石川駅

これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~最後の乗車はやはり中央弘前まで

※訪問は2026年7月15日

石川駅で列車を待つ

お昼の最も暑い時間帯の石川駅。20分ほど歩いてきたばかりなので、もちろん汗ビッショリだ。昨年も同時期に弘前鉄道に乗車し、大鰐線で残った駅の回収と弘南線の駅巡りをしたが、駅間徒歩というのをかなり行った。というのも、昨年7月の私は天候に恵まれていて、青森に滞在していた数日間は、いずれも最高気温が26度前後と、そう暑くもなかった。弘前在住のXのフォロワーさんによると、私の訪問時のみ涼しく、その前後は北国といえども気温が35度の猛暑日になっていたとか。今年に関しては、さすがにそううまくはいかず、前日の津軽線でも最高気温は32度で、長年地元で暮らす方にとっては、たまらない暑さとなっていたようだ

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あらためて気づく「非冷房車」

そんな状況の中、朝から弘南線そして大鰐線に乗車して知らされたのは、弘南鉄道の車両には冷房がないことだった

気持ちよく扇風機が回っている。もちろん弘南鉄道の車両に冷房がないことは知識として知っていたが、前述したように昨年は天候に恵まれていたため、エアコンが必要だと感じたことすらなかったのだ。だが今年はさすがに必要性を感じた。乗車時間と混雑具合によるのだろうけれど

車内では間もなくやって来る弘前ねぶたを意識したものだろうか、金魚ねぶたがズラリ並んでいた

別れを告げる時が来た

ホテルを弘前駅前に確保しているため、できるだけ中央弘前駅を利用せずに弘前駅へと向かう手段をあれこれ考えていたが、結局は中央弘前まで乗り通してしまった。まだまだ時間は早い。やはり最後はここで別れを惜しもう

こちらは車内にあったりんご娘というか、おそらく王林さんのサイン

あらためて午前中に見たカウントダウンのボードと再会。こうしたものを見ていると、まだ1年半あるとはいえ、確実に別れの時が迫っていると感じる

県庁所在地ではない弘前市に生まれた地方私鉄。なかなか貴重な存在だ。しかも大鰐線については最初から弘前電気鉄道という電化路線だった。1952年(昭和27)という時期を考えると画期的でもあった。地方都市にあって国鉄の路線と並行する私鉄に認可が出たことも凄いことだ。奥羽本線が当時非電化で、復興中の日本という国にあって、貨物列車の需要が高まり、奥羽本線が旅客ニーズに応えられない状況だったことも幸いしたという

新しい建物が多い弘前市の中心部で、ひときわ存在感を放つこの駅舎ともこれでお別れ。遠く離れた地から大鰐線を見守っていこうと思う

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これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~この看板を見ないことには来た意味がない

※訪問は2026年7月15日

目にとまった看板

前記事で最後に伝えた分岐点。ここから大鰐線の石川駅を目指す。もう徒歩で10分を切るぐらいの場所まで来ていると思う

すると目にとまったのは

クマ注意の看板。全く記憶にないので当時からあったものかどうかも分からない。もしあったとしても雪深い季節だったのでスルーしていたのかもしれない。そもそも全国各地でのクマ被害が深刻になり始めたのも昨年の夏以降のこと。私も過去にはホイホイと行けたというか、むしろ喜んで行けた山中の誰も利用しそうにない駅でただ1人過ごすのは正直怖くなっている

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かつての白い道を通って

大鰐線の踏切を渡る。義塾高校前駅から奥羽本線をオーバーパスするための高架部分は終わっていて、後は線路沿いの道路を行くだけだが

昨年3月はこのような道だった。きれいに除雪された部分とのコントラストが美しい白の道だ。大鰐線の架線でブロックされているが、岩木山が見える。昨年7月の写真を見ると、弘前市内の各地ではきれいに岩木山が見えていたようだが、今年はかすんで見えなかった。山がひとつ見えたり見えなかったりするだけで、こんなに景色が違うものかと思ってしまう

