞬間、柳生橋駅に到着である

かつては路面電車も乗り入れ

柳生橋駅に到着。地図でも分かる通り、新豊橋駅もしくは豊橋駅からは徒歩圏といっても良い距離にある。それでも2023年度の1日あたりの利用者数は1081人と、全16駅中7位。ちなみに渥美線の利用者数で、4ケタの駅は当駅まで。以下3ケタの数字が並ぶが、最も少ない駅でも350人で、2ケタ以下の駅はない

かつては渋い駅舎があったそうだが、現在駅舎はなくICリーダーが設置され、そのまま駅前のクリニックに入れるようになっている

駅としての出入口はスロープの先。自販機の後ろに見える空き地に駅舎があったらしい。開業は1925年(大正14)。渥美線の敷設そして延伸は新豊橋から始まったのではなく、高師駅から三河田原駅に向けての部分から先に開業。現在の終点である三河田原(当時の駅名は)に1924年に到達。新豊橋までの到達は翌年で、その際に設置された

開業時の駅名は「松山」。これは現在の地名でもあるが、5月1日に開業してわずか1カ月後の6月1日に現在の駅名に変更された。駅の近くを柳生川が流れていて、そこにかかる柳生橋が駅名となった。改名理由は調べても分からなかったが、愛媛県に同名駅があるからという理由でないのは確かで、愛媛県の松山駅の開業は、これより後の1927年(昭和2)なのだが、改名後間もなく現在の豊橋鉄道の市内線の柳生橋支線が当駅まで敷設され、乗り換え駅となった(1976年に廃線)。後にこの支線にはあらためて松山停留所が設置されている

ちなみに江戸時代に当地を治めていたのは吉田藩だったが、明治維新の際、同名の吉田藩が伊予(愛媛県)にあるため、同名でまぎらわしいと新政府から改名を命じられ、いくつかの候補の中から豊橋藩となった。この時の影響で豊橋には愛媛県に所在するものと同じ地名がいくつか誕生したとされている

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渥美半島の「途中」まで18キロの豊橋鉄道渥美線~利便性に富むダイヤ

※訪問は2025年9月22、23日

沿線トラブルで新幹線利用

残暑というより、まだまだ夏といっても良いぐらいの気候だった9月の終わりの17時半すぎ。名古屋駅から東京行きの新幹線に乗り込んだ。目的地は豊橋。わざわざ新幹線を利用する区間ではないが、名古屋駅に行くと、沿線トラブルで東海道本線がストップ。一瞬、名鉄での移動も考えたがこの状況では名鉄はいっぱいだろうと新幹線に。名古屋~豊橋は昔からの「新幹線1区間料金」が、三河安城駅が開業して1区間でなくなってからも設定は続けられていて自由席は990円の追加で済む

18時過ぎに豊橋に到着したが、まだ在来線は再開されていないようで改札口の前では多くの人が動き始めるのを待っていた

1000円近い想定外の出費があったため

夕食はホテルのサービスのカレーとビールで済まし、飲み足りない部分はコンビニの酎ハイで終わらせる。ほとんどが宿泊してみて気づくことだが、ホテルの夜カレーのサービスには全国で出会う。基本的には、やや建物が古いチェーンではないホテルが多いが、いつもありがたく感じるサービスである

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今回は豊橋鉄道渥美線

豊橋は何かと訪れることが多い場所だ。細かく計ったわけではないが、愛知県内で最も多く訪れるのが名古屋なのは当然として2番目にやって来て、3番目以下はおそらく訪問回数1ケタだろう。なんといっても飯田線の接続駅というのが大きい。名鉄との乗換駅(というか改札内を共有している)でもあり、東海道本線の在来線も運行の要で、名鉄との競合が終わってからの浜松方面は乗客サービスも随分と変わる。過去何度もお世話になった「青空フリーパス」は飯田線は飯田まで行けるのに対し、東海道本線は隣駅の二川まで。事実上、当駅が境界となっていて、東側の身延線や御殿場線を含むJR東海区間は「休日乗り放題きっぷ」という、ニックネームの付けられていない(豊橋以西と気合いの入り方が違う)きっぷが販売されている

