竹原駅の駅名標

※訪問は2022年10月1日

広島~呉開業後に時間を要して竹原開業

竹原駅に到着。1970年に改築された国鉄らしい駅舎。広島から三原に進むと広で多くの運行が分断され、列車本数も減るのはすでに記した通りだが、呉から東側では最も規模の大きい駅となっている。呉線は計画時は「呉鎮守府両翼鉄道」という名称だった。名前から想像できるように軍港の呉への鉄路。呉の海軍鎮守府は1890年(明治23)に設置されたが、陸路が不便なことが指摘されていて、1903年に呉線の原型となる海田市~呉が開業。広島と線路でつながった。だが、呉以東については、海沿いや峠越えなどの難工事が予想されるため、そのまま放置された形となり、ようやく工事が着手されたのは1923年(大正12)と20年が経ってから。もう昭和に入ろうとしていた。工事は呉と三原から進められ、呉~須波が1930年(昭和5)に開業したのを皮切りに、1932年に三原~竹原が開通した。まずは竹原まで鉄路を通すことが重要だった。しばらく竹原は終着駅だったが、1935年に全通。ただし線内の一部では海側が見えないよう柵が設けられたり、ホームや車内は憲兵が目を光らせるようになったのは、その後間もなくのことだった

瀬戸内の中心港としても繁栄

観光列車用の駅名標。竹原市は「かぐや姫サミット」に参加している。平安時代にはすでに竹原という地名があった。京都の下鴨神社の荘園の中に、その名が見られる。地名の由来は荘園の管理者の名前から、竹が生い茂った原があった、と両方の説がある。下鴨神社の荘園だったことで、町を流れる賀茂川のほか、賀茂の名前が多く残る

戦国時代は良港を求めての奪い合いとなり、江戸時代になってからは製塩で繁栄。港は北前船の寄港地となり、当地の塩は全国に運ばれ、港に米が集まるようになったことで盛んとなった酒造りも開始。塩と酒は広島藩に大きな富をもたらしたという。安芸の小京都と呼ばれる歴史は下鴨神社からだが、街並みは江戸時代に形成されている。朝ドラ「マッサン」のモデルとなった竹鶴酒造は、呉線の工事のため持っていた塩田の一部を提供したという

幻の寝台特急停車駅

駅を出ると竹原市の中心部が広がる

現在、竹原駅を始発とする列車は朝の1本のみだが列車によっては長時間の停車も行われる。かつては呉線経由で東京から下関を結び、わずか3年半(1975~78)で廃止となった幻の寝台特急「安芸」の停車駅(上りのみ)でもあった

みどりの窓口は3年前に廃止されたが、みどりの券売機は設置されている。これは広から東側では唯一の設置

さて竹原の到着は11時すぎ。最初からランチに困らないのは竹原だろうと予想して訪問順を決めていた

予想通り、複数の選択肢があったが、目に入ったのはトンカツ屋さん。ボリュームたっぷりで美味だった。これで夜まで十分体力も持ちそうである

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