JR東日本

青春18きっぷで冬の内房線を行った~今さらながら逆の選択だった

君津駅の駅名標

※訪問は2022年12月16日

社会人野球で有名

君津まで戻る。時刻はご覧の通り15時40分。朝の8時半にこの駅で乗り換えて内房線ツアーを開始したから、7時間ぶりの帰還となる。帰還といっても君津駅で下車するのは初めてだけど

君津駅は1915年(大正4)に木更津から上総湊まで線路が延伸された際に開業した。当時の駅名は周西(すさい)で戦後、現駅名となった。ただし同時開業した他駅との現状は大きく異なる。ここから千葉方面へは複線で完全に東京へ向けた首都圏運行となり、本数も急に多くなる

現在、内房線を走る唯一の定期特急「さざなみ」は元々、東京から館山まで運行されていたが、利用者の減少により、2015年からすべて君津止まりとなった。朝は上りのみ、夕方は下りのみ。昼間は走っておらず、停車駅は君津、木更津の後は姉ヶ崎、五井、蘇我と停車して京葉線経由で東京に至る。しかも週末は運行されておらず、完全に通勤に特化したものとなっている(その分、週末は臨時特急扱いで「新宿さざなみ」が館山まで運行される)

また1日に1万人以上が利用する規模の大きい管理駅だが、みどりの窓口は今春、営業を終了した

社会人野球が好きな方にとっては有名な君津。多くのプロ野球選手も輩出しているが、かなり歴史がありそうな出口案内は「新日本製鉄」となっていた(昨年12月の写真)

宿泊は木更津で

さらにもう1駅戻って木更津へ。内房線では君津、木更津と管理駅が並んでいて、それぞれ君津以南、木更津以北を受け持つ形となっている。意外な豆知識としては、かなり都市部となる両駅だが、両駅間は7キロもあり、これは内房線で最長。また君津市内の内房線の駅は君津1駅しかない。君津市の構造が海に面する部分は小さく、山中に広くなっているためで久留里駅をはじめ、以前紹介した久留里線の閑散区間も君津市となる。ただし君津駅から直接行くことはできず、一度木更津まで出ないと同市内の駅に行けない形となっている

冷静に考えると汗をダラダラ流しながら延々と歩くのが8月で、東京湾沿いに海水浴場の紹介をしながら訪ねるのが12月とは完全に真逆の選択である。なんでこんなことをしたのだろう、と今さら頭をひねってみてもどうしようもないが、通年発売のJR東日本「休日おでかけパス」は君津までながら、久留里線はエリア内となっている。東京に行った際、急に思いつくとこうなったのだろう(もっとも8月は青春18きっぷの期間内でもあった)

木更津は君津の倍の利用者がある、さらに規模の大きな駅。自動改札機の数がそれを物語る。もっとも青春18きっぷでは無縁なものではある

16時過ぎというのに、早くも夕闇が迫ってきた。本日は木更津泊。明日は朝から残り駅の回収を目指す

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青春18きっぷで冬の内房線を行った~南房総市の市役所最寄り駅

富浦駅の改札付近

※訪問は2022年12月16日

7つの町村が合併

浜金谷から4駅館山方面へと向かい、富浦駅に到着。再び南房総市に入ります。南房総市は7つもの自治体が合併して誕生した(2006年)しただけに広大で、房総半島の南端を含んで東京湾にも太平洋にも面している。館山市を取り囲むようになっているのは、当初の合併協議から館山市が離脱したため。市内には館山市内の3駅を挟んで駅が6つもある

中でも富浦駅は市役所最寄り駅で、地図上では「代表駅」となる。ただし、それぞれの地区(旧町村)には、それぞれの歴史があり、突出して大きい都市が中核をなす形にはなっていないため、それぞれの駅が、それぞれ中心駅である

凝った造りの駅舎

とても立派な駅舎でJR移管後の1995年に新駅舎となった。合併の話が出るより、かなり前の竣工。駅としての歴史は1918年(大正7)に内房線が安房勝山から那古船形まで延伸された際に途中駅として開業しているので、100歳を越えている

中は木造。駅舎内の待合室で分かる通り、なかなか凝った構造となっている

このころの各地では、1988年に当時の竹下内閣が行った「ふるさと創生1億円事業」という、全国の各自治体に配った1億円ずつのお金を原資にした駅舎が建てられていて、こちらもその一環かと思い調べたが、富浦駅については分からなかった

ただしホームには旧来の待合所が残っている。1面2線の島式ホーム。こちらは内房線でよく見られるスタイル。跨線橋で出入りする

東京、千葉への移動手段

訪問時は無人状態だったが、必ずしも無人駅ではないようである

こちらは時刻表。主に週末に臨時特急として走る「新宿さざなみ」の停車駅となっている

ホームには乗車位置案内がある

富浦は古くからビワの産地として有名で当地の「房州びわ」は、皇室に献上される歴史を持つ。そのびわにちなんだ名前を持つのが「道の駅とみうら」で1993年に県内初の道の駅として登録され、その後「道の駅とみうら枇杷倶楽部」となった

国道127号に面する道の駅は富浦における交通拠点ともなっていて、館山から千葉、東京、羽田空港~横浜に向かうバスが頻繁に通る。富津館山道路の富浦インターが至近にあるからで、富浦から千葉へはバスが1680円、電車が1520円、富浦から東京へはバスが2550円、電車が2310円と電車がやや有利だが、所要時間だと、千葉までのバスが90分なのに対し電車が110分、東京へは同じく110分と150分で、バスの圧勝となっている。週末は特急があって時間は短縮されるが、その分、特急料金がかかる。運行はともに昼間は1時間に1本。羽田空港や横浜へは、そもそも電車利用の概念がないだろう。停留所にはバス利用者を対象とした駐車場があるのは全国の高速バス停留所で見られる形である

冬至を前にした冬の日は短く、14時半という時刻にもかかわらず、太陽は早くも隠れる態勢をとっている。鉄路は高校生を中心とした内房線内の地域輸送に特化されているようだ

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青春18きっぷで冬の内房線を行った~鋸南町のもうひとつの駅は瓜二つ

安房勝山駅は単式化されている

※訪問は2022年12月16日

隣駅へは徒歩移動

「ばんや」さんで大満足の昼食を摂り、保田のお隣の安房勝山までは徒歩移動である

駅同士を歩こうと思えば、50分ぐらいかかりそうだが、保田からばんやさんまで15分歩いているので、残りは30分ぐらいで行けそうだ

それでも安房勝山発13時2分に乗車しないと1時間の待ちタイムが生じてしまう。現在は12時10分で、楽勝とは思うが、どんなトラブルが待っているかもしれないので、海沿いをサクサク歩くと安房勝山に到着

木造駅舎が残るが、感想は「保田と同じじゃないか」

ちなみに保田駅はこんな感じ

屋根の二重構造や支える柱が全く同じ

昨年、高山本線を巡った時も同じようなことがあった

飛騨国府と上枝は同日開業だったが、内房線の両駅はというと1917年(大正6)8月1日と全く同日。浜金谷から安房勝山までの2区間が開業して1年後に那古船形まで延伸されるまで、しばらく終着駅だった。きっと両駅とも同じ施工者によるものだろう

鋸南町役場の最寄り駅

こちらは駅名板。保田駅とは異なり、6年前に無人駅となった。しかし鋸南町役場の最寄りは当駅である。内房線の駅は現在、当駅と保田駅以外はすべて「○○市」にあるが、両駅については平成の大合併の経緯を経て、そのまま鋸南町にある。両駅付近が鋸南町の主要集落。当駅のすぐ近くにはコンビニもある

歩いてきた保田~安房勝山で少し海沿いに向かえば、源氏再興を目指して挙兵した源頼朝が石橋山の戦いで敗れ、命からがら海を渡って逃れてきた「源頼朝上陸の地」があり、せっかくなので訪れてみたかったが、時間が微妙だったため、立ち寄れなかったのが残念

ホームは単式化

こちらは無人となった駅舎内

島式だったホームは単式化されていて、かつての線路の部分に階段が設けられ、ホームに直接入る形となっている

控えめに設置されたキロポスト。蘇我から70・8キロ。結構な距離だ

千葉、東京方面への乗り換え案内。千葉まで乗り換えなしで行けるのは朝の3本だけだということが分かる。ただ主に君津となっているが、乗り換え時間は「乗ったら即出発」の芸術的タイムである

この手書きの「事務室」は那古船形にあったものと同じ文字。前述した通り、那古船形まで延伸されたのは当駅が開業してから1年後。両駅ができてから設置されたもののように思えるが、さて、いつからのものだろうか

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青春18きっぷで冬の内房線を行った~当時の町名を合わせた木造駅舎

那古船形駅の駅名標

※訪問は2022年12月16日

大正期からの駅舎

電車は岩井から再び館山方面へと向かい、館山のひとつ手前、那古船形で下車

写真で分かるようにかつての島式ホームの片側が潰され単式ホームとなっている

駅舎から階段やスロープでそのままホームに入る。スロープが設けられ、しっかりバリフーアフリー対策ができているのは棒線化されたのが2019年と、ついこの間のことだからだ

私見だが、利用者が多い駅でない限り、ホームが複数ある場合は跨線橋が設けられていることが多い。構内踏切は遮断機が降りるシステムにすると、お金がかかるし、遮断機のない無人状態だと危険性が大きくなるので、だったら跨線橋を、となるのは分かるが、自分もトシをとってくるとはっきり認識できるようになってきたが、エレベーターもない跨線橋の昇り降りは負担だ。優等列車も貨物列車も走っていない1日数本のローカル線では、なんで階段の昇り降りをしなければならないのか、と思うこともしばしば

道路に目を転じると、70年代以降、日本中のいたるところに設置された歩道橋は、ほとんど「新設」がない状況だ。横断歩道の存在が渋滞を助長するとの理由で歩道橋が作られた時代から、歩行者優先で、車に乗るなら渋滞ぐらい我慢しろ、という流れだ。内房線は1時間に1本と本数は多い部類だが、利用者目線だと跨線橋がないのはありがたいことである

話はややそれたが、当駅は1918年(大正7)からの駅舎である。ほんのわずかではあるが、館山まで延伸されるまでの間、終着駅だったこともある

塗装され直されてはいるが、ほぼそのままの姿を保つ。全国各地どこへ行ってもそうだが「開業時からの駅舎」「昭和30~40年代のコンクリート駅舎」「平成になって建て直された立派な駅舎」「簡易駅舎」と分別される中、観光地も多く東京からも近い内房線は、そのコントラストが大きい

駅名板もホーローが残る

駅名に名を残す2つの自治体

内房線の駅らしく、少し歩くと間もなく海と漁港に着く。駅の住所は館山市船形。かつては舟形町だったが、1939年の館山市発足の際、自治体としては姿を消している

では「那古」は何かというと、こちらも「那古町」という自治体名。同じく館山市ができる際に姿を消したが、那古には名刹の那古寺があり、駅からも十分徒歩圏内ということで、2つの自治体名を合わせて駅名となった

駅を設ける際、駅名を巡ってもめた結果、2つの自治体名や地域名を並べるのは、よくある話だが、大正時代では珍しい。ある意味、時代の先取りをしていた駅ということになる

ひらがなだけを縦に並べるとこのようになるが、知らない人だとどのような漢字があてはまるのか想像もできない。ちなみに駅名は「なこ」だが、自治体名も寺の名前も「なご」である

駅はホームが単式になった時に無人化された

無人駅で券売機はないため、乗車証明書発券機が設置されている。IC乗車ができるようになっているため、利用頻度は不明

ただし、いつのものからなのか「事務室」の手書きプレートは残っていた

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満員の代行バスで旅を締める

酒田駅の特急いなほパネル

3月4日11時10分

特急いなほに乗車

いなほは秋田~新潟を結ぶ特急ですが、1日7往復の運行のうち、秋田と新潟を直接結ぶのは2往復のみ。多客期は一部延長運転が行われますが、5往復は酒田~新潟の運行となっています。酒田駅が新潟支社と秋田支社の境界となっているため、普通の運行は酒田で分断され、特急を利用しない場合は乗り換えが発生します

とはいえ

秋田~余目間は未乗車区間のため、酒田で下車。すでに山形県に入っています。ここでランチタイムと。昭和30年代に建てられた典型的な国鉄コンクリート駅舎ですが、2年前にリニューアルされました

美しい余目駅

酒田からは普通に乗車。15分ほどで

余目に到着。駅名標で分かる通り乗り換え駅

駅名標は新しいものですが、ホーム上の乗り換え案内はクラシックなものが残ります。新庄へ向かう陸羽西線の乗り換え駅

来るのは2度目ですが、黄色の文字が美しい。階段もその色に準じていて離れたところからも目立ちます

陸羽西線はバス代行中

時間的には東京に向かうことになっていて、本当は特急で新潟まで行き、上越新幹線で東京に行く方が圧倒的に早く、新幹線も乗れるJR東日本パスを有効利用できるのですが、この日はちょっと違うことを考えていました

余目駅の跨線橋ですが、新庄へ向かう陸羽西線ホームへの通路は塞がれています。現在、陸羽西線と交差する道路のトンネル工事に伴い、バス代行が2024年度中までの予定で行われています

この代行バスに乗ってみたくなりました。最上川に沿って走る陸羽西線ですが、バスからだと以前乗車した鉄道とはまた異なる景色が見られるはず

こちらは前日、古川駅に張られていたバスの時刻表。陸羽西線は酒田から直接乗り入れる運行があったため、バスで酒田からも行けるようになっていますが本数は圧倒的に余目からが多く、また久しぶりに美しい余目駅を見たい願望もありました

余裕の行動だったが…

積み上げられた雪の向こうですでにバスは待機しています。しかし過去に陸羽西線に乗車した記憶は大してお客さんはいなかったものなので

たまたまやって来た観光用の快速「海里」を眺めるなどして余裕の行動

バス出発の15分前もこんな感じで、まぁ大丈夫だろうと、この後に乗る山形新幹線の発券を行うなどして駅舎内にいました。そもそも寒いので並びたくない

ところが発車10分を切った時点で再び駅舎外に出ると、一体どこから集まってきたのかと思うほどの並びになっていました。考えてみれば、前日、川部駅で実感したように、今は東日本パスと青春18きっぷが重なる時期。人が多いのも当然。慌てて並びに参加しましたが窓際席は確保できない、どちらかといえばギリギリセーフの状況。実はバスはもう1台待機していて、運転手さんが並びの人数を何度も数えていましたが、もしかすると予備車両だったのかも。そんな理由でバスの車窓からの写真はなしとなりました

雪の車窓をながめながら旅を終える

鉄道の時刻表の感覚では大いに余裕があった新庄からの山形新幹線の乗り継ぎですが、バスは若干の遅れが発生。新庄からの新幹線は2時間に1本しかないためヒヤヒヤしましたが、無事間に合いました

こんな機会はめったにないため、指定券は余目で発券。4回まで利用できる指定席ですが、前回と同じくほぼ自由席だったため、今回の旅で唯一の指定席となりました

山形と福島の県境の雪景色を見ながら旅は事実上、終了。東北新幹線の各駅訪問、長年の念願だった羽後亀田駅も訪問できて充実の旅でした

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ホームから望む夕陽

岩城みなと駅の駅名標

2023年3月3日16時50分

※時刻表は当時のものです

あまりの寒さに予定変更

大変名残惜しいですが、羽後亀田駅を去ることにします。「町の顔」確かにその通り。バス停のような簡易駅になってしまったのでは悲しすぎるので、いつまでも美しい駅舎であってほしいですね

羽後亀田駅の時刻表。ところどころ空きますが、1時間に1本程度の列車はあります。当初の予定では16時2分の酒田行きに乗る予定でした

羽越本線の秋田~余目間には普通すらも多くが通過する駅が3駅あります。桂根、折渡、女鹿の3駅でいずれもJR移管後に信号場から昇格した駅です。そうしょっちゅう来られる場所ではないので、そのうちひとつでも訪ねておきたい、と思い。羽後亀田のお隣である折渡に訪問する予定でした

時刻表を見ると分かりますが、私が秋田から乗車してきた16時2分は折渡通過ですが、17時31分は停車します。そしてこれが折渡駅の最終列車。ほとんどの普通は通過で1日に上りが3本、下りが5本しか停車しません。ただ羽後亀田と折渡の距離はたったの3キロで、地図を見るとほぼ道路が並行している。これは迷わず40分もあれば十分歩けるはず。つまり羽後亀田から徒歩移動して羽後亀田17時31分発で折渡同35分の列車を捕まえるのです。となれば本日宿泊予定の羽後本荘に順調に着くことができる

という自画自賛的な作戦を考えたのですが、結論からすると

寒すぎてヤメ

元々気温は低かったのですが、夕暮れも迫ってきて急激に気温が下がってきました。駅間徒歩移動には夏より冬の方が絶対に良いと考えている人間ですが、ここまで寒いともう無理です。何より、せっかくの羽後亀田駅ですから、もう少し長く滞在したくなりました

目指すは新駅

そこで1駅戻って岩城みなとを目指すことにしました。こちらも羽後亀田から1駅。ちなみにこの間には二古信号場があります。山中ではなく海と国道沿いの信号場で、誰も住んでいない場所にポツンとある信号場のイメージとは全く異なり周囲には集落もあるように見えますが、70年代に駅から信号場へと降格してからは、JR移管時も駅に戻ることはありませんでした。そのすぐ先にあるのが岩城みなとです

ホームを降りると新しい駅舎が出迎えてくれます。それもそのはず。開設は2001年で旧岩城町の中心駅となるべく新たに開業しました

こちらが駅舎。夕闇が迫っています

駅前にはウェーブ岩城という新しい建物があり、図書館などが入居しています。駅前は新興住宅街となっていて、役場も至近。岩城町の中心機能が集められて新たな駅が誕生した形となっています。岩城町は2005年に周辺の町と本荘市と合併して由利本荘市となりました

道の駅も徒歩圏内で島式の漁港があります

窓口とお別れ

岩城みなとは簡易委託できっぷ売り場があります

ただ、その傍らには

こんな張り紙も。羽後亀田駅と同じく、3月17日で窓口を閉鎖して無人駅となる案内です。由利本荘市の中心で特急停車の管理駅である羽後本荘駅では一足先に指定席発券機能もある自動券売機に移行。そしてこの3月17日をもって岩城みなと、羽後亀田のほか羽後岩谷、西目の計4駅が一斉に無人化されました(羽後本荘は発券窓口はありませんが駅員さんはいます)。つまり市内のJR駅から、すべて発券の窓口がなくなってしまったわけです。時代の流れとはいえ急過ぎます

岩城みなとは海の見える駅でもあります

ホームからの風車と海は駅のみどころでもあります。この日は雨予報だったのですが、雲の合間に夕陽がなんとか顔を出してくれました。晴れた日の夕陽はもっと美しいのでしょうね

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羽後亀田駅よ永遠に

羽後亀田駅は島式ホーム構造だった

2023年3月3日16時

現代にリメイクできる砂の器

羽後亀田の駅舎内です

松本清張作品には多くの鉄道が登場します。松本清張と鉄道をメインにした本まで出ている。路線だけでなく「駅」が多く出てくるのも特徴のひとつですが、インターネットどころかテレビさえも広く普及していない昭和30年代によくぞここまで調べ上げて知識を得たと感心してしまいます

ただ鉄道が重要なファクターとして登場する作品は、有名な「点と線」の寝台列車の死角など現代版として映画、ドラマ化するのがなかなか難しものが多い。その中でも数少ないリメイク可能なものが砂の器です。刑事2人が、ここ羽後亀田と木次線の亀嵩に向かうのですが、最近のものでは亀嵩へは岡山からやくもに乗り、松江から木次線を南下することになっていました

もちろん作品の設定は松本清張が備後落合の旅館で作品の構想を練ったことで知られる通り、芸備線を備後落合で木次線に乗り換えたことになっているのですが、現代風に東京から鉄路で亀嵩に行こうとすると、そうなります

ただドラマや映画で重要なのは駅の風情。時代設定を昭和30年代にした場合はもちろん、現代風にしても駅舎というのは大切です。映画版やドラマ版のいくつかでは「亀嵩」の設定でありながら別の駅がロケ地になっていることもありますが、ここ羽後亀田だけは鉄板で動くことがありません

周辺事情を初めて知る

そんな羽後亀田にようやく訪れることができたのですから周辺散策もしましょう

と駅舎の外に出ると

な、何にもない

周囲はほんの少しの民家と農地です。廃屋らしきものが1軒ありましたが、農地部分はおそらく昔から農地でしょう。これでは刑事さんの聞き込みも3分ほどで終わってしまう。私の知識では、亀田藩と亀田城があって、その城下町だったのですが全く違います。どうしたものかと困っていると

地図を見て納得。城下町はやや離れたところにあるのですね。私が到着した時、バスが止まっていましたが、どうやら町の中心部へ向かうものだったようです

駅に見られる変化

羽後亀田はこのような構造になってしました。右に見えるのが駅舎。かつての貨物の側線も残っていますが、島式ホームに上り下りの電車がやって来て、乗客は跨線橋で駅舎に行きます

ただ駅舎のさらに奥にもうひとつのホームがあるのは何でしょう

改札からホームへの案内は秋田方面2番線、酒田方面3番線と記されています。乗り換え駅ではないので他方向に向かう列車はありません。だったら1番線は何なんだとなり、気になるので行ってみると普通に入れる

新しめのホームがあり駅名標もある。これは何だろう?と調べてみると、ようやく分かりました。私の訪問日から2週間後の3月18日から、すべての列車は上下とも、このホームに停車するのです。私が降り立った2、3番線は旅客ホームとしては閉鎖。特急や貨物などの通過線となるようです

ですから、この記事を書いている現在はもう跨線橋には入れなくなっているはず

乗り場案内が単なる紙だったことも納得です

存在感ある駅舎の将来は?

「落とし物」という表現に思わずクスッとなってしまった、この案内も、もう見られません

そしてその3月18日からの大きな変化は無人化です

訪問時は委託によるきっぷ販売が行われていましたが、それも3月17日で終了しました

そうなると気になるのは駅舎の将来です。今回、秋田~余目の羽越本線を乗車してみた感じでは古い駅舎が残っているのは、ここ羽後亀田のみ。全くの私見ですが、1日の乗降客が100人ほどの当駅の駅舎がずっと残されている理由には砂の器の存在が大きいのではないかと思っています。私のように映画やドラマを見て駅を訪れる人も少なくはないはず。今後については不明ですが、映画史にも残る当駅の駅舎は、ずっとこのままの姿であってほしいと思います

