72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~尋常小学校が駅名の由来?

※訪問は2025年10月5日

立ち寄ったのは駅舎があるため

郡上大和から美濃白鳥方面へと戻る。道中は郡上八幡でお昼とする予定だが、まだ早い。その時間を利用して降り立ったのが

大中駅。ツタの絡まる駅名標がなんとも渋いが、ここで下車した理由は単に駅舎の存在である。冷たい雨が降る中、動機付けのひとつは雨宿りになる。だが帰宅後、この駅の秘密を知ることになって、やや悔しさがこみ上げることになった

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「大中」という地名はない

大中駅は1933年(昭和8)の開業。郡上八幡から美濃白鳥まで延伸された時に設置された。つまり越美南線の線路がやって来た時、最初に設置された駅である。駅の住所は郡上市白鳥町大島。ここから予想できるのは、平成の大合併までは白鳥町に属していたということ。白鳥町も白鳥村を含むいくつかの村が合併してできた自治体で、そのうちのひとつに大島村があった。今の地名も大島である…とここまで書いて後はスルーしてしまいそうだが、駅名は大中であって大島ではない。そもそも隣に大島駅があり、その大島駅は戦後の1955年に設置されたもの。つまり大島村の核となるべき存在だったはずだが、なにゆえ駅名は大中で、住居表示というか地名が見当たらないのか。調べると、地名ではなく小学校が駅名の由来という珍しい存在のようだ

グーグル地図によると徒歩8分のところに大中小学校がある。「大中」を示すものは他にあまりないのだが、学校のルーツを探るとおもしろいことに気づく

小学校があるのは白鳥町中津屋。中津屋村は大島村とともに白鳥町を構成した自治体のひとつだった。中津屋尋常小学校と大島尋常小学校がそれぞれあったが、この2校はやがて合併して、それぞれから1文字ずつをとって大中尋常小学校となった。学校名については変遷があり、駅の開業時は異なる学校名だったが、2つの地名を合わせた合成名を当時の国鉄が気に入ったのか、駅名として採用された。前述した通り、大島という駅は当時まだない

しっかりした駅舎があるが、これは長良川鉄道に移管されてからのもの。それまでは開業時からの駅舎があったようだ。それでも駅舎はちゃんと建て直された

ホーム横には貨物ヤード跡らしきものがある。ちなみに2022年度の1日あたりの利用者数は6人

学校も含む「読み」に注目

駅舎の入り口には鮮やかな青の平賀文字で「おおなか」と書かれている。「だいちゅう」じゃないよ、という意味だろうか。その「だいちゅう」を巡ってはメディアでも取り上げられたことがあるそうだ。駅名の由来になったとも思われる小学校は「大中」小学校だが、漢字だけを並べると「大中小」学校となる。確かに「だいちゅうしょう」という学校が存在すれば、なかなかユニークである

事前に調べをせずに訪問して発見を喜ぶスタイルではあるが、訪問前に知っていれば、たとえ雨の中でも往復20分ほど歩いて学校の看板を撮りに行ったのに…と、後でかなり悔やむこととなったのだ

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~三セク転換時に美濃○○ではなく郡上○○を選択

※訪問は2025年10月5日

駅名は大和町から

北濃駅から徐々に南下していく。約30分揺られて最初に降りた駅は郡上大和駅。変わらず雨が降っている。ホームからの雰囲気で分かるが、こちらも木造駅舎が残っている。駅名は所在地の大和町に基づく

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三セク移管で駅名変更

郡上大和駅は1932年(昭和7)の開業。郡上八幡からさらに北へと延伸する課程で当駅まで鉄路が伸びた。1年間は終着駅だったが、その後美濃白鳥まで延伸。さらに1年後には北濃までが開通したので、北濃までは急ピッチで開業していったことが分かる

ただし開業時の駅名は「美濃弥富」。これは当時の弥富村に基づく。弥富村は明治期に4村が合併して誕生した自治体で、それまであった地名ではなく新たに作られた。「さらに富める村になるように」との願いが込められた。駅名に旧国名が付けられたのは、お隣の愛知県に先に弥富駅があったため