そして石川駅に到着。大鰐線の思い出の旅のゴールでもある

有名看板そしてホキさん

石川駅だ。大鰐線で駅舎のある駅は少ないが、千年駅、弘高下駅と同じ大鰐線の古参駅舎の標準モデルだ

昨年3月は線路以外の部分は雪という感じだった。1952年(昭和27)に弘前電気鉄道の駅として開業。当時は石川町の所在で、現在は弘前市。先に奥羽本線の石川駅が町内にできていたので、当初は新石川駅を名乗った。1986年から現駅名。ちなみに同じタイミングで弘南大鰐駅も大鰐駅となっている。ただ石川町内では後発の石川駅だが、古くからの城や旧市街地は大鰐線の駅の方が圧倒的に近い。そのような事情で、当駅も長らく有人駅だった

窓口の跡も残る

そして石川駅といえば

この看板だろう。今の世の中を象徴しているような出来事だが、とある時ネットで大いに「バズった」。いつのことなのか私にも分からないが、昨年初めて大鰐線に乗車した私がその前から知っていたぐらいだから、かなりの人気スポットだ。「死にます」の警告(しかも子ども向けである)は、今ではまず見かけないものだし、ちょっと考えほしい。先に挙げたクマ注意の警告ですら、あくまで「危険」である

 

私も大いにはしゃいでいた。やはり大鰐線に乗車するなら、この看板は外せない

もうひとつ当駅で忘れてはならないのは

側線に止まるホキさん

昨年3月も雪に埋もれながら、しっかり自己主張していた

大鰐線に貨物列車が走っていた時代に活躍していたものが、今は保線車として余生を過ごしている。車両の位置が変化しているので「石川駅常備」のまま、しっかり業務をこなしているようだ

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これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~歩きたくないのに勝手に足が動き出す不思議

※訪問は2026年7月15日

小さな交差点で立ち止まって…

義塾高校前駅から住宅街の方に出る。駅前は何もないのに少し歩くと住宅街というのは不思議だが、あくまでも学校の移転により設置された駅で、近隣住民の皆さんのことは考えると駅を設置する場所がすでになかったというところだろう。しかも以前からの住民の方々のためにはJR奥羽本線の石川駅がある。最初の予定では石川駅まで行き、弘前駅へと出るつもりだった。奥羽本線の普通は昼間はそう多くは運転されていないが、今のタイミングならちょうど良く電車が来るのだ。奥羽本線に乗れば、中央弘前駅と弘前駅の移動問題も解決する

ただJRと大鰐線の交差点まで来て、少し気が変わってしまった

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歩いた景色を思い出し

踏切から向こうを見れば石川駅が見える。すぐの場所だ

そういえば

昨年3月はこうだったなぁ、と景色がフラッシュバックしてしまった

となると、ちょっとあの時と同じ道を歩いてみるか、という気持ちになってしまった

現在地から約15分。昨年3月は大鰐線の石川駅から歩いたが、今回は逆コースとなる。実際にはややウロウロしながら歩くので、もう少し時間はかかるが、大鰐線も1時間に1本の運行。時間はたっぷりある

それにしても弘前学院大前駅では、同じような15分ほどの徒歩を暑さがイヤで止めたのに、こちらはもう少し長そうな距離を歩こうとしている。なかなか人間、強烈な思い出には勝てないものだ

雪に阻まれ、水に阻まれた1年半前

それでは歩いていこう。線路沿いの道路を歩く。舗装はされていない。昨年3月は舗装のなさが、ちょっとした悲劇

当該地を通り過ぎて振り返ってみた。昨夜から今朝まで降った雨の水たまりが少し残っている。もともと水はけの悪い場所なんだと大変納得

というのも当時は

このような状態だったからだ。他に回り道はない。というか踏切が見えているので、すぐそこがゴールである。ということで右端のできるだけ水たまりの小さな所をそろそろ進んで最後はジャンプ!

何とかクリアしたが、着地時にひざを痛めてしまったようで、実は今も冬場に痛みが出る。それまでひざなど痛めたことがなかったので、ある意味勲章をもらったことになる

途方に暮れた思い出も

大鰐線の高架をくぐっていく。JRをオーバーパスするための立派な高架は大鰐線唯一のもの。こちらも残念ながら役割ほ終える運命にある。今日はそういう意味での感慨を持ってながめることができているが、昨年はそのような余裕は全くなかった

