2026年の北海道&東日本パス旅~週末は鉄道ミュージアムに

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※訪問は2026年7月14日

跨線橋の階段は写真館

向山駅に到着。三沢、下田という路線内では主要駅にあたる両駅の間にある。行政的には下田駅と同じおいらせ町に所在する

列車を降りて駅舎に向かうと

跨線橋には鉄道写真が並べられている。これが当駅をよく表す姿である

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もともとは信号場

向山駅は1922年(大正11)に信号場としてスタートした。信号場の名前は「木ノ下」。駅に昇格したのは14年後の1936年(昭和11)。信号場の名前が駅名になるのではなく、現在の向山と名付けられた

向山は全国で見られる地名で、開墾作業を山に向かって進めていったことに基づく。おいらせ町は平成の大合併で下田町と百石町が合併して生まれた。下田駅と同様、当駅は下田町に所在していた

跨線橋を渡ると、そこには機関車のようなものが置かれていた

正面に回ると、車両知識に乏しい私でも、弁慶号であることが分かる

例によって駅の下調べをせず、ふらりと下車するスタイルだが、跨線橋の写真そして弁慶号と、順番に目にすると「これは?」と思わずにはいられない

そして見た「向山駅 ミュージアム」の文字に納得。駅が鉄道ミュージアムとは驚きである

日曜日の開館

まずは駅舎の姿から

いかにも、という国鉄コンクリート駅舎である。青い森鉄道には今も数多く残っているが、おそらく1960年代から70年代にかけてのものだろう。黄色く塗装されているが、それは近年のもの

当駅は国鉄時代、早々に無人化されているが、その駅舎に入館しているのが鉄道ミュージアムである。2011年に開館した

営業日は基本的に週末ということで、平日の訪問となった私は入れなかったが、青森県観光情報サイトによると、開館日は毎週日曜日で、開館の時間は10時から16時、国鉄時代に向山駅で使用されていた金庫や信号旗、硬券入れなどが展示されているという

なぜ駅にこのような鉄道遺品が残されているかというと、元は信号場で周囲には特に何もなかった向山駅だが、近くにフジ製糖青森工場ができたことで工場と結ぶ専用線ができ、貨物輸送でにぎわったからだ。ただし1960年代終わりごろに工場は閉鎖され、専用線も役割を終えている

ミュージアムに携わる向山駅愛好会のブログによると、弁慶号はイオンモール下田に展示されていたもので、2013年にミュージアムに寄進されたものだという

こちらがミュージアムの入口

ホーローの縦駅名標が出迎えてくれる

手作りの駅名板にもあひとつのホーローも

こちらは駅舎内の様子。寄進された本が並んでいる

貨物輸送のなごりでもある側線には保線車が並んでいた。その向こうには防雪林が見える

信号場が駅へと昇格し、貨物で栄え、無人化されてから三セク移管、そして鉄道ミュージアムと、密度の濃い100年を過ごしてきた駅である

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