弥富村は戦後の1955年(昭和30)に周辺の村と再合併して大和村となった。1985年に大和町となっている。国鉄越美南線が長良川鉄道越美南線となったのは、その翌年のことで路線内のいくつかの駅が実態に応じた駅名に変更されたのと同様、現在の駅名へと変更された。単独の鉄道会社となったのだから、単に「大和駅」にしても良かったのだろうが、日本には大和という地名が各地にあり、神奈川県には小田急と相鉄の大和駅が、茨城県にはJR東日本の大和駅が存在。もっと根本的なことを言うと奈良県は「大和○○駅」だらけである。どこにあるのか分かりやすくするためにも郡上大和にしたのだろう。美濃大和にするのが自然な気もするが、もっとイメージがわきやすいように郡上を冠したと思われる。大和町は郡上郡に所在していた。その後、平成の大合併で郡上市の一部となったので、結果としてはとても分かりやすい駅名となった

現実的に長良川鉄道には「美濃」の付く駅はJRとの乗り換え駅である美濃太田をのぞくと「美濃市」「美濃白鳥」の2駅しかない。いずれも国鉄時代からの駅名で、美濃という国名へのこだわりはあまりないように感じる

かつての急行停車駅

当駅には財産票が残され、開業時のものであることを示している。駅舎にはカフェが入居しているようだが、訪問時は営業していなかった

無人駅だが、窓口の跡はそのまま残されている。国鉄末期まで有人駅だった

駅前には旧大和町の中心部が広がる。当駅の2022年度の利用者数は20人で、実は最果て感の漂う北濃駅の29人よりも少ないが、金融機関の支店もあって駅前の景色はもっと利用者がいてもおかしくはないものだ。このあたりに長良川鉄道の現実を見た気もする

そもそも美濃弥富駅はかつては急行停車駅だった。1962年から3年間だけ、越美南線にも急行が走っていた時代があった。「おくみの」という列車で名古屋から高山本線を走る急行と併結され、美濃太田で分割。北濃へと至っていた。1日1往復で、美濃太田を出ると途中いくつかの駅に停車していたが、美濃弥富にも停車していた。「おくみの」そのものは存続したが、1969年からは越美南線内は普通として運行されるようになり、1982年には列車そのものが消えて名古屋への直通運転はなくなった。実質的に路線内での急行運転は3年間だけで、快速にもならなかったことを考えると、利用は少なかったのだろう

駅構造は2面2線

線路に沿って不自然なアスファルトの空間があるが、どうも貨物ヤード跡のようだ

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~雨中の個々パーツにあらためての感慨

※訪問は2025年10月5日

激しい雨の中

美濃白鳥ではやんでいた雨が北濃に到着した途端に激しくなってきた。だが雨宿りをしている余裕はない。「鉄オタ北濃駅ツアー一行」は、15分という与えられた時間をフルに活用すべく、各所にちらばって思い思いの行動をとるのである

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よくぞここまで

北濃駅といえば転車台だろう。登録有形文化財となっている

雨の中でも説明板を撮ったが、写りが悪いので2021年11月10日に訪問した時のものを掲載する。明治期に岐阜駅に設置されたものが、越美南線が当駅まで到達した1934年に移設されたものらしい

ついでにその時に撮った転車台の好天バージョンも

前述したように北濃駅は1934年の開業。前年に美濃白鳥まで到達した越美南線が6キロ延伸されてここまでやって来た。北濃とは当時の北濃村に基づく。美濃の北にあることで明治時代に名付けられた北濃村は1956年に白鳥町となり、平成の大合併で郡上市となった

全くもって鉄オタ的な観点だが、越美南線が美濃白鳥まででなく、ここ北濃まで到達した意義は大きい。美濃白鳥で終わっていれば、駅に行けば分かるが、それなりに大きな街が終着駅となったという、さもありなんの感覚で終わってしまっただろう。山中にポツンと置かれ、なおかつ唐突に線路が終わっているところに旅情を感じる。それは名松線の終点伊勢奥津駅でも感じることだし、山中ではないが、かつて日高本線の終点だった様似駅で降りた時も同じことを感じた

ただ、この区間が営業面の足かせとなっていることは事実で、2022年度の1日あたりの利用者数は29人。青春18などのJRのフリーきっぷはもちろん使用できないわけで、この後の記事でも紹介するが、ここまでやって来る人はかなり高価なフリーきっぶを利用する以外は実費で乗車するしかない。フリーきっぷの利用者は駅や鉄道利用者にはカウントされないことになっているが(カウントされれば芸備線の利用者数は全く異なるものになっているはず)、その意味では29人という数字は実態に近いものだとも言える。もっとも29人という数字は全38駅中で21位と、そう低くはないことが長良川鉄道の厳しさを表すものともなっている

