北海道&東日本パスの長閑旅ふりかえり~駅前通りと広告そして駅舎内の写真

※訪問は2025年7月9日

規模の大きな駅

剣吉駅に到着。青森県に入って最初の駅となる目時駅(帳簿上はIGRいわて銀河鉄道の終着駅で青い森鉄道の起点駅となる)から3駅目。青い森鉄道は国鉄時代の名残で八戸駅で運行が分断されていて、目時~八戸と八戸~青森が別路線のようになっているが、剣吉は前者に含まれている。この区間で最も規模が大きな駅は三戸駅で、かつての特急停車駅だが、その次に規模の大きな駅で、1日あたりの乗降者数は三戸の334人に対し、剣吉は236人(2022年度)とこの区間では2位の数字となっている。かつては優等列車の停車もあった

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無人駅ながら立派なお出迎え

かつては2面3線構造だったようだが、真ん中の線がはがされて2面構造となっている。貨物の取り扱いもあった。ホームに降りたって駅舎を眺めただけで規模が分かる

かつてというより、ついこの間まで名川町(ながわまち)唯一の駅だった。鉄道がこの地にやつて来たのは1897年(明治30)と、19世紀からの歴史を有する古い駅。そのころは名川町もまだなく北川村。北川村は剣吉村など複数の村が集まってできた自治体で、駅名はそこから採用された。北川村が戦後、名久井村合併して名川町となり、2006年から南部町。剣吉とはアイヌ語で、榛(はん)の木のある場所という意味。かつては湿地帯でハンノキ林だったのかもしれない

駅もまで有人駅で

駅舎に入ろうとすると立派なお出迎えがある。無人駅とは思えない

駅前で見た風景と駅舎内の風景

駅舎は昭和30年代から40年代にかけての国鉄コンクリート駅舎だ

駅の近くには商店街がある

駅前の商店にあるホーロー広告。かつては全国にあったおなじみの光景だが、今は急速に数を減らしている。いつからのものだろうか

駅舎に入ると

窓口と荷物受付があったと思われる場所は塞がれていて自動券売機が置かれているが、駅舎内はきれいに清掃されている

設置はそれほど古くはないようだが、駅舎内に立派なお手洗いがあるのが特徴。そしてその上を見ていただくと、地元の方々の撮った写真が並び

そこには貴重な写真が飾られていた。昭和19年というと、まさに戦時中の写真だ

駅前のバス停を見ると、南部町の中心である三戸駅へと向かう路線が多いようで、1時間に1本ほどの本数も確保されている

もう一度駅へと戻る。こうして見ると構内は広い。駅舎も含め、かつてのにぎわいが大いに感じられる

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北海道&東日本パスの長閑旅ふりかえり~一気に170キロ移動し青森県へ

※訪問は2025年7月9日

県境移動が最大の課題

朝の一ノ関駅。大船渡線の間もなく100歳を告げるカウントダウンのボードを見ながらスタート。読者の方には全く関係のないことだが、7月26日というのは私の誕生日。もちろん私の人生の長さは遠く及ばないが、親近感はわく

そして多くの高校生とともに北へと進む。始発なので座れた。途中、高校生が激しく入れ替わり、やがて高校生の時間も過ぎ去って車内が落ち着いた9時過ぎに盛岡へと到着

1時間半も普通に揺られると、かなり飽きてくるが、そんな余裕はないのである

IGRいわて銀河鉄道の改札口へと急ぐ。一応、東北本線の盛岡着の列車と銀河鉄道の盛岡発の列車は接続が考慮されていて、9時5分が盛岡着で盛岡発は同14分。9分の時間がある。ただしもともとは同じ東北本線ではあるが、両者の改札口には距離がある。JRの改札を出てビルを抜けて階段を降りなければならない。普通に歩けば間に合うが、それなりの早足が求められる

