折生迫駅

宮崎から志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~守り続けられた遊園地と駅

※訪問は2026年3月12日(ダイヤは3月14日の変更前のものです)

2区間移動したとはいえ

折生迫から乗車して2駅北にある子供の国駅で下車。青島駅を1駅分通過した。ただ2区間分移動したとはいえ。このあたりまで来ると完全に宮崎交通線時代の路盤が使用されていて、ほぼ同じ駅が残っている。そして私鉄らしく駅間も近い。折生迫~青島はわずか1・1キロ。青島~子供の国は1・3キロで合わせて2・4キロしかない。朝に小内海~内海を歩いた距離と、ほぼ同じである

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前後の駅かと思いきや

駅は棒状ホーム。かつては有人駅だったが、かなり早い時期に無人化されている。そして久しぶりに見かけたICリーダー。日南線で最初に訪れた田吉駅で紹介したように今年の1月から青島駅までIC乗車ができるようになったため、これから登場する駅にはすべてICリーダーが設置されている

駅構造は無骨なコンクリート製。小さな階段を上がってすぐがホームと待合所となっている。階段には1度に多数の利用者があっても対応できるような工夫がある

そして駅から道路を渡ったところにあるのが、レジャー施設「こどものくに」である

こうして眺めると、レジャー用に戦後開発された駅のように感じてしまうかもしれないが、駅の開業は1939年(昭和14)と、戦前しかも世の中が戦時体制に入りつつある時代だ

駅の変遷はいろいろ

ただし駅の正式な開業は1963年(昭和38)である。宮崎交通線を1度廃線にして、あらためて日南線ができたため正式な開業日は日南線の開業日と同一となるが、これまで紹介してきた内海駅、折生迫駅のように駅の位置が変わったわけではないし、施設もそのまま使われているため、1939年の開業としても間違ってはいないと思われる

そしてこの開業にもまた歴史はあり、当駅は近くにあった青島温泉駅を廃駅とし、数百メートル西へ移設してできた。青島温泉駅は大正期からの駅で、駅そのものの歴史となると1923年からとした方がいいものかどうか微妙なところだ。ではなぜ、わざわざ廃駅→移転までして子供の国駅が開業したかというと、これは明らかで宮崎交通が経営する遊園地が誕生したからだ

明治の終わりから昭和初期にかけ、全国で私鉄の経営する遊園地が次々と誕生したが、こちらもそのひとつ

こちらが「こどものくに」の入口。岩切章太郎メモリアルパークとあるが、岩切氏は宮崎交通グループの創始者で宮崎県を観光立地にしたことで知られる

施設名はひらがなで、駅名も戦後にひらがならなったが、日南線として生まれ変わった際に再び感じ駅名となって現在に至る

国内に3つの「こどものくに」駅

話はそれるが、日本には3つの「こどものくに」駅があり、漢字で「子供」と記すのは当駅のみ

ちなみに残る2駅はというと

東急のこどもの国駅(神奈川県)と

名鉄のこどもの国駅(愛知県)

東急の駅は戦時中に敷設された弾薬庫線が前身だし、名鉄の駅は名鉄全駅の中で利用者最小。歴史も含めて訪ねる価値のある駅だ

そして3駅に共通するのは、今も現役のレジャー施設の最寄りであるということ。私鉄経営の遊園地がせ次々と閉園となる中、頑張っている

宮崎県の「こどものくに」は、現在はパークゴルフ場があったり、キャンプ場があったりで、子ども向けの遊園地とは言えないが、それでも戦時中の休止を挟んで続けられている。駅とともに守り続けられたのだ。ただやや悲しいことに、今もにぎわうこの施設を列車で訪れる人は多くないようで、1日の利用者は数十人にとどまっているとみられる

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宮崎から志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~超難読駅と卒業式

※訪問は2026年3月12日(ダイヤは3月14日の変更前のものです)

ポツンと街中に置かれる

バスは私を残して去っていった

内海駅前の停留所から堀切峠を経由したとはいえ、約10分で折生迫の停留所に到着

超難読で読みは「おりゅうざこ」。なぜここで降りたのかというと、当然ながら駅を求めてのこと。ただ同名の駅があるはずだが付近に駅の雰囲気はない。周辺はそれなりの街で、朝の街中にポツンと取り残された感じだ

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地図アプリを片手にウロウロ

もちろん現代は便利な地図アプリというものがある。早速取り出して検索すると

駅までめちゃ遠い。ともに同じ「折生迫」を使用するのは間違っていると言いたくなる

しかも複数のルートがあることで想像できると思うが、道中は車のすれ違いもできないような細い道をクネクネと歩いた。過去何度か「○○口」や「○○前」というバス停から駅へかなりの道程を歩いたことがあり、そういう停留所名は要注意とも書いてきたが、距離は別として道路は簡単なものが多かった。今回だけは4カ月経った今、アプリなしでもう一度歩いてみろ、と言われてもおそらく無理で到達できない。ある意味、歴史的な10分近い徒歩となった

最初は海と川の交点から出発してからウロウロ

そんな思いでたどり着いた駅はというと

山肌に張り付くような単式ホームで駅舎などというものはない。駐輪場が別に設けられているのかどうか不明だが、無造作にスクーターが置かれているので、おそらくないのだろう。非電化単線ということで架線もない。案内らしきものもないので、地元の人でないと、ここに線路があってしかも駅があるとはなかなか気づかないだろう。ただし地元以外の人で当駅を利用するのは、おそらく私やその同業者ぐらいだろう

ちなみに読みの想像すらできない超難読の「折生迫」とは「山奥にある谷」という意味になるそうだ

山中の駅ができたワケ

ホーム幅もこれだけしかない折生迫駅。なぜバス停からこんなに遠いのか、なぜこれほどまでに狭いのかについては日南線の歴史について知る必要がある

前回までの記事で宮崎交通線の路盤を引き継ぐ形で敷設された日南線は青島以南でルートが大きく変わったと記してきたが、折生迫という駅は宮崎交通線時代にも存在した。ただし青島から南側は山中を貫くように最短距離で内海方面を目指した日南線は、かつての場所に折生迫駅は設置しなかった。宮崎交通線時代は私が降りたバス停近くの海に近い場所に折生迫駅があった。そしてさらに言うと、日南線が開業した1963年(昭和38)に折生迫駅はなかった

地図をもう一度見てもらうと分かるが、私が降りた折生迫のバス停から青島までは歩いても10分ちょっと。バス停から現在の折生迫駅まで歩いている間にほとんど青島まで行けてしまう。青島まで至近であることや線路が街の外れを通ることになったので、当時の国鉄も駅の設置を見送ったのだろう

それでも駅は設置された。理由は

ここに青島小学校と青島中学校があるからだ。小学校は隣接、中学校は案内にある通り、400メートルほど南側にあるが、特に中学校については統廃合の影響で列車通学が必要になった。そのために1966年(昭和41)に追加の形で駅が設けられた。狭い急ごしらえのような構造はそのためである

ホームには待合所があり時刻表と運賃表が貼られている

隣接の小学校では卒業式の練習をしていて、川嶋あいさんの「旅立ちの日に…」が何度も歌われていた。阪神淡路大震災から10年が経過したころから川嶋さんは、毎年神戸を訪れてはライブをしていた。その時に必ず歌われるのが、この曲で、私にとってもなじみの深い曲だ。それから20年経っても小学生が卒業式の定番として歌っている。神戸から遙かに離れた宮崎で、ちょっと感慨深いものがあった

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宮崎から志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~バスでたどれる旧宮崎交通線

※訪問は2026年3月12日(ダイヤは3月14日の変更前のものです)

私には力強い味方がいる

あらためて内海駅。小内海駅からここまで歩いてきたが、実はまだ列車は1時間ほどやって来ない。ただしここで待たなくてもいい交通手段が私にはある

こちらもあらためて内海駅前バス停

ここからバスで北上できるのだ

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突然連動し始めたバスアプリ

こちらは小内海駅と内海駅を歩いている途中の停留所だが、油津から飫肥を経由して青島そして宮崎駅へと向かうバスが1日6往復、宮崎交通によって運行されている。この路線は空港バスも兼ねていて油津、飫肥からはこのバスに乗れば、宮崎空港まで運んでくれる。ちょっと意地悪な見方をすれば、かつて鉄道としての宮崎交通線を運行していた宮崎交通がバスで宮崎交通線が生まれ変わった日南線と並行して路線バスを走らせている(ただしいろいろ立ち寄るのでスピードは圧倒的にJR)。ただしこれから乗車するのは、列車の走らない時間を補完してくれるバスだ。ここで8時53分発となっているバスは8時56分にこのバス停にやって来る

だが、なかなかバスが来ない。油津や飫肥あたりは分からないが、この付近は渋滞するところもなく走りそうなので、ちょっとイライラし始めて手元のバスアプリを眺めると「5分遅れています」との表示が出ている。いつの間にか連動を始めていてビックリ

ふだん仕事場に行く時、神戸市バスを利用するのでバスアプリを使用している。このアプリは全国の路線バスやコミュニティバス(デマンドバスは除く)に対応しているので、降り鉄の駅訪問でも重宝している。現実に昨日串間市で利用したコミュニティバスも、これで調べたものだが、バス会社のロケーションシステムと同期するとは知らなかった

おかげで、それからはイライラすることなくバスを待つことができた。ただどうして連動が始まったのかは私も分からない

宮崎交通旧線のコース

9時過ぎに無事にバスが到着。このバスはどのようなコースを通るかというと

海沿いを走り、堀切峠を越えて青島方面へと向かう。それに対して日南線はトンネルを貫く形で最短距離で青島を目指す。この路線バスのコースが旧宮崎交通線とほぼ同じルートである。日南線は宮崎交通線の路盤を引き継いで造られたが、青島以南は異なるコースをとっている

宮崎交通線は、明治期から昭和初期まで重要港であった内海と宮崎を結ぶためのものだったことは前記事で記したが、青島から南側は堀切峠を経由して内海まで進んでいた。途中、堀切峠の北側では現在のバスのコースよりさらに海に近い場所を通っていて白浜駅が設けられていた。これは今も宮崎郊外の海水浴場としてにぎわう白浜海水浴場のすぐ近くに駅があった。海沿いをトコトコ回り込むように内海を目指していた

戦後になって宮崎港が強化されたことで内海港の需要は減少した。日南線へと移行した昭和30年代終わりには、旅客、貨物港としての役割はほぼ終わっていて、日南線も最短で山中を貫いて街外れに駅が設けられた。バスは白浜は通らないが、内海の街の中心あたりから堀切峠の手前まで、旧線の雰囲気を感じることができる

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