青堀駅の駅名標

※訪問は2022年12月17日

話題の通勤快速1本のみが東京直通

佐貫町から再び木更津方面へと戻り、青堀で下車。こちらは君津からひとつ南側の駅。内房線は君津から単線区間となる上、東京から、東京への直通列車は君津始終着となるため、利用する側としては急激に本数が減る最初の区間となる

朝の1本のみ上総湊始発で京葉線経由の通勤快速東京行きがあり、青堀を7時10分に出て東京駅の京葉線ホームに8時39分に到着する。こちらは上総湊から内房線区間を各駅に停車し、1時間かけて蘇我までたどり着いた後は、千葉県内は一切停車せず、新木場まで30分間ノンストップという、なかなかユニークな停車パターンの列車だが、昨今のニュースで報道されているようにJR東日本が「やめます」と言っている運行で、将来については不透明である。というか、一度ダイヤ改正として発表したものを撤回するのは聞いたことがないので、おそらく廃止になるのだろう。そもそも私は、今回のニュースが出るまで朝の1本、東京行きがあることは各駅の時刻表で知っていたが、蘇我から新木場までノンストップという停車パターンは知らなかった。しかし快速の有無について県知事や市長が抗議するというのは、あまり聞いたことがなく、さすが大人口を抱える首都圏ならではの話でと感じた。JR東日本もちょっと驚いたのではないだろうか

駅名の由来、町名の由来

話が少しそれたが、君津までのわずか3・7キロで大きく利便性が変わる駅だが、利用者は多い。もちろん人口の多さもあるがイオンモールの存在も頑張りを助けている

マイカー以外の利用者は君津駅からの路線バス利用が多いようだが、20分ぐらいであれば中高生はもちろん徒歩である。私の到着時間はまだ9時20分だったが、土曜日とあって早くもイオンを目指す10代のグループが見られた

そして地図や住居表示を見ると「青堀」の由来もなんとなく想像がつくのである。駅の住所は富津市大堀。1955年に富津町と合併するまで存在した青堀町は旧青木村、旧大堀村を合わせた地名だった。駅の開業は1915年(大正4)。木更津から上総湊まで延伸された際に設置された。後に青堀町となる青堀村の誕生は明治時代。青堀村の駅だから青堀駅となった

現在は富津公園となっている旧陸軍の富津試験場へは戦前、当駅から富津岬に向け専用線が伸びていた

開業時からの駅舎

駅舎は開業当時からのもの。駅を降りるとすぐ国道16号。交通的にも便利な場所にある。駅前ロータリーにはタクシーも停まっていた

訪問時は駅員さんが出迎えてくれた。利用の多い駅ではあるが、みどりの窓口は早々になくなり、その後「もしもし券売機Kaeruくん」が設置された。ちなみに当駅は「もしもし-」が最後まで残った駅(2012年3月撤去)だったという。もう忘れている人も多いかもしれないが、今にして思うとあれは何だったのだろう

年季の入った手入れへの案内文字が残る

この日は週末とあって「新宿さざなみ」との列車交換が行われていた。ちなみに奥に見える跨線橋は駅舎と逆側とを結ぶもので階段以外は何もないが、駅舎のある西口に対し東口と呼ばれている

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