蘇原駅の駅名標

訪問は2023年10月20日

ピーク時は有人駅に

上麻生を9時11分に発ち、美濃太田での接続(20分)乗り換えを挟んで蘇原に到着。残るは3駅で時間は10時半前。何度も繰り返しているが、ここまで来ると昼間のこの時間帯でも30分に1本の運行がある

駅舎は簡易的なもので、もちろん無人駅。かつては大きめの木造駅舎があったが、1997年に現在の形となった。無人化はもっと早く、国鉄末期。国鉄からJRへのカウントダウン時に全国で無人化が多数行われた。ただし、派遣という形で駅員さんが滞在する日もある

名鉄の三柿野駅の方が近いが、航空自衛隊岐阜基地でイベントがある日は多くの利用者があるため、臨時駅員が派遣される。元々の蘇原駅はそんな性格の駅でもあった

開業は1942年

高山本線の最初の開業区間は岐阜~各務ヶ原の約13キロで1920年(大正9)で設置された途中駅は長森、那加の2駅だった。その後、1934年(昭和9)に全通開業となったが、蘇原駅の開業は1942年(昭和17)で、当時は戦争のまっただ中

蘇原駅と三柿野駅の間には川崎重工業の岐阜工場があり、航空機が製造されているが、ここは隣接する陸軍飛行場(現在の航空自衛隊岐阜基地)の軍用機、戦闘機を製造していた。戦争が始まると軍需が高まって多くの労働者が必要となったため、駅が設置された

ちなみに名鉄の三柿野駅は「航空廟前」、お隣の六軒駅は「飛行団前」という駅名だったが、戦時体制となった際「情報漏れを防ぐ」という理由で現在の駅名へと変更されている

各務原市は1963年に蘇原町など4町が合併して成立した。元々は蘇原村だったが、各務原飛行場が1917年(大正6)に設置されると軍需で町として発展。蘇原駅が開業したころは、工場で働く人がさらに増え、人口も増加したため、1943年に蘇原町となった

現在の駅舎内はガランとしているが、多くの人が利用したため、戦時中の建設にもかかわらず駅舎は大きかった。飛行場があるため、周辺は空襲の対象となり、名鉄の三柿野駅は駅舎が焼失したが、蘇原駅は戦災を免れて残ったという

ホームは2面3線構造ですれ違いだけでなく待避も可能。側線跡も残る

戦後は岐阜市内はもちろん、名古屋方面へのベッドタウンにもなっている。本数が多い名鉄の三柿野駅には劣るものの、2000人ほどの利用がある。その前の訪問が200人にも満たない上麻生だったこともあって、駅前の自転車の数に圧倒された

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