私鉄

天候に左右された2023年を振り返る(前編)

2023年も間もなく終わり。今年はというと、行く先々で気候に左右された年でした。そこでこの1年を簡単に振り返ってみたいと思います

廃駅訪問から1年がスタート

年明けは廃駅の参宮線「池の浦シーサイド駅」訪問からスタート。

バスでも近鉄、JRでも比較的訪問が容易な廃駅。夏に行ってみたい廃駅です

翌日は青春18きっぷの残り1回の権利を使用して紀勢本線から関西本線、草津線、東海道本線で帰ってすたのですが、たまたま居合わせた電車の写真が今にして思うと貴重なものになりました

念願叶う

2月は「西日本グリーンきっぷ」で念願のやくもパノラマカーのかぶりつきシートに着席。長年の夢がかなって満足でしたが、新神戸~岡山~米子~倉吉~京都~金沢~上越妙高とたどった旅で糸魚川や富山よりも鳥取県が最も寒かったです

映画を見てから約40年

3月はJALのタイムセールとJR東日本の鉄道開業150周年ファイナルパスを使用して東北へ。昨秋にもお世話になりましたが、この発売がないと新幹線全駅訪問は下手すると未達成で終わっていた可能性が高い。仙台まで空路で、それほど寒くはなかったのですが岩手県に入った途端にものすごい寒さでした

おかげで川部駅の旧駅舎にもギリギリ間に合い、カウントダウンに入った川部駅のみどりの窓口で青春18きっぷを買うことができました

その足で映画「砂の器」を見てから約40年。こちらも念願かなって羽後亀田駅に行くことができました。亀田の街は駅からかなり離れていて、駅がこんなに寂しいところにあるとは知らなかった。秋田県内の羽越本線の駅で古い駅舎が残るのはここだけ。映画やドラマの功績が大きいと思いますが、窓口もなくなり、ホームも旅客用は単式となりました。今後が心配です

この月は突如、地元の和田岬線に同業者が全国から押しかける事態がありました

またとにかく歩いた名松線全駅訪問もこの月。まだ動植物が本格稼働していない季節でしたが、家城以遠の山中では、ゴソゴソという物音がしたかと思うとシカやイノシシに出会い、伊勢竹原では駅前にやってきたサルともバッタリ。新緑の季節を過ぎると夜に歩くのは絶対やめようと思いましたね

昭和以来の訪問

4月は青春18きっぷの残りで山陽本線沿線をウロウロ

結果的に18きっぷを使用して笠岡ラーメンを食べに行くという旅となりましたが、めちゃ美味かったです

そして、こちらもタイムセールを利用して最後に訪れたのが昭和だったという沖縄へ。37年ぶりの訪問では、ゆいレールの全駅訪問を行いました

意地で「最南端」へと向かった

5月は私にとっては全国で2県あった「最後に訪れたのが昭和」の残る1県である大分へ。大分県については最後が昭和というより幼少期で旅客用として普通にSLが走っていたころだったので、記憶もあいまい

日豊本線をジワジワ南下した後、延岡に宿泊して宗太郎へ

そり後は今も残る美々津駅近くの鉄道総合技術研究所だけを見に行くつもりでしたが車窓を眺めているうちに、どうしても実験線の「最南端」を間近で見たくなり、急きょ予定を変更して翌日

現場へと向かいました

別府からは八幡浜までフェリーで。八幡浜には10回以上行ったことがありますが、四国~九州の船に乗るのは初めてだったのでうれしかったです。また大分県では土地勘もなくキョロキョロしっ放しだったのに四国に上陸すると、急に勝手知ったるなんとやらになってしまう自分の感覚がおもしろかった

この月はJALのタイムセールに追われるまま活動も活発で月末には北海道へ。留萌本線の残る区間の全駅訪問を行い

廃線間近となった根室本線の各駅訪問をしようとしたところ、金山駅から乗車しようとした占冠村営バスの時刻表が外れているという事態に大いに焦りました

小幌駅訪問の後は洞爺湖温泉の「湖の膳舎なかむら」へ。10年前、東京で勤務していた時に行きつけとしていたお店が当地へと引っ越し。当時はマンションの玄関から徒歩10秒で行けたお店が1500キロも離れてしまったわけですが、再会を果たせました。料理も変わらず美味しかったです

長崎新幹線に初乗車

6月は会津若松からレンタカーで旧熱塩駅を訪問した後、喜多方ラーメンを食べ

只見線に乗車

月末には7月へとまたがる九州への旅へと出発して九州新幹線の長崎ルートに初乗車

雨の前線を避けるように移動した旅となり、豊肥本線は運休となるギリギリのタイミングで大分県に到達

5月に続いて佐伯へと向かい、佐伯~宗太郎の「名前シリーズ」の各駅訪問。列車本数が極めて少ない上、途中の移動では

冠水で道路がさえぎられるというアクシデントもあって、全駅の乗車または下車はかなわなかったものの

2日かけて「上岡」「直見」「直川」「重岡」の4駅を訪問(つながる4駅を1日で回れなかった)。現地で月替わりを迎えました

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青春18きっぷで冬の内房線を行った~駅舎は郵便局として生まれ変わる

