※訪問は2024年1月9日
輸送力強化の駅
川原石に到着。ご覧の通りホームは極めて狭い
列車が去った後の構内を見ると
狭いホームが向き合っている。前記事、前々記事と輸送力強化のための「新駅」を紹介してきたが、当駅もそのひとつ。ただ異なるのは新駅ではなく移転した駅だということ
困った存在?
川原石駅は1935年(昭和10)の開業。海田市~呉は1903年(明治36)に開業していたが、三原まで全通した際に呉~吉浦間に設置された。ただし、それはまさに設置というもので地元の要望に応えた駅のホームは1両分しかなく、当時導入が開始されたガソリンカーという単行列車のためのものだった
その後、戦時色が強まっていくにつれ燃料の節約でガソリンカーは廃止。川原石駅も列車が止まることができなくなったので1940年に休止される。戦後もしばらく放置状態だったが、戦後13年も経過した1958年に復活。ただし1両分のホームというわけにはいかないので、初代駅のすぐ近くに6両分のホームを設けて新たな川原石駅とした
しかし現在の感覚だと信じられないかもしれないが客車中心の当時の鉄道事情では、6両以下という編成は少数派で、それ以上の編成列車は当駅を通過していた。1968年10月の時刻表(復刻版)を見ると、広島行きの列車は5時39分が始発で次が8時35分。もう通勤通学の時間は終わろうとしている。昼間はほぼすべての列車が停車しているが、夕方になるとまた通過だらけで広島から呉への列車は15時51分の次が5時間以上も空けて21時31分。かなりの残業か一杯やってからでないとホームに降りることはできない時間である
つまり旅客が多い朝夕ラッシュ時は必然的に長い車両となるので停車することができない困った駅だったのだ。それでも呉までは、わずか1・2キロの距離だったので地元住民は呉駅を利用していたと思われる
しかし、そんな川原石もJR移管の際にようやくホームが拡張され、すべての普通列車が停車するようになった
複線化対応のため移転
次に転機が訪れたのは呉線の輸送力強化。新設の水尻駅、復活のかるが浜駅とともに単式ホームの川原石駅でも列車交換(すれ違い)ができるようにしようということになったが、住宅密集地に設置された単式ホームは交換設備を設ける余裕がないということで500メートル広島側へと移設することになった。それが現在の川原石駅
私が降りたのは呉方面ホーム。ホームはそれぞれ独立していて駅舎はない
向かいのホームへは公道を通るよう案内されている。呉線内では須波駅と同じ構造だが、こちらは当初から駅舎はない
広島方面の入口も狭い場所に器用に造られている
ホームからは工場が一望
現在のホームからは工場群がよく見える。この付近では軍事機密を守るということで1937年に車窓からの景色を見えなくする目隠し板が設置され、広島から呉方面へと向かうと吉浦あたりから車掌や憲兵が窓を閉めるよう指示を与えたという。右手前の建物は、おそらく「敵から目立ちやすい」との理由で黒く塗装され直されたものが、そのまま残っていると思われる
さて今回の心残りは旧駅跡を訪問できなかったこと。たった500メートルの距離だが、30分ほどの滞在時間で住宅密集地の小路を迷うことなく行って、今はホームもない駅の跡地を確認して戻ってこられるかどうか不安だったので断念したのだが
帰宅後に調べると開業記念碑がある。これはちょっと後悔
駅のすぐ近くにある建物は呉市立港町小学校。昭和30年代に全国でこぞって建てられ、私が子供のころは神戸市内でもいくつか円筒型校舎が見られたものだが、いつの間に姿を消した。こちらの校舎も建て替えの話が出ているそうだ
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