私的に最後の「JR路線」に乗車する~戦時中に建設された立派な駅舎を有した駅

※訪問は2025年5月27日

バスのサイズに驚く

こちらは彦山駅で撮影したものだが、添田駅で最初にバスを見た時の印象は「小さ!」だった。定員は25人となっているようだが、座席の数は20人に満たない。添田駅では私より年配の方が一緒にBRTを待っていたが、この方も初乗車だったようで「小さいんだね」と漏らしていた。ただ考えてみると、このサイズで間に合うからこそのBRT転換だったのだろう

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BRT転換で駅舎解体

BRT転換の要因となったのは2017年(平成29)の九州北部豪雨。特に添田~夜明間では駅舎の倒壊や橋脚の被害、トンネルへの土砂流入など甚大な被害が発生。長期運休は必至で、そもそもそれ以前に再開が可能なのかどうかというレベルの深刻な状況だった。福岡県と大分県の山間部の県境を走るこの区間は、当時すでに閑散区間となっていて復旧までの経費とその後の利用者数を考慮すると、採算がとれない試算だった。地元は鉄道による復旧を求めたが、2年間の話し合いの末にBRT転換で合意。2023年から、それまでの代行バス運転に代わっての日田彦山線BRTの運行が開始された。その際、バス転換で不自由になると予想された東峰(とうほう)村に所在する彦山~宝珠山については既存の鉄道路盤を利用した専用軌道とすることも盛り込まれた

彦山駅は添田町に所在するが、ここから大分県との県境に向けてが東峰村となる

彦山駅とお隣の筑前岩屋駅を車で行こうとすると、このようなとんでもない悪路になる。普通に考えると国道経由の遠回りルートで実際、代行バスもこの迂回ルートを通っていたが、鉄道は地図を拡大していいだけると分かるが、4000メートル以上もある釈迦岳トンネル経由で真っ直ぐ結ばれていた。そしてこの区間は戦前では工事が終了せず、戦争によって中断。戦後10年以上も経た1956年(昭和31)にようやく全通した難工事の箇所でもある

英彦山神宮への最寄りとして

あらためて彦山駅。添田方面から当駅までは1942年(昭和17)に開通した。1942年といえば、まさに戦時中だったが、英彦山(ひこさん)神宮への最寄り、入口として神社を模した立派な駅舎が建てられ、戦後の全通、そして路線名が日田彦山線となっても路線を象徴する豪華なものだった

ただ、その駅舎はBRT移行の際に解体され、現在の形へと姿を変えた。2面3線という駅の大きすぎるスペックはBRTに向かないものだった。駅舎の隣には休憩所も設けられ、駅としての規模は大きい。新駅舎も英彦山神宮の要素を採り入れたもので

生まれ変わった駅舎内はきれいで居心地がいい

こちらは停留所で、ここから先は専用軌道

こちらはバスが去っていくところで、専用軌道となる代わりに非電化単線の路盤を使用しているため、すれ違いはできなくなる

高台にある駅は被害時の防災拠点として添田町が整備していて駅舎横にあるベンチは、緊急時は炊き出しスペースとなるそうだ

こちらは駅前の様子。英彦山神宮への参拝拠点として栄えたなごりがある。正面の飲食店は、おそらくまだ現役のはずだが、訪問当日は営業していなかった

ということで次の夜明方面へのバスはしばらく来ないため「食」を求めて専用軌道を戻る形で添田行きのバスに乗り込むことにする

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~不思議な路線名誕生までは複雑な経緯

※訪問は2025年5月27日

路線名ゆかりの駅が第一歩

添田から約20分。BRTのバスは彦山駅に到着した。予定の時刻より5分ほど遅延しているが、ここまでは道路を走るバスだったので、遅延もやむを得ない。写真で見ていただければ分かるが、ここからバスは専用軌道に入っていく。つまり線路跡を利用したコース。ここから約14キロはバスのみが走るコースなのでBRTならではの強みが発揮されるコースとも言えるが、非電化単線の線路跡を走るためバス同士のすれ違いは、かつて駅だった場所でしかできないことが、かえって弱みであるが、これが後に各駅訪問の悩みのタネとなる

そして駅名からも分かるように路線名「日田彦山線」のゆかりになった駅でもある

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変遷の末に現在の路線名に

日田彦山線は小倉から3駅目の日豊本線城野駅から分岐。久大本線の夜明を結ぶ路線で68・7キロ。この両駅が帳簿上の起終点だが、現実的には列車は小倉から久大本線の日田まで運行されていた。そのなごりでBRTも夜明を経て日田まで運行されている。つまり日田~夜明は列車とBRTが並行して運行されている区間となる

路線名は日田駅と彦山駅からとられているのは一目瞭然だが、彦山駅は城野から47キロも離れた場所にある途中駅。普通なら起点と終点の1文字ずつをとったり、路線内の代表駅を路線名とするところだが、ちょっと違う。これには路線の成り立ちが変化した歴史が関係している

もともとは小倉の東側にあった東小倉という駅(今も形の上での駅として残るが旅客扱いはしていない)から日豊本線を経由することなく添田までを結んでいた私鉄路線だった。話はややこしいが、この線路は現在のコースとは異なり、田川地域の中心地である田川伊田も田川後藤寺も通っていなかったため別の会社が当地を通って添田に向かう路線を敷いた。その後、両線とも国鉄となり前者が添田線となり、後者が行橋から伸びる田川線の一部となった。田川線は1942年(昭和17)に彦山まで延伸する。このころまでは現在の西添田駅が添田駅を名乗っていた

一方、夜明側からは1937年に大分県と福岡県の県境である宝珠山まで線路が完成。彦山線という名称だったが、戦時下で工事が中断。線路がつながったのは1956年と戦後10年以上も経ってからのことだった。全通したことにより、添田線と彦山線そして田川線の添田~彦山が統合されて日田線が誕生したが、この時点で日田線は田川地区の中心部を通らないコースを通っていた。そのため間もなく日田線と田川線を結ぶ短絡線を設けた上で、4年後には中心部から外れた部分をあらためて添田線と命名。中心部を通る田川線のコースを日田線に組み込み、名称が日田彦山線となった

文字だけだと何のことか分からないかもしれないが、ざっくり言うと小倉から添田、田川から添田、添田から夜明と3つの路線の組み合わせで成立した路線で、そのうちの一部が分離された上で廃線になったということ。また歴史をさかのぼると路線名に使用できそうな名称がことごとく先取りされてしまっているような気がする。ただ1度なくなった「彦山」という文字がすぐ復活しているあたりがおもしろい。なお2代目となった新たな添田線は中心部を通らないことで利用者が低迷。国鉄末期に廃線となっている

路線の紹介をしていると随分と長くなってしまった。ただ専用軌道の部分にもかかわってくる話なので、できるだけ説明してみた

次回でようやく戦時中に誕生した駅の訪問記をお届けしたい

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私的に最後の「JR路線」に乗車する~初乗車の日田彦山線BRT

※訪問は2025年5月27日

目指すは添田駅

前日に大分空港に到着して日豊本線を北上。行橋で宿泊して平成筑豊鉄道で田川伊田へ

当駅でJRの日田彦山線に乗り換える

1駅先の田川後藤寺で再び乗り換え。渋い車両同士の連絡だ。目指すは4駅目の乗車列車の終点、添田である

到着は11時15分だった

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駅名標が物語る

添田駅の駅名標をじっくり見てみる

片方の「にしそえだ(西添田)」は駅という感じだが、逆側の「はたがわ 畑川(医院前)」はどう見ても駅の名前ではない。「医院」は、なかなか駅にはならないだろう

こちらは列車とBRTの接続駅。つまり列車とバスが同一ホームで乗り換えられるようになっている。これから乗るのはBRT。日田彦山線の一部だが、添田から久大本線との接続駅である夜明までは専用のバスが走る

BRTとは「バス・ラピッド・トランジット」の意味。訳すと「バス高速輸送」になるが、要は専用軌道などを利用してスピードのあるバスを運行するシステム。日本でもいくつかの例があるが、鉄道の線路跡を専用軌道にする方式が多い。有名なのはJR東日本が手がける東北の気仙沼線・大船渡線BRTだろう

今回の日田彦山線BRTも一部は専用軌道を走るが、その他は一般道を走る。つまりはJR九州の運営するバスだ。ただし気仙沼線・大船渡線BRTと同じく鉄道のきっぷでも乗車できるところがポイント。分かりやすく言うと青春18きっぷでも乗車できる。JRが手がけるバス路線は多数あるが、青春18きっぷでも乗車できるバス路線はこの2つだけ。そして私にとってJRの最後の未乗区間である

2年前の夏の思い出

そもそも日田彦山線そのものに縁がなく、ずっと未乗だった。だからBRT転換されても、これが初めて。JR線の定義と言われると、いろいろな考え方があるだろうが、青春18きっぷでも乗車できる上、もともとはBRT区間も鉄道路線で、今も以前の鉄道駅には停車する。だから私の考え方ではレールはなくてもJR路線の一部である。同じく18きっぷで乗れる広島の宮島フェリーも、かつては青函連絡船や宇高連絡線がJR(国鉄)の通しきっぷに含まれていたことを考えると広義のではJR路線の一部となる

添田駅には2年前の7月2日にも来ている。この時は小倉から添田まで来て折り返した。BRTの開業が2023年の8月28日だったので約2カ月前。同業者の姿もチラホラ

駅舎にはまだ「JR添田駅」の駅名板があった

当時の時刻表は、まだ代行バス扱い。旧JR駅にはすべてのバスが停車しているが、新たに設けられた停留所には1日3本の停車しかない。あくまでも鉄道の代行バスのゆえんだろう。また彦山と筑前岩屋の間がボトルネックのようになっている理由については、後々の記事で紹介する

そして、いよいよバスが入線。最後の路線の完乗を目指す旅の始まりである

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旅客向け開業から10年経たずに廃駅が決まった駅を訪ねる(後編)

※訪問は2025年3月11日

楽勝かと思いきや、ちょっと待って!

土崎駅から秋田港駅へと歩いていく

消防署が見えてきた。駅前の周辺案内図にあった通り。ここをまで来ると貨物線の線路にぶつかり、そのまま秋田港駅へ到達するはずだ

念のため、駅前でグーグル先生の指南ももらっている

実際に自分が歩いているコースとは違うが、曲がる場所が異なるだけで、ほぼ同じ。駅員さんは20分ちょっと言っていたが、16分の表示なら早めに歩けばもう少し速い。膝が痛いので少し安心した

線路沿いを進んでいく。これで大丈夫と思いきや、ちょっと違うぞ、と思い始めたのは、その直後だ

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そのコースは無理です

遠くに建物が見える。まさかあれか? ちょっと遠くないか? ともう1度地図をよく見直すと衝撃の事実。最後に徒歩コースが薄い点線になっている。この表示はグーグル先生も自信なさげなことによく出てくるが、地図を拡大していただきたい。なんと複数の線路を横切る形となっているのだ。やはりそう簡単には着かないのだ

ということで

駅員さんが言っていたホテルに到着。線路は右手あたりで、いくつも終わっている

すでに使用されなくなったいくつもの車止めを眺めていく。先ほど遠くに見えた建物も近い。進んでいくと

急に目の前が広がって目指す秋田港駅に到着。何度も立ち止まったので駅を出てから30分近くかかっていた

真新しい駅舎や施設

訪問日はクルーズ列車の運行日ではなかったので敷地内には入れない。しっかりと柵が設けられているが、真新しい建物だということは一目瞭然。2017年に駅舎と4両分のホームを設置したばかりなので、新しいはずだ

駅舎からホームまでは屋根が付けられていて利用者への配慮がある。終点のような頭端駅に「ようこそ秋田へ」との看板があるのは、クルーズ船で秋田港へ寄港した人が最初に利用する駅が当駅だからだ

もちろん駅名標も新しい。サムネの写真は、こちらを拡大したもの。これらの施設があと1年も経たずに役目を終えるのは信じられないことだ

最初に見えた建物ギリギリまで近づいてみた。周辺には利用者がいなくなった貨物線がまだ何本も残っていて寂寥感が漂う

バスの本数は少ない

この後はせっかくなので秋田のランドマークタワーでもあるポートタワーセリオンへ

こちらは道の駅にもなっていてもちろん食事もできる。周辺にも飲食店やコンビニがあるので時間つぶしには困らない

海鮮丼をいただく

前日に続いて穏やかな日だった

古典的なうどんの自販機が設置されている

金足農業の吉田輝星投手の日ハム仮契約会見はここで行われた

当地へのアクセスは秋田駅からの路線バスがあるが、午前中の運行が多く、午後の本数は多くはない。週末はさらに少ないようだ。私は膝の痛みから、ここで1時間以上過ごしてバスに乗ったが、時刻表だと所要時間25分のバスが30分以上かかった。奥羽本線だと昼間でも1時間に1、2本の運行がある上、秋田までは10分。土崎駅からの徒歩がおすすめだ

ちなみに訪問して分かったことだが、秋田港駅の前には商業施設があり、ローソンが入居している。他図アプリで検索するならローソンを目印にするのがおすすめ

幻の列車、幻の駅たるゆえん

やって来たバスで当地を後に

まだしばらく現役の秋田港駅。当駅と秋田駅を結ぶクルーズ列車の運行についてはJR東日本のHPで発表されている。船に合わせて1日3往復。午前中に秋田駅へと向かい、午後に当駅へと戻るダイヤで車両は充電式気動車が充てられていねようだ。秋田までの所要時間は17分。間の悪いことにこの記事を書いている7月3日が運行日で、次回は9月22日である

と、ここまでを読んで「では次回に乗車しよう」と思った方もいるかもしれないが、この列車は豪華クルーズ船の利用者しか乗車できない「幻の列車」でもある。乗車にはクルーズ船の利用料金が生じるわけで、かなり高価な列車だということになる

そして、その時にしか開業しない秋田港駅も「幻の駅」である。過去の他の使用例も団体列車などに限られている。最後の日がいつになるかはまだ未発表だが、最初の使用から7年半、施設が設置されてから7年で幕を閉じる幻の駅を外から眺められるのも、あとわずかである

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旅客向け開業から10年経たずに廃駅が決まった駅を訪ねる(前編)

※訪問は2025年3月11日

キュン♥パス登板

弘南鉄道大鰐線の各駅訪問から一夜明け。朝7時前の弘前駅

取り出したのは

前日弘前駅で発券しておいた「旅せよ平日!JR東日本たび たびキュン♥早割パス」。いわゆる「キュンパス」で平日の2日間、JR東日本の全線が乗り放題になるというもの。昨年は1日券を利用した。今回は2日券。問題はここ弘前から最終的に東京に行くとして2日でどうやって元をとるかなのだが、それは今回のテーマではないので省略する。まずは奥羽本線を秋田方面へと向かうことにする

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降り立ったのは土崎駅

弘前近辺でいくつかの駅をウロウロしながら

すっかり変わった大館駅へ

特急「つがる」に乗車。青森~秋田を結ぶ特急だが、現在は1日たったの3往復しかない。旅人にとっては貴重な1本だが、自由席に楽々座れてしまうことから減便やむなしを感じてしまう

八郎潟で乗り換えて降りたのは

土崎駅。時間的には、もうお昼を回っていた。秋田港の最寄りとして開業は1902年というから120歳を超えている。港の最寄り駅や最寄り路線は長い歴史を持つものが多いが、当駅もその分類に入る。駅舎は1926年に新たに建てられたもの。真新しく見えるのは、駅舎の原型はそのままに外壁をリニューアルしたため

そして、ここかが目的地の起点となる

目指すは秋田港

私が目指すのは秋田港そして、そこにある秋田港駅である

周辺案内図をまじまじと見つめる

当駅から分岐しているのは奥羽本線の貨物支線。港に向かっているが秋田港駅は貨物支線が行き止まりになっているどこかにあるはず。ただ駅を示すものは地図にない。土崎駅はみどりの窓口こそなくなっているが管理駅で駅員さんはいるので尋ねてみると、駅前の1本道を行き、支線手前で左折するとホテルが見えるので、そのあたりまで行けば分かるという。徒歩で約20分だとか

駅舎を出る時、ちょっとビビる。こんな街中にまでクマはやって来るのか。もっとも3月上旬という今の季節はまだお休み中ではないのかと歩き始める

秋田港駅とは

駅前の道路をずんずん進んで行く。遠くに秋田のランドマークタワーとなっているセリオンタワーが見えるが、駅員さんの話など、あそこまでは行かないという

さてずっと前ふりが続いてきたが、今から目指す秋田港駅について簡単に説明しておきたい

駅名の通り、秋田港の駅で歴史は長い。明治期にはすでに貨物線は運用を開始していて駅もあったが、それはあくまでも貨物駅であり、旅客扱いはしていない。旅客扱いがないのだからプラットホームもなかった。駅の施設は国鉄民営化の際にJR貨物に引き継がれたが、それ以前から運用にあたっていたのは秋田臨海鉄道という会社

長らくこの形態が続いてきたが、秋田港に到着する豪華クルーズ船の旅客を運ぶための「秋田港クルーズ列車」を運行することになり、JR東日本が第二種免許を獲得。ホームや駅舎も新たに設けた。このほかにも秋田港で開催されるイベント用列車が走ることもあったが、秋田臨海鉄道が2021年で事業を終え貨物列車は走らなくなった。その後は月に1度程度のクルーズ列車が運行するだけの「貨物支線」となっていたが、JR貨物が線路維持は2025年度までとしたため、路線そのものがなくなることになった。つまり新たに設けた旅客駅施設は、わずか7年半で幕を下ろすことになった。近年の駅としては、なかなかない例となった

ならば今のうちに見ておこうと今回の訪問となったわけである。ただ、これは前回までの弘南鉄道大鰐線の続きになるが、相変わらず膝が痛い

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~いったん中締め次回は盛夏

※訪問は2025年3月10日

もうひとつの学校駅へ行くはずが

銀世界のりんご畑を宿川原駅のホームで眺めながら中央弘前行きに乗り込む。次に向かうのは次に向かうのは弘高下駅。中央弘前のひとつ手前。大鰐線は14駅中4駅が学校名を冠した駅となっているが、今回の訪問では最後となる。今日はJRの弘前駅近くに宿をとっている。繁華街という意味では中央弘前付近に泊まる方がお店もいろいろありそうだが、翌日が朝早いことを考えると、さすがに弘前駅前である

弘高下から弘前駅までは徒歩で約20分らしい。弘高下で降りてのんびり弘前駅まで歩けばホテルに着くころには夕暮れの手前ぐらいになるのでは、という計算だ

ただ「らしい」と書いたのは訳があって、その行程をとれなかったのだ。膝の痛みがかなりピークに達しつつあって、さすがに断念

中央弘前まで乗り通すことに

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車中で気付いたこと

川沿いを3分ほど歩き

最初に降りた蓬来橋のバス停に到着。現在の時刻は16時過ぎ。バス停を降りたのが11時前だったので、5時間ぶりの帰還。それほど長い時間ではないが、随分と密度の濃い5時間だった

ここから先のことは

この時にも書いたが、時計回り一方通行のバスがこんなに時間がかかるとは思わなかった。次に来る時は大丈夫

さて大鰐から乗車した際、気付いたものがある

りんごの吊り革。そう言われると過去にどこかの媒体で見た記憶がある。これだけ何度も乗り降りしていて全く気付かなかったのは、乗車した電車がいずれもガラガラだったからだ。朝夕の通勤通学ラッシュを外すように乗ってしまったこともあるが、電車が来る→乗る→空いている席に即座るの繰り返しである。徒歩予定がある時はドアの前に立って車窓をひちすら凝視するので、こちらも吊り革には目が行かない。大鰐が始発駅だったので、やや余裕があったからだ

最多利用の駅で1日251人

2023年度の駅別利用者数を見ると、1日あたりの利用が最も多いのはもちろん中央弘前駅だが、その数は251人。2位の大鰐駅が150人で以下は2ケタ以下。弘南鉄道のもうひとつの路線である弘南線は弘前駅が1037人、黒石駅が624人であることを考えると、寂しい数字となっている

沿線には学校が多い。にもかかわらず学校最寄り駅の利用が、いずれも2ケタにとどまっているのはJRやバスとの競合、また学校がスクールバスを運行していたりするからだという。それでも廃線を2028年春と3年先にしたのは2025年度に入学する生徒さんの卒業時期を考慮したため。明確で責任ある意思表示と言える

弘前電気鉄道として開業したのが1952年(昭和27)。地方の私鉄として経営は決して楽ではなかった大鰐線だが、私自身は間もなく当地に赴く予定である。7月上旬を盛夏といって良いのかどうか分からないが、昨今の気候状況だと、もう盛夏といって良いだろう。その際は弘南線も回るつもりだ。銀世界とは真逆の景色を眺めよう

こちらは駅の待合所で見かけた弘南鉄道の除雪車「ラッセル君」のポスター。土俵入りまで行うまわし姿のラッセル君。一瞬「えっ?」と思ってしまうかもしれないが、青森県は数多くの名力士を輩出した相撲どころで、ラッセル君は力持ちでもあるのだ

ラッセル君とは無縁な季節になりそうだが、残る駅をすべて訪問してから、あらためて大鰐線を詳しく紹介するつもりです

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~利用者最少の駅まで根性見せよう

※訪問は2025年3月10日

ちょっと迷った末に

こちらは鯖石駅前の「継電器室」。当駅が交換可能駅になった時に設置されたものか。次の中央弘前行きは約30分後にやって来る。それまで雪景色でも眺めて過ごそうか、と思いつつ地図を眺めていると、ふとあることに気付いた。「30分以内に歩けば宿川原駅も訪問できるんじゃないか?」

ただしこれは正直迷うところではある

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痛む膝と地方幹線道路あるある

鯖石と宿川原の距離感はこんな感じ

線路の駅間距離は1・3キロで歩いても大して変わらない。徒歩20分と指南されたので十分間に合いそうだ。ただ石川駅から義塾高校前駅まで歩いた際、水たまりを飛び越えた時にズキンとなった膝が痛い。しかしここで宿川原を回収すれば義塾高校前から大鰐までの6駅すべてが回収できる。7月にも当地訪問を考えているため、大鰐のひとつ手前の駅をポツンと残しておくのはいかがなものか。ちょっと迷った末に

ゴーサインである。こちらは鯖石駅近くにあったもの。何か確認しようと思ったが雪で近づけない。というか余裕がない。とにかく前へ進むのみ

宿川原への道程は7号という幹線国道を進む平坦コース。以前の記事にも書いたが、この日は気温10度超えで晴れそして無風。積雪に目を奪われがちだが、徒歩には絶好のコンディション。これだけの積雪を眺めながら気持ちよく歩ける環境というのは、そうはなさそうなぐらいの徒歩日和だったが、とにかく膝が痛い

