青い森鉄道

北海道&東日本パスの長閑旅ふりかえり~駅舎解体の全国ニュースで40年前の朝ドラが蘇った駅

※訪問は2025年7月9日

何も考えずにふらり下車

剣吉駅から1駅岩手県方面へと戻り、諏訪ノ平駅で下車。少し見にくいかもしれないが、2面3線だったホームの中線がはぎとられている。カーブの途中に駅がある構造だ

それゆえ、岩手県方面への電車は駅舎から離れたホーム、旧3番線に到着する。現在は2番線。中線が撤去されているのは前記事で紹介した剣吉駅も同じだ。貨物列車は今も走るが、優等列車の運行がなくなった今、列車の待避の必要性は薄れている。これは三セクに限らず、新幹線の運行で優等列車がなくなった各地の本線も同じである

ホーム有効長は長いが、一部はほとんど草むらとなっている。そしてホーム側から見た駅舎。今は無人駅だが、屋根の煙突がいい味を出している。実は数年前まで駅舎内の待合室ではストーブが稼働していたという。とにかく時刻表を見ながら、フラリ降りてみた。いつものことだが、駅についての予備知識はぼ入れていない。駅を眺めつつ。列車を待ちながら学習するつもりだ

スポンサーリンク

訪問後に流れたニュース

時系列が混同するが、私の訪問からしばらくして駅舎解体のニュースが流れた。現在、古い駅舎の解体それほど珍しいことではない。だから、かつてよほど話題となった駅舎でない限り、廃線にでもならない限り、あくまでローカルニュースで終わってしまうことが多い。ただし当駅については全国ニュースとして取り扱われた。つまり「よほど話題になった駅」なのだ

こちらが駅舎。木造モルタルの造りで1933年(昭和8)の開業。両隣の三戸、剣吉が明治期開業だったことを思うと、30年以上後に設置された。三セクの駅というのはJRの駅に比べると、古い駅舎がそのまま残されることが多い。こちらの駅舎は開業時からのもの。残念なことだが、柱の部分を見ると、かなり老朽化していることが分かる。老朽化だけでなくシロアリ被害もあるそうで、このまま放置すると駅舎そのものが危なかったという

そして駅舎解体のニュースが全国ニュースになった理由も、さすがに私は分かっていた

こり諏訪ノ平という地は、黒柳徹子さんが戦時中に疎開していた場所として知られていたのだ。なぜ知られるようになったかというと、黒柳さんの母を主人公としてNHKの朝ドラ「チョッちゃん」で、疎開の場面が描かれたからだ

1987年のドラマなので、若い方は知らないかもしれないが、すでに社会人になっていた私はよく分かっている。当時の朝ドラというのは、お茶の間の娯楽=テレビだった時代、今よりはるかに社会現象だった

駅舎解体の事案が進行していることも分かっていない私は、駅舎内で駅について調べ「疎開の地だったんだ」と感心していた。シャッターの降りた場所にはかつて売店があったのだろうか

こちらは事務室の入口。もちろん無人駅なので閉鎖されている。「有言実行」はいつからのものだろう

かつての写真が掲げられていた。服装から推察すると戦時中のものか

印象深いホーローの注意案内

青い森鉄道の駅舎には、JRから三セクに移行する際の毎日新聞の連載記事が張られている。著作権に触れる可能性があるので掲載は自粛するが、当駅は南部りんごを貨物として扱っていて、三戸駅に次ぐ発送量を誇っていた。また最大の干し菊の産地でもあるという

今年7月にも青い森鉄道に乗車し、簡易的になった駅舎を車内かに眺めた。下車する時間はなかった

ホーローの注意書き。かなり古いもののようで、鉄オタ的には価値のあるものだが、今も残されているのかどうかは分からない

こちらはもう見ることのできないかつての駅舎の全景。こうして見ると大きなもので、よくぞ事務室部分が最後まで残ったと思う。ふらり降りたからこそ、黒柳徹子さんと駅の歴史を知ることができた。そして何より、駅舎そのものに間に合った。偶然に感謝しよう

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

北海道&東日本パスの長閑旅ふりかえり~駅前通りと広告そして駅舎内の写真

※訪問は2025年7月9日

規模の大きな駅

剣吉駅に到着。青森県に入って最初の駅となる目時駅(帳簿上はIGRいわて銀河鉄道の終着駅で青い森鉄道の起点駅となる)から3駅目。青い森鉄道は国鉄時代の名残で八戸駅で運行が分断されていて、目時~八戸と八戸~青森が別路線のようになっているが、剣吉は前者に含まれている。この区間で最も規模が大きな駅は三戸駅で、かつての特急停車駅だが、その次に規模の大きな駅で、1日あたりの乗降者数は三戸の334人に対し、剣吉は236人(2022年度)とこの区間では2位の数字となっている。かつては優等列車の停車もあった

