北海道&東日本パス

北海道&東日本パスの長閑旅ふりかえり~かたくなに「こ」にこだわる駅

※訪問は2025年7月12日

小さな駅に降り立つ

小川原駅にやって来た。ホームの花壇がきれいに整えられている。丁寧に世話をしている方がいるのだろう。どうしてこのようなことを言うのかというと、当駅は小さな簡易駅舎とホームがあるだけで周囲には特に何もない駅だからである

スポンサーリンク

小川原湖は至近だが

線路と並行して駅前には県道が走る。八戸から三沢を経て野辺地へと至る重要道路だが、近くを自動車専用道路の上北自動車道が走るため、運行量はそこそこという感じで、それほど多くはない。もちろん駅ができた時は自動車専用道路はなかったわけだが、周囲は住宅が点在する場所になぜ駅が設置されたかというと、信号場としてスタートしたからである

信号場としての設置は1944年(昭和19)と戦時中。戦時中は、鉄道による物資の輸送が特に求められた時代で、観光路線などは不要不急として休止になったり、駅が休止になった一方、東北本線のような幹線はできる限りの運行量を求められた。信号場の設置も多かった

やがて戦争は終わり、1953年(昭和28)に駅へと昇格する。信号場から9年後のことだった。だから開業は1953年である

もともとは信号場だった駅は全国に数あるが、その後に人でにぎわう重要駅になることはまずない。もともと周辺に何もないから信号場として開設されたのだから、当然のことだ。当駅の2023年度の1日あたりの利用者数は17人。これは青い森鉄道の25駅(青森、八戸をのぞく)の中では24位とブービー賞である

ただこういう駅こそ、見どころは意外と多いものである。県道と逆側にコンクリート式の駅舎がある。もちろん無人駅。建て替えられたのは1970年代だ

無人駅につき、駅舎と逆側の県道からも出入りできる。こちらにも手入れされた花壇がある。ご覧のように跨線橋で上下線を行き来できるが、道路をホームの端まで行けば踏切もある

浜道踏切という徒歩専用の踏切がある。「セニアカーは通行できません」とある。セニアカーという言葉は初めて聞いた。調べるとシニアカーのことだが、最初に開発したスズキが登録商標としてセニアカーと名付けたことでその名が広まったという。鉄オタ活動をしていると、1日の利用が20人にも満たない駅で思わぬ博識になれるのだ

駅名の由来はもちろん…だが少し違う

こちらが駅舎内の待合室。きれいに清掃されている。寒冷地なので、雪かきの装備もある

さて駅名についてだが、これは分かりやすい。小川原湖に基づくものだということは容易に推察できる

地図をたどっていただけると分かるが、小川原湖畔まではすぐ。10分ちょっと歩けばすぐにたどり着ける。ただ、ここで冷静に考えてみると、湖は「おがわらこ」のはず。にもかかわらず駅名は「こがわら」これはどういうことかというと、もともとは「こがわらこ」だった湖の名前が1958年に「おがわらこ」に変更されたからだ。それでも駅名は変更されることなく「こがわら」で現在に至る

湖の名前が変わってから70年近くが経過しても駅名は変わらない。実にかたくなである。ただ推察するにかたくなというより、駅名はそのままでも大勢に影響はないと判断された可能性が高い。小川原湖観光の最寄り駅は両隣の三沢と上北町である。湖には近いが、湖の観光地にはそれほど近いわけではない。だからスルーされたのだろう

駅近くには観光用の周辺案内図があるが、時間とともに実に味わい深いものとなっている。地名と駅名が異なっていた有名例として米原があるが、有名ではないにしろ、このような例に出会えたことがうれしい駅訪問となった

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

JR東海が運営する沿線地域の逸品・名産品などのご当地いいものオンラインショップ

北海道&東日本パスの長閑旅ふりかえり~荘厳な地名にひかれる

※訪問は2025年7月12日

最終日は弘前から青森方面へ

津軽湯の沢駅から弘前に向かって2泊。11日は1日かけて弘南鉄道を味わった

1日のことは昨年すでに記事化している

12日の朝7時すぎに弘前駅へと向かい

「またきて」と見送られ、青森方面へ30分

大釈迦駅で下車した

スポンサーリンク

規模の大きさを感じる駅名

地元の方は慣れているだろうが、関西からやって来て「大釈迦」という名前には驚かされる。先日、山陽本線の曽根駅の木造駅舎がなくなるという話を記事にしたが、当駅の地名は阿弥陀。駅舎に住居表示が張られているので知識がないと驚く人も多いかもしれない。現実にもともとの駅名は阿弥陀だったわけで、今もその駅名が続いていれば、もっと話題になっていたのではないだろうか

