夢の原点、リニア実験線を訪ねる(終)

田んぼの向こうにリニア実験線の南端が見える

※動画音声注意

2023年5月10日10時20分

「最寄り駅」からの距離は?

都農駅に到着しました。小倉から298キロ。数字だけを見るとかなりのものです。北海道や九州はひとまとめの地図になるので、近く感じてしまうのですが、東京~豊橋とほぼ同距離。リニア実験線がかなり遠くにあるということが実感できます

駅名標です。都農町の中心駅で、かつては貨物輸送でもにぎわったことをしのばせるヤードが残ります

駅舎は6年前に新築されたもので、かつての駅の雰囲気を残す造りになっていて、駅名板の文字は明らかに国鉄文字

ここからリニア実験線の「南端」を目指すわけですが、距離的なものがさっぱり分からない。跡地の高架橋なんでグーグル地図に存在もしていない。日豊本線の車窓から見えていて私なりの推測では徒歩30分ぐらいでしょうか。駅前にタクシーがいれば乗ってしまって、30分以上の徒歩が必要なら現場で待ってもらおうとも考えましたが、残念ながら、いない時間帯でした

平坦コースということは判明

そこで都農駅で尋ねてみることに。朝夕の通勤通学時間帯に一部の特急が停車する同駅には都農町の観光協会が入っていて、都農町がきっぷ販売も委託しています

といってもリニア実験線の「終点」は、今や観光地でも名所でもありません。「30分あれば行けますかね?」と質問すると「う~ん、そのぐらいあれば大丈夫かな」との答えがあった後、突然現れた男の無茶なお尋ねに対し、事務所内で他の方にも聞いてくださいました

「車だとすぐなんで15分もあれば行けるのでは?」という回答もあり、結論としては30分あれば大丈夫ということ、そして予想通り現地までの道は平坦であることは判明。何気にこれが一番重要な情報です。前日の美々津駅からの徒歩コースでも分かるように、距離以上に坂のあるなしで難易度は大いに変わってきます。昨年訪問した名古屋の南方貨物線もすべてがほぼ平坦コースだったので、少々の距離は苦になりませんでした

感動の対面

ということで歩き始めます。道路は県道で歩道もあり、歩くのには問題ない。10分ほど歩いたでしょうか

遠くに構造物が見えてきました。感動の対面

後は高架の橋脚のふもとまで行けるかどうかですが、うまい具合に折れる道路がありました

手前に見えるのは日豊本線の線路で、ここをくぐると

ここがゴール、つまり南端。実験線ですから、前日の研究所の建物の場所とは異なり、唐突に高架が終わっています。都農からの電車までは余裕があるので時刻表で高鍋駅の特急の発着時間を調べて通過を待ちます

逆方向からは動画でどうぞ

太陽光パネルが並ぶ

役割が終わって四半世紀。実験線にはソーラーパネルが並んでいます。2011年から発電を開始しているので、すでに10年以上の実績。2008年に宮崎県と都農町が公募によって会社が選ばれました。他になかなか例を見ない細長い太陽光発電所となっています。実験線としては約20年だったので、あと何年かで太陽光発電所としての歴史が上回ることになります

リニアモーターカーは現在、東京~名古屋間の実用化に向けて工事が行われています。ここ宮崎の実験線は工事着工が1974年で利用開始が77年。ここ宮崎で夢の原点としてスタートしてから半世紀近くが経過して、ようやく商用化が見えてきました。最近は話題になることすら少なくなりましたが、太陽光発電所に姿を変えても、繰り返された実験の跡が、そのまま残っていることに意義があるのではないでしょうか

都農駅からは徒歩で15分でした。普通に歩ける距離です。そして今回の記事を書くにあたり、グーグル地図を開けたところ、史跡として「リニアモーターカー宮崎実験線跡」が記入されていることに気付きました。私の訪問時はなかったはずで、その後に記入されたのか、それとも私が気付かなかったのか。いずれにせよ都農駅からの道程が分かりやすくなったことだけは間違いありません

どのぐらいの訪問者がいるのか定かではありませんが、一応、駅に戻って観光案内所の方に「徒歩15分」であることだけは報告

何も知らないアヒルは遺構を背景に求愛中でした

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夢の原点、リニア実験線を訪ねる3

東都農駅に到着

2023年5月10日9時10分

昨日で完了のはずが…

リニア実験線訪問の翌日の朝、東都農駅で降りていました

前日の訪問時は実験線の基地を見られたことで満足。次の目的に向けて移動しようと電車に乗り込みました。もちろんリニア実験線訪問は完了です

ただ車窓を見ているうちに気持ちが変わりました。日豊本線に並行して走るリニア実験線。これって一体、どこで終わるのか?と食い入るように見ていると東都農駅と都農駅の間で唐突に終わっています