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絶対に遅れられない列車に滑り込む

ホームに到着したのは9時10分で、発車の4分前

八戸行きが待機している。車両は青い森鉄道のものだ

ここから一気に岩手県を抜けて青森県へと向かうのだが、そのためにはこの列車に乗らなければならないのだ。IGRいわて銀河鉄道は盛岡駅から毎時2~3本の列車が出ているが、多くが岩手県内で完結するもので県境を越える列車は少ないのだ

ちなみにこの前の列車は6時41分で3時間近く前。次の列車は11時27分発と2時間後。一ノ関に宿泊した以上、「始発」はこの9時14分となる。JRとの接続が図られている理由もなんとなく分かる気がする。これを逃すと2時間もの待ち時間が生じてしまうのだ。乗り逃した場合は東北新幹線という手段があるが、もちろんそれは別料金になるので、できればその奥の手は使いたくない

さらに付け加えると銀河鉄道の列車は途中の滝沢、いわて沼宮内止まりのものが多く、いわて沼宮内から先の岩手県内の駅へと向かう列車も多くはなく、県境のはるか手前で待機というパターンにもなるのだ

盛岡を出発した列車は1駅ずつ丁寧に停車しながら北へと向かう。そして盛岡から1時間半かけて

この日の最初の目的駅である剣吉に到着。時間は10時47分で一つ目の訪問駅としてはかなり遅い。それもそのはず。一ノ関から盛岡までが約90キロ。IGRいわて銀河鉄道の全区間が約80キロで、青森県に入るだけで170キロを要し、青森県に入ってから約15キロ。7時半の列車に乗って。盛岡での乗り継ぎの数分間を除くと、それだけの距離をトコトコ揺られてきたのだから、こんな時間にもなる

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北海道&東日本パスの長閑旅の振り返り~東京から延々と普通を乗り継ぎ青森県へ

※訪問は2025年7月8、9日

昨年の分とまとめて報告

昨年の7月8日早朝。私は上野駅にいた。さすがにこの時間帯に上野を出る宇都宮行きは人影もまばら。前日のうちに東京に入り、北海道&東日本パスを購入。このまま北上である

一昨年の夏にも行った「宿もとらず北海道&東日本パスを利用して気ままに旅をする」を昨年も行ったのだが、他の記事をアップしているうちに季節が過ぎ、冬になってしまった。東北地方の現実の景色に合わなくなったので、そのまま塩漬け状態としてしまい、また夏が来て、北海道&東日本パスの旅を繰り返すことに

ということで、2年分の「気まま旅」をセットで振り返ることにする

ちなみに2年前の記事は

空港最寄り駅にもかかわらず、木造駅舎という花巻空港駅から花巻空港にバスで向かい、帰宅したところで終わっている。2024年7月6日のことだった

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途中で飽きたらしい(笑)

途中からどんどん旅客が増えていって、7時過ぎに宇都宮に着いた時は通勤通学、特に通学の高校生でいっぱい

乗り換えて黒磯に着くと、ちょうど貨物列車の乗務員交代の場面に遭遇した。貨物列車については全くの素人の私にとっては貴重な光景だった

次いで新白河。東北に突入。2024年は常磐線で仙台を目指し、途中駅で随分降りたが、今回は青森に着いてからの日程が詰まっている(津軽線の駅訪問を行った)ため、東北本線でほぼ途中下車なしに進む。こういうJRでの青春18きっぷ向けの普通(快速含む)乗り継ぎは東海道本線、山陽本線でもそれなりのダイヤが組まれているが、東北本線の北上については細切れで前身する印象だ。気分転換になる反面、乗車して1時間ほどで降ろされたりするので、なかなか前へと進まない

郡山そして

アルバムを見返すと白石と駅名標ぐらいしか撮っていない。1年以上前のことなので、その時の心情は忘れてしまったが、過去に何度も来た駅だし、きっと飽きてしまったのだろう(笑)

泊まりは一ノ関で

仙台に着いたのは13時すぎ。7時間以上かけて到着。この手の旅は、大きなターミナルのひとつずつが節目だ

ようやくのお昼は駅そばのカレーそば。Xのフォロワーさんの投稿でも度々登場するお店で、夏であろうと気にせずカレーそば。サービスの白ご飯で満足感が増す

食事を済ますと、さっさと北上を

18きっぷ(今回は北海道&東日本パス)旅で最大の関所のひとつ、小牛田で強制下車。同じような旅をした経験のうる方は分かるだろうが、まさに関所。必ず乗り換えが生じて、しかも結構待たされることが多い。当然だが、。今夏も当駅での待機を命じられた

その時間を利用して、本日の宿を調べ始める。このまま先へ進める場所でホテルがありそうな町は盛岡が北限だろうが、さすがに時間的に遅いというか、この日に限ってはホテル料金も高い。前年に泊まって安かった北上も今日はなぜか高い。というか、朝の5時に都内のホテルを出てからかなり時間が経っていて、さすがに疲れてきた

ということで

宿は一ノ関に決定。時間がハンパに余るので石越駅で、乗り継ぎ以外で初めての本日の途中下車を行い、16時20分に一ノ関着

翌日は一気に三セク区間に入るつもりだ

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山陽本線曽根駅の木造駅舎最終日に訪問してみた(後編)

※訪問は2026年9月11日

駅周辺の住居表示は「阿弥陀」

「駅の南側に出るのはどれだけ大変か?」を探るため、駅を起点に東へ西へと歩いてみて、かなり大変つまり面倒なことが分かりました。駅舎を橋上化させるのも納得です。というか国鉄時代からよくぞ、住民の皆さんもがまんしてきたと思う。詳細は不明ですが、ホームの三ノ宮寄りをオーバーパスしている道路を経由しての行き来の部分については、かつて踏切があったそうです

この向こう側でしょうか。これでも大回りには違いありませんが、階段の昇り降りは少なくともなかったはず。ただし、この踏切は国鉄時代に撤去されています

さて姫路側の踏切から駅へ戻る道中にある住居表示は

「阿弥陀」。駅の歴史にとって、これはとても重要なんです

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もともとは阿弥陀駅

周辺を歩くまでもなく

駅舎の柱の住居表示も阿弥陀。実は当駅は1888年(明治21)に「阿弥陀駅」として開業しました。なぜなら当時、駅は阿弥陀村に所在していたから。阿弥陀村は1956年(昭和31)に高砂市となっています

阿弥陀とはいかにも由緒ありそうな地名ですが、まさにその通りで、鎌倉時代に時光上人が海中から阿弥陀如来像を引き揚げ、この阿弥陀様をまつるための寺院を建てました。これが時光寺で、曽根駅から徒歩10分ほどのところにあります。そしてお寺の周辺の地名(住居表示)は今も時光寺町。阿弥陀村もそれに由来します

では、なぜ曽根駅になったのかというと、話はややこしくなりそうですが、隣接する村(町)が曽根村だったから。もちろん曽根村には山陽本線は走っていませんが、なぜその村名が駅名になったのかというと、駅から2キロ近くにあった曽根天満宮の名を何とか駅名に入れられないかという気運が地元で盛り上がったからです。隣駅の宝殿駅はこちらも駅から2キロほど離れたところにあった生石神社の石の宝殿にちなんだ駅名となっているため、こちらも曽根天満宮にあやかろうというわけです。そして駅名は1902年に現在の駅名に。阿弥陀駅としての時代はわずか14年でした

この話には続きがあって、大正期に入ると現在の山陽電車が神戸と姫路を結ぶこととなり、曽根天満宮の至近に駅が設置されました。これが現在の山陽曽根駅

駅を降りるとすぐ曽根天満宮です

ただし先に国鉄の曽根駅があったため、駅名は「曽根町駅」。曽根村はすでに曽根町となっていました。その後、電鉄曽根を経て現在の駅名に。こう話してくると、両駅は結構近いのでは、と思われてしまいそうですが

