私鉄

72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~2つの顔を楽しめる駅

※訪問は2025年10月4日

駅舎、ホームに車両も残る

あらためて旧美濃駅。向こうに車両が見えるが、廃線から15年以上が経過しても、内外ともにきれいに保たれている。私の訪問時も雨が降る中、数人の訪問があった。すべてが同業者(鉄道ファン)というわけではなく、廃線となってもなお町の顔のイメージを保っている

なお駅名について、こちらは過去にも触れたかもしれないが、国鉄そしてJRは旧国名のみを駅名にすることは基本的にない。旧国名が、そのまま現在の都市名になっている例は多いが、今回の美濃市駅と同様、「伊勢市」「長門市」のように「市」を入れたりする。なぜかというと国名が付く駅は数が多く、それだけに離れていることも多く、例えば三重県には「伊勢○○」という駅がいくつもあるが、伊勢市駅から列車や車を利用しても簡単にはたどり着けない距離の駅もある。誤解を招かないための措置である

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廃線時のままそっくり保存

こちらは駅の解説板。こちらを読んでいただければ歴史も含め、すべてが分かる

駅舎内にはきっぷ売場がそのまま残され、かつての時刻表も掲げられている。ただこれは廃線時のものではない。急行運転はかなり以前に廃止され、運行も基本的には当駅~新関と新関~新岐阜が分断されて美濃駅から新岐阜への直通運転は激減していたからだ。それを考えると1970年代の時刻表ではないかと思われる。廃線時の時点でも20年以上前のダイヤだと思われ、よく残っていたと感心してしまう

ホームにはかつての車両がズラリと並ぶ

現役時代は頭端式の2面2線構造だった

一部の車両は中に入ることが可能

たっぷりと時間をかけることができる

留置車両の詳しい解説もある

野口五郎さんの出身地

旧駅舎にはもうひとつの顔があって

美濃市が野口五郎さんの出身地ということで、多くの関連展示がある。われわれの世代のアイドルスターだった野口五郎記念館の雰囲気もある

美濃町関連グッズと並び展示されている

車両を臨む場所には「私鉄沿線」の歌碑

2019年のデビュー50周年をきっかけに建てられたもの。携帯電話のおかげで駅の改札でただただ誰かを待つこともなくなったし、歌詞に出てくる伝言板も40歳以下の方には何のことか分からないかもしれないが、外に出てしまうと連絡手段がなくなってしまう時代は駅に設けられた黒板に「駅前の喫茶店にいます 高木」のように個人情報丸出しで書き込んで駅に来る人と連絡を取り合っていた。駅にはなくてはならないものだった。牧歌的な時代の光景ではあるが、今でも十分に聴ける歌だと思う

駅名標をパッと見て何のことか分からない方が多いかもしれないが、「博多みれん」が野口五郎さんのデビュー曲だったことも私には分かる。ヒット曲を連発するようになってから「デビュー曲が演歌風だった」と何かと話題にされていたからだ。さすがに「光の道」は知らなかったが、当時発売された最新のシングル曲だったという

鉄道関連での野口五郎さんといえば、廃線となった高砂線の「野口駅」(兵庫県加古川市)から予讃線の「五郎駅」(愛媛県大洲市)までの乗車券が売れ、また五郎駅の存在がメディアで紹介されると駅に多くのファンが訪れ、まだ有人駅だった五郎駅で入場券がおもしろいように売れて駅に印字機を設置したという有名な逸話がある。ネットもない時代、五郎駅の存在はメディアで紹介されない限り、ほとんどの人が知らなかったのだ

ここにはワンちゃんがいたのだろうか。いろいろな側面で楽しめる旧駅舎。2つの顔のどちらかだけでも十分に行く価値のある場所だと思う

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~美濃市駅から徒歩数分の場所にたたずむ歴史を刻む廃駅

※訪問は2025年10月4日

まずは腹ごしらえ

美濃市駅訪問の後はランチタイムとなった。当駅より北に進むとお昼を食べられる確証のある場所は郡上八幡までないこともあるし、そもそももう13時半。地元のソウルフードでもある「とんちゃん焼き」をいただくことに。特製のタレに漬け込んだ豚モツをジュージュー焼く。同時に鶏を漬け込んだ「けいちゃん焼き」も注文してシェアしていただいた。行列のできる人気店だそうだが、遅い時間なのですんなり入れて幸運だった

そしていよいよ今回の旅の最大目的のひとつに向かう

ここに来なければ意味がない

向かうといっても、ほとんどお隣さんのような場所だが

美濃駅。といっても現役の駅ではない。廃止になった路線の駅舎が、そのまま保存されている。長良川鉄道乗車が旅の本筋とはいえ、ここに来ないわけにはいかない。名鉄美濃町線の駅だった。1999年(平成11)に廃線となった名鉄美濃町線の駅舎だ。岐阜の中心部に乗り入れる路面電車として知られていた美濃町線は1999年に新関~美濃が廃止され、6年後には残る区間も廃止となって全廃となった