江見駅の縦駅名標

※訪問は2022年12月17日

70キロもトコトコ移動

青堀駅で館山~木更津の全駅訪問を終え、いよいよ房総半島の南に向かう。降りたのは

南国ムードのような木も見えるが、季節は真冬。草木にはあまり元気がない。すでに鴨川市に入っているが、青堀からは結構な旅だった

青堀から70キロ。東海道本線だと大阪から草津よりもまだ長く終着駅として有名な野洲まで行ってしまう距離。もちろん新快速のようなスピード違反の列車はなく、トコトコと普通で約1時間半。線路としては房総半島の南端をグルリと回って東京湾から太平洋に面するようになっている。決して乗り鉄ではなく、同じ乗り物に1時間も乗れば飽きてしまう私には、なかなかしんどい時間だった

自動ドアで駅舎へ出入り

江見駅は1922年(大正11)の開業。安房鴨川はもう目前だったが、南三原から当駅までが延伸された際に、とりあえずの終着駅として設置された。安房鴨川までつながるのは3年後のこととなる。長らく大正期からの駅舎が残っていたが、今は趣を異にする

ホームから駅舎を経て道路に出ようとすると自動ドアのお迎えがある。内房線の駅ではなかなかお目にかかれない。少なくとも大正期からのものでないことだけは間違いない

外に出ると

駅舎であり、郵便局でもあることが分かる

当駅は過去にも登場した

由利高原鉄道の子吉駅を訪問した時のものだが、駅舎の郵便局として江見駅も少し紹介した。子吉駅ではかなり前から簡易郵便局が入居しているので、このあたりは微妙な表現となるが、江見駅は「初めて駅と郵便局が一体運営化した駅」ということになる。郵便局業務と駅業務をともにこなしているからだ。それまであった開業時からの駅舎を解体して2020年に現駅舎&郵便局の登場となった

残念ながら土曜日ということで郵便局は休み。平日の営業時間内なら郵便局の窓口が並び、JRのきっぷうりばもある

「通向け」のこだわり

ポストにこだわりがある。もちろん駅舎と郵便局が併設されているので電車をあしらったものだな、ということは分かる。しかしよく見ると「形式」の後に「クモユニ74」と記されている。クモユニ74とは、かつての郵便車である(正式には郵便・荷物車)。房総半島には1974年にやってきた。ポストの塗装が青色とクリーム色の横須賀線カラー、いわゆる「スカ色」となっているのは、房総半島にやってきた際、スカ色に塗装され直されたからである。JRの声を聞くころには郵便輸送も終わりを迎え、1987年に車両の役割を終えたが、ポストとして蘇ったのである。窓口で郵便物を出すと209系の風景印を押してくれるそうだ

駅紹介の時は、江見駅の時に合わせて記そうと、あえて書かなかったのだが

同じ内房線の安房勝山駅も同じく駅業務と郵便局業務の両方をこなす駅として生まれ変わる予定となっている。来年の夏にも開業する予定で、そこからの情報は持ち合わせていないが、大正期からの駅舎をそのまま郵便局にはなかなかできないため、駅舎の建て直しが予想される。もしかするとすでに形が変わっているかもしれない

跨線橋からの構内風景。大正期からの駅舎が消えるのは寂しいことだが、立派な形で生まれ変わり、無人駅が有人駅となって人が集まるようになるのは良いことだと思います

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続九州新幹線の全駅訪問~みずほの一部も停車する肥薩おれんじ鉄道の終着駅

川内駅の駅名標

※訪問は2023年10月3日

新幹線開業時に大きく変化

川内駅に到着。これで九州新幹線のすべての駅を訪問したことになる。2018年の9月にも川内に来たが、その時は新幹線ホームに立っていない。その時は宮崎空港から日南線で志布志まで行き、旧大隅線沿線を走る路線バスに2時間揺られ垂水下車。フェリーで鹿児島に渡り、当地で1泊した後、指宿枕崎線で指宿、西大山、枕崎を経て加世田までバス。加世田で宿泊した後、バスで伊集院へ。ちょうどサッカーW杯の直後で「はんぱねぇ~」が流行語になっていた大迫勇也選手の母校である鹿児島城西高校の最寄りが伊集院だったので、よく覚えている

その後、川内まで来て当地泊。翌日は改めて鹿児島へと向かい、今度は肥薩線で八代(正確にはSL人吉の終着熊本)まで行った。八代駅の項で紹介したのはその時の写真である

川内駅は大きな橋上駅舎を持つ。開業は1914年(大正3)と古く、国鉄時代から拠点駅として機能してきた。戦後に建てられた、いわゆる国鉄コンクリート駅舎が続いていたが、2004年の九州新幹線部分開業時に現在の駅舎となった。新幹線開業の直後に周辺の町村と合併して川内市から薩摩川内市となったが、駅名はそのまま川内である

