弘南鉄道大鰐線

これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~最後の乗車はやはり中央弘前まで

※訪問は2026年7月15日

石川駅で列車を待つ

お昼の最も暑い時間帯の石川駅。20分ほど歩いてきたばかりなので、もちろん汗ビッショリだ。昨年も同時期に弘前鉄道に乗車し、大鰐線で残った駅の回収と弘南線の駅巡りをしたが、駅間徒歩というのをかなり行った。というのも、昨年7月の私は天候に恵まれていて、青森に滞在していた数日間は、いずれも最高気温が26度前後と、そう暑くもなかった。弘前在住のXのフォロワーさんによると、私の訪問時のみ涼しく、その前後は北国といえども気温が35度の猛暑日になっていたとか。今年に関しては、さすがにそううまくはいかず、前日の津軽線でも最高気温は32度で、長年地元で暮らす方にとっては、たまらない暑さとなっていたようだ

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あらためて気づく「非冷房車」

そんな状況の中、朝から弘南線そして大鰐線に乗車して知らされたのは、弘南鉄道の車両には冷房がないことだった

気持ちよく扇風機が回っている。もちろん弘南鉄道の車両に冷房がないことは知識として知っていたが、前述したように昨年は天候に恵まれていたため、エアコンが必要だと感じたことすらなかったのだ。だが今年はさすがに必要性を感じた。乗車時間と混雑具合によるのだろうけれど

車内では間もなくやって来る弘前ねぶたを意識したものだろうか、金魚ねぶたがズラリ並んでいた

別れを告げる時が来た

ホテルを弘前駅前に確保しているため、できるだけ中央弘前駅を利用せずに弘前駅へと向かう手段をあれこれ考えていたが、結局は中央弘前まで乗り通してしまった。まだまだ時間は早い。やはり最後はここで別れを惜しもう

こちらは車内にあったりんご娘というか、おそらく王林さんのサイン

あらためて午前中に見たカウントダウンのボードと再会。こうしたものを見ていると、まだ1年半あるとはいえ、確実に別れの時が迫っていると感じる

県庁所在地ではない弘前市に生まれた地方私鉄。なかなか貴重な存在だ。しかも大鰐線については最初から弘前電気鉄道という電化路線だった。1952年(昭和27)という時期を考えると画期的でもあった。地方都市にあって国鉄の路線と並行する私鉄に認可が出たことも凄いことだ。奥羽本線が当時非電化で、復興中の日本という国にあって、貨物列車の需要が高まり、奥羽本線が旅客ニーズに応えられない状況だったことも幸いしたという

新しい建物が多い弘前市の中心部で、ひときわ存在感を放つこの駅舎ともこれでお別れ。遠く離れた地から大鰐線を見守っていこうと思う

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これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~この看板を見ないことには来た意味がない

※訪問は2026年7月15日

目にとまった看板

前記事で最後に伝えた分岐点。ここから大鰐線の石川駅を目指す。もう徒歩で10分を切るぐらいの場所まで来ていると思う

すると目にとまったのは

クマ注意の看板。全く記憶にないので当時からあったものかどうかも分からない。もしあったとしても雪深い季節だったのでスルーしていたのかもしれない。そもそも全国各地でのクマ被害が深刻になり始めたのも昨年の夏以降のこと。私も過去にはホイホイと行けたというか、むしろ喜んで行けた山中の誰も利用しそうにない駅でただ1人過ごすのは正直怖くなっている

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かつての白い道を通って

大鰐線の踏切を渡る。義塾高校前駅から奥羽本線をオーバーパスするための高架部分は終わっていて、後は線路沿いの道路を行くだけだが

昨年3月はこのような道だった。きれいに除雪された部分とのコントラストが美しい白の道だ。大鰐線の架線でブロックされているが、岩木山が見える。昨年7月の写真を見ると、弘前市内の各地ではきれいに岩木山が見えていたようだが、今年はかすんで見えなかった。山がひとつ見えたり見えなかったりするだけで、こんなに景色が違うものかと思ってしまう

