渥美半島の「途中」まで18キロの豊橋鉄道渥美線~元の名はいかにもの利用者3位の駅

※訪問は2025年9月23日

歩いて10分もかからないが

南栄駅に到着。祝日の朝ともあって、朝の9時台でも駅には多くの人がいた。この後、市内中心部やさらに別の場所へ出かけるのだろう。電車を見送っているのはホームが単式で目的地とは逆方向だからだ。単線ながらも15分に1本(この日は休日なので20分に1本)という頻度の高い運行を行っているので、このような事象がいろいろな駅で見られる。当然だが、地元の人は逆方向の電車に乗ったりはしない

愛知大学前駅とは700メートルで、しかも直線。徒歩で10分もかからないが、駅近辺をウロウロしている間に20分などすぐなので、もちろん電車移動である

築6年の新築駅舎

駅舎は真新しい。2019年に新築となったばかり。コンビニも隣接している。早朝と夜をのぞくと駅員さんが配置されている。開業は1937年(昭和12)で、途中駅として新たに設けられたが、駅名は「陸軍病院前」。隣駅が「師団口」だったので、当時の地域の特徴がよく表れている。当初は臨時駅扱いだったが、間もなく正式駅となり、戦争による休止もなく終戦を迎え、駅名は「病院前」へと変更された後、すぐに現在の駅名に再変更された

愛知大学前駅とは国道に沿って一本道だが、道中には第15師団の史跡が多くあることが分かる。そしてその場所の多くが学校となっている。当駅は時習館高校(愛知大学前駅からも近い)と豊橋工科高校の最寄りとなっていることもあって利用は多く、1日の利用者数は3267人(2023年度)と愛知大学前の4542人に次いで全駅16駅中のうち3位。途中駅では2位となっている。最も利用の多い新豊橋駅の1万4528人をのぞくと、他の17駅の利用者総数は2万500人なので、わずか700メートルにある2つの駅で4割近くを占めていることになる

学校ができると同時に周辺の住民も増え、豊橋市の副都心のひとつとなっている。目の前は田原街道と呼ばれる国道259号で交通量も多い。ちなみに伊良湖岬~鳥羽市のフェリーでの海上区間が含まれる国道となっている

かつての駅の象徴が

こちらは木製の駅名板。注意書きを凝らすと

このような解説がある

2019年までの駅舎も描かれている。当時の写真を見ると現在の駅よりはやや大きい駅舎で、ややコンパクト化されたようだ。駅前にあった10メートルを超える2本の大樹は駅のみならず町の象徴でもあったようだが、過去の写真では大きくなりすぎたためか、倒壊防止の措置がとられている様子が分かる

こちらは駅に隣接する踏切近くからの駅の様子。いつの間にか新豊橋方面への電車を待つ人でホームは大いにいぎわっている。私が目指すのは逆方向だが、そろそろ駅に戻ろう

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渥美半島の「途中」まで18キロの豊橋鉄道渥美線~途中駅で利用首位の「新駅」

※訪問は2025年9月23日

ホームは大いににぎわう

愛知大学前駅に到着。これは停車後、一段落した時の写真だが、少し前までは

下車客であふれていた。朝の9時すぎ。学校に行く時間といえば時間だが、本日は祝日。何か行事でもある日だったのだろうか

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20年以上の休止から復活して首位の座に

2023年度の渥美線の駅別利用者数を見ると、全体の1位は当然ながら新豊橋で1万4528人。その次に来るのが当駅の4542人である。渥美線の全16駅で利用者4ケタの駅は7駅で、もちろんそのひとつになるが、全体3位がお隣の南栄で3267人なので、それを1000人以上も上回る途中駅では断トツ首位の駅ということになる

見て分かるようにホームの先が愛知大学の門(副門)となっている。いわば大学と一体化しているような利便性バツグンの駅で利用が多いのも当然だが、実は20年以上も休止されていたという事実がある