細かい部分にも配慮が

レールの先を見る。ここから先に伸びるはずだった線路は唐突に終わっている。越美南線と越美北線は工期がかなりずれていて、越美南線が1934年に当地まで来たのに対し、越美北線の開業は戦後の1960年。結果的に終着駅となった九頭竜湖駅まで到達したのは1972年。だが南線も北線も工事すら行われることはなかった

この1970年代という時代、昭和40年代と置き換えてもいいが、国鉄の赤字路線が次々と姿を消す一方で、開業して採算がとれるのかという路線の工事が続けられた今にして思うと不思議な時代だった。乗車すれば分かるが、越美北線の末端区間は鉄建公団による連続トンネルでの直線区間となっている。それでも南線と北線を結ぶ工事が行われなかったのは、県境の人口の少ない部分と、それに伴う建設費、何より冬季の維持費が勘案されたからだろう

ホームから駅舎に入る際のお出迎え。ご覧の通り、本来ならもっと気になる看板よりも出迎えてくれたのは猛烈な雨だった

こちらは駅舎内部と改札口。もちろん無人駅

駅のデータもあって、なかなか技が細かい

駅前を長良川が流れる。長良川の源流まではもう間もなくの所だ。越美南線は長良川の源流方面に行くのではなく、地図をたどっていただければ分かるが、県道314号をなぞるように石徹白(いとしろ)へと向かい、県境を抜けることとなっていた。道路だけでも、かなりのクネクネ道。冬場の豪雪を鑑みた上で、ここに鉄路を通すのは、なかなか二の足を踏みそうだ

駅舎にはレストランが入居していて、こちらはバリバリの現役店。テレビなどでも取り上げられている

持ち時間の15分はあっという間。鉄オタツアー一行はそそくさと列車に戻る。私も乗り遅れないよう後につく。特徴ある終着駅は全国に数あるが、北濃駅の到達難易度はそう高くはない。また来たいと思わせてくれる駅である

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~共通の目的地へ同業者ゾロゾロその名は北濃

※訪問は2025年10月5日

終着駅に降り立つ

美濃白鳥を8時半に出た列車はわずか10分で北濃に到着する

構造は1面2線の島式ホームだが、使用されているのは1面のみ

ホームに出ると線路は先に伸びているように見えるが

しっかり「終点」と告げられることになる

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これはいつか見た光景

さて、この朝の車内の光景は昨日見た光景とは異なるものだった。朝の8時半に美濃白鳥から列車に乗り込むとすでに十数人のお客さんが乗車していた。そしてその十数人は間違いなく全員が同業者(鉄道ファン)である。これは確信を持って言える。近年は冊子の時刻表ではなくスマホによる時刻表のチェックが主体になりつつあり、ローカル線で18きっぷの旅をしていても車内で冊子の時刻表を見ることも少なくなったため、同業者の判断がつきにくいが、この時は確信が持てた。カメラを手にする人が多い上に、薄着の人が多い。この列車は美濃太田を6時半ぐらいに出る。どこから来られたかは分からないが、準備していたセーターを着込んだ私とは明らかに異なる。そういえば前日の岐阜駅はすでに雨が降っていたがTシャツスタイルの人も見かけた。実は乗車列車は、15分間北濃駅にとどまって折り返していく。皆さん、15分間だけの滞在だと分かっているので薄着で十分なのだろう

この光景は少し前に名松線でも見かけた

3年前に年明けに名松線に乗車した時のことだ。終点の伊勢奥津で下車しようとしたら全員が18きっぱーだった。そんなことを思い出したが、当時の文章を読み返してみると名松線のタイトルが「永遠の未成線」となっていた。すっかり忘れていたが、まさに今乗車している長良川鉄道=越美南線も永遠未成線である

