JR東日本

東日本の新幹線単独駅を巡る~繁栄の駅

佐久平駅の在来線駅名標

2022年10月22日14時30分

※新幹線単独駅の訪問は終わっていますが同一行程なので同タイトルで伝えています

在来線が新幹線の上を行く

新幹線駅訪問では最後となる佐久平に到着しました。小海線の駅で降りたことはあるのですが新幹線の改札には入らなかったので新幹線ホームの利用は初めてです

軽井沢と上田の中間に位置します。まずは鉄道駅としての見どころから紹介します

前述した通り、小海線との接続駅となっています

新幹線の改札を出て小海線ホームを目指します。かなり長い通路です

在来線は無人駅。それでもホームと通路の間に待合室となるスペースがあり、両方にドアがあるため寒さ対策はできています。入口は無人駅ではなかなか見かけない自動ドア

高架ホームに出ると下を走るのは、なんと新幹線。ここでは新幹線が地上駅、在来線が高架駅という常識を変える構造となっています

棒状ホームなので間違えないよう方向が示されています。初めての人が利用する可能性もある新幹線接続駅だからこその親切な表示。それにしても新幹線の屋根の上にいるというのは不思議な優越感に浸れます。新幹線敷設の際、地形的に新幹線は地上を走った方が理にかなっているとされたため、だったら在来線をこの区間だけ上にした方が経費も安いのではないか、ということでこのようになりました

例によって駅名でもめる

こちらが駅舎。なかなか凝ったデザイン。上越新幹線で見てきた無骨な駅舎とはかなり違います

新幹線駅の紹介をするたびに同じようなことばかり書いていますが、こちらも駅名でもめました。付近の大きな駅と都市といえば、長らく小諸でした。ただ当駅の設置場所は佐久市。だったら佐久駅で良いのではないかとなりそうですが、駅名に小諸を入れることで小諸市が譲らなかった。なぜかというと元々の長野までのルートは山形新幹線のようなミニ新幹線として信越本線を走る予定で当然、小諸も通る。すっかり安心していたら方向転換でフル規格となり小諸は素通り、信越本線は三セク化。急に手のひらを返されるような形になった上、駅名までも「素通り」されるのではたまらない。一理ある主張です。最後は佐久平には小諸も含まれるということで決着しましたが、佐久平駅が大きな成功例となりすぎたため、都市名を入れなかったという一件が「都市名は入れなければならない」と後々、一人歩きすることになります

全国から視察が続々

その佐久平駅の周辺は

このような感じ。ご覧になれば分かる通り、新幹線駅の周囲はグルリ自動車専用道に囲まれています。これが大当たり。自動車道が近いということで物資や自動車の集積する場所にもなり、それまで何もなかった場所ということも幸いしてか、多くの商業施設やマンションが建設され、街が形成されました。ちなみに駅の住所は佐久市佐久平駅東1の1。まさに「一丁目一番地」で、新幹線駅設置の後に街ができたことがよく分かります

そのおかげで全国の自治体から視察が続々とやって来ました。私が実際に知るところでも九州の遙か遠い自治体の公務員が見学に訪れたそうです

何もないところがこんなに繁栄した、といういわば大成功例となったわけですが、高速道路神話と新幹線神話を必要以上に助長した感は否めません。大人口集積地である首都圏と観光地がズラリ並ぶ軽井沢~長野への近さが大きな成功要因だということを忘れてはいけません

などと言いながら実際の私の行動はどうだったか。この日は上田で友人と落ち合うことになっていて次の新幹線まで1時間ある。時計は15時になろうとしていますが、乗り継ぎが良すぎたり、時間がある駅周辺には何もなかったりという、いわゆるローカル線あるあるを食らって朝から食べたものは上越妙高の乗り継ぎの際に購入したサンドイッチだけで猛烈な空腹状態。18時ぐらいから食事となっていたのですが、それまでもたないと出かけたのがイオン

フードコートのリンガーハットでこのような案内を見て

小腹を満たすにはちょうど良い皿うどんの小を注文。新幹線駅から徒歩5分でイオンに行けるというのも佐久平らしいところなのですが、その恩恵を目一杯甘受することになりました