前記事でも触れたが、美濃町線は美濃電気軌道が1911年(明治44)に岐阜市の中心部から当駅まで敷設された路線で、昭和初期に名鉄の一部となった。国鉄越美南線より10年以上も早く現在の美濃市に乗り入れ、しかも岐阜市中心部とダイレクトにつながっていた

こちらも前記事で紹介したが、当時美濃町は成立しておらず駅名は町名から「上有知(こうずち)」駅。ただ2月11日の開業から2カ月も経たない4月1日「美濃町」駅に名を改めている。美濃町が成立したからだ。現代ならわずか2カ月後に新たな町が成立するのだから、駅名も考えて付けろ、となりそうだが、当時は自動券売機があるわけでもなくワンマンの整理券があるわけでもない。地方の私鉄にとって駅名変更はたやすいものだったのだろう

駅は2度にわたり微妙に位置を変えて現在の駅舎がある場所にやって来たのは1923年(大正11)。その年に越美南線も美濃町にやって来たため、国鉄との乗り換えが便利な位置に移転したとされる

徒歩で5分もかからない場所に2つの駅ができた。私鉄と国鉄が乗り入れる美濃町は長良川の港で栄えた重要都市だったのだ

駅名はこの移転の際、越美南線の「美濃町」駅との駅名重複を避け「新美濃町」駅と改名した。国鉄に敬意を払った形だ。現在なら、どちらが先だなどとなりそうだが、この時代は地方の私鉄が国鉄に配慮して会社名や電鉄の文字を入れるケースは見られた

美濃市の成立によって1954年に駅名は「美濃」に変更。ただし路線名は廃線時まで美濃町線のままだった

駅舎は廃線、廃駅となった後は地元で管理され

6年後の2005年には旧駅舎とホームが登録有形文化財となった。徒歩5分以内にある2つの駅舎がともに登録有形文化財となったのだ

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~国鉄時代そのままに街を見下ろす登録有形文化財の駅

※訪問は2025年10月4日

関から約10分

美濃市駅に到着。島式ホームの1面2線だが構内は広く側線もある。役割を終えた貨物ホームには車両が留置されている。すっかり自然に帰ろうとしている草木に雨による薄暗い空気が雰囲気を盛り上げる。実際にはまだお昼の13時半である

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3年間の終着駅

ホームには古い待合所がそのまま残る。駅は高台にあり階段で改札に向かうが

文字も空気も国鉄時代そのままの風情だ。開業は1923年(大正12)。越美南線が美濃太田から当駅までが開業した際、終着駅として設置された。この後、越美南線は延伸されるが、それは3年後。かなりの期間、終着駅だったことになる。逆に言うと、美濃太田から関を経て当駅までをまず開業させるのが重要だったことになる

当初は「美濃町」駅を名乗っていた。現在の駅名となったのは1954年。想像に難くないが、美濃町が美濃市になったことによる変更である

長良川水運の要衝としてこの地は栄えた。美濃国にあるので美濃町という自治体、地名が生まれたと思いがちだが、美濃国は広い。さらに言うと旧国名が地域名になることはあまりない。大抵が「○○国○○」となる。旧国名が自治体名や駅名になっているのは、ほとんどが明治以降のものだ

美濃町も町村制施行時は上有知(こうずつ)町という名前だった。後に美濃和紙の生産地であることから美濃町に変更。戦後に周辺の自治体と合併して美濃市となった。越美南線がやってきたころには既に美濃町となっていたので、駅名もそのまま美濃町となった。実は美濃町へ先に乗り入れた鉄路は国鉄ではなく、後に名鉄美濃町線となった美濃電気軌道が、明治期に岐阜市内から美濃町までの鉄路を走らせている。当時は私鉄に追随する形で国鉄がやって来るなど重要な地だったのだ

国鉄時代にタイムトリップ

駅舎へと向かうと先ほどの出口と同様ホーロー板が残されている

そしてステンレスの改札。まさにタイムトリップである。今も国鉄時代そのままの設備が残っている駅は数多いが、ポイントとなるのは

有人駅だということだ。有人の古い駅舎はタイムトリップ感をさらに強くしてくれる。長良川鉄道の数少ない有人駅のひとつ。そしてもちろん主要駅

こちらは訪問時の時刻表だが、当駅を境に運行本数が大きく変わることが分かる。かなりの列車が当駅で折り返す。この傾向は2週間後のダイヤ変更でさらに顕著になっていて

長良川鉄道の1回目の記事でも記したが、美濃市以北は大幅に運行本数が減り、平日においては朝の10時台の後は3時間運行がない時間帯が生まれている

駅舎は開業時のものをベースに手が加えられているが

2013年に先に述べたホームの待合所とともに登録有形文化財となっている。駅は美濃市の中心部のやや外れの高台にある。次の列車まで1時間半。ここでお昼とすることにしよう

