JR東日本

JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る 混雑のBRT

柳津駅の観光式駅名標

2022年10月14日11時20分

鉄道路線としては廃業

柳津駅に到着しました。鉄路はこちらまで。前谷地~柳津はBRTと鉄道がともに走る形になっています。前谷地は石巻線の乗り換え駅なので、それも考慮されているのでしょう。この区間についてはJR線の運転で乗車できるようになっています。この区間、BRTはノンストップで鉄道は各駅停車。ただスピードは各駅停車の鉄道が早い。この区間については専用道ではなく完全な「バス」なので時間がかかります

駅名標です。BRTとしての運行は2012年から始まっていましたが、鉄道事業としては3年前に廃業となっています

「終着駅」となった柳津の構内は外から見るとこんな感じ

ただBRTの位置付けは気仙沼線の代替で事業者はJR東日本なので青春18きっぷでも乗車が可能。BRT区間としては、ここ柳津からとなります

スタートなる停留所があり、専用道が見えていますが訪問日は自動運転の試験中ということで、こちらからの運転はなし

自動運転は12月から一部の便でスタートしています

専用軌道を走る

私も時々、正確な用語が飛んでしまって「えーっ、と」となるのですが、BRTとは「バス・ラピッド・トランジット」。渋滞に巻き込まれて遅延が発生しがちなバスの弱点を専用道を走らせることによって速度を維持しつつ、需要が多い場所では一般道を走らせて利用者の便宜を図るというもの

日本では廃線となった鉄道の路盤を生かしたものがほとんどですが

愛知県には気仙沼線のような道路法に基づくものではない、軌道法を基にしたガイドウェイバスもあります(撮影は2022年7月)

誰しも考えることは同じ

写真撮影をしているうちにBRT乗り場には長蛇の列。今回のきっぷを利用して北東北へ、という発想は誰でも同じだったようで、東京から新幹線を利用してやって来ると、このぐらいの時間になります。JR東日本には、ほぼ通年発売されている週末パスという商品があり、南東北までのJR路線と当該地域の多くのローカル私鉄や三セクに乗車できるものなのですが、その北限が石巻線でちょうどBRTには乗れない。今回のきっぷならそれも解決です

それにしても金曜だったこの日で、これだけの人。明日はもっと凄いのだろうな、と予想できました(やはり凄い乗車率だったようです)

気仙沼に到着

そのような状況だったので座席確保で精一杯。車窓撮影の余裕はなく、約2時間後に気仙沼到着です。この間55キロ。ちなみに気仙沼線のBRTは柳津から志津川、本吉と本数が増えていき本吉~気仙沼は昼間も1時間に2本の運行があります

気仙沼はここまで乗車した気仙沼線のBRTのほか、一関からの大船渡線の鉄路、大船渡線BRTの接続駅で鉄道ホームとBRTホームが並ぶ構造

こちらが駅舎。すでに13時半ですので、かなりお腹がすいています。次は15時9分のBRTに乗車して盛を目指す予定。せっかくなので海の方に向かおう、ちょっと距離はあるのでタクシーかな?と思っていたところ、たまたま地元のコミュニティーバスの時間だったので

あまり下調べもしていませんでしたが、とりあえず行ってみようと魚市場を目指す

乗車時に口頭で降りる停留所を告げるパターン。地方のコミュニティーバスではよく見かける形です。というか、先に「どちらまで」と聞かれることが多いし、スーパーに通う地元の方だと顔見知りで特にその日の行動に変更がない限りは黙っても行ってくれるケースも見たことがある

お刺身の定食おいしかったです

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終日の沼にはまる~トリを飾るのにふさわし過ぎる駅だった

信濃川島駅の縦駅名標

2022年10月23日16時30分

降りたのは私一人

中央本線の新線と旧線の環状線。ようやく最後の駅

正確には16時36分で降りたのは私一人。というより、手前の小野でほとんどの人が降りてしまいました

もう少しいい角度の写真を撮りたかったのですが、ご覧の通り黄色い線がここ。ホームが狭くて角度がつけられない。そして駅名標が2つ並んでいます

川岸にも残っていた旧式のものと

観光仕様のもの。わざわざこれが作られた理由は分かりませんが、JR東日本のすべての駅にある標準的なものは設置されていません。というより、2つ並べて置かれることの方も珍しいのですけど

ホームからの景色は

こんな感じで自転車置き場がポツンとある以外は、何もありません。ただ目の前の国道153号は塩尻と伊那を結ぶ重要道路なのでひっきりなしに車が往来します。生活音は全くなくエンジン音だけが響くローカル線の駅でよく見かける光景だといえます

