弘南鉄道弘南線

弘南鉄道弘南線の全駅訪問の詰めを行う~田んぼアート今年はしっかり見てきました

※訪問は2026年7月16日

朝の8時半に「始発」で到着

尾上高校前駅から1駅、田んぼアート駅で下車。昨年に続き2度目の訪問。まず時刻表を見てほしいが

私は8時36分の黒石行きに乗ってきて降りた。つまり、これは始発である。これだけの本数がある路線で8時半が始発というのは、あまりないが、要は田んぼアートのための駅なので、展望台が開館していない時間に電車を停める意味がないのだ。それ以前の電車はすべて通過する。最終が17時半というのも同じで、それ以降はすべて通過。さらに言うと、田んぼアートが行われていない冬季はすべての列車が通過する

今年は最優先で一番乗り

ほぼ駅前に展望台がある。9時のオープンということで、まだ若干早い。駐車場にも車はまだない。昨年は展望台を眺めて終わりだった

各駅訪問を優先した結果、駅での滞在時間が限られてしまい展望台に上がる時間がなかったが、今年はある意味、こちらを最優先にしてやって来た

少し時間があるので、すでに開いている隣接の道の駅で時間を潰す

この時間でも十分に暑いので北東北限定というコーラで一休み

こちらは津軽浜名駅を訪れた際の自販機の写真だが、ここ田んぼアート駅近くの道の駅で、初めてお世話になった。昨年から気になっていたのだが、昨夏の訪問時は随分涼しく飲む機会がなく、1年ずれ込んだ

そして9時になったので入場。もちろんこの日の先頭打者である

ナゾも解けて大満足

300円(子どもは100円)を支払って入場。この日最初の見学客、しかも私1人だけだったので、マンツーマンで解説を聞くことができた

毎年変わる田んぼアートのテーマ。今年のテーマは地元アイドルのりんご娘

ちなみに展望台に上がらず横から見るだけだと

こんな感じで今ひとつよく分からない。やはり展望台から見ないとせっかく来た意味がないのである

そして私にはここまで来てやっと解けた謎があった。テレビのニュースなどで何度も見ている田んぼアートだが、どしてこのようなカラフルな装いができるのかが分からなかった。色はどうやって付けるのだと

それを尋ねると答えは明確だった。古代米を利用しているのだと教えてもらった。他にも観賞用の稲も使われている

ただし古代米はあまりおいしくなく食用には向いていない。その年の田んぼアートが終わると使用された稲は収穫されて食用となるのだが、古代米は食べないという。とにかく大いに納得である

駅の方を見ると、こちらには石のアート。毎年のように変えるものではないが、現在は太宰治となっている

階段で降りると、過去の作品の写真が並んでいる

なかなか楽しい。ちなみに田舎館村の田んぼアートには2つの会場があり、こちらは第2会場。第1会場とは徒歩で30分以上の距離で、交通アクセスは第2会場が抜群だ

そしてもうひとつ、こちらには道の駅以外にも集客施設がある

場外馬券場だ。週末は大いににぎわう。場所が場所だけに来るまでやって来る人が多いが、近年は弘南鉄道を利用する人も多いという。

確かに時刻表を見ると9時前に最初の電車が到着して、最終レースが終わるころの16時台に2本、17時台が最終電車と、レースのダイヤにも合っている。有馬記念のころは田舎館から歩いて来るのだろうか

とにかく満足度の高い田んぼアート訪問だった

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弘南鉄道弘南線の全駅訪問の詰めを行う~お隣の田んぼアート駅より田んぼな駅

※訪問は2026年7月16日

路線内で2番目に新しい駅

尾上高校前駅で下車。ご覧のように単式ホームの駅でホーム上に待合所があるのみの構造

開業は1999年(平成11)と新しい。ちなみに駅名標に書かれている田んぼアート駅は最も新しい2013年の開業。つまり新しい駅が順番に2つ並んでいることになる

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学校の開校に合わせて

尾上高校前駅の開業は青森県立尾上総合高等学校の開校に合わせてのもので、開業日も年度最初の4月1日となっている

駅から学校まではすぐ

徒歩数分のところにある校舎が見えている

ただし駅の立地はというと

田んぼの中に駅がポツリ

ほとんど360度パノラマで農地が広がる。これはなかなか美しい光景。冬場は雪の中にポツンと駅があり、これもこれで別の趣がありそうだ

田んぼアート駅へもすぐ

当駅の開業が1999年、田んぼアート駅の開業が2013年ということは、もともと駅のなかった津軽尾上~田舎館間に新たに2駅が設けられたことになる。津軽尾上~田舎館も線路での距離は2・7キロと、それほど離れていないため、その区間内に設けられた駅間距離は近い。津軽尾上~尾上高校前が1・4キロ、尾上高校前~田んぼアートが0・9キロ、田んぼアート~田舎館に至っては0・4キロしかない