理由が分かれば、意外でも何でもないのだが、1924年(大正13)の開業時の当駅の名前は「師団口」だった。前記事で豊橋にあった陸軍の第15師団が、渥美電鉄設立の理由のひとつだと書いたが、その第15師団の場所がここだったのだ。戦後、その敷地に開学されたのが愛知大学で、現在は愛知大学の豊橋校舎となっている。昭和初期の軌道変更による廃止もあったが、他には「司令部前」「兵器廠前」という駅も存在した。渥美電鉄の意義のひとつがよく分かる

師団口駅は戦時中の1943年(昭和18)に高師口と名前を変更。名前が師団にちなんだものかと思われるかもしれないが、高師というのは以前からあった地名、村名だ。やがて戦争が激化するといくつかの駅が休止となり、高師口も対象となり、戦後もそのまま休止したままだった。愛知大学は1946年に開校されているが、駅の休止続き、前記事でも紹介したように学校の最寄りは800メートルほど離れた小池駅となっていた。「大学前」駅として1968年に復活。以降は利用が増えた。戦後には時習館高校も陸軍の施設跡に移っているため、高校生の利用も多い。現在の駅名は2005年(平成17)から

複数の出入口

学校のある日は有人駅となっている。手前が学校の副門。週末は無人駅となるはずだが、この日は業務を行っていた。右奥に見えるのが時習館高校

駅には改札がもうひとつあって、副門とは逆方向に進んでいくと

ホームの端にICリーダーが設置された小さな出入口。ここ南口からは学校の中にしか行けず、週末は門が閉められているようだが、この日は開放されていた。奥に見えるのは、かつての軍の集会所で、大学の敷地内にある愛知大学記念館は、かつての司令部を使用していて登録有形文化財となっている

渥美線の途中駅で最も利用の多い駅は、歴史の詰まった駅でもある

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渥美半島の「途中」まで18キロの豊橋鉄道渥美線~かなわなかった先端への夢

※訪問は2025年9月23日

柳生橋から700メートル

柳生橋駅から1駅で小池駅に到着。1駅といっても、わずか700メートル。ちなみにさらにお隣の愛知大学前駅までも同じような距離。ただ最初の記事でも触れた通り、平日なら15分に1本、休日の今日でも20分に1本の高頻度運転。駅で写真を撮って、付近を少しウロウロしているうちに電車はやって来るので、それはありがたく乗らしてもらう

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以前は学生でにぎわう

駅の構造は2面2線。開業は1925年(大正14)で柳生橋駅と同じで、かつては駅舎があったようだが、現在はない。ただしホーム上には立派な待合室もあって、それとは別にホームに屋根がある。先ほど愛知大学前駅の話が出たが、以前はなかった。いや、休止中だった。その理由については後の記事で触れるが、愛知大学の生徒や関係者は当駅を利用していたため、当駅が最寄りでとてもにぎわっていた時期もあったそうだが、1968年(昭和43)に愛知大学前駅が開業すると静かな駅となった

前述した通り、駅舎はなく券売機とICリーダーが設置されているのみ

半島の途中で終わったわけ

さて渥美線の全線をたどると

終点の三河田原駅は観光名所でもある伊良湖岬に向かって進んでいるように見えるが、それにしては渥美半島の途中あたりで終わっている。現在のように道路やマイカーが発達している現在ならともかく、輸送手段、公共交通機関として鉄道が最上位にあった大正期である。渥美半島の先端まで鉄路を通そうと考えるのが普通だ。そして実際に話はそのように流れていた

伊良湖岬の向かいは三重県の伊勢市がある。当時の寺社参拝の最上位はもちろん伊勢神宮。さらに重要だったのは、豊橋に陸軍の第15師団があったこと。そして伊良湖岬近くには陸軍の射撃試験場があった。明治から昭和初期までの鉄道敷設の理由は基本的には大都市間輸送、貨物輸送、寺社参拝、温泉利用、軍事利用の5つである。その意味では軍事需要もあるし、伊良湖岬から船舶で伊勢参りという需要もあるとのことで渥美電鉄という会社が設立され、敷設が始まった

