東野尻駅の駅名標

※訪問は2023年10月18日

「おなじみ」のスタイル

東野尻駅に到着。これで城端線のすべての駅を訪問したことになる。「すべて」といっても、高岡を含めわずか14駅しかないし、確実に1時間に1本の列車がやって来る路線なので、難易度は高くはない。駅間も短いところが多く、一部に徒歩を加えれば、あっという間に終わってしまうだろう。もっとも今回は初手が、猛暑の残る9月上旬だったので、とてもじゃないが歩く気はしなかったけど

さて、こちら東野尻駅は単式ホームに待合室のみ、という、ある意味城端線では、おなじみのスタイル。9月に最初に降り立ったの東石黒も同様だった。ちなみに同じ形式の両駅そして越中山田駅は、いずれも1951年(昭和26)の8月10日に開業した同じ誕生日の駅。路線そのものの開業や延伸ではなく、すでにあったわずか30キロの路線の途中駅が3駅も同時に開業するのは、戦後では、なかなかレアである

かつての東野尻村に基づく

待合室は昭和26年組や1956年に開業した林駅で一斉に更新されたもの。周辺には小さな集落と農地が広がる

ただし少し歩くとコンビニや大きなスーパーが国道沿いに並ぶ地域でもある。駅名は1954年まであった東野尻村から。東野尻村があったのだから、野尻村や西野尻村もあったが、今はすべてなくなっている。東野尻村は砺波町に編入されて現在は砺波市

野尻という地名は当時の庄川は今の流れとは異なり、小矢部川と合流していたことによるとされる(2つの川によって造られたのが砺波平野)。重要地域で野尻氏が野尻城を築き、支配していた。もっとも、それは「野尻村」の話で、現在の地域的には福野町に入る。最寄り駅で言うと高儀駅や福野駅。東野尻村は、その名の通り、やや東側に位置した

存続危機を乗り越え三セク移管

ホームと待合所のみの構造だが、1日の利用者は約300人と一定の数がある。砺波工業高校は、砺波駅より当駅の方がやや近く、その利用もあるようだ。ホームには地元の方々の手による花壇があり、彩りを添えている

そんな城端線だが、北陸新幹線の延伸時にはピンチがあった。前記事で新幹線がやって来た代わりに貨物輸送がなくなった記事を書いたが、路線そのものの危機がそれ以前にあった

北陸本線が三セク移管することで氷見線と城端線は高岡で接続する両路線以外は他の在来線と接続しない路線となってしまうことで、一時はJR西日本が城端線のバス転換もしくは運行本数の削減を表明。見方によっては「脅し」のような案だったが、これは地元の猛烈な反対により撤回。路線も運行本数もそのままで運行は維持されているが、このころから鉄路維持の動きが始まり、地元では氷見線との直通運転や電化が検討されてきた。地図を見れば2つの路線はつながっているが、旧北陸本線である、あいの風とやま鉄道のホームを挟んで城端線と氷見線のホームがあるという高岡駅の構造もあって、すぐには直通運転は難しい状況にある。観光列車の「べるもんた」は直通運転を行うが、高岡駅ではロング停車となっている

城端線の各駅で、1日の利用者数が1ケタという駅はない。コロナ禍の2021年のデータでも最小は東石黒駅の48人。2ケタは3駅のみと、非電化ローカル線としては優秀な方である。5年をメドとしている三セク移管までに新型車両の導入も順次行われる

高岡から15・5キロ。次回の訪問はいつになるか分からないが、変わりゆく景色をあれこれ想像しながら、素敵なキロポストを目に焼き付けて城端線を後にした

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