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~行き止まり三セク路線の誕生まで

※訪問は2025年10月4日

富加駅から北上

富加駅からいよいよ北上を開始する。といっても時間はすでに13時。秋の短い日を考えると、今日残された時間はあまりない。それもタクシー利用の理由だった

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つながらなかったあと24キロ

乗車したのは2024年にデビューしたばかりの新型車両600形。柿色の車体で柿の食品サンプルが置かれている。美濃太田から富加までは約6キロ。全長72キロの長良川鉄道なので終点まであと66キロもある。そして終点の北濃まで到達する列車はわずかである

長良川鉄道は三セク会社で、この会社が運営するのが越美南線。だから現在乗車しているのは長良川鉄道越美南線という表記が正しい。ただ越美南線という表現はほとんど使用されておらず、日々利用している人にも長良川鉄道という言葉が定着している

ここからは、この記事を読んでる方には釈迦に説法のような話だが、越美南線があるからには越美北線もある。というか越美北線は現在もJR西日本の現役路線。福井の1駅隣の越前花堂(はなんどう)を起点に大野市へと向かい、九頭竜湖駅まで52キロを結ぶ。越前花堂は帳簿上の起点駅で実際はすべての列車は福井駅から出発する。福井~越前花堂は北陸新幹線の開業により三セクのハピラインんふくいとなったが、越美北線については在来並行線とはならなかったため、現在もJR西日本が運行を担い、他のJR線と接続しない孤立路線となっている

この南北の「越美線」はやがて接続され、福井県と岐阜県つまり越前と美濃が、つながることになっていたが、岐阜県側の越美南線は戦前の1934年(昭和9)に北濃まで達し、戦後に工事が始まった福井県側は1972年に九頭竜湖まで進んだが、県境部分の工事は行われることなく未成線となり、やがて越美南線は国鉄民営化の際に長良川鉄道となった

実はあと少しだった。越美南線の沿線から九頭竜湖までは、現在美濃白鳥からだと簡単に行ける。以前は未成線部分を結ぶバス路線があり、こちらは北濃ではなく美濃白鳥から出ていた(2002年に廃止)。ただ地図を見れば分かるが、美濃白鳥を出てすぐの福井県との県境部分となる油坂峠は急勾配で、国道158号の旧道はつづら折りの道路、新線の油坂峠道路はトンネルとループ道路を組み合わせている。ここを鉄道でつなごうとすると、複雑なスイッチバックが必要となる上、九頭竜湖付近はほとんど民家はない。そこで北濃から北に弧を描くようにして石徹白(いとしろ)村を経由するコースで敷設されることとなったが、結果的に県境部分の24キロは未成線のまま終わっている

かつては越境合併も

24キロは現在の工事技術では、そう困難なことではない。事実越美北線の末端部分となる勝原~九頭竜湖は国道がクネクネとつづら折りとなっているのに対し、鉄建公団によるトンネル一本道で建設されている

だがそれでも建設が進まなかったのは、人口の少なさと冬季の積雪による。グーグル地図で北濃から石徹白経由のコースをなぞってみようとしたが、どうやっても石徹白から再び北濃まで戻って美濃白鳥からの油坂峠道路のコースが出てしまう。よく見ると県境部分は現在、通行止めマークが入っている

この石徹白村は、かつて越境合併つまり県境を越えた合併が行われた自治体。これは「われわれは○○県から○○県に移ります」と、都道府県の所属を変更するもので、出ていかれる都道府県は「領土」を失うのだから、そう簡単に実現するものではなく例も多くない。もともと石徹白村は福井県にあったが、福井県側の道路が冬場に雪に閉ざされるなどの理由で住民が越境合併を望み、1958年に多くの部分が岐阜県白鳥町に編入されることになった。まだ越美北線の工事が始まったばかりのころだった

そのような地域の歴史も抱えながら、ついにつながらなかった北線と南線

列車は間もなく本社のある関駅に到着。ここで振り替えが行われた車両で、さらに北へ進んでいくことになる

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~大正期からの駅舎に三セク後変更された駅名

※訪問は2025年10月4日

タクシー利用の理由

美濃太田駅からはタクシー利用で富加駅へと向かう。タクシーとした理由は簡単。鉄オタ仲間との二人旅だからである。1人だと4000円かかるタクシー代だとしても2000円で住む。3人、4人と増えていけば料金はさらに下がるわけで、この破壊力は凄い。最近日常でタクシーに乗る機会はほとんどなくなったので、タクシーに乗車したのは6月のフラワー長井線乗車の時以来である。この時も同じような環境で、2人でのタクシー利用となった。1人使用の半額となるので、これは積極的に使いたい作戦である。もっともこの作戦は複数の人間が同一行動をとることが絶対条件で、私のように「急にめんどくさきくなったので今日はもうヤメ」といった突然の予定変更をすることが多い人間にとっては鬼門のひとつである