どちらもあっという間の距離で

徒歩でも楽々な距離。実際に歩いてはいないので断定はできないが、線路沿いの一部にも道路があるため、もっと早く到達できそうだ

駅の向こうには田んぼアート駅周辺の道の駅や場外馬券場などの施設が見えている。田んぼアート駅周辺はそれらの施設がある上に幹線道路である国道102号も駅のすぐ近くを横切っているためロードサイド店などの施設もある。そもそも道の駅があって、それに隣接する形で田んぼアートの会場がある。もともと、それなりに通行量の多い道路があるのだ

それに対して、ここ尾上高校前駅周辺は学校を越えたあたりまで行くとようやく集落がある。一面に広がる田んぼそのものがアートというなら、その名にふさわしいかもしれない

この後は田んぼアート駅に向かう。昨年、旅程の都合で行けなかった田んぼアートを見るつもり。次の電車までは30分の時間があるので、だったら歩いた方が早いのではないか、という声も聞こえてきそうだが、なかなかそうはいかないのだ

まず朝の8時台とはいえ、もうそろそろやって来た暑さがある。そして何よりも

この時刻表だ。田んぼアート駅は黒石方面に向けて1駅目。私は8時4分の電車でやって来たのだが、時刻表の文字に赤い丸が付けられている。これは「田んぼアート駅は通過しますよ」という意味。早朝そして日暮れ後は田んぼアートの施設が開いていないので、電車も通過するのだ。つまり汗だくで隣駅まで歩いても田んぼアートを見ることはできない。ならば30分ここにとどまって1区間乗った方がいい

整った待合所で、しばし待機である

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弘南鉄道弘南線の全駅訪問の詰めを行う~ホーム上に描かれた18・44メートル

※訪問は2026年7月16日

最後は3つの新駅を訪問

弘前から2駅目。運動公園前駅で下車。1927年(昭和2)に弘前から津軽尾上までが開業。戦後の1950年に黒石までり全線が開通した弘南鉄道弘南線だが、未訪問だった当駅と尾上高校前、そして再訪予定の田んぼアートの各駅はいずれも新しい駅ばかり。意識してそうしたわけではないが、最大目的の田んぼアート駅以外は、たまたまこのようになった

そして写真に見えるホーム上の丸いイラストが当駅の特徴をよく表している

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臨時駅から常設駅へ

運動公園前という駅名が、そもそも新しい。日南線でも運動公園駅を紹介したが、全国には「運動公園」を名乗る駅は数多い。自治体が野球場から陸上競技場、球技場、体育館が集まる運動公園を鉄道路線沿いに計画的に造ったことで各地で名乗りをあげている。当駅は1977年(昭和52)の開業。雪に埋もれる地域だけに、当初は田んぼアート駅のように冬季休業の駅だったが、後に常設駅となった。

周辺に病院や学校施設ができて開発が進んだからだ

スポーツイベントがなくても朝夕は生徒さんなどでにぎわう。2023年度の1日あたりの利用者数は112人で、これは弘南線では第5位の数字。無人駅では最も多い

ホームに描かれたホームベースへの距離

「特徴をよく表している」と前述した正体はこちら。手前には投手のピッチングプレートそして

奥にはバッターボックスが描かれている。野球の規則ではこの間の距離は18・44メートルと定められている。ホーム上に描かれた投手のプレートとホームペースも、どうやらその距離にされているようだ

もっとも当然だが

ホーム上でバッティングをする人はいない

球場は高校野球のメイン会場

球場の全景はこのようになっていて単式ホームに待合所のみの構造だが、基本的な出入口は病院などの施設にも行けるこちらだが、野球場に近い奥にも出入口が設けられている。弘南線で2つの出入口があるのは貴重な存在である

