JR東日本

「十日天下」も新幹線の全駅利用を駆け込みで目指す~後編・駆け込み訪問にこそ意味がある

※訪問は2024年3月5日

美しい雪景色の車窓

一夜明けて十日町駅から飯山線で飯山駅を目指す

朝から雪が降り続いている。ただ十日町の中心部は歩道が屋根付きで、駅は徒歩だと5分以上離れたところにあるものの駅へも屋根はつながっている

交差点部分はさすがに屋根はないが、ちょっとした小走りを交えることで、ほぼ雪からは逃れる形で駅へと到着できた

列車が停車しない部分はすっかりホームも雪。上に見えるのが北越急行のホーム。十日町は接続駅で、北陸新幹線の金沢延伸前まで北陸から東京へのメインルートでもあった北越急行からの越後湯沢乗り換えで使用されていた特急「はくたか」の一部も停車していた

8時半に十日町発。飯山線のダイヤは決して本数の多いものではなく、2~3時間に1本の運行。以前の訪問時は、暑さの残る9月で、いくつかの駅で降りたりもしたが、今日は飯山駅が目的だし、列車本数や天候も考えると、線内は乗り鉄である。だが平素は同じ乗り物に1時間も乗ると飽きてしまう私が見とれてしまうほど車窓は素晴らしかった

雪の中のレール

雪化粧の信濃川。飯山線は信濃川・千曲川に沿って走る。戸狩野沢温泉までの1時間20分、ずっと見とれていた

この日の車両もおいこっとだったが、戸狩野沢温泉で乗り換えとなる。乗り換えといっても対面ホームの2分乗継ぎで、実際は車両の交換。すでに長野県に入っている。3駅目が飯山。このまま乗車していれば1時間で長野まで連れて行ってくれるが、さすがにそうはいかない

予想以上の人出

飯山駅に到着。戸狩野沢温泉から2両編成となったが、多くの人が下車した。こちらは一段落した後の写真。はっきり分かる通り、雪が舞っている。十日町より激しい

在来線の改札口を出てすぐ、きっぷ売り場を挟んで新幹線の改札口で長い列ができている。ほぼスキー客の様子で海外からのお客さんの姿も目につく。当駅は無人駅ではないが、2021年11月いっぱいでみどりの窓口を終了。2台の指定席券売機がその代わりを果たしている。旅慣れた人なら券売機の方が楽かもしれないが、ふだん使い慣れていない人は時間がかかるだろう。横で立つ駅員さんが案内しながらの発券。国際色豊かで駅員さんも大変そうだった

私はというと自由席特急券だけ買えばいいので、駅員さんに尋ねると、誰も並んでいない券売機を案内され

あっさり購入。その気になれば、特急券さえ買えば軽井沢まで乗車券は有効だが、新幹線自由席の1区間特例分のみを購入。飯山駅に特化しているので、これで十分

30分ほど時間ができたので駅舎の写真をと外に出てみたが

激しい雪に、撮り逃げするようにして駅舎に戻る

飯山駅は1921年(大正10)に飯山鉄道という地元設立の私鉄によって開業した。戦時買収で1944年(昭和19)に国有化。現在に至る。路線名にもなっている飯山駅は、もちろん主要駅で2015年の北陸新幹線金沢延伸の際に新幹線駅が併設された。その際、在来線のホームも300メートルほど移動。その跡地は留置線として現在も使用され、車窓からも見える。グーグル地図にも側線跡が描かれている。どこまで近づけるか分からないが、事前の計画では行ってみることにしていたが、天候により中止である

ただし飯山鉄道の開業に尽力した五島慶太をたたえる石碑は旧駅から新駅に引っ越しているので、そちらは撮った

三日天下だからこそ意義がある

10時39分のはくたかで1駅乗車である

通過線のない2面構造のホーム。ちょっと遅れたが、これで新幹線駅の全駅訪問を達成。といっても11日後に北陸新幹線の敦賀延伸があるので、10日間だけの至福感。新幹線の駅が廃業になるなんてことは基本的にないので、延伸後にあらためて新駅とともに訪れればいいだろう、という考え方はあるし、その方が合理的でもある(ただし新幹線駅をひとつずつ訪問するのは、お金がかかり、なおかつ飯山駅と新駅では会社が違うので、すべての駅を訪問できるフリーきっぷの発売は難しいと思われる)

ただ、まずは北海道から九州までの全駅訪問を新線開業までに終えたとという事実が私にとっては大切で、直前の滑り込みによる三日天下と分かっている達成にこそ意義があるのだと思っています

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

「十日天下」も新幹線の全駅利用を駆け込みで目指す~前編・痛恨の通過列車乗車

※訪問は2024年3月5日

旅のスタートは新潟空港

この記事を書いている傍らのテレビのニュースでは北陸新幹線敦賀延伸で持ちきりとなっている。私のX(旧ツイッター)のフォロワーさんも訪れているようだ。という事実を百も承知で2週間ほど前のことについて触れてみたい

8時20分、新潟空港にいた。今日は新潟駅から信越本線、上越本線、飯山線と乗り継いで十日町へと至る。大阪から新潟へはJALタイムセールで。最大目的地は明日の飯山駅で、大阪からだと名古屋経由で長野まで行くのが、おそらくノーマルルートだろうが、それだと往復同じコースになってしまう上、新潟空港はこれまで利用したことがなかったので、新潟から十日町経由で向かうことにした

