終日の沼にはまる~上りと下りが交差する辰野駅

辰野駅の観光式駅名標

2022年10月23日10時50分

両社の車両が並ぶ

岡谷から約10分で辰野に到着しました。私が乗ってきたのは左側のJR東海車両。このまま飯田線に入り中部天竜が終点です。右は旧線を塩尻へと向かうJR東日本車両。旧線は本数は多くはありません。昼間は1時間半に1本程度の運行。一応、接続が考慮されているようです

塩尻でも見た感じの駅名標。緑がJR東日本でオレンジがJR東海。川岸は岡谷方面で信濃川島は塩尻方面、宮木が中部天竜(豊橋)方面

ここに至る道中で時刻表をパラパラとめくっているうち、自分の中で上りと下りの感覚がおかしくなっていることに気付きました

大回りにも意義はあった?

塩尻~岡谷間を路線図で見ると、こんな感じです

右の新宿方面からやって来た線路は現在、岡谷から真っ直ぐ塩尻へと向かいます。途中にはみどり湖という駅が1駅だけある。ですが40年前までは辰野経由で向かっていました

今見ると「なんちゅー遠回りをしとるんや」と思うかもしれませんが、以前は普通の感覚でした。私も新線がないころに乗ったことがありますが別に何とも思わなかった。しかし客観的に地図を見ると明らかにおかしいですよね

これにはいろいろな説があり、ひとつは政治的圧力、もうひとつは単なる技術の問題です

明治時代に中央本線が敷設される際、現在の路線を行くか、今の飯田線がたどっているコースを行くかで激しい争いが繰り広げられた末、現行路線となりましたが、伊藤大八という飯田出身の政治家が「できるだけこちらも通せ」と命じて辰野回りになったいう説です。確かに地図を見るとわざわざ塩尻まで行ってからUターンするようになっている

技術的な問題とは岡谷~塩尻間の峠を通れなかったというもの。諏訪盆地と松本盆地の間にある塩尻峠は古くから交通の難所とされ、とてもじゃないが蒸気機関車では登れない。現在、ここは6キロものトンネルでつながれていますが、明治の技術ではトンネルを掘るのは無理。現に戦後でも8年もかけてトンネル工事が行われています

私的には後者のような気がしますが、平面的な地図を見た感じだと説得力があるのは前者で、また話としておもしろというか伝説時になりやすいですね

ただ辰野回りになったからこそ現在の飯田線が敷設されることにもなったわけで、その意味では意義があった遠回りになったことも事実です

紙の時刻表のおもしろさ

そんな経緯もあってこの区間では上りと下りが交錯しています

東京に向かうコースが上り、もっと広義にして平べったくすると田舎から都会へ向かうのが上り、というイメージがあり、確かにそれは正しいのですが、感覚的にあてはまらないケースもあります。例えば三重県の亀山からグルリと紀伊半島を回って和歌山へと至る紀勢本線。和歌山から大阪府内へは阪和線で結ばれ、両方を通る特急も運行されていますが正式に言うと和歌山までが下りで和歌山から大阪は上りです。起点から終点に向かうのが下りで終点から起点に向かうのが上りというルールがあるからです。阪和線は後から国鉄になったという歴史的経緯もあるのですが、天王寺を起点に和歌山と結ばれ、紀勢本線は亀山を起点に和歌山市まで結ばれるので、このようになりました。ですから時刻表は普通、下りページがあって次に上りページとなるのですが、この区間については上りが先に書かれていたりします。

北陸本線も途中で変更があり金沢が起点で米原が終点というのが正式ですが、冊子の時刻表では肌感覚に合わないとされたのか、昔からそうなっているという意味なのか、上りと下りは昔式となっています

話を戻して中央本線ですが、私が来たコースは塩尻から岡谷経由での辰野行き。塩尻から岡谷にかけてはもちん上りですが、岡谷から辰野にかけては下りとなります。線路上は同じコースを引き返しているわけではないのにそうなります

また飯田線は豊橋が起点で辰野が終点ですから辰野から豊橋へと向かう列車は、上りとなるのですがほとんどの列車が岡谷始発なので岡谷から辰野は中央本線の下りを走り、同じ列車が飯田線の上り列車となる運行です。時刻表では飯田線については岡谷→豊橋が上り、豊橋→岡谷が下りのページとひとつになっていますが、そのため、おもしろいことに途中の川岸については中央本線と飯田線で同方向の列車が上りと下り、それぞれのページで別になっています