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東日本の新幹線単独駅を巡る~グルリ一周

軽井沢駅の駅舎

2022年10月21日14時40分

※単独駅の訪問は終わっていますが、同一行程なのでタイトルはそのままにしています

在来線特急で新幹線間を移動

長岡駅に到着しました。さすがに何度か来ています。時間はまだまだ早い。燕三条で乗り逃した弥彦線の分、上越線や信越本線の駅巡りに多少は充てることができそうですが、最初の予定が狂った分、朝の6時過ぎから行動していた私は完全に燃料切れ。10月後半でしたが昼間は暑く、宿泊したホテルが大浴場付きだったこともあり、15時にチェックインしたところ「今から入れますよ」と言われたため、ビジネスホテルで一番風呂に入ってしまうと、もう何もやる気が起きず活動限界となってしまいました

翌日は朝7時すぎに長岡駅からスタート。前日の分を少しでも取り戻すため、信越本線の三条駅や弥彦線の燕駅などいくつかの在来線駅を訪問。11時前に東三条に戻ってきて

特急「しらゆき」の上越妙高行きに乗ります。長岡から乗っても同じなのですが、新幹線駅ではない東三条から特急に乗るという体験は、今後なかなかないと思われるので東三条から

しらゆきは新潟県内で新潟、長岡といった上越新幹線の駅と北陸新幹線の駅である上越妙高を結ぶ貴重な優等列車。直江津から長野方面が三セクのえちごトキめき鉄道に転換されてしまいましたが、しらゆきは、その間を結ぶ貴重な在来線特急となっています。1日4往復で、うち2本が新井まで運行されます。新潟県内だけを通るという在来線特急では珍しい体型ですが、それでも新潟~上越妙高は2時間と距離は長い。かつて常磐線の「フレッシュひたち」として活躍した車両が使用されていて懐かしい

さて、ここで私は今旅初めての指定席利用を行うことに。新幹線にはいっぱい乗ってきましたが、駅訪問が主眼のため短い区間ばかりで、すべて自由席だったのです。この先も同様の行程なので、せっかくだから、この1時間半は指定席の権利も使おう、えきねっとにも一度ぐらい登板してもらおうと指定席を利用。しらゆきには過去2度乗車したことがあるのですが、それほど混雑してはいませんでした。車両は4両編成指定と自由が2両ずつ。自由席が半分を占めるのは区間利用も多い特性に対応しています。結果的に指定席もそれほど混雑しせず、窓際に陣取った私の横には誰も来ることなく上越妙高に至ったのですが、途中から「自由席が混み合っているので座席に荷物は置かないようにお願いします」のアナウンスが連呼されてビックリ。今回の150周年記念パスの威力を思い知ったのでした

再び新幹線に

12時25分に上越妙高に到着。駅名標はえちごトキめき鉄道のものとなっています

北陸新幹線に乗り換え。当駅は北陸新幹線内のJR東日本とJR西日本の境界駅。管理は前者なので駅名標は東日本スタイルです。駅の所在地は上越市で当初の仮称も「上越駅」でしたが、妙高市の中心部にも近く議論の末に現駅名となりました

13時発のはくたかに乗り込み20分で長野に到着。長野駅では同一ホームの3分連絡で各停パターンのあさまに連絡します。各停といっても安中榛名はかなり通過されるのですが

そして軽井沢に到着。前日の安中榛名から、ほぼグルリと一周したことになります。実は乗車したあさまは貴重な安中榛名に停車するパターンで、行ってしまえば、それもおもしろいなぁ、とも思ったのですが安中榛名まで行ってしまうと、その後の行程がまたややこしくなるので軽井沢下車

同時刻に東三条を出発した場合、長岡から上越新幹線に乗って高崎乗り換えの方が40分ほど早いのですが、新幹線に乗る距離が短かったり、高崎乗り換えで新幹線料金がリセットしてしまうことなどで、普通に運賃を支払うと1000円以上、高崎経由が高くなります

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東日本の新幹線単独駅を巡る~なにごとも公平に

燕三条駅の駅名標

2022年10月21日10時30分

※単独駅の紹介は終わりましたが同行程なので同タイトルで続けます

徹底されています

燕三条駅で降りて外に出ようとすると「燕口」「三条口」の明確な区分に目を見張ります。駅の出口は東西南北で付けられることが多い。地名の出口があっても、それは通称にされていたりします。なぜなら初めて降りた人、旅人には東西南北の方が分かりやすいからです。しかし、あくまでも燕口と三条口

というか

こんなに大きくて、なおかつピカピカ光っている出口案内には、なかなか出会えません

というか徹底されていますね

2つの都市の市境が駅を通る

もう誰もが分かっていると思いますが、燕市と三条市の名前をひとつにした駅名です

ただ現在はよく見かける駅名ですが、当時は全国ニュースとして大きく取り上げられました。前記事の浦佐駅でも取り上げましたが新幹線の駅というのは夢の架け橋で、今でもそんな空気があります。40年前のことなので、なおさら

新幹線のコース決定時点から両都市で激しい誘致合戦が繰り広げられました。こういうのって鉄道会社が困ります。当時は鉄道会社というより国鉄です。結果的に両都市の境界にまたがって駅を設けることで決着。このあたりが町の中心に近いから、という視点ではありません。とにかく「公平に」です

なぜ私がそんなことまで知っているかというと前述した通り、全国ニュースだったからです。上越新幹線の開業は私が大学に入った年なので、それ以前にテレビのニュースを見ていました。そして、なぜ全国ニュースになっていたかというと、やはり田中角栄さんの存在

駅の設置は決まったものの、では駅名はどうするか、燕が先か三条が先かと、これももめることになりましたが、種々のトラブルは角栄さんの仲裁で現駅名に決定。その代わりに高速道路のインターチェンジは三条燕となりました。また駅名の最初に燕が入ったためかどうかは分かりませんが、駅長室は三条市にあるため、駅の所在地は三条市となっています

駅の中を市境が通っています

訪問当日はお知らせの案内で隠れてしまっていましたが、改札を入る時も燕と三条が並列

当時は単なる駅名を巡る争いというより、角栄さん絡みだからこそ、ニュースとして取り上げられていた気がします。それほど大きな存在だったのです。ただ地元の皆さんには誠に申し訳ないのですが、当時の取り上げられ方は「田中角栄のおひざ元で何やらケンカしている」というものだった印象です

もっとも全国ニュースになった効果は抜群で、おそらく三条市や燕市を知らなかった関西の人も両都市の地名はしっかり刻み込まれることになりました。私もその一人

大きな駅です

さて駅舎の方は当時の他の新幹線駅と同じく

とても大きい。コンコースも広い

当駅は弥彦線との接続駅となっていて単独駅ではありません。新幹線と同時に弥彦線の駅も開業しました。今日は長岡泊の予定につき、乗り換えのためそちらに向かいます

彌彦神社は大鳥居で有名ですが在来線へと向かうコースにも鳥居があります。在来線は無人となっていて、そのままホームに入っていくと何やら電車音

行ってしまった…

時刻表を10分ほど読み間違えたらしい。よくやらかして、いつものことながらショック。電化されている弥彦線ですが、昼間のダイヤは薄い(本数が少ない)のです。次の東三条行きは2時間後。東三条まではたった2駅で信越本線の駅巡りなどをしながら長岡へ向かう予定でしたが予定は崩壊。ただこの日は強い武器がありました。フリーパスなので再び新幹線の改札をくぐり、長岡までの1区間、わずか10分を新幹線利用するというぜいたくな手段で長岡へと向かいました

そんな燕三条駅で実は私が一番感激したこと

三条市の名誉市民であるジャイアント馬場さんのお出迎えでした

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東日本の新幹線単独駅を巡る~語ることと見ることが多すぎる浦佐駅

浦佐駅の駅名標

10月21日11時50分

水飲み場がお出迎え

メインテーマである「新幹線単独駅」について、今回の旅では厳密に言うと上毛高原駅で終了です。ただ興味深い新幹線駅も訪れているので、この表題のまま続けていきます

浦佐駅に到着しました。こちらも1982年の開業時からのものでホームに降りた瞬間、40年の歳月を感じます。いや正確に言うと「あまり変化していないような印象を受ける」なのかもしれません。それ以前に開業している東海道・山陽新幹線はどこか変化を感じるものが多いからです

いきなり水飲み場などが登場すれば、そう思ってしまいます。若い方は、感覚が分からないかもしれませんが、上越新幹線が開業した82年ごろ、水なんて買うものではなかったのです。当時、私は貧乏学生をしていましたが、ペットボトル入りのウーロン茶や水が登場し始めたころで、テレビCMも始まり、周囲では買う人もいましたが「水なんて蛇口をひねれば出てくるし、お茶なんて湧かして冷蔵庫に入れておけばタダ同然の値段。わざわざ買うものではないでしょう。というかそもそもウーロン茶って何?」。そんな感覚が主流でした。ただ逆に言うと自販機のボタンを押して水を買うこともできないし、コンビニなんて都市部中心。夏場は駅の水飲み場はありがたい存在だったのです

とにかく広い

コンコースに出てみます

浦佐から2駅新潟寄りとなる小出駅を発着する只見線が復活したばかり

かなり大きなスペースで復旧を祝う写真展が開催されていました

四季の沿線の様子が写し出されています

私もかなりの時間、見入ってしまいましたが、そのうち気付いていくことがありました

「とにかくデカい」

のです

広大な空間に今は使用していない待合室。こちらは超特大。大々的に写真展を開催しても、まだまだ余裕があります。浦佐駅には八海山口と呼ばれる東口と毘沙門天口と呼ばれる西口があります。メインは東口のようですが、まずは西口へ出てみます

こちらは改修された感があります。ただロータリーはあるものの寂しい。メインの出口ではないので、こんな感じでしょうか。実はこの東口にはスキー場があって先ほどの写真の特大待合室はスキーの団体客用のものだったとか。ならば納得ですが、それでも広い。次の新幹線まで1時間半とどまる予定なので、こちらで昼食とするつもりですが、そのうち見ることも語ることも多い駅だということが分かってきました

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東日本の新幹線単独駅を巡る~仮名称のまま40年

上毛高原の駅名標

2022年10月21日10時

いきなりテンションが上がる

上毛高原駅の柱の案内

本庄早稲田から25分。上毛高原に到着です。いきなりこのようなものを見せられるとテンション上がりすぎるではないか

もちろん初めてやってきました。元々、関西の人間にとって栃木、群馬というのはなかなか行けそうで行けないところで、私的な感想ですが関西の人が行ったことのない県、となると両県がワンツーを占める。では東京で同じような質問をすると鳥取、島根がワンツーとなります(繰り返しますが個人の感想です)。必ず乗り換えが生じるので、なかなか腰が重い

もっとも鉄オタは、そんな事情はむしろプラスにとらえて逆に積極的に行きたくなるのですが、新幹線駅というのは、なかなか気合いとお金が必要となります

40年の歳月を感じるものがあちこちにあります。ベートーベンの第九のようにどんどん盛り上がります

一見、普通の階段ですが左側のスペースはエスカレーター設置を予定していたように感じます。ただしその後に奥に見えるエレベーターが造られたことでエスカレーターの設置は不可能な構造となっています。というか「エレベーターを造るからエスカレーターは要らないんじゃない」となった感が強い

実在しない高原

改札を抜けて駅の外に出ます

いかにも国鉄時代の新幹線駅です。派手さはない代わりに大きく目立つように造る、あくまでも機能重視

当駅は高崎~新潟で唯一の新幹線単独駅です

利根川を見下ろすような高台に設けられています。1982年、上越新幹線の開業と同時に駅も開業しました

さて、この駅名。事情を知らないと同名の観光地というか高原があるのだと誰もが思ってしまうのですが、上毛高原は実在しません

「県北観光地の玄関口の機能があり、その範囲は、日光、尾瀬、沼田、谷川、四万、草津まで及んでいる。その広域性を意味するために上毛高原が最適だった」と案内されていますが、客観的に見て日光はかなり遠い気がします。そもそも栃木県。つまり最適という駅名は国鉄が仮名称として付けたものです

仮名称がそのまま駅名になっていても問題はないのですが、その駅名は「もっと適正な名前はないのか」と、ずっと議論の的となっています

現在はみなかみ町にありますが駅の発足時は平成の合併前で月夜野町にありました。当時から駅名については、いろいろな意見があったようですが、全国各地の例で分かる通り、こういうのはなかなかまとまらない。2つの町(自治体)なら組み合わせればいいのですが、前述した通り、地域が広くすべて入れ込むわけにはいきません

有名なのは駅でも観光案内があるように

沼田城を巡る攻防で真田家の物語に必ず出てくる沼田ですが、所在は月夜野町で現在も沼田市にはない。ということで仮名称が正式駅名となり、そのまま40年が過ぎています。もちろん変更の要望は定期的に行われていて、昨年にもみなかみ町と町商工会、町観光協会が要望書を提出しています。ただし駅名変更には、かなりの費用が必要で誰がどのような理由で捻出するかという問題もあります

駅では、さまざまなキャラがお出迎えしてくれます。東京までの所要時間は列車によって異なりますが60~80分で1時間に1本の列車が確保されています。次に訪れるのはいつになるか分かりませんが、その時の駅名にも注目です。そんなことを思いながら、ふと向かいの上りホームを見ると

こちらにもテンションが上がるものがありました

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東日本の新幹線単独駅を巡る~学校名が付く駅

本庄早稲田駅の平仮名駅名標

2022年10月21日9時25分

請願駅の新幹線駅

安中榛名から逆戻りする形で高崎を越え本庄早稲田で下車しました

駅名から想像できるように早稲田大学の本庄キャンパス最寄りです。実は40歳を過ぎるころまで都内にある「早稲田」の地名は学校ができたことで付いたと思い込んでいました。実は全く逆で早稲田といえ場所に学校ができたのです。私自身も20歳前後は、あのあたりに4年ほど生息していたのですが学校近くまでは行っても校門はくぐらず付近のパチンコ店や雀荘への途中下車を繰り返していたため、全く知らない。もちろん当駅に入っているのは学校名です

新幹線の単独駅は請願駅として上越新幹線の開業から20年を経て開設。駅名に学校名が入ったからかどうかは分かりませんが、請願駅の条件となる地元負担の工事費の一部を大学が出しています

駅舎入口はこのような感じ。国鉄時代にできた上越新幹線の駅舎は無骨なものが多いのですが、そんな感じはありません

ローマ字の字体はこのようになっています。感想はお任せ

駅前には広大な駐車場が広がっています。パーク&ライドで使用されているようです。目に入るところに何かがあるかと言われると、商業施設がポツポツあるだけ。ある意味、学問や研究に専念できそうですが、友人と顔を合わせると速攻で都電の駅へと向かい大塚で連れパチという人間は確実に尻込みすることでしょう

当駅の在来線の最寄りは高崎線の本庄。上越新幹線は整備新幹線ではなく国鉄時代に国策として堂々と開業した路線なので並行在来線問題はありません

駅は新幹線単独ですが並行した在来線があるため、規定により乗車運賃は在来線のどこかの駅(近い駅とは限らない)のものを使用します。もちろん本庄。その本庄は直線距離で2・5キロ。道路を行くとご覧の通り3キロに満たない距離で、歩こうと思えば歩けますが、好んで歩く距離ではない。本庄市による「はにぽんシャトル」というパスが1時間に1~2本運行され15分で結んでいるので新幹線の本数を考えると、それほど不便ではありません

朝はかなりの人が

列車本数も上越新幹線、北陸新幹線と両方が乗り入れるため、東京とのアクセスという意味では困ることはありません。北陸新幹線の各停パターンのはずの「あさま」には「安中榛名のみ通過」という、いじめのような列車も存在しますが、それらの一部は上越新幹線の中に入っている本庄早稲田にもちゃんと停車します

下車したのは上りだったので、そうでもなかったのですが、7時24分東京発のあさまに乗車した私は乗客の流動パターンに驚きました。東京駅は自由席に余裕がある形で発車したのですが大宮でドッと乗ってきて座れない立ち客も出現。驚いていると、その方々は8時12分着の当駅でゾロゾロ降り、次いで8時22分の高崎でほとんどが降りていきました。本庄早稲田で降りたのも学生さんという感じではありませんでした。時刻表を見ると平日朝には私の乗車した列車のわずか12分後に東京発高崎止まりとが設定されているので新幹線通勤もしくはビジネス利用がかなりあるようです

コンコースは大きい。ニューデイズもあります

再び改札口に入ることにします

この駅の見どころは

写真だけだと何のことやら分からないかもしれませんが、ホームの向こうにはコンクリートの壁があって、その中に通過線があります。これはどういうことかというと、元々は駅のない高架部分に駅を設置したため、その外壁がそのままにされているのです。工費がかなり節約されたそうです

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東日本の新幹線単独駅を巡る~ここが安中榛名

2022年10月22日8時30分

新幹線駅で初めてときめく

到着しました。安中榛名。各地で念願の駅の手前で降りる時はドキドキします。枚挙するとキリがない。ただ新幹線駅の手前でドキドキしたのは初めてです

帳簿上は高崎から始まる北陸新幹線で唯一の新幹線単独駅(敦賀延伸で越前たけふが加わる予定)。かなり狭い場所に設置されていて速達列車は停車しないのに通過線がありません

改札に向かいましょう

自動改札機が2つだけ。ただし利用者が増えれば増設できるスペースは確保されています

開業25周年

開業25周年でお出迎えしてくれました。北陸新幹線は「長野新幹線」という通称で1997年10月に高崎~長野が開業。かなり大急ぎの工事で慌ただしい開業でしたが、それは翌98年2月に長野冬季五輪が控えていたため。当然それまでに開業しなければならないのですが、ここで群馬県から「待った」が入ります。北陸新幹線は、最初に計画された新幹線(東海道、山陽、東北の盛岡まで、上越、成田)の後からの、いわゆる整備新幹線で「地元が工費の一部を負担」することになっています

北陸新幹線の当初の予定では軽井沢まで駅は設置されない予定でしたが、そうなると群馬県内には単なる素通りになってしまうため「だったらお金は出さない」となったわけです。近年、整備新幹線を巡る工費について、いろいろな事象が起きていますが、当時は長野五輪に向けて開業することが急務で安中榛名駅が登場することになりました

ちなみに北陸新幹線を巡っては、金沢延伸の際「県内に最速達の列車が停車しない」との理由で新潟県がお金を出さない、という一幕もありました。こちらは最終的に境界駅の上越妙高で乗務員が交代するので必ず全列車が停車するだろう、という読みのもと工費捻出に至ったという話があります(ふたを開けると長野駅での交代となった)

新幹線の夢と現在

外に出てみましょう

とても悠々しい駅舎です。整備新幹線より前の昭和時代に開業した新幹線の駅は、よく言えば機能重視で遠方から単に目立つだけ、という無骨な構造が多いのですが、そうではありません

地域の中心駅となるべくような駅舎です

ただ駅からロータリー方面を見ると

おそらくいろいろな施設が立つべき場所なのでしょうが何もない。道路は大変立派で気持ちの良い秋の朝の空気が味わえる空間が広がっています。駅前に商店はありません。コンビニがありましたが撤退したそうです

ただし地図で分かる通り、少し行くと住宅街が広がっています。駅開業後に「びゅうヴェルジェ安中榛名」という広大な住宅街で「びゅう」という名称で分かる通り、JR東日本が山中の土地を購入、分譲したもので副業ができなかった国鉄時代ならできなかったことを民間移管後に行っています。名誉のためにちゃんと触れておきますが、駅前の光景だけを見ると大赤字のミッションだったと思われるかもしれませんが、10年以上の歳月をかけて601区画が完売。そのためか駅前の駐車場は私が訪れた時点で、ほぼ満車でした

県知事による宅地開発の協力記念碑があります

現に開業時は1日300人程度だった乗降者がコロナ禍直前では600人にまで増えていました。もっとも600人という数が新幹線駅として多いか少ないかは別問題で、何かと失敗駅の代名詞のように言われる山陽新幹線の新尾道駅の数字を挙げるとコロナ禍以前は2000人でした

狭き門

駅に戻ります

1日12往復。これが多いのか少ないのかは何とも言えませんが、駅名を伏せて時刻表だけを見せられると朝は上りが多く、夕方は下りが多く、昼間は2時間停車列車がない、よく見かける通勤通学に配慮したローカル線のダイヤだと思うかもしれません。ちなみに私は8時31分着の下りで到着し、9時7分の上りで撤退しました

料金案内は今や古典的なものです。出発の10分前になり、人が集まり始めました。眺めていると皆さん券売機の扱いに慣れているようで、いつも利用されている方ばかりなのでしょう。考えてみれば観光客というのは、あまり考えられず常態的な利用者か私のようなオタクばかりなのでしょう

残念ながら峠の釜めしも駅そばも開店前。ここで立ち食いそばでもいただければ、もっといい記念になったのでしょうが、先もあるのでなかなかそうは行きません。そもそもめん類販売時間は11時から14時のわずか3時間で、時刻表をご覧になれば分かりますが厳密に営業時間を守ると上下1本ずつしかありません。なかなか狭き門です