今回は

豊橋駅から徒歩3分と、ほとんど隣接している新豊橋駅から豊橋鉄道渥美線の全駅訪問である。全駅訪問といっても全長18キロで駅数16の短い路線。18キロで16駅なのだから駅間も短く歩いても十分に行けそうな駅間ばかりだが、時刻表は

平日は完全なパターンダイヤで朝のラッシュが終わると15分に1本

週末は完全に20分に1本。渥美線に乗車するのは3回目で、過去に来た時は平日も週末も同じダイヤというのがウリだったと記憶していたが、駅までやって来てビックリ。調べると9月6日にダイヤ変更されたばかりだという。それでも20分に1本あるのだから尺取り虫のように1駅ずつ進んでいっても問題ない。20分というのは駅で過ごすにはちょうど良い時間で歩くまでもないだろう。だからゆっくりめの8時スタート

後々出てくるが、過去2回は全線乗り通すことが基本で、細かく各駅を訪問したことはなかったため、今日は渥美線の各駅訪問スタートである

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~再来訪を誓って雨中の旅が終わる

※訪問は2025年10月5日

本社所在の駅

最後の訪問は関駅。長良川鉄道の本社所在地だ。時刻は16時15分。日没まではまだまだ時間があるが、雨のせいか薄暗い。美濃太田~岐阜~米原経由で帰宅することを考えると、時間的にはここまでだ

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かつては名鉄の駅も併設

駅の開業は1923年(大正12)。美濃太田駅から美濃町(現美濃市)駅まで越美南線が開業した際、途中駅として設置された。現在は関市だが、当時は関町に所在。駅名は「美濃関」だった。旧国名がついたのは関西本線の関駅(三重県)がすでにあったため。三セク転換時に国名が外れて現駅名となった

かつては名鉄美濃町線の乗換駅でもあった

名鉄美濃町線は美濃駅から岐阜市内までを結ぶ路線だったが、1999年(平成11)に美濃~新関が廃止となり、美濃市駅での越美南線と美濃町線の乗り換えがなくなった分、当駅での乗り換えが便利になるように新関から当駅まで線路が敷かれ、関駅が新たに設けられた。といっても両駅は徒歩5分の距離でしかなく

すでに乗換駅として利用されていたが、さらに便利になるような措置だった。だが2005年に美濃町線そのものが廃線となり、名鉄の関駅も廃止される。新駅誕生からわずか6年で廃駅という運命をたどることになってしまった

有人駅とジオラマ

本社があるので当然有人駅である。駅舎は古くからの駅舎を改修しながら使っているようだ。新関駅前にあったバスターミナルなど、関市に集まるバス路線を集約させた新ターミナルを駅前に集約させている。このように交通機能を集約させた関駅だが、美濃太田駅をのぞいた路線内のナンバーワン駅ではない

利用4ケタの駅はなし

路線内で最も利用が多いのは、もちろん美濃太田駅。JR高山本線との乗換駅でJRだけで1日に5000人以上の利用があり、長良川鉄道に限ると839人(2022年度)。つまり1000人以上が利用する駅はない

2位は関口駅で494人と3位関駅の320人を上回る。このような逆転現象は美濃市でも起きていて美濃市駅の151人(8位)に対して梅山駅302人(4位)。これは駅の近くに高校があるからだ。学校の存在で利用者数が変動してしまうほど、それ以外の利用が少ないことになる。ちなみに全38駅中100人を超えている駅は9駅しかなく、美濃市駅のひとつ北側の梅山駅より北濃側の駅で3ケタの利用があるのは郡上八幡駅の233人(5位)、美濃白鳥駅の126人(9位)の2駅のみである。昨年10月の減便を経ても予断を許さない状況にあると言っていいのかもしれない

郡上八幡という、集客に優れた地域があるにもかかわらず、利用が低迷するのは線路にぴったり寄り添うように走る東海北陸自動車道の存在も大きい

それでも、ここまで紹介してきたように路線も車両も魅力ある路線である。今回は2日とも雨に遭遇すしたこともあって思ったように動けなかった部分もある。次回は線路が走る予定だった石徹白(いとしろ)まで何とか足を伸ばしたいと思っている

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