「終点を近くで見たい」

好奇心がふつふつと湧き上がってきました

前日は宮崎市内で宿泊。他に予定はしていたこともあったのですが「リニア実験線の南端を見に行くツアー」に急きょ変更です

朝に宮崎駅を出発。東都農で9時過ぎに下車しました

実際の行程はもっと南の宮崎から来ていますが、美々津と東都農は海にほぼ並行して線路が敷かれているので、その傍らをリニア実験線が走っています。線路だけだと4・4キロ。道路だと前回までに説明した通り、国道が少し離れた所を走っているため、約5キロ。ただ実験線は現役の路線ではないためグーグル地図には表示されません

かつては資料館でにぎわう

東都農は待合所のみの無人駅。戦後の1952年に営業を開始しています。両隣の美々津、都農はいずれも大正期の開業で歴史は新しい

一見、随分立派な「駅舎」があるように見えますが、そうではありません。立派なお手洗いです。かつては、ここに「リニア資料館」があり、屋上が見学施設となっていて、多くの人でにぎわいました。つまり「リニア最寄駅」だったわけです

今は施設も撤去され、もちろんリニアをお目当てに訪れる人もいません

ただ駅の跨線橋からは実験線を俯瞰できます

新緑の中、さっそうと車両が走れば格好いいのですが、ここには何も走りません。高架から顔を出して並んでいるのはソーラーパネル

田んぼの中を走る実験線なので周囲に高い建物はない。そのため東都農駅は、今も実験線を眺める一等地です

逆側にはのどかな風景が広がっています

ひとつ危ないことがあり、宮崎側からやって来た電車は待合室側のホームに到着したので、宮崎方面への電車は向かい側から出るものとばかり思い込んで待っていたら、その電車も待合室側ホームに入線してくる。すれ違いがない限り、駅舎側ホームのみ使用いるのは単線区間でよくあることですが、完全に油断していました

時刻表に番線が書かれていますが、完全に思い込みで跨線橋をひたすらダッシュ。乗り遅れたら1時間以上の待ち時間となるので必死です。もしかしたら私の姿を見かけて少しドアを閉めるのを待ってくれたかもしれません。ぜーぜー言いながら、お礼を言いました

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夢の原点、リニア実験線を訪ねる2

ここからリニアモーターカーの実験車が出発していた

2023年5月9日11時

田んぼに映える高架

リニア実験線は田んぼの中を突っ切っています。地元の方でさすがに知らない人はいないと思いますが、初見だと「この構造物は何?」と思ってしまうでしょう

ここからリニアの車両が飛び出していった

大阪万博の目玉商品

もう現実の工事が始まっているリニアモーターカーですが、超電導電磁石の仕組みを利用して高速列車を走らせる理論は、東海道新幹線の開発時にはすでにあり、後はどう実用化するかでした

世間一般に「リニアモーターカー」という言葉が浸透したのは1970年の大阪万博。日本館の目玉商品がこの模型。個人的な話となりますが、物心ついたばかりの私は両親に連れられ、3時間も並んだ末にようやく入館。その姿に目を見張った記憶があります。余話となりますが、世界各国のパビリオンが並んだ万博では日本館以外では、アメリカ館、ソ連館が大人気。1ドル360円時代の当時(学校で繰り返し教えられ、今も覚えているぐらい)は日本人が気楽に海外旅行に行ける時代ではなく、海外情報を生で体感できる万国博覧会というのは、現在よりはるかに注目度の高い一大イベントでした

当時は東西冷戦のまっただ中で、米国、ソ連ともに国の威容を誇示する重要なイベントでもあり、日本館を含めた3カ国のパビリオンはいずれも延々と並ばなければならないものでした。まだ10歳にも満たないころなので、それほど多くの記憶はないのですが、今も鮮やかに覚えているのはアメリカ館の「月の石」と日本館の「リニアモーターカー」です

地方に建設した理由

そのように一般にも言葉が広く知られるようになったリニアですが、単純に時速500キロを走らせればいいというものではなく、安全、安定の定時運行は当然の前提として黒字化しなければ意味はない。そのための具体的な実験が必要となります。国分寺の研究所で浮力など実用に向けた研究を経て、いよいよ実用に向けて動き始めた時に長距離の実験線の候補地として、「振動騒音」「電磁波」の問題が考えられるため、地方が良いとされ、地元も協力的であったことで、この宮崎の地が選ばれました

南方貨物線の項でも記しましたが、当時は社会全体が環境問題や騒音問題に目覚めたころで国鉄も場所選定には慎重でした

そして77年に完成したのが宮崎実験線。この7キロを利用した(すべてが完成したのは79年)開発と研究が続けられましたが、研究が進むにつれ、さらなる調査も必要となってきます。カーブもない直線だけのコースは勾配もトンネルもない。東京~大阪に建設するには、そんなことはあり得ないわけで96年に山梨の実験線にバトンを渡すことになりました