そして石川駅に到着。大鰐線の思い出の旅のゴールでもある

有名看板そしてホキさん

石川駅だ。大鰐線で駅舎のある駅は少ないが、千年駅、弘高下駅と同じ大鰐線の古参駅舎の標準モデルだ

昨年3月は線路以外の部分は雪という感じだった。1952年(昭和27)に弘前電気鉄道の駅として開業。当時は石川町の所在で、現在は弘前市。先に奥羽本線の石川駅が町内にできていたので、当初は新石川駅を名乗った。1986年から現駅名。ちなみに同じタイミングで弘南大鰐駅も大鰐駅となっている。ただ石川町内では後発の石川駅だが、古くからの城や旧市街地は大鰐線の駅の方が圧倒的に近い。そのような事情で、当駅も長らく有人駅だった

窓口の跡も残る

そして石川駅といえば

この看板だろう。今の世の中を象徴しているような出来事だが、とある時ネットで大いに「バズった」。いつのことなのか私にも分からないが、昨年初めて大鰐線に乗車した私がその前から知っていたぐらいだから、かなりの人気スポットだ。「死にます」の警告(しかも子ども向けである)は、今ではまず見かけないものだし、ちょっと考えほしい。先に挙げたクマ注意の警告ですら、あくまで「危険」である

 

私も大いにはしゃいでいた。やはり大鰐線に乗車するなら、この看板は外せない

もうひとつ当駅で忘れてはならないのは

側線に止まるホキさん

昨年3月も雪に埋もれながら、しっかり自己主張していた

大鰐線に貨物列車が走っていた時代に活躍していたものが、今は保線車として余生を過ごしている。車両の位置が変化しているので「石川駅常備」のまま、しっかり業務をこなしているようだ

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これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~歩きたくないのに勝手に足が動き出す不思議

※訪問は2026年7月15日

小さな交差点で立ち止まって…

義塾高校前駅から住宅街の方に出る。駅前は何もないのに少し歩くと住宅街というのは不思議だが、あくまでも学校の移転により設置された駅で、近隣住民の皆さんのことは考えると駅を設置する場所がすでになかったというところだろう。しかも以前からの住民の方々のためにはJR奥羽本線の石川駅がある。最初の予定では石川駅まで行き、弘前駅へと出るつもりだった。奥羽本線の普通は昼間はそう多くは運転されていないが、今のタイミングならちょうど良く電車が来るのだ。奥羽本線に乗れば、中央弘前駅と弘前駅の移動問題も解決する

ただJRと大鰐線の交差点まで来て、少し気が変わってしまった

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歩いた景色を思い出し

踏切から向こうを見れば石川駅が見える。すぐの場所だ

そういえば

昨年3月はこうだったなぁ、と景色がフラッシュバックしてしまった

となると、ちょっとあの時と同じ道を歩いてみるか、という気持ちになってしまった

現在地から約15分。昨年3月は大鰐線の石川駅から歩いたが、今回は逆コースとなる。実際にはややウロウロしながら歩くので、もう少し時間はかかるが、大鰐線も1時間に1本の運行。時間はたっぷりある

それにしても弘前学院大前駅では、同じような15分ほどの徒歩を暑さがイヤで止めたのに、こちらはもう少し長そうな距離を歩こうとしている。なかなか人間、強烈な思い出には勝てないものだ

雪に阻まれ、水に阻まれた1年半前

それでは歩いていこう。線路沿いの道路を歩く。舗装はされていない。昨年3月は舗装のなさが、ちょっとした悲劇

当該地を通り過ぎて振り返ってみた。昨夜から今朝まで降った雨の水たまりが少し残っている。もともと水はけの悪い場所なんだと大変納得

というのも当時は

このような状態だったからだ。他に回り道はない。というか踏切が見えているので、すぐそこがゴールである。ということで右端のできるだけ水たまりの小さな所をそろそろ進んで最後はジャンプ!