しかし新豊橋から三河田原の2つ先の黒川原という駅まで開業したところで渥美電鉄が資金切れで工事を中止。それでも射撃場は陸軍の施設だからということで、さらに先の工事は国鉄が請け負うことになった。このあたりは軍の重要コースになるというとで、信濃大町から糸魚川にかけての山中が国鉄の工事となった大糸線と同じ流れだ。そして戦局悪化によって工事が中断したことも同じ。異なったのは、戦後に全通した大糸線と、一部完成した路盤だけを残して未成線に終わった渥美線との結末の違いである

ただし国鉄が工事を行うということは全線開業時は国有化するということだし、30キロ近い未成区間は決して人口の多い場所ではない。今も需要のある伊良湖岬~鳥羽のフェリー航路は戦後に開業したが、三河田原から伊良湖岬までの営業を考慮すると、国鉄に営業体力やサービス気力があったかどうかは怪しいところだ。そもそも延伸区間は電化できたのか、という根本的な問題にも突き当たる

全長18キロの私鉄だからこそできた15分間隔の頻発運転ではないか-それが実感だが渥美半島の先までつながる鉄路を見たかったという気も少しあるのは事実である

構内踏切を眺め次の駅へと向かう

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渥美半島の「途中」まで18キロの豊橋鉄道渥美線~国鉄との関係を眺めながら到着

※訪問は2025年9月23日

新豊橋駅から出発

朝8時の新豊橋駅。休日だけに人もまばらだ。かつてはもう少しJR豊橋駅の近くにあったが(2代目)、三河田原寄りに50メートル移動させ、単式ホームを島式ホームに拡張させて輸送力をアップさせた

すでに列車はホームで待っている。少し見えにくいかもしれないが、右手には東海道本線が走り、多くの留置線が設けられている

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車窓の見どころ

新豊橋駅を出発すると、すぐに車窓の見どころがやって来る

しばらくJRの線路と並行して走る形になるのだが、多くの留置線が車窓に展開される。そして眺めても豊橋鉄道の線路とつながっていそうでつながっていない

かつては渥美線でも貨物輸送が行われていた。渥美半島とを結ぶ路線として物資流通も大きな柱のひとつだった。目を凝らさないと一瞬で終わってしまうが、JRの線路とながっていそうな箇所がある。ここが、かつて貨物輸送にかかわっていたポイントである。戦時中までは旅客駅もあったそうだ。三河田原方面から乗車すると分かりにくいかもしれない。新豊橋から車窓の右側に展開する。ちなみに初代の新豊橋駅はここに設置されていた

そして留置線が見えなくなったと思った瞬間、柳生橋駅に到着である

かつては路面電車も乗り入れ

柳生橋駅に到着。地図でも分かる通り、新豊橋駅もしくは豊橋駅からは徒歩圏といっても良い距離にある。それでも2023年度の1日あたりの利用者数は1081人と、全16駅中7位。ちなみに渥美線の利用者数で、4ケタの駅は当駅まで。以下3ケタの数字が並ぶが、最も少ない駅でも350人で、2ケタ以下の駅はない

かつては渋い駅舎があったそうだが、現在駅舎はなくICリーダーが設置され、そのまま駅前のクリニックに入れるようになっている

駅としての出入口はスロープの先。自販機の後ろに見える空き地に駅舎があったらしい。開業は1925年(大正14)。渥美線の敷設そして延伸は新豊橋から始まったのではなく、高師駅から三河田原駅に向けての部分から先に開業。現在の終点である三河田原(当時の駅名は)に1924年に到達。新豊橋までの到達は翌年で、その際に設置された

開業時の駅名は「松山」。これは現在の地名でもあるが、5月1日に開業してわずか1カ月後の6月1日に現在の駅名に変更された。駅の近くを柳生川が流れていて、そこにかかる柳生橋が駅名となった。改名理由は調べても分からなかったが、愛媛県に同名駅があるからという理由でないのは確かで、愛媛県の松山駅の開業は、これより後の1927年(昭和2)なのだが、改名後間もなく現在の豊橋鉄道の市内線の柳生橋支線が当駅まで敷設され、乗り換え駅となった(1976年に廃線)。後にこの支線にはあらためて松山停留所が設置されている

