※訪問は2025年7月9日

急かされるように乗り換え

諏訪ノ平から八戸までやって来た。以前にも書いているが、青い森鉄道はJR時代からの名残で運行は八戸で分断される。そして乗車した電車は5分の乗り継ぎで慌ただしく接続だった。お手洗いに行く間もなく青森行きは出発である(現在は接続時間がほんの数分増えた上で、接続電車は快速となっているようだ)

そして約20分で

上北町駅に到着である

かつての特急列車停車駅

当駅はかつて、一部の特急が停車する優等列車の停車駅だった。上北町の代表駅で1891年(明治24)の開業というから、135歳と年齢に例えるのが困難なほど歴史のある駅だ。上北町は平成の大合併で東北町となっている

木造駅舎が残る。さすがに明治のものではなく、戦後に改修されたものだと思われる。現在は無人駅だが優等列車が停車していたことを感じさせる立派な構え

駅は現在も2面3線構造

側線も残る

名所案内はやや薄れているが、駅のすぐ東側から北側にかけて広がる小川原湖の最寄りでもあり、観光拠点の駅でもある

こちらは駅に掲げられた案内図。町名は上北町のままだ

また七戸町にも近く、そちらからの利用もある。優等列車が停車していたゆえんでもある。ちなみに十鉄とは十和田観光電鉄のことで、鉄道は廃線となったが現在はバス事業を行っている

駅を出ると「ようこそ」の歓迎

逆方向から見ると

アーチの向こうに駅舎。こちらは「またきて」。ちなみに駅前はこうして見ると駅前広場かロータリーのようになっているが、道路のセンターラインが見える通り、写真の右に向けて主要道路が続く

「上北まち」にあった「上北ちょう駅」

さて私が電車を降りて「あれ?」と思ったのは駅名である。駅名標に「かみきたちょう」とあったが、調べてみると自治体名は「かみきたまち」だった。自治体としての「町」を「ちょう」と呼ぶか「まち」と読むかは、国内では二分されいていて、例外はあるが、ざっくり言うと東日本が「まち」で西日本と北海道は「ちょう」。九州は混在となっている。また東日本の中では岩手県は混在である。私はそのジャンルの専門家ではないが、もともとは武家が住む場所が「まち」で、武士以外の商人や町民が住む場所が「ちょう」と呼ばれていて、明治維新後に新政府が「もう武士の時代ではない」と「ちょう」を推進したという話を聞いたことがある。だから新しい町が多い北海道は「ちょう」になったが、東日本では旧来からの呼び方を重要視して「まち」となったとか

あくまで伝聞で、自治体名でなければ日本中に「本町(ほんまち)」はあるので、なんとも言えないところだが、ここ上北町は町村制施行時の1889年に「かみきたまち」として成立し、2年後に当地にやってきた鉄道の駅は「沼崎駅」だった。現在の駅名となったのは戦後10年以上も経ってからで、当時の国鉄は「ちょう」と名付けた。駅名と自治体名が異なることで、地元で反対の声が多かったという記録は見られなかった

駅舎内のかつて窓口や手荷物受付があったと思われる場所には自動券売機が置かれている

駅舎から外に出ようとして出会った言葉。なかなか言い得て妙である

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