ちょっと長くなってしまいました。これから辰野駅のウォッチングとなります

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終日の沼にはまる~7分で終わったデビュー戦

岡谷駅の観光式駅名標

10月23日10時10分

旧線を辰野へ向かおう

ふと目についたICカードの利用注意。いろいろな駅名が書いてありますが、私の目にとまったのは辰野でした。岡谷から辰野を経由して塩尻に至るルートは「辰野支線」と呼ばれる中央本線の旧線で、10年以上前にやって来た際、塩尻から旧線で辰野へと向かい飯田線に乗車。飯田で宿泊して飯田線をひたすら南下しました。自宅で乗りつぶし手帳を確認しないと分かりませんが、もしかすると岡谷~川岸~辰野の2区間って未乗区間ではないのか?という疑問がわいてきました

だったら良い機会ではないですか。もし過去に乗っていたとしても別に問題はない。辰野は通ったことはあるけど降りたことはないので、とにかく行ってみましょう

さっそく改札で確認。案内表示は左から中央西線(名古屋方面)、篠ノ井線(松本方面)、中央東線(新宿方面)。右下にぶら下がっているのが辰野へ直接向かう旧線。本数も少ないし優等列車もないので、このようなかわいい表示になっています。現に次の電車まで2時間以上あります。このダイヤに悩まされるなんて、このときは思ってもみませんでした

今の私に用事があるのは右端の中央東線です。このタイミングでは時刻が出ていませんが、10時18分発。もう数分しかないので急いでホームに向かう

これはきっぷに助けられました。次の普通はご覧の通り、11時3分で1時間後。青春18きっぷだったら乗れないし、そうでなくても短い区間に特急課金するのはためらったでしょう。それがこの「鉄道開業150周年記念 JR東日本きっぷ」ならバンバン乗れる。そして実は私、いわゆるあずさ車両のE353系には乗ったことがなかったのです。いろいろな意味で助かります。今回のきっぷで特急の乗車率が上がっていますが、この時間なら大丈夫だろうと乗り込むと、予想をはるかに超えるガラガラぶりで頭上のランプを見ても、先の区間でもまだ指定はかなり残っているよう。きっと夕方には混雑するのでしょう

なかなか座り心地の良いシートです…などと感想を述べたいところですが、そんなわけにはいかなかった。たった7分で到着なのですから。そりゃそうです。たったの12キロしかないんだもの

そして結果として、今回のパスを利用した優等列車はこれが最後になってしまいました。もちろんこの時点では、そんなことは思ってもいません

0番線大好きです

岡谷の駅舎を見て「あれ?」と思いました。10年以上前に降りたことがあるのですが、いかにも国鉄という雰囲気の駅だった記憶があるのですが、すっかりリニューアルされている。ビックリしました

ただ柱の方向案内のホーローは健在のようです

この駅名標を元に説明すると川岸方面つまり辰野へ向かうルートが旧線で長らく中央本線だったのですが40年前にみどり湖経由の短絡線つまり新線が開通して旧線は辰野支線とも呼ばれる支線扱いになってしまいました。ただこのルートは中央本線というより、むしろ飯田線のメインルートになっていて、それは乗り換える電車で分かります

旧線は切り欠きホームとなっている0番線から発車します。基本的にホームというのは駅の事務室である駅長室から順番に1、2、3…と番号をふっていきます。ただ何らかの事情で後から1番線と事務室の間にホームを設ける必要が生じた際に0番線とします。それゆえ切り欠きの行き止まりとなっていることが多い1からホームの番号をふり直すのは作業的にも経費的にも面倒なので、いわば苦肉の策なのですが、当駅も中央本線の新線ができた後に辰野方面への専用ホームとして0番線ができました

当駅も切り欠きホーム。この部分だけ本来のホームと思われる部分が極端に狭くなっているので、後から造ったことが分かります

ただ、この0番線も駅のリニューアルが行われる際、0は不自然ということで1からふり直すことも多く、徐々に姿を消しています。でも、その不自然な「レイ」「ゼロ」という響きがいいですね。私は大好きです

ご覧になってお分かりのように岡谷はJR東海との境界駅でもないのにJR東海の車両が停まっています。中央本線ではありながら、飯田線の運行に組み込まれていて岡谷から辰野方面に向かう電車は辰野止まりは朝の1本のみ。辰野での乗り換えなしに塩尻に向かう本来の中央本線の電車もまた朝の1本だけ。他はすべてが飯田線に乗り入れます。ともかく特急に乗ったおかげで15分ほどの短い乗り継ぎで辰野に行けることになりました

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終日の沼にはまる~ノープランから、なんとなく見た看板が

塩尻駅名物の定員1人立ち食いそば

2022年10月23日9時

しなの鉄道からスタート

前夜は友人宅に泊めてもらいました。この日はしなの鉄道の屋代高校前駅からスタートです。三セク移管後に新設された駅で文字通り屋代高校の最寄り駅。同校へのアクセス駅としては近くに長野電鉄屋代線の東屋代駅があったのですが、こちらは2012年に廃線となっています。もっとも東屋代は利用者が少なかったのに対し、こちらは効果抜群でコロナ禍前には1日に2000人もの乗降がある駅となっていました