ちなみに江戸時代に当地を治めていたのは吉田藩だったが、明治維新の際、同名の吉田藩が伊予(愛媛県)にあるため、同名でまぎらわしいと新政府から改名を命じられ、いくつかの候補の中から豊橋藩となった。この時の影響で豊橋には愛媛県に所在するものと同じ地名がいくつか誕生したとされている

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渥美半島の「途中」まで18キロの豊橋鉄道渥美線~利便性に富むダイヤ

※訪問は2025年9月22、23日

沿線トラブルで新幹線利用

残暑というより、まだまだ夏といっても良いぐらいの気候だった9月の終わりの17時半すぎ。名古屋駅から東京行きの新幹線に乗り込んだ。目的地は豊橋。わざわざ新幹線を利用する区間ではないが、名古屋駅に行くと、沿線トラブルで東海道本線がストップ。一瞬、名鉄での移動も考えたがこの状況では名鉄はいっぱいだろうと新幹線に。名古屋~豊橋は昔からの「新幹線1区間料金」が、三河安城駅が開業して1区間でなくなってからも設定は続けられていて自由席は990円の追加で済む

18時過ぎに豊橋に到着したが、まだ在来線は再開されていないようで改札口の前では多くの人が動き始めるのを待っていた

1000円近い想定外の出費があったため

夕食はホテルのサービスのカレーとビールで済まし、飲み足りない部分はコンビニの酎ハイで終わらせる。ほとんどが宿泊してみて気づくことだが、ホテルの夜カレーのサービスには全国で出会う。基本的には、やや建物が古いチェーンではないホテルが多いが、いつもありがたく感じるサービスである

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今回は豊橋鉄道渥美線

豊橋は何かと訪れることが多い場所だ。細かく計ったわけではないが、愛知県内で最も多く訪れるのが名古屋なのは当然として2番目にやって来て、3番目以下はおそらく訪問回数1ケタだろう。なんといっても飯田線の接続駅というのが大きい。名鉄との乗換駅(というか改札内を共有している)でもあり、東海道本線の在来線も運行の要で、名鉄との競合が終わってからの浜松方面は乗客サービスも随分と変わる。過去何度もお世話になった「青空フリーパス」は飯田線は飯田まで行けるのに対し、東海道本線は隣駅の二川まで。事実上、当駅が境界となっていて、東側の身延線や御殿場線を含むJR東海区間は「休日乗り放題きっぷ」という、ニックネームの付けられていない(豊橋以西と気合いの入り方が違う)きっぷが販売されている

今回は

豊橋駅から徒歩3分と、ほとんど隣接している新豊橋駅から豊橋鉄道渥美線の全駅訪問である。全駅訪問といっても全長18キロで駅数16の短い路線。18キロで16駅なのだから駅間も短く歩いても十分に行けそうな駅間ばかりだが、時刻表は

平日は完全なパターンダイヤで朝のラッシュが終わると15分に1本

週末は完全に20分に1本。渥美線に乗車するのは3回目で、過去に来た時は平日も週末も同じダイヤというのがウリだったと記憶していたが、駅までやって来てビックリ。調べると9月6日にダイヤ変更されたばかりだという。それでも20分に1本あるのだから尺取り虫のように1駅ずつ進んでいっても問題ない。20分というのは駅で過ごすにはちょうど良い時間で歩くまでもないだろう。だからゆっくりめの8時スタート

後々出てくるが、過去2回は全線乗り通すことが基本で、細かく各駅を訪問したことはなかったため、今日は渥美線の各駅訪問スタートである

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~再来訪を誓って雨中の旅が終わる

※訪問は2025年10月5日

本社所在の駅

最後の訪問は関駅。長良川鉄道の本社所在地だ。時刻は16時15分。日没まではまだまだ時間があるが、雨のせいか薄暗い。美濃太田~岐阜~米原経由で帰宅することを考えると、時間的にはここまでだ

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かつては名鉄の駅も併設

駅の開業は1923年(大正12)。美濃太田駅から美濃町(現美濃市)駅まで越美南線が開業した際、途中駅として設置された。現在は関市だが、当時は関町に所在。駅名は「美濃関」だった。旧国名がついたのは関西本線の関駅(三重県)がすでにあったため。三セク転換時に国名が外れて現駅名となった