しばらくすると奥羽本線をくぐる小さな道路にやって来た。私がとるコースは手前側に進むが、昨年3月はこの手前側からやって来て、携帯アプリにJRをくぐるよう指示された

先に挙げた地図で毘沙門天堂が示されているが、ここを経由するコースだったらしい

実際に行ってみると、このような感じでリンゴ畑の横を進めばたどり着けそうだが、当時は

こうだった。これは無理だろう。足跡を付けた人が偉すぎる。正直泣きが入った。もう1度奥羽本線をくぐって、半ばヤケクソに進んだのが、今日来た道、当時進んだ道である。この絶望的な雪に比べると水たまりぐらいなんとことないのである

その時の記事がこちらである。これは私の中でもなかなか忘れられない旅と

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~苦難の雪中徒歩をしつつ大鰐線の歴史も

※訪問は2025年3月10日

地図を見て二兎を追うことに

石川駅構内の手製地図。大仏公園への道順が示されている。次の大鰐行きまで1時間、中央弘前行きまで50分の時間がある。大仏公園とは旧石川城跡のこと。石川は地域の要衝で戦国時代まで激しい攻防が繰り広げられた場所。歩いてもすぐなので、たまには城址見学も良いだろうと思っていたのだが、別の地図を見て気が変わった

駅周辺はかつての石川町の中心部であることは前記事でも紹介したが、JRの石川駅があり至近に大鰐線の義塾高校前駅がある。道中コンビニもあることだし、おそらく1時間もかかるまい。弘前学院大前駅~聖愛中高前駅のように近くはないが、ここはJRと大鰐線の2駅回収、つまり二兎を追う作戦を発動してみようということになった。もちろん、ここから本当の雪中行軍になるとは想像すらしていなかったのだが…

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JRと全く並行する地方私鉄

大鰐線は中央弘前と大鰐を結ぶ路線だが、この区間はJRの奥羽本線と全く並行している。私鉄が国鉄(当時)に戦いを挑むように新路線を敷設するのは都会では珍しいことではないが、そもそもの人口が少ない地方では例は少ない。にもかかわらず弘前電気鉄道が新路線を開業させたのは、当初は弘前市を抜けて板柳町まで延伸させる予定だったからだ。三菱電機の支援を受けたことも後押しした。1952年(昭和27)と戦後間もない開業ながら最初から電化されていた。奥羽本線の電化はずっと後のことである

ただ開業後は国鉄や路線バスとの競合もあって苦戦が続く。1970年に弘南鉄道に経営が引き継がれた。弘南鉄道では細かく駅を設けて通学需要に対応、地元からの支援も受けて対抗してきた。現在、奥羽本線の弘前~大鰐温泉は途中に1駅つまり石川駅しかないのに対し大鰐線は12もの駅がある

その貴重な1駅であるJRの石川駅にも行けるのだから、これは徒歩の価値があるというもの

早速、線路と並行する道路を歩き始める。その道中はというと

こうなっている。駅の周辺案内図とは違って旧石川町の中心部を通らずショートカットするルートで、これなら大した距離ではない。ちなみに私がスマホで開けたのはナビタイム先生で、ナビタイム先生はグーグル先生の地図では山田毘沙門天堂を通ることになっているコースを指南してくれた

岩木山とりんご園を見とれた後に…

やがてりんご園と岩木山を望む場所にやって来た。大鰐線には「りんご畑鉄道」の愛称が付けられているが、これは美しい。そして3カ月を経た今は全く異なる景色になっているだろう。この景色を見られただけで、この季節に来て良かったと思った。ただし、そんな気分は間もなく吹っ飛ぶ

前掲の地図を参照していただければ分かるが盛り土となっている奥羽本線の下を抜けてすぐに右折のはず。しかしそこにあった光景はというと

お~い!(号泣)

こりゃ無理だろう。足跡はあるが、私はそのような靴は履いていない。しばしぼう然。今さら駅まで後戻りなんてできないが、盛り土をくぐる前に線路に沿っていると思われる道があったことを思い出す。つまりはグーグル先生イチオシの道だが、その時にグーグル検索をする余裕など全くない。とにかく前進するのみ

ところどころに水たまりがあって私の靴では浸水注意だが、そんなことは言っていられないので、ソロソロ進む。後で写真を見返すと大鰐線唯一の陸橋がJRをオーバークロスする路線の見どころだったようだが、それは後で気付いたことで、そんな余裕はない。だから交点の写真も撮っていない