まずは篠ノ井へと向かいます。こちらはパス対象外なのできっぷを購入

実を言うと前日と前々日は時刻表とにらめっこしながらの旅でしたが最終日の今日は全くのノープラン。本日中に帰宅するだけ。まずはきっぷの有効区間内である篠ノ井まで出ます

しなの鉄道といえば115系のイメージですが、かなり減っていると聞きます。私も数年ぶりに乗るのですが向かいのホームにいる新型車両を初めて見ました

と思ったら、やって来たのは115系のしかも湘南色。ちょっとラッキーな気持ちになって乗り込みます

複数の選択肢

とはいえ、この時点で本当に何も決まっていません。いつもならある程度の方向は前夜に決めるのですが、友人たちとおしゃべりをしていたのでそれはなし。とにかくJR東日本管内に入って、このまま乗れば長野に行きます。篠ノ井で乗り換えれば松本方面。短時間での決断が求められますが時刻表を見て篠ノ井駅で5分の接続で名古屋行き特急のしなのがあることが判明。とにかくJR東日本管内では特急は乗り放題なのです。ですから特急に乗るチャンスがあれば、とにかく乗るというセコい考えです

篠ノ井駅の駅名標。多車線との分岐な感じは大好きです

今回の「鉄道開業150周年記念 JR東日本パス」の期間、特に週末は新幹線や在来線特急は満員続きでした。まだ記事にしていませんが前週そして今週も利用して、それを実感しています。ただ一昨日、昨日の新幹線は私が乗車したのが各停タイプだったことや人の流れが逆方向だったこともあって自由席には楽々座れました。記事にもしましたが、在来線特急のしらゆきの自由席混雑は指定席に乗車して回避しています。しなのも、まだ朝なのでガラガラです

この時点でまず考えたのが松本で降り、大糸線に入るあずさに乗ること。1日1本だけ大糸線に乗り入れるあずさは松本で50分の接続。いい感じです。調べてみると指定もガラガラなので問題なさそう。ただ正午に南小谷に着いた後に北上すれば早々に別料金となってしまう上、戻ってくると単純な往復になっておもしろみに欠ける上、途中の駅など回っていては松本で結構な時間になってしまう。だから却下。次に考えたのが篠ノ井線内の駅巡り。姨捨以外はほとんど降りたことがありません

途中区間で特急も使えるし、こりゃいいや、とほぼこの線にしました。ただ乗車したしなのは明科には停車するものの、そこからの接続が今ひとつ。うーん、中央東線パターンも含め、とにかく塩尻まで行ってから考え直そう、となりました。これが沼への入口となるのですが

塩尻で見たもの

これは篠ノ井線から中央西線でJR東海に入るもの

こちらは中央線の西線と東線。塩尻はいろいろな駅名標が楽しめていい。アイキャッチの定員1人立ち食いそばも健在です

篠ノ井線も120周年なんですね。これはなかなかの歴史です。塩尻駅の新駅40周年というのにも目を引きました。学生時代に来たことがあるのですが当時は今とは中央本線と篠ノ井線の立場が逆で名古屋~松本間を直通する列車にスイッチバックが必要となっていました

次に目にとまったのは

こちらの案内。磐城から松本までの450キロもの区間が東京近郊区間になったことが大いに話題となりましたが、それに関係するのがIC乗車券。ふーん、と眺めていたのですが、この案内が大きな沼への入口となってしまいました

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東日本の新幹線単独駅を巡る~繁栄の駅

佐久平駅の在来線駅名標

2022年10月22日14時30分

※新幹線単独駅の訪問は終わっていますが同一行程なので同タイトルで伝えています

在来線が新幹線の上を行く

新幹線駅訪問では最後となる佐久平に到着しました。小海線の駅で降りたことはあるのですが新幹線の改札には入らなかったので新幹線ホームの利用は初めてです

軽井沢と上田の中間に位置します。まずは鉄道駅としての見どころから紹介します

前述した通り、小海線との接続駅となっています

新幹線の改札を出て小海線ホームを目指します。かなり長い通路です

在来線は無人駅。それでもホームと通路の間に待合室となるスペースがあり、両方にドアがあるため寒さ対策はできています。入口は無人駅ではなかなか見かけない自動ドア

高架ホームに出ると下を走るのは、なんと新幹線。ここでは新幹線が地上駅、在来線が高架駅という常識を変える構造となっています

棒状ホームなので間違えないよう方向が示されています。初めての人が利用する可能性もある新幹線接続駅だからこその親切な表示。それにしても新幹線の屋根の上にいるというのは不思議な優越感に浸れます。新幹線敷設の際、地形的に新幹線は地上を走った方が理にかなっているとされたため、だったら在来線をこの区間だけ上にした方が経費も安いのではないか、ということでこのようになりました