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雰囲気ある駅の改名に物語

富加までの線路距離は約6キロ。ただ線路に沿って直線的な道はないようで

このようなコースとなった。ただどの道を行ったのかは分からない。運転手さんへの「取材」が多かったため。踏切を渡った記憶があるので細い線で描かれたコースかとは思う。料金は手元のメモに「タクシー代1700円」と記されているので、その2倍程度だったと思われる

その駅は

開業は1923年(大正12)。そのころからのものと思われるが、なかなか「そそる」良い駅舎だ。写真で分かる通り、かなり本降りとなっていて行動は制限されたが、雰囲気は素晴らしい

富加町の中心駅というか、町で唯一の駅で周辺には町の中心部が広がる。だから駅名も富加と簡単に納得してしまいそうだが、実はこの駅名は1986年(昭和61)の長良川鉄道転換まで「加茂野」という駅名だった。その加茂野という駅は、サムネの駅名標写真を見ていただければ分かるが、富加の隣駅として存在する。ちょっとややこしいが、現在の富加駅が加茂野駅、現在の加茂野駅が加茂野口だった

もし余裕があれば、タクシーのコースを描いた先ほどの地図を拡大してみてほしい。実は駅舎は富加町にあるが、ホームの一部は美濃加茂市にある。この地域は旧加茂野村で、駅名はそこから付けられた。現在の加茂野口駅は戦後の誕生である

ここまで読むと、駅舎があるのだからなんで最初から富加駅でなかったのか、と思われるかもしれないが、駅の誕生時に富加町はなかった。いや正確には富加という地名も存在しなかった

駅舎のある場所は開業時は富田村だった。戦後に加治田村と合併して富加村が誕生。その後、富加町となった。つまり合成地名。ならば富田駅にするのが普通だが、とにかく日本には富田という地名が多く、ここからは私の推察だが、同駅名の誕生が避けられたのかもしれない。富加村の成立は1954年で同年に加茂野村は太田町などと合併して美濃加茂市となった。「美濃加茂」という駅がないのもそのためだが、三セク転換時に加茂野口駅は美濃太田市加茂野にあるため加茂野駅となり、それまでの加茂野駅は町名通り富加駅に変更。すっきりしたのである

レトロな駅舎とホーム

駅舎内は向かって左側の事務所部分は閉鎖され、窓口もベニヤ板で塞がれている。駅舎の右側の真新しい場所にはテナントが入っていて簡易委託も行っているそうだが、訪問が終日で分からなかった

ホームは2面2線。往来は構内踏切で行い、ホームはかさ上げされている

駅舎の逆側にも出入り口がある

この後に出てくるが、長良川鉄道には登録有形文化財となっている駅がいくつかある。富加駅も資格を十分に有していると思うが、改築した部分があって申請しなかったのかどうかは分からないが、改築以外の部分で十分に貴重な存在となりそうだ

駅舎入り口部分の跡らしきものは財産票なのかどうかも不明だが、町内唯一の駅とあって駅前はきれいに整備され、立派なお手洗いがあったことも伝えておきます

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~懐かしい美濃太田駅へ

※訪問は2025年10月4日

もしかして貴重なきっぷ?

朝8時の芦屋駅は雨模様

手にしたのは芦屋~美濃太田の乗車券。2日前に三ノ宮駅で購入した。ともにそれなりの知名度はある駅だが、この乗車券が1年にどれほど売れるのかは、やや疑問で、ある意味貴重かもしれない

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米原ダッシュを経て懐かしい美濃太田駅へ

芦屋から新快速に乗れば、下車することなく米原まで連れていってくれる。米原から敦賀までは各駅停車になる新快速は、4両編成になってしまうこともあって敦賀まで果てしなく遠く感じるが、米原までは抜群のパワー

週末ということもあって、10時という時間は乗り換え客が多い。彦根あたりだと週末に名古屋へお出かけという人も多いようで、青春18きっぷが以前のシステムだったころは、名古屋までの乗車券を持つ女子高生のグループに「18きっぷをシェアした方が得だよ」と声をかけそうになったこともある

