内海駅

宮崎から志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~バスでたどれる旧宮崎交通線

※訪問は2026年3月12日(ダイヤは3月14日の変更前のものです)

私には力強い味方がいる

あらためて内海駅。小内海駅からここまで歩いてきたが、実はまだ列車は1時間ほどやって来ない。ただしここで待たなくてもいい交通手段が私にはある

こちらもあらためて内海駅前バス停

ここからバスで北上できるのだ

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突然連動し始めたバスアプリ

こちらは小内海駅と内海駅を歩いている途中の停留所だが、油津から飫肥を経由して青島そして宮崎駅へと向かうバスが1日6往復、宮崎交通によって運行されている。この路線は空港バスも兼ねていて油津、飫肥からはこのバスに乗れば、宮崎空港まで運んでくれる。ちょっと意地悪な見方をすれば、かつて鉄道としての宮崎交通線を運行していた宮崎交通がバスで宮崎交通線が生まれ変わった日南線と並行して路線バスを走らせている(ただしいろいろ立ち寄るのでスピードは圧倒的にJR)。ただしこれから乗車するのは、列車の走らない時間を補完してくれるバスだ。ここで8時53分発となっているバスは8時56分にこのバス停にやって来る

だが、なかなかバスが来ない。油津や飫肥あたりは分からないが、この付近は渋滞するところもなく走りそうなので、ちょっとイライラし始めて手元のバスアプリを眺めると「5分遅れています」との表示が出ている。いつの間にか連動を始めていてビックリ

ふだん仕事場に行く時、神戸市バスを利用するのでバスアプリを使用している。このアプリは全国の路線バスやコミュニティバス(デマンドバスは除く)に対応しているので、降り鉄の駅訪問でも重宝している。現実に昨日串間市で利用したコミュニティバスも、これで調べたものだが、バス会社のロケーションシステムと同期するとは知らなかった

おかげで、それからはイライラすることなくバスを待つことができた。ただどうして連動が始まったのかは私も分からない

宮崎交通旧線のコース

9時過ぎに無事にバスが到着。このバスはどのようなコースを通るかというと

海沿いを走り、堀切峠を越えて青島方面へと向かう。それに対して日南線はトンネルを貫く形で最短距離で青島を目指す。この路線バスのコースが旧宮崎交通線とほぼ同じルートである。日南線は宮崎交通線の路盤を引き継いで造られたが、青島以南は異なるコースをとっている

宮崎交通線は、明治期から昭和初期まで重要港であった内海と宮崎を結ぶためのものだったことは前記事で記したが、青島から南側は堀切峠を経由して内海まで進んでいた。途中、堀切峠の北側では現在のバスのコースよりさらに海に近い場所を通っていて白浜駅が設けられていた。これは今も宮崎郊外の海水浴場としてにぎわう白浜海水浴場のすぐ近くに駅があった。海沿いをトコトコ回り込むように内海を目指していた

戦後になって宮崎港が強化されたことで内海港の需要は減少した。日南線へと移行した昭和30年代終わりには、旅客、貨物港としての役割はほぼ終わっていて、日南線も最短で山中を貫いて街外れに駅が設けられた。バスは白浜は通らないが、内海の街の中心あたりから堀切峠の手前まで、旧線の雰囲気を感じることができる

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宮崎から志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~宮崎交通線時代の終着駅のなぜ?

※訪問は2026年3月12日(ダイヤは3月14日の変更前のものです)

これがかつての終着駅なのか

あらためて内海駅前停留所。面しているのは、日南線と運命共同体ともいえる国道220号だが、駅前と言われても実は駅は左手の山中方面に入ったところにある

日南線は、それまで存在した私鉄の宮崎交通線と国鉄の志布志線をつなげたものだという歴史を紹介してきたが、この内海駅は南宮崎からの宮崎交通線の終着駅だった。宮崎空港に到着した時に分岐駅の田吉駅について紹介したが、田吉駅以外で、ようやくこのシリーズもかつての宮崎交通線にやって来たことになる

ただ訪ねてみると、そこは「終着駅」とは異なる世界が広がっていた

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ホームのみが残る

駅に向かうと

道路は途中から砂利道になり、そこには小さな階段がある。まさかこれが駅への入口か?と思いながら昇ると

まさかではなく本当に駅だった。しかもこの感じはどう見ても「駅舎を撤去しました」である

この感じは2駅志布志寄りの伊比井駅と同じだ

ホーム側から見るとこんな感じ

伊比井駅には列車で行ったので、下車した時は「駅舎は消えたんだなぁ」と思ったぐらいだったが、内海駅には歩いて来たので、道路からの初対面。これは随分と受ける感じが違う。30分以上も歩いてやって来たら、何もなかったというのはやはりショックの度合いが大きい

ここがなぜ終着駅だったのか

駅のホームにはピカピカの待合所が建てられていた

内海駅は1958年(昭和38)の開業。宮崎交通線の前身となる宮崎軽便鉄道が開業したのは1913年(大正2)で、内海駅も開業したが、日南線の各駅は基本的には宮崎交通線の駅を受け継いだものではなく、すべて新規開業ということになっているので、この後に出てくる駅も同様の扱いとなる

日南線の駅として開業した際は立派なコンクリート駅舎があって貨物扱いもあったようだ。それが無人化された国鉄末期のころに簡易的なコンクリート駅舎となり、この1年で駅舎も撤去。この待合所は2月に設置されたもので、訪問は完成間もないころ。まさにピカピカだった。ご覧の通り、ユニークな木材形式。訪問時はすでに暖かかったが、南国宮崎という地域性はあるものの、真夏と真冬は待っているのがしんどい時があるかもしれない

そういえば、サムネ写真で分かるように、当駅の駅名標も伊比井駅と同じく化粧直しされている。駅舎撤去の申し訳ない気持ちが伝わってくる

かつては島式ホームだったことがすぐ分かる。右側の立ち入れない部分もおそらくJRの敷地だろうから、かなり大きな駅だったことは分かる

ただそれだけでは、当駅が終着駅だった理由や面影にはならない。駅周辺は半世紀も終着駅だった面影がまるでない

駅の近くは入江があって小さな船が集まっている。右側の海を渡る道路は国道220号。実はその先が町としての内海である

地形そのままの地名である内海は天然の良港として古くから栄え、戦国時代には領地の取り合いになった場所だった。内海から大阪方面へと向かう船は明治時代になっても変わらず残り、宮崎港が現在の地位を築いたのは、昭和になってから。もともとの宮崎交通線は船で運ばれてきた利用客や貨物を宮崎市内に届けるために敷設された。宮崎交通線の内海駅も、宮崎交通線時代は町の中にあった。日南線として再出発する際、海回りではなく内陸部を突き抜ける形としたため、駅も現在の位置に設置されることとなった。路盤も異なっているので、内海駅については2代目ではなく新駅とした方が正しいのかもしれない

なお全国にある「内海」には「うつみ」と読む場所が多いが、ここは「うちうみ」と読む

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宮崎から志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~寝坊のツケが回って美しい海岸を歩く

※訪問は2026年3月12日(ダイヤは3月14日の変更前のものです)

時刻表と運賃表は道路に

あらためて小内海駅。国道220号に面して階段があり、その上にホームがある。2021年の台風による被害で、駅の階段は未だに仮設状態となっていることは前記事で紹介したが、仮復旧状態ということもあってか、時刻表と運賃表は階段のふもとに掲示板のように設置されている

それがこちら。運賃表を見ると、油津までが660円なのに対し、南宮崎までは470円。宮崎までも560円である。宮崎空港から田吉経由で南下。昨日まで主に旧志布志線の駅を巡ってきたが、最終日の今日は宮崎空港から飛行機で帰るだけ。運賃表を見るだけで最終日の実感がわいてくる

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階段を昇る必要はないんです

それにしてもこの階段。プレハブ造りということもあってか、実際より高いところにある気がする。1度降りたら、もう昇る気はしなくなりそうだが、実はその通り。もう階段を昇る必要はない。というか昇らなくていいのです

時刻表を見ていただければ分かるが、7時台の南宮崎行きは2本あって、1本が02分、もう1本が43分だ(当時のダイヤ)。そして私が乗ってきたのは43分の方。つまり今から1時間半ほど列車は来ない

一方、お隣の内海駅までの距離はというと

徒歩で「たったの」30分。そもそもこの時刻表を見て「なんで02分で来ないの?だったら40分待てば次の列車が来るじゃない」と思った方は大正解。時刻については私も把握していたが、何のことはない、寝坊で乗れなかったのだ(笑)

02分で来るためには油津初6時24分に乗車しなければならない。前日、大隅夏井に向かった始発よりも遅いが、油津以北は本数があるという油断からか、南郷以南の駅をすべて訪問できた安心感からか、寝坊してしまったのだ。つまり、そのツケをこれから徒歩という形で償う

ちなみに駅の階段を降りたところにある飲食店は行列もできるような海鮮の有名店のようだが、朝の7時台には、もちろん営業しておらず時間を潰すこともできないので、やはり徒歩移動である

ふと目についた木碑

ただし気温は10度を超えていて、海沿いにもかかわらず風もない。つまり海を眺めながら歩くには絶好の気候で、それほど苦痛なものではない

途中、道の駅のような施設があり、そこでお手洗いを借りた。1人で来るところではなさそうな場所で記念撮影。もちろん誰もいない…と言いたいところだが、お手洗い休憩なのか朝の早い時間帯から複数の車が停まっていた。ちょっと恥ずかしかった

その背景にある海は日南海岸で見られる「鬼の洗濯板」という景観が広がる。砂岩と泥岩で重なり合った後に、柔らかい泥岩だけが削られた残ったもの。さらに引き潮になると、もっと美しいという

飲食店は開いていなかったが、この先にはコンビニもあり、さすが景観の良い国道沿いの道だけあって、もっと遅い時間だったら、さぞ楽しく過ごせるだろうと思いつつ、もう間もなく内海駅というところで、ついつい足が止まってしまった

戦争末期、沖縄戦の後に次は九州に米軍がやって来ることに備えて迎撃の準備をしなければならない、と日南海岸には回天の基地が設置された。油津にも基地があり、南郷には訓練所があった

ここ内海には7月16日に回天が運び込まれた。結果だけ見ると、終戦まで、あと1カ月の時で間もなく終戦を迎えたことで出撃することはなかったものの、基地設置の動きはたちまち米軍に知られることになり、軍港でなかった港が空襲を受け、乗務員2人が命を落とし、民間人にも負傷者が出た。碑がある場所は回天を格納するところだったという。木碑と出会わなければ、旅を終えて回天基地の歴史を調べることもなかった。

そうしているうちに内海駅前到着である

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