例によって駅名でもめる

こちらが駅舎。なかなか凝ったデザイン。上越新幹線で見てきた無骨な駅舎とはかなり違います

新幹線駅の紹介をするたびに同じようなことばかり書いていますが、こちらも駅名でもめました。付近の大きな駅と都市といえば、長らく小諸でした。ただ当駅の設置場所は佐久市。だったら佐久駅で良いのではないかとなりそうですが、駅名に小諸を入れることで小諸市が譲らなかった。なぜかというと元々の長野までのルートは山形新幹線のようなミニ新幹線として信越本線を走る予定で当然、小諸も通る。すっかり安心していたら方向転換でフル規格となり小諸は素通り、信越本線は三セク化。急に手のひらを返されるような形になった上、駅名までも「素通り」されるのではたまらない。一理ある主張です。最後は佐久平には小諸も含まれるということで決着しましたが、佐久平駅が大きな成功例となりすぎたため、都市名を入れなかったという一件が「都市名は入れなければならない」と後々、一人歩きすることになります

全国から視察が続々

その佐久平駅の周辺は

このような感じ。ご覧になれば分かる通り、新幹線駅の周囲はグルリ自動車専用道に囲まれています。これが大当たり。自動車道が近いということで物資や自動車の集積する場所にもなり、それまで何もなかった場所ということも幸いしてか、多くの商業施設やマンションが建設され、街が形成されました。ちなみに駅の住所は佐久市佐久平駅東1の1。まさに「一丁目一番地」で、新幹線駅設置の後に街ができたことがよく分かります

そのおかげで全国の自治体から視察が続々とやって来ました。私が実際に知るところでも九州の遙か遠い自治体の公務員が見学に訪れたそうです

何もないところがこんなに繁栄した、といういわば大成功例となったわけですが、高速道路神話と新幹線神話を必要以上に助長した感は否めません。大人口集積地である首都圏と観光地がズラリ並ぶ軽井沢~長野への近さが大きな成功要因だということを忘れてはいけません

などと言いながら実際の私の行動はどうだったか。この日は上田で友人と落ち合うことになっていて次の新幹線まで1時間ある。時計は15時になろうとしていますが、乗り継ぎが良すぎたり、時間がある駅周辺には何もなかったりという、いわゆるローカル線あるあるを食らって朝から食べたものは上越妙高の乗り継ぎの際に購入したサンドイッチだけで猛烈な空腹状態。18時ぐらいから食事となっていたのですが、それまでもたないと出かけたのがイオン

フードコートのリンガーハットでこのような案内を見て

小腹を満たすにはちょうど良い皿うどんの小を注文。新幹線駅から徒歩5分でイオンに行けるというのも佐久平らしいところなのですが、その恩恵を目一杯甘受することになりました

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東日本の新幹線単独駅を巡る~グルリ一周

軽井沢駅の駅舎

2022年10月21日14時40分

※単独駅の訪問は終わっていますが、同一行程なのでタイトルはそのままにしています

在来線特急で新幹線間を移動

長岡駅に到着しました。さすがに何度か来ています。時間はまだまだ早い。燕三条で乗り逃した弥彦線の分、上越線や信越本線の駅巡りに多少は充てることができそうですが、最初の予定が狂った分、朝の6時過ぎから行動していた私は完全に燃料切れ。10月後半でしたが昼間は暑く、宿泊したホテルが大浴場付きだったこともあり、15時にチェックインしたところ「今から入れますよ」と言われたため、ビジネスホテルで一番風呂に入ってしまうと、もう何もやる気が起きず活動限界となってしまいました

翌日は朝7時すぎに長岡駅からスタート。前日の分を少しでも取り戻すため、信越本線の三条駅や弥彦線の燕駅などいくつかの在来線駅を訪問。11時前に東三条に戻ってきて

特急「しらゆき」の上越妙高行きに乗ります。長岡から乗っても同じなのですが、新幹線駅ではない東三条から特急に乗るという体験は、今後なかなかないと思われるので東三条から

しらゆきは新潟県内で新潟、長岡といった上越新幹線の駅と北陸新幹線の駅である上越妙高を結ぶ貴重な優等列車。直江津から長野方面が三セクのえちごトキめき鉄道に転換されてしまいましたが、しらゆきは、その間を結ぶ貴重な在来線特急となっています。1日4往復で、うち2本が新井まで運行されます。新潟県内だけを通るという在来線特急では珍しい体型ですが、それでも新潟~上越妙高は2時間と距離は長い。かつて常磐線の「フレッシュひたち」として活躍した車両が使用されていて懐かしい