それがこちら。左側に見えるのはきっぷ売場だが、訪問時はイベントのない朝の7時で、もちろん閉鎖されている

こちらは運動公園の地図。野球場、陸上競技場、球技場、武道館などがある

野球場の方に行ってみる。弘前市運動公園野球場は愛称「はるか夢球場」。2008年の北京五輪で金メダルを獲得したソフトボールの斎藤春香監督が弘前出身だったことにちなむ。1979年の開場だが、後にナイター照明ができて観客席やグラウンドも改修されてプロ野球の公式戦を行える規格となった。2017年からは高校野球青森県大会のメイン会場となり、準々決勝以降の試合が行われ

近づいてみると、外野席まで入れるようになっていて、アレレと思うと、外野スタンド部分はジョギングコースとして開放されていて、早朝から市民ランナーの皆さんが汗を流していた

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弘南鉄道弘南線の全駅訪問の詰めを行う~あえて2駅残した理由は?

※訪問は2026年7月16日

天気予報はやや外れ?

弘前駅に到着。8月からの弘前ねぶたまつりを目前に控えて町は盛り上がりつつある。その時期は市内のホテルはなかなかの価格になるが、7月のこの時期はそうでもない。前日に青森に泊まったが、やはり青森市内のホテルは弘前より1オクターブ価格が高い印象だ

天気予報が悪いため津軽線沿線の各地訪問を早めに切り上げ、弘前駅には15時前に到着。奥羽本線の普通は青森~弘前がひとつの軸となっていて、この区間は昼でも1時間に1、2本の運行があり、弘前から先は運行が減少する。もっとも青森始発で終着駅が秋田という「青春18きっぱー向け」の普通も1日2本の運行があり、その季節は明らかな同業者(鉄道ファン)で大いににぎわう。所要時間3時間半のロングシートで、しかもかなりの乗客で座席は確保できてもなかなか身動きできず車窓も見られない態勢はしんどい。なぜこのようなことを書くのかというと、実際に乗ったからである。私にとっては、かなりの修行だった。18きっぷのルールが変わって今はどのぐらいの利用があるのだろうか

さて話は少しそれたが、1年ぶりに弘前駅で降り、やや拍子抜けしたことがある。好天なのだ

予報では1度大陸に抜けた台風が戻ってきて夕方にも雨ということだったが、夏の青空が広がっている。まぁ、本格的な雨よりも暑いぐらいの好天の方がいい。というか、今日のうちに弘前まで来ておかないとマズいのである。明日は早朝から弘南鉄道の弘南線と大鰐線に乗るつもりである

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今回は紙のきっぷを購入

明けて翌日、7時前の弘前駅。早々にホテルの部屋に入ったので全く気づかなかったが、予告されていた雨は夜中にやって来たようで駅前には水たまりができている。そのおかげか前日の蟹田駅近辺の7時よりもやや涼しく感じる。まずは弘南鉄道の弘前駅まで行って弘南線に乗車する

弘南鉄道の弘前駅にやって来た。あらためて言うと、弘南鉄道には弘南線、大鰐線の2路線があり、近い場所を走る部分がある同じ鉄道会社にもかかわらず、全く交わっていない。弘南電気鉄道という会社の別路線だった大鰐線が、後に弘南鉄道に譲渡された歴史を持つためで、弘前市内の起点駅も弘南線はJR弘前駅に併設されているのに対して、大鰐線はJRの駅から徒歩20分ほどの旧市街の中心部にある中央弘前駅となっている。そして大鰐線は2028年春をもっての廃線がすでに決まっている

昨年の3月と7月に大鰐線と弘南線の各駅訪問を試みたが、弘南線の2駅が未訪問。今日はその2駅訪問と大鰐線の最後の乗車を行うつもりだ

そして今回は紙のフリーきっぷを購入。過去2回はいずれもスマホのデジタル板だったが、こんな風に券売機を並べられると紙を買いたくなる。もちろん「大黒様きっぷ」という名称と1000円という価格は同じ。そして券面にある通り、接点のない弘南線も大鰐線も共通で利用できる

こちらも朝が重要

券売機の写真には時刻表があるが、見て分かる通り、朝夕は1時間に2本の運行があるが、昼間は1時間に1本。これは私鉄に限らずJRのローカル線にも共通する話で、駅訪問をするには朝が重要なのだ