こう見ると鉄道の日記念きっぷの利用期間中ながら同業者(鉄道ファン)の姿はあまりいないようだったが、週末の長い編成で無事に着席

岐阜駅に到着。芦屋駅も雨だったが岐阜駅はさらに強い本降りである。先に言っておくが、ここから2日間、ずっと雨それも冷たい雨に見舞われることになる

懐かしい美濃太田駅から長良川鉄道に

今日と明日は、まる2日間、長良川鉄道に乗車する。実は当初の予定を2週間繰り上げて、予定をこの日に変更した。というのも10月18日にダイヤ変更が実施され、減便されることが発表されるからだ。減便区間は主に美濃市から終点の北濃にかけて。当然だが、この区間を「主人公」にするのが鉄オタである。これはマズいと減便前に旅程を変更。結果的にずっと雨降りとなってしまったが、これはしょうがない。天候よりもダイヤ優先だ

岐阜駅から高山本線に乗車。数度足を運んでようやく達成した高山本線の全駅訪問では何度となくこのホームから乗車した

そしてこちらも懐かしい美濃太田駅。駅前のホテルに2度宿泊した。純正の「Kiosk」もそのまま。できればずっとこのままであってほしい

JR東海の主要駅は「みどりの窓口」を「全線きっぷうりば」と表記することが圧倒的に多い。もちろん中身は同じ。Kioskにこだわったり、駅名標の文字も国鉄字体を使用、車掌の業務も国鉄時代をほうふつとさせるなど、国鉄色を意識するJR東海が、この部分だけは大きく

こちらは岐阜駅のもの。おなじみのみどりの窓口のイラストもないが、美濃太田駅ではしっかり残っている

そして美濃太田からは何度も乗車した高山本線ではなく長良川鉄道に。1区間すら乗ったことがなく、これが初乗車。72キロもある第三セクターで、なおかつ行き止まりとなっている長い長い盲腸線だ。凄く楽しみ

だが、足は長良川鉄道のホームには向かず

なぜかタクシー乗り場へと向かったのである

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1年間ありがとうございました~2025年をふりかえる…その3

九州で強い味方

例年、暑さゆえあまり遠くまで行かない8月ですが、こちらもまたタイムセール航空券の都合で2度もお出かけ

6日に東京で用事があったのですが、ホテルの高額ぶりに都内には泊まらず近頃恒例となった千葉に宿泊し、そこから青春18きっぷを利用して総武本線と成田線をウロウロ。その日のうちに帰宅して残り2日間は近場で済まそうと思いきや

17時に東京駅に着くと沿線火災で運転見合わせ。ちょうどストップした直後だったようで、常磐線の中でエクスプレス予約を操作している間は告知が出ておらず、ここで再開のめどが立っていないと聞かされる。過去にも新幹線のストップは経験していますが、再開直後はバカ混みしている上、下手をすると在来線の終電が終わってから新大阪駅に到着という地獄パターンの可能性は大いにあるので急きょ予定を変更。帰宅ラッシュが始まってなんとか座れた東海道線の中で平塚のホテルを確保して平塚に宿泊しました

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真夏につき、汗だくになる可能性もあるため着替えを1日分、多めに所持していたことと、その気になればどこまでも行けてどこでも降りられる18きっぷのおかげで助かりました

ということで翌日は東海道線を下りながら御殿場線の駅を堪能しながら浜松までたどり着き、そこから新幹線に乗車して帰宅。残り1日分の18きっぷは小浜線の仕上げに使いました

26日からは九州へ

ようやく念願かなった南阿蘇鉄道に乗車。そして2日かけて全駅訪問。決して本数が多いとはいえないので珍しく観光などしましたが

白川水源がとても良かったです。夏は冷たく冬は温かいという年中一定の温度を保つ新鮮な水が本当においしかった。阿蘇牛のステーキ丼を食べたのですが、そこの店舗で出される水が白川水源のもので暑かったこともあり、ガブガブ飲んでしまいました

1年で2度九州に行き、ともに利用したのは旅名人きっぷで当然ながら新幹線を含め特急の乗車はゼロ。ただ私鉄や三セクにも乗れるこのきっぷは本当に強い味方でした

9月以降はひたすら私鉄と三セク

8月の反動からか9月以降は動きが鈍化しました

9月は名古屋に行くついでに豊橋鉄道渥美線の全駅訪問を行ったのみ。こちらは平日は15分に1本、週末も20分に1本の運行があるので気楽でした

強めの旅は10月の長良川鉄道。18日からダイヤ変更で運行本数が減少するということで予定を前倒しにして4、5日に訪問。2025年の旅は天候に恵まれたと前記事で記しましたが、その反動が一気に出てしまったかのように2日とも本格的な雨が降り続き、岐阜の山中は寒かった。もしもに備えて持参したセーターが大いに役に立ちました。こちらもそのうち記事化したいと思います

11月は長野県の旧友のもとへ。こちらは鉄オタ旅ではなかったので初めて地獄谷へ向かい

暖かい日だったのでサルの入浴は当然なく、入り口で「今日はサルの目撃情報がありません」との了承のもと入園料を支払ったのですが、突然1人だけ現れたサルさんの撮影会が始まりました

この後は11月に山陽電車の1日フリーパス、12月にJR西日本大阪近郊エリアの1日QRコード乗車券のみの利用となりました

2026年はどこへ?