さて、ここで私は今旅初めての指定席利用を行うことに。新幹線にはいっぱい乗ってきましたが、駅訪問が主眼のため短い区間ばかりで、すべて自由席だったのです。この先も同様の行程なので、せっかくだから、この1時間半は指定席の権利も使おう、えきねっとにも一度ぐらい登板してもらおうと指定席を利用。しらゆきには過去2度乗車したことがあるのですが、それほど混雑してはいませんでした。車両は4両編成指定と自由が2両ずつ。自由席が半分を占めるのは区間利用も多い特性に対応しています。結果的に指定席もそれほど混雑しせず、窓際に陣取った私の横には誰も来ることなく上越妙高に至ったのですが、途中から「自由席が混み合っているので座席に荷物は置かないようにお願いします」のアナウンスが連呼されてビックリ。今回の150周年記念パスの威力を思い知ったのでした

再び新幹線に

12時25分に上越妙高に到着。駅名標はえちごトキめき鉄道のものとなっています

北陸新幹線に乗り換え。当駅は北陸新幹線内のJR東日本とJR西日本の境界駅。管理は前者なので駅名標は東日本スタイルです。駅の所在地は上越市で当初の仮称も「上越駅」でしたが、妙高市の中心部にも近く議論の末に現駅名となりました

13時発のはくたかに乗り込み20分で長野に到着。長野駅では同一ホームの3分連絡で各停パターンのあさまに連絡します。各停といっても安中榛名はかなり通過されるのですが

そして軽井沢に到着。前日の安中榛名から、ほぼグルリと一周したことになります。実は乗車したあさまは貴重な安中榛名に停車するパターンで、行ってしまえば、それもおもしろいなぁ、とも思ったのですが安中榛名まで行ってしまうと、その後の行程がまたややこしくなるので軽井沢下車

同時刻に東三条を出発した場合、長岡から上越新幹線に乗って高崎乗り換えの方が40分ほど早いのですが、新幹線に乗る距離が短かったり、高崎乗り換えで新幹線料金がリセットしてしまうことなどで、普通に運賃を支払うと1000円以上、高崎経由が高くなります

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東日本の新幹線単独駅を巡る~なにごとも公平に

燕三条駅の駅名標

2022年10月21日10時30分

※単独駅の紹介は終わりましたが同行程なので同タイトルで続けます

徹底されています

燕三条駅で降りて外に出ようとすると「燕口」「三条口」の明確な区分に目を見張ります。駅の出口は東西南北で付けられることが多い。地名の出口があっても、それは通称にされていたりします。なぜなら初めて降りた人、旅人には東西南北の方が分かりやすいからです。しかし、あくまでも燕口と三条口

というか

こんなに大きくて、なおかつピカピカ光っている出口案内には、なかなか出会えません

というか徹底されていますね

2つの都市の市境が駅を通る

もう誰もが分かっていると思いますが、燕市と三条市の名前をひとつにした駅名です

ただ現在はよく見かける駅名ですが、当時は全国ニュースとして大きく取り上げられました。前記事の浦佐駅でも取り上げましたが新幹線の駅というのは夢の架け橋で、今でもそんな空気があります。40年前のことなので、なおさら

新幹線のコース決定時点から両都市で激しい誘致合戦が繰り広げられました。こういうのって鉄道会社が困ります。当時は鉄道会社というより国鉄です。結果的に両都市の境界にまたがって駅を設けることで決着。このあたりが町の中心に近いから、という視点ではありません。とにかく「公平に」です

なぜ私がそんなことまで知っているかというと前述した通り、全国ニュースだったからです。上越新幹線の開業は私が大学に入った年なので、それ以前にテレビのニュースを見ていました。そして、なぜ全国ニュースになっていたかというと、やはり田中角栄さんの存在

駅の設置は決まったものの、では駅名はどうするか、燕が先か三条が先かと、これももめることになりましたが、種々のトラブルは角栄さんの仲裁で現駅名に決定。その代わりに高速道路のインターチェンジは三条燕となりました。また駅名の最初に燕が入ったためかどうかは分かりませんが、駅長室は三条市にあるため、駅の所在地は三条市となっています

駅の中を市境が通っています

訪問当日はお知らせの案内で隠れてしまっていましたが、改札を入る時も燕と三条が並列

当時は単なる駅名を巡る争いというより、角栄さん絡みだからこそ、ニュースとして取り上げられていた気がします。それほど大きな存在だったのです。ただ地元の皆さんには誠に申し訳ないのですが、当時の取り上げられ方は「田中角栄のおひざ元で何やらケンカしている」というものだった印象です