何とかクリアしたが、着地時にひざを痛めてしまったようで、実は今も冬場に痛みが出る。それまでひざなど痛めたことがなかったので、ある意味勲章をもらったことになる

途方に暮れた思い出も

大鰐線の高架をくぐっていく。JRをオーバーパスするための立派な高架は大鰐線唯一のもの。こちらも残念ながら役割ほ終える運命にある。今日はそういう意味での感慨を持ってながめることができているが、昨年はそのような余裕は全くなかった

しばらくすると奥羽本線をくぐる小さな道路にやって来た。私がとるコースは手前側に進むが、昨年3月はこの手前側からやって来て、携帯アプリにJRをくぐるよう指示された

先に挙げた地図で毘沙門天堂が示されているが、ここを経由するコースだったらしい

実際に行ってみると、このような感じでリンゴ畑の横を進めばたどり着けそうだが、当時は

こうだった。これは無理だろう。足跡を付けた人が偉すぎる。正直泣きが入った。もう1度奥羽本線をくぐって、半ばヤケクソに進んだのが、今日来た道、当時進んだ道である。この絶望的な雪に比べると水たまりぐらいなんとことないのである

その時の記事がこちらである。これは私の中でもなかなか忘れられない旅と

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これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~こんな景色だったのかと改めて知る

※訪問は2026年7月16日

一番降りて見たかった駅

列車は義塾高校前駅に到着。今回最も降りてみたかった駅である。というのも、ホームに降り立ち「こんなところだったのか」と改めて思いたかったからだ。ホームの向かいにはビニールハウスがあるが、昨年3月、そのような意識は全くなかった

あったのはフェンスの意識だけだ。そもそも積雪に見舞われる季節は、雪の重さにやられてしまうビニールハウスは設置されていないのだろう

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とにかく一面白の世界

そもそもホームからの景色がこちらだった

原型はこのようになっていたのかと感心するというか発見である。昨年3月の時点では一面の雪の白い世界

こちらは駅を立ち去ろうとして撮った写真。日本の各地で見る光景だが、四季が加わるとこうも違うものかと思ってしまう

遠巻きに見るとリンゴ畑があって、その向こうに電車の架線がわずかに見える

それが1年半前は

もう全く別世界。というか雪の中には何があるかというクイズの答え合わせに来たようなものだ

当時と比べて今の方が道路から駅の施設がよく見えるな、と思っていたが、これはおそらく雪に阻まれていた雑草が雪解けと夏の日差しのもと、一気に成長したからだろう。津軽線の休止駅でも見てきたが、自然の力のすごさを感じる

次の駅へと歩き始める

当駅は東奥義塾高校への通学のための駅で、学校が当地に移転してきた際に設置された。1987年(昭和62)のこと。だから駅周辺には何もない

弘南線の尾上高校前駅をこの日の朝に訪ねているが、こちらの駅も学校の開学とともに誕生した。周辺には何もない。移転と開学では違うが、学校の建物が新たにできたという意味では同じで、新たに学校レベルの大きな建物を建てる土地がある場所は必然的に街の真ん中ではなくなる。農地の中にポツンと駅が設置されたのだ

ここからは次なる目的地へと移動しよう

少し歩くと住宅街へと出る

このあたりは交通量もそれなりにあり、昨年3月の訪問の際も除雪は進んでいた。当然だが、景色はほぼ同じである。ここから徒歩で数分のJR奥羽本線の石川駅に行き、弘前駅へと向かうつもりだ。こうすると効率的に弘前駅へ行くことができ、中央弘前駅と弘前駅とのアクセス問題は解決する。しかし、ここまで来て他にも立ち寄りたいところができてしまった

と、その前にひとつ

こちらは昨年3月の写真

岩木山をバックに義塾高校前駅に滑り込んでくる電車。個人的にはなかなかお気に入りの写真なのだが、盛夏のこの日にホームに立つと何かが違う。少し考えてようやく分かった。一番最初の写真を見てほしい。岩木山は雲にかすんで全体が見渡せなかったのだ

