満員の代行バスで旅を締める

酒田駅の特急いなほパネル

3月4日11時10分

特急いなほに乗車

いなほは秋田~新潟を結ぶ特急ですが、1日7往復の運行のうち、秋田と新潟を直接結ぶのは2往復のみ。多客期は一部延長運転が行われますが、5往復は酒田~新潟の運行となっています。酒田駅が新潟支社と秋田支社の境界となっているため、普通の運行は酒田で分断され、特急を利用しない場合は乗り換えが発生します

とはいえ

秋田~余目間は未乗車区間のため、酒田で下車。すでに山形県に入っています。ここでランチタイムと。昭和30年代に建てられた典型的な国鉄コンクリート駅舎ですが、2年前にリニューアルされました

美しい余目駅

酒田からは普通に乗車。15分ほどで

余目に到着。駅名標で分かる通り乗り換え駅

駅名標は新しいものですが、ホーム上の乗り換え案内はクラシックなものが残ります。新庄へ向かう陸羽西線の乗り換え駅

来るのは2度目ですが、黄色の文字が美しい。階段もその色に準じていて離れたところからも目立ちます

陸羽西線はバス代行中

時間的には東京に向かうことになっていて、本当は特急で新潟まで行き、上越新幹線で東京に行く方が圧倒的に早く、新幹線も乗れるJR東日本パスを有効利用できるのですが、この日はちょっと違うことを考えていました

余目駅の跨線橋ですが、新庄へ向かう陸羽西線ホームへの通路は塞がれています。現在、陸羽西線と交差する道路のトンネル工事に伴い、バス代行が2024年度中までの予定で行われています

この代行バスに乗ってみたくなりました。最上川に沿って走る陸羽西線ですが、バスからだと以前乗車した鉄道とはまた異なる景色が見られるはず

こちらは前日、古川駅に張られていたバスの時刻表。陸羽西線は酒田から直接乗り入れる運行があったため、バスで酒田からも行けるようになっていますが本数は圧倒的に余目からが多く、また久しぶりに美しい余目駅を見たい願望もありました

余裕の行動だったが…

積み上げられた雪の向こうですでにバスは待機しています。しかし過去に陸羽西線に乗車した記憶は大してお客さんはいなかったものなので

たまたまやって来た観光用の快速「海里」を眺めるなどして余裕の行動

バス出発の15分前もこんな感じで、まぁ大丈夫だろうと、この後に乗る山形新幹線の発券を行うなどして駅舎内にいました。そもそも寒いので並びたくない

ところが発車10分を切った時点で再び駅舎外に出ると、一体どこから集まってきたのかと思うほどの並びになっていました。考えてみれば、前日、川部駅で実感したように、今は東日本パスと青春18きっぷが重なる時期。人が多いのも当然。慌てて並びに参加しましたが窓際席は確保できない、どちらかといえばギリギリセーフの状況。実はバスはもう1台待機していて、運転手さんが並びの人数を何度も数えていましたが、もしかすると予備車両だったのかも。そんな理由でバスの車窓からの写真はなしとなりました

雪の車窓をながめながら旅を終える

鉄道の時刻表の感覚では大いに余裕があった新庄からの山形新幹線の乗り継ぎですが、バスは若干の遅れが発生。新庄からの新幹線は2時間に1本しかないためヒヤヒヤしましたが、無事間に合いました

こんな機会はめったにないため、指定券は余目で発券。4回まで利用できる指定席ですが、前回と同じくほぼ自由席だったため、今回の旅で唯一の指定席となりました

山形と福島の県境の雪景色を見ながら旅は事実上、終了。東北新幹線の各駅訪問、長年の念願だった羽後亀田駅も訪問できて充実の旅でした

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由利高原鉄道に初乗車5~まごころ列車に見送られ

由利高原鉄道に乗車するとおひなさまの出迎えがあった

2023年3月4日9時40分

「おひなさま」のお出迎え

話は若干前後しますが、曲沢から子吉に迎う列車に乗り込むと出迎えてくれたのは

おひなさま

事前に知識を入れていなかった私はビックリしてしまいました

「おひなっこ列車」で車内は華やかに彩られています。幸運なことに、子吉からの列車も当該車両。矢島から羽後本荘までも、もちろんこちらだったので楽しかったです

さまざまなイベント列車

由利高原鉄道では四季を通じてさまざまなイベント列車を走らせています

私の訪問時はこちらの、おひなっこ列車でした。その他にも「こいのぼり列車」「たなばた列車」「かかし列車」「ハロウィン列車」「クリスマス列車」が季節ごとに運行され、その他にも有料の「納涼ビール列車」「忘年会列車」などが運行されています(詳細は同社のホームページで)

おひなさまは由利本荘市の江戸時代の3つの藩「亀田藩」「本荘藩」「矢島藩」に「ひな街道」に基づくもの

実は今回、矢島藩は四国の高松から転封されたものだということを初めて知りました。高松には2年半ほど勤務していて、それなりに知識はあったつもりですが、高松藩というのは当初から松平家=徳川の親戚の藩だったとずっと思い込んでいました。元々は生駒氏の藩だったものが、幕府のおとがめを受け、引っ越しを余儀なくされたのですね。しばらく当主は江戸にいたそうですが、高松から矢島への引っ越しは大変そうです。有名すぎる栗林公園も当初は生駒氏によるものだったとか。各地を巡ると60歳にして、いろいろ勉強になります

まごころ列車に乗車

雪の中、発車を待つ列車

由利高原鉄道鳥海山ろく線では

矢島発9時40分→羽後本荘着10時21分

羽後本荘発10時55分→矢島着11時34分

の午前中1往復を「まごころ列車」として運行しています(水、木を除く)。アテンダントが乗車して沿線案内をしてくれるほか、グッズ販売や記念品配布もあります

大変にぎわっていました

グッズについては由利鉄中華そばとか欲しかったのですが、鉄道旅のつらいところで、旅の途中では、なかなか荷物を増やすことができません

でも、かわいい乗車記念グッズをいただきました

曲沢駅の項で「鳥海山は見えなかった」と記しましたが、実を言うと初めての地なので、どれが鳥海山か、よく分からなかったというのが実情。アテンダントの方が「残念ながら今日は鳥海山は見えません」とアナウンスしてくれたので分かった次第です

車窓の雪景色は徐々に消え、羽後本荘に到着しました

第三セクターというのは「民業を圧迫する」との理由で副業ができません。駅前や観光地に土地を有していても、そこにホテルを建てて経営する、というのはできないわけです。かつて国鉄を苦しめた理由のひとつでもあります

このため、各地方の三セクでは、さまざまな工夫を行って企業努力をしています。短い時間ではありましたが、そんなことを強く感じ、そして楽しかったひとときでした

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由利高原鉄道に初乗車4~本社所在地の終着駅は木造新築

矢島駅の駅名標

2023年3月4日9時30分

終点は元の矢島町の中心駅

鳥海山ろく線の終着駅である矢島に到着しました。写真で分かる通り、周辺は雪に包まれています。そしてこれもまた写真にある通り、同線の車両基地があります

大きな駅舎は2000年に新たに建てられたもの。新駅舎ながら森林の地らしく木造駅舎になっているのがポイント。最近の新駅舎で木造というのは、なかなかないので貴重な存在です

元々は支線予定

国鉄矢島線時代の駅名は「羽後矢島」で開業は1938年。香川県の観光地である「屋島駅」があったため、国名が冠されたといいます。三セクの鳥海山ろく線になった際に矢島駅となりました

駅は旧矢島町の中心地にあります。平成の合併で沿線はすべて由利本荘市となりましたが、三セク転換時は本荘市、由利町、矢島町の3つの自治体を走っていました。由利町の中心駅が前郷駅で、横荘鉄道の構想では、ここから横手に線路が伸びることになっていて、横手と羽後本荘が線路でつながった際に旅客や木材運搬で必ず重要になるだろう、ということで1922年の羽後本荘~前郷が開業してから15年以上が経って前郷~羽後矢島が開業。いわば支線のように敷設されたのですが、羽後矢島駅の開業直前に国鉄買収され、路線名称も矢島線と決まってしまいました。横手側からの路線は国鉄とはならなかったことが運命の分かれ道ともなり、間もなく戦時体制に入ったこともあり、線路はつながることはなく、横手側からの線路は戦後に廃線となりました

現在の由利本荘市の誕生によって三セクは秋田県と由利本荘市が主要株主となっています

ギネス記録も

今回利用したのは週末に販売される「楽楽遊遊乗車券」というフリーきっぷ。お値段は1100円で羽後本荘~矢島が片道610円なので単純往復だけで十分に元が取れます。沿線の施設や飲食店での割引特典もあり

駅にはギネス記録の記念板もあります。これは2015年11月3日に埼玉県の川越工業高校の生徒さん13人が単一電池のみで動く「電車」を製作。パナソニックの単一電池600個を使用した電車が前郷~矢島間を往復。時速10キロというスピードながら生徒やギネス認定員ら9人を乗せた乾電池列車が22・615キロを走り乾電池車両による20キロ超走行のギネス記録を達成したことを記念したもの。元々、乾電池を使用した電車が普通の線路を走行した例はなく、往復2時間47分をかけて走り切りました

矢島駅にはグッズ売り場もあり、横荘鉄道の開業から100年を迎えたことを記念した6駅の入場券セットを購入。なかなか満足度の高いものとなりました

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由利高原鉄道に初乗車3~駅?郵便局?

子吉駅に入居しているのは玉ノ池簡易郵便局

2023年3月4日8時20分

どこからどう見ても

曲沢から羽後本荘へ戻る形で子吉で下車しました。こう見ると普通の駅の光景と何ら変わりませんが、外に出ると全く異なる風景に出会える

これはどう見ても郵便局以外の何ものでもありません。駅舎の中に郵便局が入居しているユニークな駅です

大正期の開業時に開設

子吉駅は1922年の横荘鉄道開業時に設置された古い歴史を持ちます。長らく旧駅舎が使用されてきましたが2011年に現駅舎に改築。郵便局が駅舎に入居しました

こちらは駅舎内の様子。玉ノ池簡易郵便局が入居しています

土曜日ということで郵便局はお休み。駅の待合室のみの機能。もちろん時刻表や運賃表も掲示されています。集札や出札は行っていないようですが、ぜひ郵便局が開いている時間に訪れたいもの

駅の前を走っている国道からは駅と郵便局、どちらも分かりやすく表示されている

新駅舎が誕生した際に植樹が行われたようで、10年以上が経っているとはいえ、まだ木としては幼いようです

駅を離れます。子吉は羽後本荘から2駅目。羽後本荘まで行って折り返してきた列車なので同じ車両になりますね

駅舎に郵便局が入居する例としては内房線(千葉県)の江見駅もあります

こちらは昨年12月訪問時のもの。その時も残念なことに週末で郵便局は開いていませんでした。当駅は業務委託駅で、郵便局の開いている時間帯は駅業務を行っています

再び車窓は雪景色

このまま終点の矢島へと向かいます

もちろん最初に訪れた曲沢も通過しますが、ふと気付くと

車窓はすっかり雪景色。昨日の午前中に青森県で見た光景に再び会うことになりました。鳥海山ろく線は全長23キロで、それほど長い路線ではなく、真ん中あたりの曲沢でも雪はほとんど消えていたのですが、こんなに景色は変わるのですね。ちょっと感動しました

そして矢島駅に到着です

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由利高原鉄道に初乗車2~農地にポツンとたたずむ駅

2023年3月4日8時

全12駅の旅

羽後本荘駅の0キロポストに見送られて出発です

由利高原鉄道は全長23キロ、羽後本荘も含め12駅の路線で非電化単線。全線乗車しても40分ぐらいの行程です

ほとんど廃線が決まりかけていた矢島線を地元の皆さんの努力で三セクとして生き残らせてから、もう40年近くが経とうとしています

大きなテーブルがあって観光仕様にもなっている。後で気付かされるのですが車両によっては、いろいろな装飾や工夫が行われています

本当に何もない絶景駅

約20分で曲沢駅に到着。三セク転換後に新設された駅で、わざわざ新設するからには学校があったり、会社や公園などの公共施設があって、その利便性を図るためのものが多いのですが、この駅の特徴は「周囲に何もない」ことです

ホームへは道路から通路を歩いて入ります。写真で分かる通り、周囲は本当に何もありません

グーグル地図でも何も記入されていません。地図をいくらズームしても、やはり何もない

1面だけのホームにはポツンと待合室があるだけ

待合室に掲げられた駅名板も年季と風雪を感じさせるものとなっています

駅の設置理由は「絶景」です。360度パノラマ(由利高原鉄道のホームページでよく分かります)で鳥海山の美しい姿がよく見える

「何もない駅」としてテレビで紹介されたところ、話題になりました。1日の利用者は1人とか2人とか。フリーきっぷの利用者はカウントされないはずなので、駅に降り立つ旅客は私のような鉄オタか、撮影をする人がほとんどだと推測されます