そしてこの話の流れで推察できるかもしれないが、大釈迦は地名である。開業は1894年(明治27)と19世紀から当時は大杉村。戦後に浪岡町となり、現在は青森市だが、そもそも大杉村が発足した明治の町村制施行前は大釈迦村だった

近くに梵珠山(ぼんじゅさん)があり、山頂にある釈迦堂が地名の由来とされる。平城京からの遷都を行った桓武天皇が建立したとされるので歴史は長い

そしてその大釈迦駅。ホームから駅舎へと向かうと

「大」が付く我には随分とコンパクトなお出迎え

駅舎内はこれだけ。もちろん無人駅でICリーダーがポツンと設置されている。駅舎はというと

随分とかわいい。そして真新しい。これを見て今はやりの駅舎の簡易型改造が行われたかと思われるかもしれない。確かに2007年(平成19)に建て直されたばかりの駅舎だが、それ以前の駅舎もコンクリートの簡易的なものだった。だから寺院風の屋根となった現在の駅の方が大釈迦の名前にふさわしいかもしれない。ただしそれは国鉄末期に建てられたもので、それ以前の様子は調べても分からなかった

周辺は主に住宅街となっている

重要駅だった時代も

駅は2面3線。島式ホームには、駅舎に合わせた独特の屋根を持つかわいい待合所がある

かつては貨物の扱いもあったようで

今は使用されない側線が残る

さて現在の1日の利用者数は100人程度とみられる当駅だが、かつては重要な駅だった

五所川原と当駅は近いのだ。奥羽本線を経て五所川原に行くには川部での乗り換えとなるが、線路の形状は1度南側の川部に向かってから五所川原に向かうという遠回りとなっている。五所川原に最も近い奥羽本線の駅は大釈迦で、明治期は大釈迦駅から五所川原へと向かう馬車が出ていたという。大正期に入り、現在の五能線が開業したため、移動には列車が使用されるようになったが、それまでは青森へ向かうメインコースだった

地図を眺めないと、このショートカットは意外と思いつかない。とあるテレビの旅番組を見ていると、このショートカットのヒントが紹介され、調べてみると馬車で結ばれていたことが分かった次第。もちろん当時の道路事情に加えて馬車なので、17キロの道のりにどのぐらいの時間を要したのかは不明だが、交通の要衝としての役割を果たしていた時代もあったということを心に留めておきたい

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

北海道&東日本パスの長閑旅ふりかえり~秘湯、秘境…どうしても降りたかった冬季閉鎖駅

※訪問は2025年7月10日

津軽線の訪問から弘前を越え誰も下車しない駅へ

この日は朝から津軽線の訪問を行っていた。今年も含め2回に分けて津軽線の廃止予定駅を巡り、それについてはすでにリポート済みだが、この時はどうしても行きたい駅があり、青森から奥羽本線を弘前へと向かい、弘前駅を通過。降り立ったのは

津軽湯の沢駅である

まずこの時の状況から説明すると到着時間は15時13分。列車内には帰宅の高校生もかなり乗っていて2両編成の列車内は立ち客もいるほどの乗客数だったが、誰1人として降りない。私だけ。それなりに乗客はいるのに降りたのは私1人というシチュエーションは、全国各地で体験しているが、幹線の電化区間では体験数がグンと減る。逆に言うと、オタ的には訪れなければならない駅ということになる

スポンサーリンク

周囲には何も見えず

駅は高台にあり、降りていくと駅舎がある

誰も降りなかった駅は立派な駅舎を備える。駅舎内にもホームにも待合室がある

駅名板は風雪にさらされ、かなり薄くなっている。ベニヤ板が目立つが、これはおそらくお手洗いを塞ぐためのものだろう

そして駅前はこのような感じ

道路が1本続いていくのみ。この道路を通っていくと国道7号に出る

まず駅についての情報はというと、開業は1949年(昭和24)。奥羽本線は1905年と明治38年の全通なので、駅としては新しいものとなる

ただ駅に残る財産票を見ると

昭和45年(1970年)と新しい。ここに当駅の秘密がある。駅舎は建て直されたものではなく移転したものだ

地図を拡大していただくと分かるが、当駅は青森県側から来ると最後の駅で、お隣の陣馬駅は秋田県。つまりは県境越えで、現在の地図では、この間は真っ直ぐに線路が伸びているが、元々は違った。国道7号はいかにも県境らしく、クネクネと峠を越えているが、かつての奥羽本線も国道に沿って敷設されていた。急カーブやトンネルで勾配を越えるもので、運行面の難所でもあった。それを解消すべく陣場~津軽湯の沢の間に新たにトンネルが通された。その際、駅も移転した。国道沿いにあった駅がやって来たのが現在の場所

湯の沢とは、いかにも温泉が近くにありそうだが、実情はやや異なっていた。湯の沢とは旧駅のさらに秋田寄りにある川(沢)の名前で、さらに奥に行くと湯の沢温泉はあったものの、場所はさらに県境の山深い場所。温泉までは現代の感覚では徒歩という距離ではなく、駅の開業時は温泉と川の名前の両方をとって駅名をつけたと思われる

そのような事情から周囲が閑散とした新たな駅も、当初から利用者は少なく間もなく無人化。2018年からは冬季通過駅となった。12月1日から3月31日まではすべての列車が通過するばかりか、現在も一部の普通は通過する

ちょっとした驚き

それでも時刻表を見ると

駅が営業している夏季はそこそこの本数があり、訪問難易度はそれほど高くはない。私は15時13分でやって来て、30分後の15時46分で弘前に戻った

駅の跨線橋にあった数字は最初は何のことかと思ったが、財産票を兼ねたもののようだ

福島からの距離も記されている

ホームの端から見えるものは旧線跡だろうか

ホームの待合室もきれいに清掃されている

そのように30分を過ごしていると、ちょっと驚いたことがあった

ホームから駅舎を眺めていると、徒歩でやって来る人の姿が。当然だが、間もなくホームで一緒になった。どう見ても同業者(鉄道ファン)ではない。同業者の間では、当駅は有力な廃駅候補となっているようだが、利用者がいるんだ、と思うとちょっとうれしくなった

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

北海道&東日本パスの長閑旅ふりかえり~すぐ向こうに海が望める海産物でにぎわった駅

※訪問は2025年7月9日

八戸方面へやや戻る

青森市に入っていた野内駅から八戸方面へ4駅戻って再び青森市を出る。到着したのは清水川駅。ここは津軽郡平内町である。平内町の中心駅である小湊駅については2024年に訪問しており、すでに記事としている

つまりは町の中心部ではない駅となる

スポンサーリンク

目を引く駅名板

こちらが駅舎。戦後に建てられたものとみられる。目を引くのは駅名板で

明らかに国鉄時代からのものが今も残る。木の板に手書き。今は思い出したようにしか見かけなくなってきたが、不意に出会うとうれしくなる。と同時に残してくれたことに感謝である

駅は高台にあり、海が望める

清水川港やその周辺の集落からは、やや離れたところにある。国道4号のさらに向こう側。それが高台から海を望む光景になっている

駅は遅れてできた。この地に鉄路がやって来た明治期に駅は設置されず、1922年(大正11)に清水川信号場ができ、昭和の声を聞いた後の1936年(昭和11)に駅へと昇格した

駅舎内にはJRが三セク転換する際の毎日新聞の連載記事が張られていて(著作権に抵触する可能性があるので写真は掲載できません)、その記事によると今の規模の大きな集落から想像できないが、当地はもともと人の少ない場所だったため、駅がなかなか設置されなかった。そもそも線路は港からやや離れた場所に敷かれている。ただ信号場のころから駅にする気運が盛り上がり、清水川駅は貨物を扱う駅として誕生。ホタテをはじめとする海産物の積み出しでにぎわったという

東京から708キロ

駅はかなり以前に無人化されていて窓口はふさがれている

上下線は跨線橋で結ばれているが、上り線と下り線の間隔が広く、かつてはここにももう1本レールが通っていたことが分かる。待避のための線路

無人駅につき、駅舎の逆側からもホームに出入りすることができるようになっている。防雪林の奥にも集落がある

同じ青森県の弘南鉄道大鰐線の石川駅にあった看板を思い起こさせる子どもへの注意看板がここにもある

そしてホームに残るキロポスト。地面に埋まった形のものだけではなく、高く掲げられているものも含め目立つように2つある。言うまでもなく東京から708キロという距離を今も伝えてくれるもの。青い森鉄道は海に沿って走っているように見えて、実は意外と海が近い場所は少ない。ましてや高台から海を望める駅は、さらに貴重な存在である

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その23(帰宅と旅のまとめ)

花巻空港から伊丹行きに搭乗

※訪問は2024年7月6日

別の経路も模索

花巻空港駅と空港を結ぶ路線バス。前記事で記した通り、盛岡からの空港バスが必ず花巻空港駅に立ち寄るようになったもので、空港までは10分もかからない。料金は320円。花巻空港HPによると花巻空港駅からタクシーに乗車すると1400円がめどらしいので4人旅だったら一人あたりの料金はさほど変わらない。空港バスは発着に合わせて運行されているので、JRとの接続はさほど考慮されているわけではないので空港でゆっくりしたい人ならタクシーもおすすめかもしれない

花巻空港はJRの各駅からさほど遠くはないので、いざバスに乗れなくてもそれほどお金をかけずにタクシーでたどり着ける利便性がある

ちなみに最も近い駅は釜石線で花巻と新花巻の間にある似内(にたない)で

ターミナルビルが移動したおかげで花巻空港駅より空港に近い駅となった。徒歩約30分。ただし無人駅で快速通過駅。花巻駅からだと9時49分発の次は14時40分と5時間ほど運行がない状況だ。もちろんバス路線はない。花巻空港駅で1度降りながら、わざわざ似内駅まで行って歩くと企画を思いついた。15時35分発の飛行機は似内駅を降りて50分後の離陸。道路は複雑そうではなく、おそらく間に合うはずだが、さすがに朝の時点の暑さで中止を決めた。駅から離陸まで2時間ほどあれば決行していたかもしれない…いや、さすがに暑さには勝てなかったと思う。列車には乗ったものの、おじけづいて次の新花巻まで行ってタクシー1800円という世界になっていたと予想する

東京行きの便はなし

花巻空港は「いわて花巻空港」の愛称が付けられている岩手県唯一の空港。開港は1964年(昭和39)。元々は東京便のための空港だったが、1982年に東北新幹線が開業。85年に上野~大宮が開業(それまでは大宮~盛岡の暫定営業だった)すると羽田行きはなくなった。大阪、神戸、札幌、福岡、名古屋と台湾行きの国際便がある

天候、経費は◎、体力、知力は×

花巻空港はこじんまりしていて利用は楽。バスの到着は出発の約40分前で、そのまま保安検査場に向かったが、検査場をくぐると売店がなく土産は買えず。もし今後利用される方がいれば留意してほしい

ということで無事に旅を終えられたわけだが、簡単に振り返りを

まず経費面。早めにタイムセールで航空券を買っていたこともあって

伊丹~羽田 8410円

花巻~伊丹 1万240円

北海道&東日本パス 1万1330円

後は空港まで、空港からのバス、電車代で合わせて3万2000円ほどグリーン利用も新幹線利用もこらえたので6日間の旅としては交通費は安く抑えられた。鉄道運賃については、そもそも盛岡~青森の三セクだけで5590円なので単純往復するだけで、ほぼ元をとれる。多くの駅で途中下車し、例によって戻ってまた進むを何度も行ったので、三セク利用の2日間だけで大幅に回収できている。東京まで戻らず東北から直帰という道程も、どうせ東京から大阪への旅費が発生するのだから、東北での滞在時間を増やせて正解だった

次いでホテルは

東京 9000円

いわき 5700円

北上  5500円

青森  6800円

盛岡  6300円

5泊で3万3300円。初日の東京が鬼門だったが、東京のホテルだけはおそろしく早めに確保して何とか1万円切り。ここからホテルそのものや予約サイト、携帯電話のポイントを使用したため実際は3万円で済んでいる。時期的にも7月1日からと、まだオフシーズンだったことも良かったようだ。同じホテルに1カ月後に泊まるともっと高かったはずだ。ということで経費面は合格(1日の食費も夜のビール代も含め東京以外は5000円以内で抑えている)

オフシーズンといえば、天候的に東北はまだ涼しかったことも幸いした。あまり触れなかったが、最初の5日間は小雨に何度も見舞われ、折りたたみ傘はすぐ取り出せるようにしなければならない状態だったが、トシをとると炎天下よりは全然マシだ。最終日の6日になって東北地方にもようやく本格的な夏到来となったようで、ギリギリ通り抜けたようで幸運だった

ただ問題はここから。目の前に来た列車に乗り、降りたいと思った駅で降り、宿もその日の到達点で適当に決めるという、ある意味会社員時代に憧れていた旅だったが、トシというのはどうも隠しようがない。記事にしたものもあったが、駅での時刻表の見誤りも何度かやらかしている。事前に時刻をチェック。駅に着いたら駅舎に張られている時刻表で再確認しながら上りと下りを間違うとか、トシのせいとしか言いようがない。ホテルを決めた瞬間に疲れが出て、まだまだ明るい夕方の4時にチェックインということもあった

きっぷの特性上や地域性で訪問時期は暑い時か寒い時に限られる。ということは1年後に再びチャレンジ、ということになるのだが、その時まで何とか体力と知力をキープしたいものである

道中かなり省略しながらも23回もかかってしまった旅の報告。長らくお付き合いくださり、ありがとうございました

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その22(古風すぎる空港駅)

花巻空港駅の改札

※訪問は2024年7月6日

最初から決めていた道程

一昨年秋以来出会った釜石駅前の「鉄と魚とラグビーの街」の文字を見て花巻に戻る。滞在はわずか30分ほど

みどりの窓口も設置されている釜石駅だが、列車の本数はわずかにこれだけ。快速を除くと1日に8本の列車しかないため、限られた時間内で途中駅ウロウロというのはなかなか困難。本当は陸中大橋駅ぐらいは行きたかったが、今回はやむを得ない。花巻へと戻る

花巻駅で何か食べるのもありだったが、猛烈に暑くて食欲も出ない。売店でサンドイッチを買って、これが本日の昼食である。旅を始めてから連日のようにテレビで報じられていた東京の暑さが、北の地にもやって来たようで、この日の最高気温は30度を軽く超えるという。今日は帰る日なので、ある意味助かった

まだ時間があるため東北本線をちょっとウロウロして

花巻空港駅に到着。こちらについては5月に航空券を購入した時から決まっていた道程だった。まだ利用したことのない花巻空港へ空港アクセス駅から向かおう

ちょっと違和感の「空港アクセス駅」

花巻のお隣の花巻空港駅

複数パターンの駅名標が出迎えをしてくれる

空港アクセス駅だけあって、なかなか彩り鮮やか

だが駅舎を眺めると

実にクラシックな駅舎のお出迎え。空港アクセス駅というと近代的なコンクリート製を思い浮かべてしまう。近年、鉄道で空港にそのままアクセスが流行りとなったので、その印象がより強いが、こちらは開業時の1932年(昭和7)からの木造駅舎

駅はこの春から無人化され、券売機も撤去。ICリーダーだけが設置されている。戦前に空港駅があったのかも含め、違和感はある

違和感を解くカギは駅前ロータリーの石碑にある

「二枚橋駅開設50周年」とある

その隣には「花巻空港駅開業60周年」の石碑が並んでいる

駅の所在地は「花巻市二枚橋」。石碑で分かる通り、元々は二枚橋という駅だった

改名25年で本当のアクセス駅に

駅前のタクシー会社も二枚橋タクシー

大正期に設置された信号場が昇格した。もちろん当時、花巻空港はない。空港の開港は1964年。駅名にも変化はなかったが、JRとなった1988年に転機が訪れる。空港への近さから空港アクセス駅のような駅名へと改名されたのだ

とはいえ空港までの距離は2キロ。そして路線バスはあることはあったが本数は少なかった。2キロといえば徒歩30分ぐらいだが、空港へ手ぶらで向かう人はあまりいない。スマホで調べることなどできなかった時代。知らずに降りた人はタクシーで向かうしか手段はなかった。さらにその後、空港ターミナルビルが駅から遠い方に移転して距離約4キロとなった

駅舎内の地図には「距離4キロ 徒歩40分」とあるが

なかなか40分ではたどり着かないようだ。空港へは盛岡駅または花巻駅からの路線バスがアクセス手段とされ、単なるタクシー乗り場だった時代が長らく続いた(とはいえ、現行のタクシー料金も花巻空港HPによると花巻駅から1900円、花巻空港駅から1400円とそう大きくは変わらない)

転機が訪れたのは2013年のこと。花巻駅~空港のバス路線が廃止され、代わりに盛岡~空港のバスが当駅を通ることになった。現行の花巻空港への路線バスは当該便と北上駅からの2路線のみ。ただし後者の運行本数は多くはなく、また盛岡駅~空港のバス運賃が1500円なのに対して花巻空港駅~空港は320円と安く利用者の財布にも優しい。改名25年で本当の意味での空港アクセス駅となったのだ

私も多くの乗客とともに空港へ移動。無事、伊丹空港行きの飛行機で帰ることができた

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その21(想定外のJR完乗)

釜石駅の駅名標

※訪問は2024年7月5、6日

温暖差にギブアップ

小鳥谷から1時間で盛岡に戻る

時間はまだ13時20分。もう少しウロウロしてみようかと本数の多い東北本線の駅をまったり回り始める。ちなみに宿は盛岡駅とした。一昨日の経験で北上の宿が安いということは分かっていたが、せっかくの旅なので別の都市に泊まろう、と盛岡に。翌日の朝からIGRいわて銀河鉄道の駅をいくつか回りたかったこともある。ただホテル代は北上とは比べものにならない。小鳥谷から1時間の間に予約サイトをあれこれ見て回った結果、駅から徒歩10分で6000円台の比較的新しいホテルを発見したので予約を入れた

ということで盛岡以南の駅を回り始める。以前も記したが、盛岡~北上は昼間も1時間に2本の運行がある区間で本数も多い。だが

暑い

午後になったのもあるし、現地でサッと雨が降ったこともあるのだろうが、奥中山高原や小鳥谷とは比べものにならない暑さだ。昨年3月、盛岡駅周辺は雪ひとつなかったのに、いわて沼宮内駅のホームに立っている間に、目の前でどんどん雪が積もっていった場面を思い出した。こういう時、予約したホテルが駅前だったら荷物を預け、軽装備で行動できるのだが駅から往復で20分は大きな壁である

ということで15時15分には盛岡駅の改札を出てホテルへ一直線。24時間前の青森駅とは乗客の皆さんの服装が異なる。ホテルは大浴場付きだったので早々に風呂に入ってこの日は終わり。たまたま近くにスーパーがあったので、ビールや酒、食料を買い込んでこの日は終わりとなった

最終日の疲れが快速「はまゆり」に

そして翌日。この日は15時台の飛行機で伊丹空港へと向かう最終日

朝の盛岡駅。本数の多い時間帯を狙って朝の6時前には駅に行こうと考えていたが何のことはない、時刻は7時50分。大幅な寝坊である。ちょっと部屋で飲み過ぎたかもしれない。ホテルの部屋飲みは安上がりで結構だが、安い分、店より大量に飲んでしまうことが欠点

いずれにせよ、旅程は大きく変更である。ちょっと考えたが

昨日行けなかった矢幅駅へ。そしてなぜここで下車したかというと

ここから釜石線直通の快速「はまゆり」に乗車するため。1日3往復のはまゆりは、うち1本が盛岡~花巻を各駅に停車するが、残る2往復は東北本線内は矢幅のみの停車となっている。要は釜石線乗車にかじを切ったのだ

実は昨日の朝、盛岡駅ホームで出発間際のはまゆりと、たまたま出くわした。その時点では乗車予定は一切なく「ふーん、こんな時間に出るのか」としか思わなかったが、18きっぷシーズンでないとすいているのだな、が実感。その学習機能で

楽々と自由席に乗車である。花巻で降りる人もかなりいたので、隣席に誰かが座ってくる可能性もほぼなくなった。新幹線との乗り継ぎ駅である新花巻からの観光客らしき乗客もそれなりにあったが、皆さん指定席。観光地の列車でありがちな「指定席の方が客が多い状態」である

唯一の乗り残し路線

実はこの釜石線、現行のレールがあるJR路線で私が唯一、未乗車だった路線である。「レールがある」としたのは日田彦山線BRTが未乗車だからだ

本来は最後の路線ということで、じっくり乗りたい。途中駅でいくつか降りたりしながら完走、ゴールを味わいたいところだ。だから昨日の時点でも、あまり気にしていなかったのだが、寝坊のおかげで他の選択肢が、あまりなくなった。しかも最終的に花巻空港から飛行機に乗るため、釜石に行くとそのまま折り返さなければならないし、ダイヤ上、途中駅で降りるのも、なかなか難しい

それでも

知恵を絞り出したΩ(オメガ)ループの車窓からの眺めは壮観だった。今からグルリと回り込んで下に見える線路に行くのかと思うとワクワク感はある

そして10時52分、釜石到着。矢幅からは2時間の旅だった。釜石に到着した乗客の皆さんは目にした列車で撮影タイム

三陸鉄道のラッピング列車「三陸元気!GoGo号」

とにもかくにも寝坊のおかげでJR全線完乗ということになりました

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その20(長閑な1時間待ち)