ただ長良川鉄道はもちろん18きっぷの対象ではないし、そもそも今はその季節でもない。ではなぜ同業者が集合してしまったのかというと、理由はおそらく減便である。10月18~19日にかけて訪問する予定を2週間前倒しにしたのは、18日から減便が実施されるためだということはすでに記したが、末端区間に行けば行くほど影響は大きい。減便後のダイヤには私が乗車した列車は日曜にはなく、美濃太田を8時12分に出る列車が「始発」となっている。しかも、この列車はわずか6分とどまっただけで折り返してしまうのだ。たなみに平日にはこの時の列車が残っているが、8時40分に北濃に到着すると、北濃からの列車は10時28分までない。その他、新ダイヤは何かと北濃駅訪問が不自由になっている。そのようなことを考慮すると、ダイヤ変更前に、となる心境は私もよく分かる

私は数年前に1度ここまでやって来たことがある。その時は越美北線と越美南線の関係はどんなものかと思い、マイカーでやって来て北濃駅から九頭竜湖駅までを車で走ってみた。来る時は東名高速→東海北陸自動車道で、帰りは北陸自動車道→東名高速。もちろん日帰りで車だとあっという間にグルリ1周できてしまうことがよく分かった。今回が2度目なので駅については再確認の意味合いが強いが、与えられた時間が15分であることは間違いない。同業者の皆さんとツアーに来たような格好になってしまったが15分を堪能することにしよう

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~美濃白鳥の旅館でほっこり夕朝食

※訪問は2025年10月4、5日

観光列車で美濃白鳥へ

みなみ子宝温泉駅を出て美濃白鳥駅に着くころには日暮れの迫る時間となっていた。17時半。乗車列車は観光列車「ながら」の車両

こうやって定期運行の普通列車に車両が使われることもあるようだ。幸運だった

今日はここ白鳥町に宿泊する

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旅館でおいしい食事

旅館でおいしく夕食をいただく。ちなみに夕食前に徒歩10分ほどのスーパーへ夜食の買い出しに出かけると滝のような雨に見舞われた

翌日の旅館らしい朝食。おひつのご飯って何であんなにおいしいのでしょう。大概ほとんど平らげてしまう

スタフ閉塞の入り口としても重要

朝8時過ぎの美濃白鳥駅へ。現在は郡上市となっているが、平成の大合併までは白鳥町という自治体で郡上八幡駅を中心とする八幡町とは別の自治体だった。夏の郡上おどりはあまりに有名だが、白鳥にも白鳥おどりがある。郡上市を構成した自治体では八幡町に次ぐ規模で、古くからの交通の要衝だった。越美線でつながるはずだった福井県はすぐで、石川県や富山県も遠くはない

それを証明するように

白川郷の白川村まで62キロ。白川郷へのアプローチはあらゆる方面から可能だが、ここから一本道でたどり着ける

国道でも東海北陸自動車道でも約1時間。鉄路だと美濃太田から美濃白鳥までが66キロなので、白川郷までの中間点ということになる

高鷲村と荘川村は平成の大合併で、それぞれ郡上市と高山市になったが、観光名所が分かりやすいようにあえてそのままにしているのだろう。交通の要衝だけに越美線も当地を通ることが重要だったが、白鳥町と福井県の大野市の間には高低差のある峠があり、鉄道を通すことは不可能だったため、やや北側の北濃経由で計画されたことは以前に書いた通り

現在、九頭竜湖方面へのアプローチつまり車での移動は、美濃白鳥から高規格の道路がダイレクトにつながっている

そんな要衝駅だけに

駅舎は元より大きい。開業は1933年(昭和8)で駅舎は当時からのものを改修しながら使用している。駅前には旧白鳥町の中心部が広がる

長良川鉄道では数少ない有人駅のひとつで

夜間停泊の設定もあり、車庫もある。当駅は有人駅として重要な任務を持っており、それはここから終点の北濃までは通票が必要なスタフ閉塞の区間となっていることだ。北濃行き、北濃からの列車にはスタフを手渡し、回収する役割が必要となる。ちなみに越美北線の末端部分である越前大野~九頭竜湖もスタフ閉塞区間となっていて、つまりつながらなかった越美北線と越美南線のそれぞれの末端区間が、今は貴重な存在となったスタフ閉塞となっているのだ。なかなか運命的である。もっともスタフ閉塞区間ということは、運行本数が少ない証明でもあるのだが

長良川鉄道の各駅には「ホーローらしき」縦駅名標が設置されているが、当駅のものは国鉄時代からの本物だ

古めの駅長室の文字に見送られ、二日目の旅のスタートだある

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~寒い時は駅舎の温泉で…とはならず

※訪問は2025年10月4日

予定は湯ったりだったが

みなみ子宝温泉駅に到着。駅名で分かるように温泉最寄りの駅である。そして「最寄り」というのは、単に近いという意味ではない。全国には「○○温泉」と名乗りながら温泉まで徒歩で到達するのは、なかなか骨が折れる駅も多いが、当駅は違う。駅舎が温泉なのだ

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休業の張り紙…現在は復活

みなみ子宝温泉駅は2002年(平成14)の開業。駅舎の温泉は美並村が経営。村営の温泉として営業していたが、施設の改修を行う際に駅の設置を計画。美並村が費用を出した請願駅として設置された

しかし結論から言うと

入り口には休業中の張り紙。カーテンで閉ざされていた。つまり温泉には入れないということだ。コロナ禍で利用者が激減したタイミングで燃料費が高騰。また老化に伴う施設の改修費に多くの費用がかかることから2024年に閉鎖となった。すでに美並村は平成の大合併で郡上市になっていた

そもそも列車内に

このような張り紙があった

その後、民間へ譲渡されることになり、2025年秋には再開との報もあり、今回の旅に組み込んでみたが、訪問時は復活とはならず。ただ

裏手に回るとカーテンが開けられており、空気の入替えを行った形跡があった。結果から言うと12月に温泉は再開している。私はちょっとタイミングが合わなかったわけだが、無事に再開できたのは喜ばしいことだ

駅には川の駅が併設されているが、こちらも休業中だった

背後にはすぐ長良川が流れている。川の駅の再開については私に情報はない

もうひとつの計画

実は温泉が再開されていない場合に備え、もうひとつの計画があった。隣駅の八坂駅への訪問だ。八坂駅は単式ホームに待合所という簡素な構造で、戦後すぐの開業。当初は「半在駅」を名乗っていたが、2006年に近くの神社から現在の駅名に改称。ここには「日本真ん中の駅」の看板があるので、ぜひ見にきたいと思っていた。この真ん中とは人口の真ん中で、総務省のHPによると、これを人口重心と呼び「人口の一人一人が同じ重さを持つと仮定して、その地域内の人口が、全体として平衡を保つことのできる点」だという。日本において、その場所は1965年(昭和40)以来、ずっと岐阜県にある

ただし人口は移動するので、傾向としては人口が増える大都会に向けて重心も移動する。当HPでは都道府県ごとの重心も発表しているが、首都圏や近畿圏の府県では東京や大阪に向けて少しずつ移動することになる。1980年代から90年代にかけては美並村にあり、それが当時の半在駅近く。このため駅に看板が設置された。看板までの距離は全く大したことはない

徒歩17分

当駅には15時35分に到着。16時26分発の北濃行きに乗るので、ここから八坂駅まで歩いていけば、ちょうどいいタイミングで北濃行きに乗ることができる

ただし、先ほど八坂駅を通過した時の車窓がこんな感じ

激しい雨が降っている。道中はもちろん、駅の待合所も横殴りの雨をかわせるものではないので、さすがにギブとなった。ちなみに先述した理由で日本の人口重心も少しずつではあるが、関東方面へと移動している。現在は関市にある

こちらはホームと線路の様子。カーブにうまくホームを設置したことがよく分かる。ちなみに併設の温泉は「日本まん真ん中温泉 子宝の湯」という名前だったが、人口重心の移動があったためか、再開後の名前は「子宝温泉 円空の湯」

子宝とは駅の近くにある安産の神様「子安神社」に基づき、円空とは地元出身の僧侶で仏師。なかなかすぐというわけにはいかないが、次回はこの温泉に入り、中のレストランで食事をしながら列車を待ちたいと思っている

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~ひっそりたたずむ木造駅舎

※訪問は2025年10月4日

美濃市駅無人化の報

美濃市駅に戻って再び長良川鉄道の旅を始める

これは昨年10月のものだが、ここに来てニュースが飛び込んできた。美濃市駅の無人化を長良川鉄道が発表したのだ。発表は3日で私が気づいたのは昨日の4日。利用者減に伴う措置で今年3月30日の営業を最後に無人化されるという

こんな記事を書いたのは2日のこと。タイムトリップを味わえる駅のポイントに有人駅であることを挙げた。古い駅舎+有人駅だからこそ、より国鉄時代を味わえるとも

何というタイミング。発表の1日前とはタイミングが良かったというか悪かったというか。何か目に見えない報せがあったのだろうか。美濃市駅の1日あたりの利用者数は2022年度のデータで151人。これはコロナ禍前とほぼ同数で無人化もやむを得ない数字だ。そもそも長良川鉄道の全38駅(美濃太田駅含む)で4ケタの利用がある駅はない。最も多い美濃太田で長良川鉄道だけに限れば839人。最も知名度が高いと思われる郡上八幡で233人である。利用者数についてはどこかでまとめて伝えるつもりだが、厳しい数字が並んでいることは事実だ。いずれにせよ有人駅としての美濃市駅の雰囲気が味わえるのはあと2カ月足らず。もし訪ねたい方がいらっしゃれば、今のうちに足を運んでほしい

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いつの間にか長良川に沿って

長良川鉄道と名が付いている越美南線だが、美濃太田からしばらくは長良川はほとんど見えない。美濃市駅を過ぎたあたりでレールはピッタリ長良川と寄り添うように走り始め。その後は終点の北濃までのお付き合いとなる。車でないと行きにくいが北濃あたりまで来ると源流はすぐそこである。次に目指すのは大矢駅

こうして見ると美濃市駅以北の鉄路と長良川の寄り添い方が分かる

もっとも列車内では時刻表を入念に見返したり、どこか徒歩で駅間を行ける場所はないかのチェックばかりしているので、ふと車窓を見ると長良川という感じなのだが

大矢駅に到着してみると、目を見張る駅舎が出迎えてくれる

開業は1927年(昭和2)。1923年に美濃太田~美濃市で開業した越美南線は大正から昭和にまたがって少しずつ延伸され、当駅までたどり着いた。郡上八幡まで到達するのはさらに2年後。当初の駅名は美濃下川。所在地が下川村だったためだ。下川村は戦後の19954年に美並村となり、平成の大合併で郡上市となった。長良川鉄道移管の際に現在の駅名となった。入り口に特徴のある駅舎は開業時からの木造駅舎

到着時に悩ませてくれたのは雨で

駅名板を撮ろうとすると屋根からのものも含めた水がはっきり写ってしまうほど

駅舎内はチリひとつないと言っていいほどきれいだ

「出札所」と「TICKET OFFICE」の文字がそのまま残る

駅長室の板もそのまま残る。実は当駅には鉄道館が併設されていて駅舎に見えるエアコンの室外機もそのためのものだと思われる(駅そのものは国鉄時代の早い時期に無人化されている)。観光列車「ながら」の運行日は開館して、ながらもしばらく停車。かつて越美南線で使用された鉄道備品が公開されるそうだが、訪問時は開いていなかった。当日は運行日で美濃市駅でも見かけたが、すでに当駅に停車する時間は過ぎていたので閉まったのか、もしくは何らかの事情で開館していなかったのかは私には分からない。観光列車というものにほとんど乗らないし、今回もプランに組み込む発想すらなかったので、ご容赦いただきたい

こちらは横から眺めた駅舎

こちらは改札部分である

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~2つの顔を楽しめる駅

※訪問は2025年10月4日

駅舎、ホームに車両も残る

あらためて旧美濃駅。向こうに車両が見えるが、廃線から15年以上が経過しても、内外ともにきれいに保たれている。私の訪問時も雨が降る中、数人の訪問があった。すべてが同業者(鉄道ファン)というわけではなく、廃線となってもなお町の顔のイメージを保っている

なお駅名について、こちらは過去にも触れたかもしれないが、国鉄そしてJRは旧国名のみを駅名にすることは基本的にない。旧国名が、そのまま現在の都市名になっている例は多いが、今回の美濃市駅と同様、「伊勢市」「長門市」のように「市」を入れたりする。なぜかというと国名が付く駅は数が多く、それだけに離れていることも多く、例えば三重県には「伊勢○○」という駅がいくつもあるが、伊勢市駅から列車や車を利用しても簡単にはたどり着けない距離の駅もある。誤解を招かないための措置である

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廃線時のままそっくり保存

こちらは駅の解説板。こちらを読んでいただければ歴史も含め、すべてが分かる

駅舎内にはきっぷ売場がそのまま残され、かつての時刻表も掲げられている。ただこれは廃線時のものではない。急行運転はかなり以前に廃止され、運行も基本的には当駅~新関と新関~新岐阜が分断されて美濃駅から新岐阜への直通運転は激減していたからだ。それを考えると1970年代の時刻表ではないかと思われる。廃線時の時点でも20年以上前のダイヤだと思われ、よく残っていたと感心してしまう

ホームにはかつての車両がズラリと並ぶ

現役時代は頭端式の2面2線構造だった

一部の車両は中に入ることが可能

たっぷりと時間をかけることができる

留置車両の詳しい解説もある

野口五郎さんの出身地

旧駅舎にはもうひとつの顔があって

美濃市が野口五郎さんの出身地ということで、多くの関連展示がある。われわれの世代のアイドルスターだった野口五郎記念館の雰囲気もある

美濃町関連グッズと並び展示されている

車両を臨む場所には「私鉄沿線」の歌碑

2019年のデビュー50周年をきっかけに建てられたもの。携帯電話のおかげで駅の改札でただただ誰かを待つこともなくなったし、歌詞に出てくる伝言板も40歳以下の方には何のことか分からないかもしれないが、外に出てしまうと連絡手段がなくなってしまう時代は駅に設けられた黒板に「駅前の喫茶店にいます 高木」のように個人情報丸出しで書き込んで駅に来る人と連絡を取り合っていた。駅にはなくてはならないものだった。牧歌的な時代の光景ではあるが、今でも十分に聴ける歌だと思う

駅名標をパッと見て何のことか分からない方が多いかもしれないが、「博多みれん」が野口五郎さんのデビュー曲だったことも私には分かる。ヒット曲を連発するようになってから「デビュー曲が演歌風だった」と何かと話題にされていたからだ。さすがに「光の道」は知らなかったが、当時発売された最新のシングル曲だったという

鉄道関連での野口五郎さんといえば、廃線となった高砂線の「野口駅」(兵庫県加古川市)から予讃線の「五郎駅」(愛媛県大洲市)までの乗車券が売れ、また五郎駅の存在がメディアで紹介されると駅に多くのファンが訪れ、まだ有人駅だった五郎駅で入場券がおもしろいように売れて駅に印字機を設置したという有名な逸話がある。ネットもない時代、五郎駅の存在はメディアで紹介されない限り、ほとんどの人が知らなかったのだ

ここにはワンちゃんがいたのだろうか。いろいろな側面で楽しめる旧駅舎。2つの顔のどちらかだけでも十分に行く価値のある場所だと思う

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~美濃市駅から徒歩数分の場所にたたずむ歴史を刻む廃駅

※訪問は2025年10月4日

まずは腹ごしらえ

美濃市駅訪問の後はランチタイムとなった。当駅より北に進むとお昼を食べられる確証のある場所は郡上八幡までないこともあるし、そもそももう13時半。地元のソウルフードでもある「とんちゃん焼き」をいただくことに。特製のタレに漬け込んだ豚モツをジュージュー焼く。同時に鶏を漬け込んだ「けいちゃん焼き」も注文してシェアしていただいた。行列のできる人気店だそうだが、遅い時間なのですんなり入れて幸運だった

そしていよいよ今回の旅の最大目的のひとつに向かう

ここに来なければ意味がない

向かうといっても、ほとんどお隣さんのような場所だが

美濃駅。といっても現役の駅ではない。廃止になった路線の駅舎が、そのまま保存されている。長良川鉄道乗車が旅の本筋とはいえ、ここに来ないわけにはいかない。名鉄美濃町線の駅だった。1999年(平成11)に廃線となった名鉄美濃町線の駅舎だ。岐阜の中心部に乗り入れる路面電車として知られていた美濃町線は1999年に新関~美濃が廃止され、6年後には残る区間も廃止となって全廃となった

前記事でも触れたが、美濃町線は美濃電気軌道が1911年(明治44)に岐阜市の中心部から当駅まで敷設された路線で、昭和初期に名鉄の一部となった。国鉄越美南線より10年以上も早く現在の美濃市に乗り入れ、しかも岐阜市中心部とダイレクトにつながっていた

こちらも前記事で紹介したが、当時美濃町は成立しておらず駅名は町名から「上有知(こうずち)」駅。ただ2月11日の開業から2カ月も経たない4月1日「美濃町」駅に名を改めている。美濃町が成立したからだ。現代ならわずか2カ月後に新たな町が成立するのだから、駅名も考えて付けろ、となりそうだが、当時は自動券売機があるわけでもなくワンマンの整理券があるわけでもない。地方の私鉄にとって駅名変更はたやすいものだったのだろう

駅は2度にわたり微妙に位置を変えて現在の駅舎がある場所にやって来たのは1923年(大正11)。その年に越美南線も美濃町にやって来たため、国鉄との乗り換えが便利な位置に移転したとされる

徒歩で5分もかからない場所に2つの駅ができた。私鉄と国鉄が乗り入れる美濃町は長良川の港で栄えた重要都市だったのだ

駅名はこの移転の際、越美南線の「美濃町」駅との駅名重複を避け「新美濃町」駅と改名した。国鉄に敬意を払った形だ。現在なら、どちらが先だなどとなりそうだが、この時代は地方の私鉄が国鉄に配慮して会社名や電鉄の文字を入れるケースは見られた

美濃市の成立によって1954年に駅名は「美濃」に変更。ただし路線名は廃線時まで美濃町線のままだった

駅舎は廃線、廃駅となった後は地元で管理され

6年後の2005年には旧駅舎とホームが登録有形文化財となった。徒歩5分以内にある2つの駅舎がともに登録有形文化財となったのだ

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72キロの長大盲腸線長良川鉄道を行く~国鉄時代そのままに街を見下ろす登録有形文化財の駅

※訪問は2025年10月4日

関から約10分

美濃市駅に到着。島式ホームの1面2線だが構内は広く側線もある。役割を終えた貨物ホームには車両が留置されている。すっかり自然に帰ろうとしている草木に雨による薄暗い空気が雰囲気を盛り上げる。実際にはまだお昼の13時半である

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3年間の終着駅

ホームには古い待合所がそのまま残る。駅は高台にあり階段で改札に向かうが

文字も空気も国鉄時代そのままの風情だ。開業は1923年(大正12)。越美南線が美濃太田から当駅までが開業した際、終着駅として設置された。この後、越美南線は延伸されるが、それは3年後。かなりの期間、終着駅だったことになる。逆に言うと、美濃太田から関を経て当駅までをまず開業させるのが重要だったことになる

当初は「美濃町」駅を名乗っていた。現在の駅名となったのは1954年。想像に難くないが、美濃町が美濃市になったことによる変更である

長良川水運の要衝としてこの地は栄えた。美濃国にあるので美濃町という自治体、地名が生まれたと思いがちだが、美濃国は広い。さらに言うと旧国名が地域名になることはあまりない。大抵が「○○国○○」となる。旧国名が自治体名や駅名になっているのは、ほとんどが明治以降のものだ

美濃町も町村制施行時は上有知(こうずつ)町という名前だった。後に美濃和紙の生産地であることから美濃町に変更。戦後に周辺の自治体と合併して美濃市となった。越美南線がやってきたころには既に美濃町となっていたので、駅名もそのまま美濃町となった。実は美濃町へ先に乗り入れた鉄路は国鉄ではなく、後に名鉄美濃町線となった美濃電気軌道が、明治期に岐阜市内から美濃町までの鉄路を走らせている。当時は私鉄に追随する形で国鉄がやって来るなど重要な地だったのだ

国鉄時代にタイムトリップ

駅舎へと向かうと先ほどの出口と同様ホーロー板が残されている

そしてステンレスの改札。まさにタイムトリップである。今も国鉄時代そのままの設備が残っている駅は数多いが、ポイントとなるのは

有人駅だということだ。有人の古い駅舎はタイムトリップ感をさらに強くしてくれる。長良川鉄道の数少ない有人駅のひとつ。そしてもちろん主要駅

こちらは訪問時の時刻表だが、当駅を境に運行本数が大きく変わることが分かる。かなりの列車が当駅で折り返す。この傾向は2週間後のダイヤ変更でさらに顕著になっていて

長良川鉄道の1回目の記事でも記したが、美濃市以北は大幅に運行本数が減り、平日においては朝の10時台の後は3時間運行がない時間帯が生まれている

駅舎は開業時のものをベースに手が加えられているが

2013年に先に述べたホームの待合所とともに登録有形文化財となっている。駅は美濃市の中心部のやや外れの高台にある。次の列車まで1時間半。ここでお昼とすることにしよう

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