薩摩川内市が誕生した際、甑島(こしきしま)の上甑村、下甑村も参加している。読み書きともに難易度激高の島への高速船乗り場へは当駅からバスで向かう。改札を出ると分かりやすく案内がある。キビナゴで知られる甑島は観光地でもあるが、大きく「通常運行」と目立つように表示されていることで分かる通り、気候の影響を受けやすいので運行には注意が必要

鹿児島本線の「飛び地」で他駅とは事情が異なる

肥薩おれんじ鉄道との共同使用駅となっているが、改札は共通で八代から117キロにも及んだ肥薩おれんじ鉄道はここが終着。川内から鹿児島中央までは再び鹿児島本線となり、約50キロがJRとなる。いわば鹿児島本線の「飛び地」。九州新幹線の成り立ちを各地に照らし合わせると、こちらも三セク移管となりそうだが、西九州新幹線のような時限的措置がとられるわけではなく、恒常的にJRのまま推移しそうだ。しかもIC乗車が可能。いろいろ「大人の事情」があるのだろうが、推測で私が触れるわけにはいかない。ひとつ言えるのは、今回のようにJRしか乗れないきっぷを手にした場合、利用者目線からだと大いに助かるということ

こちらは新幹線の改札(写真は2018年のもの)。その横にあるのが

在来線と肥薩おれんじ鉄道の改札がある(写真は2018年3月のもの)

新幹線については部分開業時した時からの鹿児島中央をのぞく他駅とは大きな違いがあって、当駅には鹿児島中央~熊本の速達タイプの「さくら」が停車し、わずかではあるが最速達タイプの「みずほ」も停車する

肥薩おれんじ鉄道の一部乗り入れ

在来線の構造は島式ホームの2面2線。左にホームが見えるが現在は使用されていない。廃線となった宮之城線ホームも加え、以前は3面5線だった

車止めの向こうが肥薩おれんじ鉄道。つながっていた線路をさえぎるように車止めが置かれていて、その向こうにホームとしては同平面の肥薩おれんじ鉄道が島式ホームを持つ

JR線乗り放題の権利を生かして鹿児島本線の駅を回った。当日は薩摩川内市内に宿泊し、翌朝はお隣の隈之城駅へ。肥薩おれんじ鉄道は朝夕のみ一部列車が川内のひとつお隣の隈之城まで直通するので、そちらに乗ってみたかった

なぜ1区間のみ乗り入れるかというと、隈之城の駅前にはれいめい中学・高校があるから。多くの高校生が降り、折り返し列車内は閑散としていた

くまモンに癒やされる列車に揺られて川内に到着となるが、列車は在来線ホームを通過するかの勢いで進み、肥薩おれんじ鉄道のホームに到着。車止めの写真を掲載したが、片側のホームはつながっている

乗車してきた列車が見える。肥薩おれんじ鉄道の駅舎はホーム上。同一ホームだが、JRが1、2番線なのに対し、3、4番線がふられている

こちらは肥薩おれんじ鉄道の駅名標。奥に貨車が見えるが川内はJR貨物の駅でもある

前回は鹿児島中央まで在来線に乗車したが、今回はきっぷの特性を生かし新幹線乗車である。川内~鹿児島中央は在来線で約50分だが、新幹線だとわずか11分。1区間利用はかなりあるようで乗車は8時16分だったが、通勤と思われる会社員の姿が多く見られた。車両基地の関係もあって早朝には川内始発の鹿児島中央行きという1区間だけの列車も運行されている

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続九州新幹線の全駅訪問~線路の設置も気配りされたツルの飛来地

出水駅の駅名標

※訪問は2023年10月3日

お出迎えは

鹿児島県に戻って出水駅に到着

まず目に入るのは

ツルのオブジェの出迎え。渡来が始まると全国ニュースになることで知られる越冬地で、本来は難読の地名に入る自治体名、駅名だがかなりの割合で「いずみ」と読める。考えてみると九州新幹線の先行開業の各駅「新八代」「新水俣」「出水」「川内」は、初見で読むのは難しいものばかりだが、ニュースになる機会が多いためか、読める駅ばかりとなっている

私の訪問時はまだ渡来の季節ではなかったが、ツルの情報について伝える「出水ラムサールナビ」によると10月17日に「初渡来を確認しました」とナベヅル5羽の渡来報告があり、1カ月半後の12月2日には1万1410羽にもなっている。2021年にはラムサール条約の湿地となった

海沿いを南下してきた肥薩おれんじ鉄道(旧鹿児島本線)は、出水平野の手前で平野の中心部を避けるように弧を描いている。これは大正期の1923年(大正12)に鹿児島本線が敷設される際、ツルの保護のため渡来地を避けるようにしたため。当時の鉄道には国策については自然保護など二の次の印象を持たれがちだが、そのあたりはきちんと配慮されていたのだ

