南海本線

羽衣界隈から堺までを再確認してみた~東洋一の海水浴場の証人は今のうちに

※訪問は2026年4月18日

浜寺公園駅から至近

荘厳な浜寺公園駅から浜寺公園までは一本道。というか至近である。かつては海水浴場に向かう道であり、関西でも指折りの別荘地。多くの店舗が並んでいたというこの道を歩くとすぐ

年季の入った駅舎が見えてくる。駅名板の文字がかすれそうになっているが「浜寺駅前」と書かれている。こちらが阪堺線の終点、浜寺駅前停留所である

わざわざ地図を表示するまでもないほどの距離だが、当停留所前の交差点を渡ると、そこが浜寺公園だ。そして記事の最後でもう1度利用することになるのが地図を掲載した理由のひとつ

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趣ある駅舎

阪堺線は路面電車なので基本的に駅舎はない。他には起終点である天王寺駅前、恵美須町そして本社のある我孫子道ぐらいだ。恵美須町には地元に溶け込んだ味のある駅舎が残っていたが、数年前に姿を変えてしまった

こちらは駅の入口。路線図と運賃が掲げられている。ロゴを見れば分かるが、南海の完全子会社である。阪堺線が浜寺まで到達したのは1912年(明治45)のこと。目的はもちろん海水浴場を中心としたレジャー施設で南海と競合するため、顧客争奪戦も起きたが、わずか3年後の1915年(大正4)に南海に合併されることとなった

原則的に乗降ホームは1面だが、縦に並ぶように複線区間のスタート地点にもうひとつ降車専用ホームがあり、メインのホームを電車が埋めている時は、そちら側で乗客は下車。先にホームにいた電車が出発するのを待って乗降ホームへと向かう

阪堺線では貴重な乗車券、定期券売り場がある。天王寺駅前、我孫子道と3カ所しかない貴重な窓口で、ここ浜寺駅前は月水金土の14時から19時までという変則営業となっている

レジャー地だけに昼間は週末の方が本数が多いのが特徴である

かつての海水浴場は

4月中旬だったが、昼間の気温は急上昇の夏のような1日で土曜日の浜寺公園は親子連れでにぎわっていた。ただし言うまでもないことだが、かつて東洋一と言われた海水浴場は今はない。戦後に一帯は連合軍に占領され、返還後間もなく工業地帯造成のための工事が始まり、工場と埋め立て地になってしまった。東洋一の砂浜を埋め立て地にするなど、平成や令和の世の中ではちょっと考えられない。おそらく猛烈な反対運動が起きるだろう。その場所に造られた公園が今のレジャー施設である

滞在中、たまたま14時になったので窓口が開けられた。営業日や営業時間を知らなかったので、この場面を見られてうれしかった

東洋一の海水浴場と別荘地でにぎわった浜寺には昭和の声を聞いて「阪堺電鉄」というもうひとつの鉄道会社が乗り入れを始めた歴史もある。こちらは戦時中に不要不急線として浜寺付近が廃止となり、戦後は大阪市電となった路線だが、3つの鉄道が乗り入れ、お隣の羽衣駅では阪和電気鉄道との集客バトルが行われたほど、鉄道会社にとって魅力的な場所だったのだ

それらを知る歴史の証人としての浜寺駅前停留所だが、実はしばらくすると姿を消すことになっている。前記事で南海の浜寺公園駅の高架事業について記したが、ここで最初の地図を見ていただきたい。地図をなぞると阪堺線と南海本線が交差していることが分かるだろう。阪堺線は海水浴場に近づきたいため、海側に進路をとった。そして後からできた方がオーバークロスするという鉄道の鉄則通り、この交差では路面電車が南海の上を行くという貴重な景色を見られるのだが、この交差は南海の高架工事の難所のひとつととなり、結論として交差をなくして阪堺線の停留所は南海の羽衣公園駅の東隣に隣接することとなった

乗り換えは便利になる(といっても現在もわずか100メートルだが)が、その結果としてオーバークロスそして歴史ある現在の浜寺駅前停留所の駅舎は姿を消す。その時期については高架工事の進ちょく次第でまだ未発表だが、大阪市内からもすぐに行ける場所だけに、ぜひ今のうちに目に焼き付けてほしい

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羽衣界隈から堺までを再確認してみた~無骨すぎる現状駅舎が旧駅舎を際立たせる

※訪問は2026年4月18日

徒歩でも十分な距離だが

羽衣駅からは浜寺公園駅へと移動。東羽衣駅の記事で紹介したように、かつては一大レジャー地だった浜寺海水浴場の最寄りである

元々が羽衣駅も最寄りだったこともあり、距離は大したものではない

それでも高師浜駅からの乗って乗り換えたからには、ここは電車で向かおう

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羽衣駅は高石市、浜寺公園駅は堺市

ひとつの留意点としては歩いても10分ほどの両駅は自治体が異なることだ。臨海地区の公園は一体化しているが、羽衣駅は高石市に浜寺公園駅は堺市にある。なお羽衣、高石の両駅を比べると駅の規模や利用者数で前者が上回っていることで「羽衣市」なる自治体があるように思われることがしばしばあるが、そのような自治体はない

浜寺公園駅に到着。何か真新しいホームが見える

そして主(ホーム)のない線路が見えるが、これは通過線。かつても通過線を伴う構造だったが、なんば方面へは切り欠き線を乗降そして待避待ちホームとして利用するユニークな構造だった。現在は高架事業の真っ最中ということで、なんば方面へのホームを新たに仮ホームとして設置したため、真新しいのだ

仮ホームということで鉄骨むき出しの姿だが、バリアフリーのスロープは設けられている

周辺案内は維持されているが、ここでのポイントは「すぐそこ」と表記された「カフェ駅舎」である

こちらが現在の駅舎。レジャー客も多い駅ということで風雨対策はできている。現在は観光地でしか見かけることのなくなった丸ポストだけはしっかり残されているアンバランスさが、いかにも「仮」という風情だ

主役はもちろん旧駅舎

そして隣に並ぶのが

旧駅舎。あまりの立派さに歴史的建築物の旧邸宅か何かかと思ってしまうが、10年前まで使用されていた浜寺公園駅の駅舎である

詳しいことは解説板に譲ろう。駅の開業は1897年(明治30)と19世紀にさかのぼる。当時は浜寺村の浜辺近くにあるだけの「浜寺」という名の駅だったが、高師浜駅の項でも触れたように一帯の浜が日露戦争後に高級住宅街として開発されることになり、当駅付近には大規模な海水浴場ができた。それに合わせて駅舎も豪華に変身。駅名も「浜寺公園」へとあらためられた。にぎわいを見せたことで人口も増え、浜寺村は後に浜寺町となったが、戦時中に堺市に編入されて現在に至る

周辺の高架事業については20年以上前からの案件であり、当駅の存在も議論の大きな柱のひとつだった。解体案ももちろん議題になったが「さすがに」ということで保存が決定。2016年に駅舎として最後の務めが終わった後、駅としての機能は仮駅舎へと移った。仮ホームが新たに設けられたのも、そのようないきさつからだ

旧駅舎側にロータリーがあるのもその名残である

現在、駅舎は「カフェ駅舎」として使用されている。前述して「ポイント」としたのはこちらである

ただし旧駅舎の役割はこれで終わったわけではない

高架事業の説明には完成予定を「令和16年3月」としている。つまり8年後。その際には新たにできる駅舎に移築してエントランスとなる予定。ある意味それから1907年生まれと間もなく120歳を迎える駅舎の新たな人生が始まる

そしてあまりにもコントラストが過ぎる2つの駅舎を同時に見られるのも今のうちだけ。こちらはぜひ足を運んで目にしてほしい

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羽衣界隈から堺までを再確認してみた~すっかり変わった景色。難読駅とパタパタ

※訪問は2026年ム4月18日

1・4キロの中にある途中駅

わずか1・4キロのミニ路線、高師浜線だが、途中駅はしっかりある

高架の下、うっかりすると見逃しそうな場所にあるのが

伽羅橋駅。なかなかの難読駅だ

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実在した「高級橋」が由来

なんとも難しい駅は「きゃらばし」と読む。もともとの知識がないと、なかなか読めない。伽羅とは最高級の香木。駅近くを流れる芦田川に室町時代に架けられた橋が伽羅を使用していたとされることから橋の名前が付けられた。実際の橋は幕末に造られた石造のもので、現在は埋め立て地の臨海地区にある公園に移設されている

駅の開業は1918年(大正7)だが、ホームに立つと真新しさが伝わってくる。高師浜線は当駅と高師浜駅の間が1970年(昭和45)に、いち早く高架化されたが、それからの半世紀が長かった。羽衣駅までは1キロもないので高架は容易だが、羽衣駅そのものを高架化しない限り高架にするのは無理だ。ようやく羽衣駅とのセットでの高架工事が始まったのが2000年代に入ってから。高師浜線という支線の分岐駅だけに専用ホームの移設もあって20年以上の工期。最後は高師浜線を運休させた方が早く工事が終わるということで3年間の高師浜線運休をはさんで2024年に完成となった

単式ホーム構造は変わらないが、雰囲気は全く変わっている。昼間の運行は20分に1本。当駅付近も高級住宅街のひとつとして町づくりが行われた。そのための駅だった

羽衣駅の乗り換えが便利に

2021年3月の訪問時、羽衣駅は仮駅舎営業だった

改札付近はいかにも仮状態

ホームは本線の上下線プラス高師浜線という構造。今思い出したというより気づいたのだが、まだフラップ式の方向幕いわゆるパタパタが使用されていた。高師浜線のホームは高師浜駅行きしか来ないので固定である

高師浜線のホームは、なんば方面への上りホームのさらに奥にあった

切り欠きホームが専用ホームで、しかもホーム幅や通路幅は狭い。ホーム位置の関係でタッチの差で乗り換えできないこともあったのか

このような注意書きもあるほどだった

それが今は

なんば方面へは平面乗り換えとなり、利便性がはるかに増した。方向案内幕もデジタル式で、完全固定のはずの行き先も他の表示に対応できるようになっている(どのような内容なのかは分からない)

この5年ですっかり生まれ変わった羽衣駅。ただ懐かしさも兼ねて最後は

パタパタの写真を置いておこう

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