バスで30分揺られ新潟駅に到着。すっかり変わったな、という感慨に浸る間もなく

春の青春18きっぷを購入。信越本線を南下。道中、いろいろな駅を回りつつ、十日町を目指すが、新潟近辺の駅では少しの雪が道ばたに残っている程度で雪のことなど、この時点では考えてもいなかった。しかし長岡あたりまで来ると、風景は一変。車窓は雪一色となってきた

3月16日より前の訪問が絶対

話は昨年秋にさかのぼる。10月に九州新幹線の全駅訪問を目指していた。この旅で全国の新幹線駅訪問を達成することになっていたが、時刻表の路線図を眺めていた時、あることに気付いた

飯山駅が未訪問だ

それよりさらに1年前の2022年10月、JR東日本パスで東京から北陸新幹線→上越新幹線→北陸新幹線とグルリ回って新幹線各駅を回収。これで本州と北海道の新幹線全駅を利用したことになったと、すっかり満足していたのだが、私が上越妙高から乗車したのは飯山通過のはくたかだった

はくたかは基本的に昼間は金沢から長野までが各駅停車で、長野以降が速達運転となる。だが、その中の一部に「飯山のみ通過」という、全駅訪問の死角を狙った(?)列車があり、私はまんまと、それに乗車していたのだ

これはマズいと思ったが、飯山駅のみの訪問というのは、金銭的にも時間的にもなかなか辛いものがある。そのうち北陸新幹線の敦賀延伸の時が迫ってきた。その時期は3月の青春18きっぷの季節以外ないだろうと今回の旅となったのである

上越線に入り、小千谷駅では2台の除雪車が待機中。飯山線の乗り換えとなる越後川口でも雪一色

乗り換え時間2分という優秀すぎる接続で、単行のため駅名標の位置が車両から、かなり離れたところにあるため、写真を撮るだけでも必死だった。ちなみにこの足跡はすべて私のものである(笑)。地元の皆さんは雪に対応した靴だったが、当然私は違う

幸運だったのは、週末中心の観光列車「おいこっと」の定期運用車両に乗れたこと。JR東日本は観光列車を定期運用に使用することはほとんどないが、飯山線では使用されているようだ

ちなみに「OYKOT」とは東京(TOKYO)を逆さ読みしたもので、大都会とは対照的なふるさとを意識して名付けられた

フリーきっぷ購入が問題

さて今回の移動で課題となったのが、きっぷの購入である。新潟エリアには「えちごワンデーパス」「えちごツーデーパス」、信州エリアには「信州ワンデーパス」という、なかなか優秀なフリーきっぷがある。ただし「えちごー」についてはワンデーとツーデーでエリアが異なり、ワンデーは小千谷までしか行けず1570円。ツーデーはエリア拡大で2740円で十日町まで行けるので自分の行動エリアを考えるとツーデーを購入して1日だけ利用しても十分に元がとれるが、こちらは基本的に週末のみの販売。ということで18きっぷの登板となった。ただし飯山駅利用には信州ワンデーパスが必須である

というのも新潟エリアのパスにしてもそうだが、特急料金さえ払えば乗車券は有効なのだ。青春18きっぷだと飯山から新幹線に乗車した場合、乗車券も含めて当該区間は一から買わなければならないが、フリーパスだと特急券だけ買えば大丈夫。また明日は松本に宿泊することになっているので、長野から特急移動することになっても同じく特急券追加だけで済む。2680円で通年発売。こちらの方がお得となる

ただ、このフリーパスは購入が問題で、発売はエリア内のみどりの窓口または指定席券売機となっている。名古屋または東京から行く場合はそれほど苦労はしないだろうが、新潟から入る時はエリア内最初の駅は越後川口そして十日町となるが、両駅はみどりの窓口はあるものの、指定席券売機はない。みどりの窓口の営業時間はJR東日本のHPに記されているが、休憩時間などについて私的には現地に着いてみないと分からないと思っている。新幹線に乗るだけなら飯山まで行けば何とでもなるが、きっぷの購入については何ともならない時は何ともならない

という理由もあって本日の宿は十日町とした

十日町到着は15時前。そして

無事みどりの窓口は開いていた。結論としては私が乗車する翌日の朝から営業していたが、とにかくひと安心

これで明日に何の憂いもなくなった。十日町で宿をとったのは、へぎそばを食べる目的もあった。過去に2度ほど新潟駅近くのへぎそばのお店に行ったが、いずれも長蛇の列で断念。かねてより本場の十日町で食べたいと思っていただけに

大変満足。二人前でも食べられたかもしれない

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

青春18きっぷで冬の内房線を行った~「上り列車」しかない途中駅が終着

安房鴨川駅の駅名標

※2022年12月17日

ゴールはちょっとあっけなく

太海からひとつ進んで安房鴨川に到着。内房線の終着駅で前日から始めた内房線の木更津以南の全駅訪問のゴールである。階段でも「お出迎え」があった

ただ個人的には「ようやく着いた」という達成感はあっても、駅構内の風景に感慨は生まれにくい。というのも乗車してきた電車は外房線の上総一ノ宮行き。現在、内房線を走る列車は木更津~上総一ノ宮の直通運転がほとんどで安房鴨川で多少の待ち時間はあるものの、内房線と外房線を乗り越す際、なにごともなかったように去ることになるからだ。「終着駅」ではあるが途中駅。東海道本線と山陽本線の境界駅となっているが、始終着がほとんどない神戸駅のようなものである。2021年3月、コロナ禍のまっただ中、新型車両の投入と同時に直通運転、ワンマン運転がメインとなった