1年前の記事で「今年は私鉄と三セクに力を入れる」と書きましたが、結果的にその通りになりました。さまざまな駅を紹介してきましたが、最近のJRの記事といえば、津軽線、日田英彦山線とJRの路線ながら列車は走っていないものぱかり。廃駅を待つばかりの秋田港駅もありました。「現役の」JR路線といえば、大糸線の全駅下車を達成した(厳密には1駅残っています)4月24日の記事が最後で年末に始めた小浜線まで8カ月も記述がありません。これにはいろいろな要素があってJRの駅訪問を行っても中途半端な虫食いに終わっていて路線全駅として紹介するに至っていないことが大きく、また18きっぷのルール変更で身動きが取りにくくなったこともそこに加わります

今年もそのようなきっぷの縛りに負けることなく、各地へと赴いてみたいと思っていますが、ちょっと困ったことといえば、クマの出没情報です。東北方面といえば、この2年は3月に平日キュンパス、7月に北海道&東日本パスを利用して向かっていて、今年も少なくとも夏の北海道&東日本パスは利用しようと思っていました。特に廃止予定の津軽線にはいくつか未訪問駅があります。ただ当然ながら、それらは駅はあってもバスでしか立ち寄れない場所ばかりで、どうしようか、と思案しているのが正直なところ。怖いのは当然ですが、目撃しただけで地元の警察や役所、消防署に迷惑をかけることになります。今年の夏あたりまでは想像もしていなかったことですが、春以降の状況を見て考えなければと思っています

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1年間ありがとうございました~2025年をふりかえる…その2

最も印象に残った旅

5月は今年一番印象深かった日田英彦山線BRTに乗車

こちらもタイムセールで確保した航空券とともに大分まで飛び、杵築から日豊本線を北上。自分の予想をはるかに越えた大きい街だった行橋で宿泊して

平成筑豊鉄道で田川を目指します。この区間は2年前に豪雨と直面して乗車できなくなった場所で今回無事に完乗。そのまま田川伊田、田川後藤寺、添田を経て乗車。JRが運行して鉄道のきっぷも有効という意味では、最後の路線となったこの区間

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最初は完乗が目的で、いくつかの駅で降りられたらいいな、ぐらいの気持ちでしたが、乗車しているうちに「これはもっと見て回りたい」と急きょ予定を変更。たまたま日田に宿をとっていたことも幸いして、ほぼ2日間張り付きに

私の知識は一般道路を走る区間とBRT専用軌道の区間があるぐらいのものだしたが、すべてをバス路線にしてしまうと、道路事情から福岡県と大分県の県境にある東峰村をほとんど素通りしてしまうことを知る

本数が少ないので初夏の季節に1駅間を1時間近く歩くことになりましたが、雄大なめがね橋の景色を眺めることができ、当時の難工事を知ることもできました

駅舎崩壊後、地元の手によって再建された大行司駅とホームへの階段は深く印象に残ります

また区間内にあるいくつかの駅が改築されたばかりだったことも知り

県境にまたがるように造られた駅や

別区間の徒歩で見た路盤にも思いをはせることができました

最後の週末パス

6月はその月いっぱいでの終了となった週末パスを利用すべく、仙台空港へと飛ぶ

18きっぷの変更もそうですが、関東から南東北、甲信越の私鉄や三セクにも乗車できる上、特急料金を払えば新幹線や在来線特急にも乗れる週末パスの終了は痛い。駅訪問というジャンルにおけるアイテムがどんどん減っています

仙山線を山形へと向かい、愛子や山寺などでも降りましたが、意外とうれしかったのは東北福祉大前駅での初下車。東北福祉大OBの方には仕事柄数多く出会いましたが、実際に駅で降りたのは初めて

こちらはインバウンズも含め、大いににぎわっていた山寺駅

そして山形鉄道フラワー長井線にも終点の荒砥まで初乗車

JRのままだったら、とうに姿を消していたかもしれない登録有形文化財の駅にも行くことができました

今年も北海道&東日本パスでふらり東京から

6月はこのほかにも陽の長さを生かした小浜線訪問。そして7月の声を聞くと

前年も行った北海道&東日本パスでのふらり東北旅。駅を降りつつ、宿は行ける所まで行って当日確保というもので、昨年と違って今年は道中一泊のみで青森まで到達しなければならず、慌ただしさもありましたが、それなりに楽しむことができました。実はこちらも記事化できていません