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奥羽本線を行く~羽越本線に乗り換え念願の駅へ

羽後亀田駅の駅名標

2023年3月3日14時30分

1日3往復のために働く車両

素晴らしい能代駅の駅名標とお別れして再び奥羽本線に戻ります。JR東日本の駅名標って地方の小さな駅でも特化した駅名標がよく見られますね

東能代で1日3本の特急「つがる」に乗り換えます。ホームの待合室もつがる仕様でユニークです

ほんの数分の接続でつがるがやって来ました。1日3往復ですが、この列車のおかげで先にうまく乗り継げます。常磐線でも活躍したE653に似ていますが、このE751は交直両用のE653とは異なり、交流専用仕様。元々は東北新幹線が盛岡までだった時に盛岡~青森の「スーパーはつかり」用として製造されましたが、現在は青森~秋田間のつがる専用となっています

つがるは東能代から50分で秋田に到着。つがるの終着ですが、奥羽本線はまだ続きます。ただ私は奥羽本線とはお別れ。ここから日本海沿いに羽越本線を進みます。つがるの秋田到着が15時27分そして羽越本線の秋田行きが写真でお分かりのように15時31分発とタイトな乗り継ぎで、ダイヤ乱れがあったらどうしようとヒヤヒヤでしたが、うまく乗り継げました。同ホームでの乗り換えにも助かった

未乗区間を埋め、38年来の念願の駅へ

新潟~秋田を結ぶ羽越本線ですが、私は新潟から余目までは乗車したことがあるものの、余目~秋田は未乗区間です。その区間に川部駅と並ぶ今回の旅の目的のひとつがあります

秋田から30分で、その羽後亀田に到着しました。由利本荘市に入っています

多少、くたびれた感のある駅名標ですが私は感無量でした

1974年に映画化された後、何度もテレビドラマ化されている松本清張の「砂の器」。羽後亀田駅は重要な役割を持った駅として登場します。私が映画を見たのはすでに中学生になっていたので、75年のことだと思います。砂の器といえば構内におそば屋さんが入居していることでも知られる木次線の亀嵩駅(島根県)が有名ですが、最初に登場するのはこちら

何度も映画、ドラマで見た駅舎をようやく生で見ることができました。再度記しますが、まさに感無量という言葉がぴったり

財産票によると駅舎は1920年(大正9年)の開業時のもの。赤い文字が印象に残ります

防犯連絡所の文字も古風です

ここでの時間はたっぷりあるので、しばらく感慨にふけることにしましょう

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奥羽本線を行く~1区間だけのメインルートへ寄り道

能代駅の駅舎

2023年3月3日13時

全国優勝58回の超名門校

弘前からの東能代着は12時59分。衝動的に降りはしましたが、一応、時刻表はめくってある。ここで五能線へと乗り換えます。13時1分発の岩館行き。「岩館行き」というのが実は貴重なのですが、それについては後述します

5分もかからず、お隣の能代へと到着しました

JR東日本のGV-E400というディーゼルだけど電力で走行する新型気動車ですね。初めて乗りました

能代の駅名標。東能代以上に「バスケット」が強調されています

高校バスケットの名門で全国大会のいずれもで10回以上優勝している能代工業(秋田県立能代科学技術高等学校)によるものです

ホームにはゴールも設置されています。「58」というのは全国大会の出場回数ではありません。インターハイ、国体、ウインターカップを合わせた優勝回数。凄い数字です

能代市の代表駅

さて岩館行きに乗車していたお客さんは、私を含めほとんどがゾロゾロと能代で降りてしまいました。能代市の中心部に近く代表駅なんで当然といえば当然ですが、五能線のダイヤもかなり特徴のあるもものとなっています

こちらは能代駅の時刻表。リゾートしろかみは全車指定の観光列車ですから能代から先に行く列車は1日7本。それに対し東能代行きは倍近い13本もあります。どういうことかというと東能代~能代の1区間だけの運行列車が半数を占めているからです

奥羽本線は能代の街の外れを走っています。東能代駅の開業は1901年の明治34年。当時の技術的にも地形的にも米代川に阻まれて奥羽本線は能代の中心部を通しにくかった。そこで現在の東能代駅を能代駅として設置しました。ただ街の中心部を通らないのはいかがなものかとなり、1908年に現在の東能代~能代線が支線として開業。後に能代線と名付けられました。現在の能代駅は能代町駅を経て現駅名に、最初の能代駅は2度の改名で東能代となっています

五能線の能代以遠が開業し始めたのは10年以上も後のことです

青森県の本八戸と八戸の関係と八戸線の開業理由と似ていますね

ただ八戸~本八戸は2区間で、八戸線の区間列車は本八戸止まりではなく4駅先の鮫まで運行されていることと比較すると1区間のみの運行は、かなり際立っています

高校野球で熱気

能代の改札口。東能代とは異なり自動改札機はありません。シルバーのラッチが現役なのがいいですね

立派な駅舎を携えています。構内にはコンビニもあります

駅前のロータリー。ご覧のようにここでは雪はほとんど姿がなくなっていました。ただ決して暖かくはありません

少し時間があるのでそばを食べてお昼としました

駅に戻ります。無人駅ではありませんが、かつてのびゅうプラザはなくなり、自動券売機が置かれています。ついこの間までは管理駅で東能代、能代と在来線のお隣同士の駅が管理駅になっていました

ちょうどセンバツ高校野球の直前で当駅が最寄りの能代松陽高校の出場で駅のあちらこちらで盛り上がっていました

東能代行きの改札開始を告げるアナウンスが流れ、多くの高校生がホームに向かいます。私も東能代から再び奥羽本線に乗ることにします

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奥羽本線を行く~バスケの町へ寄り道

東能代駅の駅名標

2023年3月3日11時30分

偶然重なったデビュー日

川部の滞在は45分。あっという間でしたが、ここからはあっという間ではありません。10分ほどで弘前に到着します。ちょっとだけ気分転換で外に出ます

弘前の立派な駅舎を少しだけ見る

青森もSuicaエリアになるんですね。計画したわけではありませんが、まさに記事を書いている今日が「デビュー日」です

特急乗り放題だけどトコトコ奥羽本線

弘前下車は運転停車の3分を利用してダッシュで行ったもの。ここから長いトコトコ旅となります。4年前は青春18きっぷで秋田を目指して新青森からスタートし、途中大館での昼食休憩を挟んで秋田までたどり着きましたが、それでも大館~秋田は2時間。夕方の帰宅&下校ラッシュにもはまったため、2両編成の電車は超満員で景色すら眺めることができず、かなりしんどかった。18きっぷの辛いところです

ただ今回持っているのは東日本パスなので特急も乗り放題。快適な旅を…と思ったはずですが結果はやはり秋田までトコトコ旅(泣)。新青森の項でも触れましたが青森~秋田の在来線特急「つがる」が1日3往復しかないからです。ここ弘前でつがるが来るのは2時間後。ホテルで朝食をさんざん食べたので、お腹はすかない。今乗っている普通にそのまま乗車しても秋田に1時間半も早く着いてしまいます(要は後続の特急に乗車しても30分ほどしか時間が詰められない)。ということで再び普通に戻る。弘前から秋田まで2時間半の普通電車旅はそれなりに堪えます

ただ前回とは違い、今回は車窓を眺める余裕はあります

弘前あたりで消えた雪景色が鷹ノ巣あたりで復活。気候のことは分からないのですが、交互に車窓を彩る景色は楽しい。このあたりで弘前から1時間です

衝動的に降りてみる

さらに揺られること30分。東能代接近のアナウンスがあり、降り支度を始める人が多い中、なぜか私も降り支度。秋田からは羽越本線に乗り継ぐ予定で14時1分に秋田に着いて14時31分発の電車に乗る予定。次のつがるだと間に合わないので鈍行旅を選んだのですが、なんとかなるだろう、と急に東能代で降りてみたくなりました

東能代は自動改札機も備えた駅。管理駅で全列車が停車します

五能線も含め、こちらを行き来する列車は何度も乗っていますが降りたのは初めて。それも衝動的行動のひとつですが

能代といえばバスケット。いつも車窓から眺めているだけだった、構内のこのリングを生でながめたかったのです

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