ただここまでは車窓からも見られる。この後、私はひたすら感嘆することになります

驚きの連続

当駅の住所は辰野町大字上島。まとまった集落ははここから南へ10分ほど歩いたところで上島の街はさらに南側にある。両隣の辰野と小野が明治の敷設時に開設された駅であるのに対し当駅は戦後10年が経ってから。辰野と小野のちょうど中間点に設けられていて上島の集落に接した場所に駅を作ると辰野までの距離が近すぎて運行上、あまり役に立たない(すれ違いがしにくい)と考えられたとしか思えません

自転車置き場にはポツンと1台。これはホームから見て分かりましたが、ホームへの階段の向こうにポッカリとトンネル。入ってみます

ホーム下のトンネルをくぐるとすぐ右手の階段を昇るようになっていて、すでに撤去されたホームへ向かうのですが、そこには何と

駅舎があります。一瞬、物置か倉庫かと思いましたが、奥には電話ボックスも見えるので、これは駅前ロータリーなのでしょう

ちゃんと駅名板もあるし

もちろんドアも開いて中もきれいに掃除されています。椅子も設置されているので駅舎です。というか正確には待合室なのかもしれません

振り返るとこんな感じ。駅舎(待合室?)側にはかつてホームがあり2面2線構造だったのですが撤去されてしまいました。ホームの撤去はよくある話ですが、普通は駅舎側が残される。その意味では驚きです

ちなみに駅舎側もひたすら農地で、民家がポツン、ポツンと見えるだけ。なぜこのような構造になったのか不思議ですが、個人的な推測としては国道153号の源流となっている三州街道の旧道は、この地点では駅舎側を通っていて、駅の設置時点ではこちら側に比重が置かれていたのではないかということ。そのうち153号側が重要になっていき現在のホームが残ったのではないでしょうか。国道まではロータリーというより小さな未舗装の道があるだけだもの

ある意味の斬新さ驚いて再びホームに戻ります

駅舎が逆側にあるということで時刻表はホーム入口にあります。形状からすると駅名標だったのでしょうか。奥に待合所も見えますが、その位置まで車両が到達することはなさそう

さらにこの駅にはキロポストが2つあって驚く

岡谷からの13・9キロの下の部分が消えてしまったのか

ホームの勾配標の向こうにはもうひとつキロポストがあって、こちらは新線ができる前からのもののようですが東京駅からの距離とは微妙に合いません。神田からのものでしょうか

ちなみに現状、中央本線で唯一、すれ違いのできない駅となっています。また利用者ですが、私の使用している資料だとデータなし(汗)。ウィキペディアには乗員8人と記されていたので乗降16人ということになります。17時4分発の電車がやってきました。私はこの30分間、駅を独り占めです

生活音のない中、アナウンス音だけが響きます。電車は既に点灯。これに乗らないと大変というか、ちょっと夜の当駅にポツンと一人1時間半は怖いかも。秋の陽が落ちるのは早く、東塩尻信号場付近ではもう真っ暗で何も見えませんでした。思いつきから終日の新線旧線環状線の沼にはまってしまい、モバイルバッテリーも残り0%になってしまいましたが、最後の最後で良い光景に出会えました。とても満足です

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終日の沼にはまる~塩尻の思い出

10月23日15時30分

懐かしい写真

再び塩尻駅へ戻ってきました。今日、塩尻のホームに降り立つのは4回目です。朝の10時に着いて、そこから6駅を訪ねるのに5時間半が経過してまだ終わっていない。岡谷については特急利用しているにもかかわらずです。実に効率の悪い行動をしている。もっと早く新線と旧線の環状線回りを思いついていたら、本数の多いみどり湖は後回しにするとか、いろいろやりようはあったのでしょうが、しょうがない。ここで50分の待機

塩尻駅というば、ここですよね

日本で唯一のホームぶどう園。ただ長大な塩尻駅のホームの端にあるので自分が利用するホームが別だと結構遠い

私が初めて塩尻駅に降り立ったのは今から30年ぐらい前のことでした。駅を降りたら相当な積雪。翌朝の仕事に備えて前日夜に入ったのですが、雪の中の業務でかなり大変でした。ですから鉄道関連の思い出は全くありません

次に訪れたのが、それから20年近くが経過した2011年の9月。この時は休暇で新宿からあずさに乗って小海線をウロウロして諏訪湖近くに宿泊。翌日は松本に泊まって塩尻まで戻って今回主役の旧線を経て辰野に行き、ひたすら飯田線を南下。途中で疲れてしまって飯田に宿泊しました

その時、塩尻で乗車した電車は今も明確に覚えています

郵便車を改造したクモハ123系。今は宇部線や小野田線の運用として有名ですが123-1から123-6までがあり、新線ができて旧線が支線扱いになった時にやってきたのが、この123-1。そのままJR東日本の所属となりました

ただそんな事情は後から知ったことで、いきなり目の前に現れてビックリ。今は技術が進んでいますが、当時は電車というのは床下に入れるものが多く最低単位が2両とされていた中、郵便車を改造して1両単行として宇野線で走っているのは高松に住んでいた時に見ていましたが、JR東日本が1両だけ所持しているのは知らなかった

2から6までは今も宇部線や小野田線で現役のはずですが、トップナンバーのこちらは今はありません。フォルダを引っかき回しても、この写真しかないということは1枚しか撮っていなかったのかも。もっと撮っておけば良かった。今としては惜しいことです

待合室では120周年のちょっとした写真展が行われていました

こういうものを見ていると時間はすぐに潰せます

帰路も決定

そして帰還コースも決まりました。朝の時点ではいろいろ考えていて大糸線を抜けて糸魚川から北陸新幹線→北陸本線、乗り放題なので新型あずさで新宿まで行っての東海道新幹線、あずさを甲府で降りて身延線→東海道新幹線などなど。ただ飯田線で豊橋まで行って…というコースは頭の片隅にもなかった(笑)。話としてはおもしろいけど、そもそも家までたどり着くのかという話ですよね

ただこの時間になってしまうと中央本線の名古屋経由というノーマルなルートしかありません

早めにきっぷを確保しましょう。乗り継ぎ割引があるのでエクスプレス予約は使いません

週末や行楽シーズンの夕方以降の名古屋行き特急「しなの」は、いつもめちゃくちゃ混むのでヒヤヒヤしましたが、何とかこの時点では数席空いていました。私が乗る時がたまたまそうなのか分かりませんが、しなのって当日のきっぷ需要が多いようで前日のシートマップで楽勝、と思っていても、いざ乗ると人だらけということが多い。この日も乗車すると自由席は座れない人もいる混雑だったようです

ともあれ、座席も確保できたことで最後の信濃川島に向かいます

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終日の沼にはまる~車窓を含め見どころの多い小野駅だった

小野駅の駅名標

10月23日14時30分

信号場跡と盆地の一望は必見

電車のダイヤの悪さなど諸条件が重なって、たった4キロお隣の信濃川島訪問が2時間後になってしまいました。実際の私の行動は、ここにいてもしゃーない、と40分後の塩尻行きで1時塩尻に戻ってしまうのですが、中央本線旧線の見どころなどもお伝えしたいと思います

東京方面からやって来た線路は松本盆地を目指す上で、いずれにせよどこかの峠を越えなければなりません。明治期に選ばれたのは善知鳥峠でした。「うとう」は海鳥(PCで入力すると一発変換できました)で山中に迷い込んだヒナを追って親鳥がここまでやってきたという言い伝えによるものですが、当時の敷設技術なのでできるだけトンネルを造らないように線路は行きます。峠越えのため、塩尻と小野の間は駅間が10キロもありますが塩尻から来ると車窓左手に盆地が一望できます。盆地が一望というと松本から篠ノ井線を北に行った姨捨駅が有名ですが、それに似た感覚があります。少し残念なのは森の木が多すぎて全面展望とはいかないところですが、それでも一見の価値はあります

そして姨捨といえばスイッチバックですが、ここにもスイッチバックがありました。単線区間で駅間が10キロもあるため、どこかに信号場(すれ違う場所)を設置しないと列車本数が増やせないと昭和になって設置されたのが東塩尻信号場。そしてせっかくだからと戦後は臨時駅(国鉄では仮乗降場と呼んで北海道にはかなりあった)のようにして付近の住民が旅客利用もできるようにしていました

ここで以前記事にしたみどり湖駅近辺の地図をもう一度

かつて信号所があったあたりは旧線と新線が接近していることが分かります。みどり湖駅の設置は信号場廃止による利用者救済の意味もあったようです

塩尻からの車窓では右手となりますが、その跡は廃止から40年が経ってもしっかり残っています。ホーム跡も残ります

ホーム跡は明確には写っていませんでした(謝)。ぜひ乗車して確認してください

小野宿で栄える

さてようやく小野駅です

かつては小野宿として栄え、明治期の線路敷設とともに駅も設置されました。駅前は国道です。屋根の文字が国鉄ぽい

入口の駅名板の雰囲気は縦と横で異なりますが川岸駅で見たものと同じ。同時期に付けられたものなのでしょう

簡易委託できっぷを発売していますが15時までのようで、駅でボーッとしていると「閉めますがきっぷはよろしいでしょうか?」と声をかけてくださりました

こんな文字がありました

さて実際の私は訪ねていないのですが、行けば良かったと激しく悔いたことを紹介しておきます。当駅から徒歩10分のところに神社があります

小野神社と矢彦神社という2つの別の神社が並んでいるのです。しかも矢彦神社については神社だけが辰野町の飛び地になっていて、なかなか興味深い。私は寺社仏閣については詳しくないし、実際に訪問もしていないのでこれ以上のことは語れませんが、40分後の電車でわざわざ塩尻まで戻って、そこで1時間の時間つぶしをするのなら参拝してみたかった。帰宅してから知っても遅い。思いつき旅で駅と線路の点と線ばかりだけ見ていると、こんなこともあります

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終日の沼にはまる~「みどり湖経由」って何なの?

みどり湖駅の駅名標

2022年10月23日12時30分

思いつきが後々に…

結果から先に言うと

この日は地図に表示された「中央本線の新線と旧線の全駅巡り」をすることになりました。塩尻と岡谷の乗下車は特急停車駅でもあり何の問題もないのですが、想像以上に難易度が高い。結果的に「終日の沼」にはまることになりました

ただ今日中に帰らなければならない、お昼すぎのこの時点でも私はそんなことは考えていなかった。最初の2日間が時刻表とにらめっこしながらだったので、最終日はいつぞやの高山本線のようにケセラセラで行こうと思っていました

そもそもJR東日本の駅なのにJR東海の車両ばかりがやって来る川岸駅に来てかなり満足していました。次は駅から離れるわけですが、岡谷~駒ヶ根間の飯田線は昼間は大体1時間に1本ぐらいで運行されているわけですが、私の訪問時間帯は、岡谷行きが2時間空く。次にやって来る電車は12時34分の辰野方面で辰野で旧線の塩尻行きに連絡するので、こちらの方が早く塩尻に行けます

「とりあえず塩尻に戻るか」てな感じで辰野で乗り換え。旧線の車窓を若干、気にしつつ次の訪問をみどり湖にしました。ああ、このときに旧線の駅でひとつでも降りていれば…それは後で後悔したことなので、その時に触れます

三河安城のように連呼され気になる駅

「みどり湖経由」という言葉をよく耳にします。新線を行きますよ、という意味なんですが、特急に乗ると停まりません。東海道新幹線に乗った際の三河安城のように妙に気になる。では行ってみようとなりました。塩尻到着は13時6分。中央本線上りは13時12分なので、すぐ発車です

1駅なので、たった4分で到着。乗車電車は…

ご覧のように再びJR東海車。飯田線へは岡谷始発以外にも中央本線からの乗り入れがあります。4本が東側から、3本が西側からで私は、その西側からの1本にたまたま乗り合わせたわけです。こちらは松本始発で飯田へ向かうもの。グルリ1周して再び川岸に行けるわけですね。さすがに行かないけど(笑)

そのみどり湖駅

駅名は近くにある人造湖にちなんだもの。駅の住所は「塩尻市大字上西条道畑」と随分漢字が並ぶものですが、1983年の新線開業で松本まで約20分というアクセスの良さもあり、地図でも想像できるように周辺は分譲地の住宅街となっています

ホームは堀削地に設置されています。2面2線ですが駅舎はありません

階段でホームから出ると

すぐに公道。ホームとホームの間は、この公道を利用いることになります

その公道から俯瞰すると背景も含め、なかなか良い景色が広がります

おもしろいのは

ほぼ公道上に時刻表が掲げられていること。駅舎がないため、予備知識なしで通りがかると「エッ」となるかもしれません

ホーム入口にはICタッチと乗車駅証明書の発行機

電車がやってきました。さすがにJR東日本車両でした

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終日の沼にはまる~時刻表では1日7本?の駅

2022年10月23日11時30分

時刻表を開いて絶句

辰野駅訪問を終え、さて次はどうしようというこの時点でも、まだノープラン状態。ただ時刻表から行動は縛られています。辰野からは3方面の列車が出ていますが所持しているきっぷは飯田線には行けないわけで、中央本線旧線しかない。となると塩尻行きか岡谷行きに限られるわけで岡谷行きは11時48分、塩尻行きは12時43分。そりゃあ早い方に乗ります。そして私は岡谷と辰野の間にポツンと1駅だけある川岸という駅に大いに興味を持っていました。優等列車の停車駅に挟まれた、たったひとつの駅はどんなものだろう?というものです

実は最初に時刻表を広げた時に絶句したのです。この川岸駅、停車する列車が1日で下り7本、上り8本しかない。なんだこれは

しかしよく見ると違うのです。私が持っているのは交通新聞社のコンパス時刻表ですが、岡谷始発、終着の飯田線列車は飯田線のページに記されているのです。時刻表をよく見る人は分かると思いますが中央本線の欄外ページにしっかり「岡谷~辰野間は飯田線のページと併せてご覧ください」と書かれている。中央本線の路線でありながら飯田線のページの方に記されている列車が圧倒的に多いのは、この区間の特性を表しています

ホームで待っていると乗務員の方がやってきました。私が乗車したのは上諏訪まで乗り入れる電車でしたが、たった2区間、10キロにも満たない距離ですが、JR東海とJR東日本で、しっかり交代するようです

ワクワクしながら下車

ということで川岸に到着。飯田始発の電車。当然ですがJR東海の車両です。ワンマンにはない、この出発シーン。いつ見てもいいですね

駅に残るのは旧式の駅名標。字体はもちろん、両隣の駅をきっちり端に寄せているのがいい

1面2線のホームから見た駅舎の風情も期待にたがわぬもの。ワクワク感が大きくなります

そして跨線橋

おおっ、そう来ますか

勝手に「スタンプ駅名標」と名付けていますが、高山本線の笹津駅の訪問記でも紹介した写真です。笹津駅は危ない感じですが、こちらはしっかりと残りそうな気がします

来て良かったと思わせる駅

川岸は以前の自治体名で川岸村が戦後、岡谷市に編入されています。当駅の設置は大正期で明治期に中央本線が敷設された後、新たに設置。川岸村に対する駅だったのでしょう。まさに天竜川の川岸で住居表示は駅がある方が川岸東、川の向こうが川岸西。町は川の西側に広がっていて線路がある側は道路と中央道があるだけで、あまり何もありません。ただ川岸村の中心で旧村役場などがある町は、もう少し岡谷寄りの場所。なぜそこに近い所に駅を設置しなかったのかは分かりませんが、駅を造るスペースがほど良かったのか、よくある話で駅間距離が短くなるからかもしれません。ちなみに当駅と辰野は6キロ、岡谷までは3・5キロと現状でもかなり偏っています

駅舎は

基本的には開業時のものだそうで、屋根の色に合わせた緑色の「川岸駅」の文字が映えます

入口の駅名板にも風格があります

その一方でかわいいポストがあり

50周年に設置されたものでしょうか、駅の記念碑があって、その下には

国鉄とD51のプレートが埋め込まれていました

古い駅舎ならではの悩みもあるようです

ホームの待合室は新しいもので、こちらは冬場も大丈夫

訪問時は秋の穏やかな日でしたが天竜川沿いにあるため、集落は過去には何度も被害に遭っているそうです。その度に復旧してきました

来て良かったと思わせるに十分な駅でした

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終日の沼にはまる~見どころの多い辰野駅

JR東日本とJR東海の分岐を示す辰野駅の駅名標

2022年10月23日11時

かつての要衝駅

辰野駅には広い構内が残ります。

ホームは2面3線プラス0番線の形式。その向こうに貨物用の側線が広がっていますが現在、貨物の定期運行はないようです

切り欠きホームの0番線は構造的に飯田線方面にしか進めないので飯田線専用ですが、帳簿上は飯田線の終点駅で、なおかつJR東海とJR東日本の境界駅でありながら、当駅が終着となるのは最終の1本だけ、始発となるのも早朝の始発1本だけで他はすべて岡谷まで運行されるため、1日1本だけが出発するホームとなっています

跨線橋の0番線案内。旧線経由で塩尻方面からやってくる電車は6時32分に辰野着。0番線は駅舎から平面で入れるため、外から来る人は跨線橋を利用しません。つまり1日1回だけ利用される階段ということになります

手元に鉄道全盛期の余韻が残る1968年(昭和43)10月号の時刻表復刻版がありますが、当時はもちろん飯田線の列車はほとんどが辰野発でした。中央本線はすべて辰野経由だったのですから、ここで乗り換えとなります。前記事でも触れましたが、中央本線が辰野を通ったからこそ飯田線(当初は私鉄)が敷設されたといえます

話はそれますが当時は飯田線を走る急行も多く設定されていて現在の特急の原点ともなっている急行「伊那」の姿もあります。うち1本は上諏訪を14時16分に出て辰野発が14時44分。豊橋経由で名古屋まで運行され、終点の名古屋着が20時44分。それで終わりかと思いきや、ここから普通電車へと変わり、米原着が22時18分で、ここが本当の終点となっています。こういうのを眺めていると、あっという間に時間が経ってしまいます

ただ1983年の新線開通がした後、現在は岡谷始発の飯田線から中央本線旧線に乗り換える駅だという性格が強くなっています。優等列車の発着も定時ではありません

印象的な駅ビル

駅の外に出ます

立派な駅ビルとなっています。新線開通時に建てられました。当駅が中央本線のメインルートから外れることの対価として造られたという記録が残っています。いろいろなテナントが入っていたそうですが、現在は残念ながらすべて撤退しているようです