ただ房総半島をグルリと回る内房線と外房線の特殊な事情から、安房鴨川は「当駅を出発する列車はすべて上り列車」というユニークな特徴を持つ。これは房総半島の東側と西側でそれぞれ少しずつ延伸されてきた「房総線」が安房鴨川でつながった後、あらためて「房総東線」「房総西線」(戦後に現在の名称に変更)という2つの路線に分けられたからだ。前者が千葉が起点で終着は安房鴨川、後者は蘇我が起点で終着は安房鴨川と、安房鴨川が2つの終着駅となったため、安房鴨川から出る列車はすべて上り列車となっている

安房鴨川駅の開業は1925年(大正14)。線路が太海から1区間延伸されてたどり着いた。現在の外房線がやって来たのは、その4年後である。もちろん拠点駅。周辺は鴨川市の中心部で、経済だけでなく観光の拠点駅となっている

全国ニュースで取り上げられることも鴨川シーワールドまでは無料の送迎バスで10分。天候に恵まれれば、歩いても行ける距離にある。またかつては駅裏の印象が強かった西口にはイオンができている

変化の30年

そのイオンがある西口が長距離バスの発着場になったことで発展した場所でもある。安房鴨川から千葉、東京までは外房線の特急「わかしお」を利用するのがメインルートだったが、90年代に入ってわかしおが京葉線経由となり、千葉に立ち寄らなくなったあたりから潮目が変わり始める。アクアラインもできて車との競合も増える。鴨川から県都の千葉へは長距離バスのカピーナ号、東京へは八重洲口、渋谷への便もあり、私も、訪問の数ヶ月前の夏にお世話になったことがある

久留里線の末端にあたる、閑散区間の3駅を通って千葉もしくは東京に行くことができる。このバスがなかったら、その3駅訪問を試みようとはしなかったかもしれない。内房線や外房線だけでなく、久留里線にとってもライバルとなっている

安房鴨川はもちろん管理駅だが、昨年の1月をもってみどりの窓口の営業は終了した。その後、館山、浜金谷と、みどりの窓口が閉鎖されたため、内房線の君津~安房鴨川でみどりの窓口がすべてを消した。というか、所属が外房線となっている蘇我駅を除くと現状、120キロにも及ぶ内房線の全29駅でみどりの窓口があるのは木更津ただ1駅である

AKB48の「会いたかった」という曲があり、このMVは今も容易に見ることができ、那古船形駅がロケ地となっている。チラリとしか出てこないが、駅舎は現在の塗装ではない1918年(大正7)開業時のそのままの姿。メンバーが追いかける列車もいわゆる「スカ車」である。AKB48というと、ついこの間のことのように思えるが、リリースは2006年10月で17年前。たった17年というか、わずか17年というか、走る電車を見るだけで隔世の感がある

帰路につく。わかしおを利用。安房鴨川~東京と完乗するのは、これが初めて。もちろん自由席だが、こちらも今春に全車指定席という変革がある。また内房線、外房線から京葉線経由でダイレクトに東京を目指す朝の快速廃止問題は、もはや全国ニュースである

ここからは青春18きっぷの出番はない(新大阪に到着してから再登板するが)ので乗車券は大阪市内まで。この乗車券は年間にどのぐらい売れるのだろうか

東京着。18時ちょうど発の新幹線に乗車したが、この時間にホームに降りても駅弁を買ったりしていると、すぐ新幹線の発車時間となった

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

青春18きっぷで冬の内房線を行った~豪華な簡易的駅舎のお披露目直後

太海駅の縦駅名標

※訪問は2022年12月17日

安房鴨川まであと1駅

太海に到着。郵便局と一体となった江見までたどり着いた後、少し戻ってまた進んでを繰り返しながら、太海へ。駅名標で分かる通り、隣駅は内房線の終点である安房鴨川。こうした各駅訪問にふさわしい表現かどうか分からないが「リーチがかかった」状態である

その太海駅は独特な駅舎となっている

なかなか立派ではあるが、簡易型の駅舎である

手前の青いものは波を表していると思われる。JR東日本のプレスリリースによると

「駅から海を眺められる環境を活かし、自然を感じ取ることができる駅としています。電車をお待ちいただきながら、駅前広場側からは海を、待合室側からは山を眺めることができます」とある

また「構造体に木材を採用することで、潮風による塩害に強い駅としています」「壁材にも木材を使用し、炭素固定の量を増やし、環境負荷を削減しています」「周辺の風を取り込み、風が抜けやすい駅形状とすることで、待合室等の温熱環境を改善しています」とも

要は最近流行りの簡易駅舎とは、ひと味違う細かい気配りが随所にちりばめられているということだろう

駅舎内のベンチに驚き

そして、もうひとつ「新駅舎のベンチは、(公社)土木学会・東京大学・會澤高圧コンクリート(株)と連携し、最新の技術を用い、コンクリート3D プリンタで製作しています」とあるが、そのベンチがこちら