両駅は簡単に歩ける距離ではありません。というか、同じ駅名がこんなにも離れているのは混乱のもとだし、そもそも天満宮を意識するなら、どうして駅舎をわざわざ北側に造ったのかという話にもなります

駅の知名度アップに貢献

そんな曽根駅ですが、駅の知名度をグンと上げている存在があります

白陵中学、高校です

秀才の集う学校として知られ、駅からは徒歩で20分ほどかかりますが最寄り駅。駅前にはロータリーもなく、コンビニが1軒と病院、ラーメン店があるぐらいの小さな駅ながらも登下校の時間帯は大いににぎわいます

すでに使用されていませんが、大勢の生徒をさばくため朝には臨時改札口が設けられていました。知名度の高い学校のため、駅とセットで取り上げられることも多く、駅の北側に駅舎があることで利便性が増しています

ええ写真撮ってあげてや

駅の構造は2面2線。かつては2面3線構造でしたが、1面のレールがはがされています。これが南側に出入口を設ける際のマイナス点にもなっていて、はがされるレールが真ん中の線路ではなく、外側の線路だったら、もうひとつの出入口を設置するのも容易だったかもしれません

現在、昼間に当駅にやって来る電車は30分に1本。新快速は15分間隔で姫路まで運行されていますが、加古川以西については30分に1本に減便されました。ですから上下それぞれ30分おきに駅には利用者が集まってきます。1日の利用者数は7000人ほど

19日に駅舎とのお別れセレモニーが行われます。まさかこの車両が来ることはないでしょうが、国鉄時代に当駅にやって来る列車といえば、この湘南色だったことは間違いありません

駅前で写真を撮っていると、地元の年配の方から「ええ写真撮ってあげてや」と声をかけられました。しばらく駅前にいると、日々当駅を利用している方も最後の日だと認識しているようで、かなりの方が写真を撮っていました。最後の日に間に合って良かったです

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山陽本線曽根駅の木造駅舎最終日に訪問してみた(前編)

※訪問は2026年9月11日

押っ取り刀で駆けつける

この記事を書いているのは9月12日で、昨日のこととなりましたが

山陽本線の曽根駅に行ってきました。前日まで千葉県で小湊鐵道の各駅を訪問していたのですが、万が一帰れなくなった時の予備日としていたこの日が空いたことで緊急のお出かけ。というのも、11日が曽根駅の木造駅舎最後の日だったからです。日程が空いて良かった。押っ取り刀での訪問となりました。とはいえ、神戸市内からは新快速と普通(明石から姫路方面へは快速が普通となります)を乗り継げば1時間ちょっとで快適に行ける距離でもあります

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駅は19世紀から駅舎は100年前から

こちらが曽根駅。風格ある木造駅舎が健在。開業は1988年(明治21)で姫路駅と同時開業ですから138歳。日本で初めて鉄道が走ったのが1872年なので、鉄道黎明期からの駅です。駅舎については財産票を基準としてますが

1927年(昭和2)からのもの。来年の100歳の誕生日を迎えることはできなさそうです

すでに12日から使用される仮駅舎はスタンバイしています

国鉄時代からの課題だった南口問題

駅舎は線路の北側にありますが、南側には出入口はありません。しかもかなりの大回りを必要とします

こちらが駅の周辺案内図ですが、東側(神戸側)のホームの切れ目あたりを県道がオーバーパスしていて、それにくっつく形の階段を上がっていく必要があります

てくてく歩いてみましたが、駅舎から階段までは200メートル近くあります

道路の上から見るとこのような感じ。写真の左側にある姫路方面へのホームに行くには1度駅舎まで行って構内の跨線橋を利用しなければならず、直接降りたくなってしまいます

では西側(姫路側)はどうかというと、地図の写真で分かるかどうか微妙ですが、天川が線路に最も接近したあたりに線路を貫く白い線が描かれていて、それが踏切。こちらは駅舎からの距離は軽く300メートルを超えています