もっとも全国ニュースになった効果は抜群で、おそらく三条市や燕市を知らなかった関西の人も両都市の地名はしっかり刻み込まれることになりました。私もその一人

大きな駅です

さて駅舎の方は当時の他の新幹線駅と同じく

とても大きい。コンコースも広い

当駅は弥彦線との接続駅となっていて単独駅ではありません。新幹線と同時に弥彦線の駅も開業しました。今日は長岡泊の予定につき、乗り換えのためそちらに向かいます

彌彦神社は大鳥居で有名ですが在来線へと向かうコースにも鳥居があります。在来線は無人となっていて、そのままホームに入っていくと何やら電車音

行ってしまった…

時刻表を10分ほど読み間違えたらしい。よくやらかして、いつものことながらショック。電化されている弥彦線ですが、昼間のダイヤは薄い(本数が少ない)のです。次の東三条行きは2時間後。東三条まではたった2駅で信越本線の駅巡りなどをしながら長岡へ向かう予定でしたが予定は崩壊。ただこの日は強い武器がありました。フリーパスなので再び新幹線の改札をくぐり、長岡までの1区間、わずか10分を新幹線利用するというぜいたくな手段で長岡へと向かいました

そんな燕三条駅で実は私が一番感激したこと

三条市の名誉市民であるジャイアント馬場さんのお出迎えでした

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東日本の新幹線単独駅を巡る~新幹線は夢への架け橋、銅像は何思う

浦佐駅の西口

10月21日12時

浦佐駅の位置は

西口から東口へ向かいます。こちらの入口も広大なスペースがあります。新幹線駅は高架なのでエスカレーターで向かいます

ただ昭和時代、国鉄時代の新幹線駅のコンコースが広いことに、そこまで大きな驚きはありません。小さいスペースに強引に設置した場合は別ですが、当時の新幹線駅というのは夢の原点。そこから街には無限の可能性があると誰もが思い描いていました。将来は地域の中心となってテナントも多数入る。だったらできるだけ大きく造れ、となるのも無理はありません。他にもスペースをもてあましている駅はあります

メインとなる東口(八海山口)へ向かう通路。跨線橋の形で降りていきますが文字はなかなか年季が入っている。ふと振り返ると

改札口へと向かう階段には、さらに古典文字。階段の向こうとこちらが別世界のように感じてしまいます

その浦佐駅ですが

記事のテーマにもなるので小出駅との位置関係も入れてみました。ここに新幹線駅の設置が決まった時は意外と受け止められました。浦佐をはさんで東京寄りに2駅行くと六日町という大きな街があります。ただし駅としては北越急行の乗り入れはずっと後だし、こちらは越後湯沢に近すぎる。だったら新潟寄りに2駅で只見線の乗り換えもある小出が適切ではないか、そもそも浦佐には優等列車もあまり停まっていないのではないか、との議論です。ははーん、これはきっとあの人だろう、となるのも当時の世論を思うと無理もありません

予想を大きく上回る大きな銅像

東口を出てロータリーを右に折れたところに田中角栄元首相の銅像があります

写真で見たことはありましたが、こんな大きいというか高くて立派なものとは知らなかった。駅のコンコースの広さよりも驚きました

私が小学校の高学年の時に総理の座につき、総理在任はわずか2年でしたが、それ以上の存在感を持っていた。亡くなって30年近くが経過しているので若い方には歴史上の人物でしょうが、歴代総理大臣で、今もこれだけ語られる人はなかなかいません。政治のブログではないので、これ以上は書きませんが、存命中は功罪の「罪」が、亡くなってからは「功」が多く語られている気がします。最近語られていることは伝説の部類に入ることばかりです

廃線と建設が同時進行

鉄道についての部分だけ取り上げると総理になる前から日本列島の強じん化を掲げ鉄道網発展を推進しました。総理の座についた1972年は国鉄の赤字額のすごさがクローズアップされたころで、既に赤字路線の整理・廃線が始められたころでしたが、田中首相誕生と同時に待ったがかかり、廃線の動きがある一方で、将来の赤字が心配される新路線の建設が進められるという不思議な現象が起きている時代となりました

そのように力があった人なので浦佐に新幹線駅が設置されることが決まった時は強引に駅を設置したに違いない、と言われたもものです。ただ銅像を見て間違える方も多いのですが、元首相は浦佐の出身ではありません。こちらは選挙区です。それがかえって、いろいろな憶測を呼ぶことにもなりました

もっとも地図を見ていただければ分かるのですが、新幹線を小出経由にすると線路も弧を描くように遠回りになってしまいます。次の駅は長岡なので、そこに向かって真っ直ぐ敷設して越後湯沢との間に駅を設置するのなら浦佐が最適ともいえ、それも一理あります

私が降りてきた東口です。跨線橋の構造を見ていただければ分かる通り、バスやタクシー、乗用車といった具合に区別してそれぞれの乗り場に向かうもので、バス路線が増えれば、そこに向かう階段になるのでしょうが、こちらもまた見ての通り、その役割としては機能していません。真ん中のシマで車を降りた方も階段を昇ることなく、駅舎に近いところにあるエレベーターまで道路部分を横切って歩いていきます

上越新幹線の開業40年り大きなパネルがありました

在来線を除いた新幹線部分だけを取り出すと、上越新幹線内では単独駅の上毛高原より乗降客が少ない年もあります。ただ、それを今どうこう言ってもしょうがない。前述した通り、当時、新幹線は夢への架け橋だったのです。駅の設置についての想像よりも、北陸新幹線よりずっと前の国鉄時代に上越新幹線を敷設できたことが田中角栄さんの最大功績だと思います