最初に見た時「わー!駅舎内にソファーがある」と思ってしまった。もちろんプレスリリースにある通り、コンクリート製である。同じくプレスリリースにある通り、木がふんだんに使われている。これは簡易的な駅舎では珍しい。とくに最近のバス停のような簡易駅舎とは大きく異なる構造だ

そして全くの偶然だったが、駅舎の使用開始は12月14日。私の訪問は、まだお披露目から4日目のことだったのだ。写真で分かる通り、到着直後から雨が激しくなり、外にはいられなくなって駅舎内で過ごすことになったのだが、どこで聞いて、どんな関心を持ったか分からないが、わざわざ駅舎を見にきたグループが私の滞在中に2組もあった。ともに車でお越しになっていて、どう見ても同業者(鉄道ファン)ではなかったので、車でわざわざ立ち寄ったのだろう

雨のため一堂が駅舎内に居座ることになり、人を避けて写真を撮るのが大変だった。できれば、駅を見にきたついでに列車にも乗ってみよう、となれば鉄オタの私にとってはうれしいのだが、さすがにそれはかなわなかった

観光資源に恵まれた場所

太海駅は1924年(大正13)の開業。江見からの1区間、4・6キロが開通して一時的に終着駅となった。ただ安房鴨川までのたった3・4キロの開通は、さらに1年後だった。以前の記事でも触れたが、シャクトリムシ的なジワジワした前進である

太海駅は1955年まで存在した太海村に基づく(江見町を経て現在は鴨川市)。いくつかの村が合併した際に「太平洋」と「海産物」が複合された村名が付けられたという。ただ、村ではあるが、観光資源にも恵まれていて、海水浴場はもちろん、漁港や変化に満ちた海岸線、千葉県で最も大きな島である仁右衛門島があり、宿泊施設も多い。新駅見学に来た方々も、観光や宿泊のついでだったと思われる。それだけに開業時からの駅舎を解体しての簡易型駅舎への移行は意外といえば意外だが、観光地に敬意を表した精一杯の簡易型移行だったのかもしれない

もっとも駅舎は新しくなったが、ホームはそのまま。枕木の柵などは鉄道風景の古典に属するものだ。さて、お次の安房鴨川でゴールである

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

青春18きっぷで冬の内房線を行った~全国各地にある「おめでたい駅」

千歳駅のきっぷ回収箱

※訪問は2022年12月17日

千葉の「千歳」

千歳駅で下車

千歳というのは「鶴は千年亀は万年」に基づいたもので、とてもおめでたい言い伝えにちなんだ地名が全国に数多くある。駅名も「千歳烏山」(京王線)、「千歳船橋」(小田急線)とあるが、単なる「千歳駅」は当駅と、北海道の空の玄関口である新千歳空港を持つ都市の千歳駅の2つしかない。2つしかない、というより「2つもある」と言った方が正しいのか。国鉄そしてJRの駅は同名駅を避けるため、国名を入れるなどして区別するようにしているが、北海道の駅については平然とダブらせていることが多い。歴史だけを見ると、開業は北海道の千歳駅が1926年(大正15)、千葉県の千歳駅が1927年(昭和2)と、わずかに北海道の駅が先だが、ともに駅名の変更はなく今日に至る(その一方で「落合」については何も付かないのは北海道の駅だけで、その駅が来春になくなり、JRには「単なる落合駅」がなくなってしまう)

北海道はアイヌ語に源を発する地名が多いが、千歳については、それまでの地名の「シコツ」(アイヌ語で「大きな窪地」の意味)の響きが悪いと、鶴が多く住んでいたことから、江戸時代末期に現地名となったという

千葉県の千歳駅は1954年まで存在した千歳村に基づく。千歳村が千倉町と合併する形で新たな千倉町が誕生したが、翌年に旧千歳村の一部が千倉町から「脱退」する形で周辺自治体と合併。「丸山町」が誕生した。結果的には半世紀後の2006年に丸山町は千倉町などと合併して南房総市ができ、同じ自治体となったが、そのような経緯もあって「千歳」の名は駅名と海岸ぐらいしかとどまっていない

歴代が簡易的駅舎

駅舎は簡易的なもの。内房線で見てきた竹岡駅、九重駅と同じ形だ。1921年(大正10)に南三原まで延伸された際に駅は設置されず、6年後に仮乗降場として開業。3年後の1930年(昭和5)に正式駅となった。単式の棒状ホームだが、過去に1度も構内ですれ違いができるようになったことがない、ある意味貴重な駅で、現在の姿になった2007年より前は貨車利用の駅舎という、首都圏では貴重な存在でもあった

待合所のような駅舎から小さな階段を昇ると、すぐホームである

千歳発富浦行きに注目

駅前にはポツンと商店がひとつ。時間はすでに13時半。朝食を7時前に摂って以来、何も食べていなかったので

ポテトチップスと暖かいボトル缶が本日の昼食である

簡易的な駅舎だが、お隣に立派なトイレはある。12月の冷たい雨が降ってきた。正直、この環境では相当冷えるが、安心して暖かい飲み物を摂取することができる

ちなみに内房線には既に紹介した南房総市役所の最寄りである富浦駅があり、当然ながら千歳発富浦行きの列車がある。そして北海道の千歳駅は千歳線にあるのだが、室蘭本線にも富浦駅があり、こちらにも1日1本だけ千歳発富浦行きの列車がある。「富浦駅」もまた全国で2つしかない。北海道の千歳駅には若干知名度で劣り、利用者数でも相当差がついているが(富浦駅は千葉県の圧勝である)、なかなか存在感を見せている駅だと思う