在来線とのアクセス

私が到着した際、駅前にバスが停車していました

信越本線の在来線へのアクセスバスが安中と磯部に向けて出ています。本数は磯部の方が圧倒的に多い。磯部への時刻表を見ると新幹線との乗り継ぎを考慮したものになっているようで

マイカーなら20分、バスでも25分。これもまた近いか遠いかは微妙なところですが、バスの車窓は見たいものです

名残惜しいですが上りがやってきました

次回来る時はぜひ在来線とのバスアクセスを体感し、駅そばを所望したいなぁ、と思いながら新幹線に乗り込みました

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東日本の新幹線単独駅を巡る~やっぱここ一択でしょう

2022年10月21日7時

鉄道開業150周年記念 JR東日本パス

朝7時の山手線。記事には何の関係もありませんが、初めて黒い山手線に乗車したので記念の意味でも載せておきます(笑)

手には「鉄道開業150周年記念 JR東日本パス」。JR東日本の全線に加え、一部の三セク、私鉄にも乗車できます。これが2回目の利用。1回目については、また日をあらためて紹介させていただきます(アイキャッチの写真は1回目のもの)。この「全線」というのが大きなポイント

7時24分発の「あさま」に乗り込みます

意外と困難な新幹線駅訪問

駅巡りをしていて意外と難易度が高いのが「新幹線駅」です。なぜかというと「カネがかかる」からです。いろいろなフリーきっぷが出ていますが新幹線も含むものは、ほとんどありません。新幹線に乗れるが乗車券部分のみ有効で新幹線は別料金というものがほとんど、というかすべてと言ってもいいぐらい。新幹線駅なので、それなりに本数はあるので到達難易度はそれほど難しくないですが、料金はかかります。自由席に限ると1駅もしくはそれに準ずる区間で1000円に満たない料金が設定されていますが、それでも乗車駅も含め、駅で乗降することを条件とすると3駅2区間で2000円ほどのお金が必要になります。JR各社によって指定席の有無やB特急券の設定、複線または単線による所要時間の違いで一律にはくくれませんが、先日までお伝えしていた高山本線なら、岐阜から高山まで2時間特急に揺られても自由席特急料金は1860円。新幹線料金がいかに高いかが分かります

しかも各社とも新幹線はドル箱なので、新幹線も乗り放題というきっぷは、なかなか出ません。最も収益の高い東海道新幹線などは聞いたこともない。山陽新幹線については一昨年の秋にJR西日本が乗り放題をリリースしましたが昨年は出ませんでした

私は東海道新幹線については初乗車から40年以上かけて全駅乗下車を達成しました。本格的に始めてからも20年はかかりました。東海道本線への乗り継ぎが容易なので前述した通り、作業そのものは難しくないのですが、なかなか別の目的がないと先立つものがないと二の足を踏みます。新駅ができると、また理由をつけて行かなければならない。最後に利用したのは掛川でした

山陽新幹線についてはコロナ禍以前に50歳以上を対象とした「おとなびパス」という西日本全線のフリーきっぷが青春18きっぷのシーズンを避けるようにリリースされていて、そちらを利用したところ、こちらはかなり瞬殺でした(笑)。ただ山陽新幹線のこだまは昼間は1時間に1本なので東広島には本数の多い朝に訪問したことを覚えています。最後の訪問は新下関でした

そんな状況下でリリースされた東日本パスですから、これは利用しないわけにはいきません

第一歩は安中榛名以外に選択肢なし

一応、旅程を組んでみて前日に東京入りし、今回は上越新幹線と北陸新幹線のJR東日本部分を回ることに。2泊目は長野の知人宅に宿泊することが決まっているので反時計回りで上越新幹線、北陸新幹線を巡っていくことにしましたが、朝という本数の多いアドバンテージや私的な行きたかったランキングを考慮すると第一歩は安中榛名にならざるを得ません

旅にハプニングはつきものなので、関西からの訪問がかなり困難な同駅をまず回収しておきましょう

乗車から1時間ちょっと。安中榛名を告げるアナウンスが始まると、かなりドキドキしてきました

到着です。実は同駅に停車する北陸新幹線に乗車したのも初めて。こんなに細いホームとは知りませんでした。誠に失礼ながら、10人以上の人が下車してちょっと驚きました(謝)

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