二塚駅の駅名標

※訪問は2023年10月18日

この駅をわざわざとっておいた

二塚に到着。1カ月前、青春18きっぷで城端線を訪れた際、2駅だけ残して撤退したのは、こちらをじっくり見たかったから。高岡または新高岡から城端方面へ向かうと、左手方向へ線路が分岐しているのが分かる

これは気になる。調べると、ついこの間まで城端線で唯一の貨物列車が運行されていたとのこと。いつか、じっくり時間をとって訪ねてみたいと思っていた

まずは位置関係

元々は高岡の次の駅が二塚だったが、北陸新幹線の延伸によって、その間に新高岡駅ができた。そのため新高岡までは至近。徒歩でも問題ない。途中に高岡市の運動公園やイオンもある。ちなみに城端線の前身である中越鉄道は、高岡駅の位置がはっきり決まっていなかったため、1897年(明治30)の開業時は黒田仮停車場を設けてとりあえずの起点としたが、仮の起点駅はこのあたりにあった

歴史を感じる駅

古くからの木造駅舎が残る

財産票によると1920年(大正9)からの駅舎。当駅の歴史は移り変わりが大きく、中越鉄道の開業から2年後の1899年、新たに二塚駅が誕生。駅名は当時の二塚村に由来する。鎌倉時代に当地で亡くなった武将の遺言によって2つの貢ぎ物を埋葬したことで二塚の地名になったとされる

だが、この駅はわずか3年で廃駅となってしまう。当時の村の集落から離れていて利用者が少なかったようだ。復活は12年後の1914年(大正3)。停車場として再開業。廃駅となった時も簡易な停車場だった。正式に「駅」となったのは財産票の1920年で、中越鉄道が国鉄に移管された時。その際、現在の駅舎が建てられた。今でこそホームだけの簡易駅は珍しくないが、当時は「駅」というのは偉いものだったのだ

立派なホーローの駅名標が健在である

なお二塚村は戦時中の1942年に高岡市に編入されて自治体としては消滅した

2015年までは貨物駅

分岐線の話に戻ろう

駅そのものは2面2線だが、側線が今も残る。もっともレールがあるだけで列車が走ることはない

跨線橋から眺めると側線は城端線の線路をまたいで左奥に消えていくのが分かる

駅舎を出てそちらの方向に歩いていくと

分岐した線路は左奥へと進んでいき、その先に工場らしきものの煙突が見えるが、それが線路の目的地。中越パルプ工業の二塚工場

経路で隠されてしまっているがグーグル地図にはまだ線路が残っている

工場ができた1957年(昭和32)に専用線が敷かれた。貨物専用線としては新しい部類に入る。この貨物輸送は国鉄からJRになっても続けられ、1日に2往復の貨物列車が当地を走り、2015年まで続けられた。2015年といえば、3月に北陸新幹線の延伸で新高岡駅が開業した年である。時を同じくして貨物列車は臨時列車扱いとなり、半年後に列車そのものがなくなった(正式な貨物駅としての廃止は2017年)

貨物列車の休止とともに二塚駅にも変化が訪れる。駅の無人化だ

駅舎は立派だが、改札にはきっぷの収集箱があるだけ。貨物列車の運行に必要だった駅員さんはいなくなった。同様の事例は高山本線の坂祝駅でもある

駅舎には事務所もあるが、もちろん使用されていない

事務所内にはひょうたんが並んでいた

きっぷの窓口跡に加え、手荷物の受付跡もある。新幹線の開業と新駅の誕生は大きなエポックだが、同時に貨物列車の休止、駅の無人化という小さなポックがあったことを残してくれる駅である

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