現在の姿はかなり風雪を経たものになっていますが、廃墟となっているわけではありません

鉄道総合技術研究所の宮崎実験センターとして施設の管理は行われています

夢のスタートは残る

宮崎の実験線では79年に最高時速517キロという、その後山梨の実験線まで破られなかった記録を達成。当時は大きなニュースとして取り上げられました

そんな時速500キロの夢が伸びています

電車の時間もやって来たようなので美々津駅へと戻ります。来た道なので帰路は分かる

この景色だけでもかなり満足できます。左奥に駅の跨線橋が見えます。その向こうには遙かな海。初夏の優しい風が心地よかった

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夢の原点、リニア実験線を訪ねる1

現在も残るリニア実験線の高架

2023年5月9日10時30分

宗太郎駅訪問後の朝食を経て

時系列的には宗太郎駅訪問後となります。訪問後といっても延岡駅に戻ってきたのは7時半で駅前のホテルはまだチェックアウトすらしていない。起きてから随分と時間が経ち、もう一仕事した気分ですが、現実的にはまだ朝食すら済んでいない時間ですので、優雅に朝食を摂って延岡発9時45分の普通に乗車。40分ほど揺られて美々津駅で下車しました

30年前に現在の駅舎に変わった美々津。簡易駅舎ながら木造で瓦屋根もあり、景観的には十分です

駅前に何かあるのかと言われると、あまりない。というのも駅正面の森の向こう側に国道10号(要は宗太郎駅から道路一本でここまで来られる)が走っていて、美々津の中心地は微妙に駅から離れているからのようです

駅前の地図で見ると分かりやすい。徒歩による所有時間も明示されています

ただ残念ながら私が目指す地は地図にはない。というか地図の最も下に描かれている美々津駅のさらに下側を目指すからです

坂を上って下っての誤算

私が目指すのはリニア実験線の跡地。1977年から20年にわたって現在東京~名古屋間で建設中のリニアモーターカーの実験と開発を行った場所です

すでにリニアの実験は終わっていますが、実験センターは現役なのでグーグル地図でも連れていってくれます。そもそも日豊本線のこの区間に乗車すること自体が初めてなので車窓の景色すら見たことがありません。ただ日豊本線に沿って実験線が見えるという知識はあったので、今回はその「北端」である実験センターを訪ねることとしました

徒歩15分。初夏の風を感じながら歩くにはちょうど良い時間です。次の美々津発の宮崎方面列車は11時48分。1時間以上あるので、こちらもちょうど良い、と歩き始めたのですが、思っていたものとは全く異なりました

実験センターそのものは日豊本線と同じ高さにあるのですが、そこに至る国道10号はかなり高い所を通っている。美々津駅から、その坂を見上げて気力がなくなった私は、もしかしたら国道まで行かず、平面で行けるのではないか、と淡い期待で住宅街を真っ直ぐ進み始めましたが、途中で行き止まり。田んぼのあぜ道を行けないことはないのではないか、とも一瞬考えましたが、過去同じことをすると大概がひどい目に遭っている上、私有地の可能性が極めて高い。ということで

雑草で覆われ始めている階段を登るハメに。まぁ、このような階段を造っていただいたことで、元の駅前まで戻られなくて良かったとしておきましょう。もっとも汗だくにはなりました

アプリがないと行けたかどうか

国道に出たところが美々津駅入口のバス停留所。地方のあるあるですが「○○入口」というバス停は、かなり離れたところにあることが多い

ここから停留所ひとつ分を歩くと

ソーラーパネルの列を越えた小さな路地を入るように指示される

曲がるとこんな感じ。車の轍(わだち)で分かるように、アスファルトもくたびれた坂を下りていきます。携帯のアプリがなければ、不安になって引き返したかもしれません。もうひとつの不安としては、この先に目指す場所があったとすると、この坂を今度は上らなければならないのか…ということですが

到達した感想は…ちょっと古い?

そして到着

テレビでしか見たことのない光景だったので、ちょっと感動しました。ここがリニア実験線の「北端」となります

で、何を思ったか

「わ~、サンダーバードだと」思いました(古い!)

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北海道フリーパスはどれだけお得か

北海道フリーパスとは

さる5月24日から6日間、北海道に行ってきました。その際に利用したきっぷが

北海道フリーパスです。要点を説明すると

・北海道新幹線を除くJR北海道及びJR北海道の路線バスが1週間乗り放題

・利用当日の購入可能

・指定席は6回まで利用可能(自由席は乗り放題、グリーン席の場合はグリーン券のほか特急券も必要)

たったこれだけ。バスについては乗れる路線と乗れない路線があって、事前確認が必要ですがルールは実に分かりやすく、通年発売しています(年末年始、GW、お盆の時期のみ利用不可)

降り鉄にも有効?