駅前の道路を西に真っ直ぐ進み、途中で線路に向かう路地を入っていくと少しだけ近道できるようになっています。この写真では左側から出てくることになりますが、あらかじめ道を知っていないと一発で最短距離を行くことはできないと思われます

踏切からホームの端までは遠い。線路がカーブを描くようになっていることもありますが、はるか彼方に見えてい

踏切を渡ると天川で、さらに向こうに国道2号線バイパスと山陽新幹線が見えます。このあたりの線路は天川に沿うように敷設されていますが、ここでふと思ったのは、不自由な踏切よりもアンダーパスを造ってしまえば、横断が楽にはなりそうだけど、大量の雨が降ると、すぐ冠水してしまいそうだということ

姫路方面への電車を見送って踏切を戻る

踏切付近の住宅街は通り抜けの工夫がされいていて、普通ならフェンスがありそうな溝の空間もそのままにされていて、ヒョイとジャンプして渡れるようになっています。ただまたいで渡れる距離ではなく、私もジャンプしたのですが

その直前、見かけぬ不審者としてニャンコがマーク。しばらく見つめられていました

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これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~最後の乗車はやはり中央弘前まで

※訪問は2026年7月15日

石川駅で列車を待つ

お昼の最も暑い時間帯の石川駅。20分ほど歩いてきたばかりなので、もちろん汗ビッショリだ。昨年も同時期に弘前鉄道に乗車し、大鰐線で残った駅の回収と弘南線の駅巡りをしたが、駅間徒歩というのをかなり行った。というのも、昨年7月の私は天候に恵まれていて、青森に滞在していた数日間は、いずれも最高気温が26度前後と、そう暑くもなかった。弘前在住のXのフォロワーさんによると、私の訪問時のみ涼しく、その前後は北国といえども気温が35度の猛暑日になっていたとか。今年に関しては、さすがにそううまくはいかず、前日の津軽線でも最高気温は32度で、長年地元で暮らす方にとっては、たまらない暑さとなっていたようだ

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あらためて気づく「非冷房車」

そんな状況の中、朝から弘南線そして大鰐線に乗車して知らされたのは、弘南鉄道の車両には冷房がないことだった

気持ちよく扇風機が回っている。もちろん弘南鉄道の車両に冷房がないことは知識として知っていたが、前述したように昨年は天候に恵まれていたため、エアコンが必要だと感じたことすらなかったのだ。だが今年はさすがに必要性を感じた。乗車時間と混雑具合によるのだろうけれど

車内では間もなくやって来る弘前ねぶたを意識したものだろうか、金魚ねぶたがズラリ並んでいた

別れを告げる時が来た

ホテルを弘前駅前に確保しているため、できるだけ中央弘前駅を利用せずに弘前駅へと向かう手段をあれこれ考えていたが、結局は中央弘前まで乗り通してしまった。まだまだ時間は早い。やはり最後はここで別れを惜しもう

こちらは車内にあったりんご娘というか、おそらく王林さんのサイン

あらためて午前中に見たカウントダウンのボードと再会。こうしたものを見ていると、まだ1年半あるとはいえ、確実に別れの時が迫っていると感じる

県庁所在地ではない弘前市に生まれた地方私鉄。なかなか貴重な存在だ。しかも大鰐線については最初から弘前電気鉄道という電化路線だった。1952年(昭和27)という時期を考えると画期的でもあった。地方都市にあって国鉄の路線と並行する私鉄に認可が出たことも凄いことだ。奥羽本線が当時非電化で、復興中の日本という国にあって、貨物列車の需要が高まり、奥羽本線が旅客ニーズに応えられない状況だったことも幸いしたという

新しい建物が多い弘前市の中心部で、ひときわ存在感を放つこの駅舎ともこれでお別れ。遠く離れた地から大鰐線を見守っていこうと思う

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これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~この看板を見ないことには来た意味がない