旧駅舎が健在

その出水駅は肥薩おれんじ鉄道でも重要な拠点駅となっている

新幹線の改札を出ると地元の小学生もお出迎え。この向こうが新幹線開業の際に駅舎も新たにできた東口だが、旧来の玄関口となる西口に向かう

新幹線の改札口から西口までは跨線橋となっていて肥薩おれんじ鉄道のホームに直接入ることができ、その先が西口である

国鉄時代からのコンクリート駅舎が、今も使用されている。戦後間もない1951年に木造駅舎から移行した。当時の出水は機関区も設置されていて、貨物も含め大いににぎわう交通の要衝。そのためいち早くコンクリート駅舎となったため、昭和30~40年代に全国で建てられた、いわゆる国鉄コンクリート駅舎とは趣を異にする

肥薩おれんじ鉄道は別駅舎

肥薩おれんじ鉄道の出水駅も車両基地を備えた拠点駅のひとつで当駅始発の列車も設定されているほか、乗務員交代などで5分以上停車する列車も多い

駅舎はJRとは別となっていて、国鉄、JR時代に関係者が利用していた建物を改造して使用している

その西口には蒸気機関車C56が展示されている

解説にすべてが記されているが、1937年に製造された後は主に九州内で活躍。72年と73年にはお召し列車のけん引という重役を担った。お召し列車の運行に携わるというのは、運転士はもちろん、整備担当まで大変名誉なことだが、その年のうちに交通機関としての任務を終えている事実に、鉄道としての時代の節目を感じる

出水駅の新幹線ホームでは新幹線通学の高校生を何人か見かけた。川内まで11分、鹿児島中央まで23分。新幹線開業前は電車特急でも西鹿児島(現在の鹿児島中央)まで90分を要していた。電化(1970年)以前は、そもそも特急という設定がほとんどなく、急行で出水~鹿児島中央が2時間。通勤通学で利用するという発想にすらならない。非電化時代はともかく、電化後の在来線特急との比較だけでも新幹線が大きな革命だったことを感じる

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続九州新幹線の全駅訪問~JR在来線の「終点」八代へ寄り道 肥薩線の復旧を願う

八代駅の1番線ホーム

※訪問は2023年10月3日

新八代から1駅

八代の中心駅はもちろん八代駅

新八代から鹿児島本線に乗り換え

新八代は鹿児島本線の九州新幹線が部分開業した2004年に八代~千丁間に設置。元々、この駅間には距離があったので、そう違和感はない

もっとも地図で分かる通り、線路は弧を描くように敷設されている(理由については後述)ので真っ直ぐ歩くと30分ほどで行ける

その八代は九州新幹線の開業で八代~川内が三セクの肥薩おれんじ鉄道となったため、鹿児島本線の「終着駅」となった(川内~鹿児島中央は新幹線と並んで走るがJRの鹿児島本線である)。線路はつながっているが、ここから先は肥薩おれんじ鉄道となっている。駅名標の「だん」は肥薩線の段駅で、当駅を出るとしばらく両線は併走するので、JRのお隣の駅は段となっている

肥薩おれんじ鉄道の起点駅

鹿児島本線の終点ということは、肥薩おれんじ鉄道の起点駅。ホームは奥の0番線。ただし一部列車は新八代まで乗り入れ運転を行うため、その車両はJRと共有のホームに入線するが停車位置は異なるので注意が必要

肥薩おれんじ鉄道ではIC乗車ができないため、乗り換えの途中にICリーダーがポツンと置かれている

駅舎は2019年に新築されたばかりのもの。明治からの駅舎が頑張っていたが、2016年の熊本地震の際で駅舎は残ったものの、一部に破損があったため安全面の考慮もあって建て替えとなった

JRとホームはつながっているが、会社は別ということで駅舎は別となっている。JRの駅に隣接する形で肥薩おれんじ鉄道の本社があり

本社に隣接して駅舎がある。有人駅

JR貨物の駅でもあり、構内は広い

肥薩線の思い出

JRのホームで時刻表を見る

肥薩線については2020年の豪雨で甚大な被害を受けたため運休が続く

きっぷ売り場にも爪痕はまだ消えていない

2018年9月、肥薩線の八代~人吉を「SL人吉」で巡った

こちらは一勝地駅

同駅に停車中のSL人吉

こちらは坂本駅での停車中

各報道によると11月24日に熊本県は肥薩線沿線12自治体との協議で、上下分離方式(線路や施設を自治体が持ち、鉄道会社が運行を担う)による復旧案を決めたという。自治体が負担する復旧費の12億7000万円は県が出費し、運行再開後の維持費は見込み7億4000万円のうち県が6億9000万円を負担。市町村の負担は5000万円に抑えるというもの。この案を元に近くJRとの話し合いに入るという

八代駅は町の中心部から、やや離れた場所にある。国鉄の駅と町の中心部が離れているのはよくある光景だが、当駅の場合は事情が異なっていて、もともと駅は町の中心部で私鉄の終着駅として1896年(明治29)に開業した。最初に示した地図では、線路が弧を描く、さらに西側。その後、鹿児島本線として現在の肥薩線を球磨川に沿って敷設することになり、町の中心部ではスイッチバック構造になって何かと不便ということになり、中心部に向かっていた線路を強引に東に向けるようにしたため、弧を描く線形となった。最初から肥薩おれんじ鉄道のルートで鹿児島本線が計画されていたら、もっと異なる駅事情となったかもしれない