ただその一方で欠点というか、二の足を踏んでしまう要素もあります。まず旅行者目線だと、これだけ長期間、北海道を旅するのは、その分だけ休暇を取る必要があるため、現実的に使用の機会は限られてくるということ。7日間有効ですから、利用は3日でも4日でも良いのですが、2万7430円という高価な料金の元を取らなければならないので、利用にあたっては、いろいろ考えてしまいます

そしてこちらは私的なこととなりますが「降り鉄にも有効なのか」ということ。私の場合、駅訪問に重点を置いていますので必然的に優等列車の停車しない駅や走らない路線が多くなります。場合によっては普段行っているようにローカル線やローカル駅の手前まで優等列車を使用して、そこから青春18きっぷのような安めのフリー乗車券を使うのもありかもしれません。ただ初めてのことなので、今後のことも考えて初めて利用してみました

以下、6日間の行程を実際に普通のきっぷを利用した場合はどのぐらいの料金がかかるのか計算したものです。いろいろな駅に行きましたが、100キロを超える区間はできるだけ通しのきっぷを買って途中下車制度利用するものとしました。途中下車した駅についての記述は省略しています。途中バックしたり、枝分かれする路線については、その都度別に運賃を支払ったものと仮定。またほぼすべて自由席利用でしたので特急は自由席料金とします

初日

10時に新千歳空港に到着して券売機で北海道フリーパスを購入。全国で買えますが、その場合はおそらくJR北海道は他社に手数料を支払わなければならないので、ここは全額がJR北海道に入るようにしました

新千歳空港~小幌 3210円

苫小牧~登別 特630円

小幌~洞爺 540円

計 4380円

洞爺湖で知人と会う約束があったので、途中下車は行いましたが料金はこれだけ。6日間ですので単純計算だと4580円利用しなければなりませんが赤字スタート

2日目

洞爺~豊浦 250円

豊浦~札幌 3630円(室蘭泊でしたが途中下車のため乗車券は札幌まで)

伊達紋別~稀府 往復290円×2=580円

伊達紋別~東室蘭 特320円

東室蘭~母恋 250円

母恋~輪西 250円

輪西~御崎 200円

御崎~室蘭 200円

計 5680円

どうしても稀府駅に行きたかったので、伊達紋別との間を往復。何とか2日分の元は取れました

3日目

室蘭~東室蘭 290円

幌別~苫小牧 特630円

苫小牧~鵡川 往復750円×2=1500円

苫小牧~札幌 特1150円

札幌~旭川 2860円(深川で途中下車しています)

札幌~深川 特1830円

深川~石狩沼田 340円

石狩沼田~北一已 340円

北一已~秩父別 250円

秩父別~北秩父別 200円

北秩父別~深川 340円

深川~旭川 特630円

計 1万360円

時限付きでわずかに残った留萌本線の全駅訪問。移動も多く、特急にも何度も乗ったので1万円台に

4日目

旭川~東鹿越 2420円

富良野~芦別 往復640円×2=1280円

東鹿越~金山 340円

富良野~旭川 1290円

計 5330円

一度も特急に乗りませんでしたが、運賃だけで5000円超え。実際は旭川から芦別にダイレクトに行ったのですが、それだと100キロに満たず途中下車ができないので東鹿越まで乗車券を購入したものと仮定。根室本線の区間は、かなりバスにもお世話になっています

5日目

旭川~比布 440円

比布~札幌 3190円(深川で途中下車)

旭川~深川 特630円

深川~幌加内 JRバス往復 1130円×2=2260円

深川~札幌 特1830円

計 8350円

深川~札幌でこの旅最初で最後の指定席に乗車しました。もっともこれは、このままだと1度も指定席に乗らず終わってしまうと考えて乗車したもの。実際は車両の多い自由席の方がすいていました。幌加内までのバスが深名線の代替バスでJR北海道バスだったのは大きかった

6日目

札幌~新得 3630円(トマムで途中下車)

      特1830円

トマム~占冠 往復540円×2=1080円

新得~島松 3190円(追分などで途中下車)

新得~追分 特1830円

鳥松~新千歳空港 460円

計 1万2020円

石勝線で普通料金で乗れる特急列車に散々乗った末、どうしても行きたかった島松で締め。実は札幌~旭川より札幌~トマムの方が遠いことを初めて知りました

特急に乗らないと動けないエリアが多数

ということで6日間で利用した運賃と特急料金は4万6120円。大幅に元を取ったことになります

活動エリアは新千歳空港を出入りして洞爺から旭川までと、そう広くはないのですが、それでもこれだけの料金。無理に特急を利用したことはなく、最長でも札幌~トマムですから、北海道のエリアを考えると、そう長い距離ではありません。おそらく稚内や網走、釧路などに行けば、もっと簡単に元を取れたと思います