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東日本の新幹線単独駅を巡る~語ることと見ることが多すぎる浦佐駅

浦佐駅の駅名標

10月21日11時50分

水飲み場がお出迎え

メインテーマである「新幹線単独駅」について、今回の旅では厳密に言うと上毛高原駅で終了です。ただ興味深い新幹線駅も訪れているので、この表題のまま続けていきます

浦佐駅に到着しました。こちらも1982年の開業時からのものでホームに降りた瞬間、40年の歳月を感じます。いや正確に言うと「あまり変化していないような印象を受ける」なのかもしれません。それ以前に開業している東海道・山陽新幹線はどこか変化を感じるものが多いからです

いきなり水飲み場などが登場すれば、そう思ってしまいます。若い方は、感覚が分からないかもしれませんが、上越新幹線が開業した82年ごろ、水なんて買うものではなかったのです。当時、私は貧乏学生をしていましたが、ペットボトル入りのウーロン茶や水が登場し始めたころで、テレビCMも始まり、周囲では買う人もいましたが「水なんて蛇口をひねれば出てくるし、お茶なんて湧かして冷蔵庫に入れておけばタダ同然の値段。わざわざ買うものではないでしょう。というかそもそもウーロン茶って何?」。そんな感覚が主流でした。ただ逆に言うと自販機のボタンを押して水を買うこともできないし、コンビニなんて都市部中心。夏場は駅の水飲み場はありがたい存在だったのです

とにかく広い

コンコースに出てみます

浦佐から2駅新潟寄りとなる小出駅を発着する只見線が復活したばかり

かなり大きなスペースで復旧を祝う写真展が開催されていました

四季の沿線の様子が写し出されています

私もかなりの時間、見入ってしまいましたが、そのうち気付いていくことがありました

「とにかくデカい」

のです

広大な空間に今は使用していない待合室。こちらは超特大。大々的に写真展を開催しても、まだまだ余裕があります。浦佐駅には八海山口と呼ばれる東口と毘沙門天口と呼ばれる西口があります。メインは東口のようですが、まずは西口へ出てみます

こちらは改修された感があります。ただロータリーはあるものの寂しい。メインの出口ではないので、こんな感じでしょうか。実はこの東口にはスキー場があって先ほどの写真の特大待合室はスキーの団体客用のものだったとか。ならば納得ですが、それでも広い。次の新幹線まで1時間半とどまる予定なので、こちらで昼食とするつもりですが、そのうち見ることも語ることも多い駅だということが分かってきました

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東日本の新幹線単独駅を巡る~寄り道した在来線駅は新旧同居、地域文字も

後閑駅の駅名標

10月21日10時10分

停車中のバスに乗ってみる

上毛高原駅。ここでは1時間以上の待ち時間となりました。ちょっと長いなぁ、と思っていたら路線バスが2台。と思う間もなく1台は出発してしまいました。残る1台は後閑駅に向かうようです。こちらも間もなく出発ということで、エイヤとわけの分からないまま乗ってしまいました

本庄早稲田の本庄と同様、上越線の後閑駅が上毛高原駅の運賃計算の当該駅となっていることぐらいは知っています。どのぐらい離れているのかは分からないけど、運賃計算の対象なのでそんなに遠くはないだろう、後閑駅にタクシーがいるのかどうかは分かりませんが、いれば帰りはタクシーに乗ればいい、ぐらいの軽い考えで乗車。そこから調べると

所要わずか10分。川を渡らなければならないので直線コースというわけにはいきませんが近道にあたるコースなら3キロ。時間があれば徒歩でも行けそうな距離です。ただし上毛高原駅は高台にあるので後閑駅から上毛高原駅に向かうのはしんどそうですが

基調はSL色

後閑駅に到着しました。まずバスの時刻表を確認。本数はかなりある。上毛高原にもバスで戻れそうです

後閑駅は旧月夜野町の中心駅。その町役場が現在、みなかみ町の役場となっています。周辺には町が広がる。ただしかつてあったみどりの窓口は既になく、現在は無人駅

それでも以前からの駅舎を基にリニューアルされた美しいものとなっています

新幹線が開通して以来、かつての大動脈だった上越線からは優等列車が消えました。当駅も昼間は1時間から1時間半に1本ぐらいの運行。新潟県との県境にはモグラ駅で有名な土合がありますが土合を通る県境越えの電車は1日5~6往復の閑散路線としても知られます。それでも貨物路線としては重要で、その閑散区間では貨物列車の運行の方が多い現象が起きています