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

青春18きっぷで冬の内房線を行った~千葉県最南端の駅は南房総観光の拠点

千倉駅の縦駅名標

※訪問は2022年12月17日

多目的ホールも備えた合築駅舎

千倉に到着。内房線の駅は「大正期の開業以来の駅」「簡易化された駅」そして「立派に建て替わった駅」の3つに分類されるが、ここは3つ目に該当。中でも最も大きな規模の駅舎を持つ駅となっている

立派な改札口で訪問時は駅員さんが出迎えてくれた

立派なコンクリート製の駅舎は2007年からのもの。開業は1921年(大正10)。安房北条(現在の館山)~南三原が延伸された際に設置された。当駅は旧千倉町の中心駅だが、2006年3月に周辺自治体と合併して南房総市が誕生。新駅舎が完成したのは2007年8月なので、新しい都市の誕生とほぼ同時期ということになる

駅舎内には観光協会が入居するほか、多目的ホールもある大きなもの。フォルムは千倉の風や波をイメージしていて町のシンボルにはふさわしい造りとなっている

最南端の駅と最南端の観光

そんな千倉駅は千葉県最南端の駅。そして館山駅と並ぶ房総半島南部の観光拠点のひとつでもある

船舶にとって東京湾の入口を示す野島埼灯台へは車で20分。灯台があるのは千倉町などとともに南房総市に参加した旧白浜町にあり、もちろんバス路線もある

駅の名所案内にも、しっかり野島埼灯台は記されているが、張り紙はバス会社が替わったからだと思われる。めくれている部分がかすかに「R」と読めるのは「JR」のようだ。白浜町は鉄路のない町ではあったが、かつては国鉄バスが主要路線となっていて、町の中心のバスターミナルは今も「安房白浜駅」と「駅」が付けられている。白浜だけでは和歌山の白浜とダブってしまうので、わざわざ「安房」を付ける念の入れよう。国鉄バスからのJRバスが主要路線となっている駅は今も大きく「乗り換え」案内があることが多く

以前紹介した嬉野温泉へのJRバスが出ている大村線の彼杵駅や

大島へ渡るJRバスが出ていた山陽本線の大畠駅(山口県)には、今も「のりかえ」と鉄道路線でもあるのかと勘違いしてしまう案内が残っているし

同じく山陽本線の光駅(山口県)には、目立つように光市の中心部である室積と記されているのは、当地への路線バスがJRの運行だからだ

白浜町のJRバスは現在、主に長距離を担い、かつての国鉄バス路線は日東交通に引き継がれている。千倉駅からのJRバスも東京行きである

わざわざ鉄路が立ち寄った規模の大きい構内

千倉駅の構内は広い。ホーム構造は2面3線。夜の最終と早朝には当駅始終着の列車も設定されている。跨線橋からの俯瞰や

ホームからの景色で駅の位置がカーブ途中にあることが分かる

こちらは駅前の観光案内図だが、こうして見ると内房線がわざわざ千倉に寄り道するかのように敷設されていることが分かる。重要な町だった。千葉県の最南端にして関東最南端の駅。内房線と同じく、わざわざ下車する価値のある駅である

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

天候に左右された2023年を振り返る(後編)

7月初日から足止め

7月は佐伯のホテルで迎え

早朝から名前シリーズを無事に全駅訪問。たった4駅ですが2日かかります。10月も同様の行動となるのですが、佐伯~延岡の超難関区間を訪ねる際は、必ず朝の6時台に活動を開始して7時台には強制終了となるので、ホテルに戻って改めて朝食というパターンが定着してしまいました。この日は蒸し風呂に入っているような気候だったので朝からあらためてシャワーを浴びたりする(笑)

ただ雨の方はというと最も活発な前線は九州を去ったようなので、すっかり安心

結果的に佐伯から延々と普通のみを乗り継いで日豊本線小倉に到着後、まだまだ明るいため、せっかくの旅名人きっぷなので小倉モノレールを堪能しているうちに前線が東に移動して山口県内のJRが全線ストップ。帰れなくなりました

もっとも足止め先が小倉という大都市だったので宿をとり、一度は残る1回の権利を持ち帰ろうとしていた旅名人きっぷは翌日に消化することにして事なきを得たのですが、山口県の鉄道網は、この時の雨で大きな爪痕を残しています

翌日は旅名人きっぷはフル活用して平成筑豊鉄道と

筑豊電気鉄道の両社に乗車。よく混同される両社ですが、全くの別会社。平成筑豊鉄道は元国鉄の第三セクター、筑豊電気鉄道は西鉄の子会社です

この月は四国バースデイきっぷを利用して

営業中の田井ノ浜駅で降車。コロナ禍が明けて久しぶりの営業となった海水浴用の臨時の当駅。訪問は青春18きっぷ利用初日の平日で、さすがにまだ人の姿は少なかった。自分の誕生日が7月で良かったと思える瞬間。この旅では香川県内の駅はほとんどいかなかったにもかかわらず、高松で2泊もしてしまい、どちらかというと「高松での飲み」が中心でした

雨のおかげでライトレール

この後は酷暑のおかげで行動は停止。急な葬儀で横浜に出かけることはありましたが、この後の1カ月間、猛暑の中で何をしていたのか、ほとんど思い出せません。活動再開は8月後半からで、残る4回の青春18きっぷをそろそろ使い切らないとマズいとなり、広島へ。当初は呉線方面へと出かける予定でしたが、三原で新幹線を降りると激しい雨のため呉線は遅延。山陽本線も遅延していましたが、しばらく経つとダイヤも復活しそうだったので、思いつきで瀬野で下車

久しぶりのライトレールは。おそらく私にとっては最後の乗車になりそうです

そして31日からは月またぎで北海道へ。これは私にとっては一生忘れられない体験になることは、ほぼ間違いありません

トラブル続出の北海道

到着の当日は天候にも恵まれ、旭川空港から順調に稚内へ到達

折り返しで抜海で降り立ち、地元の宿で楽しいひとときを過ごしたまでは良かったのですが、翌日に宗谷本線が全線でストップ。旅人宿「ばっかす」のご主人の機転で稚内→(バス)→札幌→(JR)→旭川というルートを教えてくださり、無事に旭川にたどり着くことができましたが、大回りをしての500キロもの移動はかなり大変でした

そして、これはあまり書いてこなかったのですが、北海道上陸とともにカードのトラブルが発生していました。カード会社も電話をくださるのですが、旅先の移動中ばかりで、うまく通話がつながらない。稚内でバスのチケットを確保してから出発まで2時間近い時間があったため、これは良い時間だと、こちらから電話。ただカード会社でよくあることで、オペレーターとの電話が全くつながらず

稚内に行ったことのある方なら、距離感が分かると思いますが、駅で電話をかけ、つなぎ放しにしたまま防波堤ドームまで歩き、探索して駅へ戻ったころに、ようやくつながった。感覚的には稚内から札幌までのバス6時間より、長かったです

カード会社との話はまだ終わらず、今度は向こうから電話をくれることになったのですが、当日は移動だけで電話に出る時間がなさそうなので

翌日に廃線予定の根室本線各駅を回って一度富良野に戻ってくるタイミングの、おそらく富良野カレー店の前で並んでいるであろう時間帯を指定したところ、ピッタリその時間に電話をいただき、電話を切った直後に入店の順番が来てトラブルは解決しました

北海道から帰ると今度は青春18きっぷの残る2回を消化すべく高山本線へ。あまり世の中で話題にならないのですが、廃ホーム上に神社がある角川駅が路線すべてで最も印象に残る駅となりました

9月は

珍しく観光で長野県の戸隠神社で戸隠そばを食べたりして

広島県の庄原で芸備線・木次線のイベントに参加

岡山での乗継ぎ割引もなくなっているので、岡山まではおとなび割引で新幹線を利用。岡山からは普通を乗り継いで備後庄原まで行ったのですが。3080円という運賃にビックリ。考えてみると、このあたりの区間って青春18きっぷのようなフリーきっぷか、神戸市内からの通し運賃でしか乗車したことがないので、こんなに距離があるとは実感できていませんでした

平日にもかかわらず、備後落合駅は件の1日1本の集合便に乗車する人でいっぱい。18きっぷの季節はもっと凄いのでしょうね

イベントを夕刻に終えると、バスで広島駅まで行き新幹線で帰宅。考えてみると、この日は一切、芸備線には乗車していない。この時間帯なら、このコースが最速なのでやむを得ませんが、芸備線のイベントに来て芸備線に乗らずに帰るというのは、ちょっと複雑な気持ちでした

完全制覇…とはならず

10月はハロー自由時間きっぷで九州新幹線の全駅訪問を達成。これで全国各地の新幹線駅すべてを訪問したと喜んでいたら、北陸新幹線の飯山駅という乗り残しがあったことに後で気付く。昨秋、JR東日本パスで上越新幹線と北陸新幹線の各駅を訪問した際に乗車した新幹線が飯山駅通過だったのです。わずか1駅だけ残して、これは痛恨。来春の敦賀延伸以降の課題となりそうです

この旅では再び宗太郎ルートにチャレンジして市棚駅訪問。またもや訪問後、延岡駅のホテルで朝食となりました

この後、鉄道の日記念パスでようやく高山本線の全駅訪問を達成

その足で名鉄訪問となりましたが

名鉄275駅で最も利用者の少ないこどもの国駅に寄ったり

信号の赤↔青だけで飽きない西枇杷島のデルタ線が楽しかったです

急な「主役」に驚き

11月は降り鉄にとっては、徒歩も苦にならない最も良いシーズンなんですが、歯科医の自費治療で会社員時代の1カ月分の手取りに近いお金が消えていったので、どこにもでかけず。12月の声を聞いて青春18きっぷによる外房線の全駅訪問を行いましたが、その後、大きなニュースになって驚きました

こちらが浪花駅時刻表。6時36分発の青文字となっているのが、話題となっている勝浦6時25発の1日1本の東京行き通勤快速です。この時は貴重な1日1本だなぁ、としか思っていなかったのですが、まさか県知事や市長、町長が正式抗議する事態になるとは考えてもいませんでした

前編より長くなってしまいましたが、おそらくそれは後半の方がアクシデントが多かったからだと思われます。年明けは青春18きっぷの残り2回分を使用すべくスタートするつもりです

皆さま、よいお年をお迎えください

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

青春18きっぷで冬の内房線を行った~駅舎は郵便局として生まれ変わる

江見駅の縦駅名標

※訪問は2022年12月17日

70キロもトコトコ移動

青堀駅で館山~木更津の全駅訪問を終え、いよいよ房総半島の南に向かう。降りたのは

南国ムードのような木も見えるが、季節は真冬。草木にはあまり元気がない。すでに鴨川市に入っているが、青堀からは結構な旅だった

青堀から70キロ。東海道本線だと大阪から草津よりもまだ長く終着駅として有名な野洲まで行ってしまう距離。もちろん新快速のようなスピード違反の列車はなく、トコトコと普通で約1時間半。線路としては房総半島の南端をグルリと回って東京湾から太平洋に面するようになっている。決して乗り鉄ではなく、同じ乗り物に1時間も乗れば飽きてしまう私には、なかなかしんどい時間だった

自動ドアで駅舎へ出入り

江見駅は1922年(大正11)の開業。安房鴨川はもう目前だったが、南三原から当駅までが延伸された際に、とりあえずの終着駅として設置された。安房鴨川までつながるのは3年後のこととなる。長らく大正期からの駅舎が残っていたが、今は趣を異にする

ホームから駅舎を経て道路に出ようとすると自動ドアのお迎えがある。内房線の駅ではなかなかお目にかかれない。少なくとも大正期からのものでないことだけは間違いない

外に出ると

駅舎であり、郵便局でもあることが分かる

当駅は過去にも登場した

由利高原鉄道の子吉駅を訪問した時のものだが、駅舎の郵便局として江見駅も少し紹介した。子吉駅ではかなり前から簡易郵便局が入居しているので、このあたりは微妙な表現となるが、江見駅は「初めて駅と郵便局が一体運営化した駅」ということになる。郵便局業務と駅業務をともにこなしているからだ。それまであった開業時からの駅舎を解体して2020年に現駅舎&郵便局の登場となった

残念ながら土曜日ということで郵便局は休み。平日の営業時間内なら郵便局の窓口が並び、JRのきっぷうりばもある

「通向け」のこだわり

ポストにこだわりがある。もちろん駅舎と郵便局が併設されているので電車をあしらったものだな、ということは分かる。しかしよく見ると「形式」の後に「クモユニ74」と記されている。クモユニ74とは、かつての郵便車である(正式には郵便・荷物車)。房総半島には1974年にやってきた。ポストの塗装が青色とクリーム色の横須賀線カラー、いわゆる「スカ色」となっているのは、房総半島にやってきた際、スカ色に塗装され直されたからである。JRの声を聞くころには郵便輸送も終わりを迎え、1987年に車両の役割を終えたが、ポストとして蘇ったのである。窓口で郵便物を出すと209系の風景印を押してくれるそうだ

駅紹介の時は、江見駅の時に合わせて記そうと、あえて書かなかったのだが

同じ内房線の安房勝山駅も同じく駅業務と郵便局業務の両方をこなす駅として生まれ変わる予定となっている。来年の夏にも開業する予定で、そこからの情報は持ち合わせていないが、大正期からの駅舎をそのまま郵便局にはなかなかできないため、駅舎の建て直しが予想される。もしかするとすでに形が変わっているかもしれない

跨線橋からの構内風景。大正期からの駅舎が消えるのは寂しいことだが、立派な形で生まれ変わり、無人駅が有人駅となって人が集まるようになるのは良いことだと思います

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

青春18きっぷで冬の内房線を行った~単線区間最初の駅

青堀駅の駅名標

※訪問は2022年12月17日

話題の通勤快速1本のみが東京直通

佐貫町から再び木更津方面へと戻り、青堀で下車。こちらは君津からひとつ南側の駅。内房線は君津から単線区間となる上、東京から、東京への直通列車は君津始終着となるため、利用する側としては急激に本数が減る最初の区間となる

朝の1本のみ上総湊始発で京葉線経由の通勤快速東京行きがあり、青堀を7時10分に出て東京駅の京葉線ホームに8時39分に到着する。こちらは上総湊から内房線区間を各駅に停車し、1時間かけて蘇我までたどり着いた後は、千葉県内は一切停車せず、新木場まで30分間ノンストップという、なかなかユニークな停車パターンの列車だが、昨今のニュースで報道されているようにJR東日本が「やめます」と言っている運行で、将来については不透明である。というか、一度ダイヤ改正として発表したものを撤回するのは聞いたことがないので、おそらく廃止になるのだろう。そもそも私は、今回のニュースが出るまで朝の1本、東京行きがあることは各駅の時刻表で知っていたが、蘇我から新木場までノンストップという停車パターンは知らなかった。しかし快速の有無について県知事や市長が抗議するというのは、あまり聞いたことがなく、さすが大人口を抱える首都圏ならではの話でと感じた。JR東日本もちょっと驚いたのではないだろうか

駅名の由来、町名の由来

話が少しそれたが、君津までのわずか3・7キロで大きく利便性が変わる駅だが、利用者は多い。もちろん人口の多さもあるがイオンモールの存在も頑張りを助けている

マイカー以外の利用者は君津駅からの路線バス利用が多いようだが、20分ぐらいであれば中高生はもちろん徒歩である。私の到着時間はまだ9時20分だったが、土曜日とあって早くもイオンを目指す10代のグループが見られた

そして地図や住居表示を見ると「青堀」の由来もなんとなく想像がつくのである。駅の住所は富津市大堀。1955年に富津町と合併するまで存在した青堀町は旧青木村、旧大堀村を合わせた地名だった。駅の開業は1915年(大正4)。木更津から上総湊まで延伸された際に設置された。後に青堀町となる青堀村の誕生は明治時代。青堀村の駅だから青堀駅となった

現在は富津公園となっている旧陸軍の富津試験場へは戦前、当駅から富津岬に向け専用線が伸びていた

開業時からの駅舎

駅舎は開業当時からのもの。駅を降りるとすぐ国道16号。交通的にも便利な場所にある。駅前ロータリーにはタクシーも停まっていた

訪問時は駅員さんが出迎えてくれた。利用の多い駅ではあるが、みどりの窓口は早々になくなり、その後「もしもし券売機Kaeruくん」が設置された。ちなみに当駅は「もしもし-」が最後まで残った駅(2012年3月撤去)だったという。もう忘れている人も多いかもしれないが、今にして思うとあれは何だったのだろう

年季の入った手入れへの案内文字が残る

この日は週末とあって「新宿さざなみ」との列車交換が行われていた。ちなみに奥に見える跨線橋は駅舎と逆側とを結ぶもので階段以外は何もないが、駅舎のある西口に対し東口と呼ばれている

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

青春18きっぷで冬の内房線を行った~折り返し駅でのお出迎え……

上総湊駅の駅名標

※訪問は2022年12月17日

折り返し列車が多数設定

内房線の2日目。安房鴨川までの道程は長いが、メドはついたので木更津のホテルで悠然と朝食を摂って朝の7時過ぎに出発である

最近のホテルでは珍しくバイキング方式ではなかったが、並ぶ手間もなく、優雅感を味わえる。それでも6時台から朝食のあるホテルを選択した

上総湊到着は7時40分。写真で分かる通りホームはにぎやか。この日は土曜だったが、平日はきっと多数の人であふれているのだろう

当駅は木更津方面からの折り返しが朝夕に多数設定されている。君津を出ると「終着」が設けられている内房線の途中駅は当駅と館山のみ(22時台に1本だけ千倉行きがある)。つまり当駅以降は運行本数が減る。ただし昼間は当駅止まりはなく、すべて1時間に1本の木更津↔上総一ノ宮運行となる。ちなみに内房線と外房線の主に単線区間をグルリと回るこの電車の所要時間は約3時間半。全部乗り通すには「なかなか根性の必要な乗り物」となっている

無人の時間帯も「お出迎え」あり

そのような上総湊駅だが、改札を出ると週末の7時台ということもあってか無人の時間帯。券売機もある駅だがシャッターが閉まっている。JR各社によって対応は異なるのだろうが、無人の時間帯は券売機も停止というのは他社ではあまり見ない気がする。最初に見た時に、どちらかというとビックリしたぐらいだ

折り返しが多数あるということで利便性は格段に違う。きっと終日駅員さんがいるのだろう、と思い込んでいたら、全く逆でちょっと驚いた

ただ駅員さんはいないが、ちゃんとお出迎えはあった

「おはようございます」と声をかけようとしたら、プイとされてしまったが、18きっぷを提示せずとも通してくれるお出迎えに感謝です。こうも寒いと暖を求めるのも当然かもしれない。駅から乗る人は多くても、降りる人はほとんどいない時間帯。ホームで待つのは寒いため、ギリギリの時間まで駅舎内で過ごす人が多いが、結構なアイドルとなっていた。ご本人は、ちょっと迷惑そうだったけど(ちなみに私はノネコには絶対触れないようにしている)

旧湊町→旧天羽町の代表駅

上総湊駅は1915年(大正4)の開業。木更津から当駅まで線路が伸びた時に設置された。次に浜金谷までの1区間(当時)が延伸されるまで1年9カ月の間、終着駅だった。駅舎は開業時からのものと思われる。瓦と微妙に傾いたタクシー乗り場の案内がいい味を出している

内房線の各駅でよく見かける精算所。跨線橋を昇るギリギリまで濡れないように屋根が付けられている

そして各駅で見られた待合室ももちろん現役である

駅名は1955年まであった湊町に基づく。「湊町」駅といえば、現在のJR難波駅の旧名として長く親しまれてきた駅名だが、大阪の湊町駅は1889年と上総湊より、はるか前に開業しているので「上総」がつけられたのか

自治体としての湊町は1955年に金谷村などと合併して天羽町(あまはまち)となったが、港を擁する浜金谷よりも町の代表駅はこちらだった。天羽町は1971年に現在の富津町そして富津市となり、それでも市役所は天羽町役場が使用されたため、富津市の代表駅にもなっていた。ただ市役所は1992年に大貫駅を最寄りとする場所に移転したため、駅から至近だった旧市役所は天羽行政センターとなっている

ちなみに駅前の地図で表示されているように海水浴場も近い

ホームの案内によると500メートル

野生のサルはちと怖いかも

さて野生といえば

まだいらっしゃった。どうも皆さんのアイドル役が疲れたようで、その後スタスタと駅舎を後にしていた。私も次の電車で上総湊を後にすることにしよう

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります