※訪問は2026年7月14日
ビッシリの住宅街の合間に置かれた駅

鮫駅方面にひとつ戻って白銀駅に到着。写真で分かるように棒状ホームのみの駅

列車が去った後の姿を見ると分かりやすい。ホームの向かい側まで住宅でビッシリだ
昭和初期からの駅
小さいホームには待合所そして

厳重にガードされた自動券売機があるのみ。JR東日本の駅に来てJR西日本との違いを感じるのは券売機の扱いで、小さめの駅に設置してある券売機については、JR東日本の駅は仮に駅員さんがいる時間帯がある駅でも、夕方から早朝までの無人時間帯はシャッターが下ろされてしまうことが多い。券売機荒らしの対策だろうが、JR西日本の駅はそのままとなっていることがほとんどのように感じる。1万円札が使えるかどうかで券売機に入るお金の量も異なるのだろうが、ここまで厳重なものはJR西日本では、あまり見かけない

駅を出てふりむくと、すぐにスロープで自動車侵入防止の車止めがある
そして短い坂を昇ると

道路があって、小さく白銀駅の案内板がある。左下に見えるのが駅。知らずに道路を行くとこの案内板がなければ素通りしそうだ。そしてホームがある側もビッシリ住宅街である
白銀駅は1934年(昭和9)の開業。八戸線は明治期に八戸(当時は尻内)~本八戸(当時は八戸)が開業してスタート。大正期に種市までが開業、昭和に入った1930年に久慈までが全通した。だから路線内では後から設置された駅ということになる。駅の構造上、過去に貨物に使用されたことはない
戦時中の1944年には不要不急駅として休止されている。復活したのは、戦後7年が経過した1952年のことだ。住宅街にあるため、1日の利用者は1500人ほどある。券売機が設置されているのもそのためだろう
千戸以上が焼失する大火
白銀という地名は江戸時代からのもので、「白金」と表記されたこともあった。白銀浜があり、明治時代は寒村の風情だったという。現在の住宅街からは想像もできない。駅が設置されたことで宅地化が進んだが、1961年に一帯は大火事に見舞われる。放火に起因するものだったが、折からの強風で火の手はあっという間に広がり、千戸以上が焼失した。「白銀大火」と名付けられた戦後最大級の火事となった。その後の復興事業で街づくりが進んだものが現在の姿になっているという

近くの踏切から駅の全景を眺めて八戸線と別れを告げる
三沢駅で待望の味に出会う

八戸駅へと戻り、青い森鉄道の旅を再開

三沢駅で下車。昨年、一昨年も下車した三沢駅だが、今回だけは明確に目的があった

三沢駅の駅ビルに入る「とうてつ駅そば」である
とうてつとは十和田観光電鉄のこと。三沢駅と十和田市駅を結んでいた路線で、2012年に廃線となったが、会社はバス会社として残っている。私の青い森鉄道の駅紹介でもたびたび登場している
十和田観光電鉄が運行していた旧三沢駅時代から半世紀にわたって親しまれてきた駅そばを復活させたのが当店。昨年も一昨年も当然ここを通ったが、お腹がいっぱいだったり移動の時間があったりで食べられなかった。つまりは3年目の悲願である。ここは当初から計画にあった。陸奥湊駅の朝市を逃したことをかなり後悔したが、仮に朝市に行っていても「そばぐらいなら」と食べていただろう

スペシャルそばをいただいて大変満足。次の駅へと向かおう