スポンサーリンク

無人駅ながら立派なお出迎え

かつては2面3線構造だったようだが、真ん中の線がはがされて2面構造となっている。貨物の取り扱いもあった。ホームに降りたって駅舎を眺めただけで規模が分かる

かつてというより、ついこの間まで名川町(ながわまち)唯一の駅だった。鉄道がこの地にやつて来たのは1897年(明治30)と、19世紀からの歴史を有する古い駅。そのころは名川町もまだなく北川村。北川村は剣吉村など複数の村が集まってできた自治体で、駅名はそこから採用された。北川村が戦後、名久井村合併して名川町となり、2006年から南部町。剣吉とはアイヌ語で、榛(はん)の木のある場所という意味。かつては湿地帯でハンノキ林だったのかもしれない

駅もまで有人駅で

駅舎に入ろうとすると立派なお出迎えがある。無人駅とは思えない

駅前で見た風景と駅舎内の風景

駅舎は昭和30年代から40年代にかけての国鉄コンクリート駅舎だ

駅の近くには商店街がある

駅前の商店にあるホーロー広告。かつては全国にあったおなじみの光景だが、今は急速に数を減らしている。いつからのものだろうか

駅舎に入ると

窓口と荷物受付があったと思われる場所は塞がれていて自動券売機が置かれているが、駅舎内はきれいに清掃されている

設置はそれほど古くはないようだが、駅舎内に立派なお手洗いがあるのが特徴。そしてその上を見ていただくと、地元の方々の撮った写真が並び

そこには貴重な写真が飾られていた。昭和19年というと、まさに戦時中の写真だ

駅前のバス停を見ると、南部町の中心である三戸駅へと向かう路線が多いようで、1時間に1本ほどの本数も確保されている

もう一度駅へと戻る。こうして見ると構内は広い。駅舎も含め、かつてのにぎわいが大いに感じられる

↓2つクリックしていただけると励みになります

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その18(意地の列車乗り継ぎ)

八戸駅の駅名標

※訪問は2024年7月5日

ここまで来れば…

昨日以来の八戸駅に到着。青いラインが青い森鉄道、緑のラインがJR東日本の八戸線。私の好きなタイプのJR東日本で見られる分かりやすい駅名標

小湊から八戸までは約1時間。ここで大きな決断を迫られる。この電車は9時26分に八戸へ到着し、9時30分発の盛岡行きに接続する。お手洗いの時間も危ない(列車内にお手洗いはある)絶妙すぎる乗り継ぎ時間だが、その次の盛岡行きは、なんと4時間後の13時35分。八戸以南の列車の半数は青森県内で完結する三戸行きで県境そして会社を越える運行は少ない。朝の通勤通学帯を過ぎると、お昼休みに入ってしまうのはローカル線の特徴だが4時間空きは辛い。八戸~青森の青い森鉄道は1時間に1本あるので、この時間帯を利用して青い森鉄道の各駅を巡りつつ、4時間を待つあるいは八戸で宿泊する作戦もあるが、今日も明日も好天とはいえ、今日は最終宿泊日。明日は花巻空港からの飛行機を確保しているので、鉄道と天候だけは何があるか分からないというのが、鉄オタ生活で得た、ある意味唯一の教訓である。日本の鉄道会社というのは、まず新幹線だけは何とか頑張って走らせようとして(その分、施設の備えは万全だ)、次が特急がバンバン走る在来線、その次が利用者の多い在来線ときて、すぐに止まってしまうのがローカル線である。特に戦前からの路盤をそのまま利用しているローカル路線はもろい。その意味では旧東北本線の三セクは、路盤的には力強いものを持っているはずだが、とにかく今夜は盛岡までは到達しておくことが無難だろう

ということで車内の1時間で相当悩む。ひとつ簡単な解決策があって、それは八戸から二戸まで1区間、新幹線に乗車することだ。ここは1時間に1本の運行がある。何なら青い森鉄道を満喫して夜の新幹線で盛岡までダイレクトに向かうという最終手段もある。旅の初日や2日目なら2000円~3000円を課金して、1区間の新幹線乗車を選択をしただろう(結局乗らなかったので詳しい料金は分かりません)。北海道&東日本パスでしかできない三セク内乗り放題の特権を使えば、料金的にかなり元はとれる。ただもう旅の最終盤。品川からグリーン課金もせず、トコトコ多くの列車に乗ってきたのだ。ここは意地でも別料金の課金はなく終わりたい

目指すは岩手県内の駅

ということで9時30分の盛岡行きに乗車

ということで盛岡行きのホームへと急ぐ。右側のラッピング列車が乗車するIGRいわて銀河鉄道。左側が八戸線の久慈行き。ここで初めて知ったのだが、久慈行きは9時29分発で乗車列車は八戸線にも接続していた。ちなみに右側で見切れてしまっているが、これは9時33分発の大湊線直通の快速「しもきた」である。来た方向を戻る列車にはなるが、どれも魅力的ではある

しかし、ここは真っ直ぐ南下である。岩手県内にもうひとつ、どうしても行きたい駅があるので、そこを目指す。ちょうど1時間かけて

お目当ての駅である奥中山高原駅に到着した

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その17(夏泊半島って?)

小湊駅の駅名標

※訪問は2024年7月5日

浅虫温泉駅で絶句

6時13分の青森発電車で再び八戸を目指す。きっぷは青森から先のJR区間もいくらでも行ける(もちろん普通のみ)ことになっていて、先へ先へと向かうことが、旅らしいが、今回は三セクも乗り放題というきっぷの特性を生かす旅となっているので、このまま岩手県へと折り返す

貨物駅でもある雄大な東青森駅や

筒井駅で降りたりしながら

浅虫温泉で下車。ただ工事をしているようで、何やらイヤな予感

国鉄時代から優等列車も多く停車していた温泉最寄りの駅。国鉄末期に浅虫駅から現駅名に改称された。三セク移管後も有人駅。こう見ると駅舎内に変化はないようだが、外に出ると

「お~い!」

これは参った。西岩国駅に2度行ったら、2度とも工事中だったことを思い出す(この記事を書いている時点では工事は終わっているもよう)。これは正直参った

ただ降りてしまったものはしょうがない。ここではある程度時間を設けていた

駅前の足湯に腰掛け(このころの青森は朝はそれほど暑くはなかった)

青森駅近くのコンビニで買ったおにぎりで朝食である。この後、昼食にありつけない可能性もあったので、ひとつは残すことにした

「小湊駅」はこちらが元祖

さらに先に進んで小湊駅で下車。駅舎は昭和30~40年代の国鉄型コンクリートだが、開業は1891年(明治24)と古い。小湊といえば、千葉県の房総半島を走る小湊鉄道を思い浮かべる方が多いだろう。その小湊鉄道が目指したのが外房線の安房小湊駅で結局は未成線に終わって会社名だけが残ったのは有名な話である

ただし安房小湊駅の開業は1928年(昭和3)と青森県の小湊駅よりずっと後。「安房」と国名が入ることになった

平内町(ひらないまち)の中心駅で、かつては優等列車の停車もあった。現在も有人駅。ストーブが「常設」状態となっている

相当悩んだ

そして平内町といえば

夏泊(なつどまり)半島である。青森県で半島といえば津軽半島と下北半島だが、もうひとつの半島といえば陸奥湾を東西に分ける夏泊半島

地図を見ると、陸奥湾の中に飛び出た格好となっていて気になる存在だが、巨大な津軽半島や下北半島と比べると知らない人も多いかもしれず、私も訪れたことはない。ただ今回の旅を決めた時から何とか行けないものかと下調べはそれなりにした

夏泊半島の最大のウリは北端のさらにその先にある大島で、半島とは橋でつながっていて徒歩で渡ることができる。小湊駅からはバスが1日に5・5往復あるが、それだと半島を楽しむというより、大島まで行って帰るだけになってしまう。レンタカーが必要なようで、残念ながら断念となった

かつての規模を物語るように構内は広い

雪国らしい案内板を眺めて離れることにするが、この後、分岐点が訪れることになる

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その16(普通のみで青森到着)

青森駅の駅舎

※訪問は2024年7月4、5日

それなりに感慨が

三沢から青い森鉄道に再び乗車

1時間15分ほどで青森に到着。時間は16時20分。途中から下校の高校生が乗車してきて車内は満員となった。7月4日の時点でテレビのニュースでは首都圏の猛暑を連日伝えていたが、写真で分かる通り、このころの東北は、朝と夜はまだ涼しく長袖姿も見られた

ウロウロしながらではあるが、とにもかくにも2日の朝に品川駅を発って以来、普通のみでここまでやって来た感慨はある。旧東北本線は三セク転換以前も完乗したことがない。もちろん新幹線は何度も利用しているが、東北本線の在来線となると、虫食いのようにどこかが残った状態だった。すでに国鉄でもJRでもなくなっているが、トコトコと走ってきたなぁ、という思いはある

宿は青森駅から徒歩で10分弱のホテルを確保。ちょっと古めのホテルだったが、コンビニも近いし何より近くに480円で利用できる温泉があったのが良かった

風呂の後はビールで癒やされ

無料の夜食カレーをいただく

菓子パン1個サービスというのも良かった。これで6800円

少し前にもこのような記事を投稿したが、チェーンでもない古めのホテルは、付加的なサービスが充実しているところが多い。カレーの無料夜食は何度か出会ったことがある。お酒を飲まない人にとっては特にうれしいサービスだし、私のようにかなり飲む人間でも外での食事代を減らすことができる

あらためて変貌した駅ビルを感じる

そして翌朝は

例によって朝の5時台にはチェックアウト。古めのホテルのメリットについてここまで触れたが、デメリットしては、鉄オタの必需行動でもある早朝チェックアウトへの対応が難しい宿も存在することがある

最近のホテルチェーンは朝のチェックアウトの手続きが事実上不要となっている所も多いが、古いホテルでは早朝に宿を発つ可能性がある場合は、前日のうちに何時からフロントに人がいるかを確認しておくことが必須事項。大概の場合は無人のフロントにカギを置いておくことで解決するが、一言声をかけておくのがマナーというものだろう

早朝の青森駅。2021年に新しい駅舎となってから青森駅で降りたのは初めて。昨日は駅ビルを見上げただけで宿への歩を進めたが、変わったなぁ、と思わざるを得ない

「あおもり駅」のひらがなが印象的だった旧駅に私が最後に来たのは2013年8月のこと。この写真は自分のフォルダからすぐに出てきた。なぜかというと高校野球の決勝の日だったから。前橋育英が優勝したが、駅の向かいにあったビルに入っていた渋めの喫茶店で飛行機の時間が来る途中まで試合を見ていた

この時は函館から特急に乗り、今はなき津軽今別駅で下車して津軽二股駅で乗り換えるという旅程をわざわざ行って青森入りした

その前は江差駅、渡島大野駅(現函館北斗駅)も訪問。いずれも近いうちに消滅することが分かっている駅ばかりだったが、11年という歳月を感じる

昨日は気付かなかったが、改札は「えっ、これだけ?」と思ってしまった。新幹線の駅はお隣の新青森に譲っていて、これだの規模で十分なのだろう。青函連絡船時代の面影はすでにない

6時過ぎの電車で再び八戸方面へ向けて折り返しである

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その15(初めての三沢駅)

三沢駅の駅名標

※訪問は2024年7月4日

三沢といえば

八戸を出た後は

以前から気になっていた乙供駅で1度下車

「おっとも」と読む。諸説あるそうだが、アイヌ語で「激しい戦闘のあった場所」を意味する「オトム」が語源という説もあるそうだ

初の三沢駅

そして三沢駅まで戻って下車。JR時代も含め何度も通りがかったが、降りるのは初めてだ

ちょうど今は高校野球の季節だが、私が物心ついて初めて見たというか、最も古い記憶にある野球の試合といえば、1969年(昭和44)の松山商×三沢高校の決勝戦。今では2度とない延長18回のスコアレスドローの再試合である(翌日の決勝は4-2で松山商が勝利)。もちろん三沢という地名も初めて知った。それから25年以上も経って、担当として甲子園で松山商の優勝を見届けることになるなど想像できるはずもない

三沢を初めて訪れたのは随分と時が経って2012年4月のこと。東京に住んでいるころで、その時は下北駅でレンタカーを借り、海沿いにまだ一部雪が残る下北半島をグルリと回った

大間崎に行き、下風呂温泉で宿泊

未成線となった大間線の遺構などを見ながら

尻屋崎へ。GWの直前でとにかく誰もいなかったことを覚えている。そのまま南下して三沢市内まで行ったが、帰りはこういうタイミングでしか利用する機会がないだろうと三沢空港から飛行機で帰ったので駅を降りるのは初めてとなった

開業時は古間木駅

三沢駅は1894年(明治27)の開業。19世紀の誕生で今年130歳を迎えたが、開業時の駅名は地名の古間木。三沢の町は少し離れている上、駅の所在地は当時の三沢村ではなかった。三沢市の成立は戦後の1958年(昭和33)。それより先の1948年に六戸村(現六戸町)にあった駅の所在地が三沢市の前身である大三沢町に移管されていた。駅も三沢市に所在することになったことを受け、1961年に三沢駅へと改名された。駅の歴史の長さもあって、まだ古間木駅としての歴史の方が長い

かつては在日米軍への貨物専用線が当駅から出ていて、今も地図を見ると途中まで線路は残っているようだ

現在の駅舎は2020年からのもの「駅前交流プラザみ~くる」となっていて(正確には駅舎に隣接)観光案内所のほか、隣接していた十和田観光電鉄(2012年に廃線)の駅舎内に入ったいた駅そばが入店している

東北本線時代は特急停車駅だった。現在も有人で管理駅

改札口を出た場所の案内は三沢ならではのもの。私が到着した14時半には大きなバッグを手にした乗客が多く降車したが、おそらく星野リゾートを目指す人々だったと思われる

ホームの地図には今も十和田観光電鉄が掲載されたままだが、これはあえて残されているのだろう

さて肝心の宿の方だが、価格はすでに調べてあって十分満足のいくものだったが、駅前にはほぼ何もないと言ってよく、ホテルは2~3キロ離れた町の中心部に行くしかない。事前に駅と街が離れていることは分かっていたが、駅に張られていたバスの時刻表を見ると、私のように早朝の電車に乗って去るタイプには、なかなか使いこなすのが難しいようだ

ということで青森まで向かうことに

こんなきっぷがあるんだ、としげしげ眺める。本州から北海道への船旅というものを私はしたことがない。次はこんなきっぷを利用して旅をしたいと思った

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その14(青森で宿確保に苦戦)

八戸駅の駅名標

※訪問は2024年7月4日

主役の座を譲った駅

県境を越える列車の空白があるため、金田一温泉から一戸へいったん戻る。規模の大きな駅は東北本線時代は交通の要衝の座にあった

特急の停車駅で機関区も設けられた。SL時代は給水のため、列車が必ず一休みする場所でもあった。東北新幹線の八戸延伸の際に東北本線は三セクかされたが、新幹線駅がお隣の二戸となったことで鉄道駅としての地域の顔は二戸に譲ることになった

大きな構内と今は使われない長大ホームが往時を伝える

そして岩手県とはいったんお別れ、次の列車でいよいよ青森県へと入る

大湊線には18きっぷの特例あり

八戸へと到着。すでに青い森鉄道に入っている。青い森鉄道は青森県最初の駅となる目時から青森までの旧東北本線を引き継いだ路線だが、運行は必ず八戸で分断される。これはJR時代からの運行の形式で三セク転換されても、パターンは踏襲されている。そして八戸駅の乗り継ぎがあまりにも絶妙で、わずか5分。しかも次の列車は1時間後。ちょっと悩みながらも先へと向かう列車へと乗り換えた

悩みというのは、この時間になっても宿のメドも立っていないこと。最終的には青森までは必ず行くことにしているのだが、できれば途中のどこかで宿を確保したい。青森で宿泊すると夕方以降に到着して飲んで、翌朝早い時間に宿を出て終わりという行動になってしまうので、できればお昼の時間帯に到着して駅周辺を味わってからUターンというのが旅程的には好ましい。しかも、おそらくだが、県庁所在地の宿は高いのである

となると、都市は限られていて、最初の候補はここ八戸。以前も紹介したが、八戸の中心地は八戸駅ではなく本八戸でホテルの数も圧倒的

こちらは八戸から2駅。予約サイトを見ると、本八戸まで行けば安価に泊まれる。ただ本八戸駅の場所は繁華街から徒歩10分ほどの場所にあり、ちょっと遠い。八戸駅行きのバスは繁華街の真ん中を通るが、せっかく乗り放題のパスを持っているのにバス代を払うのはしゃくだ。そもそも朝が早いことは確定しているのだから、2駅分で行動を制限されるのはあまり好ましくない

ということで夜はチェーン店居酒屋が中心とはなるが、別に八戸駅近くにも問題ないだろう。複数のホテルチェーンが進出しているし、久しぶりに八食センターにでも行ってみようか、などと考えていたが、ちょっと今回の旅の基準からはかけ離れた高さだ(初日の東京は別として7000円を上限に考えていた)

ということで沿線の次の候補地として考えていた三沢に向かうことにする

ここで少し話はそれるが、八戸からは青い森鉄道の線路を使用するJRの大湊線が出ている。野辺地で分岐して大湊へ向かう路線は東北新幹線が新青森まで延伸された際、自社路線と一切接続しない飛び地路線となったことで有名になったが(現在は七尾線も加わっている)、前記事でも触れたIGRいわて銀河鉄道の線路を使用する花輪線とは異なり、青春18きっぷでも通行できる特例が設けられている(青い森鉄道内では途中下車不可)ので今の季節は安心して下北半島を目指してほしい

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります