1月10日訪問

手柄山公園に向かう

まだまだ昼間は暑いですが、少しでも涼しい気分になるため今年1月の姫路訪問のお話

山陽電車の手柄駅で下車

終点である姫路の一駅手前。基本的に無人駅

私が興味を持ったのはこちら

独特の字体。JRの赤穂線で見かけるこの文字。施工に関わった方が同じだったのでしょうか

写真を撮り忘れましたが、山陽電車の線路と並行して遊歩道があります。播但線の廃線跡です。今は姫路までの播但線ですが国鉄時代は飾磨港の駅まで線路が続いていました(ただし廃線跡の遊歩道は途中で突然終わるので注意)

目指すはサブ駅名にもなっている手柄山中央公園です

真冬とはいえ温暖な日で、途中坂道はあるものの歩くには絶好の日和でもありました

有名なのは水族館ですが、高校野球でも使用される野球場のほか、陸上競技場などもあります

この水族館とほぼ併設されているのが姫路モノレール展示室

 

姫路モノレールとは?

中に入ると当時のままの車両が出迎えてくれます

車内も公開

この展示室は、かつての手柄山駅をほぼそのまま利用しています

姫路モノレールの開業は1966年。当時開催された姫路大博覧会の会場でもあった手柄山への輸送ということで姫路~手柄山が開業しました。当時は暫定開業というか、さらなる延伸も計画されていましたが、それがかなうことはなく、たった8年後の74年に休業。実質的な廃線となりました。わずか1.6キロという路線が赤字を出し続けたからです

当時の時刻表もそのまま保存されています。時刻表を見ると始発が9時過ぎで終電が17時台!

鉄道において最もかき入れ時となるはずの朝夕通勤通学時間に運行がありません。なぜかというと、途中に大将軍という駅が町の中にあるだけの姫路駅を含めたわずか3駅。手柄山公園への通勤通学というのは、ほぼあるはずもなく大将軍駅へは姫路からたったの500メートル。歩いた方が速そうです。つまりは手柄山公園へのレジャーのみにしか利用されなくなっていましたが、運賃についても姫路~手柄山が20円だった時代に100円という高値。東京モノレールの初期、まだ羽田空港~都心の道路もすいていて、なおかつタクシー初乗り100円だった時代に250円もの運賃が設定されて利用者が全くなかった話と似ています。当時のモノレールがあまりに高い工事費のおかげで運賃が高くなったことがよく分かるお話

そんな理由で、大将軍の駅が間もなく廃止。やがて路線そのものも廃止の運命をたどりました。ただ遺構は残り、新幹線の車窓から見える橋脚に「あれは何だ?」と思った方も多いのではないでしょうか

そんな遺構がよみがえったのが現在の展示室。よくも30年以上、駅や車が残されていたと思います

2011年に現在の展示室としてオープン

水族館と併設されていることもあって今は家族連れの人気スポット。当時の看板もそのまま。モノレールのほか、姫路のバスの歴史なども展示されていて興味深いものとなっています

ジオラマはお子さんに大人気。小さなお子さんのお父さん、お母さんともなるとモノレールの現役当時をそもそも知らない。そんな経緯もあって展示室のオープン後、姫路モノレールへの関心が高まっています

ちなみにモノレールの敷設を推進したのが当時の石見元秀姫路市長で廃駅を利用した展示室オープンを推進したのが石見利勝姫路市長。結果的に親子での事業となっています

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