※訪問は2026年7月15日

目にとまった看板

前記事で最後に伝えた分岐点。ここから大鰐線の石川駅を目指す。もう徒歩で10分を切るぐらいの場所まで来ていると思う

すると目にとまったのは

クマ注意の看板。全く記憶にないので当時からあったものかどうかも分からない。もしあったとしても雪深い季節だったのでスルーしていたのかもしれない。そもそも全国各地でのクマ被害が深刻になり始めたのも昨年の夏以降のこと。私も過去にはホイホイと行けたというか、むしろ喜んで行けた山中の誰も利用しそうにない駅でただ1人過ごすのは正直怖くなっている

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かつての白い道を通って

大鰐線の踏切を渡る。義塾高校前駅から奥羽本線をオーバーパスするための高架部分は終わっていて、後は線路沿いの道路を行くだけだが

昨年3月はこのような道だった。きれいに除雪された部分とのコントラストが美しい白の道だ。大鰐線の架線でブロックされているが、岩木山が見える。昨年7月の写真を見ると、弘前市内の各地ではきれいに岩木山が見えていたようだが、今年はかすんで見えなかった。山がひとつ見えたり見えなかったりするだけで、こんなに景色が違うものかと思ってしまう

そして石川駅に到着。大鰐線の思い出の旅のゴールでもある

有名看板そしてホキさん

石川駅だ。大鰐線で駅舎のある駅は少ないが、千年駅、弘高下駅と同じ大鰐線の古参駅舎の標準モデルだ

昨年3月は線路以外の部分は雪という感じだった。1952年(昭和27)に弘前電気鉄道の駅として開業。当時は石川町の所在で、現在は弘前市。先に奥羽本線の石川駅が町内にできていたので、当初は新石川駅を名乗った。1986年から現駅名。ちなみに同じタイミングで弘南大鰐駅も大鰐駅となっている。ただ石川町内では後発の石川駅だが、古くからの城や旧市街地は大鰐線の駅の方が圧倒的に近い。そのような事情で、当駅も長らく有人駅だった

窓口の跡も残る

そして石川駅といえば

この看板だろう。今の世の中を象徴しているような出来事だが、とある時ネットで大いに「バズった」。いつのことなのか私にも分からないが、昨年初めて大鰐線に乗車した私がその前から知っていたぐらいだから、かなりの人気スポットだ。「死にます」の警告(しかも子ども向けである)は、今ではまず見かけないものだし、ちょっと考えほしい。先に挙げたクマ注意の警告ですら、あくまで「危険」である

 

私も大いにはしゃいでいた。やはり大鰐線に乗車するなら、この看板は外せない

もうひとつ当駅で忘れてはならないのは

側線に止まるホキさん

昨年3月も雪に埋もれながら、しっかり自己主張していた

大鰐線に貨物列車が走っていた時代に活躍していたものが、今は保線車として余生を過ごしている。車両の位置が変化しているので「石川駅常備」のまま、しっかり業務をこなしているようだ

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これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~歩きたくないのに勝手に足が動き出す不思議

※訪問は2026年7月15日

小さな交差点で立ち止まって…

義塾高校前駅から住宅街の方に出る。駅前は何もないのに少し歩くと住宅街というのは不思議だが、あくまでも学校の移転により設置された駅で、近隣住民の皆さんのことは考えると駅を設置する場所がすでになかったというところだろう。しかも以前からの住民の方々のためにはJR奥羽本線の石川駅がある。最初の予定では石川駅まで行き、弘前駅へと出るつもりだった。奥羽本線の普通は昼間はそう多くは運転されていないが、今のタイミングならちょうど良く電車が来るのだ。奥羽本線に乗れば、中央弘前駅と弘前駅の移動問題も解決する

ただJRと大鰐線の交差点まで来て、少し気が変わってしまった

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歩いた景色を思い出し

踏切から向こうを見れば石川駅が見える。すぐの場所だ

そういえば

昨年3月はこうだったなぁ、と景色がフラッシュバックしてしまった

となると、ちょっとあの時と同じ道を歩いてみるか、という気持ちになってしまった

現在地から約15分。昨年3月は大鰐線の石川駅から歩いたが、今回は逆コースとなる。実際にはややウロウロしながら歩くので、もう少し時間はかかるが、大鰐線も1時間に1本の運行。時間はたっぷりある