ただ、これまた日頃の行いなのか、当日はスッポリ雲に覆われて見えない状態。なかなか行けない場所なので本当に残念でした

それでも最近ならいざ知らず、平成元年にこのような駅を意図的に開設したのは、なかなかのアイデアだと思います

出発の時間となりました。また違うデザインの車両がやって来ました。次の駅に向かいましょう

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由利高原鉄道に初乗車~名称は鳥海山ろく線

羽後本荘駅の駅名標と由利高原鉄道の車両

2023年3月4日7時20分

羽後本荘に宿泊

前夜は18時前に羽後本荘に到着

羽後本荘の駅名標です。そのままホテルへ

一夜明けた羽後本荘駅。朝の7時過ぎですが、曇っていてまだ薄明るい。立派な橋上駅舎が2年前に完成。それまでは昭和50年代に改築されたコンクリート駅舎でした。旧本荘市で現由利本荘市の代表駅。特急も停車する管理駅ですが、前記事の岩城みなと駅の項でも触れた通り、有人ながら窓口はなくきっぷ販売は指定席も発券できる自動券売機となっています

待合室に過去の写真とともに羽越本線の周辺駅の歴史も掲示されています

現在は羽越本線の一部が1922年の羽後本荘駅開業当時は陸羽西線だったことが分かります。そのひとつ下に耳慣れない「横荘鉄道」という文字が見られますが、これこそが今から乗車する由利高原鉄道の元になったものです

スタートはJR駅の一部から

改札内は同じになってしまうのですが、JRと由利高原鉄道は別の改札口となっています。そして由利高原鉄道には窓口はちゃんとある

羽後本荘駅は4線のホームを持っていますが、1~3番線をJR、4番線を由利高原鉄道が使用します。すでに発車準備は整っていますね。会社名は由利高原鉄道、路線名は鳥海山ろく線。JRに乗って当駅に向かうと到着時には「鳥海山ろく線はお乗り換え」とアナウンスが入ります

歴史ある23キロの第三セクター

由利高原鉄道は羽後本荘駅から山中に入り、終点の矢島駅を結ぶ23キロの三セク

国鉄末期の1985年に国鉄「矢島線」が三セク転換されました

歴史は古く、先述した横荘鉄道が羽越本線の全通(1924年)より先の1922年に羽後本荘~前郷を開通させました(陸羽西線から羽越線に名称が改められたのは1924年)。1922年といえば大正11年ですから歴は相当古い

ならば「横荘」とは何なのか、という話になりますが「荘」は羽後本荘だと容易に察しがつきますが、「横」はというと奥羽本線の横手です。横手と羽後本荘の両方から線路を伸ばしてつなげる予定で、横手側からの方が先に工事が始まり、昭和初期までには順調に線路が延びていき、前郷で接続された後の繁栄も考慮されて前郷~矢島も延伸開業されたほどでしたが、日本各地の未成線と同じく、戦時体制とともに工事は中断。その後、線路が結ばれることはありませんでした

路線にとって不幸だったのは、矢島延伸(1937年)間近になって横荘鉄道は国有化され「矢島線」となったにもかかわらず、横手からの路線は国有化されず、名称も羽後鉄道から羽後交通横荘線となったものの、天災などの不運もあって徐々に路線は縮小。1971年に全線が廃線となってしまいました。現在は横手と羽後本荘をバス路線が結んでいます

矢島へ出発

残念ながら時間の制約があって今日は、それほど多くの駅で降りることはできませんが、全線乗車は果たすつもりです

由利高原鉄道側から見たの駅名標は鳥海山ろく線仕様となっています

乗り込むと約20分で

曲沢に到着。ここはぜひ降りてみたい駅でした

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ホームから望む夕陽

岩城みなと駅の駅名標

2023年3月3日16時50分

※時刻表は当時のものです

あまりの寒さに予定変更

大変名残惜しいですが、羽後亀田駅を去ることにします。「町の顔」確かにその通り。バス停のような簡易駅になってしまったのでは悲しすぎるので、いつまでも美しい駅舎であってほしいですね

羽後亀田駅の時刻表。ところどころ空きますが、1時間に1本程度の列車はあります。当初の予定では16時2分の酒田行きに乗る予定でした

羽越本線の秋田~余目間には普通すらも多くが通過する駅が3駅あります。桂根、折渡、女鹿の3駅でいずれもJR移管後に信号場から昇格した駅です。そうしょっちゅう来られる場所ではないので、そのうちひとつでも訪ねておきたい、と思い。羽後亀田のお隣である折渡に訪問する予定でした

時刻表を見ると分かりますが、私が秋田から乗車してきた16時2分は折渡通過ですが、17時31分は停車します。そしてこれが折渡駅の最終列車。ほとんどの普通は通過で1日に上りが3本、下りが5本しか停車しません。ただ羽後亀田と折渡の距離はたったの3キロで、地図を見るとほぼ道路が並行している。これは迷わず40分もあれば十分歩けるはず。つまり羽後亀田から徒歩移動して羽後亀田17時31分発で折渡同35分の列車を捕まえるのです。となれば本日宿泊予定の羽後本荘に順調に着くことができる

という自画自賛的な作戦を考えたのですが、結論からすると

寒すぎてヤメ

元々気温は低かったのですが、夕暮れも迫ってきて急激に気温が下がってきました。駅間徒歩移動には夏より冬の方が絶対に良いと考えている人間ですが、ここまで寒いともう無理です。何より、せっかくの羽後亀田駅ですから、もう少し長く滞在したくなりました

目指すは新駅

そこで1駅戻って岩城みなとを目指すことにしました。こちらも羽後亀田から1駅。ちなみにこの間には二古信号場があります。山中ではなく海と国道沿いの信号場で、誰も住んでいない場所にポツンとある信号場のイメージとは全く異なり周囲には集落もあるように見えますが、70年代に駅から信号場へと降格してからは、JR移管時も駅に戻ることはありませんでした。そのすぐ先にあるのが岩城みなとです

ホームを降りると新しい駅舎が出迎えてくれます。それもそのはず。開設は2001年で旧岩城町の中心駅となるべく新たに開業しました

こちらが駅舎。夕闇が迫っています

駅前にはウェーブ岩城という新しい建物があり、図書館などが入居しています。駅前は新興住宅街となっていて、役場も至近。岩城町の中心機能が集められて新たな駅が誕生した形となっています。岩城町は2005年に周辺の町と本荘市と合併して由利本荘市となりました

道の駅も徒歩圏内で島式の漁港があります

窓口とお別れ

岩城みなとは簡易委託できっぷ売り場があります

ただ、その傍らには

こんな張り紙も。羽後亀田駅と同じく、3月17日で窓口を閉鎖して無人駅となる案内です。由利本荘市の中心で特急停車の管理駅である羽後本荘駅では一足先に指定席発券機能もある自動券売機に移行。そしてこの3月17日をもって岩城みなと、羽後亀田のほか羽後岩谷、西目の計4駅が一斉に無人化されました(羽後本荘は発券窓口はありませんが駅員さんはいます)。つまり市内のJR駅から、すべて発券の窓口がなくなってしまったわけです。時代の流れとはいえ急過ぎます

岩城みなとは海の見える駅でもあります

ホームからの風車と海は駅のみどころでもあります。この日は雨予報だったのですが、雲の合間に夕陽がなんとか顔を出してくれました。晴れた日の夕陽はもっと美しいのでしょうね

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羽後亀田駅よ永遠に

羽後亀田駅は島式ホーム構造だった

2023年3月3日16時

現代にリメイクできる砂の器

羽後亀田の駅舎内です

松本清張作品には多くの鉄道が登場します。松本清張と鉄道をメインにした本まで出ている。路線だけでなく「駅」が多く出てくるのも特徴のひとつですが、インターネットどころかテレビさえも広く普及していない昭和30年代によくぞここまで調べ上げて知識を得たと感心してしまいます

ただ鉄道が重要なファクターとして登場する作品は、有名な「点と線」の寝台列車の死角など現代版として映画、ドラマ化するのがなかなか難しものが多い。その中でも数少ないリメイク可能なものが砂の器です。刑事2人が、ここ羽後亀田と木次線の亀嵩に向かうのですが、最近のものでは亀嵩へは岡山からやくもに乗り、松江から木次線を南下することになっていました

もちろん作品の設定は松本清張が備後落合の旅館で作品の構想を練ったことで知られる通り、芸備線を備後落合で木次線に乗り換えたことになっているのですが、現代風に東京から鉄路で亀嵩に行こうとすると、そうなります

ただドラマや映画で重要なのは駅の風情。時代設定を昭和30年代にした場合はもちろん、現代風にしても駅舎というのは大切です。映画版やドラマ版のいくつかでは「亀嵩」の設定でありながら別の駅がロケ地になっていることもありますが、ここ羽後亀田だけは鉄板で動くことがありません

周辺事情を初めて知る

そんな羽後亀田にようやく訪れることができたのですから周辺散策もしましょう

と駅舎の外に出ると

な、何にもない

周囲はほんの少しの民家と農地です。廃屋らしきものが1軒ありましたが、農地部分はおそらく昔から農地でしょう。これでは刑事さんの聞き込みも3分ほどで終わってしまう。私の知識では、亀田藩と亀田城があって、その城下町だったのですが全く違います。どうしたものかと困っていると

地図を見て納得。城下町はやや離れたところにあるのですね。私が到着した時、バスが止まっていましたが、どうやら町の中心部へ向かうものだったようです

駅に見られる変化

羽後亀田はこのような構造になってしました。右に見えるのが駅舎。かつての貨物の側線も残っていますが、島式ホームに上り下りの電車がやって来て、乗客は跨線橋で駅舎に行きます

ただ駅舎のさらに奥にもうひとつのホームがあるのは何でしょう

改札からホームへの案内は秋田方面2番線、酒田方面3番線と記されています。乗り換え駅ではないので他方向に向かう列車はありません。だったら1番線は何なんだとなり、気になるので行ってみると普通に入れる

新しめのホームがあり駅名標もある。これは何だろう?と調べてみると、ようやく分かりました。私の訪問日から2週間後の3月18日から、すべての列車は上下とも、このホームに停車するのです。私が降り立った2、3番線は旅客ホームとしては閉鎖。特急や貨物などの通過線となるようです

ですから、この記事を書いている現在はもう跨線橋には入れなくなっているはず

乗り場案内が単なる紙だったことも納得です

存在感ある駅舎の将来は?

「落とし物」という表現に思わずクスッとなってしまった、この案内も、もう見られません

そしてその3月18日からの大きな変化は無人化です

訪問時は委託によるきっぷ販売が行われていましたが、それも3月17日で終了しました

そうなると気になるのは駅舎の将来です。今回、秋田~余目の羽越本線を乗車してみた感じでは古い駅舎が残っているのは、ここ羽後亀田のみ。全くの私見ですが、1日の乗降客が100人ほどの当駅の駅舎がずっと残されている理由には砂の器の存在が大きいのではないかと思っています。私のように映画やドラマを見て駅を訪れる人も少なくはないはず。今後については不明ですが、映画史にも残る当駅の駅舎は、ずっとこのままの姿であってほしいと思います

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奥羽本線を行く~羽越本線に乗り換え念願の駅へ

羽後亀田駅の駅名標

2023年3月3日14時30分

1日3往復のために働く車両

素晴らしい能代駅の駅名標とお別れして再び奥羽本線に戻ります。JR東日本の駅名標って地方の小さな駅でも特化した駅名標がよく見られますね

東能代で1日3本の特急「つがる」に乗り換えます。ホームの待合室もつがる仕様でユニークです

ほんの数分の接続でつがるがやって来ました。1日3往復ですが、この列車のおかげで先にうまく乗り継げます。常磐線でも活躍したE653に似ていますが、このE751は交直両用のE653とは異なり、交流専用仕様。元々は東北新幹線が盛岡までだった時に盛岡~青森の「スーパーはつかり」用として製造されましたが、現在は青森~秋田間のつがる専用となっています

つがるは東能代から50分で秋田に到着。つがるの終着ですが、奥羽本線はまだ続きます。ただ私は奥羽本線とはお別れ。ここから日本海沿いに羽越本線を進みます。つがるの秋田到着が15時27分そして羽越本線の秋田行きが写真でお分かりのように15時31分発とタイトな乗り継ぎで、ダイヤ乱れがあったらどうしようとヒヤヒヤでしたが、うまく乗り継げました。同ホームでの乗り換えにも助かった

未乗区間を埋め、38年来の念願の駅へ

新潟~秋田を結ぶ羽越本線ですが、私は新潟から余目までは乗車したことがあるものの、余目~秋田は未乗区間です。その区間に川部駅と並ぶ今回の旅の目的のひとつがあります

秋田から30分で、その羽後亀田に到着しました。由利本荘市に入っています

多少、くたびれた感のある駅名標ですが私は感無量でした

1974年に映画化された後、何度もテレビドラマ化されている松本清張の「砂の器」。羽後亀田駅は重要な役割を持った駅として登場します。私が映画を見たのはすでに中学生になっていたので、75年のことだと思います。砂の器といえば構内におそば屋さんが入居していることでも知られる木次線の亀嵩駅(島根県)が有名ですが、最初に登場するのはこちら

何度も映画、ドラマで見た駅舎をようやく生で見ることができました。再度記しますが、まさに感無量という言葉がぴったり

財産票によると駅舎は1920年(大正9年)の開業時のもの。赤い文字が印象に残ります

防犯連絡所の文字も古風です

ここでの時間はたっぷりあるので、しばらく感慨にふけることにしましょう

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奥羽本線を行く~1区間だけのメインルートへ寄り道

能代駅の駅舎

2023年3月3日13時

全国優勝58回の超名門校

弘前からの東能代着は12時59分。衝動的に降りはしましたが、一応、時刻表はめくってある。ここで五能線へと乗り換えます。13時1分発の岩館行き。「岩館行き」というのが実は貴重なのですが、それについては後述します

5分もかからず、お隣の能代へと到着しました

JR東日本のGV-E400というディーゼルだけど電力で走行する新型気動車ですね。初めて乗りました

能代の駅名標。東能代以上に「バスケット」が強調されています

高校バスケットの名門で全国大会のいずれもで10回以上優勝している能代工業(秋田県立能代科学技術高等学校)によるものです

ホームにはゴールも設置されています。「58」というのは全国大会の出場回数ではありません。インターハイ、国体、ウインターカップを合わせた優勝回数。凄い数字です

能代市の代表駅

さて岩館行きに乗車していたお客さんは、私を含めほとんどがゾロゾロと能代で降りてしまいました。能代市の中心部に近く代表駅なんで当然といえば当然ですが、五能線のダイヤもかなり特徴のあるもものとなっています

こちらは能代駅の時刻表。リゾートしろかみは全車指定の観光列車ですから能代から先に行く列車は1日7本。それに対し東能代行きは倍近い13本もあります。どういうことかというと東能代~能代の1区間だけの運行列車が半数を占めているからです

奥羽本線は能代の街の外れを走っています。東能代駅の開業は1901年の明治34年。当時の技術的にも地形的にも米代川に阻まれて奥羽本線は能代の中心部を通しにくかった。そこで現在の東能代駅を能代駅として設置しました。ただ街の中心部を通らないのはいかがなものかとなり、1908年に現在の東能代~能代線が支線として開業。後に能代線と名付けられました。現在の能代駅は能代町駅を経て現駅名に、最初の能代駅は2度の改名で東能代となっています

五能線の能代以遠が開業し始めたのは10年以上も後のことです

青森県の本八戸と八戸の関係と八戸線の開業理由と似ていますね

ただ八戸~本八戸は2区間で、八戸線の区間列車は本八戸止まりではなく4駅先の鮫まで運行されていることと比較すると1区間のみの運行は、かなり際立っています

高校野球で熱気

能代の改札口。東能代とは異なり自動改札機はありません。シルバーのラッチが現役なのがいいですね

立派な駅舎を携えています。構内にはコンビニもあります

駅前のロータリー。ご覧のようにここでは雪はほとんど姿がなくなっていました。ただ決して暖かくはありません

少し時間があるのでそばを食べてお昼としました

駅に戻ります。無人駅ではありませんが、かつてのびゅうプラザはなくなり、自動券売機が置かれています。ついこの間までは管理駅で東能代、能代と在来線のお隣同士の駅が管理駅になっていました

ちょうどセンバツ高校野球の直前で当駅が最寄りの能代松陽高校の出場で駅のあちらこちらで盛り上がっていました

東能代行きの改札開始を告げるアナウンスが流れ、多くの高校生がホームに向かいます。私も東能代から再び奥羽本線に乗ることにします

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