青春18きっぷで芸備線の未乗降駅を目指す~その4 (衝撃から2年を経ての再訪)

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坂根駅の駅名標

※訪問は2024年4月2日

アクリル板の乗降「2人」駅

市岡から坂根まで1区間の乗車。これまでの記事で書いた通り、国道に沿った緩やかな下り坂で歩くには絶好。徒歩で30分ぐらいで行ける距離だが「乗り降りを目指す」のが目的である以上、これは乗るしかないのである。乗車列車は三次から新見まで乗り継げる、これもまた1日1本の列車で、車両は私が市岡で下車したものの折り返し。事実上の1日1本なので、最初に新見から乗車した備後落合行きと同様に満員。もちろん座れないが、すぐ降りるので最前方に進む

駅間距離は2・6キロなのですぐ到着なのだが、この間にも比較的平地にもかかわらず、JR西日本名物の25キロ制限区間があって、ちょっと時間はかかる

とにかく無事到着だ。降りたのは私一人。乗車はなかったと思う。ないのも当然で2021年の統計では、当駅の乗降客は1日2人。これは芸備線内では道後山、高と並ぶ数字。乗降客データで1人という数字は基本的にないので「同率最下位」かというと、さらに下というか番外編があり内名、備後八幡の2駅は「データなし」となっている。ちなみに前記事まで紹介していた市岡は14人

この数字は1日平均なので、1週間続けて利用した人が1人いても年間の数字にならすとあまり影響しない。また青春18きっぷなどフリーきっぷの利用者はカウントされない。だから今回の私はノーカウントである。このフリーきっぷの概念は列車の乗客数も同様で、今回のように超満員の列車となっても18きっぷでの利用者は乗客がいないのと同じ扱いとなる。もっとも18きっぷのこの区間の利用者は、ほとんどが乗り通しだろうけれど

アクリルの壁がある簡易駅舎となっている。見て分かるが右手にトイレがあり、左手には自転車置き場。2年前は自転車が1台停まっていたが、今回はなかった。それでも銀のバス停の簡易駅舎と比べると雨風はある程度防げる形式だ

単式ホームだが、かつては2面構造だったことが分かる。開業は1930年(昭和5)。備中神代~矢神が開業した際、途中駅として設置された。開業時からの因美線にあるような木造駅舎だったが、20年前に現在の形となった

2年前の驚き

前回は備中神代からバスで当駅までやって来た。もし列車での到着だったら、かなり印象は異なっていたと思うが、ワゴン車の新見市営バスであらかじめ坂根駅での下車を告げていたため、運転手さんに「この奥に駅があるから」と停留所で降りた時の衝撃は忘れられない

今回も停留所がある国道182号まで3分ほど歩いて再現してみよう

「なんだぁ、これは」

声が出そうになった。目の前にあるのは中国自動車道。自動車専用道があるのはいいが、築堤の上を走っているので駅はのぞきこまないと見えない

中国自動車道がこの付近を通るようになったのは1978年のこと。駅が全く分からないという状況での建設によくどこからも文句が出なかったと思うが、まだまだ芸備線はこの付近でも1日に十数往復が運行されていたころである。当時は大きな心だったのか

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