青空フリーパス

青空フリーパスで高山本線に挑む~山中の簡易的駅舎の読み方でシメ

焼石駅の駅名標

※訪問は2023年4月29日

駅名に目をひかれる

焼石駅に到着。まず駅名を見て最初は「なんて読むのだろう?」「まさか『やけいし』とは読まないだろう」と思っていたら、そのまさか、でちょっと驚いてしまう駅である。そう、誰もが知ることわざ「焼石に水」の焼石。付近は少ない平地部分を生かすため、古来より焼き畑農法が取り入れられており、それが地名につながったともされる

現在の下呂市は2004年まで下呂町だったが、1955年に下呂町と合併した中原村の駅が焼石である。村内唯一の駅でもあった

飛騨川沿いのわずかなスペースに集落があり、そこが中原村の中心部。駅の場所は集落の南の端あたりに位置し、国道は川の向こう側を走る

古来より交通の難所

駅の開業は1929年(昭和4)4月。飛騨金山から1区間延伸された。たった1区間だが9キロもある。1年半、終着駅として存在し、翌年11月に下呂まで開通したことで途中駅となった。ほんの少しずつの延伸だが、下呂まではさらに遠く12キロ。10分以上の所要時間がある。両隣の特急も停車する駅に挟まれ、途中にポツンとある駅だ。20キロもの間にひとつしか駅がないため、当駅~飛騨金山、当駅~下呂には信号場が設けられている

当駅付近は「中山七里」と呼ばれる渓谷。現在は美しい車窓を味わうことができるが、古来は飛騨地方を行く飛騨街道は急峻な峠越えが多く、交通の難所とされていた。安土桃山時代に七里にわたって街道が改良されたことから名付けられた。当駅の中原村はその真ん中あたりに位置する

そんな山中には真新しい簡易的な駅舎が建てられている。2015年まで開業以来の木造駅舎があったが、解体されて建て替えられた

待合所の丸い窓がおしゃれなデザインとなっている

こちらは内部の様子。もちろん現在の駅舎は無人駅を前提に建てられている。JR移管の少し前に無人化された

駅前の様子。古い民家が並ぶ中、新しい駅舎が溶け込めずににいる感じだ。ちなみにお手洗いはしっかり設けられているが、写真とは反対方向に数十メートル歩いた場所にあるので、初めて来た人はお手洗いのない駅だと勘違いしてしまうかもしれない

側線も残る一時の終着駅

跨線橋から見た構内の様子。向こう側が下呂方面だが、山が待ち構えている

一時は終着駅だった焼石は開業時から貨物の取り扱いがあり、戦後も続けられた。道路事情が悪かった山中の駅では重要だったのだ

使用されなくなって久しい側線が残る

今回の旅はここまで。名古屋を朝の5時過ぎに出発したが、きっぷが有効な米原まで行き、そこから乗り継ぐという長い旅路が待っているため、そろそろ帰路につかなければならないようだ。青空フリーパス2620円の元は取り過ぎるほど取った。次回、夏の青春18きっぷの季節にまた来よう

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青空フリーパスで高山本線に挑む~国境の街として栄えた町の繊細な駅名

飛騨金山駅の駅舎

※訪問は2023年4月29日

列車を降りると国境のお出迎え

特急「ひだ」で飛騨金山駅に到着。ホームから改札に向かうと飛騨と美濃、旧国の境界を示してくれる。高山に向かうと当駅までが美濃国、当駅からは飛騨国。現在の都道府県境の駅にも惹かれるものがあるが、昔の国の境も駅を車窓からの眺めや駅を降りると、それを実感させてくれる

それはおそらく駅名からも感じられることが大きく、国鉄では同名駅を避けるため、同じ地名があった場合は頭に旧国名をつけるのが慣例となっていて、平素はそれを何も考えず受け入れているが、例えば当駅が「岐阜金山」だったり、特急に乗車した駅が「岐阜太田」だったら、それはそれで受け入れたのだろうが、旧国名とは旅情感が異なっていたと思う。興味を持つ持たないは個人差があるが、私の場合は子供ながらも同じ県でも国が複数あることを知ったのは駅名からである。中にはあえて県名をつけた愛知御津駅もあるが、これはこれで逆に興味を持つきっかけになったりする