この旅の大きな目的が2つあって、ひとつは正式廃線へカウントダウンとなった津軽線の蟹田以北への訪問。そして

3月に積み残した弘南鉄道大鰐線の残り駅訪問と弘南線の各駅訪問

猛暑というより酷暑の影響は東北地方も例外ではなく、夏場は35度という日も珍しくなかったようですが、なぜか私が青森に滞在した数日間は最高気温26度という日が続き、早朝の列車に乗ると長袖の人も珍しくなかったほど。3月訪問時の暖かさといい、2025年はおおむね気候には恵まれました。もっとも、その後に大きなお返しが来るのですけど

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今年もありがとうございました~2025年をふりかえる…その1

年明けはサンキュー♥ちばフリーパスから

2025年も間もなく終わろうとしています。当ブログも3回目の年越しを迎えることができました。いつもお読みいただきありがとうございます

年またぎになりますが、簡単に2025年を振り返ってみたいと思います

1月のスタートは

サンキューちばフリーパスを利用しての旅。どうしてこの時期になったのかというと、JALのタイムセールでチケットを確保できたため。この後も出てきますが、東北にせよ九州にせよ(今年は北海道には行かず)タイムセールが最優先。東京も少なくとも往路はタイムセールです

京成が参加したことで急激に乗れる路線が拡大した当フリーパス。こうして見ると、とてもじゃないけど2日では乗り切れないですね

そしてこの券面には「新京成電鉄」と、今はなき会社名が印字されています。夏は利用しなかったので分かりませんが、おそらく名前はなくなっているはず

ということで

新京成へ

わざわざ本社の写真も撮りに行きました。料金の高さでも知られる北総鉄道もバンバン乗って、あっという間に料金回収となりました。ただ利用して初めて知ったのですが、JR以外は自動改札機を通れないという欠点があり多少のストレスも

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入手できなくなったフリーパスも

2月は三岐鉄道三岐線の残り駅回収です

昨年から今年にかけて三岐鉄道の北勢線と三岐線の全駅訪問を行ったのですが

今にして思うと良い時期に行けたな、と。というのも今春までは共通で利用できたものが、その後、2線それぞれでパスが必要になりました。昨年の11月あたりから始めた両線の各駅訪問ですが、そのころはこのような変化が訪れるなど全く知らず、偶然のギリギリセーフでした。こうして見ると青春18きっぷの変化といい、週末パスの廃止といい、降り鉄を巡る情勢は厳しいものとなっていると言わざるを得ません

3月はWESTERポイントを利用したJR西日本2日間乗り放題で北陸新幹線の敦賀~金沢の全駅訪問。全駅訪問といってもわずか6駅しかないので、新幹線のダイヤとスピードで瞬時に終了。次の日は七尾線の各駅訪問を試みましたが、あまりの寒さに志半ばで断念。実はそのままで課題のひとつとなっています

この月は慌ただしく翌週に青森へ。これもうまくタイムセールスと合いました。弘南鉄道大鰐線の各駅訪問。自分の住んでいる所は雪が舞うことがあっても数センチ積もることすらないので背丈までの雪に圧倒されました。ただ幸運にも気温は10度を超えていて痛めた膝を引きずりながらの駅間徒歩も気候的にはちょうど良いぐらい

翌日から平日キュンパスで秋田へ。クルーズ船利用者のために貨物専用駅をきれいに改修したものの、10年も経たずに廃駅となってしまうことになった秋田港駅へ。この駅を紹介した記事はかなり読んでいただけました

3月というのは、いろいろな変化が訪れる季節でもあるので活動量も増えるのですが、この月は精力的に活動していて現在紹介中の小浜線を青春18きっぶで訪れています

新機軸に挑戦

4月は3月の反動でほとんど動きはなし。ただ

QRコード乗車券に初挑戦。利用者を広げたいのか実験的な意味が強いのか分かりませんが、JR西日本ではQRコード乗車によるフリーパスを数多くリリースしています。しかも私鉄と合同による商品が多く、なかなか魅力的

堺まで行きはJRで帰りは南海とか、京都まで行きはJRで帰りは阪急といった利用ができます。もっとも大手私鉄の駅では、ちょっと規模が大きくなるとQR改札口が複数あったりするのに対してJRは基本的にひとつ。しかも利用路線内にあるにもかかわらずQR改札がなく、その場合は改札付近に張られているQRコードを読み取って駅員さんに見せたりと手間が多い。また駅員不在時はインターホンの呼び出しが必要となったりするのですが、なかなかインターホンに反応がなくイライラしたり、駅員さんがいても「これは何でしょう?」と言われたりする始末

また駅の容量がインバウンズに対応しきれていない京都市内の駅を5月に訪れた際は、入口と出口が臨時で分けられたりしているのですが、QRコード対応の改札はひとつしかないわけで大変でした

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わずか6年で破綻した東京への通勤圏の都会路線~消えていない残り約10キロの延伸計画

※訪問した2025年1月16日時点の情報です

上野直通便もあり

京成千原線の運行態勢はちはら台から千葉中央、京成千葉を経て京成津田沼との折り返しで1時間に3本。千葉中央から始発の列車が1時間に3本入ってきて千葉中央からは10分に1本の運行となる。都内を目指すには、京成本線の駅である京成津田沼で成田方面からの特急と乗り換えることになるが、朝夕の通勤通学時間帯は、わずかではあるが、京成上野行きの直通列車も運行されている。もっとも普通に乗車したまま上野まで乗り通す人はいないだろう。1時間半もかかってしまうのだ。いるとすれば私を含めた同業者(鉄道ファン)というか、今この記事を読んでくださっている方ぐらいだろう

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先に伸びる線路

ちはら台駅から先は線路少し伸びている。まるで次の駅があるようで、未成線ならではの光景だ

京成千原線は前身の千葉急行電鉄が小湊鐵道の海士有木駅からちはら台を経て千葉中央を目指したものだった。途中駅は2つ計画されていた。辰巳台と国分寺台である。位置関係はこのようになっている

徒歩ルートにしたが、辰巳台は千原線の計画の初期段階ですでに開発が進んでいた団地で、国分寺台には市原市の市役所がある。辰巳台まではすでに用地は取得済みで、敷設工事がすぐにできそうになっているが凍結されたまま。それ以外は一部の用地は取得されたものの、すぐ工事着手とは言えない状況だ

踏切なし、最速110キロの重厚路線

千原線の工事を手がけたのは日本鉄道建設公団いわゆる鉄建公団である。1960年代から全国の鉄道建設を担った。簡単な表現をしてしまうと「頑丈」「高架」のイメージか。東北新幹線などの東日本の新幹線のほか、京葉線や湖西線も手がけた。地方路線も含めると枚挙にきりがなく、すでに廃線となった路線もある。鉄道ファン的には三江線の宇都井駅を含む最後に開業した区間が有名だ。国鉄のイメージが強いが私鉄も手がけている。近鉄のけいはんな線といえばイメージできる人も多いはず

千原線には踏切がない。線路は高架が中心で、駅も掘削か高架となっている。110キロの速度まで出すことが可能だ。片側ホームしか使用されていない駅を2駅紹介したが、路線内は単線運行ではあるものの、複線にするための用地は確保されていて車窓から確認できる。つまりはそれだけお金がかかっているということ

それゆえに運賃が高いということは以前の記事でも紹介したが、運賃計算も千原線のみ独特のものとなっている

こちらは千葉寺駅の運賃表。これだけではよく分からないかもしれないが、千葉中央までは千原線の運賃で、千葉中央を過ぎると急に高くなる。これは千葉急行電鉄から京成が事業を引き継いだ時に千葉急行電鉄の運賃をそのまま引き継ぎ、京成の他路線とは異なるものとしたため。別々の鉄道会社同士の相互乗り入れの場合、別会社に入った瞬間に運賃が急に高くなることがあるが、それと同じシステム。もちろん割引は適用されるが、同じ鉄道会社の同じ列車に乗っているうちに急に料金が高くなるのでは利用者も首をひねってしまうだろう

2029年まで残る計画

当初の計画では複線化も2000年をめどとするはずだったが、それすらも実現していない。バブル時代は遠距離通勤もひとつの形とされていて、少々遠くてもマイホームが持てるなら、と都内の会社までドアトゥードアで2時間近くかけても通勤する人は珍しくなかったが、現在はどちらかといえば都心回帰である。そもそも少子化で広い家を持つ必要もなくなり、予定地を含む沿線のニュータウン開発は目論見通り進まなかった。そのような現状では延伸はおろか複線化も無理ではないかと思ってしまうが、計画は今も「現役」である

2019年に京成電鉄は2029年までの工事申請の期限を延長。つまり今も事業としては継続していることになる

ニュータウンの中を先に向かっているように見える線路。全線開通にはあと約10キロ。予定の線路は約8キロ。途中に大きな山や川があったりするわけでなく、8キロぐらいなら現在の技術をもってすれば、あっという間に敷設できそうだが、近くて遠い8キロとなったまま30年が経過した

訪問難易度は極めて低いので、機会があれば、路線内の豪華施設だけでもぜひ眺めてほしい。そして私はまだ訪問したことのない難読駅の海士有木(あまありき)が気になってしょうがないのである

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