今回痛感したのは、北海道では普通利用だけでは、なかなか動きがとれないということ。深川駅を複数利用したことで、深川~旭川を何度も乗ることになりましたが、この区間はわずか30キロ。特急は30分から1時間間隔で多数走っている動脈区間ですが、普通の運行は少ない。結果的に特急ばかりを利用することになりました。北海道にはこのような区間が多数あり、青春18きっぷのみでは、降り鉄はかなり難しいですね

もっとも、このぐらいで大いに元は取れるので行程のうちの1日ぐらいはレンタカー利用もありかな、と思いました

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宗太郎駅に行ってきました(後編)

2023年5月9日6時40分

周辺には民家が数軒

宗太郎駅の駅名標です。山中の峠越えの駅だけに両隣の駅も7キロ前後離れています

駅からの俯瞰。奥に見えるのが国道10号。日豊本線はこの国道沿いに走っていて幹線国道だけに駅への訪問は比較的容易(ただし見る限り、国道からの道路は決して道幅は広くない様子)です

ユニークな地名

かつては駅舎が存在したと思われる場所にポツンと、きっぷの回収箱がありました。一応、ラッチ(改札)に囲まれています。年間にどれだけの切符が投入されるかは分かりません

この駅が有名なのは「宗太郎」という愛らしい駅名によるものも大きい。大分と宮崎の県境付近の峠越えは古代から交通の難所として知られ、江戸時代に管轄の岡藩(「荒城の月」で知られる豊後竹田城で有名)に命じられた洲本宗太郎という人が付近の調査、管理をしていたことにちなみ「宗太郎峠」と名付けられ、以降、列車や車の時代が到来しても難所の横断は宗太郎越えと呼ばれ続けています

記念碑や井戸も

駅は2面2線構造。1日1・5往復はあくまで停車列車の話で、当駅を通過する特急列車は終日バンバン走っています。そのため、佐伯~延岡間は特急の停車駅はないものの、すべての駅がすれ違い可能な構造です

駅の出入り口は小さな階段。ただ前述した通り、通過列車は多いため、上下ホームは跨線橋での移動が必要

跨線橋から見ると、長大編成のすれ違いに備え、構内の複線部分は大きくとられていることがよく分かる

駅入口側には

井戸がありました。現役ではない様子

跨線橋を渡ったところには

記念の石碑。手前まで入れるようになっているので近づくと

肝心な部分が歳月のおかげで読めません。左側にうっすら残る文字からは「大分保線事業所長」によるものだと分かりました。宗太郎駅は大正期に信号場として開設され、戦後間もなく駅に昇格。おそらくその時のものだと推察されます

駅の入口側とは逆側のホーム(延岡方面)には待合所がありますが、ここには駅ノート入れとともに石がズラリ。ひとつひとつにメッセージが書き込まれていて、風変わりな「駅ノート」となっているようでした

宗太郎駅に対するダイヤの誤解

駅を去らなければならない時間がやってきました。わずか15分の滞在。もう少しいたかったですが、さすがにこれに乗らないわけにはいきません

手元に2017年3月の時刻表(ダイヤ改正版)があります。当時は現在と同じ早朝の1往復のほかに南延岡発16時43分の佐伯行き、佐伯発17時14分発の南延岡行きがあり、それに乗車すれば17時20分に宗太郎に到着して18時10分に離れられるという、今の季節なら十分明るいうちに行動できる運行がありました。また夜の20時台も0・5往復ではなく1往復運行されています。それ以外にも南延岡から宮崎県の端にあたる市棚まで朝に1往復の設定がありました(ただし市棚からの折り返しが8時37分発で延岡着が9時1分と微妙に通勤通学帯からは遅い時間です)。それらの運行は2018年3月のダイヤ改正で姿を消し、現在のダイヤとなっています

宗太郎駅のダイヤについては多少の誤解があって、先日紹介した羽越本線にも存在した「普通列車も多くが通過する駅」と一部で思われているようですが、それは違って、そもそも運用がこれだけしかないのです。つまり宗太郎だけがクローズアップされるのであって宗太郎~延岡の5駅はすべて同じダイヤなのです

ただ少し驚いたのは延岡行きの宗太郎6時54分発の列車には数人の乗客がいたこと。今回の旅は青春18きっぷの期間でもないGW直後の平日という最も旅客の少なそうな日を選んでいます。宗太郎にやって来る時とは逆で1号車部分のみが開放されているため、車両の半分を占めるグリーン座席も座れるようになっているため(グリーン券は車内で購入のシステムだが、当然のように誰も乗っていない)、普通座席部分が狭くなっていることもあるのでしょうが、宮崎県に入ると駅に停車する度に通学の高校生が何人かずつ乗り込んできました

こちらは列車交換のために3分間停車した日向長井駅でホームに降りて撮影したもの

高校生は全員が延岡で降りていきました。延岡発の佐伯行きは20時7分発。高校生の帰宅としては、ちょっと遅い。おそらくコミュニティーバスを利用するのでしょうが、どうやって帰宅するのだろう?と思ってしまいました

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宗太郎駅に行ってきました(前編)

宗太郎駅の駅名標

2023年5月9日午前6時

早朝から注釈付き列車に乗車

前夜のうちに宮崎県の延岡に入り駅近くのホテルに宿泊

そして朝の6時には駅にいました。5月上旬ですが、西国だけに、まだ夜が明けつつある雰囲気でした

乗車するのは6時10分の普通佐伯行き。奥に見えているのは6時2分の宮崎方面行きで、今から乗車する電車とは違います。そもそも電車の形が違います

今から乗車する列車には注釈があって

何やら不思議なことが書いてあります。文脈だけを読み取ると4両編成で、そのうち1両にしか乗れないことになっている。2両編成で、うち1両が送り込み用の回送扱いというのはJR四国でよく見かけますが、4分の3が乗車不可というのは、あまり聞いたことがありません

やって来たのは特急列車

間もなく乗車列車がやって来ました。6時6分南延岡始発の佐伯行き。なんと特急車両が運用に入っています

九州ではおなじみの787系。 1両分しか客扱いしませんが、車掌さんも乗車しています

30分ほどですが、優雅に特急車両の旅を楽しむことにします。1両分しかお客さんがいないので乗車状況は分かりやすい。南延岡はひとつお隣の駅で、ここからの乗車はなかったようで無人で入線。延岡から乗車したのは私を含め3人。一目で分かりますが、当の私を含め3人とも目的地は同じ「同好の士」です

宮崎県からしか行けない大分県の寝坊厳禁駅

普通という名の特急車両に揺られること30分。目的地の宗太郎に到着しました

延岡から25キロ。宮崎県から大分県に入ったところにある県境の駅。「宗太郎」という駅名と県境ならではの雰囲気に加え、1日の利用者が1人にも満たないことで鉄道ファンの中は知らない人がいないほど有名ですが、特筆すべきは時刻表

ご覧の通り、1日1往復半。しかも朝の6時台に大分方面と宮崎方面の列車が1本ずつあった後は20時35分の佐伯行きがあるだけ。延岡方面に至っては6時54分が始発にして最終電車です。日本中に閑散路線は数多くありますが、これはもう究極のダイヤ

時刻表もあまりに余白部分が多すぎて告知ボードのようになっています

そしてこれが何を意味するかというと、当駅を訪れようとすると私が乗車した列車に乗り、15分後の延岡行きで引き返すしかない。つまり大分県にあるにもかかわらず宮崎県からしか行けず、寝坊は絶対に許されない。もっと言うと、日常的に当駅に行く(人がいるかは不明)には南延岡~宗太郎間に住むしかなく、それ以外の地域からだとホテルが多数ある延岡に前日から宿泊するしかないわけです

なおバス路線ですが、大分県にあるため延岡側からのバスはなく、宗太郎のバス停は地元の方向けの予約制デマンド運行。県境を越えて1時間ほど歩けば延岡市のコミュニティーバスが来ていますが、週3回の運行で、なおかつ延岡まで直接は行けないという状況。また両隣の重岡、市棚両駅にも徒歩では1時間半以上かかる上、駅まで行ってもダイヤ的には変わりがない(重岡駅からは佐伯中心部まで行けるバスがありますが本数は少ない)ので、まさに「脱出困難」駅

貴重な15分間を堪能することにします

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日本唯一の直交ダイヤモンドクロスは今が「旬」

ダイアモンドクロスを横切る名鉄築港線

2022年6月11日17時50分

※時刻表は当時のものです

1年前の話を書く意味

ちょうど1年前の17時半すぎ

名古屋鉄道の大江駅にいました。大江は名鉄常滑線の駅で今から乗車する築港線の分岐駅。築港線は1区間1・5キロのミニ路線。出発するとすぐ着いてしまいます

単純往復するだけなので、方向幕はLED表示は必要なく「室内サボ」が掲げられています。もちろん列車種別は「普通」のみです

さて1年前の話をわざわざ今する意味は時刻表にあります

大江駅の築港線時刻表。ご覧のように朝と夕刻にしか電車は走りません。先日、103系の引退で話題になった神戸の和田岬線と同じです

当ブログをスタートしたのは昨年の9月で、その時はすでに17時を過ぎると、かなり薄暗い季節となっていたため、次に日が長くなるのを待っていたら1年が経過したという次第

目的地は駅から徒歩数分

電車は瞬時に終点の東名古屋港に到着

改札口すらない無人駅ですが、駅員さんはいる駅です(後述します)

線路に沿って道路を歩いていくと、すぐ目的地に到着です

今や日本で唯一

踏切から中を見ると写真の左右を走るのが乗車してきた名鉄で、中に入れないように鎖が張られているのが名古屋臨海鉄道の貨物線。ご覧のように線路同士が90度直角に交差しています。線路同士が平面で交差する際、交差の間がダイヤモンドのような形になることから、ダイヤモンドクロス(ダイヤモンドクロッシング)と呼びます。ターミナル駅で見られるように、ほとんどは斜交となっているのですが、このように直角で交差するものは、今や日本で3カ所のみ。他は松山市の伊予鉄道と高知市の土佐電鉄ですが、前者は路面電車と普通鉄道、後者は路面電車同士となっていて、普通鉄道同士は当地が唯一のものとなっています

私の世代だと阪急の西宮北口駅における今津線と神戸本線の直交をいつも見ていて、珍しいものだという認識は当時は全くなかったのですが、今となっては貴重な体験をしたことになります

その音をお聴きください

直角に交差している分、レールの継ぎ目の音が独特で、その部分が目視できるので分かりやすいですね

写真ではこのようになります

貨物運行は不定期

さて、見るとホームも何もありませんが、こちらは「名電築港」という名鉄と名古屋臨海鉄道の貨物駅

ただ普通にイメージする貨物列車は現在は走っていません。では何のための貨物線かというと、車両や資材を運搬するためのものです。名鉄に新車両が運搬される場合、JRの笠寺から写真で言うと手前側からやって来ます。写真の奥でスイッチバックする形で東名古屋港駅方面で折り返し、名鉄に入っていきます。廃車回送の場合は、その逆コースとなり、資材運搬にも使用されていますが、特殊な運搬任務にあたるため運行は不定期です

列車に見とれているうちに18時を軽く回ってしまいましたが、もちろんまだまだ明るい

築港線の乗車方法

大江駅で築港線に乗下車する際は必ず中間改札を通る必要があります。1区間だけの路線なので東名古屋港駅に向かう場合は、先に旅程を終える形となっています。これは和田岬線や東武の大師前(東京都)と同じシステム

ただ微妙に異なるのは東名古屋港駅には列車運行時には駅員さんがいるということ。1区間のみの築港線ですが、単線のためスタフ通票による運行が行われているため、その係の人員が必要なわけです。スタフ受け渡しの場面ももちろん見られます

何気に私の気を引いたのはホーローによる注意案内。なかなかいい感じです。現地にはバス路線も走っていますが、大江駅をはじめ、名古屋中心部へのスピードが圧倒的に違うため、築港線は需要の多い路線で1日に約5000人もの利用があります

現地を訪れる際の注意点としては、週末の運行が少なくなる点。時刻表を見ていただければ分かりますが、土曜日はまだそれなりの運行がありますが、日曜は朝5往復、夕方3往復のみの運行しかないので、ご注意ください

今年の夏至は6月21日。1日の日照時間が最も長い季節になりますので、ダイヤモンドクロス訪問は今が旬です

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満員の代行バスで旅を締める

酒田駅の特急いなほパネル

3月4日11時10分

特急いなほに乗車

いなほは秋田~新潟を結ぶ特急ですが、1日7往復の運行のうち、秋田と新潟を直接結ぶのは2往復のみ。多客期は一部延長運転が行われますが、5往復は酒田~新潟の運行となっています。酒田駅が新潟支社と秋田支社の境界となっているため、普通の運行は酒田で分断され、特急を利用しない場合は乗り換えが発生します

とはいえ

秋田~余目間は未乗車区間のため、酒田で下車。すでに山形県に入っています。ここでランチタイムと。昭和30年代に建てられた典型的な国鉄コンクリート駅舎ですが、2年前にリニューアルされました

美しい余目駅

酒田からは普通に乗車。15分ほどで

余目に到着。駅名標で分かる通り乗り換え駅

駅名標は新しいものですが、ホーム上の乗り換え案内はクラシックなものが残ります。新庄へ向かう陸羽西線の乗り換え駅

来るのは2度目ですが、黄色の文字が美しい。階段もその色に準じていて離れたところからも目立ちます

陸羽西線はバス代行中

時間的には東京に向かうことになっていて、本当は特急で新潟まで行き、上越新幹線で東京に行く方が圧倒的に早く、新幹線も乗れるJR東日本パスを有効利用できるのですが、この日はちょっと違うことを考えていました

余目駅の跨線橋ですが、新庄へ向かう陸羽西線ホームへの通路は塞がれています。現在、陸羽西線と交差する道路のトンネル工事に伴い、バス代行が2024年度中までの予定で行われています

この代行バスに乗ってみたくなりました。最上川に沿って走る陸羽西線ですが、バスからだと以前乗車した鉄道とはまた異なる景色が見られるはず

こちらは前日、古川駅に張られていたバスの時刻表。陸羽西線は酒田から直接乗り入れる運行があったため、バスで酒田からも行けるようになっていますが本数は圧倒的に余目からが多く、また久しぶりに美しい余目駅を見たい願望もありました

余裕の行動だったが…

積み上げられた雪の向こうですでにバスは待機しています。しかし過去に陸羽西線に乗車した記憶は大してお客さんはいなかったものなので

たまたまやって来た観光用の快速「海里」を眺めるなどして余裕の行動

バス出発の15分前もこんな感じで、まぁ大丈夫だろうと、この後に乗る山形新幹線の発券を行うなどして駅舎内にいました。そもそも寒いので並びたくない

ところが発車10分を切った時点で再び駅舎外に出ると、一体どこから集まってきたのかと思うほどの並びになっていました。考えてみれば、前日、川部駅で実感したように、今は東日本パスと青春18きっぷが重なる時期。人が多いのも当然。慌てて並びに参加しましたが窓際席は確保できない、どちらかといえばギリギリセーフの状況。実はバスはもう1台待機していて、運転手さんが並びの人数を何度も数えていましたが、もしかすると予備車両だったのかも。そんな理由でバスの車窓からの写真はなしとなりました

雪の車窓をながめながら旅を終える

鉄道の時刻表の感覚では大いに余裕があった新庄からの山形新幹線の乗り継ぎですが、バスは若干の遅れが発生。新庄からの新幹線は2時間に1本しかないためヒヤヒヤしましたが、無事間に合いました

こんな機会はめったにないため、指定券は余目で発券。4回まで利用できる指定席ですが、前回と同じくほぼ自由席だったため、今回の旅で唯一の指定席となりました

山形と福島の県境の雪景色を見ながら旅は事実上、終了。東北新幹線の各駅訪問、長年の念願だった羽後亀田駅も訪問できて充実の旅でした

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由利高原鉄道に初乗車5~まごころ列車に見送られ

由利高原鉄道に乗車するとおひなさまの出迎えがあった

2023年3月4日9時40分

「おひなさま」のお出迎え

話は若干前後しますが、曲沢から子吉に迎う列車に乗り込むと出迎えてくれたのは

おひなさま

事前に知識を入れていなかった私はビックリしてしまいました

「おひなっこ列車」で車内は華やかに彩られています。幸運なことに、子吉からの列車も当該車両。矢島から羽後本荘までも、もちろんこちらだったので楽しかったです

さまざまなイベント列車

由利高原鉄道では四季を通じてさまざまなイベント列車を走らせています

私の訪問時はこちらの、おひなっこ列車でした。その他にも「こいのぼり列車」「たなばた列車」「かかし列車」「ハロウィン列車」「クリスマス列車」が季節ごとに運行され、その他にも有料の「納涼ビール列車」「忘年会列車」などが運行されています(詳細は同社のホームページで)

おひなさまは由利本荘市の江戸時代の3つの藩「亀田藩」「本荘藩」「矢島藩」に「ひな街道」に基づくもの

実は今回、矢島藩は四国の高松から転封されたものだということを初めて知りました。高松には2年半ほど勤務していて、それなりに知識はあったつもりですが、高松藩というのは当初から松平家=徳川の親戚の藩だったとずっと思い込んでいました。元々は生駒氏の藩だったものが、幕府のおとがめを受け、引っ越しを余儀なくされたのですね。しばらく当主は江戸にいたそうですが、高松から矢島への引っ越しは大変そうです。有名すぎる栗林公園も当初は生駒氏によるものだったとか。各地を巡ると60歳にして、いろいろ勉強になります

まごころ列車に乗車

雪の中、発車を待つ列車

由利高原鉄道鳥海山ろく線では

矢島発9時40分→羽後本荘着10時21分

羽後本荘発10時55分→矢島着11時34分

の午前中1往復を「まごころ列車」として運行しています(水、木を除く)。アテンダントが乗車して沿線案内をしてくれるほか、グッズ販売や記念品配布もあります

大変にぎわっていました

グッズについては由利鉄中華そばとか欲しかったのですが、鉄道旅のつらいところで、旅の途中では、なかなか荷物を増やすことができません

でも、かわいい乗車記念グッズをいただきました

曲沢駅の項で「鳥海山は見えなかった」と記しましたが、実を言うと初めての地なので、どれが鳥海山か、よく分からなかったというのが実情。アテンダントの方が「残念ながら今日は鳥海山は見えません」とアナウンスしてくれたので分かった次第です

車窓の雪景色は徐々に消え、羽後本荘に到着しました

第三セクターというのは「民業を圧迫する」との理由で副業ができません。駅前や観光地に土地を有していても、そこにホテルを建てて経営する、というのはできないわけです。かつて国鉄を苦しめた理由のひとつでもあります

このため、各地方の三セクでは、さまざまな工夫を行って企業努力をしています。短い時間ではありましたが、そんなことを強く感じ、そして楽しかったひとときでした

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