ちなみに当駅は美濃と飛騨の国境にあるが、地名と駅の位置については微妙な場所に位置する

国境らしく飛騨川、馬瀬川の合流地点に街が形成されているが、元々の金山は駅から見ると川を渡った向こうで、そこは美濃国。駅の場所は飛騨国にあるため、駅が開設された1928年(昭和3)の時点では、金山でもない場所に「金山駅」が設置され、美濃の一部である金山が「飛騨」を名乗っていた。宿場町として有名な金山を駅名にしたようだが、この矛盾は戦後になって地域全体が「金山町」となったことで解消する。金山町が飛騨に組み込まれたからだ。戦後に旧国の国替えがあったことを初めて知った

木造駅舎内には観光案内所も併設

駅舎は開業当時からのものが、そのまま使用されている

こちらは財産票。高山本線は1928年に白川口から下油井、そして飛騨金山と2区間が延伸され当駅は1年間、終着駅となっていた

駅舎内には観光案内所が入り、駅の業務は観光案内所が行う簡易委託

窓口も小銭用の大理石も現役。特急「ひだ」は1日4往復の停車

明治時代に金山町(当時は祖師野村)で新種が発見されたことで名付けられたギフチョウ

駅舎内には多くの写真が展示されていた

交通でも国境の駅

金山町は平成の大合併で下呂市となった。駅名標も上書きのようにシールが貼られている。きっちり書き直すJR東海の特急停車駅としては珍しい景色である

高山本線は当駅の前後で飛騨川に沿うようにクネクネと線路が敷かれた

ホームもカーブ状に設置されている。2面3線構造で、現在は当駅始終着の列車は設定されていないが、かつては当駅で機関車の付け替えが行われるなど国境の駅として重要だった。今も広い構内が残る。側線があり、保線拠点としては今も現役である

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青空フリーパスで高山本線に挑む~新型車両の特急「ひだ」に初乗車

美濃太田駅に入線するHC85ひだ

※訪問は2023年4月29日

特急利用で先回り

白川口から坂祝を目指す際、美濃太田で10分ちょっとの乗継ぎ時間を利用して美濃太田の券売機で

美濃太田~飛騨金山の自由席特急券を買っておいた。青空フリーパスはエリア内の在来線特急は特急券さえ買えば乗車券を追加購入することなく乗車できるのが利点。エリア内は在来線特急の宝庫で高山本線のほか、中央本線、関西本線→紀勢本線、飯田線とかなりの本数が走っている。米原までなら東海道本線の特急利用も可能。普通列車の本数が少ない飯田や下呂へも行けるので、なかなか便利である(ただ有効日数は1日なので単純往復では元割れしてしまう)

今回は駅回りを効率化するための利用。私が乗車するのは13時28分美濃太田発の高山行き「ひだ9号」。このすぐ後の12時39分に美濃太田から高山行きの普通が発車するため、飛騨金山へはそちらに乗車すれば良いのだが、それだとお隣の焼石へ向かう飛騨金山発の普通は2時間半後になってしまう。さすがにそれは待てないし、飛騨金山~焼石は9キロもあって、とても歩こうという距離ではない。ただ特急に乗車すれば飛騨金山では30分待つだけで高山行き普通に乗車できるのだ。ちなみに飛騨金山に停車する特急は全体の半分ほどの5往復しかなく、特に下りは停車列車が朝夕に集中しているため、これは貴重な一本

これは利用の一択だろう。青春18きっぷなら、乗車券770円も購入しなければならないので、かなり渋々だったかもしれないが、660円ならばバスに乗車する感覚でホイホイ払ってしまう

HC85に初乗車

ということでJR東海の気動車新型特急「HC85」に乗車

私のブログでは、「降り鉄」ということもあって、ほとんど在来線の特急列車は登場しない。ただ本当は結構好きな方である。以前も書いたが特急に特化されている新幹線と違って、在来線では普通や快速を待つホームの人々を見ながら走るエグゼクティブ感が味わえるのがいい

HC85は、これまでのJR東海の気動車特急「キハ85」の後継車。HCとはハイブリッドカーの意味。JR東海では初のハイブリッド気動車となった。通例では85以外の別の数字が使用されるところだが、同じ「85」を使って後継アピールをするところに細かいこだわりを感じる(ただし車両ごとにはクモハ、モハ、クモロと従来の用語が使用されている)

非電化路線はローカル線であることが多く、特に本州内では優等列車が走るエリアが少ない上、本数そのものも限られた路線が多く、新型車両がなかなか登場しづらい状況にあるが、その中でリリースされた貴重な車両である

混雑ぶりは週末あるある

この記事を書いている今となっては紀勢本線の特急もHC85に置き換えられ、そう貴重な体験ではなくなっている(夏にも高山本線で乗車した)が、当時は初めての乗車とあってワクワク感はかなりのものだった。JR東海の在来線特急車両は古いこともあってコンセントがないのが欠点だったが、窓際だけでなく通路側も含め全席にコンセントが設置された。車内wifiもある

このようにシステムの解説もある。また高山本線は岐阜高校の生徒さんの協力によるアナウンスも導入されている

ということで飛騨金山に到着。ひだには自由席が1両しかなく、GWのまっただ中のこの時期、座れなかったら、30分はデッキで過ごすか、と覚悟していたが、拍子抜けするかのように指定席がそれなりに混雑していたのに対して自由席はガラガラだった。観光目的の方は事前に座席を確保したくて指定席が人気する分、自由席が逆にガラガラになるという「週末あるある」。よく見かける光景のおかげで30分を快適に過ごすことができた

参考までにこの区間の自由席特急料金は660円だが指定席だと1290円と倍近くになってしまう。ここのところ、JR各社は利益を上げるため、自由席車両を減らしたり、さらには自由席そのものをなくしたりしているが、何でもかんでも値上げの昨今、「自由席文化」はしっかり残ってほしいものだ

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青空フリーパスで高山本線に挑む~アクセス楽々の素晴らしき難読駅舎は名車に名を残す

坂祝駅の駅名標

※訪問は2023年4月29日

難読駅の片側へ

白川口から再び美濃太田方面へと乗車。美濃太田で乗り継いで1駅お隣の坂祝で下車

これも難読度が高い。ただし自治体名である。同町のHPによると、すでに平安時代の文献に見られる「坂祝神社」にちなみ明治になった坂祝村が誕生した。おまけとなるが、駅を降りるとこのような案内がある

駅はかつての山城のふもとにある。「坂祝町の猿啄城跡」となるわけだが、全く何も読めないという状態になってしまう可能性が高い

さて前々回の記事で

美濃太田駅は難読駅に挟まれているとしたが、当駅は美濃太田のひとつ岐阜寄りにある

今回は美濃太田~下呂の攻略だったにもかかわらず、なぜ足を伸ばしたかというと「列車の運行がなかったから」である(笑)。ローカル線というのは通勤通学の時間帯が終わると「お昼休み」に入ることが多い。ということで坂祝まで足を伸ばした

大正期からほぼ原型を保つ

と書くと、ついでに来たような印象を持たれるかもしれないが、駅そのものはついでに訪れるようなものではない

実に素晴らしい木造駅舎が残る

当駅は1921年(大正10)の開業。高山本線が美濃太田まで到達した際に設置された

駅名標も当時からのものであることを伝えている。アルミで窓が補強されていて、おそらくその際に塗装のやり直しがあったのだろうが、駅舎の向かって右側はあまり手がつけられていない

こちらは駅名板

さて当駅の良さは何といってもアクセスの容易さ。美濃太田のひとつ岐阜寄りにあるため、昼間も30分に1本の運行がある。IC乗車も可能

高山本線の岐阜~美濃太田間の各駅はすべて簡易的に駅舎に建て直されているため、開業時からの風情を残すのは当駅のみである

最近までJR貨物の駅

駅の跨線橋からの風景

町は駅舎側に広がっているが、駅舎の裏手はセメント関連の工場が並ぶ。JR移管後も工場への貨物駅として機能していた。今は草むらになっているが、貨物側線の跡がある

駅舎側にもヤード跡が残る。貨物輸送は2007年まで続き、そのためきっぷの販売など、駅業務はJR貨物が担っていた

必ずしも難読ではない

さて難読駅と随分繰り返してきたが、ちょっと車に興味のある人にとっては難読でも何でもない駅(自治体名)だった

かつて坂祝町には「パジェロ製造」工場があった。かつてといっても生産終了は2021年8月のことだから、ついこの間のこと。パリ・ダカールラリーなどで名をはせた三菱「パジェロ」は1982年の製造開始以来、ここで誕生していた。つまり世界のパジェロ=坂祝として町の名前も知れ渡っていたのだ。40年にわたって320万台以上ものパジェロを世界に送り出していた

現在はICリーダーのみの無人駅だが

ホームに面した駅舎にも歴史を感じる。駅舎の将来についての情報は持ち合わせていないが、岐阜からは30分。本数も多い(名古屋からなら名鉄の新鵜沼経由でも容易)だけに、ぜひ訪問してほしい駅だ

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青空フリーパスで高山本線に挑む~白川町の中心駅も木のぬくもりであふれる

白川口駅の駅名標

※訪問は2023年4月29日

川の向こうが町の中心

美濃太田のお隣の古井から再び山中に入り、下油井のひとつ手前、白川口で下車。かなりの行ったり来たりとなっているが、ダイヤが薄いのでやむを得ない

当駅は駅名からも想像できるように白川町の中心駅、代表駅。なぜ「口」が付いているのかというと、町の中心地は川を挟んだ向こう側だからだ

徒歩でも十分に行ける距離だが、その中心部も別の川で二分される形となっている。古来からの集落は「水」を求めて形成される。鉄道も基本的には集落や町を追って敷設されるが、川沿いの残り少ない平地部分にレールが敷かれるため、スペースがないと町から見て川の向こうになってしまう。山中を行く高山本線は川とは切っても切れない路線である

1日4往復の特急も停車

白川口には上り4本、下り4本の特急も停車する。2面3線構造。普通は5時台の始発が当駅発で、夕方に当駅折り返しの列車が1本設定されている

ホーム上の待合所には1934年の財産票が記されていた

駅の開業は1926年3月なので大正15年。大正期の最後の年に誕生したことになる。岐阜方面からの線路が、お隣の上麻生からジワリ1駅だけ当駅まで延伸された。1駅だけといっても距離は10キロもあり、その後も駅は設置されていないので、山中ぶりが分かるだろう。終着駅のまま昭和を迎え、さらに先の飛騨金山まで延伸されたのは2年後のことだった

開業時からの駅舎

駅舎は塗装がされ直されたりしているものの当時からの木造駅舎が残る

財産票は1929年。開業から3年間は別の駅舎だったのか。だから駅舎の歴史も「当時から」になる

白川町の簡易委託という形で窓口がある有人駅。朝の6時台に岐阜駅を発ってから4時間を要して初めて駅員さんのいる駅で降りた(鵜沼は早朝で無人状態だった)

駅舎内は観光案内所を兼ねた地元物産品の販売所がある。朝食は5時台だったので、かなり空腹感が増してきたので

地元産のせんべいをいただく。当地はお茶の名産地でもある

一体いつから?の文字も残る駅で

ホーム側の駅名板は歴史を感じる上、微妙に突き出ている「出口」の文字もかわいい

これは跨線橋のもの。それほど特殊な跨線橋ではなく標準的な高さだと思うが、一体いつからのものなんだろう。旅人への気遣いである

駅舎入口は、なかなか見かけなくなった両開きである。さすがに戦前からのものとは思えないが、いつからのものだろう。国鉄時代の写真を見ると木製の扉だったようだが、簡易委託化された11年前からのものかもしれない

再び岐阜方面へと戻る。岐阜方面へは駅舎に面した1番線が使用されるが、特急待避の関係で跨線橋を渡った3番線からの発車でちょっと焦った。そういえば、昨夏に青春18きっぷで高山本線を巡った時に、全く列車のない時間帯に猪谷~高山を特急利用したが、すっかり新型車両に置き換えられている。わずか8カ月前のことだが、時間が流れていることを実感した

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青空フリーパスで高山本線に挑む~難読駅のサンドイッチ

古井駅は難読駅

※訪問は2023年4月29日

美濃太田のひとつお隣

中川辺から1駅、美濃太田へと向かい古井駅で下車。もう美濃加茂市に入っていて美濃太田の1駅北の駅となる

当駅はなんと言っても難読駅だということだろう

私的には高山本線の最難読駅は「上枝」だと思っている

ただ、こちらもなかなか負けていない。「こび」とは初見では、まず読めない

古井とはかつてあった自治体、古井町に由来する。ただし平成の大合併に伴うものではなく、1954年に同町や太田町などが合併して美濃加茂市が誕生した際に町としては廃止されている

地名については、いろいろな説があるようだが、飛騨川と木曽川の合流地点に位置して狭い場所にあることから、狭い場所を意味したり、川がつながった場所を意味するとされるが、詳しくは分かっていないという。詳しく分からないということは、古い町だということ。戦国時代より前には町名ができていた

鉄道的にも重要地

美濃太田は太多線との分岐駅で、列車に乗っていると高山本線と太多線が分岐していくのがよく見えるが、そこにあるのは美濃太田の車両基地である

元々は美濃太田機関区。戦前の1932年に開設された。太多線の美濃川合駅が圧倒的に近いが、美濃川合駅も古井町にあった。つまり、美濃太田と名が付くものの、重要な機関区が存在した町だったのだ

美濃太田駅の駅名標を見ると、おもしろいことに気付く

太多線との分岐なので、北側は2つの駅名が表示されているが、高山本線だと、ひとつ北側が「こび」、ひとつ南側が「さかほぎ」。どんな漢字なのか、想像もつかない。後に出てくるが「さかほぎ」は「坂祝」と書く。こちらもかなりの難読で運行の重要拠点である美濃太田は難読駅のサンドイッチとなっているのだ

もっとも美濃太田を挟んだ南北の駅は岐阜寄りか高山寄りかというだけで、列車の運行本数が全く異なるのだが…

その古井駅は簡易型の駅舎となっている。駅の開業は1922年(大正11)。当時からの木造駅舎がずっと使われていたが、2017年に解体されて現在のものとなった。簡易型とはいってもガラスまで使用されているので、ひとくくりに簡易駅舎としてしまうのもどうかという感じではある

ただ駅前の広い敷地にポツンとたたずむ小さなコンクリート駅舎は寂しさが漂うのも事実である

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青空フリーパスで高山本線に挑む~簡易駅舎を回るうちにスイッチが入る

中川辺駅の駅名標

※訪問は2023年4月29日

川辺町の中心駅

4月の記録をなぜ今ごろ記事化しているかというと、このほど高山本線の全44駅訪問を済ませたからだ。夏前あたりから全部終わってから順番に紹介しようと思っていた

昨夏の青春18きっぷで高山本線訪問をした際、簡易駅舎の駅は全く立ち寄っていない。印象に残りそうな駅だけをピックアップしながら回って、後は美濃太田~下呂間の立派な駅舎を回るつもりで、この4月29日となったわけだが、時刻表に合わせて回るうちに「こりゃ全部行かないとダメだな」と思うようになった。理由は特にないのだが

そんな気持ちを持たせてくれた今回からの駅である

下油井からずっと南下して下車したのが中川辺。ずっとと言っても4駅目なのだが、山中を行く高山本線は駅間が長い区間が多く、この間は27キロもある。東京~横浜が29キロほどなので駅の少なさが分かるだろう(もっとも京浜東北でない東海道本線の「普通」でも4駅目である)。所要時間も約30分(特急も頻繁に走る高山本線は途中駅での列車交換で長時間停車する運用も多く、時間はまちまち)

このあたりまで来ると、大きな町が開けている。美濃太田駅を中心とする美濃加茂市と隣接している川辺町の中心駅。実際に前記事で紹介した白川町や川辺町を含む加茂郡と美濃加茂市が合併に向けて具体的に動いていた時期もあった

さわやかウォーキングと遭遇

2面2線構造。駅の開設は1922年だから大正期(11年)だから100歳を迎えたところ。美濃太田から下麻生まで延伸された際の開業で、歴史は深い

ただ開業時以来の木造駅舎は2015年に解体され簡易的な駅舎に変わった

そして当日はJR東海ならではの「さわやかウォーキング」の舞台となっていた。週末にJR東海の駅を回っていると、さわやかウォーキングによく遭遇する。列車に乗っていると、お客さんの服装で分かる。各地で必ずといっていいほど出会うので、すっかり定着したイベントのようだ

いつも感心するのは「社を挙げて応援している」感が強いこと。舞台となった駅には優等列車が停車し、ふだんの無人駅に複数の駅員さんが派遣されて駅前は大いににぎわう。その中で「快速が停車するなら事前に知れば良かった」なんて悔やみつつ、青春18きっぷや青空フリーパスを提示して駅舎の写真を撮っている鉄オタ、駅オタは大いに浮いていると思うが…

訪問時は朝の9時台で、ゴールとなっている当駅の人は少なかったが、改札もない簡易駅舎に駅員さんはすでに派遣されていて青空フリーパスを提示して改札通過となった

そんな簡易駅舎の中川辺だが

跨線橋については古いものが残って、しっかり歴史を伝えてくれている

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青空フリーパスで高山本線に挑む~ここに来るための今日だった

下油井駅に到着

※訪問は2023年4月29日

一変する景色

岐阜から高山本線を北上すると美濃太田から景色が一変する。それまでは岐阜または名古屋のベッドタウンの印象もあったが、のどかな田園風景が広がり、やがて山中に分け入っていく。美濃太田から約40分

下油井に到着。所在地は岐阜県加茂郡白川町。お隣の駅が飛騨金山。旧国名で言うと、当駅までが美濃、ひとつ向こうは飛騨となる

名古屋駅から始発でやって来た今回の旅程はここに降り立つことが目的だったと言っても過言ではない。岐阜~美濃太田間は昼間も30分に1本の運行があるのに対し、美濃太田以北は2時間に1本程度の運行となる。先に当駅の時刻表を示すと

一定間隔で運行されているわけではないが、多いか少ないかと言われると決して多い方ではない上、駅間が離れていることが多く、名松線のように駅間を徒歩で埋めるのも、なかなか困難である。美濃太田から下呂までの途中駅は8駅しかないが、60キロもある上、自治体が異なるためコミュニティバスや路線バスも少なく、おそらく本日中の全駅訪問は無理だと思われる。そんな中、最優先で駆けつけたのが当駅だ

美しい木造駅舎が健在

駅舎とは反対側のホームで降りると待合室。かなり新しいものかと思ったが

意外と古い。戦後1年経ってのものだった。全国各地を回ると財産票を探すのに苦労することが多いが、JR東海は待合所や新たにできた簡易駅舎にもきっちり入れてくる。常にピカピカの駅名標も含め、細かいところにこだわりを感じさせてくれる

跨線橋を渡ると、お待ちかねの駅舎が見えてきた

美しい木造駅舎と対面である

勝手に抱いた危機感

下油井駅の周辺は小さな集落。駅のすぐ裏側は飛騨川が流れる。高山本線でよく見られる光景で、その分、人の住むスペースは限られる

民家が寄せ合って並ぶが、街並みはすぐに終わる

1日の利用者は50人ほど。もちろん普通のみの停車。今回、訪問先の最優先にしたのは駅の写真を見て「これは1日でも早く行かないとヤバいかも」と思ったからだ。高山本線でも多くの駅舎が簡易化されている。1分1秒でも早く駆けつけよう。だから時刻表うんぬんより、まずはここを目指した

だが真新しい駅名板などを見ていくうちに、そんな考えは杞憂だったのでは、と思い至るようになる。駅名板の下に財産票があるが、もっと分かりやすいものがあった

「昭和三年三月二十一日開業」と掲げられている。おそらく当時からのものではないだろうか。もちろん駅舎は開業時(1928年)からのもの

下油井駅は高山本線が白川口から飛騨金山まで延伸された時に設置された。たった2区間だけの延伸だが、山中の川沿いを行く路線の敷設はそう簡単ではなかった

開業時から貨物扱いをしていた

貨物ヤードが残る。貨物とは木材である

「東京五輪」との出会い

駅舎前に真新しいベンチがあった。最初に見た時は何だろう?と思ったが、しっかりと解説があった

白川町の木が東京オリンピック・パラリンピックの選手村ビレッジプラザで使用されたとのこと。このベンチは木材の再利用によって作られたそうだ

しっかり刻印もある。「木」へのこだわりを強く感じた。駅前には立派なトイレも設けられている。駅舎もしっかり残るのではないか。そんな安堵の思いで駅をあとにした

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青空フリーパスで高山本線に挑む~名鉄との直通特急接続駅

鵜沼駅の駅名標

※訪問は2023年4月29日

早朝の名古屋駅

朝の5時20分、名古屋駅前にいた。ちょうど夜が明け始めたころ

新幹線はホームで待機中だが、名古屋駅からの新幹線は上下とも6時20分発でまだ改札も開いていない。新幹線の自動改札はこんな風に両方が閉じられているとは初めて知った。出発まで1時間近くあるが、GWのまっただ中。自由席を求めて早くも待機しているようだ

私のブログでは常連中の常連である青空フリーパスを購入。今回は主に美濃太田~下呂間の駅を訪問予定。広大なエリアをカバーする青空フリーパスだが、名古屋~下呂は乗車券だけで2310円もするため、往復だけで十分に元がとれる(現実的には下呂のひとつ手前までしか行かないのだけど)。例によってチョコチョコ乗っては降りて、また引き返してを繰り返すので、こちらのきっぷは破壊力十分である

3回目の高山本線

名古屋発5時37分発の始発で岐阜に6時3分到着

織田信長公がお出迎え

6時25分発の美濃太田行きに乗り込む。この列車は平日は太多線直通の多治見行きだが週末は美濃太田止まり。平日はこの時間から通勤通学でにぎわい始めるが

GW最中とあって実に快適。高山本線のJR東海区間は昨夏の青春18きっぷ以来

この時はほとんど無計画に青春18きっぷのラスト2日間で高山本線の下呂以北をウロウロしたが、今回は主に下呂以南に出かけることにする。この時と比べ、多少は計画性を持って行動する予定だ(笑)

名鉄との接続駅

まずは美濃太田の2つ手前の鵜沼で降りてみる

高山本線は岐阜~鵜沼間を名鉄各務原線と並行していて競合関係にある。乗車してしまえば駅の少ないJRが速いが、単線非電化の高山本線と全線複線電化の名鉄では利用者数で名鉄に軍配が上がる

そしてJRと名鉄が接近している区間は他にもあるが、明確に乗り換え駅となっているのは当駅のみとなっている

名鉄の駅名は「新鵜沼」。かつて「新名古屋」「新岐阜」「新一宮」などJRとの接続駅は「新」が付くのが定番で、近年になって「名鉄○○」と改められるケースが目立つが、当駅は今も「新」である

地図の方が分かりやすいかもしれないが、名鉄の駅は並立というより直角にホームが造られている。名鉄の特急が見えるが、名鉄はここから犬山線となり、岐阜方面から犬山方面へ直通する電車もあるが、当駅からは始発の名古屋行き特急があり、所要時間は30分。乗車駅にもよるが、名古屋へ向かうには岐阜経由より名鉄の方が圧倒的に速いため、当駅で乗り換える人も多い

元は改札も共有

かつて両駅は改札も共有していたが、現在は駅舎が別になり「鵜沼空中歩道」で結ばれている

こちらがJR側の北口

そして両者の中央あたりにある東口。もうひとつ名鉄ホームのさらに先にある西口がある

さてグーグル地図は、こんなことまで書き込んでくれるのかと改めて感心してしまったのだが「急行北アルプス連絡線跡」がある跡といっても現在はカーブを描く道路があるだけだが、ここにはかつて線路があり、JRと結ばれていた。名鉄から高山本線に入る特急「北アルプス」が運行されていた。当初は急行だったが、後に特急に昇格した。国鉄時代は富山駅を経て富山地方鉄道の立山まで直通されるという私鉄→国鉄→私鉄という、今にして思うと夢のような列車だったが、後に富山地鉄部分はなくなったがJR移管後も残り「名鉄を走る気動車特急」「JR西日本エリアを走る名鉄車両」と、これまた夢のような列車だった(後に高山止まりとなり、JR西への乗り入れ期間は短かった)が2001年に廃止。その後、渡り線も撤去されたが、現在のネット時代まで存続していれば、常にクローズアップされる存在になっていたかもしれない

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問8(終)~特徴あるJRとの接続駅は車窓にも注目

河原田駅の駅名標

※訪問2023年5月20日

伊勢鉄道の起点駅は二層構造

伊勢鉄道は河原田が起点、津を終点としているが、両駅ともにJRとの共同使用駅で駅の管理は河原田はJR、津はJRと近鉄となっている。また伊勢鉄道の車両は津で折り返すが、原則的に河原田始発着はなく(平日朝に1本のみ折り返し運行がある)、すべて四日市で折り返す。つまり河原田は単なる分岐点の扱いだ。関西本線亀山方面への乗換駅だが、快速の停車もない

その河原田駅

1890年(明治23)と、130年もの歴史を持つ駅だが20年前に現在の簡易的なものに建て直されている。もちろん無人駅。ICリーダーが置かれているが、伊勢鉄道方面へは使えない

駅舎内には構内案内図がある。駅舎は関西本線の名古屋方面側にあり、跨線橋で亀山方面そして伊勢鉄道のホームに向かう

写真だと手っ取り早い。JR線のホームを見下ろす形の高台に伊勢鉄道のホームはある。写真の向こう側が四日市方面で、この先で伊勢鉄道の列車は関西本線に合流する

駅舎から跨線橋を昇るとさらに分岐があり「伊勢鉄道乗り場」とかわいく、控えめに書かれている

やや古くなっているが、駅舎内には写真入りの伊勢鉄道ホーム案内がある

ちなみに当駅から亀山に向かっては「単線電化」、鈴鹿に向かっては「複線非電化」と初めて聞く方は「間違っているのでは?」と思ってしまう構造となっている

美しい駅名標

島式ホームには伊勢鉄道の駅名標。伊勢鉄道の全駅で降りてみて、JR東海のものとは異なるが、周囲に何もないようなホームだけの駅でも美しい駅名標が、それぞれ丁寧に設置されている、JR東海方式であることが分かった

四日市方面の列車がやって来た

河原田~四日市間はJRと伊勢鉄道、両社の列車が走っていて、もちろんどちらに乗るのも自由。青春18きっぷは使用できない伊勢鉄道だが、この区間に関しては青春18きっぷで伊勢鉄道の車両に乗車できる。四日市へ向かう利用者は駅の時刻表を見て、どちらの列車に乗車するのかを決める。昼間は関西本線、伊勢鉄道ともに1時間に1本の運行なので、この区間は1時間に2本、ダイヤも30分に1本となるよう工夫されている。もっとも名古屋行きの関西本線(この区間の昼間はすべて快速で四日市から快速運転となる)と四日市止まりで単行の伊勢鉄道では軍配が上がるのはJRで、そちらに時刻に合わせて駅に来るお客さんが多いようだ

ちなみに四日市駅の伊勢鉄道ホームは島式ホームの先っぽにある切り欠きホーム。遠くに車両が見えているが、130メートルとそれなりに距離はある

細くなったホームに単行車両がポツンと停車している(四日市駅の写真は2017年7月のもの)

津は進入の車窓に注目

そして津駅

多くの利用者でにぎわう津駅はすべての鉄道会社が中間改札なしで行き来できるようになっている。西側から順番に近鉄、JRとホームが並び、最も東側が伊勢鉄道のポジション

津駅では、ここだけが行き止まり構造

ホームには伊勢鉄道の時刻表。津駅はもちろん特急南紀も快速みえも停車するが、発車ホームも異なるため伊勢鉄道内で完結する(河原田~四日市含む)列車のものしか掲示されていない

車窓に注目

河原田、津では前後の車窓に注目である。河原田駅では高い場所から降りていき、関西本線と合流する部分が楽しいし、なんと言っても津では東一身田駅を出てからのJRとの合流地点が見逃せない。東一身田駅前後は単線区間だが、紀勢本線の線路が近づいてくると、高架のような構造物が目に入る。線路があるのかと凝視すると単なる高架があるだけだ。これは国鉄伊勢線時代から残るもので、合流の際、うまく紀勢本線をオーバーパスできるように造られたもの。伊勢鉄道は中瀬古~津が単線区間として残るが、三セク転換後に中瀬古以北を複線化したが、単線のまま残ったこの区間では、立派な分岐施設は使用されなかった。どうしても複雑な構造となるので工事予算の問題もあったと思われる。将来使用されるかどうかは微妙なところだが、準備に関してはすでに50年前にできていたことを確認するだけで価値はある

ここ数日、伊勢鉄道の公式X(旧ツイッター)を楽しみに見ています。主に鈴鹿サーキット稲生駅付近のものですが、人の波、波、波。インプレッションも凄い数。本日は、いよいよ日本グランプリ決勝の日です

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