それにしても弘前学院大前駅では、同じような15分ほどの徒歩を暑さがイヤで止めたのに、こちらはもう少し長そうな距離を歩こうとしている。なかなか人間、強烈な思い出には勝てないものだ

雪に阻まれ、水に阻まれた1年半前

それでは歩いていこう。線路沿いの道路を歩く。舗装はされていない。昨年3月は舗装のなさが、ちょっとした悲劇

当該地を通り過ぎて振り返ってみた。昨夜から今朝まで降った雨の水たまりが少し残っている。もともと水はけの悪い場所なんだと大変納得

というのも当時は

このような状態だったからだ。他に回り道はない。というか踏切が見えているので、すぐそこがゴールである。ということで右端のできるだけ水たまりの小さな所をそろそろ進んで最後はジャンプ!

何とかクリアしたが、着地時にひざを痛めてしまったようで、実は今も冬場に痛みが出る。それまでひざなど痛めたことがなかったので、ある意味勲章をもらったことになる

途方に暮れた思い出も

大鰐線の高架をくぐっていく。JRをオーバーパスするための立派な高架は大鰐線唯一のもの。こちらも残念ながら役割ほ終える運命にある。今日はそういう意味での感慨を持ってながめることができているが、昨年はそのような余裕は全くなかった

しばらくすると奥羽本線をくぐる小さな道路にやって来た。私がとるコースは手前側に進むが、昨年3月はこの手前側からやって来て、携帯アプリにJRをくぐるよう指示された

先に挙げた地図で毘沙門天堂が示されているが、ここを経由するコースだったらしい

実際に行ってみると、このような感じでリンゴ畑の横を進めばたどり着けそうだが、当時は

こうだった。これは無理だろう。足跡を付けた人が偉すぎる。正直泣きが入った。もう1度奥羽本線をくぐって、半ばヤケクソに進んだのが、今日来た道、当時進んだ道である。この絶望的な雪に比べると水たまりぐらいなんとことないのである

その時の記事がこちらである。これは私の中でもなかなか忘れられない旅と

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これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~こんな景色だったのかと改めて知る

※訪問は2026年7月16日

一番降りて見たかった駅

列車は義塾高校前駅に到着。今回最も降りてみたかった駅である。というのも、ホームに降り立ち「こんなところだったのか」と改めて思いたかったからだ。ホームの向かいにはビニールハウスがあるが、昨年3月、そのような意識は全くなかった

あったのはフェンスの意識だけだ。そもそも積雪に見舞われる季節は、雪の重さにやられてしまうビニールハウスは設置されていないのだろう

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とにかく一面白の世界

そもそもホームからの景色がこちらだった

原型はこのようになっていたのかと感心するというか発見である。昨年3月の時点では一面の雪の白い世界

こちらは駅を立ち去ろうとして撮った写真。日本の各地で見る光景だが、四季が加わるとこうも違うものかと思ってしまう

遠巻きに見るとリンゴ畑があって、その向こうに電車の架線がわずかに見える

それが1年半前は

もう全く別世界。というか雪の中には何があるかというクイズの答え合わせに来たようなものだ

当時と比べて今の方が道路から駅の施設がよく見えるな、と思っていたが、これはおそらく雪に阻まれていた雑草が雪解けと夏の日差しのもと、一気に成長したからだろう。津軽線の休止駅でも見てきたが、自然の力のすごさを感じる

次の駅へと歩き始める

当駅は東奥義塾高校への通学のための駅で、学校が当地に移転してきた際に設置された。1987年(昭和62)のこと。だから駅周辺には何もない

弘南線の尾上高校前駅をこの日の朝に訪ねているが、こちらの駅も学校の開学とともに誕生した。周辺には何もない。移転と開学では違うが、学校の建物が新たにできたという意味では同じで、新たに学校レベルの大きな建物を建てる土地がある場所は必然的に街の真ん中ではなくなる。農地の中にポツンと駅が設置されたのだ

ここからは次なる目的地へと移動しよう

少し歩くと住宅街へと出る

このあたりは交通量もそれなりにあり、昨年3月の訪問の際も除雪は進んでいた。当然だが、景色はほぼ同じである。ここから徒歩で数分のJR奥羽本線の石川駅に行き、弘前駅へと向かうつもりだ。こうすると効率的に弘前駅へ行くことができ、中央弘前駅と弘前駅とのアクセス問題は解決する。しかし、ここまで来て他にも立ち寄りたいところができてしまった

と、その前にひとつ

こちらは昨年3月の写真

岩木山をバックに義塾高校前駅に滑り込んでくる電車。個人的にはなかなかお気に入りの写真なのだが、盛夏のこの日にホームに立つと何かが違う。少し考えてようやく分かった。一番最初の写真を見てほしい。岩木山は雲にかすんで全体が見渡せなかったのだ

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これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~根性のなさが招いた思わぬ発見

※訪問は2026年7月16日

私鉄利用の降り鉄には超貴重な駅

千年駅から2駅中央弘前方面へと戻り、弘前学院大前駅で下車

ご覧のようにスーパーとの合築駅となっている。見て分かると思うが、建物の壁にイスと時刻表が張ってあり、駅としての機能はこの部分。ただし入るとすぐにスーパーがあり、こちらにもイスがある。スーパー利用者向けのものか鉄道利用者向けのものかは微妙なところだが、場所的には後者のような気もする

そして、この駅で重要なのは、扉の向こうですぐにお手洗いを借りられること。大鰐線内では、駅にお手洗いがあるケースが極めて少ない。今日は暑い日なので、そうでもないが、昨年3月の訪問時は、しばしば生理現象に見舞われるような日だった

そのあたりのことは昨年にも真っ先に書いている

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ここから再現しよう…のはずが

こちらが昨年3月10日の訪問時の写真。構内踏切の部分とベンチの部分は除雪してある

除雪の際に固められた雪は

高く壁を覆っていた。ちなみに雪がない今日は

このようになっている

ここでは列車を30分ほど待たなければならない。そんな風に待つのなら、わずか1・1キロの距離で、ほぼ線路沿いにある隣駅の聖愛中高前駅まで歩いた方が賢い。昨年もそうした。道中、2階まで届きそうな雪を見て驚いたものだ

外に出る

ここを真っ直ぐ進むと道なりで聖愛中高前駅に行ける。間違えようのないコースだ

1度歩いているし15分もあれば迷うことなく到着できる。ただ

暑いので歩く気力がなくなった

時間はちょうど正午。相当に暑い。しかも前述した屋内のイスの誘惑がハンパない。当然この部分は涼しい。ということで30分の待機である。すべての駅を訪ねなくてはならないというプレッシャーや義務感はないので、気楽といえば気楽

道路で見た矜持

その分、前回はできなかった周辺の散策を行うことにする。このあたりは学生さんも多い、それなりに大きな街である。聖愛中高前駅とは逆方向の道路にバス停があった。ここにも弘前駅に行けるバスが通っているのだろうと、どのぐらいの本数があるのかチェックしてみよう

すると

バス停の名称はなんと「西弘前駅前」ではないか。これはちょっと感動

先ほど引用した昨年の記事を見ていただければ分かるが、当駅は長らく西弘前駅として地元でも親しまれ、「西弘」という言葉もすっかり定着していた。ところが、駅名が突然変更されたため、地元では困惑する声が多かったという。駅舎と合築のスーパーは西弘店である

バス停の名前が西弘前駅のままだとは知らなかった。西弘前という駅は現駅名に名前を変えて18年にもなるが、停留所はそのままなのだ。初めて来た人は何のことか分からないかもしれないが、「初」の人は少ないのだろう。地元の愛着というか矜持を感じた

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