電車はすでにホームで出発を待っている。中央弘前や黒石でもそうだが、改札は列車別、乗降別となっていて当駅までやって来た列車で降りる人をすべて改札の外に出した後にあらためて乗車用の改札を行う。だから基本的にホームで長時間滞在することはできない

そしてこれから7時8分に乗車して運動公園前、尾上高校前の未回収2駅を訪問。そしてここからが大切なのだが、昨年旅程の都合で駅にしか行けなかった田んぼアートを見るつもりだ。残り2駅だったので、昨年頑張れば十分に行けたが、やはり田んぼアートは見たい。昨年の時点で津軽線の最後の訪問を行うことは決まっていたので、未訪問の2駅を残しておいた。そして朝が勝負と言いながらも、あまり早すぎてもダメというジレンマを抱えながらの出発にもなった

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弘南鉄道弘南線を行く~13駅中11駅訪問の振り返りとおわび

※訪問は2025年7月11日

今も「営業中」の東急百貨店

弘南線の車中で

渋谷の東急百貨店本店は2年前に閉店となったが、こちらではまだ「営業中」である

まだギリギリ昭和である1988年にこの地にやって来た東急車輌。青森の地での生活は40年近くになり、東急で走っていた期間より、こちらで走る時間の方がすでに長くなっている

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冷房なしに気付くのが遅れた

各駅訪問も終わりに近づいたころ、ふと見上げると

扇風機が元気に回っている。ここで車両が「非冷房車」であることに気付いた

こちらの記事でも紹介したが、私の訪問時、青森県はどこも涼しく、早朝から始めた大鰐線の残り駅回収時、弘前から大鰐温泉へ向かったJRの車内の高校生には長袖のカーディガンやジャージーを羽織る姿も見られたほど。たまたま私が訪れた時に数日間涼しい日があっただけだと後に知るのだが、考えてみると3月の大鰐線訪問の際も自分の身長よりも高く雪が積もっていた場所があったにもかかわらず、最高気温13度と実に穏やかだった。春先そして7月と奇跡的といっていいほど気候に恵まれた

大鰐線との違いを知る

もともと弘南鉄道として昭和初期にSLの走る非電化路線としてスタートした弘南線と、戦後に誕生した弘前電気鉄道を譲り受ける形でスタートした大鰐線。多くの人は「弘南鉄道には2つの路線があるのだな」程度の認識かもしれないし、事実私も長年そのように思っていたが、乗車してみると全く異なる。特に途中駅の施設が違う。貨物輸送も担っていた弘南線と旅客輸送に特化していた大鰐線とのコントラストが、施設の違いにも現れている。また平賀、尾上といった鉄道空白を埋めるべく昭和初期に当地へのアクセスが急務としてスタートした弘南線と奥羽本線の本数不足もあって、それに対抗するように奥羽本線と並行する路線として敷設されることになった弘前電気鉄道(当初は板柳まで延伸される予定だったが断念)とは、歴史的な使命が異なる

長らく終着駅だった津軽尾上

4階建てのビルとなった平賀駅など、町と鉄道の密接な関係がよく分かる

2駅積み残し

さて今回の訪問では尾上高校前、運動公園前の2駅が未訪問となった。いずれも新駅で尾上高校前に至っては平成生まれだ。16時前に弘前駅に戻ってきたので、日の長い7月上旬のこと。訪問は可能だったが、あえて見送ることにした。行きたい店があったこともあるが、残すことによって再訪問の理由を作りたかったのだ。関西から弘前への距離やアクセスは、なかなか遠く、現実的にお金もかかる。訪問にあたってのモチベーションがほしいところだ。また大鰐線にもう一度乗っておきたい。フリーきっぷである「大黒様きっぷ」は両路線共通なので問題ない

そんなことを考えていたら、おわびをしなければならないことになった

館田駅である

難読と古典的な駅舎という強く印象に残った駅であるが、実は11月13日に弘南鉄道から「建て替え工事」が発表されていた。弘南鉄道のHPにも掲載されている。それによると11月20日から工事が始まり、来年7月中旬ごろまで続けられるという。「平川市地域づくり活動拠点施設建設に伴う駅舎の建替え工事」とあり、工事期間の長さを見ても、それなりの規模の工事のようである