5年前の時点では、まさかこんなことが起きるとは思っていなかった。肥薩線については吉松~人吉間については過去3度乗車したが、人吉~八代については、この一度きり。ぜひ肥薩線の旅をもう一度したいと思っています

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続九州新幹線の全駅訪問~肥薩おれんじ鉄道の駅にも要注目の新水俣

新水俣駅の駅名標

※訪問は2023年10月3日

乗り換えのない駅はなし

熊本から新八代を飛ばして新水俣駅に到着。時刻表の関係で効率優先とすると、こうなる

2004年に先行開業した九州新幹線の新八代~鹿児島中央。この間の駅で他の鉄道との乗り換えのない、全くの新幹線単独駅はない。新八代は在来線との接続駅となったことで新幹線との交差地点に新駅が設けられたし、出水は元々がJR鹿児島本線の駅。川内も同様で鹿児島中央は言うに及ばない(新幹線開業とともに駅名が西鹿児島から変更となった)

新水俣も新八代と同様、JRも肥薩おれんじ鉄道も新駅が設けられた駅となるが趣は多少異なる

新幹線の改札付近

こちらは新幹線側の駅舎。ホームは2面3線構造で部分開業時は当駅~鹿児島中央という、新八代のみ行かない列車が設定されていた

観光物産協会も入っている

一瞬の交差に設けられた新駅2つ

コンコースの入口には肥薩おれんじ鉄道との乗り換え案内がある。新幹線の改札を出てすぐなので迷うことはないだろう

新水俣駅は旧鹿児島本線の肥薩おれんじ鉄道と新幹線が一瞬交差する場所に設置されている。両社ともに新駅だ。肥薩おれんじ鉄道は海側の水俣市街地に向かうが、新幹線は山中を突っ切る

元々の鹿児島本線は現在の肥薩線ルートで、鹿児島へはそちらの方が距離が短い。軍事的な理由や都市の多さから海沿いを行く鹿児島本線があらためて敷設されたが、各都市を順番に回っていくため、線路の距離も長い上、線形も良いとは言えない

新幹線はその欠点を解消すべく、できるだけ直線的に敷設されたため山中を行く形となった。そのため比較的駅が多く設置されている九州新幹線の中では珍しく、新八代~新水俣は同じ熊本県内にありながら42キロも離れている

元々は信号場

肥薩おれんじ鉄道の新水俣駅は新幹線の駅舎外にある

駅名板と時刻表がポツンとあるのみ。ホームへは構内踏切で向かう。駅舎のない無人駅だが、列車交換(すれ違い)は可能

それもそのはず。元々は「初野信号場」という列車交換のための設備だった。初野というのは地名である。信号場というのは両隣の駅間が長い単線区間などで列車交換をするために設けられた施設。駅となっていないのは、場所が山中など周囲に何もない場所が多く利用者が見込めないから

ただ信号場だけに設備は整っていて、ホームさえ設ければ駅に昇格させるのは比較的容易だ。そこに目をつけて駅を新設したのは素晴らしいアイデアだと思う

構内踏切で細い通路を通ってホームへと向かう

ちょうどくまモンとともに列車がやって来た

写真で分かる通り、ホーム幅は極めて狭い。信号場に頑張ってホームを造った苦労がうかがえる。肥薩おれんじ鉄道はJR貨物が走り当駅を通過するため(観光列車は大部分が停車する)、ホームには転落防止柵が設置されている上、徐行での通過となっている

肥薩おれんじ鉄道の駅名標。お隣が水俣市の中心駅の水俣で約4キロ

新幹線の駅舎の横を去っていくくまモン。なかなか良い光景。これだけでも価値がある

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九州新幹線の全駅訪問~私鉄とライバル関係

久留米駅の駅名標

※訪問は2023年6月29日

久留米出身の大スター

久留米駅に到着。本日の最終目的地は熊本なので(というか所持しているきっぷでは熊本までしか行けない)、これで新鳥栖から南側の駅はすべて回ったことになる。後は熊本に行くだけだが、久留米は「さくら」も停車するので、ここからはノンストップで熊本に向かう予定である

鹿児島本線は博多から一度、佐賀県に入って再び福岡県に入るので、その地理関係が理解できないと、どの都市がどこにあるのかもパッと頭に入ってこない。世の中には久留米が佐賀県なのでは、と思っている人も多く、同様に大牟田が熊本だと思っている人も多いと感じる

私も高校生あたりまでは、その一人だったが、ある時から久留米市は福岡県だと理解するようになった。私と同世代に松田聖子さんとチェッカーズがいたからだ

その久留米駅はもちろん久留米市の代表駅

久大本線との乗り換え駅で久大本線に乗り入れる特急はもちろん、在来線は全列車が停車する。新幹線も以前はさくらのみの停車だったが、現在は最速達タイプの「みずほ」も一部が停車するようになった。以前の駅舎は、いわゆる国鉄コンクリート駅舎だったが、九州新幹線全通の1年前の2010年に現在のキラキラした駅へと変わった