小鳥谷駅の駅名標

※訪問は2024年7月5日

迷った末に

奥中山高原駅から少し八戸方面へと戻る。まだ時計は11時と午前中だ。といっても6時過ぎに青森駅を出ているのですでに6時間が経過しているが

乗車したのは一昨日に乗車した金田一温泉駅行き。つまりは青森県には入らない。今回の旅でひとつ目標にしていたのは、青い森鉄道とIGRいわて銀河鉄道の境界駅である目時駅だった。ギリギリ青森県にある駅で、そのため境界駅となっているが、山中の県境で利用者は少ない無人駅。ただし八戸から南下する列車は以前も記した通り、半数が目時のひとつ手前の三戸止まりで、盛岡から北上する列車にもこのようにひとつ手前の金田一温泉駅止まりがあったりして、私の訪れた時間帯は運行が少ない時間帯となっている。つまりは会社のルール上、境界駅となっているだけで「目時行き」という列車は存在しない。JRの東北本線として存続していれば脚光を浴びることはなかったのかもしれないが、料金表などで必ず登場する駅となった

ただ本数の事情などで今回は断念。ということで

小鳥谷(こずや)駅で降りてみることにした。難読に興味を持ったフラリ下車である

旧村名に基づく

駅舎は木造。財産票を探してみたが見当たらず、築年数は分からなかった。分かっているのは1891年(明治24)開業で奥中山高原駅と同年齢だということ。トタン屋根は手が入っているが、柱の形状などは、かなり歴史を感じるものとなっている

駅名は1957年(昭和32)まで存在した小鳥谷村から。一戸町との合併当時、小鳥谷村は奥中山高原駅(当時は中山駅)、小繋駅の3駅を含む自治体だった。そもそもの話をすると明治の町村制施行の際までは、小鳥谷村、中山村、小繋村と、それぞれ別々の村だった。町村制施行は1889年と鉄道がやって来る直前だったので、駅ができた時はすでに小鳥谷村だったことになる

ここで折り返しの盛岡行き列車を1時間待つことになった。ただいわて沼宮内から北は、昼間は2時間に1本の運行なので、真っ直ぐ進むと、どの駅でも2時間待ちになってしまうので1時間待ちは覚悟の上だ

小鳥谷という地名は室町時代の武将で、その後に当地を支配した小鳥谷氏に基づくとされる。地名として定着したのは江戸時代から

有人駅である。周囲に飲食店はなさそうな感じなので、駅舎と周辺で朝のコンビニおにぎりの残りを食べながら過ごす。涼しい風が通り抜けて快適だ

駅から徒歩10分ほどに国の天然記念物である樹齢数百年とされる藤島のフジがある

こちらは解説文

時間つぶしに最適(?)

なクイズもある。当然そんなつもりはなく設置されたのだろうが、JR東日本の文字が残る。目を凝らすと解答が分かるようになっているのが結果的にミソとなっている

この日は休みだったが、駅舎は物販や休憩所として使用されることもあるようだ

2面3線構造。早朝に当駅始発の県境をまたぐ八戸行きが設定されている。1時間はあっという間に過ぎ、盛岡へと戻ることにする

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その19(誤記?で生まれた駅名)

奥中山高原駅の駅名標

※訪問は2024年7月5日

伝説の駅名物語

奥中山高原駅に到着

当駅は1891年(明治24)の開業と130歳を超える長い歴史を持つ。当時の駅名は中山。日本鉄道という東北本線などを敷いた民間会社だったが、しばらくして国有化され、大正に入り、国鉄内にある同名の駅名を変更する動きが全国で行われた際に、当駅も横浜線の中山駅と区別しようということになった。駅の歴史は岩手県の駅が古いが、国名を入れる対象は古い方となり「陸奥中山」に変更することが決定。ただ書類提出の際に「陸」の文字を入れ忘れてしまったところ、書類そのままが受理されたため「奥中山」という駅名になった伝説が残る

その過程で誰も気付かなかったのか、後から指摘はなかったのか、とツッコミを入れたくなるところだが、とにかく1915年(大正4)以来、ずっと変わらず「奥中山駅」として存在し続けている。「高原」が付いたのは三セク転換から

ただ駅名というのは強さを発揮するもので

奥中山はすっかり地名となっている

学校名や郵便局、店舗も含め奥中山である

東北本線の最高標高

駅舎は昭和に入ってからものとされる。木造駅舎にトタン屋根という北国らしい構えで丘の上に建つ形となっている

当駅にはもうひとつの顔があり、標高427メートルと旧東北本線では最も高い場所にあった駅だった。駅の北側で十三本木峠という最も高い地点に到達。旧東北本線と並行する国道4号の最高標高でもあり、古くから交通の難所だった。後に建設された東北自動車道はこの峠を避けて建設されたほどだ

そのためSL時代は峠を越えるため、最大で3両もの機関車が連結されていた

SLの運行があった1960年代までは鉄道写真のメッカとして知られていて駅舎内には当時の写真が飾られている。ちなみに国鉄ではこの峠を奥中山峠と呼んでいた

ワンちゃん駅長

その写真と並び、かつての名誉駅長の写真も飾られている。近年、当駅を有名にしたのはこちらである

当駅の駅員さんが飼っていたことで幼いころからともに「出勤」。利用客のアイドルになり、やがて名誉駅長となりニュースでも取り上げられた。ついこの間のことだと思っていたが、天国に旅立ったのは2009年。もうそんなになるのか、と思う

有人駅で1日の利用者は287人。十三本木峠の最高地点の手前ということで大きめの集落があり、前後の駅に比べると利用者はかなり多い

構造は2面3線。現在は柵に遮られているが、長大列車の待避もあった名残でホーム有効長は長い。中間線も設けられていたようだ。山中の駅だけあって「奥中山」と言われても違和感は感じない。間違いが「陸中山」だったら、さすがに気付いたか。滞在中に少し雨が降ったこともあってか、東北本線最高地点の駅は涼しく、寒いとまではいかなかったが汗もかかない良い季候だった

もう少し沿線の駅を巡ってみることにする

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その18(意地の列車乗り継ぎ)

八戸駅の駅名標

※訪問は2024年7月5日

ここまで来れば…

昨日以来の八戸駅に到着。青いラインが青い森鉄道、緑のラインがJR東日本の八戸線。私の好きなタイプのJR東日本で見られる分かりやすい駅名標

小湊から八戸までは約1時間。ここで大きな決断を迫られる。この電車は9時26分に八戸へ到着し、9時30分発の盛岡行きに接続する。お手洗いの時間も危ない(列車内にお手洗いはある)絶妙すぎる乗り継ぎ時間だが、その次の盛岡行きは、なんと4時間後の13時35分。八戸以南の列車の半数は青森県内で完結する三戸行きで県境そして会社を越える運行は少ない。朝の通勤通学帯を過ぎると、お昼休みに入ってしまうのはローカル線の特徴だが4時間空きは辛い。八戸~青森の青い森鉄道は1時間に1本あるので、この時間帯を利用して青い森鉄道の各駅を巡りつつ、4時間を待つあるいは八戸で宿泊する作戦もあるが、今日も明日も好天とはいえ、今日は最終宿泊日。明日は花巻空港からの飛行機を確保しているので、鉄道と天候だけは何があるか分からないというのが、鉄オタ生活で得た、ある意味唯一の教訓である。日本の鉄道会社というのは、まず新幹線だけは何とか頑張って走らせようとして(その分、施設の備えは万全だ)、次が特急がバンバン走る在来線、その次が利用者の多い在来線ときて、すぐに止まってしまうのがローカル線である。特に戦前からの路盤をそのまま利用しているローカル路線はもろい。その意味では旧東北本線の三セクは、路盤的には力強いものを持っているはずだが、とにかく今夜は盛岡までは到達しておくことが無難だろう

ということで車内の1時間で相当悩む。ひとつ簡単な解決策があって、それは八戸から二戸まで1区間、新幹線に乗車することだ。ここは1時間に1本の運行がある。何なら青い森鉄道を満喫して夜の新幹線で盛岡までダイレクトに向かうという最終手段もある。旅の初日や2日目なら2000円~3000円を課金して、1区間の新幹線乗車を選択をしただろう(結局乗らなかったので詳しい料金は分かりません)。北海道&東日本パスでしかできない三セク内乗り放題の特権を使えば、料金的にかなり元はとれる。ただもう旅の最終盤。品川からグリーン課金もせず、トコトコ多くの列車に乗ってきたのだ。ここは意地でも別料金の課金はなく終わりたい

目指すは岩手県内の駅

ということで9時30分の盛岡行きに乗車

ということで盛岡行きのホームへと急ぐ。右側のラッピング列車が乗車するIGRいわて銀河鉄道。左側が八戸線の久慈行き。ここで初めて知ったのだが、久慈行きは9時29分発で乗車列車は八戸線にも接続していた。ちなみに右側で見切れてしまっているが、これは9時33分発の大湊線直通の快速「しもきた」である。来た方向を戻る列車にはなるが、どれも魅力的ではある

しかし、ここは真っ直ぐ南下である。岩手県内にもうひとつ、どうしても行きたい駅があるので、そこを目指す。ちょうど1時間かけて

お目当ての駅である奥中山高原駅に到着した

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります