2026年の北海道&東日本パス旅~絶対読めない難読駅は住宅街に溶け込む

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※訪問は2026年7月15日

弘前の隣駅

青い森鉄道の各駅を訪問して青森に泊まった翌日、朝から津軽線の各駅を訪問した後に、本日の宿泊地である弘前に向かう。その途中で降り立ったのが撫牛子駅。青森側から見ると弘前のひとつ手前で、奥羽本線はここから弘前市に入る

そして一目瞭然だが、難読駅。しかも「超」が付くレベルである

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昔の難読駅と現在の難読駅

当ブログでも難読駅はかなりの数を紹介してきたが、昔と今ではかなり異なる。現在は難読駅クイズを出されてもスマホが手元にあれば、解答はすぐに出る。漢字そのものが難しく、どうやって入力すればいいのか分からない場合は苦戦するかもしれないが、便利な難読駅サイトなどもあるし、所属路線さえ分かれば、もう答えにたどり着いたも同然だ

ネットもないような昔は違う。ご存じのように時刻表にはズラリと駅名が並んでいるが、読みは書かれていない。極端に言うと現地に出向くしか確認する方法はないのである。今も同じ感覚を味わえるのは路線バスだ。地方でなくとも整理券方式のバスに乗ってぼんやり先頭の料金案内をぼんやりと眺めていると「これなんて読むの?」と思うことがしばしば。次の停留所を告げるアナウンスと前方の停留所案内を見て「今なんて言ったっけ?」と反応してしまうこともある

ただそんな時代でも難読駅を知る方法がひとつあった。難読駅やクイズの書籍を読むことだ。「ほうほう、なるほど」と楽しんだものだ。もっともこの方法には、当該書籍でその駅が選ばれなければならない。そんな状況で複数の書籍から「ドラフト指名」された駅が別の意味での有名駅となるわけだが、ここ撫牛子駅は、何度も指名を受けている「難読ゆえに有名な駅」のひとつである

構造は2面2線と標準的なもの。背景で分かるように駅の近くには住宅が並ぶ。弘前の隣駅なので当然といえば当然だ

簡易的なコンクリート駅舎

当駅は1935年(昭和10)の開業。明治期に青森~弘前が開業している奥羽本線では新しい駅となる。当時は和徳村に所在した。和徳村は1955年に弘前市に編入されているが、それまでは和徳村唯一の駅だった。駅名が和徳とならなかったのは、同時期に和徳駅が開業したからだ。和徳駅は撫牛子~弘前の間に設けられた駅で、今も地名は残っているが、1940年に廃駅となった。わずか5年で廃駅となってしまったのは、戦時体制ということや、和徳駅と弘前駅があまりにも近かったからだろう

撫牛子駅から弘前駅への徒歩ルートの途中に和徳駅があったであろう場所を入れてみたが確かに近い。そんな事情で撫牛子駅が残ったと想像

跨線橋を渡って駅舎へと向かうと駅舎を経由せずとも出入りできる構造になっていることが分かる。つまりは無人駅

簡易的なコンクリート駅舎。国鉄時代からすでに現在の姿になっていたようだ。駅名板に記された文字が平凡なものだったら、それほど関心を集めない駅かもしれない

駅前は住宅街で新しい家が並ぶ

さて肝心の地名の由来だが、判明していないのが実情と、なかなか現代では珍しいことになっている。牛を撫でる民間信仰があり、津軽方言がによくある「っ子」がくっついて「撫で牛っ子」が転訛したとか、アイヌ語で川岸に近い「ナイジョウシ」に基づくなど、さまざまな説があるという

こちらは駅舎内の様子。IC乗車もできる区間にあり、弘前のお隣と訪問難易度はそれほど高くはないので、ぜひ訪れてほしい難読駅である

もっとも私が最も驚いたのは

こちらの張り紙だったけど

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