北海道&東日本パス

不通区間の津軽線28・8キロ最後の訪問~地元の唯一の高校へのにじむ思いを学ぶ

※訪問は2026年7月15日

踏切の名前は変わらず

あらためて津軽浜名駅。とにかくこの日は急に気温が上昇した日だった

今回の東北行きは、まず朝イチの飛行機で伊丹から仙台まで飛んで仙台駅で北海道&東日本パスを購入。そこから東北本線、IGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道を普通で走破して八戸泊。翌日に青森まで移動して宿泊したので、これが3日目だったが、それまでの2日間とは全く異なる暑さだった。昼間の気温は32度だったので、近畿圏とそうは変わらないが、急に上がると身体がついていかない。夏場の「あるある」で、スマホを持つ手が汗だらけで操作がうまくいかないほどだった

この方角は私が歩いてきた道。住宅街の中を走る線路の雑草は手入れされている

歩いていくと目に止まったのは

「今別高校87」の文字である。これだけだと何のことやらになるかもしれないが

その先にあるのは「今別高校踏切」。前回の記事でも紹介したように、今別高校は閉校時には青森北高校の分校となっていたが、踏切の名前は変わらなかったようだ。そして数字は時速制限のようだが、実際に駅の前後でこんなスピードは出ていない

スポンサーリンク

他の交通関連にも学校の名前

こちらが、その今別高校踏切。津軽浜名駅から学校へと向かう生徒さんは、この踏切を渡っていった。だが、高校はすでになく、踏切も形の上では来春まで現役だが、列車が通過することはもうない。もし豪雨被害による廃線がなければ踏切名はそのまま残ったかもしれないと思うと(現に3月の閉校から5カ月は名前は残っていた)、こちらも感傷的な気持ちになってしまう

そして最初に降りた代行バス、わんタクの停留所に向かって、この地とお別れすることになったが、そこにも「今別高校」があった

「今別高校前」のバス停。これは代行バス、わんタクとは異なる今別町営バスの停留所だが、代行バスの停留所のすぐ近くにあり、高校とは300メートルは離れている

市営バスだった時期はないはずなので、どこかにあったものが二次使用されていてはがれたのか。停留所の名前も実際は違っていて

停留所の向かいにある「今別森林事務所前」が現在の名前だ

ことらも駅の待合所に代行バスの乗り場案内がある。先に駅に来て、その後にバス停を探すという人はほぼいないと思われる(どうやって列車の来ない駅に行ったのか、という話になる)が、もう一度最初に降りた停留所に戻る

私だけでなく、地元のご夫妻とともにわんタクを待つことになった。娘さんが私とそう変わらない年のようなので、かなりの人生の先輩となるが、お元気だ。しばし話をすると今別高校の話になった。駅で見た惜別メッセージの数々について私が話すと「長年の地元で唯一の高校がなくなって、何か冷めてしまったね」との答えが返ってきた。今別町、外ヶ浜町を含めてもたったひとつだった高校への強い思いを感じた

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

不通区間の津軽線28・8キロ最後の訪問~路線内で「最新」の駅はなぜできたのか

※訪問は2026年7月15日

子どもの歓声の行方は

津軽浜名駅。コンクリートで固められた階段の隙間から雑草が姿を見せている。たくましい

駅の構造は単式ホームに待合所のみの簡素な構造。そしてホームに立つと

向かいからは子どもの歓声。時間は10時。授業中のようだが、実は目の前にある学校の施設と当駅は密接な関係がある

スポンサーリンク

一番最後の開業

津軽浜名駅は1960年(昭和35)の開業。これは津軽線全線の中で最も新しい。昨年から蟹田~三厩の休止区間ばかりにスポットを当てているが、津軽線そのものの歴史は意外と浅く、青森~蟹田の開業が戦後の1951年(昭和26)で、1958年に蟹田~三厩が開業した。戦前からの計画では三厩からさらに線路を延伸して津軽半島をグルリと回るようにして津軽鉄道の津軽中里で接続を図ることになっていたが、三厩まで到達したのはモータリゼーションの波が来つつあるころで、そこから先に線路が進むことはなかった

ひっそりしたローカル線として、そのまま時代が過ぎていくのかと思われたが、青函トンネルの建設と完成によって大きく運命は変わる。北海道を結ぶ鉄路の一部に組み込まれ、蟹田以南は電化され(正確には中小国駅以南だが、当駅に電車が止まることはなかった)、北海道新幹線の開業までは北海道からの特急列車が走る幹線扱いのような路線となる。北海道新幹線が開業してからは、元のローカル線に戻ったが、この区間は今も北海道とを結ぶ貨物列車が走る重要路線だ

ただ、そんな騒ぎとはほぼ無縁だったのが、現在休止となっている区間。この部分は非電化路線として、1日5往復だけが走る超ローカル線として、カタコトと気動車が走り続けていた

青森~蟹田は現在1日9往復。もちろん来春以降も電車は走り続けるが、その区間も含めてこの津軽浜名駅が最も新しい駅となっている。そのためか、高台に後から設けたようになっている駅は構造もシンプルだ

そして、おそらく三厩までの開通から2年を経た時期にわざわざ駅を設けた理由は

こちらの校舎だと思われる

現在は小学校が入っているが、以前は県立今別高校だった。1948年に青森工業高校の今別分校として開校し、1952年に今別高校となった。2007年(平成19)に青森北高校の分校の今別校舎となり、2022年(令和4年)春に最後の卒業生を送り出して閉校となった

感謝のメッセージに熱くなり

津軽浜名駅の小さな待合所は、閉校に向けて寄せられたメッセージで埋められている

学校の卒業生だけではない

高校生を毎日届けたJRの職員からのメッセージもある。学校への感謝の気持ちが込められている

しかも何ということか、最後の生徒が当駅を利用したのは2022年の3月で、その年の8月の豪雨で駅には列車が来なくなった。こんな悲しい偶然ってあるだろうか? ちょっと熱くなった

当地でバスを待つ時間は1時間あった。実を言うと気温もグングン上がって、ここで1時間過ごすのは大変だな、と思っていたが、そんなことはなかった。サウナのようになった待合所で、汗をかきながらひとつひとつのメッセージを読んでいるうちに、あっという間に時間が経ってしまったのだ

来春にはホームにも待合所にもおそらく入れなくなる。ただ、この素晴らしいメッセージの数々が、どこか目に触れる場所で保存されることを願いたい

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

JR東海が運営する沿線地域の逸品・名産品などのご当地いいものオンラインショップ

不通区間の津軽線28・8キロ最後の訪問~代行バス停留所から徒歩5分の高台にある駅

※訪問は2026年7月15日

最も感情移入した駅に

大平駅の駅舎にあった張り紙

私が下車した停留所の案内があり「バス停はございません」の文字

現在は代行バスとわんタクを合わせた時刻表がある(昨年もあったはず)ので、案内の張り紙はそれ以前のものだろう。ただここで重要なのは「下り(三厩方面)利用の方は道路の向かい側でお待ちください」の文章

今はすっかり慣れたが、地方に行くとバス停が道路の片側にしか設置されていないことが結構ある。駅訪問に路線バスやコミュニティバスを取り入れるようになったのは、ここ10年ほどの話なので、最初は戸惑った。このように上下線両方の時刻表が掲載されていたり「向かいで待ってください」の注意書きがあれば、なんとなく想像はでき、また最初に出会った「片側のみの停留所」に「向かいで待て」の案内があったので、それ以降は何も書かれていなくても向かいで待って、バスが見えたら「お~い」と手を振ることにしているが、自分の中で最も歴史的なのはこちらで

これはかなり参ったというか、北海道の山中で言いようのない不安に襲われた

ただ今回はそのような心配はない

わんタクは普通の路線バスのように停留所で待って乗ることもできるし、ワゴン車での運行ということで万全を期して予約することもできる。私は昨年に続いて予約しての乗車だった。だから、おそらく向かいまで行かなくても立っていれば運転手さんが探してくれる

そして最初に言ってしまうと、ここから向かう津軽浜名駅が廃線予定区間の7駅の中で最も印象に残るというか、感情移入した駅となった

スポンサーリンク

待合室があるということは

それでもきちんと道路の向かいで待つ

すると北海道新幹線の高架の向こうからわんタクがやって来た。再び外ヶ浜町から今別町へと向かう。ちなみにかなりの乗車があって、もう1人2人乗客がいれば、もしかするともう1台のワゴン車が必要だったかもしれない。やはり、はるばる行く時は予約しておいた方が良いかもしれない

40分ほどかけて

ワゴン車を降りた。それなりの集落の中だ

待合所がある。ということは、駅と離れているのだろう。現時点では休止区間の駅はあくまでも現役の駅で駅舎にもホームにも入れる。つまり駅と代行バスの停留所が近い場合は、そこでお待ちください、というのがJR東日本のスタンスのようだ。前回の大平駅や昨年訪問した中小国駅は100メートルほど離れているが、それでも停留所から駅が見えている

ということで歩き始める。大川平駅のようにスマホの地図アプリを頼りに進み始めるが、かなりある。というか、少なくとも地図を用意するか地元の方に尋ねるかしないと、たどり着けないだろう

300メートルというのは、かなりの距離だ。グーグル地図では、津軽浜名駅から津軽浜名駅に行ったことになっているが、代行バスの停留所名が津軽浜名駅なので、そのような表記になっている。正式に廃駅となると、地図そのものも更新されておそらく別のものになる。来年(つまり2027年)の今ごろにこの記事を見ると、別の表記になっているのだろう

バスの通るメインストリートは右側を行く道路で、駅へはここから左へと折れる

しばし坂道を登っていくと

線路に到達して一安心

奥に駅がある。そして子どもたちの歓声が聞こえてきた

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

不通区間の津軽線28・8キロ最後の訪問~ちょっぴり悲しいピカピカの施設

※訪問は2026年7月15日

写真だけだと分からないかも

巨大な壁を眺めた後、いよいよホームへと向かう

まさに花道と呼ぶにふさわしい通路を歩く。もちろん自然に帰る過程での花で、雪に閉ざされた季節が終わると夏に向けて一斉にエリアを広げ始める。小径と呼んだ方がふさわしそうな通路の先は、もうアスファルト部分が見えなくなりつつある。右手にレールがのぞいているが、これだけでは何のことか分からないかもしれない

振り返るとこのような景色が広がる。これで駅の構造が分かっていただけたと思う。新幹線の高架の下から飛び出てくるように津軽線の列車が入線していた。右にあるのが駅舎でホームと駅舎は随分と離れている

スポンサーリンク

13年で役割を終えた新しい建物

ホームに立つ。この部分だけ見ると、最初に訪問した大川平駅と比べ、まだ現役感が残っている。除草が行われているのかは分からないが、ホームに面した部分だけはレールがしっかり残っている

大平駅は1958年(昭和33)に、蟹田~三厩間が延伸された際に開業した。「おおだい」と読む。最初に訪問した大川平駅が「おおかわだい」で、何やらややこしく感じるが、ともに地名である。「八幡平」に代表されるように東北では「平」が多く使用される

ホームに隣接しているのは保線車用の車庫である

離れたところにある駅舎と全景を見ると、かつては島式ホームだったらしい。片側の保線車用の車庫の隣にはもうひとつ建物があって。こちらは真新しい

カーテンが見えているが

ここは保線にあたる方の休憩室だったようだ

財産票があり、休憩室であることが示され平成21年とある。つまりは2009年。津軽線と海峡線の分岐に近い当駅は無人駅ではあるが、保線の基地でもあったのか。ただし2022年の大雨で津軽線は不通となったため、13年しか使われなかったことになる。すでに役割を終えることは決まっているが、建物が新しいだけに、よけいに感傷的な気分になってしまう

きれいな駅舎内と案内

駅舎へと向かう。開業時からの昭和30年代らしいコンクリート製建物

駅舎内はきれいに清掃されていて駅ノートも置かれている。昨年、今年と休止の各駅を訪問したが、ホーム付近は自然に帰ろうとしているのに対し、施設内はどこもきれいである

大平駅は集落のやや外れに位置していて、集落の方面に向かうと大平山元遺跡がある。わんタクの停留所もある

駅から近く、このポスターは列車が来なくなる前からあったものだろう

ここから今度はわんタクに乗って再び今別町方面に向かうが、地図で分かる通り、バスは踏切を横切る。最初に訪問した大川平駅に蟹田駅から向かう最中そして大川平駅から大平駅に向かう際にも、必ず踏切を通る。そのあたりは郵便局もあって集落の中心地なのだが、当然ながらバスは踏切で一時停止を行う。列車は絶対に来ないので一時停止の必要はなさそうだが、形の上ではまだ現役の踏切だからなのか「一時停止の必要はありません」の文字はなく、一時停止する

あと半年もすれば、一時停止必要なしの看板が建てられるのだろうか。それとも単に踏切が撤去されるだけなのだろうか。1日に何度も一時停止を味わうと、こちらも感傷的な気持ちになった

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

不通区間の津軽線28・8キロ最後の訪問~鉄道の三叉路を臨む駅

※訪問は2026年7月15日

グンと離れた場所へと移動

こちらは大川平駅に掲げられていた今別町の地図。これを見て今別町内ではローカル線らしくなく、短い間隔で駅が設置されていることに気づく。休止区間の各駅訪問の起点となる蟹田駅は外ヶ浜町、終点の三厩駅も外ヶ浜町で、自治体的には外ヶ浜町は飛び地の構成で、間に今別町が挟まった形になっているが、北海道新幹線の駅が併設の形となっている津軽二股からこまめに駅がある。それぞれの駅間は徒歩でも十分なぐらいだ

ただし今別町にある津軽二股駅から外ヶ浜町の大平駅までは駅間が長い

津軽線は列車が走っていないのでグーグル地図は代行バスまたはわんタクでの移動が表示されるが、バスで20分以上、距離にして10キロ以上の行程。津軽線の駅間も11・6キロで、もちろん津軽線内で最長の駅間距離である。それほどこの間には集落らしきものがない

ということで8時18分発の代行バスは8時39分に大平駅に到着した

スポンサーリンク

出会ったのは大きな壁

写真で分かる通り、こちらの停留所には「大平駅」の看板があるので駅はここからでもすぐに分かる場所にある。幹線となっている県道から奥まった場所にある駅が見える。ただし駅に近いためか、大川平駅にあったような待合所の建物はない

県道の突き当たりに駅舎が見えてきた

大きく高く成長した雑草に覆われた駅に来て、まず最初に目に入るのは、ホームなど駅の施設ではない

巨大な壁だ。ホームの逆側にそびえている

その背後に高架が見えるが、これは北海道新幹線。津軽線はここ大平駅の蟹田方面にある中小国信号場で海峡線と分岐し、その海峡線は大平駅の手前あたりで北海道新幹線に合流する。それらはJR北海道の施設となっていて、当然だが電化されている

中小国駅は昨年の同時期に訪問した。当駅も駅は残っているが、津軽線の列車は来ない廃駅対象の駅だが、JR北海道の海峡線の始発駅となっているため列車はやって来る。列車といっても企画列車でない限り貨物列車で、通過していくのみ。始発というのはあくまでも帳簿上のことだが、中小国駅は廃駅となっても線路、列車ともにこの後も残る。線路がなくなるのは中小国信号場から三厩の部分である

つまりこの近辺き中小国信号場と大平駅の間で海峡線が津軽線を離れて北海道新幹線に合流する場面と、残された津軽線が単独で三厩を目指す場面が行われる鉄道の三叉路なのだ。2022年8月の大雨による運休で津軽線の列車が来なくなったことにより三叉路のシーンは見られなくなり、そして来春、三叉路は正式になくなる

北海道新幹線の開業前、青森方面から津軽線に乗車すると青函トンネルとつながる電化区間は特急がバンバン走り、蟹田にも停車していた。蟹田から三厩を目指すと、急に我に返ったように非電化単線のローカル線をトコトコ走り始める落差感がいっぺんに好きになった。その感触は一部すらももう味わうことはできない

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

不通区間の津軽線28・8キロ最後の訪問~名残を惜しんで次の駅へ

※訪問は2026年7月15日

この景色は最後

あらためて大川平駅ホームからの景色。手前にかすかに見えるレールに気づかなければ、一体何の景色か分からないだろう。しばらくたたずんでいたい絶景だが、そろそろここを離れなければならない。今回巡るどの景色もそうだが、現役の鉄道駅という意味では、すべてが私にとっては最後のものとなる

スポンサーリンク

ちょっと気になるもの

駅を離れようとした時、ちょっと気になったものが2点ほど

道路と駅の敷地にある柵と小さな切れ目。切れ目というより、ここが入口だ。1958年(昭和33)から、当駅はずっと無人で、なおかつ旅客専用だったと思われるが、妙に気になるこの幅は、車の誤進入を防ぐためのものだろう。そして鉄道会社にとっては、ある意味便利で、廃線後は、この小さな切れ目にチェーンやロープを張るだけで事足りる。あくまで人だけを通れるようにするためのもので、まさか人を通せないようにするため都合の良い存在になろうとは、さすがに鉄道会社も想像だにしていなかったに違いない。少し悲しい

そしてもうひとつは駅を出たところにある電話ボックス。現在の日本では災害時対策として駅など「人が集まる」場所には公衆電話が置かれることになっているが、こちらの処遇はどうなるのだろう。おそらくというより、間違いなく利用者は現状ゼロだと思われる。大都会の公衆電話もおそらく利用状況は似たようなものだと思われるが、駅がなくなることによって、ここは「人が集まる」場所ではなくなる。そもそも列車が走っていた時ですら1日わずかに5往復。どのぐらいの人が集っていたのかは定かではないが、すっかり自然に戻りつつある駅のホームと同様、緑の襲撃を受けている

この記事を読んでおられる方のうち、果たしてどのぐらいの方が公衆電話を利用したことがあるかどうかとなると「1度もない」と答える方が、もはや多数を占めていると思う。1995年の阪神淡路大震災の時に公衆電話を求めて長蛇の列に並ぶ1人だった私には、やや寂しいことだが、かくいう私も震災の1年後に四国に転勤してからは、公衆電話を利用した記憶はない

荒馬の里

バスの停留所へと戻る

荒馬の里とある。昨年バスの車中からこの看板を初めて見た時、一体何のことだろうと思った。イラストに馬が描かれている。この地域では暴れ馬を飼育する伝統があるのかと思ったが、恥ずかしいほど全く間違っている

「荒馬」は「あらま」と読む。馬役の伝声と手綱をとる女性がペアとなって跳ね踊る今別町の伝統芸能で、田植えが終わった時に田んぼの神様に感謝する行事。毎年夏に盛大に行われる。地域ごとに跳ね方に違いがあり「今別荒馬」「大川平荒馬」「二股荒馬」の3つがあるという(ここまで調べて鉄オタの私はすべて駅名だと思ってしまった)。もともとの由来は騎馬や農耕馬にあるようだが、実際に馬は登場しない(なお今別町のHPによると資料館は施設老朽化のため、今年3月で閉館した)

プレハブの停留所の向こうには商店があった。この日はお世話になることはなかったが、ローカル線の旅ではしばしば地域り店舗のお世話になる。いつの間にかコンビニに慣れされてしまった身には貴重の場である

代行バスがやって来た。1年前と同じくワゴン車の2台運行である。私のほかにも地元の方が1人。次に目指すのは大平駅だ

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

不通区間の津軽線28・8キロ最後の訪問~溶け込む山の景色と子どもの声

※※訪問は2026年7月15日

集落の外れにたたずむ

代行バスを大川平の集落で降りる。肝心の大川平駅は、やや離れたところにある。距離にして100メートルとちょっとだが、あらかじめ場所を把握しておかないと、このメインストリートからは分かりにくい。駅と停留所の場所はわんタクのHPなどで確認できるが、目指すのは停留所ではなく駅なので、携帯アプリという便利な武器がある。列車が来ることはないが、形の上では現役の駅なのでアプリが場所を教えてくれる

スポンサーリンク

泣き声を聞きながら

道路を右に折れると突き当たりが駅である。白い駅舎が見えてきた

すると、ここで近所の家から子ども大きな泣き声。不意の出来事にビックリしたが、時計を見ると8時前。夏場で家の窓は開放的になっているようで、どうも学校に行くのをグズッている感じだった。地方に行き、奥に入っていくに従い、小学生に出会う比率が減っていく。その意味では元気なお子さんがいることは大変結構

「おおかわだい」とひらがなで書かれた大川平駅に到着である。ホームがあって、その向こう側は農地。集落のやや外れに位置している

レールもすっかり埋もれ

単式ホームにコンクリート製の駅舎がある。ホームの前はもちろん線路だが、2022年8月の豪雨被害から4年近く列車が来ていない線路はすっかり草に埋もれている

逆側を見ると、草木はすでにホームにも侵入しつつある。冬場は雪で覆われる近辺だが、雪のない季節にこれだけの成長を遂げるのだから、自然に帰るパワーは凄いと実感させられる

きれいな駅舎内

コンクリート駅舎に入る。大川平駅は1958年(昭和33)の開業。津軽線は1951年に青森~蟹田が、1958年に蟹田~三厩が開業。不通となっている区間は、後に開業した部分である(蟹田~中小国信号場までは貨物列車は運行)。昭和30年代の開業とあって、駅舎も当然のようにコンクリート製である

駅舎内はきれいに清掃されている。ここには列車はもちろん、代行バスも来ないが、待合室は廃線の日まで現役である

昨年も各駅で見たが、不通となった時からの時刻表がそのまま掲げられている

ふと見ると私が降りた停留所までの道案内。合わせて250メートルだから、かなりの距離だ。この駅に列車は来ないにもかかわらず、停留所への地図があるのは、地元以外の人がこの駅まで来てしまった場合に停留所を求めてウロウロせずに済むようにだろう。逆に言うと、私のように停留所で降りて列車の来ない駅まで来る人間は、超一部の「同業者」を除くと皆無なんだろう

ホームからは津軽の山々が見える。なかなか壮観だ。写真を見て今気づいたのだが、このあたりはまだレールが見えている。ただ当地を訪れてから約1カ月。すでに埋もれているかもしれない

待合室に掲げられた駅名標。一見、電灯式に見えなくもないが、確認する方法は私にはなかった

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

不通区間の津軽線28・8キロ最後の訪問~昨年と同じ行程で早朝の青森駅から

※訪問は2026年7月15日

人もまばらな朝6時の青森駅

朝6時の青森駅。昨日の夕刻に到着した時、多くの人が往来していたが、ほとんど人の姿は見えない。1年前と同じ光景

今年も津軽線の不通区間を訪ねる。そして来春にこの区間は正式に廃線となるため、これが最後の訪問となる

スポンサーリンク

昨年と同じ行程

手元には北海道&東日本パス。これも昨年と同じだ。ひとつ異なる点は、昨年は東京から延々と東北本線→IGRいわて銀河鉄道→青い森鉄道と乗り継いできたが、今年は空路仙台まで飛んだので、きっぷの調達は仙台駅で。ただし青森からは同じ行程となる

昨年は中小国駅、今別駅、三厩駅を訪れた。不通区間にあるのは7駅で、津軽二股駅はそれ以前に訪問済み。つまり残るは3駅。今年も代行バスと地域乗合いタクシーのわんタクを利用する。わんタクは津軽線沿線の三厩までは北海道&東日本パスを利用できるので、乗車の際の追加料金はかからない。これも昨年と同じ。昨年が3駅今年も3駅の訪問。だから昨年と同じバス、同じわんタクを利用すれば、3駅を訪問できるのだ(もちろん駅での滞在時間は異なる)

津軽線の乗車も当然同じ。蟹田発5時33分で青森着6時8分の列車が、折り返し蟹田行きとなる。6時過ぎの到着だが、この時間から学校に来る生徒さんもいるようで、それなりの下車がある。ただし蟹田行きに乗車したのは私を含め6人だった。昨年の記事を見ると5人となっているが、ほとんど変わらない

蟹田から訪問が始まる

蟹田に到着。ここから先は不通区間となる。線路は先に伸びていて現役だが、これは北海道へと向かうJR北海道の海峡線だ。隣駅の中小国駅で津軽線と分岐する(正確にはその先の中小国信号場)が、旅客列車は原則として走らず貨物列車のみが走る

たから、ここから先へは列車で向かうことはできない

蟹田駅には代行バス、わんタクの停留所の場所が記されている

蟹田駅で代行バスを待つ

早めに順番待ちの小学生とともに乗車する。最初に向かうのは大川平駅

40分ほど揺られて集落の中にある停留所で降りる

こちらがバスの待合所。今の季節というより、冬場対策を感じさせる建物となっている

中には時刻表そして「照明は点灯しません」の注意書き。建物を管理しているのはJR東日本となっている。津軽線が廃線となった後の地元の交通機関については、わんタクと町営バスを統合したものになる。わんタクは元はといえばJR東日本が実証実験を始めたもので、廃線後もJR東日本は地域交通に関わることにはなる

ここから大川平駅へと向かうが、立派な待合所があることで想像ざきるように、ここから駅までは少し距離がある。歩いて行こう

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

1年間ありがとうございました~2025年をふりかえる…その2

最も印象に残った旅

5月は今年一番印象深かった日田英彦山線BRTに乗車

こちらもタイムセールで確保した航空券とともに大分まで飛び、杵築から日豊本線を北上。自分の予想をはるかに越えた大きい街だった行橋で宿泊して

平成筑豊鉄道で田川を目指します。この区間は2年前に豪雨と直面して乗車できなくなった場所で今回無事に完乗。そのまま田川伊田、田川後藤寺、添田を経て乗車。JRが運行して鉄道のきっぷも有効という意味では、最後の路線となったこの区間

スポンサーリンク

最初は完乗が目的で、いくつかの駅で降りられたらいいな、ぐらいの気持ちでしたが、乗車しているうちに「これはもっと見て回りたい」と急きょ予定を変更。たまたま日田に宿をとっていたことも幸いして、ほぼ2日間張り付きに

私の知識は一般道路を走る区間とBRT専用軌道の区間があるぐらいのものだしたが、すべてをバス路線にしてしまうと、道路事情から福岡県と大分県の県境にある東峰村をほとんど素通りしてしまうことを知る

本数が少ないので初夏の季節に1駅間を1時間近く歩くことになりましたが、雄大なめがね橋の景色を眺めることができ、当時の難工事を知ることもできました

駅舎崩壊後、地元の手によって再建された大行司駅とホームへの階段は深く印象に残ります

また区間内にあるいくつかの駅が改築されたばかりだったことも知り

県境にまたがるように造られた駅や

別区間の徒歩で見た路盤にも思いをはせることができました

最後の週末パス

6月はその月いっぱいでの終了となった週末パスを利用すべく、仙台空港へと飛ぶ

18きっぷの変更もそうですが、関東から南東北、甲信越の私鉄や三セクにも乗車できる上、特急料金を払えば新幹線や在来線特急にも乗れる週末パスの終了は痛い。駅訪問というジャンルにおけるアイテムがどんどん減っています

仙山線を山形へと向かい、愛子や山寺などでも降りましたが、意外とうれしかったのは東北福祉大前駅での初下車。東北福祉大OBの方には仕事柄数多く出会いましたが、実際に駅で降りたのは初めて

こちらはインバウンズも含め、大いににぎわっていた山寺駅

そして山形鉄道フラワー長井線にも終点の荒砥まで初乗車

JRのままだったら、とうに姿を消していたかもしれない登録有形文化財の駅にも行くことができました

今年も北海道&東日本パスでふらり東京から

6月はこのほかにも陽の長さを生かした小浜線訪問。そして7月の声を聞くと

前年も行った北海道&東日本パスでのふらり東北旅。駅を降りつつ、宿は行ける所まで行って当日確保というもので、昨年と違って今年は道中一泊のみで青森まで到達しなければならず、慌ただしさもありましたが、それなりに楽しむことができました。実はこちらも記事化できていません

この旅の大きな目的が2つあって、ひとつは正式廃線へカウントダウンとなった津軽線の蟹田以北への訪問。そして

3月に積み残した弘南鉄道大鰐線の残り駅訪問と弘南線の各駅訪問

猛暑というより酷暑の影響は東北地方も例外ではなく、夏場は35度という日も珍しくなかったようですが、なぜか私が青森に滞在した数日間は最高気温26度という日が続き、早朝の列車に乗ると長袖の人も珍しくなかったほど。3月訪問時の暖かさといい、2025年はおおむね気候には恵まれました。もっとも、その後に大きなお返しが来るのですけど

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

銀世界から盛夏へ移行した大鰐線の残り駅を回収~ようやく跨線橋を渡ってみた

※訪問は2025年7月11日

4カ月を要してたどり着いたJRの改札

大鰐温泉駅の改札。4カ月前はここまで来ることはできなかった。ラッチはなく有人の時間帯は駅員さんが立ってきっぷの回収をするのだろう

ただしまだ6時40分。無人の時間帯だ。JR全線の乗車券、指定券を買うことができると記されているが、みどりの窓口とはなっていない。特急停車駅ながら扱いは簡易委託駅のようだ

スポンサーリンク

足湯も備える

大鰐温泉の駅舎。開業は130年前の1895年と明治期だが、現在の駅舎は昭和30~40年代の典型的なコンクリ駅舎。大鰐町の代表駅にして大鰐温泉の最寄り。最寄りというか、駅前が温泉街となっている。全国には「○○温泉」という駅名ながら、温泉街まで遠い駅がいくつもあるが、ここは名前に偽りなし。鎌倉時代んらの名湯で大鰐からの駅名変更も十分うなづける

駅前には大きなワニと一体となった足湯がある。「こんなところだったのか」が実感

3月に訪問した際の記事。当駅に来る前、弘南鉄道の石川駅からJRの石川駅の間を歩いた時、膝を痛めてしまい跨線橋を渡ることができずJRの方に行くのを断念した。ちなみにもう痛くはないが、まだ違和感が残っている状態だ

大鰐駅へと向かう

さてここからようやく本来の目的である弘南鉄道大鰐線の大鰐駅である。つまり大鰐温泉駅から大鰐駅へと向かう。弘南鉄道では南口にあたる駅舎はJRの駅舎の隣にある

以前は駅員さんがいたが、現在は無人化されている。券売機もなく単に待合室状態。私の訪問時はJRも無人の時間帯。前記事で「どちらで降りても事実上同じ」と記したのは、そういう意味合いだ。厳密にはJR、弘南鉄道とそれぞれの乗客が、それぞれのきっぷを持ってそれぞれの出入口を利用することになるが、今回の私は両社のフリーきっぷを持っているのでどちらも利用できる

4カ月前は渡れなかった跨線橋で、いよいよ大鰐駅へ

弘南鉄道の方へ行こうとすると跨線橋が狭くなる。そしてJRのきっぷしか持っていない人は、ここから先には行けない。駅に出口が複数あるのなら、○○口という風に方角や地名が入るものだが、弘南鉄道には北口と南口があるが、JRの出口は1つである。「JR出口」と表示されているのも、そのためである

弘南鉄道のホームにやってきた。ここは4カ月前にも見た光景。懐かしい

すでに中央弘前行きの電車が出発を待っている。訪問記事と読み比べていただければ分かるが、とにかく景色の違いに驚く。弘南鉄道とJRのホームの間はビッシリ雪が埋まっていたのに、今は青い夏の空。あまりにも対照的だ

共同使用駅の概念とは違うかも

弘南鉄道のホームまで来て目につくのは、こちらの注意書きである

わざわざ「JR」と上書きしたり、「弘南大鰐」の「弘南」の部分を隠してみたりという工夫ばかりが目につくが、これはどういうことかというと前述した通り、JRのきっぷしか持っていない人はこちらの出口からは出られません、との意味だ

JRで降りると線路を挟んで南北を往来するにはかなり回り道をする必要がある

こちらは3月訪問時のもので張り紙はめめめくれかけているが、通り抜けをするには入場料が必要だということが書かれている

訪問時の記事で「いろいろな形式はある」と前置きしながらも共同使用駅とした。ただ共同使用駅の概念のひとつとして「どこからも出入りできる」というのがあるだろう。ホームの導線に共有部分はあるとしても「隣接する駅」という表現が近そうだ

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=