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これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~根性のなさが招いた思わぬ発見

※訪問は2026年7月16日

私鉄利用の降り鉄には超貴重な駅

千年駅から2駅中央弘前方面へと戻り、弘前学院大前駅で下車

ご覧のようにスーパーとの合築駅となっている。見て分かると思うが、建物の壁にイスと時刻表が張ってあり、駅としての機能はこの部分。ただし入るとすぐにスーパーがあり、こちらにもイスがある。スーパー利用者向けのものか鉄道利用者向けのものかは微妙なところだが、場所的には後者のような気もする

そして、この駅で重要なのは、扉の向こうですぐにお手洗いを借りられること。大鰐線内では、駅にお手洗いがあるケースが極めて少ない。今日は暑い日なので、そうでもないが、昨年3月の訪問時は、しばしば生理現象に見舞われるような日だった

そのあたりのことは昨年にも真っ先に書いている

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ここから再現しよう…のはずが

こちらが昨年3月10日の訪問時の写真。構内踏切の部分とベンチの部分は除雪してある

除雪の際に固められた雪は

高く壁を覆っていた。ちなみに雪がない今日は

このようになっている

ここでは列車を30分ほど待たなければならない。そんな風に待つのなら、わずか1・1キロの距離で、ほぼ線路沿いにある隣駅の聖愛中高前駅まで歩いた方が賢い。昨年もそうした。道中、2階まで届きそうな雪を見て驚いたものだ

外に出る

ここを真っ直ぐ進むと道なりで聖愛中高前駅に行ける。間違えようのないコースだ

1度歩いているし15分もあれば迷うことなく到着できる。ただ

暑いので歩く気力がなくなった

時間はちょうど正午。相当に暑い。しかも前述した屋内のイスの誘惑がハンパない。当然この部分は涼しい。ということで30分の待機である。すべての駅を訪ねなくてはならないというプレッシャーや義務感はないので、気楽といえば気楽

道路で見た矜持

その分、前回はできなかった周辺の散策を行うことにする。このあたりは学生さんも多い、それなりに大きな街である。聖愛中高前駅とは逆方向の道路にバス停があった。ここにも弘前駅に行けるバスが通っているのだろうと、どのぐらいの本数があるのかチェックしてみよう

すると

バス停の名称はなんと「西弘前駅前」ではないか。これはちょっと感動

先ほど引用した昨年の記事を見ていただければ分かるが、当駅は長らく西弘前駅として地元でも親しまれ、「西弘」という言葉もすっかり定着していた。ところが、駅名が突然変更されたため、地元では困惑する声が多かったという。駅舎と合築のスーパーは西弘店である

バス停の名前が西弘前駅のままだとは知らなかった。西弘前という駅は現駅名に名前を変えて18年にもなるが、停留所はそのままなのだ。初めて来た人は何のことか分からないかもしれないが、「初」の人は少ないのだろう。地元の愛着というか矜持を感じた

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これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~私にとっては衝撃の積雪の記憶をたどると…

※訪問は2026年7月16日

大鰐線から弘前駅へのアクセスは複数

中央弘前からこけしに見送られて出発。実は、この後どうやって弘前に戻ってくるのか決めていない。ホテルは弘前駅の近くに確保している。北海道&東日本パスも持っているので、昨年7月のように大鰐(大鰐温泉)~弘前をJR利用するのも可能だし、大鰐線のどこかの駅で下車してバス、そうでなければ、ここ中央弘前まで戻ってから弘前駅に行くのもありだ。前記事でも記したが、大鰐線の沿線では弘前駅に向かうバスが出ている駅がいくつかある。昨年の2回の訪問で知ったことだが、それはつまり中央弘前と弘前、両駅を結ぶアクセスが悪いが故の需要と供給という気がしなくもない

そして約10分。千年駅に到着した

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初訪問時は全く異なる景色

こちらには駅舎がある。大鰐線では貴重な部類の駅となるが、ホームから駅舎を見た景色はこの通り。分かりにくいかもしれないが、先に電車を降りた女性は日傘をさしながら歩いている。北国にしては、それほど暑くて日差しの強い日だということになる

それが昨年3月10日に訪れた時は、このような景色だった

駅とその周辺はすっぼり雪。駅の正面入口となる写真の右手となる駅前は除雪が行われていたが、裏口となる左手は雪が高く積まれたままで

少しの足跡があるだけだった

そして正面入口は

なるほど。このような感じになっているのかと、感慨に浸る。これだけを見ると何でもない駅前光景だが、私には駅舎入口にある清涼飲料水の自販機がまぶしい

その理由はというと

人の身長以上に高く積まれた雪。日傘とは真逆の光景だ。そしてこの写真では見えないが

先に進むと自販機が見えてくる。私自身、よほど印象に残ったのか

昨年6月に書いた記事で、しきりに自販機のことを書いている

このようなことを言うと、地元の方に笑われるか怒られるかもしれないが、気温が10度を超えている3月10日という日に、これだけの雪を見ることになるとは思わなかったというのが率直な感想だった。ちょっとした衝撃だった。寒い時に寒い場所に行くという行動をあまりしていないからだろうか、3月でも雪国にはこれだけの雪が残っているという知識はあっても、実際に目の当たりにすると、やはり驚いてしまう。これより少し前にも3月にどっさり積もる雪を見たことはあるが、それは東北新幹線の七戸十和田駅だった。やはり同じ青森県。だが、その時は新幹線の駅回りをしていてすぐに別の駅へと移動。もちろん新幹線での移動なので、即座にビューンと別の場所へと行ってしまう。ローカル私鉄にトコトコ揺られて降り、再びトコトコ揺られるのとでは場面の変化のスピードが全く異なるのである

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これが最後、大鰐線の思い出を訪ねてみる~まずは外せない中央弘前から

※訪問は2026年7月16日

最後は思いついた駅で降りてみよう

田んぼアート駅から弘前へと1度戻り、今度は弘南鉄道大鰐線を目指す。2028年3月での廃線が決まっている大鰐線には昨年の3月と7月に全駅訪問を行った

その多くが雪に埋もれた景色だった。今回は盛夏である。雪の景色が印象に残っている駅を再び巡ってみるのが、今回の意図。だから明確にどの駅で降りるとかは考えていない。車窓から見て思いついた駅、思い出した駅で降りてみるつもりだ。そして最も重要なのは、これがおそらく私にとって最後の大鰐線利用となるということだ

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弘前駅からは循環バスで

まず目指すのは、ここは外せない中央弘前駅である。弘南線と大鰐線のアクセス方法はいくつかあり、私も昨年2回訪れて本数の多いバス路線も頭に入るようになってきたし、歩くならどことどこ、という感覚も身についてきたが、ここは王道ともいえる土手町循環バスに乗車する。10分おきに出ていてJRの弘前駅から中央弘前駅のある街の中心地までを運んでくれる

ちなみにこちらが弘南鉄道の弘前駅に張られていた案内図。循環バスに乗車した場合の停留所も書かれている。150円バスと記されているが、IC乗車の場合は130円だ

昨年3月に弘前に来た時は中央弘前駅を利用したが、7月は大鰐線と弘南線を徒歩で移動したため、中央弘前駅は利用していない。だから昨年3月以来の訪問となる

当然雪景色はなく

前掲した地図にもあるように蓬来橋で下車。ご覧のようにこのあたりは弘前市の旧来からの繁華街の真ん中となる。JR(国鉄)の駅が街の中心地から離れているという典型的なパターンだ

バス停からは川沿いに歩行者専用道路を歩いていけば、すぐに中央弘前駅である

こちらを真っ直ぐに

駅の近くまで来てバス停の方向を振り返るとこんな感じ。そして昨年3月はというと

雪は随分と残っていた

もっと対照的なのは駐輪場あたりで

こちらはすっぽりと雪。の脇に数台の自転車があるが、これだけ雪が積もると、どこに自転車を停めるのか、さすがに地元の方でないと、分からない

センチメンタルなカウントダウン板

中央弘前駅である。何度見ても味わい深い駅舎だ。駅の周辺は旧来からの繁華街だが、街の開発は進み、新しいマンションなども建っていて古風な建物は少なくなっている。それだけに1952年(昭和27)の開業以来とされる駅舎は異彩を放つというか、大いに自己主張している

古風な改札にある古風な文字の数々。「発車時間の5分前から改札します」と書かれている通り、列車ごとの改札。弘南線は途中駅にも有人駅がいくつかあるが、大鰐線は大鰐駅と中央弘前駅の起終点のみが有人駅だ

そんなノスタルジックな中央弘前駅だが、現実に戻される場面もある

駅舎に掲げられたカウントダウンのボード。まだまだ日数があるようだが、こういうものは数字が減るのが早い。昨年3月の訪問時はまだなかったカウントダウンに、前日に訪問していた津軽線と同様、一気に感傷的な気持ちが押し寄せてきた

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14駅を訪問した春夏の大鰐線を振り返ってみる

季節のコントラストを味わう

3月と7月の2回に分けて青森県まで赴き、2028年3月での廃線が決まっている弘南鉄道大鰐線の全14駅を訪問した

3月上旬の時点では、まだ雪に覆われていた沿線。対照的に7月は夏の空気を存分に味わった

そもそも自販機の高さを超えるほどの雪なんて、ふだんは見たこともないというか、自分の住んでいる所では雪がつもるという場面にすら遭遇しないので、それだけでインパクトは高すぎるのだが、2回にわたった訪問の総まとめをしてみたい

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画期的だった地方私鉄の電化発進

大鰐線の開業は1952年(昭和27)。戦後10年も経っていないそのころ、電化路線としてスタートした。今は並行する奥羽本線も電化され、それが当たり前のように感じるが、実際に奥羽本線の秋田~青森が電化されたのは1971年と、20年近くも後のことだった。かなり画期的なことだ。敷設したのは弘前電気鉄道。電化にあたったのは三菱電機。当然のことだが、電車というのは基本的に都市部や幹線で見られるシステム。一定の旅客数や運行本数がないと元はとれないからだが「これからの時代は電車だ」と電車を普及させたい同社の思惑もあったし、わずか14キロという路線の短さも電化には適していた

また今でこそ弘前~大鰐温泉を12分で結ぶJRに対し、中央弘前~大鰐を40分近くかけて結ぶ大鰐線は遅い上に車両も古いもので乗り心地も正直良いとは言えないが、非電化時代の国鉄には弘前と周辺を走る通勤通学路線の発想はほとんどなく、あくまでも奥羽本線という大動脈の一部で、長距離を走る有料の優等列車の一部区間でしかなく、運行や乗り心地も大鰐線の方が勝っていた

元々はここ中央弘前からさらに先の板柳まで敷設される予定だった。駅の場所が選ばれたのは当地が弘前市の中心部だったからだ。私鉄が国鉄(JR)の代表駅ではなく街の中心部に駅を構える例は珍しいことではなく、福岡市では西鉄は博多駅にはやって来ないし、京都市では近鉄こそ京都駅を発着するものの(後に地下鉄との相互乗り入れで中心部に入ることとなった)、京阪や阪急も繁華街に乗り入れる。京阪に至っては京都駅のすぐ近くを通るものの素通りである。松山市も同様だ

ただ電化と国鉄駅に直結しなかったことが、後に経営に響いてくることになる

相次ぐ事故

2000年代に入って大鰐線は増便と減便を繰り返すことになる。そもそも他に貨物列車が走るわけでもない現行の1時間に1本という運行は電化路線に向いていない運用でもある。特にスピードを求めるわけでもない路線なのだから、この運用なら気動車で十分。それでも過去には弘前の都市部に限っては20分に1本の運行をしたこともある。運転間隔を45分にしたり40分にしたり、多客帯の時間帯に増便させたこともある。いわば試行錯誤の繰り返しだったが、これは2010年代にも1度廃線の危機に直面したことに起因している。この時は地元の支援などで危機を乗り越えることとなったが、その後のコロナ禍でまた利用者は減り、近年の相次ぐ事故で危機は増えた

そして2019年と2023年に立て続けに2件の脱線事故が発生する。いずれも施設の老朽化に起因していた。2件目の事故では国交省から改善要求を受けた。鉄道施設における最大の敵は温暖差。豪雪地帯でありながら、昨今は真夏の気温が連日30度を超える。電化路線の維持費はもちろん改善費も莫大だ。加えて、山形鉄道でも触れた地方の交通機関における人出不足の問題もある

2023年度の利用状況を見ると、最も利用者数の多い中央弘前で251人、次が大鰐の150人で3ケタ利用はこの2駅のみ。学校最寄り駅でも2ケタの数字が並ぶ。路線バスやスクールバスにも原因はあるが、沿線に学校が多い中、地方路線を支えるはずの通学の足としては寂しい数字となっている。当初の計画にあった弘前駅への乗り入れを果たしていれば、と思ってしまう

弘南鉄道は弘南線というオリジナルの路線をもうひとつ抱えており、そちらに力を入れないと共倒れになってしまうという危機感もあったのだろう

数字だけを見るとやむを得ないということにもなってしまうが、沿線で見た素晴らしい景色は一見さまではあるが、旅人に癒やしを与えてくれるのに十分なものだった。まだ1年半ほどの時間はある。それまでにもう一度景色景色を目に焼き付けたいと思っています

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銀世界から盛夏へ移行した大鰐線の残り駅を回収~最後の駅は名門高校のふもとに

※訪問は2025年7月11日

3月のリベンジ

いよいよ最後の駅となった

8時4分に松木平駅を出た電車は同17分に弘高下駅に到着した

本当は3月に訪問予定だったが、膝の痛みが酷くなって断念した

というのも終点の中央弘前のひとつ手前の当駅で終えるとホテルを確保していた弘前の駅前までは徒歩も十分に可能だからだ

大鰐線訪問の記事で何度も触れてきたが、3月の訪問時は徒歩には絶好の気候で、このぐらいは気にならない。また気分的にも街中を歩くのと、誰も歩いていない民家もまばらな道路を歩くのでは気分的に大きく異なる

ということは分かっていたが

鯖石から宿川原までを何とか歩いた時点で、もう限界だった。後で調べると弘高下駅から5分ほど歩けば前記事で紹介した1時間に2本の運行があるバスの停留所があり、その停留所は他路線も走るため弘前駅へ向かうバスの本数も多いが、それを知ったのは後の話で、この時はそんな余裕はなかった。だから無事にリベンジを達成したことになる

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愛称の駅名と上下の感覚に惹かれる

まずは駅舎から。棒状ホームに独特の駅舎。開業は弘前電気鉄道として大鰐線が開業した1952年(昭和27)。駅名板も含め千年駅や石川駅と同じたたずまいとなっている現在の駅舎は弘南鉄道に移管された1970年以降のものだろう

駅名は弘前高校にちなむ。旧制中学時代からの名門校として知られる。「弘高」は地元での愛称だが、旧制中学から現在と同じ新制の高校となったのが1948年だから、わずか数年で愛称が浸透していたことが分かる

学校最寄りの駅名は日本には数多くある。国鉄はあまりそのようなことをしなかったが、私鉄は数え出すとキリがない。近年はネーミングライツとしての駅名もある。ただしそのほとんどが、フルに学校名を使用している。略称や愛称はなかなか見られない。大鰐線には他にも「弘前学院大前」「聖愛中高前」「義塾高校前」と他に3つの学校最寄りの駅があり、義塾高校前は「東奥義塾高校」の最寄りではあるが、略称の愛称とはやや異なる。「弘前高校」と特に学校名が長いわけでもないのにあえて愛称がつけられている

さらに「○○前」ではなく「下」というのも独特だ。それは駅の位置に関連している

学校の敷地までは近いが実際に学校へ入ろうとすると、おそらく10分近くかかるだろう。駅も丘の上にあるが、学校はさらに高い場所にあるので「弘高下」となったようだ

駅そのものは単式ホームの上に待合所が設置されている

かつては日本中の駅で標準装備だった水道つまり水飲み場が残る。ひねってみるようなことはしなかったが、一見現役のようだ

かつては有人駅で現在は無人駅。平日朝の登校時は駅員さんの派遣があるという情報も見聞きしたが、私が到着した8時17分は無人状態だった。それもそのはずで、2023年度の1日の利用者数は34人となっている

とにかくこれで大鰐線の全14駅の訪問は完了となった

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銀世界から盛夏へ移行した大鰐線の残り駅を回収~ひまわりの待合室とライバルの存在

※訪問は2025年7月11日

周辺の景色も変わり

小栗山駅から1駅大鰐方面へと戻って松木平駅に到着。ずっと乗り続けているとあまり気付かないが、小栗山を過ぎたあたりから周辺の景色は弘前市の郊外という雰囲気から農地が多い風情に変化する

駅名標で分かる通り、読みは「まつきたい」。なかなか読めないが有名な岩手県の観光地である八幡平が頭に浮かべば難易度も下がるのではないだろうか。東北地方には「平」を「たい」と読む地名が多いという。当駅の松木平は松の木がある丘が地名の由来だとか

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目を引く待合室とホームのイラスト

ホームと待合所のみという簡素な構造の松木平駅だが、1952年に弘前電気鉄道によって大鰐線が敷設された時の1期生駅として開業している

ただし、その待合所は決して無機質なものではなく十分に意思を持つというか、緑地に派手なひまわりのイラストが入った目を引くものだ

待合所のみをクローズアップすると分からないが駅の遠景は

小栗山駅の周辺は民家でびっしりという感じだったが、先述した通り農地の中にある駅という風情となっている

待合所の中も随分と派手な黄色で塗られている。そして待合所の奥をのぞいてみると、何やらピンク色のイラストが見える

近づいてみるとリンゴのイラスト。リンゴの新たな品種をPRするためのものだそうだ

少し足を伸ばすと

このような雰囲気の松木平駅だが、当駅訪問は電車だけに限らない

駅近くの停留所にやって来るバスは少ないが、少し足を伸ばすと状況は大きく変わる。徒歩10分ほどで弘南バスの営業所に行くことができるが、ここを出て弘前駅へと向かうバスの本数は多い。時刻表を見ると朝の9時台は1時間に5本。10時、11時台も3本あり、昼間も1時間に2本が運行されている。このバスは前記事で紹介した小栗山駅の近くを通った後、大鰐線と並行するように弘前市の中心部へと向かい、弘前市の中心部である大鰐線の中央弘前駅付近を通って弘前バスターミナルそして弘前駅が始終着となっている。つまり弘前駅へ行けないという大鰐線の路線としての短所をカバーしている一方、運行本数でも上回っている。当駅付近について弘前市郊外から農地へと雰囲気が変わると記したが、まさに郊外の切れ目から中心部へと向かうバス路線となっている。以前は大鰐線も1時間に2本の運行を行っていたが、減便の結果、昼間は1時間に1本となり、路線バスに優位な状況となってしまった

ホームに立って周辺を見る。夏の雲が景色に溶け込んでいて素晴らしい。農地にポツンとたたずむホームも、もちろん景色の一部だが、そのピースのひとつがやがて失われるのは少し悲しい

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