私が当駅の記事を記したのは11月22日で、すでに工事は始まっていて、まさに直後だったことになる。情報を見落としていたことについて、おわびしなければならない

ただ全く私的な事情を言わせてもらえるならば、7月の訪問直後に館田駅を記事にしていたら、駅舎建て替えには全く気付かず、今後当地を再訪問してもスルーしていた可能性が高い。読者の皆さまには誠に申し訳ないのですが、またひとつ弘南鉄道乗車のモチベーションが増えたことには、ちょっと喜びを感じたりしています

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弘南鉄道弘南線を行く~旧駅舎の面影を忘れない気遣いに感動そしてSL

※訪問は2025年7月11日

新駅舎になって十数年

あらためて新里駅。見て分かる通り、駅舎を介さずともホームに入れるようになっている。つまりは無人駅だが、立派な構造だ。2011年(平成23)から使用されている。まだピカピカの新駅の雰囲気が残っている

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開業時は豊田村

開業は1927年(昭和2)に設置された。当時は豊田村に所在して1955年から弘前市。駅名は明治の町村制施行で豊田村が発足する前からあった新里村に由来する

新里の地名は今も現役で、駅から徒歩で10分ほど歩いたあたりに集落が広がる。館田駅からの徒歩で付近を歩いてきたはずだが、全く記憶にない。ついでに言うと駅名標にある病院の前を歩いてきたばずだか、こちらも記憶に残っていない。地図を見ると、かなり大きな病院で、それすらも記憶にないのは、どうも歩き始めた最初の悪路ばかりが印象に残っているらしく、集落の道に出るとホッとしてしまったようだ

駅は停留所扱いでスタートしたが、戦後に電化そして黒石までの全線開通後に駅となり、貨物の扱いも始まった

駅舎に入る。ご覧の通り、新しい駅舎に新しいお手洗いも設置されている

こちらはきれいに清掃された駅舎内の様子。新駅舎ができた時は無人化されて久しかったはずだが、窓口も設置されている

駅舎内にはかつての駅の様子などの写真が張られていて

見比べると、現在の駅舎は旧駅舎をモチーフにして建て直されたことが分かる。駅舎が変わると、すっかり簡易的なものに変わってしまったり、駅舎そのものがなくなってしまうのが現在の流れだが、紡いできた歴史や街のシンボルとしての位置付けが残されていることにちょっと感動した

駅前のSL

駅前で目を引くのは静態保存されているSLの存在だ

何も知らずにやって来た私もビックリしたのだが、調べるとかつて五能線で走っていてSL末期の1973年(昭和48)3月31日まで現役生活を続けていたもの。私はSLについての知識はないに等しいが、鰺ヶ沢町に保存されていた車体が、2011年11月の新里駅新駅舎誕生と時を同じくして五能線活性化倶楽部から寄進されたものだという

駅舎内の写真は五能線時代の雄姿だ

島式1面2線のホームから、おそらく貨物ヤードがあった場所に展示されているSLの姿がよく目立つ。当駅は日中に列車交換が行われる隣駅の館田とは対照的に朝の通勤通学帯に列車交換が行われる

ホーム側から駅舎を眺める。構内踏切を経て入る形になっているが、構内踏切をできるだけ経ないように駅舎と逆側ホームのみを利用する運用は行われておらず、黒石行き、弘前行きは決まったホームから発着する

こちらはホームから出発する黒石行き。こちらには乗車せず、館田で列車交換を行って間もなくやって来る弘前行きに乗車する。SLと並ぶ姿が美しかった

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弘南鉄道弘南線を行く~時刻表の壁によって盛夏の中をまたもや1区間歩くことに

※訪問は2025年7月11日

館田駅では必ず

これは地元の高校によるラッピング列車で館田駅に到着した時のもよう。普通の到着風景だが、写真の左端あたりを見てほしい。列車が小さく写っている。想像に難くない。館田駅で交換して去っていく列車の姿である。列車同士のすれ違いは単線の路線では普通にある光景で、取り立てるほどのものではないかもしれないが、効率良い各駅訪問という観点からすると、ちょっとした「壁」になってしまうのだ

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下車すると必ず1時間待ち

弘南線は起点、終点以外の途中駅では4駅が交換可能駅となっているが、昼間の時間帯はすべての列車が館田駅で交換を行う。JRのローカル線のような、いわゆる「バカ停車」と呼ばれる長時間の停車は総距離17キロの私鉄ではあり得ないので、どちらに向かう列車も、ほぼ同時刻にやって来て、同時刻に去っていく。これはどういうことかというと、数十秒で駅のあちらこちらの写真を撮り終えるのはとても無理なので、弘南線のような1時間に1本のダイヤでは、必然的にその駅で1時間待たされることとなる

実は同じ弘南鉄道では津軽大沢駅がこれにあたり、3月の訪問では下車をあきらめ、今回の訪問では早朝の列車の多い時間に最優先で下車した。津軽大沢は駅としての利用者は多くはないが、車庫も備えた駅である。弘南線では、お隣の平賀駅が本社も車庫も備えている終日駅員配置駅だが、構内の脱線事故があった影響で、運用については事実上、単線扱いとしている。列車交換の役割はここ館田駅だ

ただ、わざわざ神戸から、ここ弘前までやって来たのだ。ここで1時間の滞留というのは時間のロスが大きい。さらにもうひとつ個人的に行きたい店がこの後、弘前市内で待っていて、おそらくあと1駅で本日は打ち止めとなりそうだ

ちなみに館田駅とお隣の新里駅までの距離は1・6キロ(ちなみに平賀駅までは2・3キロ)。ということは

本日4度目の徒歩移動

ということになる。黒石と境松でしたように、次の列車までの1時間で移動すれば良いのだ。これは柏農高校前駅あたりで決めたのだが、地図を見てショックを受けてしまった

平川を渡れず、迂回ルートになってしまうのだ。平川は弘前市と平川市の境界となる川で、過去にも川によって大回りの徒歩を強いられたことがあるが、やむを得ない。とにかく1時間以内でたどり着けば良いので歩こう

天候には恵まれたがイヤな予感

この日は大鰐線の弘南下から弘南線の弘前東高前に始まって4回目の駅間徒歩移動。7月の徒歩移動などは年寄りには暑すぎて基本的には行わないが、この日の弘前は最高気温26度。そういえば前日の津軽線訪問も同じぐらいの気候で猛暑という感じではなかった。しかもホテルは連泊ということで、ほぼ手ぶらむーという軽装。これならホイホイ歩ける

地図と照らし合わせていただけると分かるが、しばらくは線路と並行した道路を行く。やがて平川の手前で行き止まりとなり線路の下をもぐる形で右折。川沿いに道路まで北上することになるが、ここまでは雲がかかる岩木山を眺めながら良い気分だった

ところが

川沿いの道は舗装もされておらず、コーンが置かれていて左に見える景色から、どう見ても工事中。ふだんから未舗装なのか、工事で未舗装なのかは分からないが、少なくとも車は通れない状態となっているようだ。というのこの先で未舗装道路の上で大きな重機が道を塞ぐ形で工事を行っている

いやいや、ここまで来て引き返したり、さらに遠回りするのは悲惨だ。というか、やってない。おそるおそる重機の手前まで行くと作業中の方が私に気付いてくれ、1度重機を止めて「どうぞ」と通してくれた。作業中の手を止めて失礼しました。まさか駅訪問の鉄オタとは思ってもいないだろうけど

ようやく橋が見えてきた

歩道はないが、これは渡る以外に選択肢はない

ただ随分と車の量が少ないなと思ったら、並行してもう1本の道路橋があった。新道と旧道の関係なのか

やがて道路を左に折れて、ようやく到着

歩き始めてちょうど30分。時間としては大したことはないが、工事中にはヒヤヒヤした。とにもかくにも気候に恵まれて良かった。さすが北国と思っていたら、後にX(旧ツイッター)の弘前のフォロワーさんから「お越しになられた時は一瞬、涼しくなった時で、前後は最高気温35度でした」との言葉をいただいた。つまりは大変な強運だったのである

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弘南鉄道弘南線を行く~渋い駅舎が残る駅は引っかけクイズのような難読地名

※訪問は2025年7月11日

平賀の隣駅で弘前市との境界近く

館田駅にやってきた。車両は地元の高校によるラッピング列車

黒石側から見ると、黒石市、平川市と進んできた弘南線は当駅を過ぎると間もなく市境となる平川を渡り、弘前市となる。いわば市境の駅だ

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パッと見て駅名読めますか?

なかなか渋い駅舎が出迎えてくれる。当駅は1927年(昭和2)の開業。弘南鉄道が弘南弘前(現弘前)から津軽尾上まで開業した際に設置された弘南線の一期生である。駅舎はいつのものからかは分からないが、おそらく開業時からのものと思われる。そして何よりも駅名だ

ホーム側から見た駅舎に駅名標が掲げられるという特殊な構造により、答えは分かってしまうが、「館田」と書いて「たちた」と読むが、これは難易度が高い。あくまでも私的な推測だが、あまりの難読ぶりに、ここに駅名標を掲げたのではないか

ちなみにホームの駅名標はこちら。ローマ字、中国語、ハングルも含め「たちた」である。「たちだ」ではなく「たちた」というのも難読ポイント

またパッと見て「舘田だな」と思い込んで「たちた」と答えた方は正解だが、その場合は文字は「舘」となる。こちらは「館」である。今は人名を手書きすることがほとんどないので間違うことはほとんどないが、ワープロすらも登場していないころは俳優の舘ひろしさん、アナウンサーの古舘伊知郎さんを手で書く際は「館」と書いてしまう人が多かったが、逆の現象だ

そもそも路線内には村名に基づく「田舎館駅」がある。当該記事でも記したが、大館、角館など東北地方には「館」を「だて」と読む地名が多い。それに基づいて「だてだ」と読んでしまう人もいるかもしれない。すぐ近くに「だて」と読ませる駅を置いておいて、こちらは異なる読みという巧妙な引っかけ問題にもなっている(当然だが、そのようなことを考えて駅は設置していない)

一部が消えた駅舎

島式ホームのかたわらには側線そしてホーム跡が残る。貨物ホーム跡のようだ。当駅も昭和の終わりごろまで貨物扱いを行っていて、まだ40年ほど前の話。今は宅地になっているようだが、かつてのホームの上が新しい宅地という構造もなかなか分かりやすい。住んでいる方にその認識はあるのだろうか

こちらは駅舎の中。ベニヤで覆われた部分がきっぷ売り場と改札口だったのだろう。無人化されてまだ20年ほどなので跡がくっきり分かる

そしてこちらが駅舎の外観

駅舎の入口は正面を向いているのではなく線路と並行方向を向いている。JRも含め、たまに見かける構造だが、どちらかというと少数派。駅正面に広場が作りにくい場合にこのような構造になるが、写真で見た限りは駅正面に十分な空白がある。ちょっと不思議な感じもするが、実は駅舎右側の草むらになっている部分もかつては駅舎だったのだ。駅で働く人のためだったのだろう。2階建ての立派な建物だったが、無人化された後に撤去された。少し前の写真を見ると分かりやすい。それが横向きの出入口の理由である

難読の駅名から駅の構造、風格ともに強く印象に残る駅だった

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弘南鉄道弘南線を行く~農地内でポツンとたたずむ赤いラウンジ

※訪問は2025年7月11日

平賀駅から1駅の新駅

大きなビルの平賀駅から黒石行きに乗車して1駅目

柏農高校前で下車した。この部分の写真だけで想像ができるが、平賀駅とは大きく異なり、単式ホームのみで駅舎はなく、待合所があるだけの駅だが、そこに大きな特徴がある

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学校の移転により設置

柏農高校前駅は1980年(昭和55)の開業した弘南線の新駅。1950年の黒石までの全通以降、今日までに4駅が新たに開業しているが、そのうちのひとつ。駅名から分かるように県立柏木農業高校の最寄り駅

同校は平賀町(現平川市)の中心部にあったが、1980年6月に現在の位置に移転した。新駅はそれに伴うもので、開業が6月23日と、新駅らしくない日時となっているのは、そのため

田んぼの中にたたずむ駅となっているのも学校最寄りに後から設置したためだ。改札にあたる場所に駅員の詰所となっているようなきっぷ売り場があるが、現在は登下校時も稼働していないようで、いつまで使用されていたものかは分からなかった。ただし、このきっぷ売り場の塗装が当駅のセールスポイントである

目を引く赤い色

ホームにある待合所の前まで行くと思わず立ち止まってしまう

赤く塗られている。歳月とともにかなり色は落ちているが、赤く染められている。そしてそこに掲げられているのは

英語「LOUNGE」の文字。ラウンジというと、空港やホテルにある高級なものを想像しがちだが「待合室」「休憩室」の意味。だから全国の駅のホームにある待合所もラウンジなのだ。柏木農業高校の生徒さんや地元の方々によって塗装が施されたという

派手目な外観とは異なり、待合所に入ると落ち着いた緑色。天井には雲が描かれている。訪問日と同様の夏の空だ

さて駅の所在地は平川市荒田で、地図で分かるように、小さいながらも集落がある。当駅は地方私鉄の新駅の割には旧平賀町の中心部である平賀駅から線路で2キロもの距離がある。旧尾上町の中心部だった津軽尾上駅へも1・6キロ。つまり柏農高校前駅の開業までは駅間距離が3・6キロと、かなり離れていたのだが、実は現在の柏農高校前駅近くにも、かつて駅があった。地名通り「荒田駅」。弘南線は開業時は非電化路線で、戦後の全通時に電化された歴史は以前も記したが、開業後から蒸気機関車(SL)の台数や石炭不足の影響に悩まされ、ガソリンカーを導入することになった。簡易的な構造のガソリンカーは、どちらかというと現在、地方路線で走る単行気動車に近いものだが、当時はSLが主流。ガソリンカーのみが停車できる簡易構造の駅を3カ所に設けたが、そのひとつが荒田駅だった。ただ戦争に突入すると資源節約で、これらの駅は廃駅となってしまった

当時と同様の簡易構造である柏農高校前は約40年ぶりに荒田にできた駅となったが、1度廃駅となっているため、もちろん代替駅扱いはされていない。ホームに立つと、80年以上前の風景をついつい思い描いて空想の世界に入り込んでしまうのだ

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弘南鉄道弘南線を行く~路線をつかさどる駅は目を見張る巨大駅だった

※訪問は2025年7月11日

駅員さんの集札を受ける

境松駅から弘前行きに乗車して15分ほど

平賀駅に到着。立派な上屋は大きな駅であることを予感させるが、本当の驚きはその後のこと。駅員さんが集札にあたる。弘南線では数少ない終日駅員配置駅となっている

車庫も備えた規模の大きい駅だ。弘南線の運行をつかさどる指令所があり、弘南鉄道の本社も当駅に所在する

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巨大駅舎に驚く

まずは改札を抜けて駅舎の写真を撮ろう。すると、そこにあったのは

巨大なビル。これには驚かされた。車窓から車庫を眺めながら、それなりに規模の大きい駅だということは予想していたが、こんなに立派なものとは…

見て分かるように正確には津軽みらい農業協同組合との合築で、弘南鉄道の本社も入居する形になった4階建てのビル。昭和の終わりごろから現在の姿になっている。昭和という時代を考えると地方私鉄のターミナルではない駅で、これだけ立派なビルの駅舎というのは出色の存在だったと思う

平賀駅は1927年(昭和2)の開業。弘前(当時は弘南弘前)から津軽尾上まで敷設された際に設置された。「ひらか」と読む。平成の大合併で尾上町、平賀町、碇ヶ関村が合併して平川市となったが、それまでは平賀町。さらにさかのぼると現在、駅のある場所は開業時は大光寺村だった。南北朝時代に合戦が行われた場所としての歴史は持つが、それまでは農村だった当地が発展したのは弘南鉄道が寄与するところが大きい。それまでは鉄道空白地帯で、弘前市街地までは近いようで遠かった尾上地区とここ平賀地区に鉄路が来たことで町は発展した。戦後に黒石まで延伸されたが、平賀、尾上への鉄路は地元の悲願でもあったので、まず尾上への敷設が優先された

駅を中心に平賀町が形成され、現在は平川市の市役所がある

地図を見ると駅を中心に市街地が広がっていることがよく分かる

駅の構造は実質棒状ホーム

駅となっている部分はビルの左側。ガラス張りの入口ドアから入る

先述したように終日駅員配置駅で自動券売機も設置されている

駅員配置駅の弘南線の特徴だが、電車がやって来る直前に改札が開く。「改札中」と電光で表示される

駅の構造は2面2線だが、よく見ると向かいホームの線路が錆びている。これは2007年に構内で脱線事故が発生したためで、事故以来、ホームは使用禁止となり、臨時列車用となった。実質的に棒状ホーム構造となっている。ホームの駅名標は使用されていない側にのみあるようで遠影となった

いつものことながら、時刻表と地図を調べるのみで駅舎についての知識は事前に入れずの訪問となったが、自分の予想をはるかに上回る大きな駅で、ちょっとした感慨があった

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