北上駅の駅舎

2022年10月16日14時

「快速」のある北上線

ほっとゆだ駅に戻ってきました

休日に登校した高校生が帰宅するため駅に集まってきました。14時23分発の列車を逃すと前列車と同様、次の上りも下りも3時間運行がないので逃すと大変です

さて横手駅でも掲載した写真ですが

横手駅の北上線列車

方向幕に「快速」とあるのがお分かりかと思いますが、一般的にイメージする快速とは少し違う。北上線は両端の横手と北上を除くと途中に駅が13あるのですが、その中の小松川駅1駅だけを通過するものです

昨年の春までは他に2駅の快速通過駅があり、この2駅は冬季は全列車が通過する駅として、ある意味有名でしたが廃止され、1駅だけを通過する快速が「誕生」したわけです。播但線(兵庫県)の非電化区間である寺前~和田山で長谷駅ひとつだけを通過するためにあった快速と似ている(現在は全駅停車となり快速は消滅)

快速の設定は横手行きの下りで3本、北上行きの上りで1本設定されていて、私は貴重な1本に乗車したわけです。もっとも設定云々より、そもそも北上~横手の全線を走る列車は1日6・5往復しかありません

北上線は大正期に全通した古い路線です。東京から秋田を目指す路線としては福島で東北本線から分岐する奥羽本線がメインルートですが、福島と山形の県境で有名だった4駅連続のスイッチバックがあったように険しい峠越えがあり、重量のある貨物列車には負担の多い路線でした。そこで仙台経由で負担の少ないルートという目的もあって敷設されました。全国で問題となっている、いわゆる赤字ローカル線はトンネルや高架技術の乏しい時代に造られたものが多く、スピードに難点があり高速道路との競争に勝てないものがほとんどですが、北上線は当時にできたものとしては線形が良く、貨物などの長大編成にも重宝され、奥羽本線でトラブルがあった時の迂回ルートとしても重要な役割を担いました。特急の定期列車が走ったこともあります

ところが秋田新幹線設置の際に選ばれたのは戦後に全通した田沢湖線。東京から来た場合、北上線からでは盛岡の手前で分岐してしまうのが難点だったのでしょうが、わざわざ遠回りとスイッチバックをしてまで東京から秋田のルートが設定されてしまったわけで、平成になって駅名を陸中川尻からほっとゆだに変更するなど「ゆだ」を冠する駅名に3駅変更、SLが走ったこともありましたが、SL運行は10年以上行われておらず、貨物輸送もなくなっています(ただしJR貨物の免許は続いていて、いつでも貨物列車が走れる状態)。冬季通過駅や1駅通過の快速が登場することが利用者の数を物語っているともいえます。とても不運な路線です

北上駅は国鉄駅舎

ほっとゆだからは45分で北上に到着

戦後に各地で建てられた国鉄コンクリート駅舎が健在なターミナル駅。黒沢尻駅として明治期に設置されました。黒沢尻は当時の町名で北上市の中心地。花園の高校ラグビーに登場する学校にその名前をよく聞きます。戦後の合併で北上市が誕生した際、現駅名となりました。ちなみに写真で分かるように「きたかみ」です

北上線の列車は主に0番線の切り欠きホームを利用します

お隣の駅の解説付き駅名標

ここから新幹線で東京に向かいます

ユニークなオブジェがあります

当駅からは「はやぶさ」も「やまびこ」も東京に向かいますが自由席のあるやまびこが圧倒的に多い。基本的には1時間に1本、東京行きがあります。座席については以前に説明した通り、B席しか確保できませんでしたが、比較的早い時間でこのような状況だったので夕方以降はもっと凄かったのだと思います

入線時に前3両の自由席が見えましたが、この時点でほぼ満席の様子。盛岡始発で途中駅は新花巻だけでしたが、2駅で座席は埋まったようです

もっとも発車すると私のお隣のC席は東京まで誰も座って来ず、私から見える所ではD、E席が並んで空きっ放しという「多客期あるある」が起きていました。私的にはC席に誰も来ずに良かったわけですが(宇都宮を過ぎた時点でC席に移動しました)、もしもC席の指定券を持ったまま自由席に座った人がいるなら、あまり感心できないことです

これで振り返りは終わりですが3月のファイナルでも利用を予定しています。ただ現時点できっぷは購入したものの現時点で指定席確保はなし(笑)。旅程はほぼ決まっていて宿も確保しましたが、細かい移動が多くなりそうで指定席をいちいち取っていたら、権利がすぐなくなってしまいそう。それでもこの時の教訓から最後の長距離だけは指定を取るべきかな、と思っています

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