※訪問は2026年7月13日
駅名は埼玉県の駅に配慮

園井恵子さんの話に夢中になりすぎて、駅そのものの話を全くしていなかった
国鉄らしい駅舎からは段差なしで入れる2面3線構造(ただし中線は架線もあって使えるようになっているが、レールのさび具合を見るとあまり利用されていない様子だ)
駅名に「岩手」が付くのは、お察しがつく通り、京浜東北線の川口駅(埼玉県)があるからだ
ただ実は岩手県の川口駅の方が歴史は古い。旧東北本線の駅はいずれも長い歴史を有するが、1898年(明治31)の開業と、もう130歳近い。埼玉県の川口駅は1910年と10年以上遅れた開業だ。当時の所在地は川口村で駅名はそれに由来する(1955年から岩手町)。埼玉県の川口駅は川口町にあったことから、駅名も川口町だったが、1934年に川口町が川口市となったことで、駅名を川口に変更。同名を避けるため岩手県の駅が現駅名となった。つまり「元祖川口」を譲ったことになる
2017年新築の駅舎

駅舎はというと、斬新なデザインだ。もともとは国鉄時代からの木造駅舎だったが、2017年に現在の姿になった。前記事でも紹介したが、エアコン完備の快適な駅だ
ホームに答えがあった

岩手町のオリジナルブランドのキャベツをモチーフにしたものだという

駅前には鉄道50年の石碑が建てられている。単純に計算すると戦後間もないころに建てられたものということになる
2階を利用して
再び駅舎内へと戻る
キャベツの形をしている駅舎は2階建てとなっていて、らせん階段で昇ることができ

そちらはさながら園井恵子さんの記念館となっていて、園井さんの歴史が語られて

「夢への旅立ち」という文字と昭和20年で終わる年表が印象的だ
園井さんは被ばくする前日まで知人宅のある神戸にいた。8月6日が劇団の集合日だったため、前日の5日に広島に戻った。そして翌朝に被ばくした。直後の園井さんは大けがをすることもなく元気で、3日後に動き始めた列車で神戸に行き、無事を報告することができたが、終戦を迎える15日ごろから急速に放射線被害の症状が表れ始め、21日に帰らぬ人となった

駅前の様子。もちろん建物は新しくなっているが、駅前風景は長らく変わっていない気もする
書店で宝塚歌劇団の本と出会い、憧れ、昭和に入って間もなく学校を中退して大阪へと単身向かい、宝塚を受験した。現在とは情報収集も交通も現在とは全く異なる。旅立つころの駅名は、まだ川口だったはずだ。何日かけて大阪にたどり着いたのかは、さすがに分からなかったが、少女の一人旅としては、今でもあまり見かけない距離だ
事前に何の予備知識もなかったため、以前に調べたことがある園井恵子さんと、まさかここで出会うとは思っていなかった
それだけに驚きも大きく、内容も濃かった。今回の北海道&東日本パスの旅は主に青森県内を巡るものだったが、乗り換え以外で岩手県内で下車した唯一の駅は、旅のハイライトのひとつとなった
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