かつては名鉄美濃町線の乗換駅でもあった

名鉄美濃町線は美濃駅から岐阜市内までを結ぶ路線だったが、1999年(平成11)に美濃~新関が廃止となり、美濃市駅での越美南線と美濃町線の乗り換えがなくなった分、当駅での乗り換えが便利になるように新関から当駅まで線路が敷かれ、関駅が新たに設けられた。といっても両駅は徒歩5分の距離でしかなく

すでに乗換駅として利用されていたが、さらに便利になるような措置だった。だが2005年に美濃町線そのものが廃線となり、名鉄の関駅も廃止される。新駅誕生からわずか6年で廃駅という運命をたどることになってしまった

有人駅とジオラマ

本社があるので当然有人駅である。駅舎は古くからの駅舎を改修しながら使っているようだ。新関駅前にあったバスターミナルなど、関市に集まるバス路線を集約させた新ターミナルを駅前に集約させている。このように交通機能を集約させた関駅だが、美濃太田駅をのぞいた路線内のナンバーワン駅ではない

利用4ケタの駅はなし

路線内で最も利用が多いのは、もちろん美濃太田駅。JR高山本線との乗換駅でJRだけで1日に5000人以上の利用があり、長良川鉄道に限ると839人(2022年度)。つまり1000人以上が利用する駅はない

2位は関口駅で494人と3位関駅の320人を上回る。このような逆転現象は美濃市でも起きていて美濃市駅の151人(8位)に対して梅山駅302人(4位)。これは駅の近くに高校があるからだ。学校の存在で利用者数が変動してしまうほど、それ以外の利用が少ないことになる。ちなみに全38駅中100人を超えている駅は9駅しかなく、美濃市駅のひとつ北側の梅山駅より北濃側の駅で3ケタの利用があるのは郡上八幡駅の233人(5位)、美濃白鳥駅の126人(9位)の2駅のみである。昨年10月の減便を経ても予断を許さない状況にあると言っていいのかもしれない

郡上八幡という、集客に優れた地域があるにもかかわらず、利用が低迷するのは線路にぴったり寄り添うように走る東海北陸自動車道の存在も大きい

それでも、ここまで紹介してきたように路線も車両も魅力ある路線である。今回は2日とも雨に遭遇すしたこともあって思ったように動けなかった部分もある。次回は線路が走る予定だった石徹白(いとしろ)まで何とか足を伸ばしたいと思っている

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~施設にも細かく財産票の急行停車駅で長時間待機

※訪問は2025年10月5日

最終盤の訪問地

深戸駅にやって来た。時刻は14時すぎ。まだまだ早いように感じるかもしれないが、ダイヤの関係で1時間半もの待機をしなければならない。ということは美濃太田から岐阜経由で帰宅することを考慮すると、そろそろタイムリミットが迫っている

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三角ラッチにしびれる開業時からの駅舎

こちらが駅舎。開業は1928年(昭和3)。美濃下川(現大矢)駅から当駅まで到達した越美南線が次に議場八幡まで延伸されるまでの約1年半、終着駅だった

ひかれるのは

三角形の木製改札。木製の改札が残る駅はたまに見かけるが、三角形というのはあまり記憶にない。これでは改札口に立って集札業務ができない気もするが、出入口のスペースが思ったより広くなかったのか、構造理由についてはナゾである

当駅は1966年から実質3年間だけ走っていた急行「おくみの」の停車駅だった

列車そのものは、その後もしばらく存続したが、1969年から越美南線内は普通として運行したため、路線内の優等列車としてはわずか3年運行しただけ。これが越美南線唯一の優等列車の歴史となっている

停車駅は美濃太田を出ると加茂野(現富加)、美濃関(現関)、美濃市、美濃下川(大矢)、深戸、郡上八幡、美濃弥富(郡上大和)、美濃白鳥、二日町(白鳥高原)、北濃となっていた。下りについては美濃白鳥からは普通列車扱いとなっていたので、北濃から急行として運行される下りは二日町は通過していたが、半数の駅が三セク転換時に駅名変更となっていて時代を感じさせる。深戸は駅名変更のない貴重な存在となっている

開業時は下川村に所在。美並村を経て現在は郡上市。駅の住所は郡上市美並町三戸となっていて、越美南線の開業前の三戸村に基づく。三戸村とは深戸村、相戸村、三日市村が合併した際に1文字ずつとった合成地名だ。深戸は「深い所」という意味で、地形に基づいたものという説と湿地帯だったという説がある

喫茶店と井戸(?)の跡

駅舎には開業時と同じ歳月を示す財産票が張られている。そして

喫茶店の跡も。窓の造りがおしゃれな店舗だったようだが、10年以上前に閉店となり、そのままとなっている。駅そのものは国鉄時代の早い時期に無人化されている

興味深かったのはこちら

形から想像するに、これは井戸だろうか。その向こう側の建物は倉庫のようにも見えるが、全く分からない。実は私の関心が高まったのは、この井戸跡のようなものにも

しっかり財産票が張られていたこと。JR東海という会社は駅舎だけでなく倉庫や場合によってはお手洗いにもきっちりと財産票を張る細かさがあって、降り鉄としてはとても助かるのだが、長良川鉄道はJR東海になったことはない。名古屋鉄道管理局時代から、このように細かく財産票が張られていたのか、そもそも国鉄時代はあらゆるものに財産票を掲示していたのかは不明である

駅を出るとすぐ長良川で民家は少ない。桜の季節は美しい景色が見られそうだ

駅舎と逆側には少し離れたところに集落がある

駅前の自転車置き場の標語

こちらはホームつまり駅舎と逆側の風景。石碑が気になったが、おりからの雨とホームの向こう側へは大回りをしないとたどり着けないので断念した

美濃太田からは38・5キロと、そう遠くはないかつての急行停車駅だが、1日あたりの利用者数は29人である

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~今回利用したフリーきっぷ JR企画きっぷとの比較も

※訪問は2025年10月5日

駅訪問の必須アイテム

今回利用したフリーきっぷは「長良川鉄道1日フリー乗車券」。JR、私鉄を問わず、この手のフリーパスがないと降り鉄は成立しない。だからこ青春18きっぷを筆頭に駅訪問が趣味の人はきっぷのルール変更や新設、廃止情報(昨今は圧倒的に廃止が多い)に敏感である

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1日ずつ利用すると結構な出費

同じフリー乗車券にも紙のチケットとデジタル版があるが、利用したのはデジタルの方。紙のチケットは記念に持ち帰るのには適しているが、発売箇所が美濃太田、関、美濃市、郡上八幡、美濃白鳥の5駅しかない(美濃市駅が無人化するとひとつ減ることになる)。当然だが窓口が開いている時間のみの販売。長良川鉄道の公式HPによると、それ以外の駅や時間帯で乗車した場合は「運転士にお申し出ください。車内の販売は行っておらず、次の有人駅での販売となります」と記してあったが、私の場合は富加駅からの乗車で、その後も無人駅を転々とするため、運転士さんへの説明が面倒そうなので却下。もうひとつの入手方法としてはセブンイレブンでコンサートのきっぷを手に入れる要領で購入することも可能だが、青森県の弘南鉄道のフリーきっぷを購入した時のアプリに長良川鉄道も入っていたので、こちらで購入した

料金は2700円。70キロもの路線なのでかなりの値段となるが、美濃太田から北濃までの運賃は1720円なので、1日で全路線を往復するのなら720円ものお得となる。もっとも同業者(鉄道ファン)以外に、この区間を1日で往復する人はほぼいないと思われるので、観光需要が最も高そうな郡上八幡までだと美濃太田から1380円で往復すると60円のお得。おそらくこの区間の運賃を基準にしたものと思われる

ただフリーきっぷというのは、複数日利用できるものでない限り2日間利用となると、1日ずつ買わなければならないので今回の場合は5400円もかかる。昨年まであった週末パスや九州の旅名人きっぷのように複数の会社線を利用できるものが理想なのだが、後述する当該きっぷとの比較が難しいのだが、考えた末に1日ずつフリーきっぷを買うことを決断。そして初日の道程を振り返ったざっくり計算が2620円。微妙に赤字となってしまった(笑)。もっともいちいち小銭をそろえる面倒を考えると80円は楽をした分になるし、翌日は2700円をはるかに超える移動を行ったので不満はない

比較してのはJR東海の企画きっぷ

JR東海には昨年までJR東日本が発売していた週末パスと同様のきっぷがある

「JR東海&16私鉄 乗り鉄☆たびきっぷ」で、JR東海内はフリー乗車で表題にある16の私鉄も乗り放題。近鉄や名鉄は加入していないがJR東海エリアにあるかなりの地方私鉄&三セクに乗車できる。特急料金を別途払えば特急にも乗車できる。有効期間は連続2日間で週末や祝日に利用できる。料金は8620円。いろいろ迷ったが、今回はJRの部分が米原~美濃太田だけになってしまうので、微妙に足りないのではないかと見送った

こちらはJR東海の駅での販売もしくはe5489利用での受け取りという条件がある。といっても東海道新幹線の新大阪や京都、小田原、新横浜、品川、東京では販売も受け取りもなく、この区間の東海道新幹線には乗れない。10年ほど前にこのきっぶで紀勢本線~東海道新幹線~身延線を利用したことがあったが、境界駅の新宮では発売がなく、熊野市駅の窓口の営業時間を調べ、新宮~熊野市駅は運賃を支払って乗車。熊野市駅で購入した。指定席券売機はまだなかったはず

もっともこのきっぷには近江鉄道も参加しており、帰路は米原から近江八幡、もしくは米原から貴生川を利用すれば、おそらく元は取れそうだが、帰宅がいつになるか分からなさそうなので、さすがに却下した

余談だが、このきっぷは4月からシステムが変更となり、9200円に値上げされる代わりに大井川鐵道が参加(現在の不通区間を除く)。これまでは区間内の新幹線利用が4回までとなっていたものが無制限となる

2日間でこの区間に5回新幹線に乗車する人がどれだけいるかは分からないが、岳南電車や天浜線、遠州鉄道や駿豆線に乗車した際は便利なきっぶだった。東海地区の私鉄に乗車する際は有効活用できる

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~三セク転換で2文字→4文字駅名に

※訪問は2025年10月5日

おいでんがな号に乗車

相生駅から次の目的地へと向かう。やって来た列車は「郡上おいでんがな号」

観光名所を紹介するとともに、なかなか楽しい車内となっている

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渋いストーブの出迎え

到着したのは美並苅安駅。相生から3駅目

いきなり渋いストーブの出迎え。駅そのものは平日は有人となっているようだが、ストーブが現役かどうかは不明。もう少し寒い季節に来たら判明したかもしれない

開業は1928年(昭和3)。美濃下川(現大矢)から深戸まで延伸される課程で設置された。瓦屋根に入口の寺社風造りに特徴がある

こちらは簡単に財産票を見つけられた。開業時の年代が示されている

実情に合わせた駅名に

こちらは駅名標。元気に育った樹木で覆われた感じがなかなかいい

開業時の駅名は「苅安」。三セク転換時に現在の駅名に変更された。現在の住所は駅名標で記された通り郡上市美並町だが、平成の大合併までは美並村

みなみ子宝温泉駅でも紹介した「人口重心」の地位にあった村だ

ただ「美並」という自治体名はもともとあったものではなく、発足時に名付けられたもの。1954年に苅安駅があった下川村と嵩田村が合併して誕生。美並観光協会のHPによると、2つの村が合併した際「2つの村が永久に美しく並びたい」「郡上地域の南に位置する」「美濃から1文字をとって美をつける」の意味が込められているという

つまり駅が誕生した時には「美並」という地名は存在せず、三セク転換時に実態に合わせて改名した。苅安は古くからあった地名で戦国時代には城も築かれている

実態に合った駅名変更については

郡上大和でもあった。富加駅もそうである。ただ旧国名や地域名を入れるのではなく、自治体名と旧駅名を組み合わせた変更となった。三セク転換でJRの駅との重複を気にしなくてよくなったことで国名が外れたケースは前記事で紹介した相生駅のように全国に例はあるが、もともと2文字だった駅名が4文字に増えてしまった貴重な例となった

駅周辺は旧美並村の中心部で国道沿いに発展。旧村役場もすぐの場所にあった。駅名に美並の文字は必須だった。ちなみに平成の大合併で郡上市となるまで、美並村は村内に9つもの鉄道駅がある村だった

ヤマト運輸とのコラボ

ホームにはこのようなものがある。長良川鉄道では2018年からヤマト運輸とのコラボを行っている。関駅から荷物を載せ、ここ美並苅安まで列車とともに荷物も運搬して降ろされた荷物を周辺に配達する。バスも含め近年各地で広まっている貨客混載である。写真のものは荷物保管ボックス。車内で固定されるものだ

ホームにはこのような停止表示もある。1日1本の列車が対象となっているようだ

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~三セク転換でトップ走者に躍り出る

※訪問は2025年10月5日

郡上八幡駅からの移動手段は

あらためて郡上八幡駅。ここから移動を再開する。目指すはお隣の駅。だが、移動はタクシーとなる。理由は簡単で列車がないから。ダイヤ変更前とはいえ、ないものはないのである。観光地である当地で時間を潰すことは容易だが、そうするとこの後、駅訪問がほとんどできなくなってしまう。今回は二人旅なので、タクシーも積極利用である

ということで、今回知った郡上八幡でのタクシー豆知識。駅にも城下町プラザ周辺にもタクシー乗り場はあったが、並んで客待ちをしている光景を目にすることはなかった。駅前のタクシー乗り場に記されていた番号に電話して来てもらったのだが、運転手さんに聞くと、原則タクシーは電話で呼ぶシステムになっているのだという。ちなみに私が呼んだ時は5分ほどでやって来た

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この駅名は

到着したのは相生駅。そう、青春18きっぷの季節の「ダッシュ」で有名な兵庫県の相生駅と同名である

ちなみに郡上八幡の隣駅とはいっても線路で3・9キロとそれなりの距離はある

車なら10分ほど。私のメモには「料金2200円」と記されている

話を駅名に戻す

当駅の開業は1929年(昭和4)。越美南線が郡上八幡まで延伸された際に設置された。当時の所在地は相生村。戦後の1954年に八幡町となって現在は郡上市に所在する。相生村にあるのだから駅名が相生なのは不思議なこどはないが、開業時の駅名は「美濃相生」。言うまでもなく、兵庫県の相生駅とのダブりを避けるためだ。その重複を気にしなくてよくなったのは三セク転換で国鉄の駅ではなくなった時。もう相生村はないが、今も地名は相生である

駅前には相生郵便局もある

先頭打者に「昇格」

ただ三セク転換で国名が外れたのはよくある話だが、この改名は大きな意味を持つことになった。日本全国の駅名を五十音順で並べると「あいおい」駅は先頭にやって来るのだ。現在、「あいおい」駅は3駅存在する

ひとつは前述した兵庫県、山陽本線の相生駅

こちらは2019年9月7日の写真。夏の青春18きっぷの最後の週末で、朝の9時半は大変な人また人。私はダッシュを避けるのと座席確保のため赤穂線で進んだ

もうひとつは東武桐生線、わたらせ渓谷鉄道の相老駅で2024年6月15日の訪問

こちらは地名は相生だが、兵庫県の駅との重複を避けるため漢字を変更したケース。漢字の変更で対応したため先頭グループの座を死守した。もっとも開業時の明治時代にそのような意識があったかどうかは不明で、そのころは五十音順ではなくいろは順が主流だったかもしれない

そもそも「相生」には「仲良く並ぶ」「ともに生きる」という意味があり、国内に多い地名となっている。ともあれ、三セク転換により先頭グループに入ったのである

雨音だけが響く

相生駅はもちろん無人駅。かつては貨物扱いも行う有人駅だったようで、三セク転換時はすでに無人駅だったが、開業時からの木造駅舎が存在したようだ。美濃太田から43キロを示すキロポストが残る

駅周辺は農地と住宅街という静かな環境。雨音だけが響いていた。2022年度の1日あたりの利用者数は49人である

ともあれ「あいおい」3駅をコンプリートできて、タクシー利用の甲斐あった大満足の訪問となった

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