辰野駅はもちろん辰野町の中心駅ですが、川に阻まれたのか元々の町の中心部から少し離れたところに設置されています。町の中心部にはどちらかというと飯田線の宮木が近いようで、単式ホームと待合所だけの駅でありながら、付近に学校もあるため利用者数は辰野より宮木が勝っています

数年前まで管理駅だった辰野も現在は大幅に機能が縮小されています。駅員さんはいますが業務委託でみどりの窓口もなくなりました

それでも複数ある駅名板が楽しませてくれます

駅舎の中に外にと複数存在します

駅の規模を考えると、こういうのってあまりありません

駅舎の出入り口でヒラヒラしているものは何かと見たら野鳥対策だそうです

駅前の通り。昔からの空気が残っています

神戸市の会社でありながら意外と神戸の自販機で見かけないUCCのミルクコーヒーを買ってしまいました

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終日の沼にはまる~上りと下りが交差する辰野駅

辰野駅の観光式駅名標

2022年10月23日10時50分

両社の車両が並ぶ

岡谷から約10分で辰野に到着しました。私が乗ってきたのは左側のJR東海車両。このまま飯田線に入り中部天竜が終点です。右は旧線を塩尻へと向かうJR東日本車両。旧線は本数は多くはありません。昼間は1時間半に1本程度の運行。一応、接続が考慮されているようです

塩尻でも見た感じの駅名標。緑がJR東日本でオレンジがJR東海。川岸は岡谷方面で信濃川島は塩尻方面、宮木が中部天竜(豊橋)方面

ここに至る道中で時刻表をパラパラとめくっているうち、自分の中で上りと下りの感覚がおかしくなっていることに気付きました

大回りにも意義はあった?

塩尻~岡谷間を路線図で見ると、こんな感じです

右の新宿方面からやって来た線路は現在、岡谷から真っ直ぐ塩尻へと向かいます。途中にはみどり湖という駅が1駅だけある。ですが40年前までは辰野経由で向かっていました

今見ると「なんちゅー遠回りをしとるんや」と思うかもしれませんが、以前は普通の感覚でした。私も新線がないころに乗ったことがありますが別に何とも思わなかった。しかし客観的に地図を見ると明らかにおかしいですよね

これにはいろいろな説があり、ひとつは政治的圧力、もうひとつは単なる技術の問題です

明治時代に中央本線が敷設される際、現在の路線を行くか、今の飯田線がたどっているコースを行くかで激しい争いが繰り広げられた末、現行路線となりましたが、伊藤大八という飯田出身の政治家が「できるだけこちらも通せ」と命じて辰野回りになったいう説です。確かに地図を見るとわざわざ塩尻まで行ってからUターンするようになっている

技術的な問題とは岡谷~塩尻間の峠を通れなかったというもの。諏訪盆地と松本盆地の間にある塩尻峠は古くから交通の難所とされ、とてもじゃないが蒸気機関車では登れない。現在、ここは6キロものトンネルでつながれていますが、明治の技術ではトンネルを掘るのは無理。現に戦後でも8年もかけてトンネル工事が行われています

私的には後者のような気がしますが、平面的な地図を見た感じだと説得力があるのは前者で、また話としておもしろというか伝説時になりやすいですね

ただ辰野回りになったからこそ現在の飯田線が敷設されることにもなったわけで、その意味では意義があった遠回りになったことも事実です

紙の時刻表のおもしろさ

そんな経緯もあってこの区間では上りと下りが交錯しています

東京に向かうコースが上り、もっと広義にして平べったくすると田舎から都会へ向かうのが上り、というイメージがあり、確かにそれは正しいのですが、感覚的にあてはまらないケースもあります。例えば三重県の亀山からグルリと紀伊半島を回って和歌山へと至る紀勢本線。和歌山から大阪府内へは阪和線で結ばれ、両方を通る特急も運行されていますが正式に言うと和歌山までが下りで和歌山から大阪は上りです。起点から終点に向かうのが下りで終点から起点に向かうのが上りというルールがあるからです。阪和線は後から国鉄になったという歴史的経緯もあるのですが、天王寺を起点に和歌山と結ばれ、紀勢本線は亀山を起点に和歌山市まで結ばれるので、このようになりました。ですから時刻表は普通、下りページがあって次に上りページとなるのですが、この区間については上りが先に書かれていたりします。

北陸本線も途中で変更があり金沢が起点で米原が終点というのが正式ですが、冊子の時刻表では肌感覚に合わないとされたのか、昔からそうなっているという意味なのか、上りと下りは昔式となっています

話を戻して中央本線ですが、私が来たコースは塩尻から岡谷経由での辰野行き。塩尻から岡谷にかけてはもちん上りですが、岡谷から辰野にかけては下りとなります。線路上は同じコースを引き返しているわけではないのにそうなります

また飯田線は豊橋が起点で辰野が終点ですから辰野から豊橋へと向かう列車は、上りとなるのですがほとんどの列車が岡谷始発なので岡谷から辰野は中央本線の下りを走り、同じ列車が飯田線の上り列車となる運行です。時刻表では飯田線については岡谷→豊橋が上り、豊橋→岡谷が下りのページとひとつになっていますが、そのため、おもしろいことに途中の川岸については中央本線と飯田線で同方向の列車が上りと下り、それぞれのページで別になっています

ちょっと長くなってしまいました。これから辰野駅のウォッチングとなります

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終日の沼にはまる~7分で終わったデビュー戦

岡谷駅の観光式駅名標

10月23日10時10分

旧線を辰野へ向かおう

ふと目についたICカードの利用注意。いろいろな駅名が書いてありますが、私の目にとまったのは辰野でした。岡谷から辰野を経由して塩尻に至るルートは「辰野支線」と呼ばれる中央本線の旧線で、10年以上前にやって来た際、塩尻から旧線で辰野へと向かい飯田線に乗車。飯田で宿泊して飯田線をひたすら南下しました。自宅で乗りつぶし手帳を確認しないと分かりませんが、もしかすると岡谷~川岸~辰野の2区間って未乗区間ではないのか?という疑問がわいてきました

だったら良い機会ではないですか。もし過去に乗っていたとしても別に問題はない。辰野は通ったことはあるけど降りたことはないので、とにかく行ってみましょう

さっそく改札で確認。案内表示は左から中央西線(名古屋方面)、篠ノ井線(松本方面)、中央東線(新宿方面)。右下にぶら下がっているのが辰野へ直接向かう旧線。本数も少ないし優等列車もないので、このようなかわいい表示になっています。現に次の電車まで2時間以上あります。このダイヤに悩まされるなんて、このときは思ってもみませんでした

今の私に用事があるのは右端の中央東線です。このタイミングでは時刻が出ていませんが、10時18分発。もう数分しかないので急いでホームに向かう

これはきっぷに助けられました。次の普通はご覧の通り、11時3分で1時間後。青春18きっぷだったら乗れないし、そうでなくても短い区間に特急課金するのはためらったでしょう。それがこの「鉄道開業150周年記念 JR東日本きっぷ」ならバンバン乗れる。そして実は私、いわゆるあずさ車両のE353系には乗ったことがなかったのです。いろいろな意味で助かります。今回のきっぷで特急の乗車率が上がっていますが、この時間なら大丈夫だろうと乗り込むと、予想をはるかに超えるガラガラぶりで頭上のランプを見ても、先の区間でもまだ指定はかなり残っているよう。きっと夕方には混雑するのでしょう

なかなか座り心地の良いシートです…などと感想を述べたいところですが、そんなわけにはいかなかった。たった7分で到着なのですから。そりゃそうです。たったの12キロしかないんだもの

そして結果として、今回のパスを利用した優等列車はこれが最後になってしまいました。もちろんこの時点では、そんなことは思ってもいません

0番線大好きです

岡谷の駅舎を見て「あれ?」と思いました。10年以上前に降りたことがあるのですが、いかにも国鉄という雰囲気の駅だった記憶があるのですが、すっかりリニューアルされている。ビックリしました

ただ柱の方向案内のホーローは健在のようです

この駅名標を元に説明すると川岸方面つまり辰野へ向かうルートが旧線で長らく中央本線だったのですが40年前にみどり湖経由の短絡線つまり新線が開通して旧線は辰野支線とも呼ばれる支線扱いになってしまいました。ただこのルートは中央本線というより、むしろ飯田線のメインルートになっていて、それは乗り換える電車で分かります

旧線は切り欠きホームとなっている0番線から発車します。基本的にホームというのは駅の事務室である駅長室から順番に1、2、3…と番号をふっていきます。ただ何らかの事情で後から1番線と事務室の間にホームを設ける必要が生じた際に0番線とします。それゆえ切り欠きの行き止まりとなっていることが多い1からホームの番号をふり直すのは作業的にも経費的にも面倒なので、いわば苦肉の策なのですが、当駅も中央本線の新線ができた後に辰野方面への専用ホームとして0番線ができました

当駅も切り欠きホーム。この部分だけ本来のホームと思われる部分が極端に狭くなっているので、後から造ったことが分かります

ただ、この0番線も駅のリニューアルが行われる際、0は不自然ということで1からふり直すことも多く、徐々に姿を消しています。でも、その不自然な「レイ」「ゼロ」という響きがいいですね。私は大好きです

ご覧になってお分かりのように岡谷はJR東海との境界駅でもないのにJR東海の車両が停まっています。中央本線ではありながら、飯田線の運行に組み込まれていて岡谷から辰野方面に向かう電車は辰野止まりは朝の1本のみ。辰野での乗り換えなしに塩尻に向かう本来の中央本線の電車もまた朝の1本だけ。他はすべてが飯田線に乗り入れます。ともかく特急に乗ったおかげで15分ほどの短い乗り継ぎで辰野に行けることになりました

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終日の沼にはまる~ノープランから、なんとなく見た看板が

塩尻駅名物の定員1人立ち食いそば

2022年10月23日9時

しなの鉄道からスタート

前夜は友人宅に泊めてもらいました。この日はしなの鉄道の屋代高校前駅からスタートです。三セク移管後に新設された駅で文字通り屋代高校の最寄り駅。同校へのアクセス駅としては近くに長野電鉄屋代線の東屋代駅があったのですが、こちらは2012年に廃線となっています。もっとも東屋代は利用者が少なかったのに対し、こちらは効果抜群でコロナ禍前には1日に2000人もの乗降がある駅となっていました

まずは篠ノ井へと向かいます。こちらはパス対象外なのできっぷを購入

実を言うと前日と前々日は時刻表とにらめっこしながらの旅でしたが最終日の今日は全くのノープラン。本日中に帰宅するだけ。まずはきっぷの有効区間内である篠ノ井まで出ます

しなの鉄道といえば115系のイメージですが、かなり減っていると聞きます。私も数年ぶりに乗るのですが向かいのホームにいる新型車両を初めて見ました

と思ったら、やって来たのは115系のしかも湘南色。ちょっとラッキーな気持ちになって乗り込みます

複数の選択肢

とはいえ、この時点で本当に何も決まっていません。いつもならある程度の方向は前夜に決めるのですが、友人たちとおしゃべりをしていたのでそれはなし。とにかくJR東日本管内に入って、このまま乗れば長野に行きます。篠ノ井で乗り換えれば松本方面。短時間での決断が求められますが時刻表を見て篠ノ井駅で5分の接続で名古屋行き特急のしなのがあることが判明。とにかくJR東日本管内では特急は乗り放題なのです。ですから特急に乗るチャンスがあれば、とにかく乗るというセコい考えです

篠ノ井駅の駅名標。多車線との分岐な感じは大好きです

今回の「鉄道開業150周年記念 JR東日本パス」の期間、特に週末は新幹線や在来線特急は満員続きでした。まだ記事にしていませんが前週そして今週も利用して、それを実感しています。ただ一昨日、昨日の新幹線は私が乗車したのが各停タイプだったことや人の流れが逆方向だったこともあって自由席には楽々座れました。記事にもしましたが、在来線特急のしらゆきの自由席混雑は指定席に乗車して回避しています。しなのも、まだ朝なのでガラガラです

この時点でまず考えたのが松本で降り、大糸線に入るあずさに乗ること。1日1本だけ大糸線に乗り入れるあずさは松本で50分の接続。いい感じです。調べてみると指定もガラガラなので問題なさそう。ただ正午に南小谷に着いた後に北上すれば早々に別料金となってしまう上、戻ってくると単純な往復になっておもしろみに欠ける上、途中の駅など回っていては松本で結構な時間になってしまう。だから却下。次に考えたのが篠ノ井線内の駅巡り。姨捨以外はほとんど降りたことがありません

途中区間で特急も使えるし、こりゃいいや、とほぼこの線にしました。ただ乗車したしなのは明科には停車するものの、そこからの接続が今ひとつ。うーん、中央東線パターンも含め、とにかく塩尻まで行ってから考え直そう、となりました。これが沼への入口となるのですが

塩尻で見たもの

これは篠ノ井線から中央西線でJR東海に入るもの

こちらは中央線の西線と東線。塩尻はいろいろな駅名標が楽しめていい。アイキャッチの定員1人立ち食いそばも健在です

篠ノ井線も120周年なんですね。これはなかなかの歴史です。塩尻駅の新駅40周年というのにも目を引きました。学生時代に来たことがあるのですが当時は今とは中央本線と篠ノ井線の立場が逆で名古屋~松本間を直通する列車にスイッチバックが必要となっていました

次に目にとまったのは

こちらの案内。磐城から松本までの450キロもの区間が東京近郊区間になったことが大いに話題となりましたが、それに関係するのがIC乗車券。ふーん、と眺めていたのですが、この案内が大きな沼への入口となってしまいました

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