※訪問は2026年7月15日
子どもの歓声の行方は

津軽浜名駅。コンクリートで固められた階段の隙間から雑草が姿を見せている。たくましい
駅の構造は単式ホームに待合所のみの簡素な構造。そしてホームに立つと

向かいからは子どもの歓声。時間は10時。授業中のようだが、実は目の前にある学校の施設と当駅は密接な関係がある
一番最後の開業
津軽浜名駅は1960年(昭和35)の開業。これは津軽線全線の中で最も新しい。昨年から蟹田~三厩の休止区間ばかりにスポットを当てているが、津軽線そのものの歴史は意外と浅く、青森~蟹田の開業が戦後の1951年(昭和26)で、1958年に蟹田~三厩が開業した。戦前からの計画では三厩からさらに線路を延伸して津軽半島をグルリと回るようにして津軽鉄道の津軽中里で接続を図ることになっていたが、三厩まで到達したのはモータリゼーションの波が来つつあるころで、そこから先に線路が進むことはなかった
ひっそりしたローカル線として、そのまま時代が過ぎていくのかと思われたが、青函トンネルの建設と完成によって大きく運命は変わる。北海道を結ぶ鉄路の一部に組み込まれ、蟹田以南は電化され(正確には中小国駅以南だが、当駅に電車が止まることはなかった)、北海道新幹線の開業までは北海道からの特急列車が走る幹線扱いのような路線となる。北海道新幹線が開業してからは、元のローカル線に戻ったが、この区間は今も北海道とを結ぶ貨物列車が走る重要路線だ
ただ、そんな騒ぎとはほぼ無縁だったのが、現在休止となっている区間。この部分は非電化路線として、1日5往復だけが走る超ローカル線として、カタコトと気動車が走り続けていた
青森~蟹田は現在1日9往復。もちろん来春以降も電車は走り続けるが、その区間も含めてこの津軽浜名駅が最も新しい駅となっている。そのためか、高台に後から設けたようになっている駅は構造もシンプルだ
そして、おそらく三厩までの開通から2年を経た時期にわざわざ駅を設けた理由は

こちらの校舎だと思われる
現在は小学校が入っているが、以前は県立今別高校だった。1948年に青森工業高校の今別分校として開校し、1952年に今別高校となった。2007年(平成19)に青森北高校の分校の今別校舎となり、2022年(令和4年)春に最後の卒業生を送り出して閉校となった
感謝のメッセージに熱くなり
津軽浜名駅の小さな待合所は、閉校に向けて寄せられたメッセージで埋められている

学校の卒業生だけではない

高校生を毎日届けたJRの職員からのメッセージもある。学校への感謝の気持ちが込められている
しかも何ということか、最後の生徒が当駅を利用したのは2022年の3月で、その年の8月の豪雨で駅には列車が来なくなった。こんな悲しい偶然ってあるだろうか? ちょっと熱くなった
当地でバスを待つ時間は1時間あった。実を言うと気温もグングン上がって、ここで1時間過ごすのは大変だな、と思っていたが、そんなことはなかった。サウナのようになった待合所で、汗をかきながらひとつひとつのメッセージを読んでいるうちに、あっという間に時間が経ってしまったのだ
来春にはホームにも待合所にもおそらく入れなくなる。ただ、この素晴らしいメッセージの数々が、どこか目に触れる場所で保存されることを願いたい
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