すると今度は

大きな水たまりが行く手を遮る。まるで陸上競技の水濠だ。しかも道が先で右に折れていて、その向こうがどうなっているのか不安がつのる。ただJRの線路は2本になっていて踏切が見える。駅はすぐそこだろうと、スリップに注意しながら道路の右へりを進み、最後はジャンプ。それなりの重量のリュックを背負っていることもあって、元々具合が良くなかった右膝がイテテとなったが、何とか通過

広い道まで出ることができて先ほど見えた踏切から駅の跨線橋が見えた。ようやくたどり着いた。間に合った

JRの石川駅に到着である。自販機でしばし休憩しよう

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~誰もが目を奪われる数々の備品

※訪問は2025年3月10日

急に変わった周辺の景色

聖愛中高前駅から石川駅で下車

所要時間は約15分。電車の中ではこの後、どのようにすれば良いのかばかり考えていたので車窓に目をやる余裕はなかったが、先ほどまでは弘前市の市街地にいる風情だったのが、駅を降りてみるとりんご園などの農地が広がっている

最初から徒歩移動が決まっていれば、車窓を凝視して道の広さはどうだ、坂はあるのか、とチェックするのだが、この時は出たとこ勝負のようになっていたというか、1時間に1本というダイヤの余裕もあって、予習不足気味だった。実はこれが後に大きな後悔をもたらすのだが、それは次回の記事に回すことにする。というのも、この石川駅、伝えることが多すぎるのだ

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ホキさんそして凝った?ホーロー駅名標

電車が去った後の島式ホーム。カーブ状になっているが、まず目につくのは手前にある車両である

ホキさんが停まっている。ホキといえば石灰石運搬のイメージだが、ここ大鰐線ではとうの昔に貨物輸送は終わっている。弘前電気鉄道から弘南鉄道に引き継がれたタイミングなので半世紀以上前のことだ。よく見ると「石川駅常備」と記されている。どうも保線用のものらしい。雪で覆われて分からないが、当駅には貨物用の側線が残されていて、ここに常備されているようだ

構内踏切を渡って駅舎に向かうとホーロー駅名標が出迎えてくれるが、こちらがあまりに斬新である

それまでの文字を隠しているようで隠されていない。「頭隠して-」という言葉があるが、頭も尻も全く隠されていない。「しん」という文字があったことが分かる

当初の駅名は新石川

当駅は1952年(昭和27)の開業で弘前電気鉄道が設置した大鰐線の1期生。当時の所在地は石川町で現在は弘前市。駅名は先の写真で分かる通り「新石川」だった。「新」が付いた理由は簡単ですでに国鉄の石川駅があったからだ。両駅はちょっと離れているため、同じ駅名にはできなかったのだろう。ただし石川町の中心部は新石川だった

公民館の場所がかつての町役場だと思われる。郵便局や小中学校などもあることから大鰐線は石川町の中心部に駅を設置すべくここに線路を設置したのだろう。石川城跡(大仏公園)も近い。事実、大鰐線はJRの石川駅を過ぎたあたりでJRをわざわざ路線内唯一の跨線橋となっている陸橋を造ってまで交差して石川町の中心部に入っている

駅名変更は国鉄民営化の1年前となった1986年4月。「新」の文字を外し、間もなくJRとなる国鉄の石川駅と対抗することとなった

誰もが撮影する看板

駅舎のある大鰐線では貴重な駅のひとつ。一見、普通に見える駅名板だが「石川駅」の左隣にわざわざ1マスで「弘南鉄道」と記されている。この1マスはかつては「新」だったのか

かつては有人駅だったが現在は無人駅。窓口は塞がれている。繰り返しになるが、大鰐線の有人駅は大鰐、中央弘前の起終点の2駅のみ。右奥のお手洗いは一応現役だった

そして石川駅といえば、こちら

当駅を訪問した人が必ず写真に収め、SNSにアップする警告の看板。私が当駅というか、はるばる神戸から大鰐線にやってきた目的のひとつと言っても過言ではない。随分と大柄なこわもての駅員さんが旗を振って注意喚起というより警告を発している。写真で分かるように作成者は石川小学校のPTA。全国の踏切や駅で見かける「きけん」というものと違って実にインパクト大である。廃線となった後も、倉庫やゴミ箱行きではなく弘南鉄道に限らずどこかの駅で次の人生を送ってほしい

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