この後閑駅を有名にしたのはSLで、かつて当駅で静態保存されていたD51の状態が良いということで観光列車用に現役復帰。今も臨時列車として人気の「SLぐんまみなかみ」は、ふるさとということで無人駅である当駅に停車します。駅舎の黒色はSLの色をイメージしているそうです

あちらこちらに新旧。文字にしびれる

駅に入ると新旧が共存しています

駅名板は真新しい

駅名標もSL停車駅に敬意を表したものとなっています。その一方

こちらの案内の文字は歴史を感じるもの。そしてなんといってもこちら

柱にある、いわゆる第三種と言われる駅名標は新しいものですが、かなり年季の入ったホーローの方面案内と並んでいます。これは貴重な光景。特に「新潟」の「潟」の文字。初めて見た私は長岡と並んでいなければ、おそらく新潟と読めなかった

サンズイに「写」は地域文字と呼ばれるもので「潟」の文字を正確に書くのが難しいことで生まれた、新潟独自文字ではなく各地、各文献で見られた文字が残っているそうです。確かに「潟」という文字を日常的に見ることはないし、書いてみろ、と言われると一瞬手が止まってしまうかもしれません

ただワープロそしてPCなどが生まれ、「潟」が常用漢字になったことで今は、ある一定の世代以上しか分からなくなっているとか。ここは群馬県ですが、きっと珍しい文字だということで今も残してくれているのだと思います

帰りには見事なワンマン運転のバスの独自転回にみとれてバスに乗り込み上毛高原に戻りました。なかなか中身の濃い寄り道。行って良かった

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東日本の新幹線単独駅を巡る~仮名称のまま40年

上毛高原の駅名標

2022年10月21日10時

いきなりテンションが上がる

上毛高原駅の柱の案内

本庄早稲田から25分。上毛高原に到着です。いきなりこのようなものを見せられるとテンション上がりすぎるではないか

もちろん初めてやってきました。元々、関西の人間にとって栃木、群馬というのはなかなか行けそうで行けないところで、私的な感想ですが関西の人が行ったことのない県、となると両県がワンツーを占める。では東京で同じような質問をすると鳥取、島根がワンツーとなります(繰り返しますが個人の感想です)。必ず乗り換えが生じるので、なかなか腰が重い

もっとも鉄オタは、そんな事情はむしろプラスにとらえて逆に積極的に行きたくなるのですが、新幹線駅というのは、なかなか気合いとお金が必要となります

40年の歳月を感じるものがあちこちにあります。ベートーベンの第九のようにどんどん盛り上がります

一見、普通の階段ですが左側のスペースはエスカレーター設置を予定していたように感じます。ただしその後に奥に見えるエレベーターが造られたことでエスカレーターの設置は不可能な構造となっています。というか「エレベーターを造るからエスカレーターは要らないんじゃない」となった感が強い

実在しない高原

改札を抜けて駅の外に出ます

いかにも国鉄時代の新幹線駅です。派手さはない代わりに大きく目立つように造る、あくまでも機能重視

当駅は高崎~新潟で唯一の新幹線単独駅です

利根川を見下ろすような高台に設けられています。1982年、上越新幹線の開業と同時に駅も開業しました

さて、この駅名。事情を知らないと同名の観光地というか高原があるのだと誰もが思ってしまうのですが、上毛高原は実在しません

「県北観光地の玄関口の機能があり、その範囲は、日光、尾瀬、沼田、谷川、四万、草津まで及んでいる。その広域性を意味するために上毛高原が最適だった」と案内されていますが、客観的に見て日光はかなり遠い気がします。そもそも栃木県。つまり最適という駅名は国鉄が仮名称として付けたものです

仮名称がそのまま駅名になっていても問題はないのですが、その駅名は「もっと適正な名前はないのか」と、ずっと議論の的となっています

現在はみなかみ町にありますが駅の発足時は平成の合併前で月夜野町にありました。当時から駅名については、いろいろな意見があったようですが、全国各地の例で分かる通り、こういうのはなかなかまとまらない。2つの町(自治体)なら組み合わせればいいのですが、前述した通り、地域が広くすべて入れ込むわけにはいきません

有名なのは駅でも観光案内があるように

沼田城を巡る攻防で真田家の物語に必ず出てくる沼田ですが、所在は月夜野町で現在も沼田市にはない。ということで仮名称が正式駅名となり、そのまま40年が過ぎています。もちろん変更の要望は定期的に行われていて、昨年にもみなかみ町と町商工会、町観光協会が要望書を提出しています。ただし駅名変更には、かなりの費用が必要で誰がどのような理由で捻出するかという問題もあります

駅では、さまざまなキャラがお出迎えしてくれます。東京までの所要時間は列車によって異なりますが60~80分で1時間に1本の列車が確保されています。次に訪れるのはいつになるか分かりませんが、その時の駅名にも注目です。そんなことを思いながら、ふと向かいの上りホームを見ると

こちらにもテンションが上がるものがありました

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