博多~熊本の九州新幹線駅は従来の中心駅とは異なる場所に設置されていることが多いが、博多、熊本そして久留米については鹿児島本線と併設された。筑後船小屋駅の項でも記したが、元々、九州新幹線はスーパー特急方式つまり在来線を走る特急として計画が進められ、筑後船小屋近辺までは在来線を通る予定だった。その後、フル規格へと変更され、長崎本線上への新鳥栖駅の設置のほか、新大牟田、新玉名などが新幹線単独駅として誕生。筑後船小屋も元々の在来線駅を移設しての開業となったが、久留米については、その重要性から鹿児島本線と同駅とするべく工事が進んだ

利用者の利便性を考えると、これは重要なことだ

駅前のからくり時計は以前からのもの

久留米ラーメンのお出迎えもある

利用者を西鉄と争う

さて久留米にはもうひとつの「久留米駅」がある

西日本鉄道の西鉄久留米駅。写真は2022年6月のもの

両駅間は約2キロと歩くにはちょっと辛い距離。頻発するバスで結ばれている

駅の開設は国鉄の久留米が1890年の明治23年。日本で鉄道が開業して20年も経たない時期で、いち早く久留米の中心部となったが、30年以上が経った1924年(大正13)に九州鉄道(現在の西鉄)が開業すると、徐々に繁華街が西鉄駅へと移り始めた。現在、繁華街といえば西鉄駅の周辺となる

鉄道ダイヤは平日昼間は天神にある西鉄福岡まで急行で40分。朝と夜は特急も運行され30分(土日祝は昼間も急行を減らす形で特急が運行される)。対するJRも昼間は1時間に4本が運行されるが、博多へは鳥栖での乗り換えが必要な列車も多く、快速の運行本数も少ないため、時間と利便性では西鉄が有利。利用者も西鉄が圧倒。JRも朝の快速を増やしたり、鳥栖での乗り換え時間を短縮するなどしているが、現状ではダブルスコアである

熊本到着で気付いたこと

そして久留米からさくらに乗車して熊本で下車

所持しているきっぷで乗降できる新幹線駅を長崎から新鳥栖を経由してすべて訪問できたが、その後「あっ」と気付いたことがある

駅そのものはすべて乗下車したが、博多~新鳥栖間が未乗車区間として残ってしまったのだ。こういう1区間というのは、いつでも乗れるようで、わざわざ出かけなければならない分、意外と乗れないのだ。北陸新幹線の糸魚川~上越妙高も実際に乗るまで意外と時間を要した。この時点で秋に再び九州に来て残る新幹線駅をすべて回収することは決めていたが、日程に必ず博多~新鳥栖を組み込まなくならなくなった

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スカイレールに乗車してきました

スカイレールのみどり口駅

※訪問は2023年8月23日

青春18きっぷを途中下車

時間は朝の8時45分。この日は青春18きっぷで広島県内をウロウロするつもりだったが、朝からあいにくの雨でダイヤが大いに乱れていた。午後には天候も回復するそうなので、しばらく冒険は止めてどこかで途中下車を、と思わず降りたのが瀬野駅

瀬野駅といえば、お隣の八本松までの急勾配区間いわゆる「瀬野八」が有名で、かつては補助機関車のための機関区があり、今も貨物列車には補助機関車が必要な区間

だが現在、注目を集めるのは駅前にあるこちらの駅

スカイレールのみどり口駅

広島短距離交通瀬野線

ちょうどゴンドラがやってきた

ゴンドラではあるが、ロープウェイではない

概念としては懸垂式のモノレール車両を小型化したものでロープウェイではなく新交通システムと位置付けられ、モノレールと同じく法的には「鉄道」となる

みどり口駅には「スカイレールサービス株式会社」の文字

スカイレールの正式名称は「広島短距離交通瀬野線」。これだけだと何のことやら想像もつかない。愛称は「スカイレールみどり坂線」で瀬野駅と新興住宅街であるみどり坂を結ぶ。路線距離は1・3キロ。途中に「みどり街」駅があり、計3駅。平坦な1・3キロなら会社も通勤定期を発行してくれないような距離だが、写真で分かる通り高低差が200メートルもあって日々歩くのはとても無理。それを埋めるべく登場したのがスカイレールである

来春で廃止

前回当地を訪れたのは2019年2月なので4年半ぶりの訪問となる。その時は住宅街の上を行くゴンドラからの眺めに大いに興奮したが、今回は趣を異にする。来春での廃止が決まっているからだ。それまでにもう一度行きたいと思っていただけに、ちょうどよいタイミングとなったが、廃止前提となると心躍るという感じではない

新交通システムなので基本的に駅は無人で運行も無人

券売機でチケットを買う。有人窓口は定期券の発売所である

料金は一律170円。チケットのQRコードを改札機にかざして入場すれば、後は乗車して目的の駅で降りるだけ

駅名標は一応あるが

後は定員25人の自動運転のゴンドラに乗るだけ

朝夕の通勤通学時間帯に増発されるダイヤで昼間も15分に1本の運行が確保されている。山陽本線の瀬野駅も昼間は1時間に4本の運行だ

25年の歴史にピリオド

終点のみどり中央駅までは、わずか6分。とても便利なシステムだが開業以来、慢性的な赤字が続いていた。朝のラッシュ時はゴンドラが満員のエレベーターのように埋め尽くされるが、自動運転というシステムさらには保守点検にも費用はかかる

当初の計画は各地にこのシステムを広め、そうなると車両が増産されてコストも下がる、ここで培ったノウハウをいたるところに流通させれば、さらにコストが下がって技術力も向上する-というものだった。要は先鞭をつけたのだ。だが今も「スカイレール」といえば当地のみの固有名詞状態となっている。広く流通することを前提に多少の赤字は覚悟してのスタートだったが、そのままの状態が続いたため、車両の更新や部品にさらにお金がかかることになって廃止という結論になった

みどり中央から軌道を見上げる。確かに維持だけで大変そうだ

1台やり過ごしてホームから出発を見送る。ゴンドラは何台もあって運行時間に合わせて次の車両がホームにやって来る。現在ラッシュ時は最大で1時間10本もが運転されているが、システム上はさらに増やすことが可能

チャレンジを見守ろう

いわゆる「かぶりつき」を味わいたかったので、1台見送ったわけだが

次のゴンドラもすぐに入線。後ろには後続車両がすでに待機中

定員25人に対して座席数は8だが、すぐ到着するので立っているのが苦痛になる時間ではない

来春以降はバス運行に転換される。当初は今年末での廃止だったが、バス転換に時間がかかるため春まで持ち越しとなったという

天候のため、せっかくのかぶりつきからの眺望も絶景とはいかなかったが、それでも住宅地を見下ろしながらの空中移動は楽しい

スカイレールの利用者は廃止が発表になってから増加しているという。私も他人のことを言えない口だが、朝の8時台という時間にもかかわらず、しっかり同業者(鉄道ファン)はいた。当初の目論見は外れてしまったが、そのおかげで「スカイレール」と名が付く乗り物は全国でここだけなのである

ロープウェイとは違って悪天候にも強い。乗り心地も良い。モノレールとは違って1台あたりのコストも安い。こうした長所がもう少し広がっていたら、後世に伝えられたであろうチャレンジの最後を今は見守ろう

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問8(終)~特徴あるJRとの接続駅は車窓にも注目

河原田駅の駅名標

※訪問2023年5月20日

伊勢鉄道の起点駅は二層構造

伊勢鉄道は河原田が起点、津を終点としているが、両駅ともにJRとの共同使用駅で駅の管理は河原田はJR、津はJRと近鉄となっている。また伊勢鉄道の車両は津で折り返すが、原則的に河原田始発着はなく(平日朝に1本のみ折り返し運行がある)、すべて四日市で折り返す。つまり河原田は単なる分岐点の扱いだ。関西本線亀山方面への乗換駅だが、快速の停車もない

その河原田駅

1890年(明治23)と、130年もの歴史を持つ駅だが20年前に現在の簡易的なものに建て直されている。もちろん無人駅。ICリーダーが置かれているが、伊勢鉄道方面へは使えない

駅舎内には構内案内図がある。駅舎は関西本線の名古屋方面側にあり、跨線橋で亀山方面そして伊勢鉄道のホームに向かう

写真だと手っ取り早い。JR線のホームを見下ろす形の高台に伊勢鉄道のホームはある。写真の向こう側が四日市方面で、この先で伊勢鉄道の列車は関西本線に合流する

駅舎から跨線橋を昇るとさらに分岐があり「伊勢鉄道乗り場」とかわいく、控えめに書かれている

やや古くなっているが、駅舎内には写真入りの伊勢鉄道ホーム案内がある

ちなみに当駅から亀山に向かっては「単線電化」、鈴鹿に向かっては「複線非電化」と初めて聞く方は「間違っているのでは?」と思ってしまう構造となっている

美しい駅名標

島式ホームには伊勢鉄道の駅名標。伊勢鉄道の全駅で降りてみて、JR東海のものとは異なるが、周囲に何もないようなホームだけの駅でも美しい駅名標が、それぞれ丁寧に設置されている、JR東海方式であることが分かった

四日市方面の列車がやって来た

河原田~四日市間はJRと伊勢鉄道、両社の列車が走っていて、もちろんどちらに乗るのも自由。青春18きっぷは使用できない伊勢鉄道だが、この区間に関しては青春18きっぷで伊勢鉄道の車両に乗車できる。四日市へ向かう利用者は駅の時刻表を見て、どちらの列車に乗車するのかを決める。昼間は関西本線、伊勢鉄道ともに1時間に1本の運行なので、この区間は1時間に2本、ダイヤも30分に1本となるよう工夫されている。もっとも名古屋行きの関西本線(この区間の昼間はすべて快速で四日市から快速運転となる)と四日市止まりで単行の伊勢鉄道では軍配が上がるのはJRで、そちらに時刻に合わせて駅に来るお客さんが多いようだ

ちなみに四日市駅の伊勢鉄道ホームは島式ホームの先っぽにある切り欠きホーム。遠くに車両が見えているが、130メートルとそれなりに距離はある

細くなったホームに単行車両がポツンと停車している(四日市駅の写真は2017年7月のもの)

津は進入の車窓に注目

そして津駅

多くの利用者でにぎわう津駅はすべての鉄道会社が中間改札なしで行き来できるようになっている。西側から順番に近鉄、JRとホームが並び、最も東側が伊勢鉄道のポジション

津駅では、ここだけが行き止まり構造

ホームには伊勢鉄道の時刻表。津駅はもちろん特急南紀も快速みえも停車するが、発車ホームも異なるため伊勢鉄道内で完結する(河原田~四日市含む)列車のものしか掲示されていない

車窓に注目

河原田、津では前後の車窓に注目である。河原田駅では高い場所から降りていき、関西本線と合流する部分が楽しいし、なんと言っても津では東一身田駅を出てからのJRとの合流地点が見逃せない。東一身田駅前後は単線区間だが、紀勢本線の線路が近づいてくると、高架のような構造物が目に入る。線路があるのかと凝視すると単なる高架があるだけだ。これは国鉄伊勢線時代から残るもので、合流の際、うまく紀勢本線をオーバーパスできるように造られたもの。伊勢鉄道は中瀬古~津が単線区間として残るが、三セク転換後に中瀬古以北を複線化したが、単線のまま残ったこの区間では、立派な分岐施設は使用されなかった。どうしても複雑な構造となるので工事予算の問題もあったと思われる。将来使用されるかどうかは微妙なところだが、準備に関してはすでに50年前にできていたことを確認するだけで価値はある

ここ数日、伊勢鉄道の公式X(旧ツイッター)を楽しみに見ています。主に鈴鹿サーキット稲生駅付近のものですが、人の波、波、波。インプレッションも凄い数。本日は、いよいよ日本グランプリ決勝の日です

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問7~幻の窓口を備えた路線唯一の駅舎

中世古駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

全駅訪問の必須アイテム

中瀬古駅に到着。伊勢鉄道の各駅を紹介してきたシリーズも同線単独駅の紹介は今回が最後となる。最後といっても総距離22キロで単独駅は8駅しかないのだから、すぐ終わる

のっけから、このような話で大変恐縮だが、日本中の駅を訪問する際の必須アイテムは、まずお手洗いである。男性目線と女性目線では大いに差があり、男性だと目線は格段に下がるのだが、それでもホームのみの駅で元々設置がなかったり、最近は駅舎のトイレが閉鎖されたりしていることも多い。冷え込む季節になると、生理現象の訪れが近くなるので、寒い朝、自販機の暖かい缶コーヒーが恋しくなってもお手洗いの存在を確認しないと絶対に手をつけないようにしている

最近はローカル線の列車でも車内にトイレが設置されていることが多いが、その観点からすると、伊勢鉄道においては「単独駅8駅のうち、お手洗いがあるのは2駅のみ」「車内にトイレはない」ので、訪問される方は(全駅訪問をするしないは別の話として)留意してほしいところ。もっとも伊勢鉄道単独区間は前述した通り、わずか22キロで所要時間30分しかない(四日市まで入れても40分)ので車内にトイレは必要ないと判断されたのも無理はない

将来を見越した駅舎

お手洗いがなぜ2駅のみかというと駅舎があるのは当駅と鈴鹿駅の2駅のみだから。さらに言うと男女別なのは中瀬古のみ

鈴鹿は高架を利用した駅舎だが、中瀬古は立派な駅舎。三セク転換後から7年を経た1994年、国鉄伊勢線が開業した1973年以来、単式ホームのみだった駅に新たに建てられた。いわば伊勢鉄道オリジナルの唯一の駅舎

跨線橋からの眺め。当駅から津までの間は単線区間となっているが、その様子がよく分かる。ちなみにその時に伊勢鉄道唯一のトンネルがある

駅前は新興住宅街

駅前は「太陽の街」として造成された新興住宅街が広がる

駅前は立派なロータリーがあり、コンビニもある。大学もある

これらの発展を見越して駅舎が建てられた。当駅までが複線化されたのは、そんな背景もある

伊勢鉄道内を走るJRの特急と快速は、伊勢鉄道内では原則鈴鹿のみの停車で他駅は通過するが、中瀬古駅に朝の四日市方面3本が停車する

駅舎内。三角屋根のガラスがおしゃれな形をしている。ただし国鉄伊勢線時代から、ずっと無人駅。改札手前には窓口があるが、実は駅舎ができて約20年間、一度も使われていない。将来に備えたものの、まだ需要が達していないということだろう。全国の駅に行くと、かつての窓口が閉鎖されていたり、ベニヤのようなもので、まるごと覆われていたりする光景を当たり前に見かけるが、駅舎ができてから20年近くの間、「デビュー」することがないままという例も珍しい

伊勢鉄道内では、いろいろな意味で貴重な中瀬古駅。訪問をおすすめしたい駅である

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