それでも歩く

駅間徒歩を行う時は、二度とない機会だと思ってまめに写真を撮るのだが、後で見るとこの1枚しかなかった。よほど余裕がなかったのだろう

ご覧の通りさすが一桁国道。歩道もきれいに除雪されていて歩くことに何も問題はない。もちろん車はビュンビュン走っている。もっとも「地方幹線道路あるある」で車の通行量は凄いが歩いている人はほとんどいない。朝だったらワンちゃんの散歩の方に出会うものだが、15時という時間ではそれもない。ドライバーの方からすると、大きめのリュックを背負って足を引きずりながら誰もいない国道を歩く年寄りはきっと奇異な不審者に見えたに違いない。実は「通報されたらどうしよう」とちょっと思った(笑)

そして列車出発の10分前に無事到着した

移動の歴史を持つ利用者「2」の駅

無事に到着した駅は奥に見える山の積雪と重なった景色が美しい

スロープから単式ホームに入る。待合所があるだけの簡素な構造。当駅の開業は1952年(昭和27)で、大鰐線の1期生だが見た目が妙に新しいのは2002年に移転しているからだ

地図で見ると鯖石寄りに宿川原大橋があるが、以前はもっと大鰐寄りにあった。駅は橋に寄り添うような場所にあったが、橋の移転と同時に鯖石寄りに200メートル移転した。当駅は町村制施行で大鰐村(現大鰐町)の一部となった宿川原村に基づく。「宿川原」を検索すると全国に無数に同様の地名があることが分かる。その中にはもちろん南武線の宿河原駅(川崎市)もある。「宿川原 時刻表」で検索したところ、こちらの駅は上位ではなく南武線の駅のほか、大阪府茨木市の宿川原停留所が出てくる。1970年の万博会場付近はかなりウロウロした方だが、恥ずかしながら国道171号沿いのこの地名は全く知らなかった。そしてバスの本数も多い。検索上位に来るはずだ

話は少しそれたが、川に近い宿という意味で全国に多くの「宿川原」があるのだろう。地図にある駅近くを通る県道201号はおそらく国道7号の旧道で集落がある。ただ駅と橋の移転は集落からやや離れただけでなく平川の向かいにある集落からも遠くなってしまい、そのためか当駅の2003年度の1日あたりの利用者数は、わずかに2人とJRの閑散ローカル線のような数となっている

ホームの向かいはりんご畑となっている。これはこれで美しい景色で現在は全く異なる景色となっているのだろう。ただ駅の実用という意味では、りんご畑に面しているのでは利用者が少ないことは容易に想像できる

電車がやって来た。山の積雪にりんご畑そして単式ホーム。鉄道の写真としては映えるものかもしれないが、かつては集落と橋の結点に駅が存在したことを思うと、少し寂しい気持ちになってしまう

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~細長ーい待合所が印象に残る

※訪問は2025年3月10日

再び大鰐町へ

石川プール前から1駅大鰐方面へと戻って鯖石駅に到着

この駅間はわずか800メートルということは前記事に書いたが、うまい具合に20分で折り返しが来るダイヤとなっていたので、これは電車に乗る一択だろう

のんびり歩くとほぼ同時刻着となりそうだ。もっともいずれにせよ当駅でのんびりした待ちタイムになってしまうのだが

そして再び大鰐町に入っている。駅の北側にある橋が市町の境界になっているようだ

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ひときわ目立つ待合所

駅でとりわけ目が行ってしまうのはホームの待合所。細くてぐーんと高く感じる。なぜこのような構造になっているかというと、当駅は駅舎もないホーム+待合所のみの駅ながら列車交換可能駅だからだ。現在は朝の通学時間帯を除くと昼間は1時間に1本の運行となっているが、以前はもっと多かった。1981年(昭和56)には快速運転を実施、交換設備のある駅を増やすことになって白羽の矢が立ったのが、ここ鯖石

そのためホームを100メートル大鰐寄りに移設したが、スペースの確保にも限界があったようでホーム幅は現在のものが手一杯。現在の姿となった(過去のホーム跡らしきものがあるかどうか見たが確認できなかった)。通過列車があると危なそうだが、現在は快速の運転はなくその心配はない。待合室横にぶら下げられた使用されていない列車案内表示になごりが残るのみだ

待合所はその際にできたものだが、中に入ると細さがよく分かる

所狭しという表現がピッタリだが、当駅の1日あたりの利用者数(2023年)は30人。そのような状況が訪れるかどうかは分からない。ちなみに14時58分着の電車で降りたのは私のみだった

正式駅名は魚ヘンに青

当駅を語る上で、もうひとつ見逃せないのが「正式駅名」である。この記事もずっと「鯖石」と書いているが、サムネや待合所の写真を見ていただければ分かるように「鯖」の文字は右側が「青」。弘南鉄道HPにも鯖石という駅名の隣に「駅名のサバ=魚へんに青」と注意書きがある。要は駅名の旧字体が環境依存文字になっていてPCで文字化けする可能性があるため、このような表記になっている

環境依存文字については、文章の最後に「●」は「●の下に●」と注釈が入ることが多いが、近年はその存在そのものが一般的に浸透していて、超有名人などについては注釈なしで、その部分だけひらがなにすることが多くなっている。今書いている記事については、ひとつひとつ●になってしまうのも面倒なので「鯖」の文字を使わせてもらっている

そもそも鯖石は当地で地名で江戸時代にはその名が見られるそうだが、当時は「青」が使用されていたが、現在は「鯖」が使用されていて「青」は駅のみとなっている。駅の開業は1952年(昭和27)と大鰐線の一期生で、現在に至るまで「鯖」に変更することは十分可能だったと思われるが、ここまで「青」で頑張ってきた。さすがにこれから駅名が変更されることはないだろう

こちらは構内踏切からのホームの様子。減便によって交換設備は不要になってしまったのかと思いきや、朝の7時台と8時台の計2本、当駅での列車交換が見られ、そのもようは弘南鉄道HPに動画でアップされている

開業当初から駅舎が設置されることはなかった駅。一見、何もないようで実は歴史や環境依存文字までも教えてくれる駅である

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~路線の最新駅は全国唯一の「プール駅」

※訪問は2025年3月10日

2つの自治体のみに所在

前回記事の続きになるが、大鰐駅の様子。ちょうど旅行者らしき若いカップルが券売機できっぷを求めるところだった。繰り返しとなるが、大鰐線内の有人駅は中央弘前と大鰐の2駅のみ。他の駅には券売機すらないのでご留意いただきたい

大鰐から乗車して3駅目

石川プール前に到着した。ここから中央弘前まですべての駅が弘前市に所在する。大鰐線の各駅は弘前市と大鰐町にしか所在しない。全14駅(起終点含む)のうち13駅が弘前市、残る3駅が大鰐町。これまでの各駅紹介では、もともとの所在自治体を記してきたが、1952年(昭和27)と戦後の開業の大鰐線でも駅の所在自治体の統合が進んできたことが分かる

大鰐からやって来ると鯖石までが大鰐町、石川プール前からが弘前市と市町境をまたぐ形になっているが、両駅間の距離はわずか800メートルしかない

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唯一の平成生まれ

石川プール前駅の開業は2002年と平成14年で大鰐線唯一の平成生まれ駅。義塾高校前駅の記事でも触れたが、こちらの開業が1987年の昭和62年で二番目に新しい駅となっているので15年の差がある。もっとも平成になって新駅がどんどんできているようなら廃線にはならないのだが

単式ホームに待合所のみの簡素な構造。待合所は部屋の形にはなっておらず、いわゆる吹きさらしだ。銀世界の存在が雰囲気を後押ししているが、周辺にはこれと言って何もない。国道7号線方面まで歩けば集落がある

「これ」というもの、それがすなわちプールである

尼崎市の駅はちょっと違う

雪に埋もれて何のことか分からなくなっているかもしれないがホームに隣接して「弘前市立温水プール石川」がある。温水プールを造るのだから、周辺にはもともと何もないはずだ。地図を見ていただくとプールに隣接して清掃工場があることが分かるが、そこから出る熱を利用した温水プールとなっている。駅は温水プールとほぼ同時開業。つまりほぼプール利用者のための駅となっている

こちらは駅の出入口とプールの位置。駅の構造について待合所は吹きさらしと記したが、寒い日でもギリギリまで施設内にいれば、風雪の中、長時間駅で待つこともないのだ

そして当駅で特筆すべきは「日本唯一のプール前駅」だということ。プールが付くだけなら阪神電車に「尼崎センタープール前」駅があるとのツッコミを受けそうだが、こちらは泳ぐためのプールではない。30代のころ、5年ほど尼崎市民だった。それより前の若いころはボートレースに随分凝っていたことがあって、こちらの駅には随分とお世話になったが「泳ぐプールだと思って降りてみたら違った」という勘違い話を耳にしたことがないほど「プール前」が泳ぐプールでないことは認知されている

温水プール石川のHPを見ると料金は大人も1回330円と安い。年末年始以外は基本的に開館しているようだ。当駅の2023年度の1日あたりの利用者数は21人。コロナ禍前はもっと多い数字だったようだ。敗戦後の当館アクセスがどうなるかはまだ未定だが、子ども同士、中高生同士でプールに行く手段が減ってしまうのは残念である

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~駅名が一致しない珍しい共同使用駅 

※訪問は2025年3月10日

終点ならぬ起点駅に到着

大鰐駅に到着。これで大鰐線は完乗である。そして当駅は路線の起点駅。弘前市の中心部にある中央弘前からここまでやって来たのだから、中央弘前が起点で大鰐が終点だろうと思ってしまうが真逆。これはなぜかというと、以前の記事でも紹介した通り中央弘前から先への延伸計画があったからだ

中央弘前から先も板柳まで延伸することになつていたので起点は大鰐。ただしこれはあくまでも帳簿上のもので実際に乗ってみると大鰐駅には終点感が漂っている

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除雪車とのランデブー

あらためて大鰐駅。除雪車と旅客用電車のランデブーが美しい。降りて気付いたのだが、この日一度も見かけなかった同業者(鉄道ファン)が何人か同乗していて皆さんと並んでの撮影会となった。これだけいらっしゃるのなら前記事で紹介した義塾高校前駅での積雪の岩木山をバックにカーブ状ホームに入線する「ツーショット」もおすすめしてあげたくなった

大鰐駅は奥羽本線の大鰐温泉駅との共同使用駅。共同使用駅にもいろいろなパターンがあって、こちらは改札は別だが改札内でホームはJRと弘南鉄道で自由に移動できる形式

改札内は自由移動という形式はかつての国鉄が三セク化されたものに多く見られ、元々が同じ会社なのだから使用ホームもそのままということになっている

大鰐駅のようにJRと(一度も国鉄になったことのない)私鉄によるホームの移動も自由という形式は意外と少なく、有名なのは三重県における津、松阪、伊勢市の近鉄とJRによる共同使用だが、三重県内でも鳥羽や桑名のように自由な往来ができなくなった駅もあり、どちらかといえば減少傾向にある。確かに完全なライバル関係にある会社、路線が改札内の空間を共有しているのは、なかなか現代風ではない

そしてさらに特筆すべきなのは共同使用駅でありながら駅名が異なるという点。ホームも同じなのだから駅名は同じにするのが利用者にとって便利だろうと思うが、弘南鉄道は「大鰐」、JRは「大鰐温泉」である。このパターンはなかなか珍しく、大鰐から比較的ご近所のJR東日本と津軽鉄道の「五所川原」「津軽五所川原」、JR九州とくま川鉄道の「人吉」「人吉温泉」ぐらいしか思いつかないが、人吉については元々が国鉄の同駅だった

スイマセン行けませんでした

もっとも駅名が異なるといっても最初からそうだったわけではない。最初はともに「大鰐」「五所川原」だった。大鰐駅については国鉄駅の開業は1895年(明治28)と、なかなか古い。弘前電気鉄道の乗り入れは半世紀以上後の1952年(昭和27)だ。1970年に弘南鉄道に経営が移ったタイミングで「弘南大鰐」と最初の駅名変更。ところが1986年の国鉄民営化の1年前に再び「大鰐」に戻る。先の記事でも触れたが、同じタイミングで新石川駅も石川駅へと変更されている。これで1年後に発足したJR東日本と弘南鉄道で同駅名となったが、今度はJRが1991年(平3)に「大鰐温泉」と現在の駅名としたため、せっかくの同駅名回帰はわずか5年で終わりを告げてしまった

当駅は2面3線のJR、島式の弘南鉄道と計5つのホームがあり、弘南鉄道は4、5番線。ともに行き止まり形式となっていて冬場は最初の写真のように除雪車が留置されているようだ

JRと弘南鉄道のホームは跨線橋で結ばれている。駅の出入口は南北にあるが、北口は弘南鉄道のみの出入口、南口はJRと弘南鉄道の出入口はそれぞれ別に存在している。つまりJRのきっぷで大鰐温泉駅で降りても北口からは出られないわけで

はがれかけているが、このような注意の張り紙がある。ただ私がこの日持っているのは弘南鉄道のフリーきっぷ。堂々と南口(の弘南鉄道出入口)に行けるわけで、跨線橋を登って向かう-というのが、ごく普通の行動なのだが、とにかく膝の痛みがかなりのものになっていて跨線橋の階段は無念のパス。これ以上悪化して動けなくなるわけにはいかない

北口にはかわいい駅舎があって駅員さんはここにいる。以前は南口しかなかったそうだが、1981年に北口ができて利便性が向上した

駅舎は道路に面しているわけではなく通路を歩いて外へと出る

こちらは駅舎というより駐車場と社員詰所の雰囲気

左側に目をやると、すっぽり雪に覆われたバス停があり、間近まで行くことも困難だが「予約制バス」と記されていた

現在は14時半。もう少し頑張ってみよう

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